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東京地方裁判所 平成16年(行ウ)524号 判決 2005年10月25日

原告ら

X1

外24名

原告ら訴訟代理人弁護士

徳田靖之 国宗直子 鈴木敦士 田部知江子 赤沼康弘

鮎京眞知子 飯田美弥子 伊藤克之 上野格 島戸圭輔

鈴木剛 鈴木雅子 高見澤昭治 竹内英一郎 豊田誠

内藤雅義 中西一裕 中村悦子 野間啓 濱野正嘉

水口真寿美 松浦信平 安原幸彦 神谷誠人 大槻倫子

吉田哲也 野口善國 清水善朗 近藤剛 大熊裕司

井上雅雄 上田序子 石田正也 八尋光秀 向和典

浦田秀徳 板井優 稲尾吉茂 井上滋子 岩田務

久保井摂 古賀克重 小林洋二 迫田学 縄田浩孝

武藤糾明 渡辺耕太 内川寛 馬場啓 三角恒

吉井秀広 西太郎 藤田雄士 黒木聖士 松尾重信

寺内大介 田中利武 迫田登紀子 田中真由美 高木佳世子

大倉克大 吉川晋平 岡島実 大塚芳典 有馬裕

被告

厚生労働大臣

尾辻秀久

被告指定代理人

都築政則

外17名

主文

一  被告が原告らに対して平成16年10月22日付けでしたハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律に基づく補償金の不支給決定をいずれも取り消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

一  事案の骨子

本件は、第二次世界大戦の終結前(以下「戦前」ということがある。)の日本統治下における台湾に設置された臺灣總督府癩療養所樂生院(以下「楽生院」という。)に入所していた原告らが、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成13年法律第63号)に基づき、被告に補償金の支給を請求したところ、被告が、原告らに対して、平成16年10月22日付けで、原告らが同法2条に定める「国立ハンセン病療養所等」に入所していた事実を確認することができないとの理由により、それぞれ不支給決定をしたため、原告らが、楽生院は、同条に基づき厚生労働大臣の定めた厚生労働省告示第224号1号所定の「国立癩療養所」に該当するから、同条に定める「国立ハンセン病療養所等」に当たるなどと主張して、上記各不支給決定の取消しを求める事案である。

二  関係法令の定め

1  ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成13年法律第63号。同年6月22日施行。以下「ハンセン病補償法」という。)

(一) 前文

ハンセン病の患者は、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。我が国においては、昭和28年制定の「らい予防法」においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ、加えて、昭和30年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白となったにもかかわらず、なお、依然としてハンセン病に対する誤った認識が改められることなく、隔離政策の変更も行われることなく、ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し、ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されたのは平成8年であった。

我らは、これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびするとともに、ハンセン病の患者であった者等に対するいわれのない偏見を根絶する決意を新たにするものである。

ここに、ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表するため、この法律を制定する。

(二) 1条

この法律は、ハンセン病療養所入所者等の被った精神的苦痛を慰謝するための補償金(以下「補償金」という。)の支給に関し必要な事項を定めるとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復等について定めるものとする。

(三) 2条

この法律において、「ハンセン病療養所入所者等」とは、らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号。以下「廃止法」という。)によりらい予防法(昭和28年法律第214号)が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所(廃止法第1条の規定による廃止前のらい予防法第11条の規定により国が設置したらい療養所をいう。)その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所(以下「国立ハンセン病療養所等」という。)に入所していた者であって、この法律の施行日(以下「施行日」という。)において生存しているものをいう。

(四) 3条

国は、ハンセン病療養所入所者等に対し、その者の請求により、補償金を支給する。

(五) 4条

1項 補償金の支給の請求は、施行日から起算して5年以内に行わなければならない。

2項 前項の期間内に補償金の支給の請求をしなかった者には、補償金を支給しない。

(六) 5条

1項 補償金の額は、次の各号に掲げるハンセン病療養所入所者等の区分に従い、当該各号に掲げる額とする。

1号 昭和35年12月31日までに、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者 1400万円

2号 昭和36年1月1日から昭和39年12月31日までの間に、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者 1200万円

3号 昭和40年1月1日から昭和47年12月31日までの間に、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者 1000万円

4号 昭和48年1月1日から平成8年3月31日までの間に、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者 800万円

2項 前項の規定にかかわらず、同項第1号から第3号までに掲げる者であって、昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間に国立ハンセン病療養所等から退所していたことがあるものに支給する補償金の額は、次の表の上欄に掲げるハンセン病療養所入所者等の区分及び同表の中欄に掲げる退所期間(昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間に国立ハンセン病療養所等から退所していた期間を合計した期間をいう。以下同じ。)に応じ、それぞれ、同表の下欄に掲げる額を同項第1号から第3号までに掲げる額から控除した額とする。

ハンセン病療養所入所者等の区分

退所期間

前項第1号に掲げる者

24月以上120月未満

200万円

120月以上216月未満

400万円

216月以上

600万円

前項第2号に掲げる者

24月以上120月未満

200万円

120月以上

400万円

前項第3号に掲げる者

24月以上

200万円

3項 退所期間の計算は、退所した日の属する月の翌月から改めて入所した日の属する月の前月までの月数による。

4項 昭和35年1月1日から昭和39年12月31日までの間の退所期間の月数については、前項の規定により計算した退所期間の月数に2を乗じて得た月数とする。

(七) 12条

この法律に定めるもののほか、補償金の支給の手続その他の必要な事項は、厚生労働省令で定める。

2  厚生労働省告示第224号(以下「本件告示」という。)

ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(平成13年法律第63号)2条の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所は、次のとおりとする。

1号 明治40年法(昭和28年法(らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号)第1条の規定による廃止前のらい予防法(昭和28年法律第214号)をいう。以下同じ。)附則第2項の規定による廃止前の癩予防法(明治40年法律第11号)をいう。以下同じ。)第3条第1項の国立癩療養所及び第4条第1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所

2号 前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる次に掲げるハンセン病療養所

イ 明治40年法律第11号中改正法律(昭和6年法律第58号)が施行されるまでの間における国立癩療養所長島愛生園

ロ 国に移管されるまでの間における沖縄県立国頭愛楽園及び沖縄県立宮古保養院

ハ 1945年米国海軍軍政府布告第一号及び1945年米国海軍軍政府布告第一のA号の規定により施行を持続することとされた明治40年法第3条1項の国立癩療養所

3号 昭和28年法第11条の規定により国が設置したらい療養所

4号 ハンセン氏病予防法(1961年立法第119号)第14条の規定により琉球政府が設置したハンセン氏病療養所及び琉球政府が指定した政府立病院

5号 次の表に掲げる私立のハンセン病療養所(平成8年3月31日までの間又は当該療養所を廃止するまでの間に名称の変更があった場合には当該変更後の名称のもの及び当該ハンセン病療養所の事業を承継したハンセン病療養所があった場合には当該事業を承継したものを含む。)

設置時の名称

設置された都道府県

鈴蘭病院

群馬県

聖バルナバ医院

群馬県

慰廃園

東京府

起廃病院

東京府

衆済病院

東京府

身延深敬病院

山梨県

回天病院

岐阜県

復生病院

静岡県

明石叢生院

兵庫県

深敬病院九州分院

福岡県

回春病院

熊本県

持労院

熊本県

3  らい予防法の廃止に関する法律(平成8年法律第28号。同年4月1日施行)1条による廃止前のらい予防法(昭和28年法律第214号。本判決においても「昭和28年法」という。)

(一) 11条

国は、らい療養所を設置し、患者に対して、必要な療養を行う。

(二) 附則2項

癩予防法(明治40年法律第11号。…(中略)…)は、廃止する。

4(一)  昭和6年法律第58号による改正前の癩豫防ニ關スル法律(明治40年法律第11号。以下「昭和6年改正前の明治40年法」という。)

3条

1項 癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ行政官廳ニ於テ命令ノ定ムル所ニ從ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ但シ適當ト認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ

2項、3項 (省略)

(二)  らい予防法(昭和28年法律第214号)附則2項による廃止前の癩豫防法(明治40年法律第11号。昭和6年法律第58号による改正により「癩豫防法」という題名が付された。本判決においても「明治40年法」という。)

(1) 3条

1項 行政官廳ハ癩豫防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノヲ國立癩療養所又ハ第4條ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ

2項、3項 (省略)

(2) 4条

1項 主務大臣ハ2以上ノ道府縣ヲ指定シ其ノ道府縣内ニ於ケル前條ノ患者ヲ收容スル爲必要ナル療養所ノ設置ヲ命スルコトヲ得

2項 前項療養所ノ設置及管理ニ關シ必要ナル事項ハ主務大臣之ヲ定ム

3項ヲ削ル

5(一)  昭和6年勅令第11号による改正前の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)

1条

國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル

(二)  昭和7年勅令第301号による改正前の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)

(1) 1条

國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル

(2) 9条

國立癩療養所ノ名称ハ内務大臣之ヲ定ム

(三)  廃止前の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号。(以下、単に「國立癩療養所官制」という。)

(1) 1条

國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル

(2) 9条

國立癩療養所ノ名称及位置ハ内務大臣之ヲ定ム

(四)  厚生省官制(昭和13年勅令第7号)

(1) 1条

厚生大臣ハ國民保健、社會事業及勞働ニ關スル事務ヲ管理ス

(2) 5条

豫防局ニ於テハ左ノ事務ヲ掌ル

1号 傳染病、地方病其ノ他ノ疾病ノ豫防ニ關スル事項

(以下省略)

(五)  厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)

1条 左ニ掲グル勅令中「内務大臣」ヲ「厚生大臣」ニ改ム

(省略)

國立癩療養所官制

(以下省略)

6(一)  臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(大正10年法律第3号)

(1) 1条

1項 法律ノ全部又ハ一部ヲ臺灣ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

2項 前項ノ場合ニ於テ官廳又ハ公署ノ職権、法律上ノ期間其ノ他ノ事項ニ關シ臺灣特殊ノ事情ニ因リ特例ヲ設クル必要アルモノニ付テハ勅令ヲ以テ別段ノ規定ヲ爲スコトヲ得

(2) 2条

臺灣ニ於テ法律ヲ要スル事項ニシテ施行スベキ法律ナキモノ又ハ前條ノ規定ニ依リ難キモノニ關シテハ臺灣ノ特殊ノ事情ニ因リ必要アル場合ニ限リ臺灣總督ノ命令ヲ以テ之ヲ規定スルコトヲ得

(3) 3条

前條ノ命令ハ主務大臣ヲ經テ勅裁ヲ請フヘシ

(二)  質屋取締法外16件施行ニ關スル件(大正11年勅令第521号)

1条 左ニ掲グル法律ハ之ヲ臺灣ニ施行ス

(以下省略)

(三)  行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年6月15日勅令第164号。なお、「行政諸法臺灣施行令」とは、質屋取締法外16件施行ニ關スル件(大正11年勅令第521号)を指す。)

(1) 1條中「明治30年法律第37號」ノ次ニ「癩豫防法」ヲ加フ

(2) 32条

癩豫防法中道府縣トアリ又ハ北海道地方費又ハ府縣トアルハ州又ハ廳地方費トシ市町村長又ハ市町村トアルハ臺灣市制又ハ臺灣街庄制ヲ施行スル地域ニ在リテハ各市尹、街庄長又ハ市街庄トシ其ノ他ノ地域ニ在リテハ臺灣總督ノ定ムル所ニ依ル

(3) 33条

癩豫防法第8条中6分ノ1乃至2分ノ1トアルハ3分ノ1乃至3分ノ2トス

(4) 附則

本令施行ノ期日ハ臺灣總督之ヲ定ム

(四)  昭和9年臺灣總督府令第65号

昭和9年勅令第164號ハ昭和9年10月1日ヨリ之ヲ施行ス

7  癩豫防法施行規則(昭和9年9月22日臺灣總督府令第66号)

(一) 3条

1項 癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノアルトキハ郡守、支廳長、警察署長又ハ警察分署長ハ患者ノ所在、環境及病状等ヲ具シ知事又ハ廳長ニ報告スベシ

2項 知事又ハ廳長ハ前項ノ報告ヲ受ケタル場合ニ於テ癩豫防上必要アリト認ムルトキハ療養所ニ照會ヲ經タル上送致ノ手續ヲ爲スベシ

3項(省略)

(二) 4条

前條ノ規定ニ依リ癩患者ヲ入ラシムベキ療養所ハ患者所在地ノ州廳ノ療養所又ハ國立癩療養所トス但シ療養所管理者ノ協議ニ依リ之ヲ變更スルコトヲ得

(三) 5条

1項(省略)

2項 前項ノ規定ニ依リ收容シタル場合ニ於テハ療養所ノ長ハ國立療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ承認ヲ求ムルコトヲ要ス

(四) 6条

1項 癩豫防法第4條ノ規定ニ依ル療養所ハ臺灣總督ノ指定シタル知事又ハ廳長ニ於テ之ヲ建設管理スベシ

2項 當該知事又ハ廳長ハ臺灣總督ノ認可ヲ得テ療養所ノ位置及管理方法ヲ定ムベシ

(五) 7条

1項 療養所ノ長ハ入所患者ニ對シ左ノ懲戒又ハ檢束ヲ加フルコトヲ得

1号から4号まで (省略)

2項 (省略)

3項 第1項第4號ノ監禁ニ付テハ情状ニ依リ國立癩療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ認可ヲ得テ其ノ期間ヲ2月迄延長スルコトヲ得

(六) 8条

前條ノ外懲戒又ハ檢束ニ關シ必要ナル細則ハ國立癩療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ認可ヲ得テ療養所ノ長之ヲ定ム

(七) 附則

本令ハ昭和9年10月1日ヨリ之ヲ施行ス

(以下省略)

8(一)  臺灣總督府官制(明治30年勅令第362号)

1条

1項 臺灣總督府ニ臺灣總督ヲ置ク

2項 臺灣總督ハ臺灣及澎湖列島ヲ管轄ス

(二)  臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)

(1) 1条

臺灣總督府癩療養所ハ臺灣總督ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル

(2) 9条

癩療養所ノ名称及位置ハ臺灣總督之ヲ定ム

(三)  昭和5年臺灣總督府告示第102号

臺灣總督府癩療養所ノ名称及位置左ノ通相定ム

名称   樂生院

位置   臺北州新莊郡新莊街頂坡角

三  前提事実

本件の前提となる事実は、次のとおりである。なお、証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めることのできる事実は、その旨付記してあり、その余の事実は、当事者間に争いがないか、当裁判所に顕著な事実である。

1  当事者

原告らは、楽生院に入所していた者である。その入所歴は、別紙一覧表に記載したとおりであって、入所の時期は、最も早い者が昭和12年5月、最も遅い者が昭和20年2月である。(甲1001から1025まで、1026、1027の1から5まで、原告番号11番本人尋問)

2  各不支給決定に至る経緯等

(一) 原告らは、被告に対し、平成16年8月23日、ハンセン病補償法3条に基づき、補償金の支給を請求した。

(二) 被告は、原告らに対し、平成16年10月22日付けで、原告らがハンセン病補償法2条に定める「国立ハンセン病療養所等」に入所していた事実を確認することができないとして、それぞれ不支給とする決定(以下「本件各不支給決定」という。)をした。

被告は、原告らの代理人に対し、同月23日、本件各不支給決定を通知した。

3  ハンセン病補償法の制定に至る経緯

(一) 平成13年4月にハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会(以下「議員懇談会」という。)が設置され、江田五月議員が会長に就任した。議員懇談会は、ハンセン病の患者等による裁判の側面支援、ハンセン病問題の最終解決、国会の責任の検証を目的に掲げた超党派の議員連盟で、野中広務元自民党幹事長、菅直人元民主党代表を始め、各党の幹事長クラスが名を連ね、100人以上の国会議員が参加して設立された。

(二) 熊本地方裁判所は、平成13年5月11日、昭和28年法の定めるらい療養所に入所していたハンセン病患者らが、当時の厚生大臣が策定・遂行したハンセン病患者の隔離政策の違法や、国会議員が昭和28年法を制定した立法行為又は昭和28年法を平成8年まで改廃しなかった立法の不作為の違法等を主張して、国家賠償法に基づき、国に対して損害賠償を求めた事案に関し、概要次のとおりの判決を言い渡した(同裁判所平成10年(ワ)第764号ほか同13年5月11日判決・判例時報1748号30頁参照。以下「熊本地裁判決」という。)。

すなわち、熊本地裁判決は、遅くとも昭和35年以降においては、も早ハンセン病は、隔離政策を用いなければならないほどの特別な疾患ではなくなっており、病型のいかんを問わず、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要が失われたとして、隔離政策の抜本的な変換やそのために必要となる措置を執らなかった当時の厚生大臣の国家賠償法上の責任を認めた。また、遅くとも昭和35年には、昭和28年法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白になっていたとして、遅くとも昭和40年以降に昭和28年法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為についても、国家賠償法上の責任を認めた。その上で、隔離による被害と、社会から差別・偏見を受けたことによる精神的被害について、①昭和35年以前から入所しており、昭和28年法が廃止されるまで退所を経験していない者の慰謝料基準額を1400万円とする、②それより入所時期が遅い者は、昭和35年から入所時までの期間部分の慰謝料を①から減額し、③昭和35年から昭和49年までの15年間に退所していた期間がある者については、当該期間に係る隔離による被害部分の慰謝料を①から減額するという考え方によるとして、同事件の原告らにそれぞれ800万円から1400万円の損害賠償の支払を国に命じた(他に弁護士費用分の賠償も認めた。)。(甲1)

(三) 内閣総理大臣小泉純一郎は、平成13年5月25日、熊本地裁判決を受け、概要下記のとおりの談話を発表した(以下、これを「内閣総理大臣談話」という。)。(乙6)

去る5月11日の熊本地方裁判所におけるハンセン病国家賠償請求訴訟判決について、私は、…(中略)…控訴を行わない旨の決定をした。…(中略)…ハンセン病問題については、できる限り早期に、そして全面的な解決を図ることが、今最も必要なことであると判断するに至りました。…(中略)…今回の判決の認容額を基準として、訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者を対象とした新たな補償を立法措置により講じることとし、このための検討を早急に開始する。(以下省略)

(四) 熊本地裁判決が確定したこと等を契機として、当時会期中であった第151回国会の平成13年6月7日の衆議院本会議及び同月8日の参議院本会議において、それぞれ、「…(中略)…本院は、永年にわたり採られてきたハンセン病患者に対する隔離政策により、多くの患者、元患者が人権上の制限、差別等により受けた苦痛と苦難に対し、深く反省し謝罪の意を表明するとともに、多くの苦しみと無念の中で無くなられた方々に哀悼の誠を捧げるものである。…(中略)…我々は、…(中略)…すみやかに、患者、元患者に対する名誉回復と救済等の立法措置を講ずることをここに決意する」とのハンセン病問題に関する決議案を採択した。(乙34の2頁、乙35の1頁)

(五) その後、いわゆる議員立法により、ハンセン病補償法案が平成13年6月11日に第151回国会に提出されて、可決成立し、ハンセン病補償法が平成13年法律第63号として、同年6月22日に公布され、同日施行された。本件告示も、同日、厚生労働大臣により定められた。

4  台湾割譲後の台湾の法制等

(一) 日本は、明治28年(1895年)4月17日、清国との間で日清戦争の講話条約を締結し、台湾の割譲を受けた。

(二) 日本は、明治28年5月、臺灣總督府假條例を発布して、台湾総督を任命し、明治29年(1896年)3月30日、明治29年勅令第88号臺灣總督府條例(甲17)を発布して、台湾に台湾総督府を設置して台湾総督を任命し、台湾総督府に台湾総督を置いた。以後、台湾では、第二次世界大戦の終結まで、台湾総督による統治が行われた。

(三) 台湾総督には、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(明治29年法律第63号)1条の「臺灣総督ハ其ノ管轄區域内ニ法律ノ効力ヲ有スル命令ヲ發スルコトヲ得」という規定により、委任立法の権限が付与された。また、同法5条により、内地の法律のうち台湾に施行することを要するものは勅令をもってこれを定めることとされた。(甲16、乙30)

(四) 大正10年には、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(大正10法律第3号)が定められた。この法律は、天皇が勅令を発し、その施行を介して、内地の法律が台湾にも施行される(同法1条1項)という仕組みを基本としていた。また、同法2条により、台湾の特殊の事情により必要ある場合に限り、台湾総督の命令をもって規定することができるとされた。(甲21、乙3)

5  楽生院の沿革等

(一) 昭和5年9月27日、臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)が公布された。(公布日につき、甲26、乙4)

(二) 楽生院は、昭和5年(1930年)10月1日、臺灣總督府癩療養所官制に基づき、台湾総督により、「臺灣總督府癩療養所」として名称及び位置指定がされ、設置された。(甲26、27、乙4、32)

楽生院は、同年12月22日、患者収容定員100人をもって開所した。

(三) 昭和9年、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年勅令第164号)により、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ關スル法律(大正10年法律第3号)に基づき台湾に施行される法律を定めていた行政諸法臺灣施行令(大正11年勅令第521号)が改正された。これにより、同年10月1日、台湾に施行される法律に明治40年法が加えられた。なお、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年勅令第164号)は、明治40年法につき、道府県を州・廳に、市町村長・市町村を市尹・街庄長・市街庄にそれぞれ読み替えるとする規定を置き、また、国庫補助金の割合を内地の場合よりも増やす規定を置いていた。(甲28、30、乙5)

(四) また、昭和9年には、台湾総督によって、癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府令第66号)が定められ、同年10月1日に施行された。(甲28、30、乙5)

(五) 楽生院の患者収容定員は、昭和9年には115人、その翌年には227人となり、昭和14年に700人となった。

(六) 楽生院は、臺灣總督府癩療養所官制に基づくものとして、昭和20年8月まで存続していた。

四  争点

本件の主たる争点は、楽生院がハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当するかという点であり、具体的には、次の各点である。

1  楽生院は、本件告示1号前段にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所に当たるか。

2  楽生院は、本件告示1号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる療養所として、本件告示1号又は2号を類推適用することができるものに当たるか。

五  争点に対する当事者の主張の要旨

争点に対する当事者の主張の要旨は、別紙「当事者の主張の要旨」記載のとおりである。

第三  争点に対する当裁判所の判断

一  争点1(本件告示1号該当性)について

1(一)  前記第二の三の前提事実及び弁論の全趣旨によると、ハンセン病補償法は、①ハンセン病問題の解決を進めようという機運の高まる中、平成13年4月に、ハンセン病患者等による裁判の側面支援、ハンセン病問題の最終解決及び国会の責任の検証を目的に掲げた超党派の国会議員連盟である議員懇談会が設置されたこと、②同年5月11日の熊本地裁判決が、もはやハンセン病は、隔離政策を用いなければならないほどの特別な疾患ではなくなっており、すべての入所者及びハンセン病患者について隔離の必要性が失われていたにもかかわらず、当時の厚生大臣は隔離政策の抜本的な変換を怠り、国会議員も昭和28年法の隔離規定の改廃を怠ったなどとして、国の国家賠償法上の責任を認めたこと、③これに対し、内閣総理大臣が、控訴しないことを決定した上、新たな立法措置により補償を行うこととする旨の内閣総理大臣談話を発表し、当時の与野党も、ハンセン病問題の早期の全面的解決を求めたことなどを契機として、当時開会中の第151回国会において、永年にわたり採られてきたハンセン病患者に対する隔離政策により多くの患者・元患者が受けた苦痛と苦難に対する反省と謝罪の意を表明する旨の同年6月7日又は8日の衆議院及び参議院の各本会議決議等を経て、同月11日に第151回国会に提出され、可決成立して、平成13年法律第63号として、同月22日に公布され、同日施行されたものと認めることができる。

そして、ハンセン病補償法前文、1条、2条、3条及び5条の規定や他の諸規定並びに上述した立法経緯に照らすと、ハンセン病補償法による補償金の支給は、ハンセン病患者が、これまで永年の間、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきたこと、昭和28年法においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策が採られてきたこと、加えて、昭和30年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白になったにもかかわらず、なお依然としてハンセン病に対する誤った認識や隔離政策が改められなかったことを真しに認めた上で、かつてハンセン病患者の救護・療養施設に入所した者の心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資するために、「ハンセン病療養所入所者等」の精神的苦痛の慰謝、名誉の回復、福祉の増進等を目的として、単なる損害賠償ないし損失補償ではなく、特別な政策的考慮に基づいて行われる特別な補償を行うものであると解するのが相当である。

(二)  このような目的を達成するため、ハンセン病補償法3条は、国は、「ハンセン病療養所入所者等」に対し、その者の請求により、補償金を支給すると定めている。そして、同条による補償金の支給対象者となる「ハンセン病療養所入所者等」の意義については、ハンセン病補償法2条が規定しており、同条によると、「ハンセン病療養所入所者等」とは、「…(中略)…らい予防法(…略…)が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所(…(中略)…らい予防法第11条の規定により国が設置したらい療養所をいう。)その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所(以下「国立ハンセン病療養所等」という。)に入所していた者であって、この法律の施行日(…略…)において生存しているもの」をいうと定められている。

このように、ハンセン病補償法による補償金の支給要件の一つとして、そこへの入所歴が必要となる「国立ハンセン病療養所等」については、ハンセン病補償法自体は、「国立ハンセン病療養所」すなわち「らい予防法11条の規定により国が設置したらい療養所」という例示を1個挙げているのみであって、そのすべてを定め切ることはせず、残りの特定を厚生労働大臣に委任している。そして、その委任に基づいて、本件告示がハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」が何を指すかについて定めている。

したがって、ハンセン病補償法による補償金の支給を受けるためには、結局、請求人の入所していた施設が、本件告示1号から5号までに掲げられた施設の一つに該当することがまず必要であるということになる。なお、そのうち3号は、ハンセン病補償法自体が既に例示している「国立ハンセン病療養所」を挙げているのであって、ハンセン病補償法による補償金の支給を受けるために必要な入所歴の対象となる「国立ハンセン病療養所等」は、すべて本件告示に列挙されているから、入所歴の対象施設か否かを判断するためには、本件告示1号から5号までへの該当性を判断すれば足りるという構造になっている。

(三)  そこで、本件でまず問題となる本件告示1号を見ると、同号は、「明治40年法(…(中略)…)第3条第1項の国立癩療養所及び第4条第1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所」を挙げている。楽生院が「2以上の道府県が設置した療養所」に当たらないことは明らかであるから、本件では、前者についてのみ検討すれば足りることとなる。

明治40年法3条1項は、「行政官廳ハ癩豫防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノヲ國立癩療養所又ハ第四條ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ」と定めている。そうすると、本件告示1号前段は、結局、明治40年法3条1項に基づき、行政官庁が命令の定めに従ってハンセン病患者を入所させることとなる國立癩療養所を「国立ハンセン病療養所等」の一つとして定めていると解することができる。

(四)(1) 次に上記の「國立癩療養所」の意義について検討することとする。

まず、明治40年法自体には、「國立癩療養所」の定義規定は見当たらない。しかし、国立癩療養所という文言の通常の意味及び明治40年法の文理及び趣旨に照らして考察すると、「國立癩療養所」とは、国すなわち所管の大臣が法令に基づいて設置・管理していたハンセン病患者の救護及び療養を行う施設をいうものと解すべきである。

(2) また、このような施設について定める法令としては、明治40年法が公布された昭和6年4月1日より前の昭和2年10月10日に制定された國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)が存在する。そして、厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)1号による改正前の國立癩療養所官制1条は、「國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル」と定めている。また、國立癩療養所官制9条(昭和7年勅令第301号による改正後のもの)は、「國立癩療養所ノ名称及位置ハ内務大臣之ヲ定ム」と定めている。したがって、少なくとも、國立癩療養所官制に基づき内務大臣がその名称及び位置を定めて管理していた癩療養所が、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」に該当することは明らかというべきである。

しかし、その後、厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)が定められ、その1号において「左ニ掲グル勅令中「内務大臣」ヲ「厚生大臣」ニ改ム」とされており、國立癩療養所官制も同条に掲げる勅令の一つに挙げられている。また、國立癩療養所官制は、昭和21年11月2日勅令第514号による医療局官制の改正により廃止されて医療局官制に集約されている。そうすると、少なくとも、厚生大臣が國立癩療養所官制に基づき、また、厚生大臣が医療局官制に基づき、それぞれ名称及び位置を定めて管理していた癩療養所も、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」に該当すると解するのが相当である。

さらに、証拠(乙24から28まで)及び弁論の全趣旨によると、昭和19年12月に設置された駿河療養所も、行政官庁が命令の定めに従ってハンセン病患者を入所させる施設の一つであり、ハンセン病患者の救護及び療養を行っていたこと、駿河療養所の設置根拠となる法令は、設立当初は軍事保護院官制(昭和14年勅令第479号)であり、昭和20年12月1日に軍事保護院官制が廃止された後は医療局官制(昭和20年勅令第691号)であったこと、駿河療養所の設立当初の官制上の名称は「傷痍軍人駿河療養所」であり、昭和19年12月15日、厚生省告示第111号により、厚生大臣によって名称及び位置の指定がされたこと、国は、駿河療養所を設立当初から本件告示1号にいう国立癩療養所に該当するものとして取り扱っていることが認められる。

また、そもそも、國立癩療養所官制等は、各施設の組織法上の設置根拠等を定めているものにすぎず、設置根拠が特定の官制に基づき、かつ、管理権が特定の大臣に帰属していなければ、明治40年法にいう「國立癩療養所」に該当するということができないと解すべき根拠は見いだし難いところである。

そうすると、その設置根拠が國立癩療養所官制であることに依拠して、当該施設を明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」に当たると判断することはできるものの、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」が、前記(1)に記載した施設のうち、その設置根拠となる法令が國立癩療養所官制であって、管理権等が内務大臣に帰属する施設に限られると解することはできないというべきである。また、このことは、上記にいう國立癩療養所官制を「國立癩療養所官制又は医療局官制」に、内務大臣を「内務大臣又は厚生大臣」に置き換えて考えてみても、なぜそのように限定すべきかという根拠が更に薄弱になるので、なおさらのことである。

(五)  また、以上に述べてきた点や、ハンセン病補償法2条の規定が「らい予防法(昭和28年法律第214号)が廃止されるまでの間に」(廃止は、平成8年4月1日である。)として、入所歴が必要とされる時期の終期を定めているものの、「○年○月○日以降に入所した」などというように、入所歴が必要とされる時期についての始期を限定することはしていないこと、補償金の額について定めているハンセン病補償法5条1項の規定も、「昭和35年12月31日までに、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者」などと定めて、一定額の補償金の支給を受けるための入所歴の必要とされる時期の終期を定めているものの、入所歴について最も早い始期を定める条項は存しないこと、また、支給者を日本国籍を有する者あるいは日本に居住する者に限ると解すべき根拠となる条項がどこにも見当たらないこと、及び前述したハンセン病補償法の趣旨・目的に照らし、所定の施設への入所歴のある者につき日本人と外国人とを区別する合理的理由は見当たらないことからすると、ハンセン病補償法3条による補償金の支給を受けるためには、①一定の療養所等への入所歴の存在、②その入所歴が平成8年3月31日までに入所したものであること、③ハンセン病補償法の施行日である平成13年6月22日における生存を要件とするものの、その入所時期が幾ら古いものであっても支給要件に該当し、その限りでは、時効、除斥類似の問題は生じず、かつ、国籍や居住地による制限もないと解すべきである。

2(一)  以上を前提として、楽生院が、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に当たるか否か、すなわち、本件告示1号前段の定める明治40年法3条1項の国立癩療養所に該当するか否かについて検討することとする。

(二)(1) 前記第二の三の前提事実のとおり、楽生院は、昭和5年9月27日に公布された臺灣總督府癩療養所官制に基づき、同年10月1日に台湾総督により臺灣總督府癩療養所として設置され、同年12月22日に開所したものである。そして、臺灣總督府癩療養所官制によると、臺灣總督府癩療養所は臺灣總督の管理に属し(1条)、癩療養所の名称及び位置は臺灣總督がこれを定める(9条)旨定められており、これらの規定振りは、「内務大臣」が「臺灣總督」と換わっているだけで、國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)1条及び9条と同一である。

(2) そして、証拠(甲1001から10025まで、1026、1027の1から5まで、原告番号11番本人尋問)及び弁論の全趣旨によると、楽生院は、ハンセン病患者の救護及び療養を行っており、昭和9年10月1日から昭和20年8月までの当時、行政官庁が、癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府令第66号)の定めに従い、ハンセン病患者を楽生院に入所させていたことを認めることができる。

(3) また、前記第二の二の関係法令の定め、前記第二の三の前提事実及び弁論の全趣旨によると、①戦前の日本の内地と、その統治下にあった朝鮮、台湾、樺太、関東州及び南洋諸島という外地は、適用法令を異にする異法地域であり、行政法に関して、原則としてそれぞれ別個の法域を形成し、その各法域において各々自己の特有な行政法を有していたこと、②その組織の実体においても、内地と外地とは相分離されており、内地の行政は天皇の下に各省大臣がその各部を分担しているのに対し、外交及び軍政を除き、その他の一般行政に関しては、各省大臣の権限は直接的には外地に及ばず、内地においては各省大臣に分属する一般行政の権限が、包括的にすべて外地の総督又は長官に委任されていたこと、③しかし、台湾については、臺灣ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律(大正10年法律第3号)により、いわゆる内地法律延長主義が導入され、その1条1項が、「法律ノ全部又ハ一部ヲ臺灣ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と定めていたこと、④質屋取締法外16件施行ニ関スル件(大正11年勅令第521号)1条柱書が、「左ニ掲グル法律ハ之ヲ臺灣ニ施行ス」と定めていたところ、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年6月15日勅令第164号)が、「1条中「明治30年法律第37號」ノ次ニ「癩豫防法」ヲ加フ」と定めており、行政諸法臺灣施行令とは、上記の質屋取締法外16件施行ニ関スル件を指すものであること、⑤行政諸法臺灣施行令中改正ノ件は昭和9年10月1日から施行されたことを認めることができる。

そうすると、台湾においては、昭和9年10月1日から、明治40年法が施行されていたということができる。

(4)  さらに、台湾では、前記の行政諸法臺灣施行令中改正ノ件(昭和9年6月15日勅令第164号)の制定後、昭和9年9月22日に、癩豫防法施行規則(昭和9年9月22日台湾総督府令第66号)が定められた。同規則は、「癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノアルトキハ郡守、支廳長、警察署長又ハ警察分署長ハ患者ノ所在、環境及病状等ヲ具シ知事又ハ廳長ニ報告スベシ」(3条1項)、「知事又ハ廳長ハ前項ノ報告ヲ受ケタル場合ニ於テ癩豫防上必要アリト認ムルトキハ療養所ニ照會ヲ經タル上送致ノ手續ヲ爲スベシ」(同条2項)、「前條ノ規定ニ依リ癩患者ヲ入ラシムベキ療養所ハ患者所在地ノ州廳ノ療養所又ハ國立癩療養所トス但シ療養所管理者ノ協議ニ依リ之ヲ變更スルコトヲ得」(4条)、「前項ノ規定ニ依リ收容シタル場合ニ於テハ療養所ノ長ハ國立療養所ニ在リテハ臺灣總督、州廳ノ療養所ニ在リテハ管理者タル知事又ハ廳長ノ承認ヲ求ムルコトヲ要ス」(5条2項)などと定めて、行政官庁がハンセン病の患者を癩療養所に入所させる手続について定めている。

そして、同規則4条及び5条2項のほか、7条3項及び8条においても「國立癩療養所」という文言が用いられているところ、前記第二の三の前提事実及び弁論の全趣旨によると、上記の癩豫防法施行規則が施行された昭和9年10月1日当時、台湾総督が臺灣總督府癩療養所官制に基づき設置した臺灣總督府癩療養所は楽生院のみであり、上記の癩豫防法施行規則にいう「國立癩療養所」に該当し得る施設は楽生院しかないことが認められる。

(5) 以上認定判断したところや、前記第二の二の関係法令の定めを総合して考察すると、①ハンセン病補償法は、昭和35年以降のハンセン病患者の隔離政策の継続等に着目し国の国家賠償法上の責任を認めた熊本地裁判決等を契機として立法に至ったものであるが、ハンセン病補償法2条及び5条は、前述のとおり、入所歴の必要とされる時期について、終期を定めているものの、始期を定めておらず、幾ら古い入所であっても、また、戦前の入所であっても、補償金の支給に必要な入所歴の要件を満たすものと認めていることが明らかであり、②本件告示も、戦前に存在した施設も列記しており、③ハンセン病補償法前文も、昭和30年代に至っても隔離政策等の変更が行われなかったことを指摘しているものの、時系列の流れの中でそのように記したものであって、むしろ前文が「ハンセン病の患者は、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。」という文言で始まっていることや、一定時期以降の被害の回復を目的とする旨の文言が何もなく、ハンセン病の患者に対する慰謝のほか、福祉の増進等も目的とされていることからすると、ハンセン病補償法は、全体として見れば、前記の終期の点を除き時期を問わず、広くこれまでハンセン病の患者が被った有形、無形の苦痛について、損害賠償の趣旨のみにはとどまらない特別な政策的な補償を行うものと考えられ、④補償金の受給権者から外国人や外国居住の者を除外するものと解することはできず、⑤ハンセン病補償法2条は、補償金の支給を受けるために必要な入所歴の対象施設につき、国立ハンセン病療養所その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所と定めているものであって、そもそも「国立」であると限定することさえしておらず、広く、ハンセン病療養所に入所していた者一般につき、救済を行う規定振りとなっており、これを特定の種類の施設や、入所者に損害賠償請求権が認められやすい施設など狭い範囲の一定の施設に限定すべきであるという立法者意思を読み取ることのできる文言や、他の条項は見当たらず、⑥本件告示でも、これを受けて、我が国の施政権外であった時期の沖縄所在の施設への入所者や、私立の施設への入所者まで補償金の支給対象としており、ハンセン病補償法と同様に、そこへの入所歴が必要とされるハンセン病の救護・療養施設につき、これを一定の理由により限定していこうという趣旨を読み取ることは困難であり、⑦本件告示1号前段は、明治40年法に基づき、行政官庁が命令の定めに従って入所させる施設であって、国すなわち担当大臣が法令に基づいて設置・管理していたハンセン病患者の救護及び療養を行う施設を意味すると解されるのであって、かなり広範な定めであり、これを更に一定の施設に絞り込む解釈は文理上困難であり、⑧台湾では昭和9年10月1日以降、明治40年法が施行されているところ、この施行当時、台湾総督が臺灣總督府癩療養所官制に基づいて設置した臺灣總督府癩療養所は楽生院のみであったのであるから、楽生院は、明治40年法3条1項の定める行政官庁が入所させる国立癩療養所に当たると解しないと矛盾が生じることとなり、⑨台湾では、行政官庁がハンセン病患者を施設に入所させるための手続等を定める癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府令第66号)が定められており、⑩同規則4条、5条2項、7条3項及び8条は、「國立癩療養所」という文言を用いているが、これは楽生院のことを意味するものと解するほかなく、⑪戦前に日本の統治下にあった外地においては、内地では各省大臣に分属する一般行政の権限が包括的にすべて外地の総督又は長官に委任されていたところ、楽生院は、台湾総督が臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)1条(臺灣總督府癩療養所ハ臺灣總督ノ管理ニ屬シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル)及び9条(癩療養所ノ名称及位置ハ臺灣總督之ヲ定ム)により設置、管理している癩療養所であり、内地の内務大臣等の所管大臣が名称及び位置を定めて管理していた國立癩療養所官制に基づく療養所と同視することができるというべきである。

以上を総合すると、少なくとも、台湾において明治40年法が施行された昭和9年10月1日以降の楽生院は、台湾総督が、臺灣総督府癩療養所官制に基づき、ハンセン病患者の救護及び療養を行う施設として、名称を付して設置し管理している國立癩療養所であって、明治40年法3条1項に基づき、行政官庁が命令で定めるところに従いハンセン病患者を入所させる国立癩療養所に当たるということができる。

(三)  以上によると、少なくとも、昭和9年10月1日以降は、楽生院は、ハンセン病補償法3条による補償金を支給するために必要な入所歴の対象施設の一つである本件告示1号にいう「明治40年法(…(中略)…)第3条第1項の国立癩療養所」に該当するというべきである。

(四)(1) これに対し、被告は、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」とは、ハンセン病患者の救護及び療養を行う施設のうち、その設置根拠となる法令が國立癩療養所官制又は医療局官制に基づくものに限られるから、楽生院はこれに該当しない旨主張する。

(2) しかし、前記1(四)(2)において説示したように、明治40年法にいう「國立癩療養所」を一定の官制に設置根拠を有するものに限ると限定的に解釈すべき根拠はない。

また、楽生院の場合、既に判示したところによれば、①一般行政権の行使において内地における所管の大臣に相当する台湾総督が、臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)により名称及び位置を定めて管理して、ハンセン病患者の救護及び療養を行う施設であり、②臺灣總督府癩療養所官制1条及び9条は、内地に適用される昭和7年勅令第301号による改正後の國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)1条及び9条と同旨であり、③明治40年法3条1項にいう命令に当たる癩豫防法施行規則(昭和9年9月22日台湾総督府令第66号)も制定されており、④同規則は、「國立癩療養所」についても定めているが、これは楽生院のことを意味すると解することができるというのである。

したがって、楽生院は、「國立癩療養所」に該当すると言って何ら差し支えがないと考えるべきである。

上記のとおりであって、被告の上記(1)の主張は、採用することができない。

3(一)  これに対し、被告は、ハンセン病補償法の立法経緯や国会の審議経過、立法者意思、予算措置等から見ても、台湾所在の楽生院がハンセン病補償法による補償金の支給に必要となる入所歴の対象施設に該当しないことは明らかである旨主張する。

そこで、本件告示の規定ないしは前記1及び2のとおりの本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所の解釈と昭和9年10月1日以降の楽生院がこれに該当するという判断がハンセン病補償法の立法趣旨に反するものかどうかという点について、更に検討することとする。

(二)  そもそも、告示とは、行政機関がその意思や事実を広く一般に公示する方式であって(国家行政組織法14条1項)、その内容は様々であるが、法律の内容を補充する法規たる性質を持つことがある。

この場合、告示は、一種の法規定立行為として機能し、行政立法の性質を持つ。しかし、個別の法律の委任に基づき法律によって規定すべき事項を定める命令である委任命令は、あくまでも法律の定めを補充する規定、ないしは法律の定めをより具体的、特定的にする規定にとどまるものであり、法律の定めそのものを変更する規定を設けることはできない。そして、法律において、行政立法に委任する場合、授権の範囲が明文で定められていないときには、法律の全体構造や趣旨・目的等を勘案して、授権の範囲を解釈することになる。

したがって、告示の内容は、法律の授権の範囲内において、かつ、上級の法令に抵触しないものでなければならない。

そうすると、ハンセン病補償法の立法経緯、立法趣旨等から、ハンセン病補償法をその文理以上に限定解釈することができるのであれば、ひるがえって本件告示についても、それを一部無効としたり、限定的解釈をする余地が生じ得るということになる。

そこで、以下このような観点から、再度検討を加えてみることとする。

(三)  前記第二の三の前提事実に、証拠(甲31、34、乙6、8から11まで、17、34、35、36の1から3まで、37から43まで)及び弁論の全趣旨を総合すると、ハンセン病補償法の成立に至る経緯等として、以下の事実を認めることができる。なお、以下は特に記載しない限り、すべて平成13年の事実である。

(1) ハンセン病補償法の制定に至る経緯について

ア ハンセン病国家賠償請求訴訟に関する熊本地裁判決は、5月11日に言い渡された。

イ 内閣総理大臣は、5月23日、熊本地裁判決に対し、控訴しないことを決定した。

ウ 5月24日に催された与党3党会談

(ア) 5月24日付け朝日新聞(夕刊)の報道(乙36の1)

熊本地裁判決について、政府が控訴を断念したことを受けて、自民党、公明党、保守党の与党3党の幹事長、政調会長らは、5月24日朝、東京都内で会談し、患者、元患者を対象にした損失補償の立法措置などについて協議をしたこと、その場において、患者、元患者を補償するための特別法を今国会中に成立させる方針を確認したこと、補償の対象は4千数百人で、補償額は最大で600億円を見込んでいること、法案は、議員立法として6月上旬をめどにまとめられる予定であることを報道した。

(イ) 5月24日付け日本経済新聞(夕刊)の報道(乙36の2)

熊本地裁判決について、政府が控訴を断念したことを受けて、自民党、公明党、保守党の与党3党の幹事長及び政調会長が、5月24日午前、会談を行い、補償問題について協議したこと、その結果、補償の対象は患者、元患者を合わせた約4千数百人で、訴訟に加わっていない人も含めること、財源は予備費を充てること、補償総額は、熊本地裁判決を基準に最大で600億円と見込まれていることなどを報じた。

(ウ) 5月24日付け読売新聞(夕刊)の報道(乙36の3)

政府が熊本地裁判決について控訴を断念したことを受けて、自民党、公明党、保守党の与党3党の各幹事長らが、5月24日午前、会談を行い、元患者への補償問題を行うための特別立法について協議したこと、その結果、①法案は、6月第2週までに議院立法で提出し、今国会中に成立させる、②法案の内容は、与党三政調会長が患者団体と協議して決めることなどを合意した旨報じた。

エ 5月25日付け内閣総理大臣談話(乙6)

内閣総理大臣は、概要下記のとおり、ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話を公表した。

…(中略)…ハンセン病訴訟は、本件以外にも東京・岡山など多数の訴訟が提起されており、また、全国には数千人に及ぶ訴訟を提起していない患者・元患者の方々がおられる。さらに患者・元患者の方々は、既に高齢になっている。

こういったことを総合的に考え、ハンセン病問題については、できる限り早期に、そして全面的な解決を図ることが、今最も必要なことであると判断するに至った。

このようなことから、政府としては、本判決の法律上の問題点について政府の立場を明らかにする政府声明を発表し、本判決についての控訴は行わず、本件原告の方のみならず、また、各地の訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者の方々全員を対象とした、以下のような統一的な対応を行うことにより、ハンセン病問題の早期かつ全面的解決を図ることとした。

① 今回の判決の認容額を基準として、訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者全員を対象とした新たな補償を立法措置により講じることとし、このための検討を早急に開始する。

② 名誉回復及び福祉増進のために可能な限りの措置を講ずる。具体的には、患者・元患者から要望のある退所者給与金(年金)の創設、ハンセン病資料館の充実、名誉回復のための啓発事業などの施策の実現について、早急に検討を進める。

(以下省略)

オ 5月29日の衆議院厚生労働委員会(乙10)

衆議院厚生労働委員会は、5月29日、ハンセン病問題についての調査を進めるとして、草案作成の前に審議を行った。その質疑の際に、次のような要旨の発言があった。

(ア) 日本共産党の瀬古由起子委員は、納骨堂について言及し、「2万3700のふるさとに帰れない遺骨が眠って」いる旨発言した。また、瀬古由起子委員が、韓国のハンセン病療養所について元々キリスト教らい療養所として発足し、植民地として侵略して以来、院長には日本人医師が当たり、終戦直後には6000人が小鹿島という療養所に収容されていたが、事実を調査した上で謝罪と補償を検討すべきであると考えるがどうかと質問したのに対し、坂口厚生労働大臣は、戦前の韓国におけるハンセン病対策については、現在その具体的内容を十分に把握していないが、今後、ハンセン病問題の歴史を検討していく中で瀬古委員から指摘された点についても取扱いを検討したい旨答弁した。

(イ) 社会民主党・市民連合の中川智子委員は、今回作る立法は、患者や元患者の方々に喜ばれるものでなければいけないし、患者のみならず、家族、親族、その方々の苦しい日本国内におけるこの差別、偏見をなくし、新たな一歩を作るための大事な法律であることから、野党もぜひとも一緒に参加して、立法作業を行いたい旨述べた。

カ 6月7日又は8日の衆参両議院の本会議での国会決議

(ア) 衆議院は、本会議において、6月7日、下記の内容のハンセン病問題に関する決議案を全会一致で可決した。(乙9、34)

去る5月11日の熊本地方裁判所におけるハンセン病国家賠償請求訴訟判決について、政府は控訴しないことを決定した。本院は、永年にわたり採られてきたハンセン病患者に対する隔離政策により、多くの患者、元患者が人権上の制限、差別等により受けた苦痛と苦難に対し、深く反省し謝罪の意を表明するとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げるものである。

さらに、立法府の責任については、昭和60年の最高裁判所の判決を理解しつつ、ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決を図るため、我々は、今回の判決を厳粛に受け止め、隔離政策の継続を許してきた責任を認め、このような不幸を二度と繰り返さないよう、すみやかに患者、元患者に対する名誉回復と救済等の立法措置を講ずることをここに決意する。

政府においても、患者、元患者の方々の今後の生活の安定、ならびにこれまで被った苦痛と苦難に対し、早期かつ全面的な解決を図るよう万全を期するべきである。

右決議する。

(イ) 参議院は、本会議において、6月8日、上記(ア)と同一内容のハンセン病問題に関する決議案を全会一致で可決した。(乙9、35)

(2) 法案の起草段階における議論について(甲34)

ア 4月に設置された議員懇談会は、熊本地裁判決の後、国会決議や補償法の内容について、与野党の調整に当たった。すなわち、5月29日、会長の江田五月議員と民主党の赤松宏隆国会対策委員長とがハンセン病補償法案への対応を打ち合わせ、同月30日、野党関係者で野党統一案を検討し、6月5日、与党案の提示受け、同月6日、ハンセン病補償法案の与党案に対し野党が協議し、同月7日、自民党及び民主党の国会対策委員長に、与党の責任者として長勢甚遠議員、野党の責任者として江田五月議員を加えて協議し、与野党の基本合意に至り、その後、正式な合意が成立した。この間に与党内あるいは与野党内で議論された点は、①前文において、国の謝罪をどの程度明確にするか、②熊本地裁判決が明示していない被害や否定した被害についての対応をどうするかであった。②については、具体的には、熊本地裁判決は、昭和35年以降についてのみ、入所を始めとする昭和28年法の適用下に置かれたことを賠償の対象にしており、それ以前の入所措置や、琉球政府時代の在沖縄療養所への入所は対象としておらず、また、私立療養所への入所者も原告に入っていないため判断されていないが、これらをどうするかが議論された。そして、野党が事前にこれらについても対象とすべきであると与党に申し入れた結果、その旨が6月5日の与党案に盛り込まれ、これらのいずれも対象とすることで事前に合意がされた。

イ 議員懇談会の会長である江田五月議員は、①上記ア②のとおり、最大の問題である支給対象者については、与党案の提示以前の早い段階で問題点が解決され、与野党協議では問題とならなかった、②対象療養所を法文に明示しなかったのは、沖縄も私立も、隔離政策のすべての被害者が救済を受けられるという趣旨が確認され、後は、漏れなく療養所を特定する技術的な作業が残るだけなので、それを厚生労働省にゆだねても問題ないと考えられたためであるという認識を有していた。

ウ 前記のとおり、草案起草前の5月29日の厚生労働委員会において、共産党の瀬古由起子委員が、韓国のハンセン病療養所について質問したことを除き、韓国や台湾の療養所の収容者について補償の対象とするかどうかという点は、法案起草段階では全く議論に上らなかった。

エ 起草案は、与野党の共同提案で意見の一致を見たので、衆議院厚生労働委員会委員長鈴木俊一名で草案を作成し、6月11日に衆議院厚生労働委員会に提出された。

(3) 国会での法案の審議過程等について

ア 衆議院における審議過程等(乙8)

(ア) 自由民主党の西川京子委員が、熊本地裁判決では沖縄の問題につき、入所期間の算定において補償の対象としないとされているが、この問題はハンセン病補償法案ではどうなっているのかと質問したのに対し、福田孝雄衆議院法制局第五部長は、この法案では、補償金の支給対象となるハンセン病療養所等は厚生労働大臣が定めることとされているが、厚生労働省の方では、その中に、復帰前の沖縄における療養所も対象とするという方針であると聞いているので、復帰前の沖縄における療養所への入所期間も、補償金の算定期間とするということになる旨答弁した。

(イ) 議員懇談会の事務局長を務めている民主党の川内博史委員が、在日の外国籍の元患者の方々への補償の取扱いについて質問したのに対し、篠崎英夫厚生労働省健康局国立病院部長は、ほかの方々と全く同様に対象になる旨答弁した。

(ウ) 社会民主党・市民連合の中川智子委員が、対象者の確認として、本法案の第2条に定める「その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」に明治40年法適用時のみの入所者、琉球政府時代のみの入所者及び私立療養所の入所者が含まれるのかどうかと質問したのに対し、篠崎英夫厚生労働省健康局長は、沖縄は、国内と同じように対応するし、私立のらい療養所も含めて同じ考え方で対応する旨、また、明治40年法適用時のものも含まれる旨答弁した。

また、中川智子委員が、対象者について、第二次世界大戦中、占領下の朝鮮半島での隔離政策による元患者に対して同等に扱うべきだと思うが、その当時の実態を厚生労働省は把握しているのか否か、これから調査しなければいけないと考えているのかどうかと質問したのに対し、桝屋敬悟厚生労働副大臣は、「ハンセン病一連の90年の歴史というものをしっかりと検証してもらいたい」、「韓国の状況もまたつまびらかにしてもらいたい」、「検証するための委員会、この活動の中で考えていくべきことだというふうに私は思っております。突然伺われまして、戦時中における韓国でのハンセン病の実態というものはどういうものか、私もつまびらかにはしておりません」などと答弁した。

(エ) 6月11日の衆議院厚生労働委員会において、本草案をハンセン病補償法案の成案として、これを委員会提出の法律案と決することに賛成多数で決まった。反対したのは無所属の川田悦子議員だけであった。

法律案の施行に要する経費としては、約700億円の見込みであると会議録に付記された。

(オ) 衆議院本会議でも、ハンセン病補償法案は、賛成多数で可決された。反対したのは、川田悦子議員一人であった。

(カ) 6月13日付け奈良日々新聞の報道(乙37)

本法案が衆議院厚生労働委員会で議員提案され、川田悦子議員を除く賛成多数で可決されたこと、川田悦子衆議院議員は、療養所から出て差別と偏見の中で社会生活を送った元患者は補償が減額される仕組みとなっていることや、戦前から戦後にかけて朝鮮半島で隔離された人たちが補償の対象となっていないこと等を反対の理由に挙げたことを報道した。

(キ) 6月19日付け朝日新聞国際面の報道(乙11)

川田悦子衆議院議員が、死亡者や旧植民地などへの補償が不十分であるとして、ハンセン病補償法案に、ただ一人反対したこと、「国会は、独自に中身の濃い法を打ち出す責任があります。8月には、韓国に調査に行くつもりです。」などと発言した旨報道した。

イ 参議院における審議過程(乙9)

(ア) 6月12日に、ハンセン病補償法案(衆議院)が、参議院厚生労働委員会に付託され、同月14日に審議が行われた。

(イ) ハンセン病補償法案の提案者である鈴木俊一衆議院厚生労働委員長は、法案の趣旨について、5月11日の熊本地裁判決を受け、国は控訴しないことを決定したこと、これを受けて、各会派間で協議を重ね、また、ハンセン病国家賠償訴訟全国原告団及び全国ハンセン病療養所入所者協議会の意見を聴取するなどして、ハンセン病補償法案を衆議院厚生労働委員会において起草、提出したものであること、本案は、ハンセン病の患者であった者等の置かれていた状況にかんがみ、ハンセン病療養所入所者等の被った精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、合わせて死没者に対する追悼の意を表しようとするものである旨説明した上で、法案の内容について説明した。

(ウ) 大脇雅子委員が、本法案が熊本地裁判決を踏まえた立法かどうかを質問したのに対し、福田孝雄衆議院法制局第五部長は、本法案の補償金は熊本地裁判決の認容額を基準として、このようなハンセン病療養所入所者等の方々が被った精神的苦痛を慰謝するために支給するものであり、同判決では賠償金の算定対象としていない昭和35年より前の入所期間や復帰前の沖縄での入所期間も、本法案では対象としている旨答弁した。

また、大脇雅子委員が、本法案第3条にいう「補償金」の法的性質について、国家賠償か損失補償かと質問したのに対し、横内政明法務副大臣は、衆議院厚生労働委員会において損失補償である旨答弁したのは適切ではなく、本法案は議員立法なので提案者である議員が判断すべきことである旨答弁した。また、福田孝雄衆議院法制局第五部長は、精神的苦痛に対する補償という性質であるという理解しており、法案上、この「補償金」が物的な損失補償であるという理解はしていない旨答弁した。さらに、ハンセン病補償法の提案者である鈴木俊一衆議院厚生労働委員長は、法律論については理解していないので、「補償金」の法的性質が何かということには明確に答えられないが、ただ要するに、昭和28年法による隔離政策が執られたことにより、患者や元患者が被った多大な精神的苦痛に応えなければならないという今の社会的、政治的現実があって、熊本地裁判決を念頭に置きつつ、その苦痛を慰謝するために、補償金を支給するものであるということが立法者としての見解である旨説明した。

(エ) 参議院厚生労働委員会では、ハンセン病補償法案は、全会一致で原案どおり可決された。

(オ) 参議院本会議でも、ハンセン病補償法案は、全会一致で原案どおり可決された。

(4) ハンセン病補償法の施行に伴う平成13年度一般会計予備費の使用要求について(乙40から43まで)

ア 厚生労働省においては、5月24日の与党3党の幹事長会談において、議員立法として成立する予定であったハンセン病補償法の対象や補償総額が確認されたこともあって、そのころから、ハンセン病療養所入所者の積算を進めていた。また、厚生労働省は、本件告示がハンセン病補償法案の公布日にあわせて公布することとされていたため、日本国内におけるハンセン病療養所の調査等を開始し、本件告示の定め方を検討するなどしていた。

イ 厚生労働省は、ハンセン病補償法の施行に伴い必要となる予算措置に関し、ハンセン病補償法の施行に伴い、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金を支出する必要があることを理由に、財務省に対する予備費使用要求額を682億9500万円とする「平成13年度一般会計予備費使用要求書」(乙40)を作成した。また、財務省への予算措置の要求に当たり作成された文書である「ハンセン病療養所等に対する補償制度に要する経費」(乙41)には、ハンセン病補償法の補償対象者の総数の試算に基づき、入所時期や退所期間等を勘案して、補償金として、必要となる経費が試算されており、同じく「ハンセン病療養所入所者等調」(乙42)には、ハンセン病補償法の施行に伴って補償を受けることになるハンセン病療養所入所者の総数が試算されていた。

この「ハンセン病療養所等に対する補償制度に要する経費」及び「ハンセン病療養所入所者等調」では、入所者等の総数を5467人、その内訳を、①入所者数4290人(平成13年3月31日現在の国立療養所入所者数4383人と私立療養所入所者数29人を加算し、熊本地裁の原告123人を減じた人数)、②沖縄(昭和47年5月以前の退所者で再入所していない者)280人、③退所者987人(平成7年までの退所者及び平成8年以降の国立療養所の退所者約870人、私立療養所退所者数9人、沖縄(昭和47年5月以前退所し、再入所後再退所した者18人の合計)(①から③までの合計)として、大雑把に推計し、682億9500万円と算出した。

(5) 第59回帝国議会貴族院の昭和6年2月14日付け衛生組合法案特別委員会における昭和6年改正前の明治40年法の改正に関する審議等について(乙17、39)

昭和6年2月14日に開催された衛生組合法案特別委員会における昭和6年改正前の明治40年法の改正に関する審議では、赤木朝治政府委員が、当時既に存在した国立癩療養所としては、昭和5年11月に設立された岡山県の長島にある施設ただ一つであること、同施設はまだ患者の収容を開始していないが、昭和6年度より開始する予定となっていること、今後、群馬県の草津に国立癩療養所を新設する計画であり、既に昭和6年度の予算に要求を提出していること、公立の癩の収容設備は、これまでは全国を5区に分けて、その5区の府県の連合で府県立療養所を設けて患者を収容していたこと、今回、この府県立療養所の外に別途国立療養所を設けようという趣旨であることなどを説明した。

昭和6年3月3日には、内務大臣告示第29号により、岡山県の長島にあった上記の施設の名称が国立癩療養所長島愛生園と定められた。

(四)  本件告示の他の条項について

(1) 本件告示は、昭和35年以前の入所者も対象とし、入所の時期によってハンセン病補償法の対象から漏れることがないように配慮して、設立時期の古いものが含まれるものから号建てすることとして、起草されているものと解される。

そして、1号後段は、明治40年法4条1項の規定により複数の道府県が設置した療養所について定めたものである。

(2) また、本件告示は、2号イにおいて、本件告示1号前段では、長島愛生園への入所期間のうち一部が除かれてしまうため、昭和5年に設立された後明治40年法が施行される前までの長島愛生園を補償金の支給に必要な入所歴の対象とし、同号ロにおいて、国に移管されるまでの沖縄県立の二つの療養所を入所歴の対象とし、3号において、既にハンセン病補償法2条自体に明示されている昭和28年法施行下の国立ハンセン病療養所を入所歴の対象とした。

(3) さらに、本件告示は、沖縄の琉球政府時代や米軍施政権下の時代も補償の対象となるように配慮されており、2号ハにおいて、戦後日本の管理下になかった時期がある国立癩療養所についての規定を置き、また、4号において、ハンセン氏病予防法(1971年立法第119号)14条により琉球政府が設置したハンセン氏療養所及び琉球政府が指定した政府立病院を入所歴の対象とした。

(4) また、本件告示は、私立療養所もすべて入所歴の対象となるように配慮して、5号に、12箇所の私立療養所が入所歴の対象となる旨の規定を設けている。

(五)(1) 前記第二の三の前提事実及び既に認定判断したところに、上記(三)及び(四)に説示したところを加えて検討すると、①ハンセン病補償法は、熊本地裁判決を踏まえつつ、補償の対象となる範囲を拡大したものであること、②当時の内閣及び与野党ともに、ハンセン病問題の全面的解決を求める政治的機運の高まり等の中で、広くすべてのハンセン病隔離政策の被害者に対する補償の立法措置を早急に講じようという点でほぼ意見が一致していたこと、③ハンセン病補償法は、熊本地裁判決を契機として議員立法として起草されて制定されたものであるが、内閣提出法案としなかったのは、生存者への早期救済を図るため、当時開会中の第151回国会中に法律を成立させるべく、立法を急いだためであること、④草案起草段階での与野党の事前協議では、補償対象者については、熊本地裁判決で賠償の対象とならなかった昭和35年以前の入所者についても対象とし、琉球政府時代の在沖縄療養所も対象とし、私立療養所の入所者も対象とすることが合意されて、草案作成に至ったこと、⑤在日韓国・朝鮮人の存在を念頭に置いた上で、外国人に対する補償は、日本人に対する補償と同様に実施されるということで、与野党の意見の一致をみていたこと、⑥ハンセン病補償法の草案起草段階では、法律において各療養所名を具体的に細かく規定することは不可能であり、そのような専門技術的細部的な事項は、法案の趣旨に則り、告示で網羅的に規定すれば足りると考えて、その所管行政部局である厚生労働大臣に委任することとされたこと、⑦この趣旨に沿って、本件告示は、網羅的にハンセン病の療養所を列挙して、入所時期を問わず、設立当初からすべての期間が補償対象となるように、また、沖縄の療養所及び私立療養所もすべて対象となるように規定されたこと、⑧草案起草の前に、共産党の瀬古由起子委員から朝鮮での補償問題が提起され、国会審議においても、朝鮮の施設への入所者が補償対象となるのかという議論が存在し、結論が必ずしも明示されないままとなっていたが、台湾の施設に入所していた者をハンセン病補償法の補償対象とするか否かの議論は、草案の起草前、あるいは起草段階での与野党の協議の中でも全く現れておらず、法案提出後の各委員の質問や坂口厚生労働大臣ほかの答弁においても、何も触れられなかったことが認められる。

(2)  以上の事実を総合、勘案して、立法者意思ないし立法趣旨を探求すると、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」の具体的内容を規定することは、ハンセン病補償法の補償金の支給の要件となる入所歴の対象となる療養所を漏れなく規定するという技術的な事項にすぎないと考えられていたことから、厚生労働大臣が定めるように委任されたものであると推認することができる。したがって、本件告示は、ハンセン病補償法の趣旨に則り、広く網羅的に入所歴の対象となる療養所を規定することが委任されているというべきである。

そして、ハンセン病補償法案の提案者及びこれを審議した国会議員は、全員がそうであったかは不分明であるものの、その大多数は、ハンセン病補償法は、昭和6年改正前の明治40年法、明治40年法又は昭和28年法等に基づく隔離政策の実施の一環としてハンセン病患者の救護及び療養を行う施設に入所していた者すべてを補償の対象とするものと認識していたものであり、ただ、具体的な問題として、戦前に台湾に所在した施設への入所者がハンセン病補償法による補償金の支給対象となるのか否かについては検討をしておらず、一定の認識の一致は存しなかったものと推認することができる。

そうすると、立法経緯や国会での審議経緯等からハンセン病補償法の立法者意思ないし立法趣旨を探求してみても、ハンセン病補償法が、戦前に台湾に設置されたハンセン病患者の療養所の入所者については、他の要件を充足する場合でも、すべてハンセン病補償法による補償金の支給対象から除外していたと認定判断することは困難であるというべきである。

(3)ア もっとも、前記(三)において説示したところによれば、①内閣総理大臣談話や草案を起草する与野党協議の前段階における与党3党の会合における議論では、「全国の患者」「患者・元患者4000人余り」などといった発言が見られ、国会審議においても、坂口厚生労働大臣ほかの答弁や、質問をした各委員の発言の中にも、「全国13箇所の国立ハンセン病療養所」とか、「療養所に納められている御遺骨2万数千人」、「日本国内」等といった言葉が見られたこと、②ハンセン病補償法の法案に反対票を投じた唯一の議員である川田悦子議員は、死亡者及び朝鮮半島で隔離された人たちが補償対象になっていないため反対票を投じたと発言した旨の新聞報道がされたこと、③ハンセン病補償法案の与党における検討が開始された当初から、厚生労働省は、日本国内及び施政権の及ばなかった時期の沖縄における入所者数のみを念頭に補償額の総額を推計して算出し、予算措置を講じていたこと、④ハンセン病補償法案については、上記の厚生労働省の試算に沿って、ハンセン病補償法に必要となる経費は約700億円の見込みである旨が衆議院厚生労働委員会の会議録に付記されたこと、また⑤第59回帝国議会貴族院における昭和6年改正前の明治40年法の改正に関する審議の際の政府委員の答弁では、当時存在した国立癩療養所として、長島にある施設を挙げるのみで、楽生院を挙げていないことが認められる。

イ(ア) しかし、議員立法により成立したハンセン病補償法の立法者意思を検討する場合に、法案策定前の段階における内閣総理大臣の談話や草案策定中の個々の発言等をそのまま立法者意思を示すものとして評価することができないことはいうまでもないところである。しかも、ハンセン病に関する補償問題を論ずる場合に、時に「全国の」等という言葉が用いられるのは、単に広く網羅的にという趣旨で使用されているにすぎないか、あるいは現にある国家賠償訴訟や国内のハンセン病患者団体等との交渉を念頭に置いているため、たまたま「全国の」等の表現を用いることが多いものと推察され、その際に「国外」を除外するという明確な意思が示されているとは考え難いというべきである(現に国外居住の患者や外国人も一定の場合に補償金の支給対象となることは、既に判示したところから明らかである。)。

(イ) また、上記ア②の川田悦子議員の法案反対理由については、たった1名の反対者の認識内容であるので、立法者意思の認定において重視することができないことは明らかである。しかも、川田悦子議員が当時問題としていたのは、主として戦前の朝鮮半島における施設への入所者の取扱いである。台湾所在の施設への入所者についても問題としていることが当時公表されていたと認めるに足りる証拠はない。

(ウ) さらに、上記ア③及び④の人数の試算や予算措置、経費見積り等から見て、厚生労働省における事務担当者や本件告示の起草担当者等は、ハンセン病補償法による補償金の支給は、日本国内及び我が国の施政権が及ばなかった時期の沖縄所在のハンセン病療養施設の入所者のみがその対象となると考えていたものと推認することができ、台湾所在の療養所についても、既に検討の上、すべて支給対象としないという判断をしていたという可能性も、あり得なくはない。しかし、仮にそうであったとしても、前記のように、ハンセン病補償法案の提案者やこれに賛成して成立させた国会議員らの認識は前述のとおりであって、戦前の台湾におけるハンセン病患者の療養所については、検討しておらず、あいまいなままであったのであるから、厚生労働省の担当者等の認識が別なものであったとしても、前述した立法者意思ないし立法趣旨の認定が左右されるものではない。

(エ) また、上記ア⑤の第59回帝国議会貴族院における政府委員の答弁については、台湾における楽生院の取扱いを巡る議論の中での答弁でも、もちろん補償問題を念頭に置いた答弁でもない上、当時は、台湾には明治40年法が適用されていなかったことや、この答弁がハンセン病補償法案の審議の際に引用されているものでもないことを考え合わせると、これを根拠に、楽生院が国立癩療養所に当たらないと考えられていたと推認することはできない。

(オ) 以上のとおり、上記ア①から⑤までの各点は、いずれも、前記(2)の認定判断を左右するものではない。

ウ もっとも、ハンセン病補償法案の提案者及びその審議に加わった国会議員の大多数が、戦前の台湾におけるハンセン病患者の療養所がハンセン病補償法による補償金の支給のために必要な入所歴の対象施設に含まれるか否かについては検討しておらず、この点につき一定の認識の一致はなく、結局、あいまいなままであったのは、既に判示したとおりである。

しかしながら、ハンセン病補償法において、補償対象を明文上、日本国(戦前の内地)内の療養所に入所した者に限る形で規定し、あるいは戦前に台湾に設置されていた療養所への入所者を除く旨の規定を置くことは、立法技術上特段の困難はないはずである。そして、そのような立法措置を執れば、楽生院の入所者については、ハンセン病補償法による補償金の支給対象者とはならないわけであるが、実際に上記のような立法をするか否かは、正に立法政策次第ということになる。しかし、それにもかかわらず、ハンセン病補償法にも、また、本件告示にも、そのような規定は置かれていないのである。

そうすると、翻って考えれば、前述したハンセン病補償法の特殊な立法趣旨と広範な補償範囲にかんがみると、当時は日本の施政権が及んでいた地域内の施設であって、他の点では所定の要件を満たしているのに、台湾に所在する療養所であるというだけの理由で、そこへの入所者を除外することは、平等取扱いの原則上、一般論としては好ましいことではないということもできるのに、明確な立法もできるにもかかわらず、そうされていないという本件の場合において、立法者意思があいまいであったという理由や、担当部局における補償範囲の予定ないし予算措置等を根拠として、上記平等取扱いの原則を無視して、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」の意義を、戦前の台湾におけるハンセン病患者の療養所を除外するものとして、限定的に解釈することは、合理性がないというべきである。

エ また、ハンセン病補償法が定める補償額は、熊本地裁判決に準じており、補償の対象となる入所期間の終期は、昭和28年法が廃止された平成8年3月31日とされている。これらの事実によると、ハンセン病補償法は、戦後にハンセン病患者の救護及び療養を目的として日本国内で設置されていた施設に入所しているハンセン病患者を主として対象としていると解することができる。

しかし、そもそも、ハンセン病補償法は、熊本地裁判決を前提としてこれを踏まえて制定されたものではあるが、補償の対象は、熊本地裁判決において損害賠償請求が認容された者よりも広範なものとなっている。すなわち、前示のとおり、熊本地裁判決で違法と評価された昭和35年以降の入所者だけではなく、それ以前の入所者も、また、戦前の入所者も、補償金の支給の対象とし、さらに、私立療養所への入所者でさえ補償金の支給の対象になっているのである。しかも、熊本地裁判決では違法と評価されなかった昭和35年以前の入所期間における退所の有無及び期間の長短を不問にして補償金額が定められていることも明らかである。そして、既に認定判断したとおり、ハンセン病補償法の立法経緯をみると、ハンセン病補償法は、政府がハンセン病隔離政策の変換を怠ったことに対する損害賠償という枠を超えて、永年にわたり、差別、偏見、隔離といった処遇を受け、心身ともに傷ついてきたハンセン病療養施設への入所者を生存者に限り広く救済しようという趣旨に出たものということができる。また、ハンセン病補償法は、補償金の支給要件である入所歴の対象となる療養所の範囲については、昭和28年法11条の規定により国が設置したらい療養所その他厚生労働大臣の定めるハンセン病療養所と定めているだけであり、これ以外の限定は何も付していない。そして、他に、ハンセン病補償法が、戦前に台湾に設置されたハンセン病患者の療養所に入所していた者を同法2条にいう国立ハンセン病療養所等に入所していた者から除外していると認めるべき根拠となる文言上の手掛かりは見当たらない。

そうすると、ハンセン病補償法が、主として戦後にハンセン病患者の療養所に入所していた者を対象としているとしても、この点を根拠として、戦前に台湾に設置されたハンセン病の療養所については、すべてハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」から除外されていると解することはできない。

オ(ア) 被告は、ハンセン病補償法は、昭和28年法下の我が国における国立ハンセン病療養所の前身というべき各施設についても、昭和28年法による国立ハンセン病療養所と連続性を有するものとして、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に含まれることとしたものであるなどとして、昭和28年法11条の規定により国が設置したらい療養所(本件告示3号のもの)を基本として本件告示を解釈すべきであるから、戦前に台湾等の外地にあったハンセン病療養所の入所者を補償金の支給対象とすることは、およそ想定されていない旨主張する。

(イ) 確かに、前示のとおり、ハンセン病補償法は、本件告示3号の定めるらい療養所(国立ハンセン病療養所)を既にハンセン病補償法2条の中に定めている。しかし、同条は、「国立ハンセン病療養所(…中略…)その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所(以下「国立ハンセン病療養所等」という。)」と定めているのであるから、その規定振りからみて、「国立ハンセン病療養所」は、例示であり、「国立ハンセン病療養所等」が、「国立ハンセン病療養所」の前身というべき各施設や、これと連続性を有するもののみを定めたものと解することはできない。また、現に、本件告示の定める施設に、私立の療養所や我が国の施政権の及ばない時期の療養所も含まれていることは、既に判示したとおりである。

そうすると、被告の上記(ア)の主張は、採用することができない。

カ(ア) また、被告は、仮に、ハンセン病補償法が楽生院のように第二次世界大戦以前に日本の統治下にあった療養所を補償の対象とするものであるならば、これらの地域は終戦により日本の主権が及ばなくなったのであるから、そのことを考慮した補償金の減額規定が5条に定められているはずであるのに、そのような規定がないことは、正に上記のような療養所が補償の対象から除かれていることの根拠となる旨主張する。

(イ) 確かに、ハンセン病補償法は、昭和20年8月以降、日本の主権が及ばなくなったことに伴う減額規定を置いておらず、そのこと自体は、ある観点から見れば不合理であるということもできる。

しかしながら、そもそもハンセン病補償法5条は、まず、1項において、補償金の基準額を初回入所期間を時代によって4段階に分類して、①昭和35年12月31日までに初めて入所した者を1400万円とし、これ以降、②昭和36年1月1日から昭和39年12月31日までに初めて入所した者を1200万円とし、③昭和40年1月1日から昭和47年12月31日までに初めて入所した者を1000万円とし、④昭和48年1月1日から平成8年3月31日までに初めて入所した者を800万円として定め、次に、2項において、上記の各類型ごとに、昭和35年1月1日から昭和49年12月31日までの間の退所期間の長さに応じて所定の減額を行うことを定めている。このように、ハンセン病補償法において補償金の額を決定する上で、昭和34年12月31日以前の退所期間の有無及びその長短はおよそ不問とされており、昭和35年以前の退所についての減額措置は日本国(戦前の内地)内の施設の入所者にも執られていないのである。したがって、この点の不合理性は、日本国(戦前の内地)内の施設の入所者であっても同じことであり、これをもって、ハンセン病補償法による補償金の支給のための要件である入所歴の対象施設を日本国内のものに限るという限定解釈をする根拠とすることはできないといわなければならない。

したがって、被告の上記(ア)の主張は、採用することができない。

キ(ア) また、被告は、台湾と同様に第二次世界大戦の終結まで日本の統治下にあった朝鮮にも、朝鮮総督府が設置した小鹿島更生園が存在するが、仮に、台湾の施設に明治40年法が適用された結果、楽生院が本件告示1号の明治40年法3条1項の国立癩療養所に該当すると解釈すると、明治40年法が適用されず朝鮮癩予防令が施行されていたにすぎない朝鮮の小鹿島更生園は、本件告示1号の国立癩療養所に該当せず、その余の本件告示各号の規定にも該当しないから、同じ戦前の日本の統治下にあった総督府の設置した癩療養所でありながら、相互に補償の有無で不公平が生じる事態となりかねず、このような事態を招来するような解釈は誤りである旨主張する。

(イ) しかし、そもそも、小鹿島更生園がハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当するか否かは、本判決の審究するところではないので、被告の上記(ア)の主張は前提を欠くものである。しかも、台湾と朝鮮とはそれぞれ元来別個の法域を形成し、その各法域において各々特有な行政法を有していたことは、既に前記2(二)(3)において述べたとおりである。具体的にハンセン病予防の点を見ても各々に施行された法規が異なるだけでなく、台湾にある楽生院と朝鮮にある小鹿島更生園は、その設立経緯、設置の根拠規定等も異なるはずであるから、仮に、両者に被告が指摘するような差異の生ずる結論に至るとしても、一概に不合理とはいえないのである。そうすると、いずれにしても、この点に関する結論は、本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所の意義とその適用に関する本判決の判断を左右するものではないというべきである。

したがって、被告の上記(ア)の主張は、採用することができない。

(4)  以上によると、本件告示1号前段にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所という文言の適用範囲が過度に広範に失し、ハンセン病補償法の立法者意思ないし立法趣旨に反し、委任の範囲を超えるものであるとか、本件告示1号前段の適用により戦前に台湾に設置された国立癩療養所に入所していた者が同法2条にいう国立ハンセン病療養所等に入所していた者に含まれ得ると解することが、同様にハンセン病補償法による委任の趣旨を超えるものであるということはできない。したがって、ハンセン病補償法の立法者意思ないし立法趣旨との関係において、本件告示1号前段の一部無効又は限定解釈を考えるべきであるということはできない。

(六)  以上のことからすると、前記2のとおり、昭和9年10月1日以降の楽生院は、本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所に該当すると解すべきである。

二  前記第二の三の前提事実のとおり、原告らは、いずれも昭和9年10月1日以降に楽生院に入所していた者であるので、ハンセン病補償法2条にいう「ハンセン病療養所入所者等」に該当する。

したがって、これに反する本件各不支給決定は違法であるから、取り消されなければならないというべきである。

三  結語

以上によれば、本訴請求は、いずれも理由があるから、これらを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・菅野博之、裁判官・小田靖子 裁判官・鈴木正紀は、差し支えにつき、署名押印することができない。裁判長裁判官・菅野博之)

別紙一覧表<省略>

別紙当事者の主張の要旨

1 争点1(本件告示1号該当性)について

(一) 原告らの主張

(1) ハンセン病補償法の趣旨について

ア ハンセン病補償法は、補償対象者を、その入所時期、国籍、現住所に何ら制限を設けずに規定しているものであり(同法2条)、これは、ハンセン病補償法が隔離政策によるすべての隔離被害者を対象とする趣旨であることを鮮明に示すものであって、適用対象を限定的に解釈する合理的理由は存在しない。同法2条は、我が国の89年に及ぶ隔離政策の遂行過程で設置されたすべての療養所の入所者を補償金の支給対象とすることを明らかにした上で、その具体的な特定を厚生労働大臣の調査・検討に委任したものと解すべきであり、少なくとも、特定の療養所を除外する趣旨を含んでいないことは明らかである。

そして、厚生労働大臣への上記の委任の趣旨・範囲は、隔離政策による被害があるか否かを基準とするものであり、その結果、本件告示が定められたものである。後記(3)のとおり、本件告示の文言上からも、終戦により日本の主権が及ばなくなった台湾等に存在していた癩療養所は除外されていないから、同施設がハンセン病補償法の適用の対象となるのは当然である。

イ ハンセン病補償法は、内閣提出法案ではなく、議院立法であるから、その趣旨が、内閣総理大臣談話に拘束されることは全くない。したがって、終戦により我が国の主権の及ばなくなった地域に存在していた施設の入所者が、内閣総理大臣談話にいう「全国の患者・元患者」に含まれないからといって、ハンセン病補償法の解釈には何ら影響を及ぼさない。

また、議員立法の立法者意思は、議員による法案起草段階及び国会の審議全体を通じて判断されるべきものであって、被告が主張するように大臣や副大臣の答弁が直接的に立法者意思を構成したり、拘束したりすることはない。そして、答弁を含む国会での質疑を全体として眺めれば、ハンセン病補償法は、我が国の隔離政策の被害を受けたすべての被害者を補償金の支給の対象とするものであり、楽生院等の外地の療養所入所者がハンセン病補償法の支給対象に含まれるか否かは、これらの入所者が我が国の隔離政策の被害者であるといえるか否かによって決せられるというのが、ハンセン病補償法制定時における立法者意思というべきものであることは明らかである。

さらに、ハンセン病補償法案の草案作成段階では、朝鮮の小鹿島更生園や楽生園の入所者を補償金の支給対象に含めるか否かについて議論にならなかったが、これは、逆にいえば、これらの者を除外するという議論もされなかったということである。ハンセン病補償法には、前文が付されており、その冒頭部分には、「我が国においては、昭和28年制定のらい予防法においても、引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ」たとした上で、「ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続し」たと述べているが、この前文の記述は、ハンセン病補償法の補償すべき対象が、昭和28年法以前から一貫して継続された隔離政策による被害であることを明らかにした上で、その「いやし難い心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝する」との立法趣旨を明らかにしたものというべきである。隔離政策の遂行主体が日本国政府であることは明示されているものの、その遂行地域が日本国内に限られるという記述はない。そして、この前文の存在は、ハンセン病補償法案の草案作成段階で与野党で合意された立法趣旨と全く符号するものである。

(2) ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」の範囲について

ア ハンセン病補償法2条は、その入所者等が補償の対象となる「国立ハンセン病療養所等」の定義規定であり、昭和28年法11条の規定により国が設置した「国立ハンセン病療養所」その他の厚生労働大臣が定める療養所に入所していた者と規定している。

イ ところで、ハンセン病補償法2条の特徴は、次の4点にある。すなわち、第1に、入所時期に限定がないため、その入所時期は、昭和28年法の廃止によって、わが国の隔離政策が廃止された平成8年3月までの期間であれば、いつでも対象になるとされているという点である。したがって、当然に、戦前のみの入所であっても構わないことになる。これは、明治40年法時代のみの入所者も補償の対象にするとする国会での審議過程を反映したものである。

第2に、入所の事実だけが要件とされ、国籍も現在の居住地についても、全く制限が付されていないという点である。これは、隔離政策によるすべての隔離被害者を対象とする趣旨であることを鮮明に示すものである。

第3に、療養所について具体的な特定がされておらず、その特定が厚生労働大臣に委任されているという点である。その理由について、ハンセン病補償法の草案の起草者の一人である江田五月議員は、隔離政策のすべての被害者が救済を受けられるという趣旨が確認され、後は漏れなく療養所を特定する技術的な作業が残るだけなので、それを厚生労働大臣にゆだねても問題はないと考えた旨説明している。このことは、厚生労働大臣には、ハンセン病補償法の趣旨に従って調査を尽くし、漏れなく療養所を特定する作業が義務付けられたということを意味する。

第4に、ハンセン病補償法2条にいう昭和28年法11条の規定により国が設置した「国立ハンセン病療養所」とは、厚生労働大臣の定めることになる療養所の例示にすぎないという点である。上記の「国立ハンセン病療養所」が本件告示3号に規定されているのは、そのためにほかならない。したがって、上記の「国立ハンセン病療養所」も、厚生労働大臣が本件告示において定める他の療養所と全く対等であって、解釈上、何ら優越的地位に立つものではないというべきであり、これを優越的地位に立つものとする被告の主張は失当である。

ウ 以上のことから明らかなとおり、ハンセン病補償法2条は、我が国の89年に及ぶハンセン病隔離政策の遂行過程で設置されたすべての療養所の入所者を補償金の支給対象とすることを明らかにした上で、その具体的な特定を厚生労働大臣の調査・検討に委任したものと解すべきであり、少なくも、同条は特定の療養所を除外する趣旨を全く含んでいないというべきである。

したがって、楽生院がハンセン病補償法の対象となる療養所に含まれるかどうかは、つまるところ、具体的な特定を委任された厚生労働大臣が定めた本件告示各号に該当するかどうかに帰着することになる。

(3) 本件告示1号の意義について

本件告示1号は、明治40年法3条1項の国立癩療養所がハンセン病補償法2条の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所に当たる旨規定しているところ、明治40年法3条1項は、ハンセン病患者で、伝染のおそれのある者を「國立癩療養所ニ入所セシムベシ」と規定するだけであり、「國立癩療養所」の定義も組織の定めもなく、当該施設の設置根拠となる法令も規定していない。実際、国立癩療養所の設置根拠は、官制等で別に定められており、本件告示1号に該当することが当事者間で争いのない国立癩療養所の設置根拠は、各療養所により、また、その時代によって、國立癩療養所官制、沖縄県振興事務ニ従事セシムル爲沖縄県ニ臨時職員増員ノ件、庁府県臨時職員等設置制や沖縄振興計画(昭和16年に國立癩療養所官制による「國立癩療養所」になるまでの沖縄2園)、軍事保護院官制及び医療局官制(駿河療養所)、厚生省官制(昭和21年11月4日の國立癩療養所官制廃止後の「國立癩療養所」)等々と多岐にわたっている。

したがって、本件告示1号が定める明治40年法3条1項の国立癩療養所は、その設置根拠となる法令のいかんを問わないということである。

そして、昭和28年法第3章においては、「国立療養所」と表示され、同法11条は、「国は、らい療養所を設置し、患者に対して、必要な療養を行う」と規定するのであるから、「国立」とは、国が設置するという意味であることが明らかである。

そうすると、本件告示1号に規定する「国立癩療養所」とは、明治40年法施行時に存在していたか、あるいは、それ以降同法廃止までの間に設立された国が設置したハンセン病療養所という意味にほかならない。そして、明治40年法下の戦前に本件告示1号前段若しくは後段の療養所に入所し、戦前の内に退所した者も、ハンセン病補償法の対象になることを明らかにしているのである。本件告示1号は、隔離政策自体の被害が戦前に特定されている者をも対象とするという国会審議過程で明らかにされたハンセン病補償法の趣旨を明示した規定であると解される。

(4) 楽生院の本件告示1号該当性について

ア 以上のとおり、本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所に当たるというためには、明治40年法の施行当時、我が国のハンセン病隔離政策に基づいて、ハンセン病の患者を隔離するために、国が設置したハンセン病療養所であれば足りるから、我が国の隔離政策の一環として、植民地である台湾において我が国が設立し運営したハンセン病療養所である楽生院が、これに該当することは明らかである。上記(3)のとおり、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」であるためには、組織法上の設置根拠は問われていないのであるから、臺灣總督府癩療養所官制に基づく楽生院が除外される理由はない。

イ 楽生院は、昭和5年(1930年)10月1日、臺灣總督府癩療養所官制(昭和5年勅令第183号)に基づき設置された療養所である。そして、台湾では、昭和9年に勅令を介して明治40年法が施行された。したがって、台湾は、明治40年法の適用においては、内地と同一の法域に属し、明治40年法は、内地と同一の施行力をもって台湾にも適用されたというべきである。このことからすると、臺灣總督府癩療養所官制に基づき台湾総督の管理する「臺灣總督府癩療養所」として設立された楽生院であっても、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」に該当するのは明らかである。

加えるに、上記勅令によって台湾に施行される法令に明治40年法が加えられた際に、「道府県」を「州」に読み替える等の規定が置かれたが、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」を「臺灣總督府癩療養所」と読み替える規定が設けられなかったということは、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」に「臺灣總督府癩療養所」が含まれると解釈されていたことの決定的な証拠である。

ウ 以上のとおりであり、楽生院は、本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所に該当する結果、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当するということになる。

(二) 被告の主張

(1) ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」の意義・範囲について

ア ハンセン病補償法が補償の対象とする者は、次のとおりである。すなわち、ハンセン病補償法2条は、まず、①昭和28年法の下においてハンセン病隔離政策が実施されたことから、同法11条の規定により国が設置したらい療養所(国立ハンセン病療養所。その具体的な表れが本件告示3号に定める療養所である。)の入所者を補償の対象とした上で、②ハンセン病補償法前文が、「我が国においては、昭和28年制定の「らい予防法」においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ」としていることから分かるように、昭和28年法が制定される以前からハンセン病の患者に対する隔離政策が我が国において執られていたことにも配慮して、上記の「国立ハンセン病療養所」に限らず、「その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」の入所者も補償の対象とするという趣旨を明らかにしたものである。

そして、この立法趣旨に基づいて、ハンセン病補償法は、昭和28年法下の我が国における国立ハンセン病療養所の前身というべき各施設についても、昭和28年法による国立ハンセン病療養所と連続性を有するものとして、その設立時にまでさかのぼってハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に含ませることとし(その具体的な表れが本件告示1号、2号及び4号に定める療養所である。)、さらに、一部の宗教家らが設立した私立のハンセン病療養所についても、国立ハンセン病療養所等の代用の役割を果たし、あるいはその閉鎖に伴ってその収容者が国立ハンセン病療養所等に移転していたことを考慮してこれに含ませ(その具体的な表れが本件告示5号に定める療養所である。)、これらの入所者をも補償の対象とすることにしたものである。

イ しかし、ハンセン病補償法は、第二次世界大戦以前に日本の統治下にあった台湾等の外地に存在したハンセン病療養所の入所者を補償の対象とすることはおよそ想定していない。このことは、次のことから明らかである。

(ア) 立法経緯、立法者意思及び予算措置等について

ハンセン病補償法は、昭和28年法下において、遅くとも昭和35年以降において隔離政策の抜本的な転換やそのために必要な措置を執らず、国会も、昭和40年以降において立法措置を講じなかったことを理由に、当時の厚生大臣及び国会の国家賠償責任を認めた熊本地裁判決を契機とし、「全国の患者・元患者」を対象にした新たな補償の立法措置を早急に執ることを明らかにした内閣総理大臣談話を受けて成立した法律である。楽生院のように終戦により日本の主権が及ばなくなった台湾等に存在していた施設の入所者は、昭和28年法下における隔離政策の対象ではなく、内閣総理大臣談話の「全国の患者・元患者」にも当たらない。ハンセン病補償法が内閣提出法案ではなく、議員立法として法案提出されたのは、単に、被害者への早期補償を図るため、開会中であった国会の会期内に同法を成立させることを最優先したことなどの理由によるものにすぎない(坂口厚生労働大臣答弁。乙8の8頁、36の1から3まで)のであって、議員立法であるから、内閣総理大臣談話がおよそ立法者意思を推認する根拠とはならないということはできないはずであり、平成13年6月11日の厚生労働委員会における西川京子議員の発言が小泉総理の決断に言及していること(乙8の2頁)などに照らすと、むしろ、内閣総理大臣談話は、ハンセン病補償法の立法者意思を推認する根拠の一つになり得るというべきである。

そして、国会における法案審議の過程における議論をみても、戦前の日本の統治下にあった地域におけるハンセン病療養所の入所者について補償の対象とすることを肯定する政府当局者の発言はなかったことや、旧植民地におけるハンセン病療養所の入所者を対象とせず、補償が不十分であるとして、衆議院厚生労働委員会及び衆議院本会議での採決で反対票を投じた川田悦子議員の存在等から明らかなように、楽生院のように終戦により日本の主権が及ばなくなった台湾等に存在していた施設の入所者は補償対象に含めないというのが立法者意思である。すなわち、平成13年5月29日の衆議院厚生労働委員会において、台湾と同様に日本の統治下にあった韓国のハンセン病療養所について、「終戦直前には6000人の方が小鹿島という療養所に収容されておりました。…(中略)…事実を調査した上、謝罪と補償を検討すべきであると思いますけれども、その点いかがでしょうか。」との質問に対し、厚生労働大臣は、「戦前の韓国におけるハンセン病対策につきましては、現在その具体的内容を十分に把握しておりません。今後、ハンセン病問題の歴史を検証していく中で、御指摘の点につきましても取扱いを検討してまいりたいと思っています。」と答弁しただけで、同施設の入所者につき、ハンセン病補償法によって補償されるべきものであるとの発言はしなかった(乙10の18頁)。また、同年6月11日の同委員会における桝屋敬吾厚生労働副大臣の答弁においても、「戦時中における韓国でのハンセン病の実態というものは、どういうものか、私もつまびらかにはしておりません。」とされただけである(乙8の19頁)。このように、同月22日というハンセン病補償法施行の直前の時期においても、楽生院のような戦前の日本の統治下にあった地域に所在していた施設についての実態は把握されておらず、したがって、その入所者を対象に含めることなく、ハンセン病補償法が成立したというほかない。現に、特に旧植民地の入所者の実態に関心を寄せていた川田悦子議員は、ハンセン病補償法が施行時に生存している者しか補償の対象としていないこと及び旧植民地にある施設の入所者を補償の対象としていないことを理由として、ハンセン病補償法の成立に反対したのである(乙11、37、38)。

さらに、ハンセン病補償法は、その制定に当たって予算措置を講ずる必要があるが、補償の対象者を5467人、補償金の支払に必要となる経費を約700億円と見積もって制定されたものであり(乙8の21頁、36の1から3まで、40から43まで)、上記予算措置の試算上の補償の対象者には台湾等の外地に存在していた施設の入所者は含まれていなかった。

(イ) ハンセン病補償法の内容等について

ハンセン病補償法は、熊本地裁判決が認めた損害賠償基準を参考にしながら、昭和35年以降の我が国におけるハンセン病隔離政策の状況に着目し、昭和35年から昭和49年までに実際に入所していた者に対する補償が手厚くなるように補償額の算定基準を策定している。

したがって、仮に、ハンセン病補償法が、2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に第二次世界大戦以前に日本の統治下にあった台湾等の外地に存在していたハンセン病療養所の入所者を補償の対象としているのであるならば、終戦により日本の主権が及ばなくなったことを考慮した補償金の減額規定等が定められるべきである。すなわち、原告らは、「昭和35年12月31日までに、初めて国立ハンセン病療養所等に入所した者」(同法5条1項1号)に該当するということになるから、終戦により日本の主権が及ばなくなった昭和20年以降の入所期間について、何らかの減額措置を定めた規定が同法5条に置かれるのが自然である。

しかしながら、ハンセン病補償法にはそのような規定は存在せず、その他上記のようなハンセン病療養所の入所者を補償の対象とすることをうかがわせる規定は見当たらない。

そして、ハンセン病補償法は、過去の隔離政策による被害を受けた者に対する補償を内容とした上、補償請求の期間を5年間と限定していること(同法4条)、ハンセン病補償法の施行日において生存している者のみを対象としていること(同法2条)を定めているのであるから、立法時に予定されていた補償の対象・範囲が拡大することを予定していないというべきである。

また、仮に、台湾等の外地に存在していたハンセン病療養所の入所者を補償の対象としているのであるならば、必ずや必要になる、具体的な対象者やその確認方法、予算措置、対象者の本国政府に対する説明の仕方等がおよそ検討された事実がない。

ウ 以上のとおりであり、ハンセン病補償法が第二次世界大戦以前に日本の統治下にあった台湾等の外地に存在していたハンセン病療養所の入所者を補償の対象としていないことは明らかである。そして、ハンセン病補償法は、立法時に前提とされた補償の対象人数と予算の範囲内においてのみ補償を行う趣旨であると理解すべきであり、ハンセン病補償法の拡張ないし類推等の解釈によって、同法の成立時に対象外とされていた楽生院等の入所者を補償の対象にすることは、解釈論の域を越えているというべきである。

(2) ハンセン病補償法2条により委任された本件告示の定めるハンセン病療養所の意義・範囲について

ア 法律の委任を受けた下位規範である告示は、授権した法律の委任の趣旨に反することはできず、告示において定めることができる事項、内容等は、無限定ではあり得ないから、告示の定めている内容は、法律の立法経緯や法律全体からうかがわれる立法趣旨ないし立法者意思に照らして解釈されるべきものである。したがって、本件告示として厚生労働大臣がハンセン病補償法2条の委任により定めることのできるハンセン病療養所の範囲や内容は、ハンセン病補償法の立法経緯や法律全体からうかがわれる立法趣旨ないし立法者意思に照らして解釈されるべきものであり、ハンセン病補償法が元々補償の対象として予定していない療養所の入所者等に対してまで補償を及ぼすように定めることはできないのであって、また、そのように解釈すべきではない。

本件告示は、ハンセン病補償法2条の委任を受けて「国立ハンセン病療養所等」の範囲に含まれる施設の具体的な特定をすべく、同法が補償の対象として予定している範囲の療養所を網羅できるように類型分けし、後記イのとおり、1号から5号までの規定を設けてその施設を具体化したものにすぎないのであり、ハンセン病補償法が対象としていない療養所の入所者等に対し補償を及ぼすものではない。

そうすると、ハンセン病補償法が楽生院等の外地の療養所を補償の対象として予定していないのは前記(1)のとおりであるから、楽生院が本件告示1号所定の療養所に当たらないのは当然というべきである。

イ 本件告示の内容につき、具体的にみてみる。

(ア) まず、規定の仕方であるが、1号から4号までに、国立の療養所を列挙し、その号建ては、最も設立の早い療養所が含まれる類型から順次1号ないし4号としている。そして、5号において、私立の療養所を列挙して具体的に定めている。このように、いずれもハンセン病補償法2条が予定したところに従って定めているというべきである。

(イ) 次に、具体的な内容についてみる。

本件告示は、まず、我が国において最も早い時期に設置された療養所の類型として、1号を規定した。

しかし、同一の施設が時期によっては1号に規定する療養所に該当しないことになるので、この補助的な規定として、2号イからハまでを規定した。すなわち、イは、明治40年法が施行される前に設立された国立癩療養所が長島愛生園だけであるところ、本件告示1号の規定では、明治40年法の施行前の時期における同施設が対象とならないため、規定されたものである。ロは、公立の療養所につき、本件告示1号後段が明治40年法4条1項の規定により2以上の道府県が設置した療養所と規定しているが、沖縄県立宮古保養院及び沖縄県立国頭愛楽園はいずれも沖縄県単独で設立されたものであり、国立に移管されるまでの間、1号の規定では対象とならないために規定されたものである。ハは、第二次世界大戦後の一時期、沖縄及び奄美大島が米国の施政下に置かれたため、米国施政下の沖縄及び奄美大島にあった国立癩療養所国頭愛楽園、国立癩療養所宮古南静園及び国立癩療養所奄美和光園は、明治40年法や昭和28年法が直接適用されることはなく、1号又は3号の対象とならないので、米国施政下の時期を対象とするために規定されたものである。

次に、本件告示3号において、ハンセン病補償法が本来補償の対象としたというべき昭和28年法11条により国が設置したらい療養所を規定した。

4号は、琉球政府が昭和27年4月に発足し、米軍政府管轄下にあった国頭愛楽園及び宮古南静園が、いずれも琉球政府所管となったところ、1945年(昭和20年)米国海軍軍政府布告第1号及び同第1のA号により引き続き施行されていた明治40年法が琉球政府発足後も施行されていたが、昭和36年8月26日にハンセン氏病予防法が公布、施行され、同日、明治40年法が廃止されたため、琉球政府が設置したハンセン氏病療養所及び琉球政府が指定した琉球政府立病院に該当することとなり、昭和47年5月に日本に復帰するまでの一時期、2号ハにも3号にも該当しないことになるので、4号で規定した。なお、両施設は名称を変更して琉球府立沖縄愛楽園及び琉球府立宮古南静園となった。

5号は、一部の宗教家らが設置した私立のハンセン病療養所について定めている。なお、ここの入所者は、その後、他の国立ハンセン病療養所に転院するなどしている。

ウ 本件告示に列挙されている療養所の中に、我が国の隔離政策による被害を前提としていない米軍施政下の沖縄の療養所(2号ハ)、琉球政府が設置した療養所(4号)、私立の療養所(5号)が含まれていることからしても、日本による隔離政策による被害があるかどうかが、ハンセン病補償法2条の委任の趣旨や範囲を決めるものではないことは明らかである。

(3) 本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所の意義について

ア 本件告示1号は、明治40年法3条1項の国立癩療養所をハンセン病補償法2条に基づき厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所に含めている。

ところで、明治40年法3条1項は、「行政官廳ハ癩豫防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノヲ國立癩療養所又ハ第四條ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ」と定めている。他方、昭和2年10月10日に制定された國立癩療養所官制(昭和2年勅令第308号)は、その1条において、「國立癩療養所ハ内務大臣ノ管理ニ属シ癩患者ノ救護及療養ニ關スルコトヲ掌ル」と規定していたが、この國立癩療養所官制は、昭和6年改正前の明治40年法を改正した昭和6年法律第58号の公布の日である昭和6年4月1日の直前である同年2月23日に改正され、その國立癩療養所官制中改正ノ件(昭和6年勅令第11号)9条には「國立癩療養所ノ名称ハ内務大臣之ヲ定ム」との規定が置かれ、さらに、同条は、昭和7年勅令第301号により改正され、「國立癩療養所ノ名称及位置ハ内務大臣之ヲ定ム」と規定された。

このような明治40年法及び國立癩療養所官制の制定過程、法令の文言等に照らせば、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」とは、國立癩療養所官制に基づき内務大臣が名称及び位置を定めるなどして、その管理にあたった施設を指すことは明らかである。なお、昭和13年1月10日には、厚生省官制(昭和13年勅令第7号。乙15)が新たに制定され、厚生省官制及保險院官制制定ニ際シ榮養研究所官制其ノ他ノ勅令中改正ノ件(昭和13年勅令第20号)1条において、「左ニ掲グル勅令中「内務大臣」ヲ「厚生大臣」ニ改ム」と規定され、國立癩療養所官制も同条の掲げる勅令の一つに挙げられたことから、昭和13年以降は、明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」は、國立癩療養所官制に基づき厚生大臣が名称及び位置を定めるなどその管理にあたった「國立癩療養所」を意味する。その後、國立癩療養所官制は、昭和21年11月2日勅令第514号(乙29)による医療局官制の改正により廃止されてこれに集約されたことから、それ以降は、医療局官制に基づき厚生大臣がその管理にあった「國立癩療養所」を意味する。

イ(ア) 第二次世界大戦以前の日本とその統治下にあった外地は、適用法令を異にする異法地域であり、「朝鮮、臺灣、樺太、關東州、南洋群島は、行政法に關して原則として、それぞれ別個の法域を爲し、其の各法域に於いて各々自己の特有な行政法を有つて居るのであ」り、「其の組織の實體に於いては内地と殖民地とは相分離せられて居り、内地の行政は天皇の下に各省大臣が其の各部を分擔して居るに反して、外交及び軍政を除き其の他の一般行政に關しては、各省大臣の權現は直接には殖民地に及ばず、内地に於いては各省大臣に分属する一般行政の權現が、包括的に總て殖民地の總督又は長官に委任せられて居る」のである(美濃部達吉署「日本行政法上巻」61頁、66頁参照。乙47)。

そうすると、内地法である明治40年法3条1項も内地の行政組織法等に基づいて解釈されるべきであるから、同項の「國立癩療養所」とは、内地の行政組織法令というべき國立癩療養所官制に基づく「國立癩療養所」であるのは当然であって、外地の行政組織法である臺灣總督府癩療養所官制に基づく臺灣總督府癩療養所である楽生院がこれに当たらないことは明らかである。これは、明治40年法を改正した昭和6年法律第58号の国会審議である昭和6年2月14日の貴族院衛生組合法案特別委員会(乙39の161頁から162頁まで)の議事録からも裏付けられる。すなわち、「國立癩療養所」が今現在どこに幾つあるのかという質問に対し、政府委員は、「岡山縣ノ長島」に一箇所あるだけであり、そのほか「群馬縣ノ草津」に一つ計画中である旨答弁し、国内にあった長島愛生園と栗生楽泉園に言及するにとどまり、当時既に台湾に存在した楽生院については何ら言及していないこと、及び上記の政府委員の答弁において言及された「起草中ノ官制」とは、國立癩療養所官制中改正ノ件(昭和6年2月23日勅令第11号。乙14)を指すことからして、昭和6年法律第58号の制定当時、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」の解釈として、國立癩療養所官制に基づき設置された施設に限られ、外地に存在した療養所を含むものではないとされていたことが明らかであるというべきである。

(イ) 確かに、台湾においては、昭和9年に勅令として公布された行政諸法臺灣施行令中改正ノ件によって、明治40年法が施行された。

しかし、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件に、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」を「臺灣總督府癩療養所」と読み替える規定がないからといって、それだけで、明治40年法3条1項の「國立癩療養所」が「臺灣總督府癩療養所」を含む概念であると解することはできない。あくまでも、内地法である明治40年法が、行政諸法臺灣施行令中改正ノ件の施行を介して台湾に施行されるようになったにすぎず、前記(ア)で述べた内地法である明治40年法3条1項の「國立癩療養所」の概念自体が拡張し、変容するということはない。

そして、楽生院は、臺灣總督府癩療養所官制に基づき台湾総督が名称及び位置を定めるなどして設立し、管理する臺灣總督府癩療養所であり、昭和9年に明治40年法が台湾に施行されるようになった後も、台湾総督が引き続き管理したものであって、國立癩療養所官制に基づく「國立癩療養所」として内務大臣又は厚生大臣が管理するようになったものではない。なお、昭和17年11月1日に台湾総督府の事務は、内務大臣の「統理」の下に置かれたが、これは、拓務省が廃止され、拓務省の事務の一部が内務省に移ったことによるものである(乙48、49)。だが、この官制の改廃によって、楽生院が内務大臣の直接の管理下に置かれたものではなかった。また、昭和13年には、國立癩療養所官制に基づく癩療養所は、厚生大臣の管理下に置かれていたから、昭和17年の前記官制の改廃によっても楽生院は、國立癩療養所官制に基づく療養所とは、異なる扱いがされていた。

したがって、楽生院は、本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所には該当しないというべきである。

(ウ) 癩豫防法施行規則(昭和9年台湾総督府第66号)4条は、同規則3条により癩患者を入らしむべき療養所は患者の州庁の療養所又は国立癩療養所とする旨定めているが、これは、勅令である行政諸法臺灣施行令中改正の件を介して内地法である明治40年法が台湾にも施行されることになったことを踏まえたものである。

しかし、同規則4条にいう「國立癩療養所」とは、その長が同規則5条に基づく収容の承認(同条2項)、7条以外の懲戒又は検束に関して定める細則の認可を求める相手方(8条)をいずれも台湾総督と定め、國立癩療養所官制に基づく「國立癩療養所」のように、内務大臣又は厚生大臣の管理下に置かれるものとは定められていないから、やはり、同規則にいう「國立癩療養所」が内地法である明治40年法3条1項にいう「國立癩療養所」と同一であると解することはできないというべきである。

ウ 台湾と同様に戦前に日本の統治下にあった朝鮮にも、小鹿島更生園という癩療養所が存在するが、朝鮮には、朝鮮癩予防令(昭和10年政令第4号)が施行されていただけで、明治40年法が施行されることはなかった。

したがって、仮に、原告らの主張に従い、台湾においては昭和9年に明治40年法が施行されたことにより楽生院が明治40年法3条1項の「國立癩療養所」に該当することになったと解することができるとしても、朝鮮の小鹿島更生園は、原告らの上記主張によってもこれに該当すると解することはできない。そうすると、同じ戦前の日本の統治下にあった総督府の設置した癩療養所でありながら、楽生院のみが本件告示1号に該当することになりかねないが、このような事態がハンセン病補償法の立案、制定当時、想定されていたとは到底考え難い。

そして、ハンセン病補償法は、そもそも、前記(1)のとおり、終戦により日本の主権が及ばなくなった台湾、朝鮮の癩療養所である楽生院や小鹿島更生園の入所者を補償の対象としていなかったのであるから、その委任を受けて定められた本件告示1号にそれらが含まれると解する余地はないのである。

(4) 以上のとおりであり、楽生院は、本件告示1号にいう明治40年法3条1項の国立癩療養所には該当しないというべきである。

2 争点2(本件告示1号又は2号の類推適用の可否)について

(一) 原告らの主張

(1) 本件告示2号は、本件告示全体の解釈基準、すなわちハンセン病補償法2条の委任の趣旨を端的に示す規定であり、その特徴は、次の3点にある。すなわち、

ア 第1に、本件告示2号の規定振りである。同号は、本件告示1号と同視することが相当と認められるハンセン病療養所を3類型に分けて列挙しているが、これは、まず、本件告示1号の国立癩療養所と同視することが相当と認められるハンセン病療養所であれば、ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」に該当することを示しているものである。その上で、その類型として三つを規定しているが、これは、ハンセン病補償法2条の委任を受けて厚生労働大臣が本件告示制定までの短期間に対象とすべきハンセン病療養所の範囲について調査・検討し得た療養所を掲記した例示的な規定にすぎない。ハンセン病補償法の制定過程において、本来、厚生労働省が行うべき調査を同省が怠っていたが故に、楽生院等の旧植民地の癩療養所がハンセン病補償法の対象となることの積極的な確認がされず、また、ハンセン病補償法の委任を受けた厚生労働大臣が本件告示を制定するまでの時間が短期間であったが故に、厚生労働省は、対象となる療養所について十分な調査・検討をすることができず、その結果、日本が戦前に朝鮮や台湾に設立した癩療養所の実態まで想起することができずに定められたというにすぎない。これらの癩療養所が2号に掲記することができなかったのは単に本件告示の不備にすぎないのであって、同号に規定された以外に、本件告示1号と同視することが相当と認められる療養所が他に存在することを排斥するものではない。

したがって、本件告示2号にいう3類型以外に本件告示1号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる療養所の存在が認められた場合には、本件告示2号所定の療養所には直接該当しないものの、ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」には該当するということにならざるを得ない。

もっとも、このような場合、本来であれば、本件告示2号には、「その他前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる療養所」といった包括的規定が置かれるべきところ、そのような規定は置かれていないので、このような療養所については、本件告示1号又は2号の類推適用の問題とならざるを得ないことになる。

イ 第2に、本件告示2号に規定された3類型の療養所は、「前号の国立癩療養所と同視することが相当」と規定されていながら、本件告示1号とは、規定の文言上、形式上は著しく相違しているという点である。すなわち、

(ア) 2号イは、明治40年法が施行される前の療養所を規定している。しかし、本件告示1号は、明治40年法3条1項の国立癩療養所と規定しているのであるから、明治40年法の施行前の療養所は、本件告示1号に該当する余地はなく、本来ならば、本件告示1号の療養所とは同視し得ないはずである。

(イ) 2号ロは、沖縄県立の療養所を規定している。しかし、本件告示1号は、国立あるいは2以上の道府県立と明示しているのであるから、本来ならば、本件告示1号と同視されるような療養所ではあり得ないはずである。

(ウ) 2号ハは、米軍施政下の沖縄の療養所を規定している。しかし、ハンセン病補償法の前文は、我が国の隔離政策による被害を前提としているのであるから、その施政権が及ばない療養所のみへの入所者の被害は、本来ならば、ハンセン病補償法の対象外となるはずである。

以上のような難点があるにもかかわらず、これらの療養所が本件告示1号の療養所と同視するのが相当と認められるとされた理由は、同一の療養所でありながら、その入所時期によってハンセン病補償法の適用の有無が異なるのは不公平だという「公平の原則」以外にあり得ない。

このことからすると、本件告示2号は、①ハンセン病補償法の趣旨が、我が国のハンセン病隔離政策による隔離被害を受けた者を残らず対象とするものであると解釈してはじめて理解し得るものであること、また、②ハンセン病補償法の趣旨を本件告示の規定に実現するために、公平の原則が本件告示全体に通底する原則として機能していることを意味していると理解すべきである。

ウ 第3に、本件告示2号ハの存在である。2号ハは、「1945年米海軍軍政布告第1号及び1945年米海軍軍政府布告第1のA号の規定により、施行を持続することとされた明治40年法第3条第1項の国立癩療養所」と規定している。明治40年法が日本の施政権外の地域で施行されたことが、本件告示1号と同視するのが相当と認められる根拠とされているのである。

日本の施政権が及ばない地域に施行された、その意味で既に国立療養所ではない療養所が、2号ハによりハンセン病補償法の補償の対象となるにもかかわらず、日本の統治時代に、明治40年法が適用された時期に国が設置していた楽生院がハンセン病補償法の補償の対象外であるという不合理な解釈が許されるはずがない。

(2) 楽生院は、昭和5年(1930年)に日本によって設立された国立ハンセン病療養所であり、本件告示2号ハにいう米軍統治下にあって日本の施政権が及ばなかった時代の療養所以上に、本件告示1号の国立ハンセン病療養所と同視すべき療養所であることは明らかである。

したがって、楽生院は、本件告示1号又は2号の類推適用により、ハンセン病補償法2条にいう「国立ハンセン病療養所等」に該当することになると解すべきである。

(二) 被告の主張

本件告示は、ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」の範囲に疑義が生ずることのないように、厚生労働大臣に具体的に網羅的に定めることを委任した結果規定されたものであるところ、終戦により日本の主権が及ばなくなった台湾等の地域に存在していたハンセン病療養所は、そもそもハンセン病補償法の補償の対象になっておらず、ハンセン病補償法2条の「国立ハンセン病療養所等」に当たるものではないことは、前記1(二)のとおりである。そして、本件告示1号は、明治40年法3条1項の国立癩療養所という明確な法律上の概念により定め、本件告示2号も、「前号の国立癩療養所と同視することが相当と認められる次に掲げるハンセン病療養所」として、イ、ロ及びハに特定の療養所を列挙して限定的に定めているのであるから、その文言上の規定振りからして、本件告示1号又は2号を楽生院に類推適用する余地がないことは明らかである。

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