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東京地方裁判所 平成16年(ワ)8119号 判決 2006年7月06日

原告

A野太郎

同訴訟代理人弁護士

久保博道

長谷川範子

被告

A野花子

同法定代理人成年後見人

D原秋夫

同訴訟代理人弁護士

角川穂奈美

被告

A野松夫

同訴訟代理人弁護士

小林美智子

被告

B山竹夫

主文

一  原告と被告らとの間において、被告B山竹夫が被告A野花子の任意後見受任者の地位を有することを確認する。

二  原告と被告A野花子及び被告A野松夫との間において、被告A野花子と被告A野松夫との間の平成一三年六月二七日付け任意後見契約が無効であることを確認する。

三  原告と被告らとの間において、別紙登記目録記載一の任意後見契約の登記の平成一三年六月二〇日付け終了の登記について、後見登記等に関する政令第一三条一項二号所定の無効原因があることを確認する。

四  原告と被告A野花子及び被告A野松夫との間において、別紙登記目録記載二の任意後見契約の登記について、後見登記等に関する政令第一三条一項二号所定の無効原因があることを確認する。

五  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、被告A野花子(以下「被告花子」という。)と養子縁組の届出をした原告が、被告花子を本人とし、被告A野松夫(以下「被告松夫」という。被告松夫は、被告花子の養子である。)を任意後見受任者とする任意後見契約について、同契約当時、被告花子には意思能力がなかったとして、同契約が無効であることの確認を求めるとともに、同契約に先立ち、被告花子が被告B山竹夫(以下「被告B山」という。被告B山は、弁護士である。)を任意後見受任者とする任意後見契約を解除したことについて、同解除当時、被告花子には意思能力がなかったから、同解除は無効であるとして、被告B山が被告花子の任意後見受任者の地位にあることの確認を求めた事案である。

一  前提事実(証拠を掲記しない事実は争いがない。)

(1)  被告花子(大正二年一〇月五日生)は、昭和一四年五月四日にA野梅夫(大正一二年一二月七日生、平成一一年二月二〇日死亡。以下「亡梅夫」という。)と婚姻し、被告花子と亡梅夫は、昭和一八年一二月二八日、被告松夫(昭和一三年四月九日生)を養子とした(甲六)。

(2)  被告花子は、平成一二年七月一一日、甥である原告(昭和三〇年一二月一五日生。原告は、被告花子の妹のC川春子(以下「春子」という。)の二男である。)及びA野夏夫(昭和三一年二月二七日生。以下「夏夫」という。)を養子とする各養子縁組(以下「本件養子縁組」と総称する。)の届出をした(甲六、一四)。

本件養子縁組については、被告花子の意思能力及び養子縁組意思の存否をめぐり、被告松夫を原告とし、被告花子、原告及び夏夫を被告とする別訴(当庁平成一三年(タ)第九七五号事件)において、その有効性が争われたが、平成一八年四月一三日、被告松夫の請求(本件養子縁組の無効確認の請求)を棄却する旨の判決が言い渡され、被告松夫は、前記判決に対し控訴した(弁論の全趣旨)。

(3)  被告花子及び被告B山は、平成一二年七月二五日、横浜地方法務局所属公証人後藤雅晴の面前で、被告花子を本人(任意後見委任者)とし、被告B山を任意後見受任者として、任意後見契約に関する法律(以下単に「法」という。)第二条一号所定の任意後見契約を締結する旨、及び、被告花子を委任者とし、被告B山を受任者として、被告花子の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務の委任契約を締結する旨合意し、同公証人により、その旨の公正証書(平成一二年第三二四号委任契約及び任意後見契約公正証書。以下「本件公正証書一」という。)が作成された(甲三、九)。

同月三一日、被告花子と被告B山との間の任意後見契約について、登記(別紙登記目録記載一の登記。以下「本件登記一」という。)がされた。

(4)  被告花子は、被告B山に対し、平成一三年六月一三日付けの解除通知書(甲四。以下「本件通知書」という。なお、同通知書には、東京法務局所属公証人田崎文夫の面前で、被告花子が同通知書に署名押印した旨の認証がある。)をもって、本件公正証書一に基づく任意後見契約(及び委任契約)を解除する旨の意思表示(以下「本件解除」という。)をし、同通知書は、同月一四日、被告B山に到達した(甲四、九)。

同月二〇日、被告花子と被告B山との間の任意後見契約について、解除による終了登記がされた。

(5)  被告B山は、平成一三年六月一九日、原告の代理人として、被告花子の任意後見監督人選任を申し立てたが、同申立ては、被告花子と被告B山との間の任意後見契約の終了登記がなされたため、その前提を欠くに至ったという理由により、却下された(甲八、弁論の全趣旨)。

(6)  東京法務局所属公証人田崎文夫は、平成一三年六月二七日、被告花子と被告松夫とが、被告花子を本人(任意後見委任者)とし、被告松夫を任意後見受任者として、法第二条一号所定の任意後見契約を締結する旨合意したとの内容の公正証書(平成一三年第三五四号。以下「本件公正証書二」という。)を作成した(甲一)。

同月二九日、被告花子と被告松夫との間の任意後見契約について、登記(別紙登記目録記載二の登記。以下「本件登記二」という。)がされた。

(7)  平成一七年三月一五日、被告花子につき成年後見を開始する旨、及び、同人の成年後見人にD原秋夫弁護士(以下「D原弁護士」という。)を選任する旨の審判がなされ、同審判は確定した(弁論の全趣旨)。

二  原告の請求の概要

(1)  被告ら全員に対する請求について

被告花子は、被告B山との間で、本件公正証書一に基づく任意後見契約を締結したところ、被告花子が同契約の解除の意思表示をした平成一三年六月当時、被告花子は、意思能力に欠けていたから、同解除は無効であり、本件登記一の終了登記は、その原因がない。

原告及び被告松夫は、いずれも被告花子の養子であり、前記任意後見契約につき家庭裁判所に任意後見監督人の選任を請求する権利を有するところ、被告松夫は、被告花子の解除(本件解除)は有効である旨主張し、被告B山が被告花子の任意後見受任者の地位にあることを争っている。

よって、原告は、被告らに対し、主文一項及び三項記載のとおりの確認を求める。

(2)  被告花子及び被告松夫に対する請求について

被告花子は、被告松夫との間で、本件公正証書二に基づく任意後見契約を締結したところ、被告花子が同契約を締結した平成一三年六月当時、被告花子は、意思能力に欠けていたから、同契約は無効であり、本件登記二は、その原因がない。

よって、原告は、被告花子及び被告松夫に対し、主文二項及び四項記載のとおりの確認を求める。

三  争点

(1)  本件訴えの確認の利益の有無

(被告松夫の主張)

被告花子につき成年後見人の選任が必要と判断される状況になった際、被告花子を当事者とする訴訟が係属しており、そのうちの一件は被告松夫が被告花子を被告として提起したものであったこと、しかも、本件登記二に基づく任意後見契約の以前に本件登記一に基づく任意後見契約があり、解除の効力につき争いがあったことから、被告松夫は、任意後見契約に基づき自分が任意後見人となったところで、有効に任務を遂行することは困難であると考え、家庭裁判所に対し、法定後見開始の申立てをなし、その結果、現在の被告花子の成年後見人(D原弁護士)が選任されたものである。

以上の経過に照らせば、原告が被告花子と被告松夫との間の任意後見契約の効力を争うべき確認の利益はなく、また、被告花子と被告B山との間の任意後見契約についても、既に家庭裁判所によって成年後見人が選任されている以上、これを改めて確認すべき利益はないというべきである。

(原告の主張)

法第四条一項二号、第一〇条一号は、本人の意思を尊重することを重視し、法定後見制度より任意後見制度を優先させることとしているから、本件訴訟で、被告花子と被告B山との間の任意後見契約の有効性が確認されれば、原則として任意後見が開始されるのであり、例外的に現在の法定後見を継続すべきか否かが確認されるにすぎない。また、法定後見が開始していても、当該法定後見人が解任されたり、辞任することもあり得ることを考慮すれば、いずれにせよ、被告花子を本人とする任意後見契約の有効性を決しておく利益はあるというべきである。

(2)  本件公正証書一に基づく任意後見契約締結時の被告花子の意思能力及び契約意思の存否

(原告の主張)

被告花子は、平成一二年七月二五日、被告B山との間で、本件公正証書一に基づく任意後見契約を有効に締結した。

(被告花子の主張)

本件公正証書一に基づく任意後見契約締結当時、被告花子に意思能力はなかった。

(被告松夫の主張)

本件公正証書一に基づく任意後見契約について、被告花子に契約締結の意思があったことは争う。

(3)  本件解除時の被告花子の意思能力の存否

(原告の主張)

被告花子が本件公正証書一に基づく任意後見契約につき解除の意思表示をした平成一三年六月当時、被告花子に意思能力はなかった(したがって、同解除は、無効である。)。

(被告花子及び被告松夫の主張)

原告の主張は争う。

(4)  本件公正証書二に基づく任意後見契約締結時の被告花子の意思能力の存否

(原告の主張)

被告花子が本件公正証書二に基づく任意後見契約を締結した平成一三年六月当時、被告花子に意思能力はなかった(したがって、同任意後見契約は、無効である。)。

(被告花子及び被告松夫の主張)

原告の主張は争う。

第三争点に対する判断

一  本件の経緯について

前記前提事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  被告花子は、美容院の経営等を目的とする株式会社A野美容室(以下「A野美容室」という。)の代表取締役として、長年にわたり、その経営に当たっていたところ、養子である被告松夫も、美容師の資格を取得して、A野美容室の経営する美容院で勤務していた。

(2)  被告花子は、平成一一年九月ころ、知人の紹介で、所有する別荘の明渡しの件を被告B山に依頼して以降、被告B山に対し、遺産相続の件について相談するようになった。

そして、平成一二年一月ころ、被告花子は、被告B山に対し、被告松夫にA野美容室の経営を委ねたいとの意向を伝え、同月二〇日、被告花子の保有するA野美容室の株式を被告松夫に相続させること等を内容とする遺言公正証書を作成した。

しかし、このころ、被告松夫がA野美容室の従業員であったA田冬夫(以下「A田」という。)から、女性従業員との間の不貞関係につき脅迫されるという事態が生じ、被告花子が弁護士に相談して善後策をとった結果、A野美容室がA田に解決金として一〇〇万円を支払い、A田がA野美容室を任意退職するという形で解決を図ることとなった。また、このころには、被告松夫が店長を勤めていたE田美容室が、経営不振のために閉店を余儀なくされる事態となっていた。

(3)  被告花子は、このような事態から、平成一二年五月ころには、被告松夫にA野美容室の経営を委ねる意思を喪失するに至り、出勤がままならない自分に代わって被告B山にA野美容室の経営を監視して貰おうと考え、同年五月二六日付けで、A野美容室の代表取締役として行う一切の行為について被告B山に委任する旨の委任状を作成し、これを被告B山に交付した。

被告B山は、被告松夫やA野美容室の従業員から会社の実情を聴取した結果、取締役会の定例開催や業務執行体制の整備等が必要であるとの結論に至り、これを被告花子に提案した。

同年七月二六日、A野美容室の取締役会が開催され、同取締役会において、役員体制・職務執行体制の整備に関連して、被告松夫を排除した形での役職者の選任手続等が決定された。

(4)  被告花子は、A野美容室の経営を被告松夫以外の者に委ねる意向を固めるとともに、被告松夫との離縁も念頭におくようになり、被告B山に相談した結果、新たな養子として、自分と血縁関係のある甥の原告と夏夫を迎え入れることとし、平成一二年七月ころ、原告の母親である春子と夏夫の母親であるB野一江(以下「一江」という。)にその意向を伝えた。

被告花子の意向を母親である春子から聞かされた原告は、同月一〇日、春子とともに被告花子宅を訪れたところ、被告花子から被告松夫の行状を苦にして自殺まで考えたことがあると訴えられて被告花子に同情し、養子となることを決断した。

同月一一日、被告花子宅において、原告、被告花子、春子、一江及び家政婦のC山が同席して、原告と夏夫をそれぞれ被告花子の養子とする旨の届書(二通)が作成され(夏夫は、養子となることに異存はなく、手続については、一江に任せるとしていた。)、原告がこれを区役所に提出して、本件養子縁組の届出を行った。

(5)  被告花子は、平成一二年七月二五日、原告及び夏夫にA野美容室の経営を委ねる趣旨の下、被告花子の保有するA野美容室の株式を原告及び夏夫に相続させること等を内容とする遺言公正証書を作成した。また、前記同日、被告花子は、被告B山との間で、生活、療養看護及び財産の管理に関する事務の委任契約及び任意後見契約を締結して本件公正証書一を作成し、同月三一日、前記任意後見契約について、本件登記一がされた。

(6)  被告花子は、A野美容室の経営状況に改善がみられないことなどから、直ぐにでも経営を原告に委ねたいと考えるに至り、平成一二年一一月一五日、原告との間で、被告花子の保有するA野美容室の株式を原告に贈与するとの契約を締結し、その旨の公正証書を作成したが、後日、これを知った被告B山から、取締役報酬や贈与税の関係で問題があると指摘され、被告B山の助言に従い、株式を原告に売却する形で契約を締結し直すこととした。

同年一二月一一日、被告花子は、原告に対するA野美容室の株式の全部譲渡を踏まえて、再度、遺言公正証書を作成した。

同月一八日、原告は、被告B山が作成した被告花子がその保有するA野美容室の株式を原告に売却する旨の売買契約書に押印し、同月二一日ころ、被告B山は、同契約書に被告花子の押印を得た。

(7)  平成一二年一二月二四日に開催されたA野美容室の取締役会で、被告松夫は、被告B山から、前記株式売却の事実を聞いて危機感を抱き、平成一三年一月一七日に開催された取締役会では、長女のA野二江(以下「二江」という。)と協力して、被告花子を代表取締役の地位から解任した上、後任の代表取締役として二江を選任した(当時のA野美容室の取締役は、二江、被告花子及び被告松夫であった。)。

被告花子は、これに憤り、同月二九日、被告松夫との養子縁組を解消し、被告松夫を相続人から廃除する旨の公正証書を作成した。

そして、被告花子は、平成一三年三月三日ごろ、被告B山に被告松夫との離縁調停の申立てを委任した。

(8)  平成一三年三月末ころ、被告松夫及びA野美容室の代理人である小林美智子弁護士(以下「小林弁護士」という。)から被告B山に電話があり、同年四月一日、同弁護士及び二江と原告及び被告B山とで、A野美容室の今後の経営方針等につき協議を行うこととなった。その後も、前記関係者の間で、被告松夫が取締役を辞任する方向で交渉が進められたが、同年六月六日、被告松夫が長男のA野一郎に指示し、同人が被告花子宅に入り込んで、玄関の鍵を取り替えるなどして、原告や被告B山が被告花子と接触できないようにしたため、小林弁護士との間で進んでいた交渉も決裂した。

(9)  被告B山は、平成一三年六月一二日、被告花子から委任されていた被告松夫を相手方とする離縁の調停を申し立てたが、同月二八日、被告花子は、調停取下書を提出して同申立てを取り下げ、家庭裁判所調査官の調査の結果、同取下げは本人の意思によるものであると判断されたため、同年一一月二八日、同調停は終了した。

また、被告B山は、同年六月一九日、原告の代理人として、被告花子の任意後見監督人選任を申し立てたが、被告花子は、これに先立つ同月一三日、被告B山との間の任意後見契約を解除する旨の意思表示(本件解除)をしており、同月二〇日、本件公正証書一に基づく任意後見契約の解除による終了登記がされたため、同申立ては、却下された。

同月二七日、被告花子と被告松夫との間で、任意後見契約を締結する旨の本件公正証書二が作成され、同月二九日、前記任意後見契約について、本件登記二がされた。

二  争点(1)について

(1)  被告松夫は、同人の申立てによる被告花子に対する法定後見開始の審判が確定し、被告花子の成年後見人が選任されている現状においては、もはや、原告が被告花子と被告松夫との間の任意後見契約の効力を争い、また、被告花子と被告B山との間の任意後見契約の有効性を確認すべき利益はない旨主張する。

(2)  しかし、任意後見契約を締結した本人が法定後見開始の審判を受けた場合であっても、任意後見監督人が選任される前に法定後見開始の審判がされたときは、既存の任意後見契約はなお存続することとされており(法第一〇条三項の反対解釈)、任意後見監督人選任の申立てがあれば、法定後見による保護を継続することが本人の利益のために特に必要であると認められるときを除き、家庭裁判所は、任意後見監督人を選任して(これにより、任意後見契約の効力が発生することとなる。)、法定後見開始の審判を取り消すこととされている(法第四条一項二号・同条二項)から、被告花子と被告松夫との間の任意後見契約の効力について争いがある(被告松夫は、任意後見契約が有効に締結されたことを前提として、原告の請求を争っている。)本件では、原告が、被告花子と被告松夫との間の任意後見契約が無効であることの確認を求める利益はあるものと認められる。なお、被告松夫は被告花子に対して訴訟を提起している(当庁平成一三年(タ)第九七五号事件)から、家庭裁判所は、後見監督人選任の申立てを却下することとなり(法第四条一項三号ロ)、被告花子と被告松夫との間の任意後見契約は効力を生じないこととなるが、同申立ての適否の判断は、家庭裁判所の審判事項であるから、これをもって、本件訴えの利益が失われるものではない。

そして、被告花子と被告B山との間の任意後見契約についても、これが有効に存続しており、被告B山が被告花子の任意後見受任者の地位にあることが確認されれば、申立てにより任意後見監督人が選任されて、被告B山が任意後見人として、被告花子の財産管理や身上介護に関する法律行為を行うことができることとなる場合もあり得ることに照らせば、前記任意後見契約の締結及び解除の効力に争いがある本件では、原告において、被告B山が被告花子の任意後見受任者の地位にあることの確認を求める利益はあるものと認められる。なお、被告松夫は、確認の利益が認められない理由として、被告B山は被告花子の任意後見人として不適任である(法第四条一項三号ハ)との主張もするが、任意後見受任者に不適任な事由があるか否かは、任意後見監督人選任の申立手続きにおいて判断されるべき事項であるから、被告松夫の主張は、採用できない。

(3)  したがって、本件訴えにはいずれも確認の利益がない旨の被告松夫の主張は、理由がない。

三  争点(2)について

(1)  被告花子の意思能力について

前記一認定事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

ア 平成六年八月ころから、被告花子には小刻み歩行が出現し、歩行障害が改善しなかったことから、同年九月二六日、被告花子は、順天堂大学医学部附属順天堂医院(以下「順天堂医院」という。)を受診し、一一月二二日から一二月一三日まで同医院に精査入院した結果、両下肢に目立つパーキンソニズムがあり、歩行障害は、変形性膝関節症の疼痛に脳血管障害性のパーキンソニズムが加わったことによるものだと判断された。

被告花子は、その後、順天堂医院への通院を継続し、高血圧悪化等を理由に二度程入院し、平成一〇年一月には、右大腿骨頚部骨折で同医院に入院し、大腿骨頭整復術を受けた。なお、このときの長谷川式簡易知能評価スケール(同スケールは、三〇点満点で、二〇点以下は痴呆の疑いがあるとされる。)の結果は二三点であった。

平成一一年八月、被告花子は脳MRI検査を受けたところ、脳室周囲に若干のラクナー梗塞が認められたが、脳血管性パーキンソニズムとまでは診断されず、認知機能の障害もみられなかった。

イ 被告B山は、本件公正証書一に基づく任意後見契約締結時の被告花子の意思能力について、念のため医師の診断を受けておいた方が良いと考え、その旨原告に指示した。そこで、平成一二年八月七日、原告が順天堂医院の外来で被告花子の意思能力についての診断を求めたところ、同医院の水野医師は、同日付けで、知的能力に障害はなく、遺言書作成能力があると認める旨の診断書を作成した。

同月、被告花子は、発熱と脱水症状のため順天堂医院に入院し、同年九月に退院したが、この入院時以降、小林智則医師(以下「小林医師」という。)が被告花子の担当医となった。

同年一〇月、被告花子は、肺炎により順天堂医院に入院したが、その際(同月二五日)撮影された頭部CT像により、脳の萎縮が進行していることが認められ、被告花子の症状については、軽症のアルツハイマー病類縁の病態と判断された。しかし、その症状は軽度であるとともに、塩酸ドネペジルの投薬治療による改善効果も得られた。

ウ 平成一二年一一月一五日、被告花子は、順天堂医院に入院中であったが、原告との間でA野美容室の株式の贈与契約の公正証書を作成することとなったので、担当医である小林医師は、被告花子の意思能力の有無を診断し、同日付けで、「贈与契約作成能力あり」との内容の診断書を作成した。

しかし、同年一二月、被告B山の助言に従い、さきに被告花子が原告に贈与したA野美容室の株式においては、改めて売買契約を締結することになったため、原告は、被告花子の意思能力について再度担当医である小林医師の診断を求めたところ、小林医師は、同月一一日付けで、「遺言能力あり」との内容の診断書を作成した。

エ 平成一三年三月下旬、被告花子は、めまいや嘔吐を繰り返して体調を崩し、経口摂取が困難となったことから、順天堂医院に入院したが、その際(同月二九日)撮影された被告花子の脳MRI画像によれば、アルツハイマー病の特徴の一つである側頭葉海馬付近の顕著な萎縮が認められた上、前頭葉が明らかに萎縮しており、前頭側頭型痴呆パーキンソニズムの要素の存在が指摘された。小林医師は、前記事情に被告花子の臨床症状を併せ考慮し、被告花子の病態について、パーキンソニズムで初発し、その後認知機能の低下が進行したものであり、歩行障害が顕著な脳血管性パーキンソニズムと診断し、その治療を行った。

被告花子には、認知機能障害の明らかな進行が認められたことから、原告は、本件公正証書一に基づく任意後見契約等を実行する必要性の有無を判断するため、小林医師に被告花子の意思能力の診断を求めたところ、小林医師は、被告花子に意思能力はないと判断して、同年四月六日付けで、「認知機能障害があり、意思決定に支障を認む。遺言能力及び贈与、委任等の契約能力についても支障があると判断する。」との内容の診断書を作成した。

被告花子は、入院後は経口摂取が十分可能となったため、小林医師は、高齢の被告花子に負担の大きい検査は行わないこととし、被告花子は、同年四月七日、順天堂医院を退院した。

オ 被告花子は、平成一三年七月三日及び同月二四日、順天堂医院で小林医師の診断を受け、認知機能の検査を行ったが、両日とも、長谷川式簡易知能評価スケールの結果は一四点であり、症状の改善は見られなかった。

その後、被告花子は、同医院に通院しなくなった。

前記認定の被告花子の臨床経過に、被告花子が原告及びA野美容室に対して提起した株主権確認請求訴訟(当庁平成一三年(ワ)一五三〇二号事件)における鑑定結果及び同事件における鑑定人大沼悌一の証言(甲五、一八。被告花子は、平成一二年一二月一八日ころまでは、正しい意思決定能力があったが、平成一三年四月以降、正しい意思決定能力に障害があったと判断している。)を併せ考慮すれば、被告花子は、本件公正証書一に基づく任意後見契約を締結した平成一二年七月二五日当時は、意思能力を有していたが、平成一三年四月以降、これを喪失するに至ったものと認めるのが相当である。

(2)  被告花子の契約意思について

本件公正証書一に基づく任意後見契約締結当時、被告花子に意思能力があったと認められることは前記判示のとおりであるところ、前記一認定事実、《証拠省略》によれば、被告花子は、平成一二年一月ころまでは、養子である被告松夫にA野美容室の経営を委ねようと考えていたが、被告松夫が女性問題で不祥事を引き起こしたり、E田美容室を経営悪化による閉鎖に追い込んだことなどから、被告松夫の経営者(後継者)としての資質に不安を覚えるに至ったこと、同年五月ころから、被告花子は、A野美容室の経営について被告B山に協力を依頼し、同月二六日付けでA野美容室の代表取締役としての行為を委任する旨の委任状を作成するなど、被告B山に対する信頼を深めていったこと、同年七月、被告花子は、被告B山に相談した上、原告と夏夫とを養子に迎える決断をし、本件養子縁組をしたこと、そして、同月二五日、A野美容室の経営を両名に委ねる趣旨で、被告花子の保有するA野美容室の株式を原告及び夏夫に相続させること等を内容とする遺言公正証書を作成するとともに、加齢や病気等により自分の意思能力が衰えた場合に備えて、被告B山との間で、任意後見契約及び委任契約を締結して本件公正証書一を作成したことが認められるのであり、前記事実によれば、被告花子と被告B山との間の任意後見契約は、被告花子の意思に基づいて締結されたものであることが認められる。

(3)  以上のとおりであるから、本件公正証書一に基づく任意後見契約締結時に被告花子に意思能力はなかったとする被告花子の主張及び被告花子には前記任意後見契約締結の意思はなかったとする被告松夫の主張は、いずれも理由がない。

四  争点(3)について

平成一三年四月以降、被告花子には意思能力がなかったと認められることは前記二(1)認定のとおりであるところ、被告花子が本件解除をしたのは、同年六月一三日であるから、本件解除時には、被告花子に意思能力はなかったものと認められる。したがって、本件解除は、効力を生じない。

五  争点(4)について

平成一三年四月以降、被告花子には意思能力がなかったと認められることは前記二(1)認定のとおりであるところ、本件公正証書二に基づく任意後見契約が締結されたのは、同年六月二七日であるから、契約締結時には、被告花子に意思能力はなかったものと認められる。したがって、前記任意後見契約は、無効である。

六  よって、原告の請求は、いずれも理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 角田ゆみ)

<以下省略>

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