東京地方裁判所 平成16年(ワ)10892号 判決 2005年6月24日
原告
A
訴訟代理人弁護士
野々山哲郎
訴訟復代理人弁護士
森本香奈
被告
B
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、700万円を支払え。
第2 事案の概要
本件は、弁護士でありかつ税理士である被告が、原告が被告となった建物収去土地明渡等請求事件において、原告から同訴訟の委任を受けて訴訟代理人として関与し、同事件は和解により終了したが、原告は、被告が判断を誤り原告に多額の税金が課税される内容の和解を成立させたなどと主張して、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、損害の一部について、損害賠償を請求した事案である。
1 争いのない事実等(証拠により容易に認められる事実については括弧内に証拠を示す。)
(1) 被告は、税理士の資格を有し、税理士として登録された(被告本人)弁護士である。
(2) Cは、原告を被告として、東京地方裁判所八王子支部に対し、所有権に基づいて、東京都三鷹市深大寺の2筆の土地(合計面積879.95平方メートル)(本件土地)上の建物の収去及び同土地の明渡し等を求めて訴えを提起した(平成7年(ワ)第1287号建物収去土地明渡等請求事件)。その後、原告は、本件土地の所有権の時効取得を主張して、Cに対し反訴を提起した(平成8年(ワ)第701号)。(以上、甲1、4、5、6、以下、「基本事件」という。)
なお、被告は、原告から委任を受けて、基本事件の訴訟代理人となった。
(3) 基本事件は、平成8年5月31日、Cが、原告に対し、本件土地を現状有姿のまま代金1億8350万円で売ること及び原告は、Cに対し、同年6月10日限り売買代金を支払うこと等を内容とする和解が成立した(本件和解)。
なお、原告は、株式会社ハウジング大興に対し、同日、本件土地の一部である779.95平方メートルの土地(本件譲渡土地)を、代金2億4000万円で売り、Cに対し、その売買代金の中から上記1億8350万円を支払った。
また、本件和解に当たって、原告は、本件土地のうち30坪の土地の所有権を取得し、同土地上に30坪の建物を建てるための建築資金及びその他1000万円が手元に残ることを希望していた。
(4) 原告は、平成9年3月17日、本件譲渡土地の譲渡所得について、本件譲渡土地の売買代金2億4000万円を収入金額とし、Cに対して支払った本件土地の売買代金のうち本件譲渡土地の地積分に相当する1億6265万円及びこの差額の5パーセントに相当する金額386万円の合計額1億6651万円を取得費の額とし、譲渡費用の額を2140万円とした上で、分離課税の長期譲渡所得金額を2209万円、また居住用財産の譲渡所得の特別控除(租税特別措置法35条)の額を3000万円として、申告納税額を428万1200円とする確定申告をした(甲2、3)。
なお、上記確定申告について、原告が、被告から平成9年3月14日に交付を受けた被告作成のメモ(甲2)に従い、原告が自ら上記確定申告をした(甲2、7、原告本人、被告本人)。
(5) しかし、武蔵野税務署長は、平成10年6月30日、本件譲渡土地の譲渡所得は、分離課税の長期譲渡所得ではなく、分離課税の短期譲渡所得であり、居住用財産の譲渡所得の特別控除は適用されないとして、納付すべき所得税額を2412万5200円とする更正処分をし、併せて税額を276万2000円とする過少申告加算税賦課決定処分をした。
(6) その後、原告は、上記武蔵野税務署長による更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分の取消しを求める訴訟を東京地方裁判所に対し提起したが(平成12年(行ウ)第191号、本件税務訴訟)、平成15年12月12日、同裁判所は、本件譲渡土地の譲渡所得について、分離課税の長期譲渡所得には当たらず、また居住用財産の譲渡所得の特別控除は適用されないとしたものの、納付すべき所得税額998万8500円及び過少申告加算税額64万1000円として、更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分の一部を取り消す旨の判決をした(甲5)。
2 争点
(1) 税理士である被告との間の税務相談の委任契約の成否
(2) 善管注意義務違反又は過失の有無
(3) 損害
3 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)について
(原告の主張)
原告にとって本件譲渡土地の譲渡所得の額から税金等を差し引いた残額がいくらになるかが重要であったから、原告は、和解をする上で、その後に発生する課税問題についても適切な指導及び助言を受けたいという意思を有していた。
被告は、税理士としても登録しているところ、本件和解成立後に発生する課税問題について、他の税理士に相談したり、原告に対し他の税理士に相談するように勧めたりせずに、本件譲渡土地の譲渡所得が分離課税の長期譲渡所得であり、かつ居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用があると自ら判断して税額を算出し、原告に対し本件和解成立前にこれを説明した。
したがって、被告には本件和解に関する税務相談を受任する意思があったのであり、原告と被告との間で、本件和解に関する税務相談について、少なくとも黙示の委任契約が成立した。
(2) 争点(2)について
(原告の主張)
ア 弁護士は、善管注意義務の内容として、委任者に対し、和解に際し、和解成立後に発生する課税問題について、十分に検討し、適切に判断して、和解を成立させる義務並びに委任者が紛争解決について適切な自己決定をすることができるように、適切な説明及び助言を行う義務を負担している。
イ また、税理士は、委任者に対し、税務に関する法令等の解釈適用を正しく行って指導及び助言をするという善管注意義務を負担している。
ウ そして、分離課税の長期譲渡所得(所得税20パーセント、住民税6パーセント)と分離課税の短期譲渡所得(所得税40パーセント、住民税12パーセント)とでは税率が大きく異なるため、長期譲渡所得か短期譲渡所得かの判断は重要であり、また居住用財産の譲渡所得の特別控除の適否も委任者にとって重要な問題であるから、被告は、本件譲渡土地の譲渡所得について、これが長期譲渡所得に該当し、居住用財産の譲渡所得の特別控除が適用されると判断する際には、適切に判断することができるように充分な調査をし、自ら適切に判断することができない場合には、税務署への問い合わせ及び他の税理士への相談をしたり、原告に対し他の税理士に相談するように勧めたりするべきであった。
しかし、被告はこれらの行為をすることなく、本件譲渡土地の譲渡所得について、これが分離課税の長期譲渡所得に該当し、しかも居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用があるとの誤った判断を原告に対して示して、原告はその判断に基づいて、本件和解を成立させた。
したがって、被告は原告に対して委任契約に基づいて負担している弁護士及び税理士としての善管注意義務に違反したのであり、このことは同時に被告の不法行為責任を基礎づける過失に当たる。
エ 本件譲渡土地の譲渡所得について、これが分離課税の長期譲渡所得であり、かつ居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用があるとしても、本件和解成立後に原告が実際に取得する税金等を控除した残額はあまりないのであるから、2412万5200円の税金を支払うことは原告には不可能であった。したがって、原告は、原告が本件和解成立後に支払うべき税金の金額が2412万5200円であることが分かっていれば、本件和解を成立させることに同意しなかった。
被告は、原告に対し、原告が本件和解成立後に支払うべき税金の金額について2412万5200円であるとの適切な説明及び助言を行わず、原告の意向とは異なる内容の和解を成立させたのであり、適切な説明及び助言を行う義務に違反し、弁護士としての善管注意義務に違反したのであって、被告には被告の不法行為責任を基礎づける過失がある。
(被告の主張)
委任者にとって訴訟上の和解に関する最重要点は紛争の解決であるから、被告は、具体的な税金額を前提として、本件和解を成立させたわけではない。
本件和解が成立する前において、立退料として、原告が8000万円程度を希望したのに対し、Cが2000万円程度を提示したが、最終的には原告の希望に近い内容の本件和解が成立した。また、原告がCから本件土地を買い取り、Cがその売買代金で平成8年5月31日に相続税を納付する必要があった。以上の状況のもとにおいては、税金額の多寡により和解条項を修正する余地はなく、本件和解による解決しかなかった。
したがって、被告は善管注意義務に違反していないし、被告には被告の不法行為を基礎づける過失はない。
(3) 争点(3)について
(原告の主張)
ア 税金相当額2260万6000円
原告の確定申告額は、428万1200円である。これに対して、武蔵野税務署長は、納付すべき所得税額を2412万5200円、過少申告加算税額を276万2000円とし、合計すると2688万7200円である。したがって、原告の確定申告額との差額は2260万6000円であり、原告は同額の損害を被った。
なお、本件税務訴訟の第1審判決は納付すべき所得税額を998万8500円とした。したがって、原告は、前記2688万7200円から998万8500円を差し引いた1689万8700円の損害を被った。
イ 本件税務訴訟の費用
(ア) 印紙代及び郵券代が11万5000円である。
(イ) 公認会計士吉田寛の意見書を証拠として提出したが、この意見書の作成に対する報酬は30万円である。
(ウ) 弁護士費用は、122万300円である(着手金)。
ウ 本件訴訟の弁護士費用
本件訴訟の弁護士費用は、70万円である。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)について
(1) 前記争いのない事実等記載のとおり、被告は税理士の資格を有する弁護士であるところ、原告の委任を受けて、基本事件の訴訟代理人として、訴訟行為を行ったこと、その過程において本件和解に至ったこと、原告は本件土地のうちの30坪の土地、その土地上の建物の建築資金及びその他1000万円を取得したいとの希望を有していたことが認められ、また証拠(甲6、原告本人、被告本人)によれば、被告は、原告に対し、本件和解成立前に、本件譲渡土地の譲渡所得が分離課税の長期譲渡所得であると判断し、本件譲渡土地の譲渡所得が分離課税の長期譲渡所得であること及びおよその税額を説明していたことが認められる。
(2) そうすると、被告は、本件和解の過程において、訴訟代理人として、原告の希望を実現するためには、どの程度の税負担を前提とすればよいのかについて、被告の税理士としての知識をいかして計算して、その結果を原告に対し説明し、その上で和解に至ったものということができる。そうであれば、上記税額の説明等は、基本事件の訴訟活動に付随してなされたということができるのであって、改めて税務に関して相談する業務を原告から委任されたといった性質のものであると評価することはできない。
そして、原告において和解成立後に発生する課税問題について被告による指導等が必要であると感じたとしても、そのことから新たに税理士との間の税務相談の委任関係を締結する意思があったということもできない。
したがって、税理士である被告との間の税務相談の委任契約が締結されたとの原告の主張には理由がない。
2 争点(2)について
(1) 弁護士は、委任者に対し、善管注意義務を負担しているのであるから、委任者に対し、善管注意義務の内容として、和解を成立させる際には、当該紛争を処理するのに必要な限度で、課税問題について適切に判断し、自ら適切に判断することができない場合には税理士等に相談する等して、委任者に対し適切な判断をすることができるように情報を提供すべき義務を負担しているというべきである。
(2) これを本件についてみると、本件譲渡土地の譲渡所得の課税問題について、弁護士としては適切な判断をすることができない場合であって、税理士等の専門家に相談するなどすべきであったとしても、被告は税理士としての資格を有し、税理士登録をしているのであるから、専門家としての意見を聴取したものと評価できるのであり、その意味において、専門家に相談するなどすべき義務を履行しているということになり、被告に善管注意義務違反はない。
また、原告は、弁護士には課税問題について自ら適切に判断することができない場合には税務署にも相談すべき義務があると主張するが、確定申告以前において、税務署が個別事案についての具体的な申告内容の適否についてまで判断することができるものとはいえないから、そのような義務があるものとはいえない。
(3) なお、原告が、被告作成のメモ(甲2)に従って、確定申告をしたこと、同メモは、本件譲渡土地の譲渡所得について、これが分離課税の長期譲渡所得であること及び居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用があることを前提に作成されていることは前記争いのない事実等記載のとおりであるが、本件譲渡土地の譲渡所得が分離課税の長期譲渡所得に当たらず、短期譲渡所得に当たるとしても、その取得費の認定によっては短期譲渡所得であっても損失が計上されることもあるのであって(甲5)、事実認定及び見解の相違によって、譲渡所得の額に差が生じ、そのため納付すべき税金の額に差が生じることになることからすると、本件譲渡土地の譲渡所得について、これが分離課税の長期譲渡所得には当たらず、また居住用財産の譲渡所得の特別控除の適用がないと判断されたとしても、これをもって直ちに被告が原告に対しメモを作成して交付した行為が違法であると評価することもできない。
(4) したがって、被告に、弁護士としての善管注意義務違反があったということはできず、また被告の不法行為を基礎づける過失があったということはできない。
3 結論
以上のとおりであるから、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求には理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・遠山廣直、裁判官・中久保朱美、裁判官・後藤英時郎)