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東京地方裁判所 平成15年(行ク)17号 決定 2003年6月11日

別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  相手方が平成一四年一一月六日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、平成一五年六月一一日午後三時以降、本案事件(当庁平成一五年(行ウ)第一一号退去強制令書発付処分取消請求事件)の第一審判決の言渡しの日から起算して一五日後までの間、これを停止する。

二  申立人のその余の申立てを却下する。

三  申立費用は、これを二分し、その一を申立人の負担とし、その余を相手方の負担とする。

理由

第一申立ての趣旨

相手方が平成一四年一一月六日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件(当庁平成一五年(行ウ)第一一号退去強制令書発付処分取消請求事件)の判決確定までの間これを停止する。

第二申立ての理由

本件申立ての理由の要点は、相手方が、申立人が出入国管理及び難民認定法(以下「法」という)四七条四項の口頭審理の請求をしない旨の文書に署名したとして退去強制令書を発付したこと(以下「本件退令発付処分」という。)に対し、申立人に係る口頭審理請求権の放棄の手続に違法があり、有効な口頭審理請求権の放棄がないのにした退去強制令書発付処分は違法であり、取り消されるべきであるから、本件は「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法二五条三項)に当たらず、申立人には本件退令発付処分による回復困難な損害を避けるために執行停止を求める緊急の必要性があるというものである。

第三当裁判所の判断

一  退去強制令書発付処分と行政事件訴訟法二五条二項及び三項所定の要件

(1)  行政事件訴訟法二五条二項の「回復の困難な損害」とは、処分を受けることによって生ずる損害が、原状回復又は金銭賠償が不能であるとき、若しくは金銭賠償が一応可能であっても、損害の性質、態様にかんがみ、損害がなかった現状を回復させることは社会通念上容易でないと認められる場合をいう。

そして、この「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」との要件は、一般に執行停止の必要性の大小を判断するための要件であるといわれるところ、この必要性の判断を行うに当たっては、民事保全手続における保全の必要性と本案の疎明の程度の関係と同様、当該処分が違法である蓋然性の程度との相関関係を考慮するのが相当である。すなわち、発生の予想される損害が重大で回復可能性がない場合には、同条三項に定める「本案について理由がないとみえるとき」との消極要件該当性は相当厳格に判断すべきであるのに対し、損害が比較的軽微で回復可能性もないとはいえないときは、上記の消極要件該当性は比較的緩やかに判断するのが相当である。

(2)  このような観点から、外国人に対する退去強制令書発付処分の執行停止における執行停止の必要性について検討するに、まず、同処分中の送還部分については、これが執行されると、申立人の意思に反して申立人を送還する点で、そのこと自体が申立人にとって重大な損害となり、仮に申立人が本案事件において勝訴判決を得ても、その送還前に置かれていた原状を回復する制度的な保障はないことに加え、申立人自身が法廷において尋問に応ずることが不可能となって立証活動に著しい支障を来し、訴訟代理人との間で訴訟追行のための十分な打合せができなくなるなど、申立人が本案事件の訴訟を追行することが著しく困難になり、遂には違法な処分を是正する機会すら奪われる可能性も高いことを考慮すれば、この部分については、行政事件訴訟法二五条三項にいう「本案について理由がないとみえるとき」との消極要件該当性を相当厳格に判断するのが相当であり、申立人の主張がそれ自体失当であるような例外的な場合を除き、この消極要件を具備しないものとするのが相当である。

次に、退去強制令書発付処分中の収容部分についてみると、その執行により申立人が受ける損害としては、通常、収容によってそれまで行っていた社会的活動の停止を余儀なくされることや心身に異常を来すおそれのあることが挙げられるが、それら以上に、身柄拘束自体が個人の生命を奪うことに次ぐ重大な侵害であって、人格の尊厳に対する重大な損害をもたらすものであって、原状回復はもとより、その損害を金銭によって償うことは社会通念上容易でないことに十分留意する必要がある(従来、この点については、ややもすると十分な考慮がされず、安易に金銭賠償によって回復可能なものとの考え方もないではなかったが、そのような考え方は個人の人格の尊厳を基調とする日本国憲法の理念に反するものというほかない。)。これらによると、収容部分の執行によって生ずる損害も相当に重大かつ回復困難なものであるが、送還部分の執行が停止されるならば、訴訟の進行自体への影響は比較的少なく、違法な処分を是正する機会まで奪われる事態は生じないことを考慮すると、送還部分の執行によって生ずる損害よりは軽微なものといわざるを得ない。したがって、この部分の執行停止の可否を判断するに当たっては、「本案について理由がないとみえるとき」との消極要件該当性をそれほど厳密に判断する必要はなく、通常どおり、本案について申立人が主張する事情が法律上ないとみえ、又は事実上の点について疎明がないときと解すれば足りるのである。

(3)  上記のように解すると、送還部分のみならず収容部分についても執行停止がされることが多くなり、後に本案において申立人の敗訴が確定したとしても、それまでの間に、申立人が逃亡して退去強制令書の執行が困難となったり、申立人が違法な活動をするおそれが生ずるとの危惧が生じないでもない。

しかし、そのような点、すなわち、収容部分の執行停止の申立てについて判断する時点において、申立人の身元が不確かであるから逃亡のおそれがあり、将来の退去強制が困難となると認められる場合には、そのこと自体が我が国の公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの消極要件に該当すると認められるし、申立人のそれまでの行状等からして、収容しなければ違法な活動を行うおそれがあり、それが我が国の公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると認められる場合にも、同様に当該申立てについては、消極要件に該当するものとして却下することができるものである。

二  本件における執行停止の要件の有無

(1)  執行停止の必要性(行政事件訴訟法二五条二項)

本件処分によって申立人が受ける損害については、少なくとも上記一(2)で説示した退去強制令書発付処分によって一般的に生ずる損害はすべて生ずることが明らかであるから、送還部分のみならず収容部分についても執行停止の必要性があると認められる。

さらに、《証拠省略》によると、本件においては、申立人が収容の初期から心身に異常を来しており、平成一五年六月一〇日には統合失調症との診断を受けるに至っており、その原因については証拠上必ずしも明らかとはいえないが、申立人が収容前にそのような症状を有していたとは認められないことにかんがみれば、申立人の統合失調症が収容を原因とするものであることは容易に推認でき、これを妨げる証拠はないのであるから、仮に申立人の収容をこのまま継続したとすれば、心身の異常が固定化されるなど回復し得ない結果となることも十分考えられるのであり、申立人の収容を解く必要性は極めて高いといわざるを得ない。

(2)  本件退去強制令書について「本案について理由がないとみえるとき」の要件に該当するか否か

本件において、申立人が主張する本件退令発付処分の違法事由は、第一に、申立人に係る口頭審理請求権の放棄の手続に違法があり、有効な口頭審理請求権の放棄がないのにしたものであること、第二に本件退令発付処分に裁量権逸脱・濫用又は比例原則違反の違法があるとのものである。

疎明資料によれば、申立人が口頭審理放棄書に署名をしていること(同書の署名を申立人がしたことについては、申立人もこれを争っていない。)、その前提となる審査において同人が「タイに一日でも早く帰りたいので口頭審理は必要ありません」と述べていること、帰国を前提に申立人の勤め先の経営者である花子がタイ行きの航空券を用意し、申立人に差し入れていることが一応認められる。しかし、申立人は上記のような発言を否定しており、一連の手続が通訳を介さずに行われていることや《証拠省略》からうかがわれる申立人の日本語能力からすると、申立人が入国審査官の説明を理解した上で口頭審理放棄書に署名したか否かには疑問が残るといわざるを得ない。

そうすると、本件の口頭審理の放棄手続については、現段階の疎明資料を総合すると、むしろ手続が適正に行われたか否かには疑問があり、退去強制令書発付処分に違法が存しないとはいえないと一応認められるから、本件申立ては上記要件に該当するものではない。

また、退去強制令書発付処分のように、相手方の自由を制限する処分については、たとえ処分要件が満たされていても、処分権限を発動するか否かについては処分庁の裁量に委ねられており、当該処分によって相手方の受ける不利益と当該処分をしないことによって生ずる公益への影響を勘案し、前者を避けるためには後者を甘受することもやむを得ないと認められる場合には、当該処分を行うべきではないと考えられる。そして、本件においては、相手方は、申立人がA野と既に内縁関係にあることを全く考慮していないことが明らかであり、その裁量権行使に当たって、重要な考慮要素を考慮しなかったといわざるを得ず、裁量判断の基礎に著しい欠落があった可能性が濃厚であって、この点からしても上記消極要件を具備しないと考えられる。

三  「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法二五条三項)に該当するかどうかについて

本件退去強制令書に基づく送還の執行停止に関し、相手方が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとして主張するところは、送還の執行停止による一般的な影響をいうものであって具体性がなく、本件において、本件退去強制令書に基づく送還の執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの事情をうかがわせる疎明はない。

また、収容部分についても、疎明資料によると、申立人は、本件処分以前からA野太郎との婚姻を予定していたところ、本件処分後の平成一四年一一月二六日に同人と婚姻し、現在は法違反の点を反省し、夫とも善良な生活をする旨誓約していること、A野においても、婚姻を遅らせるとともに申立人が働くに至った原因ともなった借金についても無理なく返済をする手段を講じ、申立人とともに健全な家庭を築く意思を明らかにしていることが認められる。これらによると、現時点で申立人の収容を解いたとしても、申立人が逃亡したり、醜業等に就くとは認められず、収容部分の執行を停止しても、上記消極要件に該当する事実が生ずるとは認め難い。

四  結論

よって、本件申立ては、主文第一項記載の限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを却下することとし、申立費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法一二二条、六一条、六四条本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤山雅行 裁判官 廣澤諭 加藤晴子)

<以下省略>

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