東京地方裁判所 平成16年(ワ)6266号 2006年12月27日
原告
X
被告
Y1
他2名
主文
一 被告Y1及び被告有限会社Y2自動車販売は、原告に対し、連帯して、八三一〇万〇三四二円及びこれに対する平成一三年六月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告あいおい損害保険株式会社は、原告の被告Y1及び被告有限会社Y2自動車販売に対する判決が確定したときは、原告に対し、被告Y1及び被告有限会社Y2自動車販売と連帯して、八三一〇万〇三四二円及びこれに対する平成一三年六月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
五 この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告Y1及び被告有限会社Y2自動車販売は、原告に対し、連帯して、一億二一三九万六三〇三円及びこれに対する平成一三年六月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告あいおい損害保険株式会社は、原告の被告Y1及び被告有限会社Y2自動車販売に対する判決が確定したときは、原告に対し、被告Y1及び被告有限会社Y2自動車販売と連帯して、一億二一三九万六三〇三円及びこれに対する平成一三年六月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、後記一(2)記載の交通事故(以下「本件事故」という。)により頚髄損傷等の傷害を受け左上肢用廃等の後遣障害を有するに至り損害を被ったとして、被告らに対し、被告Y1については自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七〇九条に基づき、被告有限会社Y2自動車販売(以下「被告会社」という。)については自賠法三条及び民法七一五条に基づき、被告あいおい損害保険株式会社(以下「被告保険会社」という。)については自動車保険契約に基づき、その賠償を請求するのに対し、被告らが、原告の頚髄損傷の存在を否定するなどして、これを争う事案である。
一 前提事実
以下の事実は当事者間に争いがないか、掲記の証拠及び弁論の全趣旨により明らかに認められる。
(1) 原告
原告は、昭和○年○月○日生まれ(本件事故当時三四歳)の女性で、本件事故以前はエステティシャンとして稼働していた。
(2) 本件事故
日時 平成一三年六月二〇日午前一時五分ころ
場所 千葉県柏市篠籠田一四八九番地の六
原告車両 原動機付自転車(車両番号・<省略>)
同運転者 原告
被告車両 普通乗用自動車(車両番号・<省略>)
同保有者兼運転者 被告Y1
同所有者 被告会社
態様 被告Y1が、被告会社の事業の執行について被告車両を運転し、上記場所の信号機による交通整理の行われていない交差点(以下「本件交差点」という。)の手前で一時停止した後、右折するに当たり、右方の交差道路から進行してくる車両の有無及び動静を確認しないまま右折した過失により、右方の交差道路から進行してきた訴外車両に被告車両を衝突させた上、訴外車両に後続してきた原告車両に被告車両を衝突させて原告を路上に転倒させた(甲一、三、四の一、四の二)。
(3) 本件事故により原告が受けた傷害及び治療経過等
原告は、本件事故後、下顎挫創、左肩鎖関節脱臼、左肩甲骨骨折、右恥骨骨折、左第一胸椎横突起骨折、頭部打撲、右顎関節炎、オトガイ部打撲、顎関節障害(開口障害)、歯牙破折及び左側オトガイ部皮膚裂傷等との診断を受け、これらの治療のため、本件事故日から平成一三年七月二三日まで入院し、同月二四日以降通院したが、平成一四年六月二九日、症状固定と診断された。
本件事故後、原告の左肩腕周辺の筋群に異常な不随意運動を生じることがあり、この症状は現在も継続している。
なお、症状固定時までに要した治療費(入院雑費を除く。)及び通院交通費は、被告保険会社により支払われた(甲五の一、五の二、六の一、六の二、八の一、八の二)。
(4) 後遺障害等級認定
損害保険料率算出機構千葉自賠責損害調査事務所長は、平成一五年四月一一日付けで、本件事故による原告の後遺障害について、そしゃく機能障害、左肩関節の機能障害(可動域制限)及び左肩鎖関節亜脱臼に伴う鎖骨の変形障害があり、それぞれ、自賠責後遺障害等級第一〇級二号(そしゃくの機能の障害を残すもの)、同第一〇級一〇号(一上肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの)及び同第一二級五号(鎖骨に著しい変形を残すもの)に該当し、以上を総合して、同併合第九級に該当するが、そしゃく及び開口時における左肩腕の不随意運動、顔面裂傷等に伴う外ぼう醜状、顔面打撲に伴う左オトガイ部の皮膚の錯感覚、左握力低下、巧緻性低下、左上肢の痙攣発作等、右股関節の可動域制限、右股関節痛等及び左肩甲骨骨折に伴う肩甲骨の変形障害は、いずれも本件事故による後遺障害と評価することはできないと判断した。
そして、そしゃく及び開口時における左肩腕の不随意運動を本件事故による後遺障害と評価することができない理由について、本件事故との間の因果関係が判然としないとし、また、左握力低下、巧緻性低下、左上肢の痙攣発作等を本件事故による後遺障害と評価することができない理由について、経過診断書上、外傷性脊髄損傷と所見されたのは、本件事故から六か月後の平成一四年一月二九日に実施されたMRI施行後とされていることや頚椎部のMRI画像等からは、本件事故に起因する骨傷等の器質的損傷は認められないこと等から、頚髄損傷由来の症状と捉えることは困難であり、発症に至った医学的原因所見も判然としないとした(甲一八)。
なお、原告は、千葉県から、交通事故による左上肢機能全廃等の障害があるとして、身体障害者等級二級の認定を受けている(甲四三)。
(5) 自動車保険契約
被告保険会社は、本件事故に先立ち、被告車両を被保険自動車とし被告Y1及び被告会社を被保険者とする自動車保険契約を締結しており、その約款によれば、被保険者が被害者に対し法律上の損害賠償責任を負担し、その額について被保険者と被害者との間で判決が確定した場合は、被害者は直接被告保険会社に対し損害賠償額の支払を請求することができるとされている。
二 争点
(1) 原告の頚髄損傷の存否
(2) 原告の損害
(3) 素因減額
三 主張
(1) 原告の頚髄損傷の存否
ア 原告の主張
原告は、本件事故により頚髄損傷(C四~C六)を受け、これによって生じた脊髄性ミオクローヌス(ミオクローヌスとは、不随意運動の一種で、突然起こる筋痙攣をいい、筋の極めて瞬間的な収縮によるものである。)に起因する、そしゃく及び開口時における左肩腕の不随意運動、左握力低下、巧緻性低下、左上肢の痙攣発作及び左上肢不随意運動等の障害を有するに至り、これらを左肩関節の機能障害(可動域制限)と併せて評価すれば、左上肢用廃(自賠責後遺障害等級第五級六号(一上肢の用を全廃したもの))となった。
被告らはMRI等の画像上の所見がないことのみを理由に原告の頚髄損傷の存在を否定するが、著明な四肢の完全麻痺が発生している場合には二ないし三ミリメートル以上の脊髄損傷が存在しMRI画像に写るとしても、原告の後遺障害はこのようなものではなく、MRIの解像度の限界である二ないし三ミリメートル以下の微小な障害によって惹起されているのであるから、MRI等の画像上の所見がないことを理由にその存在を否定することはできない。
また、被告らは、原告の上記各症状について、本件事故を契機とした心因性反応によるものと主張するが、否認する。
イ 被告らの認否・反論
原告に頚髄損傷が存在することは否認する。
まず、外傷による器質的疾患は、外傷により瞬間的に組織が損傷されることにより発生するものであるから、基本的に、受傷後四八時間をピーク(急性期)として、その後次第に消退する。ところが、原告の症状は、左肩の疼痛等がいったん徐々に軽快しながらも、平成一三年一〇月ころから左肩痛、両手足のしびれ、頭痛、寝付きが悪い等の症状が出現し、時の経過とともに上下肢、顔面等に不随意運動が見られるようになり、さらに、本件事故から四年半以上が経過した時点で激しい疼痛を訴えるなど、症状が経時的に悪化しており、外傷起因性の一般的病態に合致しない。
次に、頚髄損傷は、強力な外力による頚椎の骨折等により頚髄保護機能が失われた結果発生するものであり、受傷直後から四肢麻痺が発生し、左右上下肢の知覚・運動麻痺により起立・歩行が不可能となり、排尿・排便障害が発生し、神経解剖学的に明らかな麻痺像であり、レントゲンやMRIの画像上必ず異常所見が見られるという特徴があるが、原告にはこのような症状や所見が一切見られない。
また、ミオクローヌスを主訴とする頚髄損傷は存在しないし、外傷により、錐体路のみが損傷を受け、灰白質部(運動細胞―末梢神経)が全く障害されないことはあり得ず、さらに、第一胸椎横突起骨折という外傷の部位・大きさと頚髄損傷との因果関係が明らかではない。
したがって、原告に頚髄損傷は存在しない。
このように、原告の左肩腕の不随意運動等は、外傷による器質的疾患によるものではない。医療従事者が症状を聴いたりすると意図的に動かすような感じが観察されており、本件事故を契機とした心因性反応によるものである。
(2) 原告の損害
ア 原告の主張
(ア) 症状固定後の治療関係費 小計一四五五万四九五八円
a 治療費 一四四九万二八一八円
原告は、症状固定後も、症状の悪化を防ぎ、症状固定の状態を維持するため、医師の指示に基づき、鍼治療、ボトックス療法及び神経ブロックを受けており、これらの費用の支出を要する。
b 検査費用 二万三〇五〇円
c リハビリ費用 三万〇六九〇円
d 文書料 八四〇〇円
(イ) 入院雑費 五万一〇〇〇円
(ウ) 症状固定後の通院交通費 一六九万〇七九四円
(エ) 休業損害 四九三万三二二四円
原告の平成一二年の収入は年額約四九三万三二二四円であったが、本件事故による傷害のため、平成一三年七月から症状固定日である平成一四年六月二九日までの約一年間就労できず無収入となったから、原告の休業損害は四九三万三二二四円である。なお、本件事故直前の三か月間の給与は低額であるが、これは研修期間中であったことによる一時的なものであるから、同期間の給与を基準とすべきではない。
(オ) 逸失利益 六八三〇万六三二七円
原告は、本件事故により、そしゃく機能障害(自賠責後遺障害等級第一〇級二号)、左肩鎖関節亜脱臼に伴う鎖骨の変形障害(同第一二級五号)のほか、外傷性の頚髄損傷(C四~C六)によって生じた脊髄性ミオクローヌスに起因する左上肢用廃(同第五級六号)の後遺障害を有するに至り、これらを総合すれば、原告の後遣障害は自賠責後遺障害等級併合第四級に該当するから、原告の労働能力喪失率は九二パーセントである。
原告の基礎収入は年額四九三万三二二四円であり、本件事故当時三四歳であった原告が六七歳になるまでの三三年間のライプニッツ係数一六・〇〇二五から、本件事故日から症状固定日までの一年間のライプニッツ係数〇・九五二三を減じた係数一五・〇五〇二を用いて算定すると、原告の逸失利益は六八三〇万六三二七円である。
(カ) 慰謝料 小計二〇八三万円
a 入通院慰謝料 四一三万円
原告は、本件事故による傷害のため、症状固定日である平成一四年六月二九日までに、入院三四日間及び通院約一一か月間の治療を要し、また、原告の障害の程度は重篤であるから、原告の入通院慰謝料は四一三万円である。
b 後遺障害慰謝料 一六七〇万円
原告は、本件事故により、自賠責後遺障害等級併合第四級に該当する重篤な後遣障害を有するに至ったため、一五年間余りをかけて培ってきたエステティシャンとしての技術や地位が無に帰しただけでなく、生活能力や人生の楽しみ、生きがいを奪われたのであり、また、原告の後遺障害は独身女性である原告の結婚の大きな障害となり得る。
しかも、被告Y1は、酒気帯び運転をし、その一方的過失により本件事故を惹起しただけでなく、事故後、救護義務さえも放棄して現場から逃げ去った。
上記の諸事情を勘案すれば、原告の後遺障害慰謝料は一六七〇万円である。
(キ) 弁護士費用 一一〇三万円
イ 被告らの認否
症状固定後の治療関係費及び症状固定後の通院交通費はいずれも否認し、入院雑費は認め、弁護士費用は不知である。
休業損害は三九八万五四〇〇円(賃金センサス(平成一二年)・女性労働者・学歴計・三五歳の平均年収)の限度で、逸失利益は二〇九九万三三七三円(基礎収入年額三九八万五四〇〇円、労働能力喪失率三五パーセント、労働能力喪失期間のライプニッツ係数一五・〇五〇二)の限度で、入通院慰謝料は一七九万円の限度で、後遺障害慰謝料は六九〇万円の限度でそれぞれ認めるが、これらを超える部分は否認する。
(3) 素因減額
ア 被告らの主張
原告の左肩腕の不随意運動等については、複数の医師が外傷起因性に疑問をもち、心因性反応によるものと判断しているとおり、本件事故を契機とした心因性反応が強く影響しているから、原告の損害はその寄与の割合に応じて減額されるべきである。
イ 原告の認否・反論
否認する。
原告の左肩腕の不随意運動等は、本件事故により受けた頚髄損傷によるものであり、心因性反応によるものではない。
第三判断
一 原告の頚髄損傷の存否
(1) 原告の後遺障害は、損害保険料率算出機構により、そしゃく機能障害、左肩関節の機能障害(可動域制限)及び左肩鎖関節亜脱臼に伴う鎖骨の変形障害があり、それぞれ、自賠責後遺障害等級第一〇級二号、同第一〇級一〇号及び同第一二級五号に該当し、以上を総合して、同併合第九級に該当すると判断されている。
原告は、以上に加えて、本件事故により頚髄損傷(C四~C六)を受け、これによって生じた脊髄性ミオクローヌスに起因する、そしゃく及び開口時における左肩腕の不随意運動、左握力低下、巧緻性低下、左上肢の痙攣発作及び左上肢不随意運動等の障害を有するに至り、これらを左肩関節の機能障害(可動域制限)と併せて評価すれば、左上肢用廃として自賠責後遺障害等級第五級六号(一上肢の用を全廃したもの)に該当するから、原告の後遺障害を総合すると、同併合第四級に該当すると主張し、これに対し、被告らは、原告の頚髄損傷の存在を否定して、原告の主張を争っている。
そこで、原告の頚髄損傷の存否について、以下検討する。
(2) 千葉大学のA教授らは、原告に対する神経学的診察や電気生理学的検査を行った上、所見書(甲四八)及び調査嘱託に対する回答書(甲五六。以下では、甲四八と甲五六を併せて「A意見書」という。)において、原告の左肩腕の不随意運動の原因等について、要旨以下のとおり述べる。
すなわち、まず、神経学的診察所見から、左腕橈骨筋反射の逆転が認められることからC六の頚髄に病変があり、左上腕二頭筋反射の消失等が認められることからC五の頚髄に病変があり、Cervical Lineにおける感覚障害が認められることからC四の頚髄(乙一二・二〇頁)に病変があると診断できる。
次に、電気生理学的検査結果から、原告の左肩腕の不随意運動は、ミオクローヌスと考えられるところ、C四の頚髄によって支配される僧帽筋と肩甲挙筋にのみ見られ、C五の頚髄によって支配される三角筋には見られないことなどからすると、C四付近の頚髄の障害によるものと考えられる。なお、末梢神経の障害は認められなかった。
そして、原告が、本件事故により、左第一胸椎横突起骨折をはじめ、頭部、顔面を含むほぼ全身に重度の外傷を受けたことからすると、原告の左肩腕の不随意運動は、外傷性の頚髄損傷によって生じた脊髄性ミオクローヌスと考えられる。以上のとおり述べる。
このほか、原告の症状について、頚髄損傷ないし外傷性頚髄損傷があるとするもの(甲八の一、四四、六〇、六一)、脊髄損傷・脳挫傷後の不随意運動であるとするもの(甲一一)、頚髄損傷を原因とする排尿障害を伴った神経因性膀胱が認められるとするもの(甲一七)があり、これらはA意見書と基本的に同旨と考えられる。
(3) これに対し、帝京大学のB教授は、原告に関する診療録及び画像等を検討した上、意見書(乙一〇。以下「B意見書」という。)において、原告の左肩腕の不随意運動の原因等について、要旨以下のとおり述べる。
基本的には脊髄損傷は経時的に悪化しないのに、原告の症状は経時的に悪化していること、ミオクローヌスを主訴とする頚髄損傷は存在しないこと、外傷により、錐体路のみが損傷を受け、灰白質部(運動細胞―末梢神経)が全く障害されないことはあり得ないこと、第一胸椎横突起骨折という外傷の部位・大きさと頚髄損傷との因果関係が明らかではないこと等からすると、原告に頚髄損傷は存在しない。
原告の左肩腕の不随意運動は、左肩部の打撲によって激しい疼痛を経験して、その後も心因性、神経性(電気生理学的検査で発見されない程度の損傷で)を含めて疼痛が継続したため、僧帽筋、肩甲挙筋を支配する末梢神経細胞の機能的興奮性(閾値の低下)が起こり、疼痛と筋攣縮との間に断ち切れない反射性の異常興奮ループが形成されたことによるものと考えられる。以上のとおり述べる。
このほかにも、原告に頚髄損傷は存在せず、原告の症状は心因性反応によるものであるとする診断が相当数ある(乙二・八頁、乙七・一〇、一一・一九、四三頁、乙八・三、四頁、乙一二・三〇、三二、一二七、一三二頁)。
(4) そこで検討するに、A意見書は、神経学的診察所見からC四ないしC六の頚髄に病変が認められ、また、電気生理学的検査結果からC四の頚髄に病変が認められることから、原告のC四付近の頚髄に障害があると診断しているところ、このように、原告本人を直接診察・検査した結果に基づく診断は尊重されるべきである。
これに対し、被告らは、MRI等の画像上の所見がなく、また、ミオクローヌスを主訴とする頚髄損傷は存在しないから、原告に頚髄損傷は存在しないと主張し、B意見書も同旨を述べるが、MRI等の解像度には限界があるところ、ミオクローヌスは、神経の連絡が保持されていることを前提にするものであり、四肢麻痺等の頚髄損傷の症状として典型的かつ極めて重篤なものではないから、原告の頚髄にMRI等の解像度未満で神経を途絶させない程度の微小な損傷が存在し、これにより、頚髄損傷の症状として典型的ではないミオクローヌスが発症した可能性を否定することはできない。
また、被告らは、外傷による器質的疾患は経時的に悪化しないところ、原告の症状は経時的に悪化しているから、外傷によるものとは考え難いと主張し、B意見書も同旨を述べるが、原告の頚髄損傷に他の要因が加わることにより症状の経時的悪化をもたらすことはあり得ると考えられるから、この点が直ちに原告の頚髄損傷の存在を否定する理由にはならない。
さらに、被告らは第一胸椎横突起骨折という外傷の部位・大きさと頚髄損傷との因果関係が明らかではないと主張し、B意見書も同旨を述べるが、原告は、本件事故により、左第一胸椎横突起骨折のほか、頭部打撲、下顎挫創、オトガイ部打撲、歯牙破折等の傷害を受けており、原告の頭部、顔面に強い衝撃が加わったことが認められるから、本件事故により原告の頚髄が損傷を受けた可能性を否定することはできない。
加えて、被告らは、外傷により、錐体路のみが損傷を受け、灰白質部(運動細胞―末梢神経)が全く障害されないことはあり得ないと主張し、B意見書も同旨を述べるところ、たしかに、電気生理学的検査においては末梢神経の障害は確認されていないが、電気生理学的検査にも限界があることなどからすると、灰白質部が全く障害されなかったと断定することはできない(なお、B意見書は、原告の症状は疼痛に起因する反射性の異常興奮ループの形成によるものであるとするが、これも電気生理学的検査で検知できない程度の末梢神経の障害を前提にするものである。)。
B意見書は、原告の症状は疼痛に起因する反射性の異常興奮ループの形成によるものであるとするが、不随意運動が僧帽筋及び肩甲挙筋にのみ見られ、三角筋には見られない理由が明らかではなく、また、末梢神経の障害は電気生理学的検査によって確認されていないのであるから、この見解は推論の域を出ないものといわざるを得ない。そして、B意見書においても、原告のC四付近の頚髄に障害があること自体についての反論はない。
以上によれば、原告本人を直接診察・検査した結果に基づき、原告のC四付近の頚髄に障害が認められると診断したA意見書の信用性は高いというべきである。
したがって、原告のC四付近の頚髄には障害があると認めるのが相当である。これに反する被告らの主張及びB意見書は採用できない。
(5) そして、本件全証拠によっても、原告のC四付近の頚髄の障害が本件事故による外傷以外の原因で発生した事実は窺われない。
したがって、原告の左肩腕の不随意運動の原因は、本件事故によるC四付近の頚髄の損傷にあると認めるのが相当であり、本件事故と原告の左肩腕の不随意運動との間の相当因果関係を認めることができる。
二 原告の損害
(1) 症状固定後の治療関係費 小計五九二万四三四二円
ア 治療費 五八六万二二〇二円
証拠(甲七の二、九、一一、一二、一三の一ないし一三の三、四六、五〇、乙三・三ないし五、一四頁、乙四、五、七・三頁、一二・一八、二〇頁)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、症状固定後も、後遺障害の悪化を防ぎ、症状固定の状態を維持するため、鍼治療及びボトックス療法を受ける必要があると考えられ、また、これらの治療が有効であったことから、医師の指示に基づきこれらの治療を継続していることが認められる。
そして、証拠(甲九、一二、一三の二、四二、五一ないし五三、五八、五九、乙三・六頁)及び弁論の全趣旨によれば、原告が上記各治療の継続を必要とする期間、頻度及び費用は、鍼治療については症状固定時から二〇年間(ライプニッツ係数一二・四六二二)、一週間に一回、一回当たり六三〇〇円、ボトックス療法については同じく二〇年間、三か月に一回、一回当たり三万五二一〇円と認めるのが相当であり、この限度で、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
また、証拠(甲一〇の一ないし一〇の九、一一、乙三・六、七、一〇、一二、一三頁)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、症状固定後も、症状の軽減・改善を目的として、神経ブロック治療を受け、その治療費等二万四四一〇円の支出を要したことが認められる。
上記治療は、結果として有効ではなかったものの、症状の原因が未解明な状況の下で、医師の指示に基づき症状を軽減・改善させる可能性のある治療を試みることは、交通事故により後遺障害を有するに至った被害者の行動として不合理ではないから、上記治療費等の支出も、本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
したがって、治療費は五八六万二二〇二円(円未満切捨て)と認められる。
(計算式)
(6,300×52+35,210×4)×12.4622+24,410=5,862,202.9…
イ 検査費用 二万三〇五〇円
証拠(甲一五、一六)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、症状固定後も、北柏リハビリ総合病院で一回、慶應義塾大学病院で四回の検査を受け、その費用二万三〇五〇円の支出を要したことが認められる。
ウ リハビリ費用 三万〇六九〇円
証拠(甲一九の一、一九の二、四二、五一)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、後遺障害の軽減・改善を目的としてリハビリを行い、その費用として少なくとも三万〇六九〇円の支出を要したことが認められる。
エ 文書料 八四〇〇円
証拠(甲二〇)及び弁論の全趣旨によれば、原告は文書料八四〇〇円の支出を要したことが認められる。
(2) 入院雑費 五万一〇〇〇円
原告が、本件事故により受けた傷害の治療のため、入院雑費五万一〇〇〇円の支出を要したことは当事者間に争いがない。
(3) 症状固定後の通院交通費 五七万七三一〇円
鍼治療及びボトックス療法については、前記(1)ア記載のとおり通院の必要性が認められるところ、証拠(甲四二、五一ないし五三、五八、五九)及び弁論の全趣旨によれば、鍼治療については一回当たり少なくとも八〇〇円、ボトックス療法については同じく六四〇円の交通費の支出を要することが認められる。
また、原告は前記(1)ア記載のとおり神経ブロック治療を受け、前記(1)イ記載のとおり検査を受けているところ、証拠(甲二一)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、神経ブロック治療を受けるための交通費として二万一〇〇〇円の支出を要し、また、検査を受けるための交通費として、北柏リハビリ総合病院については一一〇〇円、慶應義塾大学病院については一回当たり一二二〇円の支出を要したことが認められる。
したがって、症状固定後の通院交通費は五七万七三一〇円(円未満切捨て)と認められる。
(計算式)
(800×52+640×4)×12.4622+21,000+1,100+1,220×4=577,310.7…
(4) 休業損害 四九三万三二二四円
証拠(甲二二の一ないし二二の七)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故に遭わなければ、少なくとも月額四一万一一〇二円(年額四九三万三二二四円)の収入を得ていたと認めるのが相当である。本件事故直前の三か月間の収入は月額平均二一万二七五三円(円未満切捨て)にとどまるものの(甲二七)、これは転職して研修期間中であったため一時的に低額になっていたにすぎないから(甲三八)、この金額を基準にするのは相当でない。
そして、証拠(甲六の一、六の二、二四)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故による傷害のため、平成一三年七月から症状固定日である平成一四年六月二九日までの約一年間就労できず、無収入となったことが認められる。
したがって、原告の休業損害は四九三万三二二四円と認められる。
(計算式)
411,102×12=4,933,224
(5) 逸失利益 五五六八万四五〇五円
ア 労働能力喪失率
原告の後遺障害は、そしゃく機能障害について自賠責後遺障害等級第一〇級二号に(被告らは、原告のそしゃく機能障害の存在及び本件事故との間の相当因果関係に疑問を呈するが、採用しない。)、左肩関節の機能障害(可動域制限)について同第一〇級一〇号に、左肩鎖関節亜脱臼に伴う鎖骨の変形障害について同第一二級五号にそれぞれ該当することが認められ、また、前記認定のとおり、原告には、本件事故によるC四付近の頚髄の損傷に起因する左肩腕の不随意運動が認められる。
そして、証拠(甲四四、六一、乙三・八頁、一〇・一一頁)及び弁論の全趣旨によれば、原告の左肩関節はこのような不随意運動や可動域制限により用廃状態であることが認められる。
また、原告の左手については、平成一五年一一月一七日の時点で「左手、離握手やや弱い」(乙七・三六頁)、平成一六年八月九日の時点で「親戚の法事で左手を使い過ぎた」(乙四・七頁)、平成一七年一一月二八日の時点で「手や足の力がない」わけではない(乙一二・四頁)との記録があるものの、握力は、平成一五年一月一一日の時点で〇キログラム(甲六〇)、同年四月三日の時点で四・〇キログラム(乙二・一四頁)、同年七月八日の時点で〇・五キログラム(甲四四、六一)とされており、左手を使用する多くの場合に左肩関節の不随意運動の影響を受けることをも併せ考慮すれば、左手の能力もほぼ喪失に近い状態になっていることが認められる。
このため、原告は、手技を中心的な内容とするエステティシャンの仕事が不可能になっただけでなく(甲三一、三二の一ないし三二の四、三二の六ないし三二の八、三八、三九)、日常生活においても、左手で物を持つことができず、タオルを絞ること、ひもを結ぶこと、入浴中に背中を洗うことや衣服の着脱が困難であることが認められる(甲四四、四六、六〇ないし六二、乙三・八頁、七・三六頁)。
他方、原告は、上記以外の屋内での日常生活動作は概ね自立しており、遠距離外出は困難であるものの、交通機関の利用は可能であることが認められ(乙七・一三、二七、三四、三六、四三頁、乙一二・五四、五九、六二、一二三頁)、また、労働能力喪失率は、エステティシャンという職業の遂行能力に限局して判断されるべきものではなく、他職への就労可能性も併せ考慮すべきところ、原告は、特に複雑でない作業、あるいは、短時間・軽作業の仕事なら可能であることが認められる(甲六〇、乙七・一三頁)。
以上に述べた原告の後遺障害の部位・程度、とりわけ、左肩腕の不随意運動の内容とこれが左上肢全体に及ぼす影響、労務遂行や日常生活への支障の内容・程度、原告の職業・年齢等の諸点を総合考慮すれば、原告の労働能力喪失率は七五パーセントと認めるのが相当である。
イ まとめ
前記のとおり、原告の基礎収入は年額四九三万三二二四円と認められ、本件事故当時三四歳であった原告が六七歳になるまでの三三年間のライプニッツ係数一六・〇〇二五から、本件事故日から症状固定日までの一年間のライプニッツ係数〇・九五二三を減じた係数一五・〇五〇二を用いて算定することにより、原告の逸失利益は五五六八万四五〇五円(円未満切捨て)と認められる。
(計算式)
4,933,224×0.75×15.0502=55,684,505.8…
(6) 慰謝料 小計一六八三万円
ア 入通院慰謝料 一八三万円
証拠(甲六の一ないし七の一、七の三、八の一、八の二)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故により傷害を受けたため、症状固定日である平成一四年六月二九日までに、入院三四日間及び通院期間三四一日間を要する治療を余儀なくされたことが認められるから、原告の入通院慰謝料は一八三万円と認めるのが相当である。
イ 後遺障害慰謝料 一五〇〇万円
原告の後遺障害の部位・程度、原告は、後遺障害のため、国際資格まで取得し今後も従事する予定であったエステティシャンの仕事に就くことがもはや不可能になったこと(甲二五、三八、三九)に加え、被告Y1が、本件事故当時酒気帯び運転をし、事故後も救護義務及び報告義務(道路交通法七二条)に違反(ひき逃げ)したこと(甲三、四の一)等を総合考慮すれば、原告の後遺障害慰謝料は一五〇〇万円と認めるのが相当である。
(7) まとめ
以上によれば、原告の損害は合計八四〇〇万〇三八一円と認めるのが相当である。
(計算式)
5,924,342+51,000+577,310+4,933,224+55,684,505+16,830,000=84,000,381
三 素因減額
一般に、外傷による障害は経時的に悪化することはないとされているのに、原告の左肩腕の痙攣が最初に医師によって確認されたのは本件事故から七か月後の平成一四年一月二一日のことであり(乙二・七頁)、その後平成一五年二月下旬から症状が悪化しており(乙二・一四、一五頁)、その他の症状も経時的に悪化していることが認められ(左肩関節の可動域(屈曲)は、平成一三年八月一五日の時点では一二〇度であったのに(乙一・一五頁)、同年一一月一日の時点で九〇度に(乙二・三頁)、平成一四年六月二九日の時点で六〇度に(甲八の一)、平成一五年一一月一八日の時点で三〇度に(乙七・一〇頁)低下している。左手の握力は、平成一三年一二月二七日の時点では九・五キログラムであったのに(乙二・六頁)、現在ではほぼ喪失に近い状態になっている。)、こうしたこともあって、前記のとおり、原告の症状は心因性反応によるものであるとする見解が相当数あり、また、A教授が所属する千葉大学医学部附属病院も、原告の左肩腕の不随意運動については器質的な要因が大きいとしながら、心因性反応の影響を排除しておらず、これ以外の左上肢の筋力低下等の症状についてはむしろ心因性の要素が強いと診断していること(乙一二・四五、五〇、一二七、一三二頁)が認められる。
以上の諸点を総合考慮すれば、現在の原告の症状には、本件事故による器質的障害に加え、原告固有の心的・体質的要因が寄与していると考えざるを得ず、原告に生じた損害のすべてを被告らに負担させるのは相当ではないから、損害の公平な分担という損害賠償法の理念に照らし、民法七二二条二項を類推適用して、原告の損害からその一〇パーセントを減額するのが相当である。
そうすると、原告の損害は七五六〇万〇三四二円(円未満切捨て)となる。
(計算式)
84,000,381×(1-0.1)=75,600,342.9
四 弁護士費用 七五〇万円
本件事案の難易、請求額及び認容額等を斟酌すれば、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は七五〇万円と認めるのが相当である。
したがって、原告が被告らに請求し得る金額は八三一〇万〇三四二円となる。
(計算式)
75,600,342+7,500,000=83,100,342
五 まとめ
以上によれば、原告は、被告らに対し、被告Y1については自賠法三条及び民法七〇九条に基づき、被告会社については自賠法三条及び民法七一五条に基づき、被告保険会社については自動車保険契約に基づき、本件事故による損害賠償として、(被告保険会社については原告の被告Y1又は被告会社に対する判決が確定したときは、)連帯して、八三一〇万〇三四二円及びこれに対する本件事故日である平成一三年六月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを請求することができる。
第四結論
以上の次第で、原告の請求は、主文第一項及び第二項記載の限度で理由があるからこの限度で認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却し、仮執行免脱宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 中園浩一郎)