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東京地方裁判所 平成15年(行ウ)612号 判決 2005年6月24日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して平成14年10月30日付けでした平成10年10月11日から平成11年10月31日までの傷病手当金を原告に支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、平成14年法律第102号による改正前の健康保険法(以下「旧健康保険法」という。)45条に基づく傷病手当金の支給請求に対して被告が平成14年10月30日付けでした、平成10年10月11日から平成11年10月31日までの傷病手当金を支給しない旨の処分(以下「本件不支給処分」という。)につき、消滅時効の起算点の解釈に誤りがあり、時効消滅していないのに消滅したとする点で実体面において違法であり、また、処分の過程において行政手続法11条1項に違反した点で手続面においても違法である旨主張して、本件不支給処分の取消しを求める事案である。

一  関係法令の定め

(一)  旧健康保険法

(1) 1条1項

健康保険ニ於テハ保険者ガ被保険者(…(中略)…)ノ業務外ノ事由ニ因ル疾病、負傷若ハ死亡又ハ分娩ニ関シ保険給付ヲ為シ併セテ其ノ被扶養者ノ疾病、負傷、死亡又ハ分娩ニ関シ保険給付ヲ為スモノトス

(2) 4条1項

保険料其ノ他本法ノ規定ニ依ル徴収金ヲ徴収シ又ハ其ノ還付ヲ受クル権利及保険給付ヲ受クル権利ハ2年ヲ経過シタルトキハ時効ニ因リテ消滅ス

(3) 45条

被保険者ガ療養ノ為労務ニ服スルコト能ハザルトキハ其ノ日ヨリ起算シ第4日ヨリ労務ニ服スルコト能ハザリシ期間傷病手当金トシテ1日ニ付標準報酬日額ノ100分ノ60ニ相当スル金額ヲ支給ス

(4) 59条の6

療養の給付(…(中略)…)、傷病手当金の支給(…(中略)…)ハ被保険者又は被保険者タリシ者ノ同一ノ疾病、負傷又ハ死亡ニ関シ労働者災害補償保険法(…(中略)…)、国家公務員災害補償法(…(中略)…)又ハ地方公務員災害補償法(…(中略)…)若ハ同法ニ基ク条例ノ規定ニ依リ夫々ノ給付ニ相当スル給付ヲ受クルコトヲ得ベキトキハ之ヲ為サズ

(二)  行政手続法11条1項

行政庁は、申請の処理をするに当たり、他の行政庁において同一の申請者からされた関連する申請が審査中であることをもって自らすべき許認可等をするかどうかについての審査又は判断を殊更に遅延させるようなことをしてはならない。

二  前提事実

本件の前提となる事実は、次のとおりである。なお、証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めることのできる事実は、その旨付記してあり、その余の事実は、当事者間に争いがない。

1  労働者災害補償保険法(以下「「労災法」という。)に基づく療養補償給付請求の経緯(乙10)

(一) 原告は、前橋労働基準監督署長に対し、平成10年10月7日の作業中の負傷により、腰部椎間板ヘルニアを発症したとして、その診療費について、労災法13条1項に基づき療養補償給付の請求をした。

(二) 前橋労働基準監督署長は、原告に対し、平成11年9月28日、上記(一)の傷病は業務上の事由によるものとは認められないとして、原告の請求する療養補償給付をしない旨の処分をした。

(三) 原告は、群馬労働者災害補償保険審査官に対し、上記(二)の処分について審査請求をした。

(四) 群馬労働者災害補償保険審査官は、原告に対し、平成12年2月28日、上記(三)の審査請求を棄却する旨の決定をした。

(五) 原告は、労働保険審査会に対し、上記(四)の決定について再審査請求をした。

(六) 労働保険審査会は、原告に対し、平成14年10月23日、上記(五)の再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

2  旧健康保険法に基づく傷病手当金請求の経緯

(一) 原告は、被告に対し、平成13年11月1日、傷病名を「腰部椎間板ヘルニア」、発症日を「平成10年10月7日」、疾病又は負傷の療養をするため休んだ期間(支給期間)を「平成10年10月8日から平成11年12月30日」の合計「449日間」として、旧健康保険法45条の傷病手当金の請求(以下「本件傷病手当金請求」という。)をした。(乙1)

(二) 被告は、原告に対し、平成14年10月30日、本件傷病手当金請求について次のとおり決定した。そのうち、(1)が本件不支給処分である。なお、平成10年10月8日から同月10日までの期間の傷病手当金については、傷病手当金は療養のために労務に服することができない日から起算して4日目から支給されることから、上記期間の傷病手当金は支給対象外とされている。(甲1、2、乙2、7)

(1) 平成10年10月11日から平成11年10月31日までの期間の傷病手当金(以下「本件傷病手当金」という。)については、「時効(2年)により請求権が消滅している」との理由を付して、上記期間の傷病手当金を不支給とする旨の決定をした。

(2) 平成11年11月1日から同年12月30日までの期間の傷病手当金14万1480円を支給する旨の決定をした。

(三) 原告は、東京社会保険事務局社会保険審査官に対し、平成14年12月18日、本件不支給処分について審査請求をした。(乙6)

(四) 東京社会保険事務局社会保険審査官は、原告に対し、平成15年2月4日、上記(三)の審査請求を棄却する旨の決定をした。(乙7)

(五) 原告は、社会保険審査会に対し、平成15年2月13日、上記(四)の決定について再審査請求をした。(乙8)

(六) 社会保険審査会は、原告に対し、平成15年10月31日、上記(五)の再審査請求を棄却する旨の裁決をした。(甲2)

(七) 原告は、平成15年11月15日、本件訴えを提起した。

二  争点

1  本件不支給処分は、消滅時効の起算点の解釈を誤ってされた違法なものであるか。

2  本件不支給処分が行政手続法11条1項に違反してされた場合、そのような手続違反は、本件不支給処分の取消事由になるか。

3  本件不支給処分は、行政手続法11条1項に違反してされたものであるか。

三  当事者の主張の要旨

1  争点1(消滅時効の成否)について

(一) 被告の主張

(1) 保険給付を受ける権利の消滅時効の起算点については、旧健康保険法に特段の定めがないため、民法166条1項に従い、「消滅時効は権利を行使することを得る時より進行す」ると考えるべきである。

旧健康保険法4条1項は、「保険給付ヲ受クル権利ハ2年ヲ経過シタルトキハ時効ニ因リテ消滅ス」と規定しているところ、傷病手当金は、労務不能となった日ごとに、その翌日から請求権の行使が可能となる。したがって、傷病手当金の給付を受ける権利は、労務不能となった日ごとにそれぞれ2年間の時効期間によって消滅すると解される。

(2) 労災法における療養補償給付は、療養の給付、すなわち診察、薬剤等の支給、手術等の治療等又はその費用の支給を目的としている(労災法13条)。これに対し、旧健康保険法における傷病手当金は、療養のために労務に就けない期間の休業補償を目的としており(旧健康保険法45条)、それぞれの給付目的は、全く異なる。また、請求先についても、療養補償給付は労働基準監督署長、傷病手当金は社会保険事務所長と異なっており、それぞれの請求手続も個別に規定されている。なお、旧健康保険法における傷病手当金は、同法59条の6において、同一の疾病、負傷又は死亡について、労災法によりこれらに相当する給付を受けることができる場合には支給されないとされているが、これは給付面における調整規定であり、権利行使を制約させるものではない。

したがって、療養補償給付制度と傷病手当金制度は、全く別個独立のものであり、先行及び後続の関係、あるいは相反する関係にはないから、原告は、療養補償給付の請求と傷病手当金給付の請求を同時に、あるいは順次することが可能であったのであり、療養補償給付の請求いかんは、本件傷病手当金請求に係る受給権の消滅時効の進行を妨げるものではない。

(3) 以上のとおりであり、請求日までに2年を経過した分である平成10年10月8日から平成11年10月31日までの期間中、そもそも傷病手当金の支給対象外である平成10年10月8日から同月10日までの期間を除き、その余の同月11日から平成11年10月31日までの期間につき、原告の傷病手当金の受給権が時効消滅したとしてされた本件不支給処分は、適法である。

(二) 原告の主張

原告は、労災法に基づく療養補償給付の請求を先行して行っていたところ、その後に、労災法上の療養補償給付の請求と補充関係にある本件傷病手当金請求をしたものであるが、労災法に基づく療養補償給付の請求においては、業務上であることを主張しなければならず、旧健康保険法に基づく傷病手当金の給付の請求においては、業務外であることを主張しなければならない。このように補充関係にある後続の請求において、相反し矛盾する主張をしなければならない先行の請求が存在する場合には、先行の請求に対する処分がされるまでは、後続の請求に係る受給権を行使することが現実には期待することができないものである。

したがって、そのような場合には、後の請求に係る受給権は、現実に権利の行使を期待することができるときから消滅時効が進行すると解すべきである(最高裁昭和40年(行ツ)第100号同45年7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁、最高裁平成4年(オ)第701号同8年3月5日第三小法廷判決・民集50巻3号383頁参照)。いいかえると、先行の請求である労災法に基づく療養補償給付の請求に対する労働保険審査会の裁決がされるまで、本件傷病手当金の受給権の消滅時効は進行しないと解すべきである。

本件においては、労働保険審査会の裁決を原告が知り得たときから時効が進行するというべきである。

そうすると、本件傷病手当金請求に係る受給権は、いまだ時効消滅していないのであるから、これが時効消滅したとしてされた本件不支給処分は、違法である。

2  争点2(行政手続法11条1項違反が処分の取消事由となるか)について

(一) 被告の主張

(1) 行政手続の違反が行政処分の適法性に与える効力については、一般に、①訓示規定の違反あるいは軽微な瑕疵にとどまるものについては、取消原因とはならず、②制度の根幹に関わる手続の違法で、その瑕疵を許したのでは制度自体の信用信頼を揺るがせることになりものについては、結果のいかんにかかわらず取消原因とされるべきであり、③両者の中間的なものについては、結果に影響を及ぼす場合に限り、取消原因とされると解すべきである(最高裁昭和42年(行ツ)第84号同50年5月29日第一小法廷判決・民集29巻5号662頁参照)。

そして、行政手続法11条1項は、自らが求められた許認可等に係る審査の時期又は判断を下す時期を不必要に引き延ばしてはならない旨を訓示的に規定するものである。したがって、同項の規定は、上記分類のうち①の類型に当たるものであるから、仮に、行政庁のした処分が同項に違反したとしても、そのこと自体は、当該処分の取消原因とはならないと解すべきである。

(2) 以上のとおりであり、行政処分の適法性は、行政手続法11条1項違反の有無により影響を受けないから、本件において、同項違反を論ずる余地はない。

(3) 仮に、行政手続法11条1項が訓示規定ではないとしても、同項は、申請に対する処分についての基本的な各規定(同法5条から10条まで)に加えて、複数の行政庁が関与する処分を遅延させてはならないという限定的な場面について規定されたものであるから、制度の根幹にかかわる手続の違反でその瑕疵を許したのでは制度自体の信用信頼を揺るがせることになるものという上記(1)②の類型に該当するということはできず、上記(1)③の類型に当たる規定と考えることができる。

そうすると、本件不支給処分は、傷病手当金請求権が時効消滅していることを理由に不支給としたものであるから、仮に、本件不支給処分が同項違反を理由に取り消されたとしても、新たに傷病手当金が支給されるということはない。したがって、当該手続違反は、結果に影響を及ぼさない。このようなことからすると、本件不支給処分が行政手続法11条1項違反を理由に取り消されるべきであると解する余地はない。

(二) 原告の主張

行政手続法11条1項は、申請に対する許認可等の判断の審査基準の設定及び公表等を定める同法5条、行政処分の標準処理期間の設定を定める同法6条、申請に対する審査、応答義務を定める同法7条及び申請に対する許認可等の拒否処分における理由の提示を定める同法8条と関連して定められたものであり、訓示規定ではなく、「殊更に」すなわち合理的な理由なく、処分庁が判断を遅滞した場合には、同法11条に違反したこと自体が当該処分の取消事由となると解すべきである。

行政手続法11条1項違反が取消事由とならないと解した場合、行政庁のもたれ合いに対する歯止めが存在しなくなってしまい、行政手続法が目的とする適正手続が保障されなくなるのであって、そのような解釈が誤りであることは、行政手続法の制定過程に照らしても明らかである。

3  争点3(行政手続法11条1項違反の有無)について

(一) 被告の主張

(1) 行政手続法11条1項にいう「殊更に」とは、「合理的理由なく」の意味と解され、本件のように、請求者である原告の申入れによって処分を留保していた場合は、これに当たらないというべきである。すなわち、本件傷病手当金請求以後本件不支給処分がされるまでの間には、以下のような事情が存在する。

ア 原告は、被告に対し、平成13年11月1日、本件傷病手当金請求をした。その際、原告の代理人であるA社会保険労務士(以下「A社労士」という。)の作成名義で、原告は、本件傷病手当金請求書等の事由となった疾病について、労災の給付を受けるべく申請を行い、現在、労働保険審査会において審理が係属中であること、しかし、仮に、業務外の結論が出た場合に備えて、消滅時効の中断を図るために民法147条1号の「請求」として、原告は本件傷病手当金等を請求するものである旨の書面が添付されていた。被告の事務処理担当者であるBは、本件傷病手当金請求の記載事項及び証明事項に不備があったことから、A社労士に対し、直ちに書類の不備を指摘し、確認をしたところ、A社労士は、時効の中断として取り急ぎ請求したものであるので、書類の不備は認識しているが、とりあえず被告において受付けをしてもらい、追って返戻してもらいたい旨回答した。そこで、Bは、A社労士に対し、同月5日、不備な点を補充するように指示した付箋を添付して、上記請求書を返戻した。

イ A社労士は、被告に対し、平成14年1月17日、当初の不備を訂正の上、上記請求書を再度提出した。しかし、同申請書には、A社労士作成の「前記労働保険審査会に対する再審査は平成13年6月7日に公開審理が終了したが裁決書が未送付である。原告の傷病が業務上のものか業務外のものかの結論が出ていないが、労働基準監督署長および労働者災害保険審査官により業務外との判断がされているので、法的評価としては業務外とすべきである。ただし、傷病手当金請求権の消滅時効に関しては、労働者災害補償保険審査官の決定書が出された時点から進行すると考えるべきである」旨の意見書が添付されていた。

ウ Bは、本件傷病手当金請求について審査し、事実関係から業務外の疾病と判断して、原告に対し、傷病手当金を支給する方向で事務処理を行うものと判断したが、なお、当初の本件傷病手当金請求に際し、A社労士が、本件傷病は業務上の傷病と考えており、本件傷病手当金請求は時効中断のため行うにすぎないという主張をしていたことから、原告の真意を確認するため、平成14年1月18日、A社労士に連絡を取った。A社労士は、Bに対し、本来、業務上の傷病として認められるべきものであるから、原告は労災法上の請求について、労働保険審査会に対し再審査請求をしているのであって、旧健康保険法上の請求については、あくまで時効の中断として請求したものであるから、本件傷病手当金請求は、労働保険審査会の裁決を待って処理されることを希望する旨回答した。そこで、Bは、原告の意向に沿い、A社労士から労働保険審査会の裁決の連絡を受けるまで、本件傷病手当金請求についての事務処理を留保することとした。

エ その後、原告ないしA社労士から何の連絡もなかったため、Bは、平成14年6月26日、A社労士に連絡したところ、A社労士は、労働保険審査会の裁決はされていないこと、しかし、もうすぐ裁決が出されるはずであるから、連絡するので、待っていてほしい旨回答した。そこで、Bは、更に事務処理を留保することとした。

被告は、平成14年10月28日、A社労士から労働保険審査会の棄却裁決書の写しの送付を受け、原告に対し、同月30日に、本件傷病手当金請求について本件不支給処分を含む決定をした。

(2) 以上のとおり、被告が本件傷病手当金請求の事務処理を留保していたのは、あくまでも、原告側からの申入れに応じたからにすぎない。逆に、Bは、本件傷病手当金請求書の提出を受けた当初から、速やかに書類の不備の訂正をさせ、また、労働保険審査会の裁決を待ってほしいとの原告の希望があっても、なお労働保険審査会の裁決に関する回答が遅れていることについて、A社労士に回答を催促するなど、速やかに適切な対応を取っており、被告における事務処理の遅延あるいは不作為という事実は存在しない。Bが、A社労士からの聞取り内容から、労働保険審査会の裁決が間もなく出されると考えて事務処理を保留していたところ、予想に反して裁決が出されるのに長期間を要した結果、被告においても事務処理を進められなかったにすぎないのであり、被告が「殊更に」判断を遅延させたというものではない。

(3) したがって、本件不支給処分の事務処理の過程において、行政手続法11条1項に違反する事実はない。

(二) 原告の主張

(1) A社労士がBに対し本件傷病手当金請求の事務処理の保留を申し入れたり、希望したりしたという被告主張の事実は、いずれも否認する。

(2) 被告は、本件不支給処分をするに当たって、本件傷病手当金請求から1年の期間を費やしている。これは、原告の同一傷病に関して、先行して労災法に基づく療養補償給付の請求がされていたため、被告が労働保険審査会の裁決の結果を見届けた後、本件不支給処分をしたからである。Bは、労働保険審査会の裁決において、原告の傷病が業務上のものであるとされた場合に、傷病手当金の返還を求める事務が生じることを恐れ、自分の希望で、労働保険審査会の裁決が出されるまで、本件傷病手当金請求について事務処理を留保したのである。

したがって、本件不支給処分は、被告が自らの判断を殊更に遅延させたものとして、行政手続法11条1項に違反するものである。

第三当裁判所の判断

一  争点1(消滅時効の成否)について

1  まず、本件傷病手当金請求に係る保険給付を受ける権利の消滅時効の起算点について検討する。

旧健康保険法は、「保険給付ヲ受クル権利ハ2年ヲ経過シタルトキハ時効ニ因リテ消滅ス」と規定している(4条1項)が、保険給付を受ける権利の消滅時効の起算点については特段の定めがない。したがって、消滅時効については、一般原則である民法166条1項に従い、「消滅時効は権利を行使することを得る時より進行す」ることになると解するのが相当である。そして、この「権利を行使することを得る」ときとは、消滅時効の制度の趣旨が、一定期間継続した権利の不行使の状態という客観的な事実に基づいて権利を消滅させ、もって法律関係の安定を図ることにあることにかんがみると、権利を行使し得る期限の未到来とか、条件の未成就のような権利の行使についての法律上の障害がないというだけではなく、更に権利の性質上、その権利の行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するのが相当である(最高裁昭和40年(行ツ)第100号同45年7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁、最高裁平成4年(オ)第701号同8年3月5日第三小法廷判決・民集50巻3号383頁参照)。しかし、単なる事実上の障害があるにすぎないときは、権利を行使することを得るものとして、消滅時効の進行は妨げられないものと解すべきである(最高裁昭和48年(オ)第647号同49年12月20日第二小法廷判決・民集28巻10号2072頁参照)。

本件においては、旧健康保険法による傷病手当金を受ける権利が問題となっているところ、傷病手当金は、労務不能となった日ごとに、その翌日から請求権の行使が可能であって、この権利の行使に法律上の障害は存在しないから、それぞれの日分の傷病手当金請求権の消滅時効の起算点は、それぞれの日の翌日であると解すべきである。

2  この点に関し、原告は、労災保険給付の請求では、業務上の傷病であることを主張しなければならず、健康保険給付の請求では、業務外の傷病であることを主張しなければならないのであって、労災保険給付を請求しつつ、旧健康保険法による給付を受けることは矛盾するものであるから、先行している労災保険給付がされないという結論を待たなければ、後続の健康保険給付の請求をすることを期待することができないとして、本件傷病手当金請求の消滅時効の起算点である権利を行使することができるときとは、労働保険審査会の裁決が出たことを原告が知ったときと解すべきである旨主張する。

確かに、旧健康保険法による保険給付の支給対象である療養につき、労災保険給付を受けながら旧健康保険法による保険給付の支給を受けることはできない(旧健康保険法59条の6)。しかし、労災保険給付を請求しつつ、旧健康保険法による給付の請求をすることは、法令上、何ら妨げられない。現に、本件においても、前記認定事実によると、原告は、労災法に基づく療養補償給付の請求に対する労働保険審査会の裁決が出される前に、本件傷病手当金請求を行って、これが受理され、手続が開始されていることが認められるのである。しかも、証拠(乙3)によれば、原告の代理人であるA社労士は、旧健康保険法4条の消滅時効を中断しておくために、傷病手当金等を請求する旨表明していたことが認められるのであるから、傷病手当金につき消滅時効が既に進行していることを承知の上で、本件傷病手当金請求を行ったと解すべきである。したがって、労働保険審査会の裁決が出たことを原告が知るまで、原告が本件傷病手当金請求をすることが現実的に期待できなかったという余地はない。そうすると、本件傷病手当金の請求をすることにつき、法律上の障害があったとか、あるいは、その権利の性質上、行使を現実に期待することができるものではなかったということはできない。

このように見てくると、本件傷病手当金請求に係る傷病手当金の給付を受ける権利は、前記1のとおり、労務不能となった日ごとにそれぞれその翌日から2年間の時効期間によって消滅すると解すべきであり、原告の前記主張は、独自の見解であって、採用することができないというべきである。

3  以上によると、原告が本件傷病手当金請求において請求した平成10年10月8日から平成11年12月30日までの休業期間のうち、請求日までに2年を経過した分中、元々権利がない期間(療養のために労務に服することができない日から起算して3日目までの平成10年10月8日から同月10日までの期間)を除いたその余の平成10年10月11日から平成11年10月31日までの期間については、傷病手当金の給付を受ける権利は、時効消滅していたというべきである。

4  以上によれば、争点1に関する原告の主張は、理由がない。

二  争点2(行政手続法11条1項違反が処分の取消事由となるか)について

1  行政手続法11条1項は、「行政庁は、申請の処理をするに当たり、他の行政庁において同一の申請者からされた関連する申請が審理中であることをもって自らすべき許認可等をするかどうかについての審査又は判断を殊更に遅延させるようなことをしてはならない」と規定している。これは、同一の申請者が他の行政庁に対しても関連する他の申請を提出している場合には、当該複数の申請に係る案件に関与する行政庁が複数であるために、本来明確であるべき各機関ごとの責任の所在が不明確となることがあることから、申請の迅速処理が合理的な理由なく妨げられ、申請者が不利益を被ることがないようにするため、①同一の申請者からされた当該申請に関連する申請に対する審査、判断の結果を考慮しなければ当該申請についての判断を行うことができないなど合理的な理由がある場合を除き、他の行政庁において当該関連申請が審理中であることを口実に審理、判断を留保してはならず、また、②一定の合理的な理由で処理期間が長くなることがあっても、自らが求められた許認可等に係る審査の時期又は判断を下す時期を不必要に引き延ばしてはならない旨を訓示的に規定したものであり、申請に対する審査の促進化を図ることを目的とする行政運営法的規定の一つであると解するのが相当である。

そうすると、行政手続法11条1項の不遵守が直ちに当該処分の効力に影響を及ぼすということはできず、仮に、本件不支給処分が同項を遵守することなくされたとしても、そのことのみを理由として、当然に取り消されるべきであるとまでいうことはできない。

また、本件は、前記認定事実によると、平成13年11月1日にされた本件傷病手当金請求について、平成14年10月30日に決定されたという事案であるところ、この手続につき、仮に行政手続法11条1項の違反があったとしても、これが制度の根幹にかかわるような重大な手続上の違法であるということはできない。しかも、本件不支給処分は、前記一のとおり、本件傷病手当金請求に係る受給権が時効消滅したことを理由としてされたものであるから、同項違反の事実の有無は、本件不支給処分の結論に影響を及ぼしようがないものである。

このように考えると、行政手続法11条1項違反の事実の有無は、本件不支給処分の取消事由になると解する余地はない。

2  以上によれば、争点2に関する原告の主張は理由がない。また、争点3については、検討する必要がない。

三  結論

そのほか、本件不支給処分が違法であることをうかがわせる事由は見当たらない。

以上によれば、本件不支給処分は適法というべきである。

よって、本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅野博之 裁判官 鈴木正紀 裁判官 小田靖子)

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