東京地方裁判所 平成16年(ワ)24887号 判決 2006年5月15日
原告
有限会社工藤
代表者代表取締役
工藤清太
訴訟代理人弁護士
大川宏
同
福山洋子
被告
株式会社 GMフーズ
代表者代表取締役
福原徹
訴訟代理人弁護士
神田孝
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を明け渡せ。
二 被告は、原告に対し、平成一六年一一月三日から本件建物明渡済みまで一か月五三万〇二五〇円の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要
一 本件は、原被告間において、原告が被告に本件建物を貸し渡す旨の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)が締結されていたところ、被告において商号、役員、本店所在地を変更し、全株式が譲渡されたことが、賃借権の無断譲渡に当たるとして、原告が本件賃貸借契約を解除し、本件賃貸借の終了に基づき、被告に対し、本件建物の明渡し及び解除日以降の賃料及び共益費相当損害金の支払を求めた事案である。
二 争いのない事実等(証拠等により容易に認定できる事実については、末尾に証拠等を記載した。)
(1) 原告は、本件建物の所有者であり、被告は、ラーメンを中心とした飲食店を関東一円でチェーン展開する者であり、本件建物「天下一」の店名でラーメン・中華料理店を営業し、これを占有している。
(2) 原告は、被告との間で、平成一四年七月一日、目的を中華料理業、期間を平成一四年七月一日から平成一七年六月三〇日までの三年間、賃料を月額五二万五〇〇〇円(内消費税二万五〇〇〇円)、共益費を五二五〇円(内消費税二五〇円)、敷金二五〇〇万円として本件賃貸借契約を締結した。なお、本件賃貸借契約書の第七条二号には、
「下記の場合には、甲(貸主)は、何らの催告を要しないで直ちに本契約を解除して乙(借主)に対して明渡を求めることが出来る。
2) 賃借物件の一部又は全部につき、賃借権の譲渡、転貸をした場合。乙が他の債務により破産宣告、強制執行を受けた場合、株券譲渡、商号、役員変更等による脱法的無断賃借権の譲渡、転貸の場合を含む。」
との記載(以下「本件特約条項」という。)がある。
(3) 被告は、平成一六年七月三〇日、商号をヒサモト商事株式会社から株式会社GMフーズに変更し、全役員及び本店所在地も変更し、同年八月二六日、それぞれその旨の登記を経由した。また、そのころ、訴外株式会社ゼンショー(以下「ゼンショー」という。)は、被告の全株式を取得し、同年九月中旬ころ、「オーナー様各位」と題する文書にて、原告に対し、「ヒサモト商事株式会社より一〇〇%株式を取得し、七月三一日から弊社が運営」する「今後、弊社の一〇〇%子会社である株式会社GMフーズが運営会社として担当する」旨を通知した(以下「本件通知」という。)
(4) 原告は、被告に対し、平成一六年一一月一日付け内容証明郵便により、無断賃借権の譲渡があったとして、本件特約条項に基づき、本件賃貸借契約の解除通知(甲五の一、二。以下「本件解除」という。)を発し、同通知は同月二日、被告に到達した。
三 争点及びこれに対する当事者の主張
賃借権の無断譲渡を理由とする本件解除の効力
(原告の主張)
ゼンショーによる被告の買収は、形式的にはゼンショーの子会社である被告が法人格を引き継いでいるかのような外見を保ってはいるが、実質は別法人であるゼンショーに会社の実権は移転しており、全体として法人格の変更があったと見るべき事案であるので、脱法的賃借権の譲渡に該当する。なお、本件通知の直後に、ゼンショー又は被告側から、本件賃貸借の仲介担当会社に、社名変更の承諾ではなく、賃借人変更についての承諾を求める申し入れがされており、ゼンショー及び被告側も本件事案が賃貸人の承諾を得る必要があるとの認識を有していたことは明らかである。
本件においては、賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情は存在しない。本件建物においては、原告代表者とそこで営業されているラーメン・中華料理店の店長らは顔なじみの存在であり、良好な信頼関係を築いてきたが、ゼンショーによる買収後は、店長をはじめ従業員らはパート労働者一名を除きすべて交代となっており、ゴミの廃棄や排気に関しても従前までと異なり気配りが認められず、例えば、店舗からの排水管からの臭気により周囲にゴキブリが大量に湧くような状態となっている。こうしたこともゼンショーに被告の経営の実権が移行したことで営業方法や経営方針が利潤追求に大きく変化したことに起因するものであり、このような状況を引き起こしている以上、被告の背信行為は存在するというべきである。しかも本件解除は、民法六一二条に加えて本件特約条項をその根拠としているのであるから、このような場合まで上記特段の事情があるとして解除権を否定することは、あまりに賃貸人の利益を害することになる。
(被告の主張)
前記二(3)記載の事実をもって賃借権の譲渡に当たるということはできない。すなわち、被告は、M&Aによりゼンショーに全株式を取得され、商号、役員等が変更された後も、定款の目的・資本の額は従来と同一であり、経営の建て直しのために旧経営陣が退陣となったものにすぎず、法人格の変更をもたらすものではない。被告の法人格は、財務面、財産面、法律関係いずれにおいてもゼンショーの法人格とは独立しており、混同や形骸化は生じていない。また、ゼンショーは東証一部上場企業であり、同社による被告の買収により、被告の財務状況は好転こそすれ悪化するものではなく、被告の業務内容も従来から変更はなく、本件建物においても、従前と同様の店名によりラーメン・中華料理店を営業しており、建物の使用形態もまったく同一である。本件特約条項を合理的に解釈すれば、法人格の同一性が失われたか否かを問うことなく、単に株券譲渡、商号や役員の変更等の形式的な変更を脱法的無断賃借権の譲渡、転貸に当たるとするものと解すべきではないから、本件特約条項に基づき無断賃借権の譲渡があったとして、本件賃貸借契約を解除することは許されない。仮にこのような場合にも解除が許されるものとして本件特約条項が存在するというのであれば、本件特約条項は、定型的な雛形に記載されていたものにすぎないことを考え合わせても、当事者間の意思の合致を欠くものというほかなく、無効というべきものである。
なお、仮に前記二(3)記載の事実が賃借権の譲渡に当たるとしても、賃借人の無断譲渡行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情のあるときは賃貸人に解除権は発生しないと解すべきところ、本件においては、上記の事情及び本件通知により原告に対し株式買収の経緯を説明していること、賃料の支払いが遅延したこともないこと、店舗の使用に際しても近隣住民に迷惑をかけないように注意を払っていること、もともと本件賃貸借契約は原告代表者と被告旧代表者との特別な信頼関係に基づき締結されたものではないことに照らせば、賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情が認められるというべきである。
さらに、原告は、株式会社を賃借人として本件賃貸借契約を締結している以上、株式の譲渡や経営者の変更があり得ることは認識しているものであり、たまたま被告の株式が買収されたことを理由として本件解除を主張することは権利の濫用に当たる。
第三争点に対する判断
一 《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。
被告においては、従前、ヒサモト商事株式会社を商号にして、横山一族が株式及び経営の実権を握っていたところ、原告は、その当時、株式会社ベルホームを仲介業者として被告と本件賃貸借契約を締結することとしたが、原告代表者と横山一族の間にそれ以前に特別の信頼関係が存していたわけではなく、原告代表者は、本件賃貸借契約の際に被告の旧代表者である横山久雄と初めて会った。その後、本件通知の前後にM&Aにより東証一部上場企業であり、多くの外食チェーン店をその傘下に有するゼンショーが被告の全株式を取得し、被告を子会社化したところ、本件建物においては、店長をはじめ大部分の従業員は交代となったが、従前どおりの店名の下でラーメン・中華料理店が経営されており、その使用形態は従前とほぼ同様である。本件賃貸借における賃料(ないし賃料相当金)は、上記M&A後も遅れることなく、原告に対し送金されている。
二 以上の事実及び前記第二の二記載の争いのない事実等に照らせば、被告は、本件建物の賃借権をゼンショーに売却等したのではなく、被告の全株式がゼンショーに買収されたことにより、商号や代表者等が変更されることになったのにすぎないものと認められるところ、賃借人である法人の構成員や機関等に変動が生じても、法人格の同一性が失われるものではない。また、原告が主張するようにゼンショーによるM&Aにより被告の法人格が形骸化し、ゼンショーの法人格と同一視されるべきに至っていると認めるに足りる証拠は見当たらない。したがって、このような状況をとらえて、賃借権の譲渡があったものと認めることは相当ではない。
なお、原告は、本件通知がゼンショー名義で出されており、その中に「七月三一日から弊社が運営させて頂いております」、「今後、弊社の一〇〇%子会社である株式会社GMフーズが運営会社として担当する」との記載があることをもって、本件建物における営業もゼンショーが行っていることを裏付けるものである旨主張する。確かに本件通知は、上記記載に加え、株式会社GMフーズの概要として「設立年月日平成一六年七月三〇日」と記載されているなど、登記簿上の記載等とは異なる記載が散見され、このような本件通知の記載ぶりは、被告がヒサモト商事株式会社の商号等を変更して現在に至っている事実と合致し難いものである。しかし、逆に言えば、被告がヒサモト商事株式会社の商号等を平成一六年七月三〇日に変更し、同年八月二六日にその旨の登記がされていることは争いのない事実であり、本件通知が発出された同年九月時には、本件通知作成担当者の認識にかかわらず、株式会社GMフーズが新会社を設立したものではなく、被告の商号を変更したものにすぎないことは確定していたのであるから、上記記載ぶりは、本件通知作成担当者が法的な組織形態や経営主体の概念を十分に認識していなかったために、誤って記載されたものというほかない。担当者の誤解により本件通知の記載ぶりに正確性を欠く部分があることを認める被告代表者の供述もこのような認定と整合するものといえる。したがって、上記記載ぶりをもって、本件建物における営業をゼンショーが行っているものと認めることはできないし、仮に原告が主張するように、被告側が本件賃貸借の仲介担当会社に、社名変更の承諾ではなく、賃借人変更についての承諾を求める申し入れをした事実があるとしても、それをもって上記結論を左右するものではない。
次に、原告は、本件特約条項において、賃借権の譲渡、転貸をした場合には貸主に無催告解除権が生じるところ、この場合の賃借権の譲渡、転貸には、株券譲渡、商号、役員変更等による脱法的無断賃借権の譲渡、転貸の場合を含むとされていることを指摘して、本件においても、株券譲渡、商号、役員変更等がされており、本件特約条項が定めるところの脱法的無断賃借権の譲渡に当たるものである旨主張する。
しかしながら、本件特約条項は、その文言上も、借主における株券譲渡、商号、役員変更等が直ちに賃借権の譲渡に当たると規定しているものではなく、このような手段による脱法的無断賃借権の譲渡が賃借権の譲渡に含まれる旨を記載しているにすぎない。また、実質的にみても、建物賃貸借関係においては、賃料の支払いの下に建物の使用を認めるものであるから、賃料の支払いの確実性と建物使用の態様が重視されるべき要素となるところ、本件においては、賃料の支払状況に変動はなく、将来の賃料支払の確実性についても、前述のようにゼンショーが東証一部上場企業であることに照らせば、確実性が高まりこそすれ、低くなることは考え難い。建物使用の態様についても、従前と同一の店名でラーメン・中華料理店を営業しているものと認められ、店長をはじめ従業員の大部分において交代が生じたとしても、もともと営業を目的として法人に店舗の賃貸をしている以上、従業員の交代等は借主の都合により当然に許容されるべきものであり、これをもって建物使用の態様に変更が生じたものと認めることもできず、他に使用形態自体に変更があることを認めるに足りる証拠はない。さらに、ゼンショーによる被告買収の主たる目的が承諾料等を支払うことなく、本件賃貸借による賃借権を取得することにあるものと認めることはできず、経営実権に変動が生じた借主が本件建物を賃借することになったとしても、それは、被告の法人組織全体がM&Aを受けたことにより、結果的に生じたものにすぎず、このような一連の流れにおいて被告の脱法的な意思の存在を窺わせるに足りる証拠もない。
以上の事情を総合すれば、本件における被告の株券譲渡、商号、役員変更等が本件特約条項が規定する脱法的無断賃借権の譲渡に当たると解することはできない。
三 したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告による、本件賃借権の無断譲渡を理由とする本件解除に基づく本件建物明渡等の請求はいずれも理由がない(なお付言するに、原告は、本件解除が信頼関係破壊を理由とする解除である旨を主張しておらず、甲第五号証の二の文言に照らせば、その旨認めることも困難ではあるが、いずれにしても、原告が、賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情は存在しないとして主張するゴミの廃棄や排気に関する事情については、そのような事実の発生やそれらが被告の営業によるものであることを断定するに足りる証拠はなく、また、それらをもって解除を可能とする信頼関係破壊行為に当たると評価することも相当でない。)。
(裁判官 菅野雅之)
<以下省略>