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東京地方裁判所 平成16年(行ク)202号 決定 2004年7月23日

主文

1  本件申立てをいずれも却下する。

2  申立費用は申立人らの負担とする。

理由

第1本件申立ての趣旨及び理由

本件申立ての趣旨及び理由は別紙1に記載のとおりであって、申立人らは、相手方が申立人らに対して平成16年6月28日付け発令通知書によってした服務事故再発防止研修を命ずる旨の処分(以下「本件研修命令」という。)の取消し等を求める訴えを本案として、当該本案判決の確定に至るまで本件研修命令の効力の停止を求めるものである(ただし、小・中学校に勤務する教職員2名については、平成16年7月21日に申立てを取り下げている。)。

なお、これに対する相手方の意見は別紙2に記載のとおりである。

第2当裁判所の判断

1  一件記録によれば、次の事実が一応認められる。

(1) 申立人らは、いずれも東京都に採用され、東京都立学校に勤務する教職員である。

(2) 東京都教育委員会教育長は、平成15年10月23日、都立高等学校長及び都立盲・ろう・養護学校長に対し、入学式、卒業式等における国旗掲揚、国歌斉唱等について定めた通達(15教指企第569号「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」、甲4号証)を発し、これを受けた上記各学校長は、教職員に対し、周年行事、卒業式、入学式等を実施する際、式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することなどを内容とする職務命令(以下「本件職務命令」という。)を発するとともに、本件職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われる旨を伝えた。

(3)  そして、相手方は、申立人らが、本件職務命令にもかかわらず、周年行事、卒業式、入学式等において、国歌斉唱時に起立し、国歌を斉唱することを拒否するなどしたことから、本件職務命令違反及び信用失墜行為等を理由として、申立人らを戒告処分ないし減給処分(以下「本件懲戒処分」という。)とし、さらに、東京都教育庁の、処分等を受けた教職員について、適正教育課程の実施及び再発防止に向けて、命令研修(服務事故再発防止研修、専門研修)を行う旨の平成16年5月25日付け表明(甲5号証)を受け、同年6月28日付け発令通知書(甲1号証)により、申立人らに対し、同年8月2日又は同月9日(申立人A及び同Bについては、さらに専門研修として同月30日)に東京都総合技術教育センターで研修(以下「本件研修」という。)を受けるよう命じた。

(4) これに対し、申立人らは、行政事件訴訟法(以下「法」という。)8条2項2号に規定する「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる著しい損害を避けるため緊急の必要があるとき」に該当するとして、審査請求手続を経ることなく、相手方に対し、本件研修命令の取消しを求める訴えを提起するとともに、東京都に対し、本件研修命令により申立人らが被った精神的苦痛について損害の賠償を求める訴えを提起し、本件執行停止を申し立てた。

2  ところで、法25条1項ないし3項は、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(法3条3項に規定する裁決、決定その他の行為を除く。以下、単に「処分」という。)の取消しの訴えの提起は、処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げないとして、いわゆる執行不停止を原則としつつ、処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるときに限り、その停止をすることができるとしている(ただし、執行停止によって公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるときは、することができない。)。

これらの規定の趣旨に照らして考えるならば、法25条2項に規定する回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるか否かは、処分、処分の執行又は手続の続行により維持される行政目的の達成を一時的に犠牲にしてもなお、申立人らを救済しなければならないほどの緊急の必要性が認められるか否かという観点から検討されるべきである。

3  この点、申立人らは、本件研修命令は違憲違法な本件懲戒処分を前提とするもので、これにより、自己の思想・信条等に反して、その非を認めて反省の意を表明するか、永続的に研修を受講するかの選択を迫られ、自己の思想・信条等に反する表白を余儀なくされるから、これが憲法19条の保障する思想・信条の自由を直接侵害するものであることは明らかであり、申立人らは違憲違法な本件研修命令によって後日の金銭賠償では回復不可能な損害を被ると主張している。

これに対して、相手方は、本件研修命令の前提となる本件懲戒処分が有効である以上、当該処分を受けた申立人らに対し、本件研修を命ずることに違憲違法はないし、本件研修は、服務事故再発防止研修実施要綱(甲2号証)に基づき、申立人らが本件職務命令違反等を理由に本件懲戒処分を受けたことについて、その再発防止に向け、教育公務員としての自覚を促し、自己啓発に努め、モラルの向上を図ることを目的として実施されるもので、申立人らの思想・信条という内心に立ち入るものではなく、申立人らの権利や法律上の地位に直接不利益を与えるものでもないなどと主張している。

4  そこで、判断するに、申立人らが日本国民として憲法19条により思想・信条の自由を保障されていることはいうまでもないが、他面において、申立人らは東京都の教職員であるから、公務員としての地位に基づいてなされる職務行為の遂行に際して、全体の奉仕者として公共の福祉による一定の制約を受けることがあるのも論を待たないところであり、一般的に、相手方は、命令権者によってなされた職務命令に従わなかった教職員に対し、その再発防止等を目的として一定の研修を受けるよう命じ、その研修において一定の指導を行うことができると考えられる。ただし、それは、あくまでも公務員としての職務行為の遂行に必要な範囲内のものに限定して許されるものであり、個人的な内心の自由に不当に干渉するものであってはならないというべきである。

したがって、本件研修が、本件職務命令等に違反した教職員に対して、公務員としての服務規律を含む教職員としてあるべき一定の水準の維持向上や職務命令違反の再発防止を目的として、それに必要な範囲内で外形的な指導を行うものにとどまるのであれば違憲違法の問題は生じないと考えられるが、例えば、研修の意義、目的、内容等を理解しつつ、自己の思想、信条に反すると表明する者に対して、何度も繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容されている範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性があるといわなければならない。

そのような観点からみると、本件においては、東京都教育委員会教育長が東京都議会において、「受講に際し、指導に従わない場合や成果が不十分の場合には、研修終了とはなりませんので、再度研修を命ずることになりますし、また、研修を受講しても反省の色が見られず、同様の服務違反を繰り返すことがあった場合には、より厳しい処分を行うことは当然のことである」と答弁しているほか(甲6号証)、相手方が、当裁判所に提出した意見書において、仮に、申立人らが研修において、「私は、国歌斉唱時に起立しませんでした。これは客観的には職務命令に即した行為ではありませんでした」とか、「私は、国歌斉唱時に起立しませんでしたが、この件につきましては現在係争中ですので、この点の見解を述べることは差し控えさせて頂きます」との報告書等を作成したとしても、それだけでは、非行に対する反省や本件研修についての理解が十分になされているとはいえず、研修の成果が十分であるとはいえないなどと主張をしていることを考慮すると、相手方が本件研修及びこれに引き続いて実施しようとしている一連の手続において、前記のような合理的に許容されている範囲を踏み超える可能性が全くないとまではいえない。

5  しかしながら、本件研修命令自体をもって直ちに申立人らの内心の自由が侵害されるというわけではないことのほか、そもそも現段階においては、未だ本件研修が実施されているわけではなく、日時、場所、2時間の予定であることなど以外は、その具体的な内容や方法、程度も明らかではないこと、本件研修命令に対して申立人らがどのような対応をとるのかも不確定であり、当然のことながら、申立人らの対応に対する相手方のその後の対処も明らかではないこと、仮に、相手方の申立人らに対するその後の対処によって申立人らに何らかの損害が発生したとしても、それは、その段階で金銭賠償を求めたり、当該処分等の効力を争うことによって別途回復可能と考えられることからすると、本件の研修日が平成16年8月2日又は同月9日に予定されていることを考慮しても、現時点において、回復困難な損害の発生を回避するために緊急の必要があるときに該当するものと認めることはできないというべきである。

6  したがって、本件申立ては、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 須藤典明 裁判官 森冨義明 裁判官 木野綾子)

別紙1

行政処分執行停止の申立書

2004(平成16)年7月16日

東京地方裁判所 民事部 御中

申立人ら訴訟代理人

弁護士 尾山宏

同 澤藤統一郎

同 加藤文也

申立入 別紙申立人目録記載のとおり

申立人ら訴訟代理人 別紙代理人目録記載のとおり

〒○○○-○○○○ 東京都新宿区<以下略>

被申立人 東京都教育委員会

代表者委員長 C

服務事故再発防止研修命令処分執行停止申立事件

貼用印紙額 金274、000円

申立の趣旨

1 被申立人が、申立人らに対し、2004(平成16)年6月28日付発令通知書をもってなした、「服務事故再発防止研修」を命ずる旨の処分の効力を、本案判決が確定するまでいずれも停止する

2 申立費用は被申立人の負担とするとの決定を求める。

申立の理由

第1当事者と事案の概要

1 申立人

申立人らは、いずれも東京都に採用され、東京都立学校に勤務する教員または職員である。

2 被申立人

被申立人は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条第3号、同第8号により、東京都立学校の教職員について、「任免その他の人事に関する」事務および「研修に関する」事務について管理執行権限を有する行政庁である。

3 事案の概要

本件で問題にするのは、研修を命じた処分である。

申立人らは、いずれも被申立人から懲戒処分をうけている。この懲戒処分は、都立高校での周年行事、卒業式、入学式において、起立して国歌(「君が代」)を斉唱することを強制する被告都教委の2003年10月23日付け通達(後記第3.1(7頁))に基づく職務命令に違反したとされて、為された処分である。

上記命令研修は、申立人らの思想・信条にもとづく行為を「非行」ととらえ、その「再発防止」の目的で、「反省を促す」研修であるとされている。

このような研修を命じる処分は、直裁に申立人らの内心に踏みこみ、人格権を著しく侵害する違憲かつ違法な処分である

本件行政処分執行停止申立ては、上記命令研修の1回目が、本年8月2日及び9日に予定され、申立人らに対する人権侵害が間近に迫っていることから、緊急に、その処分の効力を、本案である研修命令処分取消等請求訴訟の判決確定まで、停止することを求めるものである。なお、以下で「不起立」という場合、国歌斉唱時の不起立およびピアノ伴奏の不実施の双方を含む。

4 叙述の順序(目次)

本書面の叙述は、つぎのとおりの項目による。

第1項 当事者と事案の概要

(本項である)

第2項 本件処分

(本件処分を特定し、その内実と法的性質につき述べる)

第3項 本件処分の背景事情と処分にいたる経過

第4項 本件処分の違法性

第5項 回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があること

第6項 本案の訴訟要件の充足について

(主として、処分性および不服申立前置について論じる)

第7項 結論

第2本件処分

1 本件処分の特定

被申立人は、2004(平成16)年6月28日付「発令通知書」をもって、申立人らに対し、「服務事故再発防止研修」の研修命令を発令した(甲1)。

以下、この研修命令を、「本件処分」という。

2 服務事故再発防止研修とは何か

(1) 「服務事故再発防止研修」は、被申立人において、2001(平成13)年3月に、教職員のセクハラ・飲酒運転などの非行について、その再発防止を図るために設けられた制度である。

国歌斉唱時に「起立が強制される」という問題については、憲法第19、20、21条等の保障する精神的自由をめぐって争われているが、このようなデリケートな問題に関して、このようなセクハラや飲酒運転などを想定して策定された研修要綱を、そのまま適用しようとするところに、そもそも間違いがある。

(2) 2001(平成13)年3月30日付「服務事故再発防止研修要綱」(甲2)では、つぎのとおり規定されている(下線は、申立人ら訴訟代理人ら)。

「第1(目的)

この要綱は、地方公務員法に基づく懲戒処分を受けた教職員に対し、再発防止に向け、教育公務員としての自覚を促し、自己啓発に努め、モラル向上を図ることを目的とする。

第6(研修の成果等)

被処分者が行った非行に対する反省を促すとともに、今後の再発防止を図るための研修成果を確認する。

(1) 被処分者に、自ら行った非行に関する報告書を作成させる。

(2) 研修後の勤務状況について、学校長に報告を求める。

(3) 研修結果に基づき、必要な措置を講ずる。」

3 実質的な反省文

本件処分にもとづいて実施される「服務事故再発防止研修」でも、「報告書作成」が予定されている(甲3。「服務事故再発防止研修の実施について(通知)」)。

この要綱(甲2)第6(1)の「自ら行った非行に関する報告書」とは、被申立人が、懲戒処分の事由であると主張する、国歌斉唱時の不起立等の行動について、事実関係および不起立等の理由・動機に関し、申立人らに「報告」を求めるとともに、申立人らの行動が「職務命令違反」であることについて「自覚」を求め、「反省」を促し、「再発防止」を約束させる趣旨のものであることは、上記要綱の記載および後記の被告都教委のD教育長の都議会答弁(甲6)からして明らかである。

これは正に、いわゆる「反省文」の実質を有する文書である。

本件処分に従わず、研修に参加しなければ、新たな懲戒処分が課せられる(一般に、命令研修の場合は、そういうことを意味する)。本件処分によって、反省文作成の作業への参加が強要されることになる。

4 人格権の侵害

被申立人が申立人らに課した懲戒処分(後記第3.2)は、申立人らの思想・信条にもとづく行為を理由とするものであり、申立人らは当該懲戒処分を不服申立手続等にて争いまたは争うべく準備中である(後記第3.3(10頁))。

内心と切り離せないような外部的行為を規制することが法的に許されないのはもちろんであるが、本件の研修では、それも超えて、「報告書」を作成させ「反省の色が見られる」まで「反省を促す」(甲2、甲6)というものであり、とりもなおさず「起立しないことを正しいと考える個人の思想・信条」自体を反省させるという、より直裁かつ非道な人権の規制・侵害である。

これは明らかに、行政による、個人の人格への介入である。

しかも、それは、外形に現われない個人の内面の思想・信条を、公けに表白させて反省させるものである。こうしたものは、どの学説によっても、憲法第19条が保障する思想・信条の自由に反して個人の人格権を直接に侵害するものということになる。

国歌斉唱時の起立の「強制」等に反対して、国歌斉唱時に起立せず、あるいはピアノ伴奏を実施しないことが「申立人らの有する人生観、世界観、教育観等に関連するもの」であることは極めて明白である。すなわち、申立人らは、それぞれ、人生において他人と認め合うことの大切さを説く教師という職を選択した誇りや、国家という枠組みにとらわれない社会を望むといった世界観、あるいは物事が強制されるときの子どもへの影響に配慮した教育観などに立脚して、苦悩しつつも、国歌斉唱時に起立せず、あるいはピアノ伴奏をしなかったのである。そのような者を対象に「反省を迫る」という本件処分による研修は、憲法第19条が正面から問題となっている事案である。

5 本件処分の継続的性質

(1) 前述のとおり、本件処分は、服務事故再発防止研修を命じるものである。

この服務事故再発防止研修は、当面は、本年8月2日または同月9日(申立人らによって異なる)に、東京都総合技術教育センターにおける実施が予定されている。さらに、申立人目録申立人番号34番と64番の者には、上記に加えて、8月30日に再発防止研修(専門研修)も命じられている。

これらはたとえ、1日どころか、1分であっても、個人の内心の自由に土足で踏み込むものであるから、単なる法律の研修とか、接遇研修とは異なって、職務の範囲を遙かに超えるもので、職務命令の範疇にはとどまらず、個人の人格権を著しく侵害するものであり、行政処分である。

(2) しかも、本件の研修は、1日で終了するというものではない。むしろ、「再発しないこと」すなわち「不起立が非行であったこと」を表明するまで、無期限に継続して研修を実施することが予定されているものである。すなわち、「研修結果に基づき、必要な措置を講ずる」(甲2。前記要綱)とされ、「指導に従わない場合や成果が不十分の場合(あくまでも「国歌斉唱時の不起立は間違っていないと考える」と主張する場合)には研修は終了とはならない」(甲6。被告都教委のD教育長の議会答弁(後記第3.4(2)(10頁)))とされているのである。

本件処分は、上記のとおり、申立人らの内心にまで踏み込んで、その意に反する表明をするにいたるまで実施されることが予定されている研修を命ずる処分であり、その意味で長期的かつ継続的な性質を有するものであり、処分である。

(3) 実際にも、国歌斉唱時の不起立を理由として懲戒処分を2回受けている者に対しては、上記(2)で述べたごとく8月30日に専門研修が追加されている。まさしく、本件処分が長期的かつ継続的な性質を帯びていることの証左である。

第3本件処分の背景事情と処分にいたる経過

1 10・23通達の発令

被申立人は、2003(平成15)年10月23日、被申立人教育長D名で、全ての都立高等学校長及び都立盲・ろう・養護学校長に対して、下記内容の「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と称する通達(15教指企第569号)(甲4。以下、「10・23通達」という)を発令した。

1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。

2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。

3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。

(別紙)

「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」

1 国旗の掲揚について

入学式、卒業式における国旗の取扱いは、次のとおりとする。

(1) 国旗は式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。

(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。

(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者、その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。

(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

2 国歌の斉唱

入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。

(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。

(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。

(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。

3 会場設営等について

入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。

(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。

(2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。

(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。

(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。

2 周年行事・卒業式・入学式における大量の懲戒処分

(1) 周年行事

10・23通達後、2003(平成15)年11月中にいわゆる周年行事(「創立○○周年記念式典」「創立記念日行事」などと呼ばれる式典をいう。)が行われた都立学校では、10・23通達に従い、各校長から各教職員に対し、事前に、「会場内の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」等を内容とする職務命令が文書で出された。

被申立人は、2004(平成16)年2月17日、周年行事式典中の、「国歌斉唱」の際の不起立を理由に、10・23通達及びそれに基づく職務命令に違反したとして、教職員ら10名に対し、懲戒処分としての戒告処分を行った。

(2) 卒業式

2004(平成16)年3月中に各都立学校等で行われた卒業式においても、同様に、10・23通達に従い、各校長から各教職員に対し、起立・国歌斉唱等を命ずる職務命令が出された。

被申立人は、同年3月30日、卒業式での不起立等を理由に、都立高校の教職員171名に対し、10・23通達及びそれに基づく職務命令に違反したとして、戒告処分をおこなった。

また、被申立人は、定年退職を迎え、2004年4月からは再雇用職員等として勤務することを希望し、被申立人から合格通知を受けていた都立高校教職員4名に対し、国歌斉唱の際の職務命令違反により「正規職員を退職する前の勤務成績が良好とは認められない」として、合格を取り消す旨の通知を行うとともに、既に再雇用職員として雇用されており、2004年4月からも引き続き勤務することを希望し、再雇用職員としての合格通知を受けていた都立高校教職員5名に対し、同様の理由で、合格を取り消す旨の通知をおこなった。

さらに、2004年4月6日、被申立人は、前記同様の国歌斉唱時の不起立等を理由に、公立小中学校、都立ろう・養護学校の教職員19名に対し戒告処分、2度目の懲戒処分となる養護学校教員1名に対しては、減給処分(10分の1、1ヶ月)をおこなった。

さらに、被申立人は、後述の2004年5月25日の入学式関係の処分の際に、卒業式関係の追加処分として、都立高校の教職員2名に対し戒告処分を行った。

(3) 入学式

引き続いて、2004(平成16)年4月中に各都立学校等で行われた入学式においても、同様に、10・23通達に従い、各校長から各教職員に対し、起立・国歌斉唱等を命ずる職務命令が出された。

被申立人は、同年5月25日、入学式での不起立等を理由に、10・23通達及びそれに基づく職務命令に違反したとして、都立学校の教職員33名、公立小中学校の教職員4名に対し戒告処分を行い、2度目の懲戒処分となる都立学校の教職員3名に対しては、減給処分(10分の1、1ヶ月)を行った。

また、同日、被申立人は、都立高校の卒業式・入学式で国歌斉唱時に起立しない生徒が多かった学級の担任や管理職ら67名について、「生徒への指導が不足していた」とか、「不起立を促す不適切な言動があった」(憲法で内心の自由が保障されているといった説明を行うことを指す。)として、「厳重注意」「注意」「指導」を行うと発表し(甲5。2004年5月25日付け都教委報道発表資料)、同年6月中にこれを行った。

3 国歌斉唱等の強制をめぐる係争

申立人らはいずれも、10.23通達にしたがって発令される職務命令(国旗に対して起立し国歌を斉唱し、あるいはそのピアノ伴奏に関する職務命令)に関し、これに従う義務の不存在、ないしその職務命令違反を理由とする懲戒処分の違法性について、被申立人と係争中であるか、あるいはその係争の準備中の者である。

換言すれば、申立人らは、つぎのいずれかの訴訟または行政上の不服申立手続について、その当事者となっている者、または当事者になるべく準備中の者である。

(1)東京地方裁判所民事36部平成16年(行ウ)第50号第一次国歌斉唱義務不存在確認等請求事件(原告Eほか227名、被告東京都教育委員会ほか1名)、

(2)同第二次事件(原告117名、被告同前)

(3)東京都人事委員会に対する懲戒処分の取り消しを求める審査請求事件(審査請求人の数は、現時点で約150名、処分者東京都教育委員会)

4 教育長による「研修による再発防止徹底」の表明

(1)被申立人は、2004年5月25日、周年行事・卒業式・入学式における国歌斉唱の際の不起立等について懲戒処分を行った申立人ら教職員に対し、「服務事故再発防止研修」を命令研修として行う旨を発表した。

(2)被申立人のD教育長は、2004年6月8日の都議会本会議代表質問において、F議員の質問に対し、以下のように答弁した。なお、下線は申立人ら訴訟代理人らによる。

『処分を受けた教員の研修についてですが、卒業式、入学式等におきまして、校長の職務命令に違反し、処分を受けた教員に対しまして、再発防止の徹底を図っていくことは重要でございます。これらの教員等に対しまして、服務事故再発防止研修を命令研修として受講させ、適正な教育課程の実施及び教育公務員としての服務の厳守などについて、自覚を促してまいります。

なお、受講に際し、指導に従わない場合や成果が不十分の場合には、研修終了とはなりませんので、再度研修を命ずることになりますし、また、研修を受講しても反省の色が見られず、同様の服務違反を繰り返すことがあった場合には、より厳しい処分を行うことは当然のことであると考えております。』(甲6)

第4本件処分の違法性

1 3つの観点

本件処分の違法性は、つぎの3つの観点から、それぞれ基礎づけられる。

第1に、違憲違法な懲戒処分を前提としている点である。

第2に、懲戒処分について係争中にもかかわらず、二重に処分を課し、その結論を先取りして、争う権利を剥奪してしまうという点である。

そして、何よりも、第3に、本件処分が命じている研修が、申立人らに思想・信条に関する反省を迫り、その人格に直接に介入するという点である。

2 第1の違法

本件処分は、懲戒処分をうけたものを対象としており、その懲戒処分は国家斉唱時の不起立等を理由とするが、それは違憲違法であるから、これを前提とする本件処分もまた、当然に違憲違法である。

もっとも、上記懲戒処分やその前提となる10.23通達の違憲違法性については、前述の国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟および懲戒処分それ自体を争う手続のなかで、中心的な争点となるところである。

これらの訴訟等と並行して、同一の問題を論じるには、本件訴訟・執行停止申立の中では、あまりにも時間的余裕がない。申立人らの人格権侵害に対する司法救済が、喫緊の課題だからである。

したがって、本件訴訟・執行停止申立においては、おのずと後記の第2の違法および第3の違法に重点がおかれることにならざるをえない。

3 第2の違法

本件処分は、係争中の懲戒処分に重ねて、あらたな不利益を二重に負わせる処分であって、係争の結論を先取りして、争う権利自体を剥奪するものである。

(1) 前記第3.3(国歌斉唱等の強制をめぐる係争(10頁))でのべたとおり、申立人らはいずれも、国家斉唱等の義務の不存在、ないしこの義務に違反したことを理由とする懲戒処分の違法性について、被申立人と係争中であるか、あるいはその係争の準備中の者である(以下、この両方をあわせて「係争中」と表現する)。

(2) ところが、本件処分は、同じ原因事実(つまり国歌斉唱時の不起立)を理由に研修を命ずるものであり、その研修は、今後国歌斉唱時の不起立がなされることのないように反省を迫るもの(甲2、甲6)である。

すなわち、本件処分は、現に申立人らがその存否、違法性を争っている国歌斉唱時の起立義務の存在を前提としており、その係争における結論を先取りしてしまうものである。

係争中であるのに、その結論を先取りする研修をおこなうことは、地方公務員法が、懲戒処分を受けた教職員に対し、不服申立ての権利を与え(同法49条の2)、処分の違法性、相当性を争うことを認めた趣旨を全く無にするというほかない。被申立人は、人事委員会や裁判所が、被申立人と異なる判断を示すことはあり得ないと考えているかのごとくである。

(3) さらに、申立人らが、さらなる懲戒処分を受ける危険性を突きつけられ、反省文の提出を強制された場合には、被申立人から、同反省文が不服申立手続や訴訟に証拠として提出され、「みずから非行事実を認めている」などと主張されるおそれが多分にある。

したがって、係争中にその結論を先取りする研修を実施することは、申立人らが、自己の権利擁護のために、不服申立手続、ひいては司法手続を利用する権利を剥奪するものであるといわなければならない。

(4) 上記の理は、本件に限った話ではない。仮にセクハラ・飲酒運転をしたとして処分を受けた者が、セクハラ・飲酒運転の事実自体を不服申立手続で争っているのに、セクハラ・飲酒運転の反省を迫る再発防止研修を命ずることができるとしてしまうのであれば、何の為の不服申立手続かということになってしまう。つまり、行政は、名目さえ変えれば同じ原因事実について何度でも処分することが可能となってしまうが、これは、行政権力の濫用を防止することを最大の目的の一つとする憲法の統治制度の根幹を揺るがす事態である。

(5) したがって、本件処分は、申立人らから係争の権利を奪うものであり、かつ同じ原因事実について二重に処分を下すもの(しかも一つめの処分自体、係争中である)であって、被申立人の研修実施権限を著しく濫用・逸脱した違法な処分であるといわなければならない。

4 第3の違法

本件処分は、個人の思想・信条の反省をさせる研修への参加を強要する処分であり、そのこと自体、申立人ら各人の人格権の著しい侵害にあたる。

(1) 申立人らは、学校行事の場において、国歌(「君が代」)の斉唱および斉唱時の起立を「強制」されることは、自己の思想・信条等に反すると考える者たちである。

それは、ある者は、その信仰する宗教にもとづくものであり、別の者は、その人生経験に裏打ちされた思想にもとづくなどするが、いずれも、個人の人格に根ざすものである。

(2) いま被申立人が「非行」(甲2)と呼んでいるものは、個人の思想・信条等にもとづき、国歌斉唱時に不起立をする行為を指している。

本件処分により実施される研修(以下、この研修のことを「本件「君が代」研修」という)の目的は、非行の「再発防止」(甲2)である。換言すれば、「国歌斉唱時に起立しないということが2度と行われないようにすること」が、この研修の目的ということになる。

したがって、いま「非行に対する反省」と呼ばれているものは、実は、みずからの思想・信条等とは真っ向から反する意思を表明するということを意味する。思想・信条と矛盾する表白(供述、記述)は、一般に、「転向」「改宗」と呼ばれている。

研修は「非行に対する反省を促す」ものとされている(甲2)から、結局、本件処分によって実施される研修では、申立人らに思想・信条等の転向をするように、働きかけがなされることになる。

(3) 憲法が「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と定めている(憲法第19条および第20条)のは、戦前・戦中の暗黒の時代への反省からである。とりわけ思想検事による思想転向をはじめ、国家による思想統制が、国家の行く末を誤らせ、幾多の非人道的な悲劇をうんだ歴史に対する反省である。

本件「君が代」研修は、そもそも、日本国憲法が基本的人権を保障する趣旨に悖る、反憲法的な研修といわねばならない。

(4) 仮に、本件の研修が、申立人らに対して思想・信条にかかわりのない外部的行為を命ずるのみであるというのであれば、報告書(反省文)において、「私は、国歌斉唱時に起立しませんでした。これは客観的には職務命令に即した行為ではありませんでした。」とか「私は、国歌斉唱時に起立しませんでしたが、この件につきましては現在係争中ですので、この点の見解を述べることは差し控えさせて頂きます。」などと記入しても、研修は終了としなければならないはずである。しかしながら、被告都教委のD教育長が「なお、受講に際し、指導に従わない場合や成果が不十分の場合には、研修終了とはなりませんので、再度研修を命ずることになりますし、また、研修を受講しても反省の色が見られず、同様の服務違反を繰り返すことがあった場合には、より厳しい処分を行うことは当然のことであると考えております。」(甲6。前記第3.4(2)(10頁))と述べている以上、上記のように記入した報告書では、研修は終了しない。したがって、思想・信条にかかわりのない外部的行為を命ずるのみという主張はそもそも成り立たない。

(5) 最高裁判所は、いわゆるエホバの証人事件(最判1996(平成8)年3月8日民集50巻3号469頁)のなかで、つぎのとおり判示している。

「本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行為を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくされるという性質を有するものであったことは明白である」

「(学校側のとった措置が)信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、教育内容の設定及びその履修に関する評価方法の一般的な定めに従ったものであるとしても、本件各処分が右のとおりの性質を有するものであった以上、上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然にそのことに相応の考慮を払う必要があった」

この最高裁判決の法理は、本件処分にも妥当するというべきである。

(6) 前述のとおり、本件処分に従わず、研修に参加しなければ、研修拒否として懲戒処分が課される。研修に参加しても、みずからの思想・信条等とは真っ向から反する表白を働きかけられる。この働きかけに従わず、「転向」「改宗」しなければ、「研修終了とはならない」(甲6)というのであるから、再度の呼出をうけて研修が継続していくことになる。さらに、「同様の服務違反を繰り返すことがあった場合には、より厳しい処分を行う」(甲6)ということになってしまう。

そのような将来に継続する重大な不利益を被る危険をかかえた不安定な地位にみずからを置くことから免れようと思えば、研修の「報告書」に個人の思想・信条等に反する表白をすることを余儀なくされる。

これが違憲違法な処分であることは、前記エホバの証人事件の最高裁の判示に照らしても明らかといわねばならない。

(7) さらに、本件同様に、教職員の思想・良心の自由を侵害する研修命令について、裁量権の濫用として違法性を認めた判例があることを指摘しなければならない(最一小判1986(昭和61)年10月16日労判484号11頁)(甲7)。

この最高裁判決は、大阪地判1979(昭和54)年10月30日判時963号111頁およびこれを支持した大阪高判1980(昭和55)年12月16日労判484号18頁の上告審判決であり、これら1、2審の判断を支持したものである。事案は、市教育委員会が、市立小中学校教員に対して行った、転任処分および研修命令処分の違法性が争われたものである。

最高裁や高裁で支持された地裁判決は(甲8)、命令研修について、つぎのとおりに判示している。

「命令研修を行うについても一定の制約が課せられていることはいうまでもなく、命令研修の本来の範囲を逸脱することはもとより、教職員の権利を不当に侵害し、研修の本質を著しく逸脱し、裁量権を濫用したと認められる場合には、当該研修命令は違法と解すべきである」

地裁判決は、上記の一般論を述べたうえで、問題となった研修の目的・動機が、研修を通じ、原告らの態度を改めさせる(あいさつ状を差別文書であると認めさせる)ことにあったこと等から、研修命令処分が、「原告らの思想、信条の自由、内心の自由を侵すものであり、教育の本質に反し、裁量の範囲を著しく逸脱した裁量権の濫用というべき」で違法であると判示している。

(8) 本件処分は、申立人らに対する思想・信条等の「転向」「改宗」を迫るものであり、個人の人格権を侵害し、憲法の保障する基本的人権をふみにじる違憲違法の処分というべきである。

第5回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があること

1 回復の困難な損害

(1) 本件「君が代」研修が強行されれば、申立人らは、自己の思想・信条等に反する表白をおこなって、「非」を認め、「反省」の意を表し、「再発防止」を約束する旨の意思表示を「促される」ことになる。

そして、これに応じてその旨の表白をするか、それとも永続的な研修が継続することになるかの、二者択一を迫られることになる。

(2) 第1に、指摘すべきは、そのような、自己の思想・信条等に反する表白を促される場に命令によって参加すること自体、そして前叙のとおりの二者択一を迫られること自体、通常の健全な常識をもった社会人の感覚に照らして、耐えがたい苦痛を人に与えるものであり、この耐えがたい苦痛は後日の金銭賠償によっては回復不可能なものだ、ということである。

(3) 第2に、指摘しなければならないことは、申立人らが、本件「君が代」研修において、不本意ながらも、「自ら行った非行」について「反省」する旨の報告書を作成、提出させられた場合、すなわちそれは、申立人らが自己の思想・信条等に反する表白を、処分庁の圧力によって余儀なくされたことを意味する。その場合、申立人らの内心の自由は侵害されてしまうのであり、侵害された内心の自由を回復することは、その性質上不可能というべきであるから、これが取り返しのつかない事態であることは明白である。

(4) 第3に、そのように思想・信条に反する報告書が作成された場合、被申立人が、現に係属中の申立人らとの訴訟や審査請求手続において、これを書証として提出し、「みずから非行を認め、反省の意を表明している」といった主張を行うことが容易に予想される。

したがって、これらのことからして、本件処分が強行されれば、「回復の困難な損害」を生じさせることは明らかというべきである。

2 緊急の必要性

(1) 本件「君が代」研修は、その第1回めが、本年8月2日と同月9日の2回に分けて行われる(申立人番号34番および64番については、加えて8月30日に専門研修が行われる)と決まっており、極めて切迫した状況にある。

(2) 申立人らはすでに、東京都人事委員会に対し、地方公務員法第39条第3項の勧告権限に基づいて、被申立人に本件「君が代」研修を停止ないし延期するよう勧告されたい旨申し入れをしたが、同人事委員会は、停止ないし延期をもとめる勧告をだすことは考えていないと、これを否定した。

(3) 今すぐ、緊急に執行停止の決定がだされなければ、被申立人による前代未聞の暴挙が、現実に行われ、申立人らに回復困難な損害が生じることが確実である。違法な行政権の行使から、少数者の人権を擁護するという、司法権本来の役割を迅速に行使することが、今まさに裁判所に求められている。

第6本案の訴訟要件の充足について

1 はじめに

行政訴訟においては、処分庁側が、かならず決まったように、処分性その他の要件を争ってくる。そこで、以下に、予想される被申立人側の主張に対応して、本案の訴訟要件が充足されていることをのべる。

もっとも、本件においては、当事者適格等の要件については、これを備えていることが一見して明らかであり、被申立人側もとくに異を唱えないであろうと思われる。そこで、本案の訴訟要件に関わる、処分性および不服申立前置の2つの点にしぼってのべる。 2 処分性について

本件処分は、行政庁による公権力の行使として行われる、申立人ら個人の人格・内面に強制的介入して、その法的地位に直接的な変動をおよぼす行為である。

したがって、処分性が肯定されると解すべきである。

(1) 申立人らの法的地位に直接的な変動をおよぼす行為というのは、つぎのとおりのことである。

ア 本件処分は、発令通知書の文言上は、本年8月2日または9曰(申立人によって異なる)の定められた時刻に、服務事故再発防止研修をうけることを命じているだけのようにみえる。

しかし、その内実は、前述のとおり、みずからの思想・信条等に反する表白を促す研修に参加させるものである。

すなわち、申立人らは、反省文の実質を有する報告書を書くことを強要されるのである。これは、申立人らの思想・良心の自由(憲法第19条および第20条)を、みずからの思想・信条等に反する表白を強要するという態様で、直接に制約するものである。まさに、「踏み絵」であり、個人の人格に行政権力が直接に介入することを意味している。

加えて、不起立を2回行った申立人番号34番および64番を対象とする「専門研修」では、「転向」「改宗」をせまるべく、さらに強度な内心への介入が行われるのである。

イ 思想・信条等に反する表白を避けようと思えば、研修に参加しないか、あるいは反省文の実質を有する報告書を提出しない(第4.4(4)(14頁)参照)か、のいずれかの対応をするほかない。

ところが、研修に参加しなければ懲戒処分を課される。

また、参加しても自己の思想・信条等に反する表白をしないかぎり、「反省」していないことになるのであるから、「研修終了とはなりません」(甲6)ということにならざるをえない。そうすると、永続的な研修を強いられることになる。挙げ句の果てには、「より厳しい処分」(甲6)がまっていることになる。

そして、より厳しい処分をうけた場合はもちろんのこと、そうでなくとも、くり返し研修をうけさせられることは、そのこと自体が、踏み絵の前に繰り返し立たされるのと同じく、人格権の著しい侵害なのである。

換言すれば、本件処分をうけた者は、自己の思想・信条に反する意思表明をあえておこなって研修を1日だけで終了させるのか、それとも、その後も継続的に被申立人の指定する研修をうけつづけ、「より厳しい処分」が段階的にエスカレートしていき、その職を失うことになる日まで、永続的にそれをつづけるのか、のいずれかの選択を迫られることになる。

ウ 民主主義社会は、多様な価値観が認められた社会である。

行政庁のトップや議会の多数派の思想・信条がどのようなものであろうとも、これと異なる思想・信条を有する者が、その変更・転向を迫られることはない、という了解のもとに、民主主義社会は成り立っている。価値観の多様性が許容されているわけである。

その思想・信条が、社会や役所のなかで少数意見にすぎないものであったとしても、少数者の権利を守るものがまさに基本的人権であり、それが民主主義社会の根幹なのである。

民主主義は、けっして役所の門前で立ち止まるわけではない。

上記の理は、当然に行政機関の内部においても妥当しなければならない。研修命令の拘束力は、すくなくとも、前記の価値観の多様性を許容する民主主義社会の枠組みのなかでのみ認められる拘束力である。この枠組みを踏み越えた拘束力をもつことはない。そのことが、わが国の憲法体系のもとでの公務員の地位の大前提というべきである。

公務員といえども、その思想・信条等に上司や上級行政機関が介入して、これに反する表白を迫ることがあってはならない。それが、憲法によって保障されるべき申立人らの法的地位というべきである。

エ とりわけ、教育公務員の場合は、その職場が学校という、思想形成過程にある生徒たちの教育現場であることから、思想・信条等の自由に対する制約に対しては、通常の公務員の場合以上に、格段に慎重な配慮がなされなければならない。

したがって、教育現場において、特定の思想・信条の表白を上司や上級行政機関から迫られ、押しつけられることがあってはならないということは、教育の本質から当然に要請されるところでもある。

オ ところが、本件処分は、申立人ら個人の人格権を直接に侵害するものであって、このような申立人らの法的地位を直接に変動させてしまうものである。

(2) ちなみに、過去の裁判例においても、教育委員会が教職員に対してその意に反して行った研修命令については、その処分性を認めたうえで、違法性について判断しているものが多数存在し、それが一般的な判例の傾向であることを指摘する(松江地判1969〔昭和44〕年3月5日判時574号74頁、東京地判1980〔昭和55〕年1月29日判時971号114頁、東京高判1989〔平成元〕年8月21日判時1336号89頁、仙台地判2003年〔平成15〕年2月17日判夕1148号204頁等)。

もっとも、これらの裁判例について、被申立人側は、長期研修についての裁判例であるから、本件とは事案が異なると主張するかも知れない。

しかし、前述のとおり、本件「君が代」研修が1日で終了するのは、申立人らが、みずからの思想・信条等に反する表白を報告書でおこなった場合にかぎられるのである。その場合には、すでに申立人らの思想・信条等の自由は侵害されてしまっており、とりかえしのつかない事態となっているのであるから、そのような事態をさけようとすれば、被申立人の教育長自身が議会で答弁しているとおり、「研修は終了とはならない」(甲6)のであって、研修が永続的に継続することになる。本件処分は、そのような継続的な性質を有する処分なのであって、けっして1日だけの研修に関するものではない。

また、本件処分は、通常の研修命令とは、明らかに、その法的性質を異にするというべきである。というのも、一般に、研修命令は単に職務上必要な範囲の知識・技能等の研修を命ずるにすぎないのに対し、本件処分は、そうではなく、その思想・信条等に反する表白の場への参加を命じるものであって、個人の人格への直接的な介入にあたるからである。

(3) 被申立人は、本件処分を、通常の一般的な職務命令と同じであるかのように言い逃れようとするかも知れない。

しかし、本件処分は、通常の職務命令とも、まったく法的性質を異にしている。

通常の職務命令は、文字どおり職務上の義務を命ずる、行政の内部的行為であり、その本来的な意義からして、個人の人格に関与しないこと、および個人の法的地位には関わらないことが前提とされている。

ところが、前述のとおり、本件処分は、申立人らに、みずからの思想・信条等に反する表白を促す研修への参加を命ずるものであり、あきらかに行政が個人の人格・内面に介入する行為であるから、その法的地位を直接に変動させる行為である。これは、行政内部の自律を越えており、通常の職務命令が予定する単なる職務上の義務の範囲を明白に越えている。

したがって、処分性が認められるべきである。

(4) また、本件「君が代」研修が、懲戒処分をうけた者を対象にしていることから、本件処分は懲戒処分に附随する事実行為にすぎないという主張が、被申立人からなされるかも知れない。しかし、これも認められない主張である。

前述のとおり、本件処分は、申立人らに、自己の思想・信条等に反する表白をするか、それとも永続的に研修を継続されるかの二者択一を迫るものである。これは、懲戒処分とは別個独立した、耐えがたい不利益を申立人らに与える、新たな処分というべきである。

(5) のみならず、本件において処分性が認められなければ、司法救済の方途が閉ざされてしまう結果となることを指摘しなければならない。

というのは、行政事件訴訟法第44条との関係である。同条は、「行政庁の処分その他の公権力の行使に当たる行為については、民事保全法に規定する仮処分をすることができない」と定めている。

本件処分は、「公権力の行使に当たる行為」に当たると解するのが一般的な考え方である。もし処分性が認められなければ、取消訴訟を本案とする執行停止もできず、かといって民事訴訟手続としての仮処分もできず、申立人らの人格権侵害につき、とりかえしのつかない事態(申立人らがすでに自己の思想・信条等に反する表白をしてしまった後の事態)が生じるのを未然に防ぐための司法救済の方途がないという状態に陥る。

それでは、司法が行政のチェック機関としての使命を、みずから放棄してしまうことになる。

(6) さらに、本年6月2日に、行政事件訴訟法の一部を改正する法律が国会にて承認可決され(平成16年法律第84号)、同年6月9日に公布された。この行政事件訴訟法の一部を改正する法律の法案提出理由は「行政事件訴訟につき、国民の権利利益のより実効的な救済手続の整備を図るため、当事者適格に関する規定の整備、義務付け訴訟及び差止訴訟の法定、本案判決前における仮の救済の制度の整備等の措置を講ずる必要がある。」とされている。このような「国民の権利利益のより実効的な救済手続の整備を図る」との目的の下に成立した改正行政事件訴訟法の施行が予定されている現状では、本件についても処分性を肯定した上で、直ちに、本件処分の違憲違法性をめぐる争いとして取扱うのが適当であることは明白である。

(7) 以上のとおりのことから、処分性が肯定されるべきである。

3 不服申立前置について

本件の本案訴訟は、行政不服申立手続(地方公務員法上の審査請求手続)を前置することなく提起している。しかし、本件については、行政事件訴訟法第8条第2項第2号に該当するので、審査請求を経ずに、処分取消請求訴訟の出訴が認められるというべきである。その理由は、以下のとおりである。

(1) まず、前記の「第5」「1 回復の困難な損害」の項で述べたとおりの理由により、本件処分が強行されれば、行政事件訴訟法第8条第2項第2号にいう「著しい損害」を申立人らに生じさせる。

(2) ところが、前記のとおり、本件「君が代」研修は、その第1回めが、本年8月2日と同月9日の2回に分けて行われると決まっており、極めて切迫した状況にある。申立人らはまさに緊急に救済を必要としている。

(3) しかし、行政事件訴訟法第44条との関係から、民事訴訟における仮処分手続による救済は期待できない。

また、行政不服審査手続の申立をしたとしても、審査請求手続のなかで執行停止を求めることはできない(地方公務員法第49条の2第3項により行政不服審査法第34条の規定は適用されず、かつ、都人事委員会の不服申立に関する規則には執行停止の規定はない。)。

(4) よって、行政事件訴訟法第8条第2項第2号「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる著しい損害を避けるための緊急の必要があるとき」に該当するというべきであるから、審査請求の手続を経ずに、本案の本件取消訴訟を提起することが認められるべきである。

(5) ちなみに、公会堂の使用承認を取り消す処分を東京都がおこなったのに対し、期間の徒過により権利救済がまにあわなくなるおそれがあるとして、審査請求の手続を経ずに処分取消を求める訴えの提起を認めた裁判例がある(東京高決1991(平成3)年7月20日判夕770号165頁)。

第7結論

よって、申立の趣旨記載の執行停止の決定を求め、本申立てに及んだ次第である。

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