東京地方裁判所 平成15年(行ウ)445号 判決 2004年9月27日
原告
東日本旅客鉄道株式会社
上記代表者代表取締役
F
上記支配人
井上進
上記訴訟代理人弁護士
橋本勇
被告
中央労働委員会
上記代表者会長
山口浩一郎
上記指定代理人
山川隆一
外3名
被告補助参加人
国鉄労働組合
上記代表者中央執行委員長
髙嶋昭一
被告補助参加人
外4名
上記被告補助参加人5名訴訟代理人弁護士
福田護
同
大塚達生
同
藤田温久
同
小賀坂徹
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,補助参加によって生じた費用を含め,原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告が中労委平成6年(不再)第42号不当労働行為再審査申立事件につき,平成15年6月4日付けでした命令を取り消す。
第2 事案の概要
神奈川県地方労働委員会(以下「神労委」という。)は,被告補助参加人(以下「補助参加人」という。)らが原告を被申立人として申し立てた不当労働行為救済申立事件(神労委平成3年(不)第10号事件)につき,①平成2年7月1日付けで補助参加人国鉄労働組合東京地方本部横浜支部鶴見駅分会(以下「国労鶴見駅分会」という。)所属の副分会長甲野一郎(以下「甲野」という。)を鶴見駅から東京第二ベンディング事業所に配置転換したこと,②平成3年2月9日付けで同分会書記長乙山二郎(以下「乙山」という。)を,鶴見駅から東京第一ベンディング事業所に配置転換したこと,③平成2年11月17日付けで同分会教宣部長丙川三郎(以下「丙川」という。)を,A首席助役(以下「A首席助役」という。)に対する暴行行為を理由に懲戒解雇したことがそれぞれ不当労働行為に当たるとして,別紙1記載のとおりの主文の救済命令(以下「初審命令」という。)を発した。原告は,初審命令のうち補助参加人らの申立てを棄却した部分を除く部分を不服として被告に対し再審査を申し立て(中労委平成6年(不再)第42号事件),補助参加人らは,初審命令のうち補助参加人らの申立てを認容した部分を除く部分を不服として被告に対し再審査を申し立てたところ(中労委平成6年(不再)第43号事件),被告は,平成15年6月4日付けで初審命令を別紙2記載のとおり変更したものの,その余の上記各再審査申立てを棄却する旨の命令(以下「本件命令」という。)を発した。本件は,原告が本件命令のうち中労委平成6年(不再)第42号事件の申立てに係る部分の取消しを求める事案である。
1 争いのない事実
(1) 当事者等
ア 原告
原告は,昭和62年4月1日,日本国有鉄道改革法,旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律に基づいて,日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)が経営していた旅客鉄道事業のうち,本州の東日本地域における事業を引き継いで設立された株式会社である。
イ 補助参加人ら
(ア) 補助参加人国鉄労働組合(以下「国労」という。)は,昭和22年に国鉄の職員により結成された労働組合であり,昭和62年4月1日以降は,国鉄が分割・民営化されたことに伴い,原告その他の国鉄の事業を承継した法人等に勤務する者によって組織されており,平成3年6月ころの組合員数は約3万3000人であった。
(イ) 国労には,原告等に勤務する者で組織されている補助参加人国鉄労働組合東日本本部(以下「国労東日本本部」という。),その下部組織で東京を中心とする地域の職場に勤務する者等で組織されている補助参加人国鉄労働組合東京地方本部,更にその下部組織で横浜・川崎市内及びその周辺地域の職場に勤務する者等で組織されている補助参加人国鉄労働組合東京地方本部横浜支部(以下「国労横浜支部」という。)がある。国労鶴見駅分会は,同横浜支部の下部組織であり,鶴見駅に勤務する者等で組織されており,その組合員数は平成3年6月当時61人であった。
ウ 併存組合
原告には,国労東日本本部のほか,全日本鉄道労働組合総連合会(以下「鉄道労連」という。)所属の東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄労」又は平成元年6月略称改称の「JR東労組」という。),日本鉄道産業労働組合総連合所属の東日本鉄道産業労働組合等の労働組合がある。
なお,国鉄当時には,労働組合として,国労のほか,国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。),鉄道労働組合(以下「鉄労」という。),全国鉄施設労働組合(以下「全施労」という。),真国鉄労働組合等が存在した。
(2) 鶴見駅の概要
鶴見駅は,京浜東北線・鶴見線の発着及びそれに伴う旅客扱い・貨物列車の取扱い,直営店の営業並びにこれらに付帯する業務を行っている。平成3年6月ころの鶴見駅の社員は125名で,駅長1名,首席助役1名,指導センター所長1名,助役24名及びその他の社員98名であった。社員のうち,駅長は駅業務全般の管理及び運営を,助役は駅長の補佐又は代理を行うこととされ,首席助役は,助役の筆頭として駅長の代行及び助役の統括を行っていた。また,鶴見駅では,事務係,営業係,輸送係の3係があり,事務係は庶務,経理等の業務を行い,営業係は切符,定期券の発売を行う出札業務及び切符の入鋏,集札,案内等を行う改札業務等を行い,輸送係は列車の入換え,列車集中制御装置の取扱い,踏切道の看守等の業務を担当していた。
(3) 甲野の配転
ア 原告は,平成2年6月1日の鶴見線営業所の設置等に伴い,それまで鶴見駅で取り扱っていた鶴見線の業務を同営業所に移転することとし,合わせて同駅における業務合理化及び人員削減を実施することにした。その計画内容は,改札担当を28人から22人に減らし,信号担当を18人から15人に減らし,旅行センターの業務すべてを鶴見線営業所に移管するというものであった。
イ 原告は,平成2年7月1日,上記アの計画の一環として,国労鶴見駅分会所属の副分会長甲野を鶴見駅から東京第二ベンディング事業所事業係へ配転した(以下「本件第1配転」という。)。
ウ 甲野は,本件第1配転により,東京第二ベンディング事業所事業係において,JRブランドの「大清水」商品の販売業務(主として自動販売機への商品の投入,金銭の回収業務等)に従事することになった。
(4) 乙山の配転
ア 国労鶴見駅分会所属の書記長乙山は,平成2年12月23日午前2時50分ころ,酒に酔って同じ敷地内の社宅に居住している直属の上司であるB助役(以下「B助役」という。)の自宅に押しかけ,ドアをたたいたり,同助役の自動車のドアミラーや同助役宅外一軒の郵便受けを壊したりした(以下「本件物損事件」という。)。
イ 鶴見駅長C(以下「C駅長」という。)は,本件物損事件のあった日の翌日ないし翌々日,原告東京地域本社総務部人事課(以下「原告本社人事課」という。)に対し,乙山の転勤を上申した。
ウ 原告は,平成3年2月9日,乙山を鶴見駅輸送係信号担当から東京第一ベンディング事業所事業係へ配転した(以下「本件第2配転」といい,本件第1配転と本件第2配転を合わせて「本件配転」という。)。
(5) 丙川に対する懲戒解雇
ア 国労鶴見駅分会所属の教宣部長丙川は,平成2年11月8日午前8時10分ころ,鶴見駅総持寺踏切詰所付近において,巡回に来ていたA首席助役に対し,後方から顔面に手を回したり,腕を頭に回して上から押さえ込むなどの暴行を加え,全治1週間ないし2週間を要する傷害を負わせた(以下「本件傷害事件」という。)。
イ 原告は,平成2年11月17日付けで,本件傷害事件は社員として著しく不都合な行為であるとして,丙川を懲戒解雇した(以下「本件懲戒解雇」という。)。
(6) 補助参加人らの申立てと労働委員会の決定
ア 補助参加人らは,平成3年6月,原告を被申立人として,本件配転及び本件懲戒解雇がそれぞれ不当労働行為に当たるとして,神労委に対し救済申立てをしたところ(神労委平成3年(不)第10号事件),神労委は,同6年11月30日,別紙1記載のとおりの初審命令を発した。
イ 原告は,平成6年12月9日,初審命令のうち第1項ないし第4項の取消しを求めて,被告に対し,再審査を申し立て(中労委平成6年(不再)第42号事件),補助参加人らは,同月14日,初審命令のうち第5項の取消しを求めて,被告に対し,再審査を申し立てた(中労委平成6年(不再)第43号事件)ところ,被告は,平成15年6月4日付けで初審命令を別紙2記載のとおり変更したものの,その余の上記各再審査申立てを棄却する旨の命令(本件命令)を発し,同月24日,原告に同命令書の写しを交付した。
ウ 原告は,平成15年7月22日,本件訴えを提起した。
2 争点
(1) 本件配転は,甲野又は乙山に対する不利益取扱い又は補助参加人らに対する支配介入に当たるか否か(争点1)。
【被告及び補助参加人らの主張】
ア(ア) 原告は,国鉄分割・民営化当時から,会社幹部の発言等にもみられるとおり,国労に対する敵意と嫌悪感を繰り返し明らかにしてきた。
(イ) 従来,鶴見駅では国労組合員が過半数を占め,国労横浜支部の組織上の拠点として位置づけられていた。原告は,36協定,労働安全衛生委員会の委員の構成,その他就業規則の意見聴取等において大きな意味を有する過半数組合が,国労の下部組織である同鶴見駅分会であることを許し難いと考えていた。そこで,原告は,国鉄分割・民営化前後から,鶴見駅において,配属・配転差別,脱退強要,車掌業務移管等により,国労鶴見駅分会の切り崩しを行い,国労組合員数を減少させてきた。
そして,鶴見駅では,本件配転時まで,国労とJR東労組の組合員数が拮抗する状態になっていた。
(ウ) そこで,原告は,国労を弱体化させる意図に基づき,鶴見駅における国労の勢力を更に弱めるために,同駅において国労の組合活動の中心的存在であった甲野及び乙山を,職業生活上及び心身面での不利益を伴うベンディング事業所事業係に配転したものである。
(エ) ベンディング事業所は,鉄道運送業の本務とは異なる業務であり,その中心をなすのは重量物の運搬などの力仕事である。このため,本務からベンディング事業所に配転された者は,本務で長年培った技術や経験を発揮することができず,本務において有していたプライドを打ち砕かれることになる。また,ベンディング事業所は,力仕事中心の職場であるため腰痛になる者も多い。
ベンディング事業所に配転される者は,管理職及び事務職を除くとほとんどが国労組合員であり,かつそのほとんどが国労の役員経験のある者である。このように,原告が,ベンディング事業所を,国労つぶしのための国労活動家の隔離収容所として位置づけていることは明白である。
(オ) 鶴見駅では,平成2年7月1日付けで9人が配転の発令を受けたが,JR東労組の組合員で配転の対象となったのは1人だけであり,それも本人の希望にそったものであったのに対し,他の8人はいずれもが国労組合員であった。
(カ) 本件第2配転により,鶴見駅ではJR東労組が多数派となり,国労は多数派から少数派に転落した。
(キ) これらの事情によれば,本件配転は,甲野及び乙山に対する不利益取扱いであるとともに,補助参加人らに対する支配介入であって,不当労働行為に当たる。
イ 他方,原告が甲野の配転理由の一つとして主張する勤務実績や接客態度に問題があるとの点は,いずれも事実として存在しないか,およそ配転理由になり得ないものである。
ウ また,本件物損事件については,B助役と乙山が接触する機会はほとんどなく,乙山や他の社員から配転を望むような意見もなく,業務に具体的な支障も生じておらず,職場管理上好ましくないなどという状況はなかった。
さらに,現場管理者である当時のC駅長は,本件物損事件の翌日ないし翌々日,事件の処分さえ決まっていない段階で,直ちに乙山の配転を上申しており,国労の中心的活動家である乙山を強制的に配転するという意図があったことは明らかである。
エ 不当労働行為の成否については,その結果として現実に組合活動に支障が生じたか否かは関係がない。また,不当労働行為意思に基づいて組合役員を配転させる行為は,組合活動への抑制的効果を生じさせる性格を持つものであるから,それに代わる役割を果たしうる組合員が存在するからといって不当労働行為該当性が否定されることにはならない。
オ 原告が,国労組合員がその所属する組合のバッジ(以下「国労バッジ」という。)を着用していることを理由に処分することは,最高裁決定及び地労委命令により,不当労働行為と認定されており,配転の正当な理由とならないことは明白である。
【原告の主張】
ア(ア) 原告は,会社発足当時から余剰人員を抱えていたところ,社員の雇用を守りつつ,健全な経営を確保するため,社内においてベンディング事業,売店,飲食事業等の関連事業を展開するとともに,出向先企業の開発に努めていたのであり,多くの社員が従前から技能・経験を積み重ねてきた業務を離れ,新たな業務に従事することとなった。
ベンディング事業所は,年間約60億円の売上げのあるJRブランドの「大清水」商品を販売する職場で,そこでの主な業務は,商品納入時の倉庫への搬入,駅構内等の自動販売機への投入,自動販売機からの現金回収業務及び清掃業務等である。これらの業務は,現金の回収,納金,商品の照合など改札業務と共通点を有するものもあり,また,これらの業務を適正,かつ効率的に行い,収入を増やすためには,売れ筋商品の把握,商品の配置,販売機の設置場所等,創意工夫が必要なことも多く,これらをもって単純な業務と決め付けることはできない。また,ベンディング事業所の業務は,営業係の業務等とは異なって,基本業務としては直接顧客と接する必要のないものであることから,接客業務に向かない社員に担当させることが適当な業務であるとされているにすぎず,原告では,これらの業務も含めて,人事異動全体の中で適正な人員配置が行われるのである。ベンディング事業所の社員が管理職や事務職を除きほとんどが役員経験のある国労組合員であったとしても,それは,国労組合員を意識的に集めたものではなく,上記のような観点から人員を配置したため,結果として,そのようになったものにすぎない。
(イ) 国労鶴見駅分会が同駅の多数組合になり,36協定・24協定の締結権,安全衛生委員会の委員の推薦,就業規則の意見聴取等について一方当事者となったり発言力を確保したりすることがあっても,そのことが原告にとって支障になることはなく,原告がこれを許し難いと考えていたなどということもない。
イ 甲野に対する配転は,平成2年6月1日の鶴見線営業所の設置等に伴い,鶴見駅における業務合理化及び人員削減計画の一環として行われたものである。甲野が特殊学級の児童に対して暴言をはいたこと,乗客とトラブルを起こしたこと,服装整正違反(勤務時間中の国労バッジ着用)を繰り返していたこと,上司の度重なる注意にも反抗的な態度を示し,その言動を改善することが期待できなかったことなど勤務実績が不良であることは,同人を東京第二ベンディング事業所へ配置した理由の一つにすぎない。
ウ 乙山に対する配転については,被告も本件物損事件に関し乙山を鶴見駅以外の職場に配転すること自体の必要性は認めている。
エ 国労鶴見駅分会には,本件配転までに鶴見駅における組合活動について十分な経験を積んでいた者もいたのであるから,甲野及び乙山の配転によって同駅における組合活動に支障が生ずることはあり得ないし,現実にも支障があったとする主張もない。
オ 社員が,就業時間中に組合バッジを着用することは,就業規則に違反するものであり,それがたとえ労働運動としてなされたものであっても正当化する余地はない。原告が,国労バッジの着用を禁止することが,国労に対する敵意と嫌悪感の表れになることにはならない。
甲野及び乙山に対する過去の国労バッジ着用を理由とする厳重注意や訓告が,救済命令等によりなかったものとして取り扱わなければならないとしても,原告において,通常の人事異動における勤務実績や性格等の判断に際し,就業時間中に国労バッジを着用していたという事実そのものを考慮することが禁止されるものではない。
(2) 本件懲戒解雇は,丙川に対する不利益取扱い又は補助参加人らに対する支配介入に当たるか否か(争点2)。
【被告及び補助参加人らの主張】
ア 原告は,本件傷害事件発生当時,国労ないし同鶴見駅分会の弱体化を企図していた。本件懲戒解雇は,国労鶴見駅分会の教宣部長として分会機関紙の編集を行うなど組合活動を活発に行っていた丙川をかねてから嫌悪していた原告が,本件傷害事件の発生という機会をとらえて,国労ないし同鶴見駅分会を弱体化させる意図に基づき,丙川を企業外に排除するため行ったものである。したがって,本件懲戒解雇は,丙川に対する不利益取扱い,補助参加人らに対する支配介入に当たる。
イ 本件傷害事件は,A首席助役の丙川に対する侮辱的発言による挑発が原因で発生したものである。
ウ 丙川の自認書等では,本件傷害事件に至った原因は明らかにされておらず,C駅長も,いきなり暴行事件が起きることはあり得ないと考えていたのであり,懲戒解雇という最も重い処分をするのであれば,丙川が本件傷害事件に及んだ原因につき,時間をおいて更に事情聴取を行うなど十分な調査をするのが自然であると考えられる。しかるに,原告は,こうした調査を尽くすことなく,短時間のうちに本件懲戒解雇を行ったのであって,原告がこのような対応をしたのは,国労ないし同鶴見駅分会を弱体化させる意図があったからにほかならない。
エ 本件懲戒解雇は,暴行態様,A首席助役の怪我の程度がいずれも軽微であること,A首席助役の卑劣な挑発行為が本件傷害事件の発生原因であること,結果的に業務に重大な支障がなかったことなどからすれば,社会的相当性を欠く過重な処分であり,原告における他の事件との均衡も欠いている。
【原告の主張】
ア 原告は,本件傷害事件について,平成2年11月8日の事件発生直後から午前11時ころまでと,同日午後1時過ぎから午後6時ころまでの2回にわたり,丙川から事情聴取を行った。事情聴取の結果,丙川が本件傷害事件を起こした原因について必ずしも明らかにならない部分はあったものの,その説明に矛盾や被害者であるA首席助役の言い分との食い違いもなく,その後新たな情報が入ることもなかった。そこで,原告は,平成2年11月15日にA首席助役の負傷の程度を最終的に確認し,同月17日に,丙川を懲戒解雇したのであり,十分な調査を尽くしている。この点について,本件懲戒解雇よりも前に,A首席助役に侮辱的な発言をされたと丙川が主張しているとの情報は原告に一切伝えられていなかったし,丙川がA首席助役との会話の中から何か不満を感じて,突如として襲いかかるということも,決してあり得ないことではなく,自認書に記載されている状況を否定するものは何もなかった。
イ 丙川は,平成2年11月8日午前の事情聴取が終了した後,自認書の写しを組合側に見せるために持参している上,同日午後の事情聴取の前には2時間30分ないし3時間の自由な時間があった。丙川は,その間,休んだり,国労組合員や役員と相談したりしたのであるから,その意思に反して自認書を書いたということはない。また,国労鶴見駅分会側は,本件傷害事件発生の2,3日後に,A首席助役が丙川に対し侮辱的発言をしたことを知ったというにもかかわらず,本件懲戒解雇までの間に原告に対しこの点を指摘したり,何らかの対処を求めるということもしていない。
ウ 使用者としては,不祥事があった場合に,できるだけ早期に責任の所在を明らかにし,再発の防止に努めるのは当然のことである。
第3 争点に対する判断
1 争点1(本件配転は,甲野又は乙山に対する不利益取扱い又は補助参加人らに対する支配介入に当たるか否か)について
(1) 前提事実
証拠(文章中に掲記したもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(なお,当事者間に争いのない事実は,文末に証拠等を掲記しない)。
ア 本件発生前後の労使関係
(ア) 国鉄及び原告と各労働組合との間の労使関係等
a 国鉄は,昭和61年1月13日,国労,動労等の各労働組合に対し,「労使共同宣言」(第一次労使共同宣言)の締結を提案した。同宣言案には,①諸法規の遵守,リボン・ワッペンの不着用,点呼妨害等の根絶など課題への最善の努力,②一致協力した必要な合理化の積極的推進,③余剰人員対策についての具体的取組等の項目が掲げられていた。この提案に対し,動労,鉄労及び全施労は受諾したが,国労は拒否した。
b 動労,鉄労,全施労及び真国鉄労働組合は,昭和61年7月18日,国鉄改革労働組合協議会を結成し,同年8月,国鉄との間で,①労使は信頼関係を基礎に国鉄改革の実施に向かって一致協力して尽力すること,②労使は「国鉄改革労使協議会」が今後の鉄道事業における労使関係の基軸として発展的に位置付けられるよう緊密な連携・協議を行うこと及び組合は鉄道事業の健全な経営が定着するまでは争議権の行使を自粛すること,③職員に対する必要な教育の一層の推進と指導の徹底をすることなどを内容とする第二次労使共同宣言を締結した。
他方,国労はこの宣言の締結も拒否した。
c 国労は,昭和61年10月9日,10日,静岡県修善寺町において第50回臨時全国大会を開催し,執行部が提案した雇用安定協約の締結等を内容とする緊急方針案について討議したが,同案は否決された。これにより,国労は,従前どおり国鉄の分割・民営化に対しては一貫して反対の態度をとり,分割・民営化後もその態度を堅持している。
d 原告は,国鉄の分割・民営化後の昭和62年8月7日,東鉄労との間で,労使間の問題は話合いで解決を図るなどの労使協調の方針を確認する新たな労使共同宣言を締結した。
(イ) 原告幹部の労使関係に関する発言等
a 原告の当時の常務取締役D(以下「D常務」という。)は,昭和62年5月25日,同年度経営計画の考え方等の説明会において,労務管理について触れ,「会社にとって必要な社員,必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り,特に東日本は別格だが,おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別し断固として排除する。等距離外交など考えてもいない。処分,注意,処分,注意を繰り返し,それでも匡らない場合は解雇する。」などと述べた。
b さらに,D常務は,昭和62年6月20日,鉄道労連の高崎地方本部主催の学習会において,国労バッジ着用について触れ,「組合バッチは,労働運動の現れである。現れでもなんでもいい。町を歩く時背広に付けている物を取れとは言っていない。就業規則で認めていないことが何んで労働運動なのか。したがって,今度は人事部長名であらゆる所に掲示して宣戦布告をし,個人説得をするなどしてそれでもいう事を聞かない者には処分という形で警告を与えた。しかし,これで終わりではない。どしどしやっていかなければならない。どうしても一緒にやっていけない者は解雇するしかない。」などと述べた。
c 原告の当時の代表取締役社長E(以下「E社長」という。)は,昭和62年8月6日,東鉄労の第2回定期大会において,「残念なことは今一企業一組合という姿でなく,東鉄労以外にも二つの組合があり,その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。……皆さんにお願いしたいのは,このような迷える子羊を救ってやっていただきたい。皆さんがこういう人達に呼び掛け,話し合い,説得し,皆さんの仲間に迎え入れていただきたいということです。名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるよう御援助いただくことを期待し……」などと挨拶した。
d 原告の当時の人事部長Fは,平成3年9月28日,JR東労組の東京地方本部管理部会において講演し,「我々が目指してきた労使関係は,統一なんです。組合を,できれば統一させていきたい。一本化させていきたい。今現在,残念ながら統一されていない組合もありますが,統一させていきたい,そういう方向で来たはずです。分裂の方向では決してなかったはずです。」,「自らの会社としての,基本的な方向を決めた以上,周囲にどんな風が吹こうと,その方向へ向けての努力を続けていくべきだと思います。その意味では私だけではなく,我が社のトップ,会長,社長,副社長ふくめて,我が社の基本スタンスというのは全く変わりません,微動だにしません。」などと述べた。
e E社長は,原告発行の「JR東日本報平成4年1月1日号外」で,「年頭の挨拶」と題して,「当社がフューチャー21を達成するための基本的な条件の一つとして,労使関係の安定があります。会社創立以来,JR東労組を基軸とした労使関係の中で,JR東日本を健全な,日本の一流企業に育てあげようという共通の目標を持ち,お互いに手を携えて,努力して参りました。現在のJR東日本の好調な経営が,この安定した労使関係の上に築かれてきたことは,かつての国鉄時代の不毛の労使関係を思いおこしてもらえば,直ちに理解できることであります。」,「最近新聞紙上に,旧動労,旧鉄労,旧国労などという言葉が出ていますが,これらは新生JR東日本にとっては過去の遺物であり,無縁の存在です。それを呼び戻そうとするのであれば,時代錯誤という以外にはありません。」などと述べた。
イ 鶴見駅における労使関係等
(ア) 鶴見駅における各労働組合の組合員数等
a 国労鶴見駅分会は,原告が設立された昭和62年4月1日時点で,組合員数100人,組織率約63パーセントであり,国労横浜支部の中で組合員数が最も多く,組織率も3番目であり,同支部の組織上の拠点として位置付けられていた。
b 鶴見駅では,昭和62年6月,東鉄労の鶴見駅分会が結成されたが,同年7月ころの組合員数は,国労が98人,東鉄労が57人であった。
c 昭和63年3月,鶴見駅の車掌室が,東神奈川車掌区へ移管され,これに伴って国労組合員も移転したこと,同年4月,鶴見駅に鶴見地区指導センターが設置された際配置された助役16人全員が東鉄労組合員であったこと(以上の事実は当事者間に争いがない)などから,同時点の鶴見駅の組合員数は,同駅の社員140人中,国労が76人,東鉄労が62人となった(乙1)。
d 平成2年7月,本件第1配転命令により,鶴見駅では同駅の社員131人中,国労組合員は67人,JR東労組組合員は63人となった(乙1)。
e 平成2年11月,本件懲戒解雇等により,鶴見駅では同駅の社員131人中,国労組合員は66人,JR東労組組合員は64人となった(乙1)。
f 平成3年3月,本件第2配転により,鶴見駅では同駅の社員128人中,国労組合員は64人,JR東労組組合員は65人となり,JR東労組鶴見駅分会結成以来初めて,JR東労組組合員数が国労組合員数を上回った(乙1)。
その結果,平成3年4月から鶴見駅の安全衛生委員会の組合側の構成員が,それ以前の国労2人,JR東労組1人から,国労1人,JR東労組2人となり,国労が少数派に変わった。そして,従前は,月1回程度開催されていた同委員会が,平成3年4月から同年10月中旬まで,1度も開催されなかった。
g なお,本件初審申立てがあった平成3年6月ころの鶴見駅の組合員数は,国労が61人,JR東労組が65人であった。
(イ) 鶴見駅における助役らの国労組合員に対する発言
a 国労鶴見駅分会の組合員Z1(以下「Z1」という。)は,昭和62年7月,社宅が決まり次第婚約者と同居するため,原告に対し,社宅の入居申請を行っていた。当時鶴見駅の首席助役であったG(以下「G首席助役」という。)は,Z1に対し,「意識を変えなければ社宅は無理だ。」,「お前も結婚するのだから態度や意識を変えなければだめだ。」などと言った(乙5【38,39頁】,7,8)。
b 国労鶴見駅分会の組合員Z2(以下「Z2」という。)は,昭和62年11月15日,当時東鉄労鶴見駅分会分会長であったH助役(以下「H助役」という。)に喫茶店「リバーハウス」に呼び出され,H助役から,「国労にいると不利になるぞ。」,「国労にいると転勤できない。」などと言われた。さらに,Z2は,昭和62年11月26日,再びH助役から駅長室に呼び出され,I駅長,G首席助役,J助役及びK営業センター所長同席のもと,H助役から,「車掌室がなくなってしまう。今のうちに考えないと車掌で残れないよ。」と言われた(乙6【7ないし10頁】,9,38【3頁】)。
c Z2は,昭和63年3月13日,鶴見駅の車掌室業務が東神奈川車掌区へ移管されたのに伴い,同車掌区の所属となった。Z2は,昭和63年3月15日,当時東鉄労鶴見駅分会長であったL事務主任に呼ばれ,国労を脱退したか否かを問いただされた。Z2が,まだ国労にとどまっている旨答えると,L主任は,Z2に対し,「もし,こっちに来れば京浜・浜線に乗せる準備があるよ。区長にかけあうよ。」などと言った(乙6【13,14頁】,9)。
d 甲野は,平成元年の暮れころから,鶴見駅の合理化が話題になるたびに,A首席助役(当時は助役。)から「人のことばかり心配しないで自分のことを心配しろよ。」と繰り返し言われた(乙32【19頁】)。
e 国労鶴見駅分会書記長であったZ3(以下「Z3」という。)は,平成2年2月ないし3月ころ,A首席助役から,「Z3君,そのうち,職場に台風が来て大変なことになるぞ。」などと言われた。Z3が台風の意味について尋ねたところ,A首席助役は,「おとなしくしてればいいんですよ。」,「鶴見駅にいられなくなりますよ。それがいやなら少しはおとなしくしていなさい。」などと答えた(乙39【9頁】,40【14頁】)。
f 平成2年7月1日付け配転の事前通知のあった国労の組合員Z4が,A首席助役に対し,配転の理由を尋ねたところ,同首席助役は,「自分の胸に聞いてみろ。」と答えた(乙10,29【25頁】,弁論の全趣旨)。
(ウ) 本件配転前の鶴見駅における配転
a 国鉄の分割・民営化直前の昭和62年3月の配転では,鶴見駅において,他に配転された15人全員が国労鶴見駅分会の組合員であり,そのうち10人が分会長,副分会長及び書記長などの役員であった。
国労鶴見駅分会は,役員13人のうち10人が配転となったため,急遽,昭和62年4月22日,23日,分会大会を開催し,役員の選出を行った。その結果,乙山が分会長に,Z3が書記長に選出された。
b 国鉄の分割・民営化以降,平成2年1月までの間に他に配転された国労鶴見駅分会組合員(助役,主任,非現業試験合格者,主任試験合格者及び地域間異動者を除く。)は13人で,そのうち5人は役員(執行委員3人,青年部長1人及び選挙管理委員長1人)であった。
一方,東鉄労(JR東労粗)の組合員にあっては,国鉄の分割・民営化以降,平成2年2月になって初めて1人が鹿島田駅(旅行業務の取扱い)へ配転となり,また,同年6月10日には,2人が鶴見線営業所(券売機の管理業務)へ配転となった。
(エ) 転勤等に関する就業規則の内容
原告の転勤等に関する就業規則の規定は次のとおりである。
(任用の基準)
第27条 会社は,社員の任用にあたり,社員としての自覚,勤労意欲,執務態度,知識,技能,適格性,協調性,試験成績等の人事考課に基づき,公正に判断して行う。
第28条 会社は,業務上の必要がある場合,社員に転勤,転職,昇職,降職,昇格,降格,出向,待命休職等を命ずる。
2 社員は,前項の場合,正当な理由がなければこれを拒むことはできない。
3,4項(略)
(事前通知)
第29条 会社は,社員に転勤,転職,降職,出向又は待命休職を命ずる場合,事前に文書をもって通知する。
(オ) 鶴見駅では,平成2年7月1日,本件第1配転と同時に,以下の配転が行われた。
a Z3 国労(分会書記長) 改札から大森駅改札
b Z4 国労 改札から横浜要員機動センター
c Z5 国労 改札から東京要員機動センター
d Z6 国労 改札から渋谷駅改札
e Z7 国労 信号から横浜駅ホーム担当
f Z8 国労 改札から鶴見新興株式会社(鶴見駅ビル)
g Z9 国労 信号から鶴見駅改札
h Z10 JR東労組 出札から大宮駅出札
なお,Z10は,自宅が宇都宮駅から車で20分ないし30分の所にあり,従来から自宅近くの職場への転勤を希望していたところ,大宮駅に配転となった。
ウ ベンディング事業所について
(ア) 業務内容
ベンディング事業所は,清涼飲料水等の「大清水」商品を販売する職場であり,そこに勤務する社員の主たる業務は,商品納入時の倉庫への搬入,駅構内等に設けられた自動販売機への商品の投入,自動販売機からの現金回収,清掃等である。
これらの業務について,原告は,駅の営業係の業務等とは異なり基本的に直接顧客と接する必要のないものであり,接客業務に向かない社員に担当させることが適当な業務と位置付けていた。
(イ) ベンディング事業所に配転になった者は,管理職及び事務職を除けば,そのほとんどが国労の組合員であり,かつ,その多くが役員経験者であった。ベンディング事業所においては,JR東労組の組合員は管理職及び事務職であるのに対し,肉体労働を伴う缶入り清涼飲料水の搬入,現金回収等の業務担当は,ほとんどが国労の組合員であり,このような状況は,東京第一ベンディング事業所,東京第二ベンディング事業所はじめどのベンディング事業所についても同様であった。
エ 甲野の職歴及び組合活動等
(ア) 甲野は,昭和52年,国鉄に採用され,大森駅に配属となり,同62年3月,鶴見駅に配転となった。甲野は,国鉄の分割・民営化に際し,昭和62年4月1日付けで原告に採用され,本件第1配転までの3年3か月間,鶴見駅において改札業務に従事していた。
(イ) 甲野は,昭和52年5月国労に加入し,同54年に大森駅分会の青年部長,同61年に大崎駅分会執行委員を経て,同63年に鶴見駅分会班長,平成元年10月に同分会副分会長となり,本件第1配転まで国労共済の総括担当及び物資販売の責任者(日本国有鉄道清算事業団の職員になった後も再就職できなかった国労の組合員に対する生活資金等の確保のための活動の責任者)として活動していた。
(ウ) 甲野の処分歴等(甲8。なお,服装整正違反はいずれも国労バッジの着用によるものである。)
a 昭和62年6月,服装整正違反で厳重注意処分。
b 昭和62年11月,服装整正違反で厳重注意処分。
c 昭和63年6月27日,50分の遅刻で始末書提出。
d 昭和63年11月,服装整正違反で訓告処分。
e 平成元年5月,服装整正違反で訓告処分。
f 平成2年3月,服装整正違反で訓告処分。
オ 乙山の職歴及び組合活動等
(ア) 乙山は,昭和47年,国鉄に採用され,寒川駅に配属となり,立川駅,新鶴見操車場駅を経て,同56年3月,鶴見駅に配転となった。乙山は,国鉄の分割・民営化に際し,昭和62年4月1日付けで原告に採用され,本件第2配転まで鶴見駅において信号取扱いの業務に従事していた。
(イ) 乙山は,昭和58年に国労鶴見駅分会の執行委員となり,同62年から平成2年までの間同分会の分会長を務め,その後も本件第2配転に至るまで同分会の書記長として活動していた。
(ウ) 乙山は,平成元年12月23日に58分の遅刻をして厳重注意処分を受けている。
カ 本件物損事件の経緯
(ア) 乙山は,平成2年12月23日午前2時50分ころ,酒に酔ってB助役の自宅に押しかけ,ドアをたたいたり,同助役の自動車のドアミラー及び同助役宅等の郵便受けを壊したりした。その後,乙山は,追いかけてきたB助役に対し,「俺の仲間をクビにしやがって。」などと叫んだ。
(イ) 乙山は,本件物損事件のあった日の午後,B助役に対し電話で謝罪し,翌日も駅長室においてB助役とC駅長に対し謝罪した。乙山は,その後,東京地域本社の総務部勤労課の課員2人から事情聴取を受け,自認書と始末書を書いた。また,乙山は,妻とともにB助役の自宅に赴き,謝罪するとともに,壊した自動車のドアミラーの修理をした。
(ウ) C駅長は,本件物損事件のあった日の翌日ないし翌々日に原告本社人事課に対し,同事件は職場管理上好ましくないし,他の社員に与える影響もよくないとして,乙山の転勤上申を行った。
そして,乙山に対し本件第2配転がされた。
(エ) また,乙山は,本件物損事件により,平成3年2月1日付けで出勤停止5日間の処分を受け,それに伴い,①5日間の賃金カット,②同年夏季手当の15パーセント減額等,③同年4月の昇給期に2号俸(国労バッジ処分による訓告分を含むと3号俸)の減号俸の措置をされた。
(2) 上記前提事実に争いのない事実及び弁論の全趣旨を総合して,以下本件配転が甲野,乙山に対する不利益取扱い又は補助参加人らに対する支配介入に当たるか否かについて検討する。
ア 本件第1配転について
(ア) 上記(1)アで認定した事実によれば,原告は,労使協調路線をとる東鉄労(JR東労組)を擁護する一方,国鉄時代から一貫して分割・民営化に反対し,原告設立後においても労使協調の方針を確認する労使共同宣言の締結を拒否する国労を嫌悪してきたことがうかがえる。
そして,鶴見駅は,原告にとって首都圏輸送における重要な拠点である(甲21,乙40【90,91頁】)一方,国労にとっても同鶴見駅分会は組合員数が多く,組織率も高いことから同横浜支部の組織上の拠点と位置づけられていた。ところで,鶴見駅では,原告設立前後から国労組合員が偏って同駅から配転されて減少し,東鉄労鶴見駅分会が結成された以降は,国労との間で組合員の争奪がされ,助役らが国労組合員に対し,脱退慫慂とも取られかねない発言を繰り返していた。そして,鶴見駅では,徐々に国労とJR東労組との組合員数の差がつまり,本件第1配転当時には,その差が8人にまでなっていた(上記(1)イ(ア)ないし(ウ))。
このような状況に照らすと,原告は,鶴見駅においてJR東労組を多数組合にし,国労を少数組合にすることに腐心していたと推認するのが相当であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
なお,この点に関し,原告は,鶴見駅において,国労鶴見駅分会が多数組合であることを許し難いと考えていたなどということはない旨主張する。しかし,原告にとっても,36協定の締結,安全衛生委員会の委員の推薦人数等において,労使協調路線をとる東鉄労が多数組合であることの意味は大きく,上記前提事実(1)イ(イ)(ウ)で認定した原告幹部や鶴見駅における助役の言動,鶴見駅における配転状況に照らすと,原告の上記主張は採用することができない。
そして,上記のような状況のもと,鶴見駅において,平成2年7月1日,本件第1配転と合わせて鶴見駅以外へ7人が配転されたが,このうち6名が国労鶴見駅分会の組合員であり,JR東労組の組合員にあっては1名が希望通りに配転されたにすぎなかった(上記(1)イ(オ))。
(イ) そして,甲野は,本件第1配転当時,国労鶴見駅分会において副分会長という立場にあり,同分会における組合活動の中心的役割を担っていたことが認められるところ(上記(1)エ(イ)),このような立場にあった甲野が鶴見駅から他の職場(東京第二ベンディング事業所)に配転されることにより,その分同駅の国労組合員が減少するばかりか,同鶴見駅分会における中心的活動家を排除することにより同分会の弱体化を図ることも可能であったということができる。
この点に関し,原告は,国労鶴見駅分会には甲野以外にも組合活動について十分な経験を積んでいた者がいたのであるから,甲野の本件第1配転により組合活動に支障が生ずることはあり得ない旨主張する。しかし,甲野は,国労鶴見駅分会副分会長就任後約7か月後に,東京第二ベンディング事業所に配転されることになったのであり,副分会長の配転により組合活動に有形・無形の影響が生じることは当然であって,甲野と同程度の組合経験がある者がいることをもって支障が生じないなどということは困難である。
(ウ) ところで,甲野が配転された原告のベンディング事業所における主たる業務は,缶入り清涼飲料水等の駅構内等に設けられた自動販売機への商品の投入,売上金の回収,清掃等であり,原告の鉄道事業,特に甲野が担当していた改札等の業務に比べより肉体的重労働を伴う業務である(上記(1)ウ(ア))。また,国鉄時代から鉄道事業に従事してきた原告の社員の大多数にとって,鉄道事業以外の関連事業等への配転が望むべきことでないことは容易に推認することができる(乙30【14頁】参照)し,実際,甲野もベンディング事業所への配転を希望していなかった(乙32【22ないし24頁】,38【12頁】,弁論の全趣旨)。
さらに,ベンディング事業所においては,JR東労組組合員は管理職や事務職であるのに対し,肉体労働を伴う職種はそのほとんどを国労の組合員が占め,かつその多くが国労の役員経験者であったというのであるから(上記(1)ウ(イ)),原告において,社員の雇用を守りつつ,健全な経営を確保するための方策として,関連事業の展開を図ってきたこと,その中でベンディング事業所の果たす役割が小さくないこと(甲3の1ないし9),駅勤務とベンディング事業所勤務で賃金格差がほとんどないこと(丙25)は認められるものの,これら原告に有利な事実を勘案してもなお,ベンディング事業所への配転は国労組合員とりわけその役員経験者を鉄道事業から排除する目的で利用されていたと推認するのが相当である。
(エ) 以上の事情を総合すれば,本件第1配転は,鶴見駅の人員合理化という業務上の理由があったとしても,これに藉口して,国労組合員で同鶴見駅分会副分会長という立場にあった甲野に不利益を課す意図で,また,国労とりわけ同鶴見駅分会の弱体化を図る意図でなされたものと推認するのが相当であり,不当労働行為(労働組合法7条1号,3号)に当たると解するのが相当である。
なお,原告は,上記推認を妨げる事情として,甲野の勤務態度が悪かったことが甲野を第二ベンディング事業所に配転した理由の一つであり,ベンディング事業所に国労の役員経験者が集まっているのは接客業務に向かない社員等を適正に人員配置した結果にすぎない旨主張し,元鶴見駅長のM(以下「M」という。)はこれに沿う供述をしている(甲7【7頁】,8)。しかしながら,Mの供述によっても,甲野が客から受けた苦情の回数,苦情の詳細については判然とせず,明らかに客に落ち度があるような無賃乗車についてまで甲野の接客態度の問題としており(乙31【7ないし10,18ないし24,51ないし55頁】),Mが挙げる具体的事例について甲野が始末書等を提出したこともない(乙32【2,3頁】)というのであるから,これをもって甲野の接客態度が他の社員に比べ悪かったとまで認めるのは困難である。また,甲野が服装整正違反(勤務時間中の国労バッジ着用)を繰り返し,度重なる上司の注意にも反抗的な態度を示していたとの点は,接客態度の問題ではない(国労バッジは縦1.1センチメートル,横1.3センチメートルの大きさで,黒字に無彩色のレールの断面及びNRUの文字をデザインしたものであり,要求スローガン等の記載はなく,同バッジを着用していることについて客から苦情が来たことはない。乙31【2頁】)。したがって,これらの事由は本件第1配転の理由として正当なものということはできず,また,接客に不適な者をベンディング事業所へ配転した結果,たまたま国労組合員が多数を占めたにすぎないということも困難というべきである。そうだとすると,本件第1配転の理由について,他に原告から具体的な主張立証がない本件においては,同配転は不当労働行為意思に基づいてされたと認めるのが相当であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
イ 本件第2配転について
(ア) 本件第2配転の理由について,原告は,乙山が本件物損事件を起こしたことを挙げ,原告関係者は,「乙山がこのまま鶴見駅においてB助役のもとで職務に従事していることは職場管理上好ましくない」(甲12【3,4頁】),「B助役は乙山の上司になるが,上司と部下の関係の中でいざこざがあるということは職場管理上好ましくなく,他の社員に与える影響もよくない」(乙34【9頁】)「こういう事件を起こした以上,転出して新しい職場で心機一転することが本人にとって非常にいい」(乙34【10頁】),「上司と部下との間に感情的なしこりが残る」(甲4【21頁】),「同一職場に置いておくのは好ましくない」(甲6【12,13頁】)などと述べている。
しかしながら,証拠(乙35,38)によれば,B助役は乙山の直属の上司とはいえ,接触する機会は滅多になく,たまに顔を合わせる程度であったこと(乙38【9ないし11頁】),乙山自身本件物損事件後も仕事への差し障りはなかったと述べていること(乙38【11頁】),他の社員からも乙山を転勤させるべきだとの意見は出されていなかったこと(乙35【8頁】)が認められる。また,本件物損事件後の乙山のB助役に対する謝罪,被害弁償等(上記(1)カ(イ))も社会通念上相当なものであったといえる。
以上によれば,本件物損事件によるB助役と乙山との間の感情的なしこりはあるとしても,その後の業務に差し支えるというほどのものとはいえないし,原告としては,少なくとも,しばらくは様子をみて仮に本件物損事件によるB助役と乙山との間の感情的なしこりにより,業務に支障が生じるようであれば,まずは鶴見駅内における配置を考慮し,そのような方法が困難な場合には一方を配転するということが考えられて然るべきである。
ところが,C駅長は,本件物損事件のあった日の翌日ないし翌々日には,原告本社人事課に対し,職場管理上好ましくないし,他の社員に与える影響もよくないとして,乙山の転勤を上申しているのである(上記(1)カ(ウ))。
(イ) また,上記ア(ア)で判示したとおり,鶴見駅では,本件配転当時は国労とJR東労組の組合員数が拮抗した状態にあり,原告は,JR東労組を多数組合にし,国労を少数組合にすることに腐心するような状況で,実際,本件第2配転により,JR東労組が結成以来初めて鶴見駅における多数組合となっている。
さらに,乙山は,国労鶴見駅分会の執行委員,分会長を歴任し,本件第2配転当時も同分会書記長として活動していたのであり(上記(1)オ(イ)),乙山が配転されることにより,その分同駅の国労組合員が減少するばかりか,国労鶴見駅分会における中心的活動家を排除することにより組合の弱体化を図ることも可能であったということができる(なお,上記甲野について判示したのと同様,乙山の配転により有形・無形の影響が生じることは容易に推認することができるから,乙山と同程度の組合経験がある者がいることをもって支障が生じないなどということはできない。)。
(ウ) 上記検討したことに加え,乙山の配転先が上記1(2)ア(ウ)で判示したように,国労組合員とりわけその役員経験者を鉄道事業から排除する目的で利用されていたと推認されるベンディング事業所であることを併せ考えると,本件第2配転は,本件物損事件に藉口して,国労組合員で国労鶴見駅分会書記長という立場にあった乙山に不利益を課す意図で,また,国労とりわけ同鶴見駅分会の弱体化を図る意図でなされたものと認めることができ,不当労働行為(労働組合法7条1号,3号)に当たると解するのが相当であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
2 争点2(本件懲戒解雇は,丙川に対する不利益取扱又は補助参加人らに対する支配介入に当たるか否か)について
(1) 前提事実
証拠(文章中に掲記したもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(なお,当事者間に争いのない事実は,文末に証拠等を掲記しない)。
ア 丙川の職歴等
(ア) 丙川(昭和27年生まれ)は,昭和49年,国鉄に採用され,浜松町駅に配属となり,矢向駅を経て,同62年3月,鶴見駅に配転となった。丙川は,国鉄の分割・民営化に際し,昭和62年4月1日付けで原告に採用され,平成2年11月の本件懲戒解雇に至るまで,約3年7か月間,鶴見駅において踏切業務に従事していた。
(イ) 丙川は,鶴見駅における在職中,欠勤及び遅刻はなかったが,勤務終了後,飲酒して内勤室に入ったことに関し,平成2年6月13日付けで訓告の処分を受けた。そのほか,丙川は,国労バッジを取り外すようにとの駅長及び助役等からの注意・指導に従わないとして,平成2年6月までに,厳重注意2回及び訓告3回の処分を受けている。
(ウ) 丙川は,浜松町駅勤務当時に国労に加入し,同浜松町駅分会では5年間同分会の執行委員を務め,同鶴見駅分会においては昭和63年から本件懲戒解雇に至るまで執行委員として組合活動をしていた。丙川は,平成元年秋以降,国労鶴見駅分会の教宣部長の役職を兼任し,同分会機関紙の編集責任者であった。
また,丙川が鶴見駅に配転された昭和62年3月当時は,踏切職場には丙川を含めて13人の職員がおり,全員が国労組合員であった。丙川は,昭和63年から国労鶴見駅分会において,執行委員のほかに,同分会の踏切班の班長に就き,踏切職場の国労組合員に対し集会等への参加を呼び掛けたりしていた。本件傷害事件発生の直前である平成2年10月ころは,鶴見駅の踏切業務担当者は9人で,そのほとんどが国労組合員であった。
イ A首席助役の職歴等
(ア) A首席助役は,昭和41年9月,国鉄に入社し,新橋駅駅務掛を最初として,営業及び運転系統の職場を経て,平成元年2月,東神奈川駅の助役から鶴見駅の助役に転勤となった。A首席助役は,鶴見駅では1年間改札担当の助役として勤務し,平成2年2月に首席助役となり,同3年2月,登戸駅長となった。
(イ) A首席助役は,鶴見駅に助役及び首席助役として在職した期間を通じて,東鉄労(JR東労組)の組合員であった。
ウ 本件傷害事件の経緯
本件傷害事件の経緯は,以下のとおりである(なお,本項での出来事は平成2年11月8日であるので,その表記を省略する場合がある。)。
(ア) 鶴見駅総持寺踏切には,線路を挟んで2箇所に踏切詰所(以下,総持寺側詰所を「山側詰所」と,その反対側の踏切詰所を「海側詰所」という。)が設けられており,それぞれの詰所に社員が配置されていた。
(イ) 丙川は,平成2年11月7日午前9時10分から同月8日午前9時10分までの予定で24時間勤務に就いており,途中,同月7日午後10時からの休憩時間に山側詰所で睡眠をとり,同月8日午前2時5分から,海側詰所で踏切道の監視業務に就いていた。丙川は,朝になってラジオのスイッチを入れ,交通情報と気象情報を収集するため,NHKのニュースを聞いていた。ラジオは,国鉄当時,台風等の天災,大きな事故等の業務に関係した情報を知るために支給されていたが,そのラジオが故障していたため,その代用として同僚が持ち込んでいたものである。
(ウ) A首席助役は,午前8時30分の始業であったが,各職場を巡回して社員の執務状況の把握や個人的な悩みなどを聞くため,午前7時40分ころに出勤し,午前8時5分ころに丙川が勤務している海側詰所に着いた。A首席助役は,ラジオが鳴っていたので,丙川にラジオを消すように注意した。しかし,丙川がラジオのスイッチを切らなかったので,A首席助役がこれを切った。これに対し,丙川は,「仕事に影響ないよ。」と答えた。その時間帯は電車等が頻繁に通過するため,それらの通過を知らせる警報ブザーが鳴り続けている状況であった。丙川とA首席助役との間に若干のやりとりがあった後,同首席助役は,丙川が国労バッジを付けていたことから,それを外すように注意して,午前8時10分過ぎに海側詰所を出た。その後を丙川は,すぐに追いかけた。
(エ) 丙川は,A首席助役が海側詰所を2メートルほど出たところで,A首席助役の後方から顔面に手を回し,振り返ったA首席助役と正面から向き合う形になった。両人の間でやりとりがあった後,丙川は,A首席助役を脇の下に抱え込もうとしてもみ合い状態になり,両人は倒れた。すぐに両人は立ち上がり,海側詰所から約3メートル離れたところにある塀のところまでもみ合いながら移動し,塀の近くで丙川がA首席助役の頭に腕を回し,上から押さえ込む状態となった。
(オ) 上記の状況を山側詰所で監視業務に従事していて目撃した国労鶴見駅分会の組合員であるZ1は,列車監視の合間をぬって丙川とA首席助役のところへ駆け付け,「丙川さんやめろよ。」と言いながら両人を引き離した。A首席助役は立ち上がって海側詰所に入り,業務用テレスピ(構内の各所に一斉放送のできる通信施設)で2度,「踏切で暴力事件が発生」と駅内に連絡した。そして,N助役,O助役,P助役及びQ助役の4人が踏切に駆け付け,P助役は,丙川に向って「首だ首だ。」と叫んだ。これに対して,丙川が,「いますぐ分かるのか。」と問うと,P助役は,「会社をやめるしかない。」と言った。
なお,総持寺踏切の遮断機は,A首席助役が海側詰所に来てからN助役らが本件現場に駆け付けるまでの約8分間,降りたままであった。
(カ) A首席助役は,その直後,P助役と鶴見駅近くの真田病院に行き,診察を受けたところ,全治約1週間を要する下顎部,頸部,腰部,左下肢打撲と診断された。さらに,A首席助役は,C駅長に指示されて平成2年11月10日及び同月15日にJR東京総合病院で診察を受け,全治2週間を要する腰部,頸部挫傷と診断された。
エ 本件傷害事件の事情聴取等
(ア) 丙川は,本件傷害事件直後の午前8時40分ころから午前11時ころまでの間,駅長室において,C駅長から事情聴取を受けた。駅長室には,N助役とO助役が同席していた。
Z11国労横浜支部書記長(以下「Z11支部書記長」という。)が,午前10時30分ころ,鶴見駅に駆けつけ事情聴取が行われている駅長室を訪れ,私的にもよく知っているC駅長に対し,「どうなんだ。」と聞いたところ,C駅長は「そんなに時間かかりません。」と答えた。Z11支部書記長は,C駅長とのやりとりの中で,同駅長が本件傷害事件を大きく扱うつもりはないと判断し,駅長室を出た。
(イ) 丙川は,その事情聴取において,本件傷害事件の発生原因について「よく分からないんだ。」と繰り返すばかりであり,C駅長は,いきなり暴行事件が起きることはあり得ないと思いつつも,その原因を把握することはできなかった。その後,丙川は,C駅長から「順序を追って自認書を書いてもらいたい。」,「社会人なんだから,やったことについては,きちっと自分で責任をとりなさい。」などと言われ,自認書と始末書を書くことを指示された。丙川は,自認書を書き,次に始末書を書いた。
(ウ) このとき丙川が書いた自認書は,以下のような内容であった。
「8:10ころ
踏切海側詰所
海側で踏切道及び列車監視中にA首席助役が来ました。
あいさつのち,しばらくでしたね。
丙川君より,先輩だし,……。
先輩,年をくっているから何んだ
人生経験上だしそんな口の聞き方あるかい。
先輩だたら,きらくに話しかできないのか。
上司に向かって暴言だそ。
それみろ,おれより,みんな上だからな。
あじもそっけもない。
「服装の整正」だよ。
先輩,年輩,でたいようできないみると,今度は,上司に変しんのか!
いいから仕事をしろ
今,仕事をしているじゃないか
そうやっていつも,つごうよく立場なるじゃないか
「服装の整正」するだ!
先のきらくさで,話しができないのかよ。
A首席が海側の詰所をでようとするところ,おれがベットロックをかけようとしたら,わかされたので,海側詰所脇にでて首席とむかいあい,頭にとびかかった ベットロックをかけた もみ合ったうち,おれが先にたおれたので,立ち上がってもういちどベットロックをかけて一諸にたおれた,山側からZ1社員がきて上になっているおれをひきさいた,「やめろ」「暴行したらふりだぞ」云われ,はなされた,首席は,海側詰所で内勤に電話した。」
(エ) C駅長は,丙川に対する事情聴取後,午前中に本件傷害事件について電話で,原告本社人事課に伝えた。原告本社人事課は,丙川から直接事情聴取をしたいとのことであった。丙川の自認書は,昼ころにファックスで原告本社人事課に送付された。丙川の自認書を読んだR人事担当課長は,その内容が判然としないところがあるとして,原告本社人事課員に対し,書き直しを指示した。
(オ) 丙川は,午後1時ころ,国労鶴見駅分会の組合事務所に行き,そこでZ11支部書記長から事情を聞かれたが,A首席助役との間でどのような会話があったかについては話さなかった。
(カ) 丙川は,午後2時ころ,国労鶴見駅分会の組合事務所にいたところ,再びC駅長に呼ばれ,午後6時ころまで駅長室で事情聴取を受けた。この際,駅長室には,C駅長,助役1人及び原告本社人事課の課員3人がいた。
丙川は,C駅長から,午前中の自認書はA首席助役の供述と食い違っている旨指摘され,自認書と始末書の書き直しを指示された(乙17【7頁】,30【4頁】,35【20頁】,36【22頁】。ただし,乙35については上記認定に反する部分を除く。)。
丙川は,この日は明け番で前日からの疲れもあり,午前中に書いた自認書を指して「これ以外には思い出せない。」と言ったが,書き直しを強く指示されたので,2度目の自認書を書いた。その後,丙川は,始末書についても書き直しをした。C駅長は,再度,本件傷害事件の発生原因について「何か会話があったんじゃないか。」などと問い質したが,丙川はこの点について「忘れました。」としか答えなかった。
(キ) 丙川が,このとき書き直した自認書は,以下のような内容であった(争いがない。)。
「8:10頃 海側で踏切道及び列車監視中にA首席助役が来ました。首席助役が『お早よう』と言いました。私も『お早よう』とあいさつした後,『しばらくでしたね』と言いました。
『その後の会話は少しあったがわすれました。』
首席助役が丙川君より先輩だし……と言いました。
私は,先輩年をくっているから何だと言いました。
首席助役は,人生経験上だし,そんな口の聞き方あるかい。
私は,先輩だったら,きらくに話しができないのか。と言いました。『その後の会話があったようだがわすれました。』
首席助役が上司に向かって暴言だぞと言たので,
私は,それみろ,おれより,みんな上だからな。あじもそっけもないと言いました。
首席助役は,服装の整正だよ……と言ったので
私は,先輩,年輩でたいようできないとみると今度は,上司に変身するかと言いました。
首席助役はいいから仕事をしろと言いました。
私は今仕事をしているじゃないか,と言いました。そしてそうやっていつもつごうのよい立場になるじゃないかと言いました。
首席助役が服装の整正するだ,と再びいったので,
私は,先のきらくさで話しができないのかよと言いました。
首席助役が海側の詰所を出て外から引戸をしめようとした時,おれがヘッドロックをかけようとしたがかわされたので,私は海側詰所脇に出て首席助役と向かい合い,頭に飛びかかり,ヘッドロックをかけもみ合っているうち,私が先に倒れた。
私は,起き上り,あとから起き上った首席助役にもういちどヘッドロックをかけて一諸に倒れた。
山側からZ1社員が駆けつけ,首席助役の上になっている私をひきはなし,やめろ暴行したらふりだぞと云われた。
その後首席助役は,海側詰所から内勤に電話をされていました。私は詰所にもどり仕事をしました。」
(ク) C駅長は,丙川に対する午前の事情聴取後,山側詰所から本件傷害事件を目撃し,二人の所に駆け付けたZ1に現認書を書くように指示し,丙川に対する午後の事情聴取後,A首席助役並びに現場に駆け付けた各助役に対し,現認書を書くように指示した。
(ケ) 乙山は,本件傷害事件発生の2,3日後に,丙川から,A首席助役に侮辱的なことを言われた旨を聞かされた。丙川は,当時,自分がまだ結婚していないことを気にしていた。乙山は,侮辱的な発言があったことをなぜ早く言わなかったのか質したところ,丙川は「恥ずかしくて言えなかった。」と言った。乙山は,その後すぐに,Z11支部書記長に対し報告したが,Z11支部書記長としては,本件傷害事件の当日の午前中にC駅長と言葉を交わし,事が穏便に済むのではないかという感触を得たことから,事が大きくなることを避けるため,国労横浜支部としては,A首席助役の侮辱的な発言に関し,原告に対して正式に団交を申し入れることは行わなかった(乙36【24頁】,乙37【16ないし18頁】,乙38【16頁】,乙40【113ないし115頁】)。
(コ) A首席助役は,本件傷害事件の発生した日は午前8時30分から午後5時までの勤務時間であったが,午後11時30分ころまで勤務し,翌日以降も通常どおり勤務していた。また,A首席助役は,本件傷害事件発生から11日が経過した平成2年11月19日から9日間にわたって開催された洋上研修に予定どおり参加した。
オ 丙川に対する懲戒解雇手続等
原告は,本件傷害事件について,事件発生当日のうちに丙川に対する事情聴取を終了し,事件発生から9日後の平成2年11月17日付けで,丙川を懲戒解雇した。
ちなみに,原告におけるそれまでの懲戒処分で,発令までの所要日数が最も少なかったものは,「休日に酒気を帯びて勤務箇所に赴き,複数の社員の面前で業務を妨害し,管理者2名に対し,右上腕部を掴み強く引っ張り,またベニヤ板製の乗務割表板を投げつけるなどの暴行を加え,『右上腕部挫症』(加療1週間),『頭頂部打撲血腫』(加療10日間)などの傷害を負わせた」という事案であり,事件発生から14日後に発令されている。
カ 国労鶴見駅分会の対応について
(ア) 平成2年11月9日,同月15日付けの国労鶴見駅分会機関紙である「なかま」には,本件傷害事件に関する記載はされていない(甲16,17)。
(イ) 平成2年11月19日付けの国労鶴見駅分会機関紙「なかま」には,以下のような記載がされ,同分会側が,初めて本件傷害事件の発生原因はA首席助役が丙川に対し挑発するような発言をしたことである旨の主張をした。
「会社は,11月8日の事件に対して丙川氏がA首席助役に一方的に暴力を振ったと宣伝していますが,事実は全く違います。」,「そんなだがらいまだにいい年をして一人でいるはめになるんだ。暴言はAだ!」,「こうした輩がよく首席助役になれたのか驚きだ。丙川氏に数々の下劣な挑発を繰り返し,事件を創り上げたのはAの方だ。服装の整正の注意をした等と言っているが,実は真っ赤な嘘,そんなことで一々怒っていたらこっちの身が持たない。部下にいやらしいことを言い,本人が触れて欲しくないことをわざわざ言ってその反応を見ながら楽しんでいるのだ。」
(ウ) また,平成2年12月1日付けの国労鶴見駅分会機関紙「なかま」には,以下のような記載がされている。
「以下,事実経過を報告します。11月8日,8時5分ころ丙川君が総持寺踏切海側詰所で勤務しているところへ,A首席助役が巡回ということで詰所に入ってきた。そこで会話が交わされた。助役は,ラジオを消す,服装の整正を指示した。しかし,二人が詰所にいた時間の大部分は,助役が業務中の丙川君の背後にある椅子に座り『自分は,丙川君より先輩だし,人生経験豊富だし……』から始まり,丙川君の私生活に及ぶ話しと丙川君が身体的に一番気にしていることを発言し,丙川君を挑発,セクシャルハラスメントの発言をした。彼女はいるのか,捜しているのか,だらしねえ。こんなだから,いい年をしていまだに一人でいるはめになるんだ。男と生まれた以上,あそこが腐ってしまうぞ。(バッチを指して)まだそんなよけいなものを付けているのか,山側にいってる間に取っとけ!いいな!。この助役の発言に丙川君が立腹することは,人間として当然である。助役が詰所を出る前に言った『山側詰所に行っている間によけいなものを外しておけ』と命令したことに,我慢できなくなり,助役が外に出たところを後を追うような形となり,二人はもみ合いになった。」
キ 他の事例との比較
原告の従業員間の暴行事案,又は原告の横浜支部管内における懲戒処分事案については,他に以下のような例が挙げられる。
まず,昭和62年4月,軽井沢駅において,同駅の首席助役が国労組合員に対して作業ダイヤ変更の説明をしていた際,同組合員が腕組みをしていたことに立腹し,同組合員の左上腕部を内側から上向きに叩くようにはね上げたため,同組合員は「頸部筋筋膜症」(加療約1週間)と診断された。この事件については,原告及び同首席助役の損害賠償責任が平成4年3月12日に最高裁で確定したが,原告は,同首席助役に何らの処分も行っていない。
また,原告横浜支部管内の事例としては,平成2年ころ,関内駅のミルクスタンドの店長をしていたJR東労組の組合員が,返品伝票を操作して売上金を着服していた事件について,懲戒解雇ではなく諭旨解雇として処理された例がある。
(2) 上記認定した事実に争いのない事実及び弁論の全趣旨を総合して,以下,本件懲戒解雇が丙川に対する不利益取扱い又は補助参加人らに対する支配介入に当たるか否かについて検討する。
ア 懲戒は,規律違反の種類・程度その他の事情に照らして相当なものでなければならないと解されるところ,本件懲戒解雇についてみると,本件傷害事件は,丙川が勤務中に巡回に来ていたA首席助役に対しいわゆるプロレスの技であるヘッドロックをかけるなどの暴行を加え怪我をさせたというものであって,丙川に対し相応な処分がされることは当然である。
しかしながら,A首席助役の怪我の程度が全治1週間ないし2週間と比較的軽微であること(このことは,A首席助役が同日も午後11時30分ころまで勤務し,同日以降も欠勤をしていないばかりか,11月19日からは9日間にわたり洋上研修に参加していることからもうかがわれる。)や,丙川のこれまでの勤務状況(上記認定のとおり国労バッジ着用に係わる処分として厳重注意や訓告を受けたり,酔余の上職場に現れたことで訓告を受けたことが1度あるほかは,懲戒事由に当たるような行為はしていない。)に照らすと,雇用関係において最も重い処分である懲戒解雇とすることが相当性を有するか否かについては,丙川が本件暴行に及んだ経緯,取り分け,何が原因で暴行に及んだかについて,慎重な判断が求められるところである。
イ これを本件懲戒解雇手続についてみると,C駅長は,本件傷害事件発生当日,2回にわたり丙川の事情聴取を行い,同人にそれぞれ自認書及び始末書を書かせているが,自認書の内容の不自然さ(書き直した自認書ですら肝心な部分について「その後の会話は少しあったがわすれました。」「その後の会話があったようだがわすれました。」などと不自然な記載がなされている。)及び当時の丙川の供述の不自然さ,不合理さからは,丙川がA首席助役に対し暴行に及んだ原因が判然としない。そして,この点に関し,C駅長は,「原因はつかめなかったが,いきなりそういう状況になったということはあり得ないから,何回も聞いたがよく分からなかった。」(乙35【17頁】),「A助役は」「行ったときから(丙川が)興奮状態になっていたというような感じのことを言っていたが,そんなことはないだろうと思い調書には記載しなかった」(乙35【19頁】),「(自認書の)『その後の会話があったようだが忘れました』という記載について,そんなことはないだろう,いきなり暴力をふるうようなことはないだろうから,なんか会話があったんじゃないかと聞いたが,(丙川は)そういうことは話してくれなかった」(乙35【42,43頁】)などと述べており,C駅長自身,本件傷害事件の発生原因について納得が得られなかったものと認定することができる。
それにもかかわらず,原告は,丙川からそれ以後事情聴取をすることなく,本件傷害事件発生からわずか9日後の平成2年11月17日付けで丙川を懲戒解雇している(これは,これまでの最短処分事例を更新する早い処理であった。)。
仮に,原告において,その後,丙川及びA首席助役らから事情聴取を行えば,本件傷害事件発生の原因の真相が明らかになる可能性もあったというべきである。すなわち,丙川作成の自認書からは,本件傷害事件発生の原因は,丙川がA首席助役から国労バッジ着用につき注意を受けたことに腹を立てたことによる内容となっている。しかし,丙川は,これまで国労バッジ着用について就業規則違反としてその都度管理者から注意を受けてきたことからすると,本件傷害事件の時に限って,丙川がこの点で注意を受けたことにより激高するなどして暴行に及んだとは考え難い。これに対し,国労鶴見駅分会機関紙等は,本件傷害事件発生の原因はA首席助役が丙川に対し同人のプライバシーに関し侮辱的発言を行ったことによるとしている。丙川は昭和27年生まれであり,当時未だ結婚していないことを気にしていたこと,丙川がこのように自ら気にしていたプライバシーに関する事柄を組合の機関紙に掲載させるなどして侮辱的発言がされた旨の虚構を述べたとは考え難いことなどを考慮すると,本件傷害事件の発生原因はA首席助役の丙川に対する侮辱的発言であるとの蓋然性は極めて高いものであるというべきである。そして,原告は,再度,丙川及びA首席助役らから事情聴取を行い,公平な観点から客観的,合理的な判断をすれば,上記本件傷害事件の発生原因を把握することができ,本件傷害事件発生の責任の一端はA首席助役にもあったのではないかと推認できたと解するのが相当である。
そうだとすると,確かに,原告は,本件懲戒解雇までの間に,丙川が本件傷害事件の発生原因はA首席助役から侮辱的発言をされたことによると主張していることを認識していたとは認められないものの,現場長であり直接事情聴取を行ったC駅長自ら丙川が暴行に及んだ原因が判然としないと認識していたにもかかわらず,本件傷害事件発生当日以降,丙川,A首席助役らの事情聴取を全くしないまま,事件発生後わずか9日後に懲戒解雇という雇用関係において最も重い処分をしたことは,懲戒手続として適切さを欠くばかりか,本件懲戒解雇が原告の懲戒権の発動以外の理由によるものであることをうかがわせるものといわざるを得ない(ちなみに,上記(1)キによれば,原告においては,国労組合員以外の非違行為に対しては,相対的に軽い処分で済ませたり,処分相当と見られる事案において処分を行わないなどの対応がされている。)。
なお,A首席助役は,本件傷害事件発生直後に,鶴見駅近くの真田病院において全治約1週間との診断を受け,上記アで判示したとおり,その怪我の程度も比較的軽微であったとうかがわれるにもかかわらず,その後,C駅長の指示により平成2年11月10日,15日の2日間にわたり,わざわざJR東京総合病院で診察を受け,全治約2週間との診断を受けていること自体,診断内容の真偽はともかくとして不自然ということができる。
ウ ところで,上記(1)アで認定したとおり,丙川は,国労鶴見駅分会において昭和63年以降執行委員を務め,平成元年秋以降は教宣部長を兼任して同分会において中心的役割を果たしていた組合員の一人であり,鶴見駅の踏切現場において国労組合員の取りまとめ役的立場にあった。また,丙川は国労組合員の中でも管理者に対し度々反発するので,原告側がその対応に手を焼いていたことも認められる(乙35【39頁】)。
そして,上記1(2)ア(ア)で判示したとおり,本件懲戒解雇当時,鶴見駅では原告と労使協調路線をとるJR東労組とこれに敵対する国労の組合員数が拮抗する状態にあり,原告が鶴見駅においてJR東労組を多数組合にし,国労を少数組合にすることに腐心していたのであり,本件傷害事件の被害者であるA首席助役自身JR東労組の組合員で(上記2(1)イ(イ)),国労組合員に対し脱退慫慂とも受け取られかねない発言をするなど積極的な活動を行っていた者である(上記1(1)イ(イ)de)。
加えて,本件傷害事件現場に駆けつけたP助役は,丙川に向かって「首だ首だ」と叫び,丙川から「いますぐわかるのか」と問われたのに対しても,「会社をやめるしかない」と発言している(上記2(1)ウ(オ))。
エ 上記判示した事情を総合すれば,本件懲戒解雇は,原告の単なる懲戒権の発動ということはできず,原告が本件傷害事件に藉口して,国労組合員である丙川に不利益を課す意図及び国労鶴見駅分会を弱体化させる意図に基づき,丙川を企業外に放逐するためなされたものと推認することができる。したがって,本件懲戒解雇は,丙川の組合活動を理由とした不利益取扱いであると同時に組合運営に対する支配介入であり,不当労働行為(労働組合法7条1号,3号)に当たると解するのが相当であり,当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。
第4 結語
以上によれば,本件配転及び本件懲戒解雇を不当労働行為と認定してなされた本件命令は相当であって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・難波孝一,裁判官・増永謙一郎,裁判官・知野明)
別紙1
主文
1 被申立人は,申立人ら組合所属の組合員甲野一郎及び乙山二郎に対し,次の措置を講じなければならない。
(1) 甲野一郎に対する平成2年7月1日付け東京第二ベンディング事業所事業係への配置転換命令がなかったものとして取り扱い,同人を原職又は原職相当職に復帰させること。
(2) 乙山二郎に対する平成3年2月9日付け東京第一ベンディング事業所事業係への配置転換命令がなかったものとして取り扱い,同人を原職又は原職相当職に復帰させること。
2 被申立人は,申立人ら組合所属の組合員丙川三郎に対し,同人に対する平成2年11月17日付け懲戒解雇処分がなかったものとして取り扱い,次の措置を講じなければならない。
(1) 丙川三郎を解雇前の業務に就労させること。
(2) 平成2年11月18日から解雇前の業務に就労するまでの間に丙川三郎が受けるはずであった賃金相当額を支払うこと。
3 被申立人は,申立人国鉄労働組合東京地方本部横浜支部鶴見駅分会所属の組合員の配置に関し,他の従業員と差別することによって,申立人ら組合の運営に支配介入してはならない。
4 被申立人は,本命令後,速やかに下記の文書を申立人らに手交しなければならない。
記
当社が行った貴組合所属の組合員甲野一郎に対する平成2年7月1日付け東京第二ベンディング事業所事業係への配置転換命令,同乙山二郎に対する平成3年2月9日付け東京第一ベンディング事業所事業係への配置転換命令及び同丙川三郎に対する平成2年11月17日付け懲戒解雇処分は,神奈川県地方労働委員会において不当労働行為であると認定されました。
今後,このような行為を繰り返さないようにいたします。
平成 年 月 日
東京都千代田区丸の内<番地略>
国鉄労働組合
執行委員長 永田稔光 殿
東京都千代田区丸の内<番地略>
国鉄労働組合東日本本部
執行委員長 小沢孝 殿
東京都荒川区西日暮里<番地略>
国鉄労働組合東京地方本部
執行委員長 高橋義則 殿
横浜市中区新港町<番地略>
国鉄労働組合東京地方本部横浜支部
執行委員長 木村勝利 殿
横浜市鶴見区鶴見中央<番地略>
国鉄労働組合東京地方本部横浜支部鶴見駅分会
執行委員長 酒井俊男 殿
東京都千代田区丸の内<番地略>
東日本旅客鉄道株式会社
代表取締役 D
5 申立人らのその余の申立てを棄却する。
別紙2
主文
Ⅰ 初審命令主文第2項を次のとおり変更する。
2 東日本旅客鉄道株式会社は,国鉄労働組合所属の組合員丙川三郎に対して行った平成2年11月17日付け懲戒解雇処分がなかったものとして取り扱い,同人を原職に復帰させなければならない。
3 東日本旅客鉄道株式会社は,丙川三郎に対し,平成2年11月18日から本件初審命令交付の日までの間については,同人が受けるはずであった賃金相当額の半額を,また,その翌日から前項の原職に復帰させた日までの間については,同人が受けるはずであった賃金相当額をそれぞれ支払わなければならない。
Ⅱ 初審命令主文第3項を第4項とし,第4項を第5項とし,第5項を第6項とする。
Ⅲ その余の本件各再審査申立てを棄却する。