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東京地方裁判所 平成16年(ワ)4891号 判決 2005年3月04日

東京都<以下省略>

原告

同訴訟代理人弁護士

荒井哲朗

東京都新宿区<以下省略>

被告

株式会社シーアンドピーインデックス

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

深澤信夫

主文

1  被告は,原告に対し,金1584万2362円及びこれに対する平成15年9月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを10分し,その1を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。

4  この判決は,第1項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,金1760万2385円及びこれに対する平成15年9月2日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,年金収入により,都営住宅で一人暮らしをする高齢者である原告が,被告から海外商品先物オプション取引(以下「本件オプション取引」という。)の勧誘を受け,勧誘から取引終了に至るまでの間の一連の不法行為により損害を被ったと主張して,受託会社である被告に対し,民法709条又は715条に基づき損害の賠償を求めた事件である。

1  前提となる事実(争いのない事実及び証拠により認められる事実)

(1)  当事者等

ア 原告

(ア) 原告は,大正13年○月○日に新潟県で生まれ,尋常小学校を卒業した後,女工,旅館の接客婦などとして稼働していたが,昭和40年ころ,亡夫と婚姻して,上京し,清掃婦として働くようになった。原告の夫は傷痍軍人で,平成2年3月13日に他界したが,当時,夫婦の給料と恩給を貯蓄した,5000万円ほどの預貯金があった。70歳になる平成7年頃,原告は,清掃婦のパートもやめ,無職となり,以後は厚生年金と国民年金の合計2か月あたり20万円と,恩給年4回1回当たり40万円弱を受給して,住所地の都営住宅に一人暮らしをしている(甲2)。

(イ) 原告は,夫の死後,訪問販売業者から高額な寝具,浄水器,着物などを次々と購入し,本件オプション取引開始時点である平成14年7月時点では,預貯金は1500万円程度にまで減少していた。そして,その他,不動産,有価証券等の資産はない(甲2,原告本人)。

(ウ) 原告は,夫の死後,野村證券と2年ほど取引をしたことはあるが,その内容は定かでなく,他に,本件オプション取引以前に,商品先物,先物オプション取引などの投機行為の経験はない(甲2,原告本人)。

イ 被告

被告は,米国商品取引所に上場する穀類,砂糖,金,銀,原油等の先物オプション取引における受託業務などを行っている株式会社である(争いがない)。

(2)  取引経過

原告は,被告従業員の勧誘によって,別紙「売買経過表(時系列)」記載のとおり,平成14年7月3日から平成15年9月2日までの間,海外先物オプション取引を行い(以下,「本件取引」という),これによって原告は1600万2385円の損失を計上した(争いがない)。

(3)  オプション取引について

オプション取引とは,原資産を予め定められた価格で買う権利または売る権利を売買する取引であり,買う権利を「コール・オプション」,売る権利を「プット・オプション」,予め定められた価格を「ストライクプライス」,オプションを買い付ける際のオプションの価格を「プレミアム」という。

コール・オプションの保有者は,原資産を特定の期日までの任意の時点に,ストライクプライスで,一定数量を購入する権利が与えられる。プット・オプションの保有者は,原資産を特定の期日までの任意の時点に,ストライクプライスで,一定数量を売却する権利が与えられる。

オプションの買い手(バイヤー)は,オプションの売り手(グランダー)に対し,対象商品の売買の履行を請求する「権利」を保有しているが,「義務」はないので,自己に不利な場合には,オプションを放棄して権利行使を行わないこともできる。その意味で,損失は,オプションの購入価格に限定されていると言える。しかしながら,プレミアム価格は,例えばコールオプションの場合,ストライクプライス以上の領域で商品が値上がりする可能性に付される経済的価値と,現在の商品価格からストライクプライスを差し引いた差額分をもって構成されるところ,商品価格がストライクプライスを下回る場合には,商品価格が期限までにストライクプライスに達する見込が無くなった時点で,プレミアム価格はゼロとなる。一方,商品価格がストライクプライスを上回る場合であっても,時間の経過と共に値上がりの可能性は失われ,値上がりの可能性に付される経済的価値分は,時間の経過と共に下落するので,その下落を超える商品価格の上昇が無いと,プレミアム価格は下落する。したがって,大局的に見ると,オプション取引は,プレミアム価格がゼロになったり,値下がりする危険性の高い,ハイリスクな取引であると言える。

特に,海外市場における先物オプション取引は,我が国では取引量自体少なく,一般投資家のみならず,機関投資家,業者にとってもなじみの薄い取引である上,一般の取引上の常識からすると理解が困難と思われる抽象的・技術的概念も多く,その仕組み自体,非常に複雑であって,一般人には容易にこれを理解することが困難である。

また,オプション取引においてきわめて重要な価格変動要因である予想変動率(ボラティリティ)はもちろん,オプション価格すら新聞等の一般の公刊物には掲載されておらず,一般消費者が相場判断に大きな影響を及ばすべき情報,資料を入手することはきわめて困難である。

さらに,オプション取引においては,購入者は受託者に手数料を支払わなければならず,その手数料は高率なものとなっていることが多いため,これを超えて利益を出す可能性は限られていると言える(弁論の全趣旨)。

2  争点

(1)  被告の勧誘行為及び取引行為の違法性

ア 原告の主張

本件における先物オプション取引委託基本契約の締結,同契約に基づく具体的なオプション取引の勧誘,受注,執行,そして取引の終了という一連の過程を全体的に考察すると,被告及び被告従業員らの勧誘及び取引行為は,一体として不法行為を構成する。

(ア) 適合性原則違反

海外先物オプション取引のような金融商品について,一般消費者に対して購入を勧誘する者は,被勧誘者が,勧誘しようとしている金融商品の性質に照らして十分な知識,情報,判断・分析能力,経験,財産を有しているかを十分に調査すべきであり(顧客熟知義務),これが十分でない場合には,勧誘自体をしてはならない(適合性原則)。

先物オプション取引の危険性,取引の仕組み自体の複雑性,理解困難性,先物オプション商品の価格変動要因の多様性,価格変動に関わる情報の入手困難性,情報源の多様性,情報選択の困難性,情報分析の困難性等からすれば,オプション取引をするに足りる適格を備えるのは,十分な資金力と投資経験を有し,オプション取引についての深い知識と理解を有する者に限るべきである。

しかるに,原告は,年金収入で都営住宅に一人暮らしをする高齢者であって,老後の資金として,1500万円程度の預貯金を有していたに過ぎず,現在に至るも,「プット」と「コール」の意味さえ理解していない。したがって,その知識経験が,海外市場における商品先物オプション取引をするに足りないことは明らかである。

したがって,被告従業員による原告に対する勧誘,取引の受託は適合性原則に違反し,不法行為を構成する。

(イ) 説明義務違反

海外先物オプション取引に存在する仕組み自体の複雑性,情報収集の困難性,高度の危険性等からすれば,海外先物オプション取引を勧誘する者は,取引の勧誘にあたって,海外先物オプションの仕組み,危険性,オプション価格変動要因,その資料の入手方法,分析方法等について,被勧誘者の理解力に応じて,具体的な説明を尽くす義務があり,特に,リスクについては,一般に利益が出る確率が低い取引であるということを,過去の取引実績を開示するなどして,具体的かつ明確に説明することが不可欠であって,これを怠った場合には,不法行為を構成する。

しかるに,被告の従業員らは,それぞれ,上記事項について,全く説明することなく,熟慮の期間を与えることもなく取引を開始させたものであり,原告に,何を取引するのかさえ説明しておらず,原告に対する説明義務を懈怠している。

(ウ) 新規委託者保護義務違反

一般的に,投機投資取引の勧誘者は,委託者に対し,委託者が真に自己の相場判断に基づく注文をなし得るような知識,経験を蓄積させ,十分な自主的判断がなし得るまでに不測の損害を被らせることのないよう,取引量を抑制するなど,新規委託者保護育成義務を負う。そして,海外市場における先物オプション取引の仕組み自体の複雑性,価格当落についての判断の困難性,高度の投機性からすれば,被告には,かかる義務を遵守することが極めて強く求められる。

しかるに,本件において,被告の従業員らは,原告が,取引の基本的仕組み自体理解できていないことを十分に認識できたにもかかわらず,原告を保護育成すべき注意義務に違反して,原告の知識経験,能力の著しい欠如に乗じて,取引開始当初から,原告に対し,過当な取引を行わせた。

(エ) 無断売買

本件において,原告は,自らしている取引状況を把握することさえできておらず,また,何を取引するのかさえ理解できていなかった。「ORDER TICKET」の記載も,氏名部分をのぞき,予め被告従業員らが決定し,記載していたのであるから,全ての取引が無断売買である。

(オ) 一任売買

本件において,原告は,予め被告従業員らが決定していた内容の「ORDER TICKET」に氏名を記載していたに過ぎず,全ての取引は,少なくとも一任売買である。

(カ) 過当取引

本件のように,高率の手数料が設定されている先物オプション取引の取次においては,受託者は,委託者に最も利益となるよう取引を受託すべきであり,過当な取引を勧誘したり,受託したりしない注意義務がある。

しかるに,本件取引では,わずか14か月のうちに,原告の有していた資産のほとんど全てである1600万円余りが失われ,その全てが被告に対する委託手数料となっており,被告従業員らが,原告の取引に関する知識経験の欠如に乗じ,過当に取引させたことは明らかである。

イ 被告の主張

(ア) 適合性原則違反の主張に対し

原告は,女工,旅館の接客婦として長年働くなど,社会経験が豊富な女性であり,専業主婦とは異なり本件取引をする適合性に欠けるところはない。

また本件取引は,期間内にプレミアムが変動し,ストライクプライスに到達すれば,その分利益が得られるが,到達しなければ支払ったプレミアム分を失う(損をする)という単純な取引であって,決してオプション取引についての深い知識と理解が不可欠というわけではない。

(イ) 説明義務違反の主張に対し

本件取引の内容について,被告の従業員であるB(以下「B」という。),C(以下「C」という。),D(以下「D」という。)らが再三に渡って十分原告に説明した。原告は,被告従業員から説明書類を受け取り,この取引によって損失を被ることがあり得ることも理解していた。

(ウ) 無断売買・一任売買の主張に対し

被告従業員は,週報等で値動き等について情報を提供した上で,原告に適切なアドバイスを行い,原告の意思に基づいて売買を行っていた。

(2)  過失相殺

ア 被告の主張

一般に,商品先物取引等の金融取引は,相場の変動によるリスクを内包しているものであるから,投資家自らが情報を収集し,自らの責任において判断するのが原則である。

したがって,仮に被告が損害賠償責任を負うとしても,原告の過失が大きいことから,7割以上の過失相殺がなされるべきである。

イ 原告の主張

被告は,委託者保護のために課せられている様々な注意義務に違反し,違法な勧誘を行ったものであり,そのような被告が,原告に対し,従業員のセールストークに乗せられるのが悪いと過失相殺を主張する資格はない。

また,被告は,本件取引により,原告の損失を大きく上回る2450万7000円を利得しており,過失相殺をすることは,公平や正義に著しく反する。

(3)  原告の損害額

ア 原告の主張

原告は,被告の不法行為により,次のとおり損害を被った。

(ア) 未返還損金相当損害金 1600万2385円

(イ) 弁護士費用相当損害金 160万円

よって,原告は,被告に対し,上記合計1760万2385円及びこれに対する取引終了日である平成15年9月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

イ 被告の主張

争う。

第3争点に対する判断

1  争点(1)(被告の勧誘行為及び取引行為の違法性)について

(1)  本件取引について,証拠によれば以下の事実が認められる。

ア 被告の営業担当社員であったCは,平成14年6月21日ころ,電話帳を頼りに一定の区域に電話をかけ,本件オプション取引の勧誘をしていたものであるが,同日午後5時ころ,はじめて原告宅に電話をし,原告の身の上話を聞いたり,原告とCの故郷が共に新潟であることなどの世間話をするうち,原告が銀行金利が低率であることに不満を述べたことから,本件オプション取引の勧誘をすることとした(乙116,証人C)。

イ Cは,平成14年7月1日午後1時ころ,原告宅に再度電話をし,翌2日の午後2時ころに原告宅を訪れる約束を交わした(乙116,証人C)。そして,平成14年7月2日,Cは,上司のBと共に原告宅を訪れ,被告のパンフレット等(乙1ないし6)を示しつつ,オプション取引について原告に説明したところ,原告が取引を行う意向を示したことから,同日,原告からオプション取引契約書(乙10),新規口座開設確認書(乙11),通知書(乙12),届出印鑑登録票(乙13)に署名を求め,リスク開示告知書(乙14)を交付して,本件オプション契約を締結した(乙116,証人C)。

ウ この時,Cらは,原告に対し,シミュレーションの図(乙4)を示すなどしながら,オプション取引では,権利の価格が自分が選んだ値段に行けば利益が出るが,損失も生じうる旨,一般的な説明は行ったが(乙116,証人C),原告は,オプション取引,限月,SILVER,CALL,権利行使価格,プレミアムの意味も,オプション取引の仕組みも理解せず,利率の良い預金程度の認識しか有しないまま,本件オプション契約を締結した(甲2,原告本人)。また,原告は,本件オプション取引契約書等に署名,押印し,新規口座開設確認書において「オプション取引の基本的な内容を理解できた」,「オプション取引では元本が保証されないことを知っている」等の項目に丸印を付して署名,押印したが(乙10ないし13,116,証人C),これらはいずれもCに言われるままに記入したものであって,内容については理解していなかった(甲2,原告本人)。

エ Cらは,平成14年7月2日,原告に対し,最初の取引として,シルバーについて権利行使価格600セントのコールオプション10枚と,権利行使価格450セントのプットオプション10枚の買い注文を勧め,原告から各売買伝票に署名を得た。当時,シルバーの価格は,約493セントであり,600セントのコールオプションと450セントのプットオプションは,いずれもハイリスクなオプションであったが,Cらはその旨説明せず,原告も,その内容を理解していなかった(甲2,4,乙15,16,116,証人C)。

オ 原告は,平成14年7月3日,原告宅を訪れたCに対し,被告との取引に関して,郵便局の定期預金を解約した230万円及びA銀行から引き下ろした20万円の合計250万円を交付した。

カ 被告の営業部長であったDは,平成14年8月22日ころ,Bと共に原告宅を訪れ,「オプション取引要綱」と題する書面(乙117)を示すなどしながら,「今,シルバーのコールが10枚残っています」などと,取引の状況について話をした。しかし,「コール」,「プット」の意味等については,既にBにより説明されているとの認識から,改めて説明をせず,「限月」は期間のこと,「ストライクプライス」は一つの狙い目と述べる程度で,オプション取引の危険性については説明しなかった。そして,原告は,Dの上記の話の内容も理解していなかった(乙117,127,証人D,原告本人)。

キ 原告は,被告との取引に関し,平成14年8月28日,郵便局の利付き国債を解約し,払い戻された1150万円をBに交付し,同年9月25日,同様に国債を解約し,払い戻された350万円を,同様にBに交付した(甲2,原告本人)。

ク その後,Bは,月2回程度の割合で原告宅を訪れ,原告に対し,本件オプション取引の関係書類への署名押印を求めた。原告は,Bの求めに応じ,別紙売買経過表(時系列)記載のとおり,銀,金,ココア,砂糖等のプット又はコールの取引をする旨の売買伝票に署名押印し,これに基づき本件オプション取引が執行された。更に,原告は,Bに求められるまま,授権書裏面の精算確認書,オプション取引口座明細,清算金領収書等に署名押印し,精算金の交付を受けた。しかし,これらの取引は,Bが,銘柄,限月,数量,権利行使価格,指値等を予め決定し,コール又はプットオプションの売買伝票にこれらを印字した上で,原告に署名を求めたもので,原告は,Bに言われるまま署名したものの,内容については殆ど理解していなかった(甲2,乙17ないし91,93ないし114,原告本人)。

ケ 平成14年8月か9月ころ,原告は,Bの話を聞くうち,被告との取引が「先物」と呼ばれる取引に関するものであることを知り,原告の出捐で,ココアや砂糖を購入し,値上がりすれば儲かるが,値下がりすれば損をするのではないかと考えるようになった。しかし,原告は,Bらを信頼し,金員の返還は求めなかった(原告本人)。

コ 平成15年9月3日,被告のBとE(以下「E」という。)が原告宅を訪れ,原告に対し,原,被告間の本件オプション取引が終了した旨の取引終了確認書に署名を求めた。原告は,Bらに言われるまま,取引終了確認書に署名押印したが,なお,取引が終了したとは理解していなかった(甲2,乙115,原告本人)。

サ 原告は,平成15年10月初旬,訪問販売業者から購入した寝具等の代金支払いのため,現金が必要となり,Bに200万円欲しいと電話をした。すると,Bから,「口座はあるけど,もうお金はない。」と言われたため,不審に思い,Bに文句を言ったが,聞き入れられなかった。その後,Dが原告宅を訪れて話し合いをし,被告から原告に対し30万円または50万円の見舞金を支払うとの話も出たが,結局被告から原告に金銭は支払われなかった(甲2)。

シ そこで,原告は,平成15年10月22日,芝浦の消費者センターに本件被害について相談をし,同日原告訴訟代理人に本件被害回復手続を委任した(甲2)。

ス 本件オプション取引による原告の累計差損金は,平成15年9月2日の取引終了時点で,1600万2385円にのぼった。これに対し,被告が得た手数料額は,税込みで2450万7000円であった(争いがない)。

(2)  適合性原則違反

ア 海外先物オプション取引がハイリスクな取引であり,かつ,取引の仕組み自体の複雑性,価格変動要因の多様性,情報の入手困難性,情報分析の困難性等から,一般人において理解し,活用することが困難な取引であると認められることは前記第2の1(3)に認定のとおりである。

したがって,海外先物オプション取引のような金融商品について,一般消費者に対して購入を勧誘する者は,被勧誘者が,勧誘しようとしている金融商品の性質に照らして十分な知識,情報,判断・分析能力,経験,財産を有しているかを調査すべきであり,これが十分でない場合には,勧誘自体をしてはならない義務を負う(適合性原則)。

イ しかるに,原告は,前記第2の1(1)に認定のとおり,大正13年○月○日生まれの,本件取引当時77歳の女性であり,尋常小学校を卒業した後,女工,旅館の接客婦,清掃婦などとして稼働していたが,70歳になる平成7年頃,パートをやめてからは,厚生年金と国民年金の合計2か月あたり20万円と,恩給年4回1回当たり40万円弱を受給して,住所地の都営住宅に一人暮らしをしていたものである。そして,平成2年3月13日,傷痍軍人であった夫が他界した当時は,夫婦の給料と恩給を貯蓄した5000万円ほどの預貯金を有していたものの,その後,訪問販売業者等から高額な寝具,浄水器,着物等を購入し,本件オプション取引開始時点である平成14年7月時点では,預貯金は1500万円程度にまで減少していた。一時期,野村證券と2年ほど取引をしたことはあるものの,他に,本件オプション取引以前に,投機取引の経験はなく,不動産,有価証券等の他の資産も有しない。

そして,証拠(原告本人)によれば,原告は,現在に至るも,「プット」と「コール」,「権利行使価格」,「プレミアム」の意味さえ理解しておらず,「限月」,「SILVER」の読み方もわからないことが認められ,その知識,理解力が,海外市場における商品先物オプション取引をするに足りないことは明らかである。

以上認定の原告の経験,知識,理解力,財産内容に照らせば,被告従業員による原告に対する勧誘,取引の受託は適合性原則に違反し,不法行為を構成すると認められる。

ウ この点に関し,被告は,原告が,女工,旅館の接客婦として長年働くなど,社会経験が豊富な女性であり,本件取引をする適合性に欠けるところはない旨主張し,証人Cも,原告は,年齢の割にはしっかりしている印象で,はっきりとした受け答えをしていた旨述べる(証人C)。

しかしながら,はっきりとした受け答えをしていたとしても,その事実から前記判断を覆すことはできず,被告の主張は採用できない。

(3)  説明義務違反

ア 上記認定の海外先物オプション取引の危険性,複雑性等に鑑みれば,海外先物オプション取引を勧誘する者は,取引の勧誘にあたって,海外先物オプションの仕組み,危険性,オプション価格変動要因,その資料の入手方法,分析方法等について,被勧誘者の理解力に応じて,具体的な説明を尽くす義務があり,特に,リスクについては,利益が出る確率が限られており,投資額全てを失う危険性も相当程度にあることを,被勧誘者が理解できる程度に,具体的に説明する義務がある。

イ しかるに,証拠によれば,前記(1)ウ,カに認定のとおり,被告の従業員らは,原告に対し,オプション取引について一般的説明を行ったにとどまり,その仕組みや危険性,価格変動要因,分析方法等について,原告の知識,経験,理解力に対応した具体的な説明は行っていなかったことが認められる(証人C,原告本人)。

したがって,かかる説明を怠ったまま本件オプション取引を勧誘し,受託した被告従業員らの行為は,原告に対する不法行為を構成すると認められる。

ウ この点に関し,被告は,本件取引の内容については,被告の従業員らが,書面を交付するなどしながら再三にわたって説明し,原告も損失を被る危険性については十分理解していた旨主張し,証人C及び証人Dも,これに沿う供述をする(証人C,証人D)。

しかしながら,証人C及び証人Dの証言を見ても,被告の従業員が原告に対し,原告がその投資額の全てを失う危険性も相当程度に有していることを理解できるような,具体的かつ明確な説明をしたとは認められず,むしろ,証拠(原告本人)によれば,原告は,本件オプション取引の危険性について,殆ど理解していなかったことが認められる。

よって,証人C及び証人Dの証言は採用できず,他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(4)  新規委託者保護義務違反

ア 一般に,投機投資取引の勧誘者は,委託者に対し,委託者が真に自己の相場判断に基づく注文をなし得るような知識,経験を蓄積させ,十分な自主的判断がなし得るまで,不測の損害を被らせることのないよう,取引量を抑制するなど,新規委託者保護育成義務を負う。

イ しかるに,争いのない事実及び証拠によれば,被告の従業員らは,原告が,年金と恩給で生活している高齢者であることを知りながら,取引初日の平成14年7月3日にプットオプションとコールオプション合計20枚の買付を勧めたうえ,翌月には100枚のコールオプションの買付を勧めていること,その結果,取引開始後,2か月足らずの平成14年8月28日時点で,原告の累計差損金は,1372万5922円に達していること,その後平成15年9月2日までの間に,原告の有していた預金額全額に相応する1600万2385円もの損失を被らせたことが認められる(証人C,弁論の全趣旨)。

したがって,被告が勧め,受託した取引内容は,新規委託者の保護育成義務に違反する違法なものであると認められ,これを覆すに足りる証拠はない。

(5)  無断売買

原告は,本件オプション取引において,原告は,何を取引するのかさえ理解できておらず,「ORDER TICKET」の記載も,予め被告従業員らが決定し,記載していたのであるから,全ての取引が無断売買である旨主張する。

そして,証拠によれば,原告は,前記(1)ク,ケに認定のとおり,Bの求めに応じ,別紙売買経過表(時系列)記載のとおり,銀,金,ココア,砂糖等のプット又はコールの取引をする旨の売買伝票に署名押印したこと,その際,Bは,原告に対し,砂糖やココアの値が良いなどと,商品についての話をしていたこと,しかし,売買伝票は予めBが取引条件を印字していたもので,原告は,Bに言われるままに署名し,取引内容については殆ど理解していなかったこと,平成14年8月か9月ころ,原告は,Bの話を聞くうち,原告の出捐で,ココアや砂糖を購入し,値上がりすれば儲かり,値下がりすれば損をすると考えるようになったが,Bらを信頼し,金員の返還は求めなかったことがそれぞれ認められる(甲2,乙17ないし91,93ないし114,原告本人)。

そして,以上の事実によれば,原告は,Bから話を聞き,その内容は良く理解できなかったものの,Bの勧める取引をする意思で,取引をすること自体は了承し,売買伝票に署名押印したと認めるのが相当である。

したがって,本件取引が,無断売買であったと認めることはできない。

(6)  一任売買

ア 原告は,受託者は,取引の種類,期限,数量,対価等の詳細について,委託者の指示に基づき,取引をすべき義務を負うところ,本件オプション取引においては,原告は予め被告従業員らが決定していた内容の「ORDER TICKET」に氏名を記載していたに過ぎないから,全ての取引は一任売買である旨主張する。

イ そして,前記(5)に認定の事実によれば,原告は,取引の内容については殆ど理解していなかったにもかかわらず,Bを信頼し,Bに言われるまま,予め取引内容の記載された売買伝票に署名押印していたことが認められるから,本件取引は,実質上の一任売買であったと認めることができる。

そして,その結果,前記(4)に認定のとおり,新規委託者保護義務違反の取引が行われ,また,後記(7)に認定のとおり,過当取引が行われたものであるから,本件取引は,取引の詳細について,原告の指示に基づかない一任売買であったと認めることができる。

ウ この点につき,被告は,被告従業員が,原告に適切なアドバイスを行い,原告の意思に基づいて売買を行っていた旨主張し,証人Dもこれに沿う供述をするけれども,前記(2)イに認定のとおり,原告は,現在に至るも,「プット」と「コール」,「権利行使価格」,「プレミアム」の意味さえ理解しておらず,「限月」,「SILVER」の読み方もわからないことに照らせば,本件オプション取引の条件が,原告の個別指示に基づき定められたものとは認められず,前記認定を覆すことはできない。

(7)  過当取引

ア 受託者は,委託者の資産状況,知識,経験,取引に対する意思等を総合考慮して,社会的相当性を逸脱するような過当な取引を勧誘したり,受託したりしないようにすべき注意義務がある。

イ しかるに,本件取引では,前記(1)ス,(2)イに認定のとおり,原告は,利率の良い預託金に預ける程度の認識で,初めて投機取引に関わったにもかかわらず,14か月のうちに36回の取引を行い,原告の有していた老後の生活資金のほとんど全てである1600万2385円を失ったこと,これに対し,被告は税込みで2450万7000円もの手数料を取得し,手数料化率は153・15パーセントにもなることが認められる(取引結果については争いがない。その余は甲2,原告本人)。

以上によれば,被告は,原告の知識,経験,資産状況等に照らし,社会的相当性を逸脱する,過当な取引を勧誘し,受託したと認めることができる。

(8)  違法性

以上(2)ないし(4),(6),(7)に認定の事実によれば,被告の本件オプション取引の勧誘,受注,執行は,一体として違法性を有し,原告に対する不法行為を構成するものと認められる。

2  争点(2)(過失相殺)について

(1)  被告は,仮に被告が損害賠償責任を負うとしても,原告の過失が大きいことから,7割以上の過失相殺がなされるべきである旨主張する。

そして,原告が,投機取引経験を持たない高齢者であることを考慮しても,原告には,他人に大金を預託し,契約書や売買伝票等に署名押印するにあたっては,内容を良く吟味し,慎重に対処すべき注意義務,内容もわからないまま,契約を締結してはならない注意義務があることが認められる。しかるに,原告は,前記1(1)イないしコに認定のとおり,趣旨も良く理解せぬまま,被告の従業員らに大金を預け,多くの書面に署名押印をしたことが認められ,この点において原告にも一定の落ち度があることは否めない。

(2)  しかしながら,一方,被告の行為は,前記1に認定のとおり,電話帳等を頼りに無差別に勧誘の電話をしたうえ,本件オプション取引の適格性を欠く原告に十分な説明もしないまま過当な取引を行わせ,約14か月の間に1600万円余りもの損失を被らせたという悪質なものであり,被告の原告に対する勧誘行為及び取引行為は,故意による詐欺とまでは認められないまでも,その過失は重大なものであると認められる。

そして,証拠(甲1)によれば,平成10年4月から平成15年10月までの間に,被告について,国民生活センターに71件の相談が寄せられており,内70歳以上の者が44名,無職の者が35名存することが認められることからすれば,このような杜撰な勧誘行為をするのは,被告会社の体質ともいうべきものと窺われる。

(3)  以上認定の事実によれば,原告の落ち度は,被告による違法な勧誘,取引行為についての過失に比してかなり軽いものと認められ,本件において,原,被告間の過失割合は,被告が9割,原告が1割と認定するのが相当である。

なお,原告は,本件取引により,原告の損失を大きく上回る2450万7000円を利得を得ている被告が本件で過失相殺をすることは,公平や正義に著しく反し,許されない旨主張するが,過失相殺は,過失の割合に応じてなされるべきものであるから,原告の主張は採用できない。

3  争点(3)(原告の損害額)について

以上認定の事実に加え,前記第2の1(2)の取引経過等に照らせば,原告は,被告の不法行為により,未返還損金相当額である1600万2385円の損害を被ったと認められるところ,過失相殺により,被告は,その9割である1440万2147円の賠償義務を負うものと認められる。

そして,原告は,本件事件の解決を原告代理人に委任したと認められるから(弁論の全趣旨),被告は,原告に対し,弁護士費用相当額として,144万0215円を支払うのが相当である。

以上によれば,原告の損害額は,上記合計額である1584万2362円と認められる。

4  結論

以上認定の事実によれば,原告の請求は,1584万2362円及びこれに対する取引終了日である平成15年9月2日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し,原告のその余の請求は理由がないので棄却することとして,主文の通り判決する。

(裁判官 秋吉仁美)

<以下省略>

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