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東京地方裁判所 平成16年(ワ)22545号 判決 2005年11月30日

原告

有限会社X商事

代表者取締役

甲野太郎

訴訟代理人弁護士

宮本智

被告

乙山春子

訴訟代理人弁護士

千葉隆一

被告

丙川夏子

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  被告乙山春子(以下「被告乙山」という。)は,原告に対し,153万円及びこれに対する平成16年11月8日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告丙川夏子(以下「被告丙川」という。)は,原告に対し,49万円及びこれに対する同月7日(前同)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,原告が被告らに対して金銭消費貸借契約に基づく貸金の返還をそれぞれ求めたところ,被告らが,同契約の不成立又は無効を主張して,これを争った事案である。

1  前提となる事実(甲1ないし9及び丙1によって認定した事実)

(1)  原告は,平成15年11月当時,肩書地(いわゆる吉原)において,ソープランド「クラブ・A」(以下「本件店舗」という。)を経営していた。

(2)  被告らは,その当時,立川市内のホストクラブに客として頻繁に通っており,同クラブに対する未払の遊興費として,被告乙山において約150万円,被告丙川において約50万円の各返済債務を負っており,同クラブから,再三にわたりその返済を強く求められていた。

(3)  被告らは,ホストクラブのホストの丁木秋男(以下「丁木」という。)から,風俗店で働いてでも前記債務を返済するよう求められたため,その返済に窮し,同月1日,本件店舗に出向いた上で,原告に対し,ソープ嬢として稼働する期間の給料の前借りを求め,翌2日,原告から,本件店舗のソープ嬢として雇用された。

(4)  この雇用に当たり,前同日,原告から,被告乙山は,現金150万円を,被告丙川は,現金50万円を,それぞれいったん手渡されたが,これらの現金合計200万円は,その場に同席した丁木がすべて持ち帰り,ホストクラブに対する前記債務の返済等に充てられた。

(5)  その際,被告らは,原告の求めに応じ,原告の出金伝票の支払先欄にそれぞれ自己の氏名を記載したが,被告乙山用の出金伝票には,借入金155万円及び手数料5万円の合計160万円との記載があり,また,被告丙川用の出金伝票には,借入金50万円及び手数料5万円の合計55万円との記載がある。

(6)  被告らは,同月2日以降,本件店舗内の客用個室に泊まり込み,同月4日から,ソープ嬢として客との間で売春を行った。

なお,同月6日午後,被告らは,本件店舗が警察による強制捜査を受けたことにより,同店舗を出た。

2  争点

(1)  本件消費貸借契約の成否

(原告の主張)

原告は,平成15年11月2日,前記出金伝票のとおり,被告乙山に対して160万円を,被告丙川に対して55万円を,いずれも,弁済期を平成16年6月末日とする約定で,貸し付けた(以下「本件消費貸借契約」という。)。

原告は,その後,被告乙山から合計7万円,被告丙川から合計6万円の各返済を受けたので,本訴において,貸金の残金の支払を求める。

(被告らの反論)

被告らは,原告から金銭の交付を受けたことはなく,金銭消費貸借契約の要物性を欠くから,本件消費貸借契約は成立していない。

(2)  公序良俗違反の有無

(被告らの主張)

仮に本件消費貸借契約が成立していたとしても,被告らは,ホストクラブのホストによって無理やり本件店舗に連れて行かれ,同クラブへの返済に充てる目的で原告から前借りした金員を返済するために,軟禁状態下で売春をさせられることになったものであるから,そうした事情のもとで締結された本件消費貸借契約は,売春防止法9条(前貸し等の禁止)に違反し,公序良俗に反するから,無効であり,原告が本訴において被告らに対して貸金の返還を求めることは,人身売買の代金の返還を求めることにほかならず,許されない。

(原告の反論)

被告らは,自己の欲望に従ってホストと遊興し,その費用の返済に窮したあげく,自己の自由な判断により,原告から前借りをしてソープ嬢として稼働することを決めたのであり,しかも,原告は,面接の結果,被告らをソープ嬢としては不適切と判断し,いったん採用を断ったにもかかわらず,被告らが重ねてソープ嬢としての採用と前借りを懇願してきたため,やむなくこれに応じたのである。また,本件消費貸借契約の締結と警察による強制捜査の結果,原告は売春防止法違反の罪により起訴され,廃業を余儀なくされたのに対し,被告らは,ホストクラブへの返済を終えることができたにもかかわらず,原告に対する貸金の返還を平然と免れようとしているのである。

これらの事情からすれば,本件消費貸借契約は公序良俗に反するものではなく,むしろ,被告らの行動こそ無責任極まりなく,被告らが公序良俗違反を主張すること自体,権利の濫用に当たり,許されない。

第3  争点に対する判断

1  本件消費貸借契約の成否について

前記「前提となる事実」において判示したとおり,被告らは,平成15年11月2日,ホストクラブへの返済資金に充てる目的で,ソープ嬢として稼働する期間の給料の前借りを求め,原告から,被告乙山において現金150万円を,被告丙川において現金50万円を,それぞれいったん手渡され(この点は,甲2(被告乙山の供述調書)の26頁及び甲5(丁木の供述調書)の7頁から明らかである。),前記出金伝票の記載にも応じたものである上,証拠(甲2ないし4)によれば,これに先立つ面接の際に,原告と被告らとの間では,被告らがソープ嬢として働いてこれらの金員を返済するまでには半年を要する旨の話が出ていたことが認められ,これによれば,その弁済期については,約半年後の平成16年6月末日とする旨の合意があったものということができる。

以上によれば,原告主張のとおり,本件消費貸借契約の成立を認めることができる。

この点について,被告らは,本件消費貸借契約は,要物性を欠く旨主張するが,前記のとおり,被告らは,これらの金員をその場ですべて丁木に持ち帰られたにせよ,いったん原告から交付を受けたものといわざるを得ないから,要物性に欠けるところはなく,この点に関する被告らの主張は採用できない。

2  公序良俗違反の有無について

証拠(甲1ないし3)によれば,原告では,ソープランドの経営に当たり,面識のないソープ嬢を雇用して前貸しをする場合には,当分の間,本件店舗内の客用個室に宿泊させ,無断の外出,外泊を禁止して,ソープ嬢の稼働を確保し,前貸し金の返済が未了のうちに逃亡されることがないようにしていたこと,そして,被告らも,それぞれ,原告から,同旨の説明を受けた上で,平成15年11月2日以降,ソープ嬢として雇用された上,本件店舗内の客用個室に泊まり込み,同月4日から6日までの間,同店舗において,売春を行ったことが認められる。

この認定事実とこれまでに判示した事実を総合して考えると,原告は,被告らをソープ嬢として雇用するに当たり,被告らの強い要望に応じたものであったとはいえ,被告らに対する前貸し金の返済を確保するため,被告らを自己の管理下に置いた上で継続的に客との間で売春をさせ,これによって自ら利益を上げるとともに,前貸し金についても,被告らに対して支払う給料によって返済を受けることを企図したものと認められる。

いうまでもなく,売春は,人としての尊厳を害し,性道徳に反し,社会の善良風俗をみだすものであるから,売春を助長することになるような金員の前貸しは,売春防止法9条において刑罰をもって禁止されているところである。

本件消費貸借契約は,前記のとおり,ソープ嬢としての雇用に当たっての前貸しとして締結されたものであり,その返済は,被告らが原告の管理下においてソープ嬢として売春を継続して行うことによってされることが予定されていたものであるから,そのような趣旨,目的のもとに,売春によって得た収入をもって返済がされることを前提として締結された本件消費貸借契約は,売春の助長につながり,公序良俗に違反するといわなければならない。

たしかに,本件において,被告らは,自己の遊興費の返済に窮した結果,原告から前借りを受ける一方で,ソープ嬢として稼働し,その収入をもって返済すること自体については,自ら納得して決めたものであり,この前借りによって,ホストクラブに対する返済債務を免れたことは,原告の指摘するとおりであり,そのほか,本件消費貸借契約が無利息であったことなどからすれば,被告らにとっては,ソープ嬢として稼働することに伴って経済的な損失を被ることはなかったといえるものの,やはり,前記のような事情のもとで締結された本件消費貸借契約は,返済が終了するまでの間において,原告の管理下での売春を余儀なくするものであり,その間における被告らの性的自由を侵害し,束縛するものであるから,公序良俗に違反し,無効であるというほかない。

3  よって,本件消費貸借契約に基づく原告の本訴請求は理由がない。

(裁判官・安浪亮介)

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