東京地方裁判所 平成16年(行ク)383号 決定 2005年2月01日
主文
相手方が申立人に対して平成16年10月13日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は,その送還部分に限り,本案事件(当庁平成16年(行ウ)第564号退去強制令書発付処分取消等請求事件)の第一審判決の言渡しまで停止する。
申立人のその余の申立てを却下する。
申立費用は,これを2分し,その1を申立人の負担とし,その余を相手方の負担とする。
理由
第1本件申立ての趣旨及び理由
本件申立ては,相手方が申立人に対して平成16年10月13日付けでした退去強制令書の発付処分の取消しを求める訴えを本案として,上記退去強制令書の執行について,本案事件の判決確定までの停止を求めるものである。
本件申立ての趣旨及び理由の詳細は,別紙1(執行停止申立書),2(平成17年1月24日付け意見書)記載のとおりであり,これに対する相手方の意見は,別紙3(平成17年1月13日付け意見書)記載のとおりである。
(以下,法務大臣が申立人に対して同日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項の規定に基づく申立人の異議申出が理由がない旨の裁決を「本件裁決」,上記退去強制令書を「本件令書」という。)
第2当裁判所の判断
1(1) 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(行政事件訴訟法3条3項に規定する裁決,決定その他の行為を除く。以下「処分」という。)の執行については,取消訴訟や無効等確認訴訟が提起されても,処分の効力等は停止されないという,いわゆる執行不停止が原則とされており,これらの処分の効力,処分の執行又は手続の続行の停止が認められるのは,処分,処分の執行又は手続の続行により生じる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある場合に限られ,また,その場合でも,公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときには,執行停止をすることができない旨定められている(行政事件訴訟法25条1項ないし3項,38条3項)。
これらの規定の趣旨に照らせば,行政事件訴訟法25条2項にいう回復の困難な損害を避けるための緊急の必要があるか否かについては,処分の執行等により維持される行政目的の達成の必要性とこれを執行することによって申立人が被るおそれのある損害とを比較衡量し,前者を一時的に犠牲にしてもなお後者を救済しなければならない緊急の必要性があるか否かの観点から検討すべきであり,また,同項の規定に基づく執行停止の内容を決定するについても,執行停止による行政の停滞によって生じる公共の福祉への影響を,申立人の救済に必要な範囲で最小限にとどめるようにその内容を定めることが求められているというべきである。
(2) そして,本件疎明資料及び本案事件の記録(以下,併せて「本件疎明資料等」という。)によれば,本件事案の経緯は,別紙3(平成17年1月13日付け意見書)第3の2記載のとおりであることが一応認められる。
(3) そこで,以下,これらを前提として,本件申立ての当否を検討する。
2 回復困難な損害を避けるための緊急の必要性の有無について
(1) 本件令書の収容部分の執行について
ア 前記1(1)に述べたことからすれば,行政事件訴訟法25条2項にいう「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」に該当するか否かについては,処分の執行等により維持される行政目的の達成の必要性とこれを執行することによって申立人が被るおそれのある損害とを総合勘案して判断すべきであるところ,退去強制令書の収容部分の執行停止を求める申立てにおいて,「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」に該当するというためには,退去強制令書の執行による収容に伴って申立人が受ける自由の制限や精神的苦痛等の不利益,申立人の健康状態や家族の状況,その他収容に関連する諸般の事情に伴って申立人が具体的に被る損害が,退去強制令書の発付を受けた者を送還するために身柄を確保することなどの行政目的を達成する必要性を勘案しても,なお収容の継続を是認することができない程度のものであることを要すると解するのが相当である。
イ 申立人は,本件令書に基づく収容は,裁判所の裁判によらず,逃亡のおそれも問うことなく,重要な基本的人権である身体の自由を制限するもので,申立人の裁判を受ける権利を奪い,「裁判に付される者を抑留することが原則であってはなら」ないとする市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)9条3の趣旨に反しており,本件収容令書に基づく身体の自由の拘束自体,申立人に回復の困難な損害を与えるものである旨主張する。
しかしながら,国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは,専ら当該国家の立法政策にゆだねられており,当該国家が自由に決定することができるものとされているところであって,我が国の憲法上も,外国人に対し,我が国に入国する自由又は在留する権利(ないしは引き続き在留することを要求し得る権利)を保障したり,我が国が入国又は在留を許容すべきことを義務付けている規定は存在しない。そして,我が国は,出入国管理及び難民認定法を定め,一定の在留活動を行おうとする者に対してのみ,その活動内容に応じた在留資格を与えて,その入国及び在留を認める制度をとっているものである。
これらを前提とすれば,退去強制令書の執行による収容に伴い,被収容者が身体の自由を制限されることは,一般的には,それが合理的な期間の範囲内にとどまる限り,退去強制令書の発付を受けた者を送還するために身柄を確保し,違法な在留活動を防止するという行政目的を達成するために必要なものであり,それによって被収容者に通常生じる範囲の損害は,社会通念上金銭賠償をもって満足することもやむを得ないものというべきである。
ウ 申立人は,法輪功という気功の体系の修練者として,中華人民共和国政府(以下「本国政府」という。)の法輪功に対する迫害の真相を世界中の人々に伝えることが,自己の存在を確立する根本的な課題であるところ,収容を継続された場合,このような活動ができなくなり,精神的に特別の損害を受けることになる旨主張するが,そのような活動の自由が,収容による身体の自由の制限に必然的に伴う範囲で制限を受けることは,上記行政目的に照らして許容されるものということができるうえ,申立人において,本件本案訴訟等において,代理人を通じて上記のような活動の趣旨に沿う主張,立証を行うことも可能と考えられることに照らすと,その主張に係る活動上の不利益を受けるとしても,申立人に対し,被収容者に通常生じる範囲の損害を超え,回復困難な損害を与えるものとは認め難い。
エ 申立人は,身体の自由の制限による損害について,補償制度はなく,損害賠償も,当該職務を行った公務員の過失等を要件とすることから,金銭賠償による損害の事後的回復は事実上不可能である旨主張するが,国家賠償法の定める要件を充たす場合があり得る以上,現行法上その範囲を超える金銭賠償が認められないとしても,損害の事後的回復が事実上不可能であるということはできない。
オ なお,申立人は,難民の地位に関する議定書1条所定の難民は,我が国に安定的に滞在する利益を有しており,難民に該当する可能性のある者について,不法入国や不法滞在に該当すると疑うに足りる相当な理由があることのみをもって収容を行うことは,上記のような利益を損ない,難民の移動に対し必要な制限以外の制限を課してはならないとする「難民の地位に関する条約」(以下「難民条約」という。)31条2項にも違反するものであり,このような利益が損なわれた場合の不利益は,社会通念上も金銭賠償によっては回復できない旨主張するが,申立人の主張する立場にある者であっても,同議定書上,当然に上記のような利益が保障されているものではないから,上記主張は採用できない。
カ 申立人は,外部病院(a病院)で内視鏡検査を受けた結果,平成16年12月27日,○のため,内服加療及びストレス等を避け,安静療養が必要である旨の診断を受けており(疎甲52),その症状が,長期拘禁によるストレスと送還による恐怖により悪化して,○を発症する可能性も高いところ,東京入国管理局収容場においては,施設内で十分な医療措置を期待することができず,申立人等の支援団体から要請を受けるまで,外部病院を受診させ,精密検査を受けさせていないなど,対応が遅いため,収容を継続した場合,○を発症して回復困難な損害を生じるおそれがある旨主張する。
しかし,東京入国管理局収容場においては,看護師1名が常駐し,月曜日,水曜日,金曜日の週3回のいずれも午後が定期診療日とされ,外部病院から医師1名が派遣され,被収容者の申出等により診療を実施し,定期診療日以外の日や夜間に医師の診療を要する事態が発生したときは,外部医療機関に連行又は救急車の出動を要請する体制を採っており(疎乙27),このような体制の下で,申立人は,自ら申し出て,同年11月5日から12月6日にかけて,4回にわたり医師の診察を受け,○や○,不眠,感冒,口内炎により,延べ5回にわたる投薬を受け,治療を継続してきたものであり,同年11月17日支援者の関係弁護士の要請もあって,同月24日に外部の病院(a病院)を受診して採血検査を受け,同年12月14日には,同病院で「○,○がみられるが,快方に向かっているので,投薬治療を継続の上経過観察し,次回1月12日再診察したい」との診断を受け,投薬治療と経過観察を継続されていること(疎乙28)が一応認められ,このような医療体制及び診療経過に照らせば,上記のとおり,同病院における平成16年12月27日付けの診断において,○のため,ストレス等を避け,安静療養が必要であるとされたとしても,そのことから,申立人につき,東京入国管理局収容場において収容を継続した場合に,診断,治療等の対応ができず,その症状悪化による回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があると認めるには足りない。
したがって,申立人の上記主張も採用できない。
(2) 本件令書に基づく送還部分の執行について
本件において,本件令書に基づき申立人が本国に送還された場合には,現代において通信手段が相当程度発達したことを考慮に入れても,申立人とその代理人との間で訴訟追行のための十分な打合せができなくなるなど,申立人が本案事件の訴訟を追行することが著しく困難になることは明らかである。そして,仮に申立人が本案事件について勝訴判決を得ても,その送還前に置かれていた原状を回復する制度的な保障はないことをも考慮すれば,申立人は,本件令書に基づく送還部分の執行により回復の困難な損害を被るものと認めるのが相当である。
もっとも,申立人は,本件令書に基づく執行を,本案判決の確定に至るまで停止することを求めているが,現段階における本案についての理由の有無等に関する申立人の疎明の程度に照らせば,本件においては,本案事件の第一審判決の結論をみたうえで,あらためて執行停止の各要件を判断するのが適当であると思料される。
(3) したがって,申立人については,前記損害を避けるために,本件令書に基づく執行を,その送還部分について,本案事件の第一審判決言渡しまでの間,停止すべき緊急の必要性があるということができるが,それを超えて,本件令書に基づく収容部分の執行を停止すべき緊急の必要性があるとまでは認め難いというべきである。
3 「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に該当するか否かについて
申立人の本案事件における主張は,要するに,申立人は,本国政府から非合法集団とされ,弾圧を受けている法輪功の修練者という特定の社会集団に属する者であり,その活動状況や本国政府の対応等に照らして,本国政府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由がある恐怖を有しており,難民条約の適用を受ける難民に該当するにもかかわらず,在留特別許可をせずに行われた本件裁決は,法務大臣の裁量権を逸脱した重大かつ明白な違法な処分というべきであり,本件裁決に基づいてされた本件令書発付処分も違法な処分に当たる,というものである。
これに対し,相手方は,法務大臣の在留特別許可の付与は法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられており,この裁量権の行使が逸脱又は濫用に当たるとして違法であるとの評価を受けるのは,法務大臣の判断が在留特別許可の制度を設けた趣旨に明らかに反するなど極めて特別な事情が認められる場合に限られるものであるところ,申立人の本案事件における主張は,いずれも上記特別な事情と評価し得るものではなく,申立人の入国の目的,難民認定申請に至る経緯,我が国における不法就労の状況等の行動及び在留の経過等からみて,申立人は難民条約の適用を受ける難民には当たらないから,本件裁決には裁量権を逸脱した違法はなく,本件令書発付処分についても違法はないので,本件は「本案について理由がないとみえるとき」に当たる旨主張する。
しかしながら,在留特別許可を付与すべきか否かが法務大臣の裁量にゆだねられていることは相手方の主張するとおりであるとしても,法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いたと認められるような場合には,法務大臣が在留特別許可を与えなかったことが違法と判断される余地があり,本件本案事件においても,申立人が,本件裁決の違法性の根拠として主張する事情の有無及びその評価等につき,本案における審理を尽くすことがなお必要であって,本件疎明資料等に照らしても,現段階において,本件裁決及び本件令書発付処分が違法であるとの申立人の主張が,本案事件の第一審の審理を経る余地がないほどに理由がないとまでは認められない。
したがって,この点に関する相手方の主張は理由がない。
第3結論
よって,本件申立ては,本案事件の第一審判決の言渡しがあるまで本件令書に基づく送還部分の執行停止を求める限度で理由があるから,この限度でこれを認容し,その余の部分は理由がないからこれを却下することとし,申立費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法64条本文,61条を適用して,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 市村陽典 裁判官 関口剛弘 裁判官 菊池章)