東京地方裁判所 平成17年(ワ)17944号 判決 2006年11月17日
原告
甲野初男
外5名
原告ら訴訟代理人弁護士
山川萬次郎
同
岡田隆
同
藤原圭一郎
同
近森章宏
同
伊藤花恵
被告
乙山二郎
上記訴訟代理人弁護士
梶原利之
主文
1 被告は,原告甲野初男に対し,金991万3250円,原告甲野初江に対し,金20万円,原告丙川太郎に対し,金825万5449円,原告丙川春子に対し,金30万円,原告丙川一郎に対し,金20万円及び上記各金員に対する平成17年5月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを20分し,その7を被告の負担とし,その余は原告らの負担とする。
4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告甲野初男(以下「原告初男」という。)に対し,金2562万6077円,原告甲野初江(以下「原告初江」という。)に対し,金223万0136円,原告丙川太郎(以下「原告太郎」という。)に対し,金1872万8184円,原告丙川花子(以下「原告花子」という。)に対し,金200万円,原告丙川春子(以下「原告春子」という。)に対し,金200万円,原告丙川一郎(以下「原告一郎」という。)に対し,金200万円及び上記各金員に対する平成17年5月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告初男及び原告初江が共有し,原告らが居住していた建物の北隣に所在する作業場において被告の重過失を原因として発生した火災の延焼により上記建物内にあった家財道具を焼失するなどの財産的及び精神的損害を被ったとして,原告らが,被告に対し,不法行為に基づき,上記損害の賠償を請求した事案である。
1 前提事実(証拠(書証については枝番を含む。以下同じ。)の掲記のないものは,当事者間に争いがない。)
(1) 原告初男と原告初江とは夫婦であり,東京都江戸川区下篠崎町<番地略>所在,家屋番号<以下略>,木造瓦葺2階建居宅,床面積1階112.95平方メートル,2階84.42平方メートルの建物(以下「本件建物」という。)を共有し,本件建物の1階部分に居住していた。
原告初男と原告初江の長女である原告花子,原告花子の夫である原告太郎,原告太郎と原告花子の長女である原告春子及び原告太郎と原告花子の長男である原告一郎は,本件建物の2階部分に居住していた。
(2) 被告は,本件建物の北隣にあった東京都江戸川区下篠崎町<番地略>所在,家屋番号下篠崎町<以下略>,建物の名称1号,木造瓦葺2階建工場,床面積1階183.47平方メートル,2階183.47平方メートルの建物を所有していた者であり(甲6),かつ,上記建物内に存した工場(以下「本件工場」という。)において,プラスチック製キャップ及びアルミ製キャップの高速巻締め機械の製造,販売等を行っていたA精機株式会社の代表取締役であった者である。
(3) 平成17年5月12日午後2時20分ころ,本件工場中央部の作業場(以下「本件作業場」という。)の東側1階天井裏から出火し,本件作業場が全焼するとともに,南隣の本件建物に延焼し,本件建物の一部が焼失するなどの火災(以下「本件火災」という。)が発生した。
出火原因は,被告が,アセチレンガス切断機を用い,鉄骨製の梁(梯子状補強金具)を切断中の火花が,本件作業場の杉板張り内壁の隙間から東側1階天井裏に溜まっていた埃に飛び着火して,無炎燃焼を継続し,時間の経過とともに出火したものである。
(4) 小岩消防署が平成17年5月13日午後2時30分から同日午後3時30分まで本件建物を見分した結果に基づき作成された同年7月11日付け現場見分調書には,本件火災による本件建物のり災状況について,次のとおり記載されている(甲26)。
ア 西側外周部について
西側外周部は,1,2階のガラスとモルタル外壁が若干煤けているのみで,焼損は認められない。
イ 東側外周部について
北東側外周部は,1階のガラスとアルミサッシ製網戸が若干煤け,2階のガラスは,破損落下している。南東側外周部は,1,2階の間口1間半のアルミサッシ製引き違いガラスが煤けている。
ウ 南側外周部について
南側外周部は,2階のガラス,網戸及びモルタル外壁が若干煤けているのみで,焼損は見られない。
エ 北側外周部について
北側外周部1階を西側から東側に向かって見分すると,北西寄りモルタル外壁の1階には,トタン板が8枚程もたれ,焼損変色しているのが見分される。1階北側外周部のほぼ中央に位置する風呂場は,間口1間のアルミサッシ製引き違いガラスが全面焼損落下している。1階北東寄りのモルタル外壁に,焼損変色したトタン板が4枚程もたれ,北東寄りの間口半間のアルミサッシ製面格子は,黒く変色している。
北側外周部の2階部分を見分すると,北西寄りにアルミサッシ製のはめ殺し小窓が3箇所取り付けられており,小窓のガラスは煤けている。北側外周部2階中央付近に間口半間に引き違いガラスが3箇所あり,東寄りと西寄りのガラスは黒く変色し,中央のガラスは一部破損しているのが見分される。
北側外周部のモルタル外壁は,北東側の焼損剥離している部分を除き,全面水損している。
北東側2階の間口1間の引き違い窓は,ガラス全面が焼損落下し,モルタル外壁は,逆三角形状に焼損剥離し,さらに,北東側屋根の一部は,焼失しており,北東側外周部の焼損が著しい。
オ 1階部分について
(ア) ポーチ・玄関・ホールについて
ポーチ内に焼損は認められない。玄関ドアは,間口1間の両開き戸で,この戸のガラスが若干煤け,玄関内のタイル貼りの床とホール内のフローリングの床が白く汚損している。
(イ) ダイニングキッチンについて
ダイニングキッチンを見分すると,内壁・天井に若干の煤け及び水損が認められる。ダイニングキッチンの床面に置かれている収容物が水損し,防水シートが掛けられている。フローリングの床は,白く汚損しているが,ダイニングキッチン内に焼損は認められない。
(ウ) 10畳和室について
ダイニングキッチンの東隣に位置する10畳和室を見分すると,座卓に防水シートが掛けられ,当該シートの上に水溜りが見分される。また,内壁・竿縁天井及び畳が水損しているが,10畳和室内に焼損は認められない。
(エ) 広縁について
10畳和室の東隣に位置する広縁を見分すると,南側のフローリングの床が若干汚損し,姿見及び合成樹脂製のラックが若干煤けている。北側床面の座布団及び衣類等の収容物に煤けは見分されない。広縁の内壁・天井,掃き出し窓及び障子が若干煤けているが,広縁内に焼損は認められない。
(オ) 東西に延びる廊下について
廊下のビニールクロス貼りの内壁・天井とフローリングの床が水損している。また,床は黒色や白色に汚損しているが,1階廊下内に焼損は認められない。
(カ) 物入れについて
廊下から北側の物入れを見分すると,収容物には防水シートが掛けられ,内壁・天井,床が水損しているが,物入れ内に焼損は認められない。
(キ) 脱衣所・風呂場について
物入れの東隣に位置する脱衣所を見分すると,床と足拭きマットが黒く汚損し,ビニールクロス貼りの内壁に若干の煤けが認められる。
風呂場については,タイル張りの床及び浴槽が黒く汚損している。風呂場の北側出窓は,アルミサッシ製の1間の引き違い窓となっており,ガラスが破損落下し,この窓の縦框・上框・下框は,焼損変色しているが,原形をとどめている。風呂場東側の半間のはめ殺し窓は,ひびが入っている。
(ク) 便所について
脱衣所・風呂場の東隣に位置する便所を見分すると,内壁・天井に若干の煤け及び水損が認められる。便所北側は,間口半間のアルミサッシ製引き違いの腰高窓となっており,この窓のガラスが変色している。便所内に焼損は見分されない。
(ケ) 納戸について
便所の東隣に位置する納戸を見分すると,内壁・天井及び床が水損している。
(コ) 8畳和室について
納戸の東隣に位置する8畳和室を見分すると,畳の上に置かれている収容物には防水シートが掛けられており,当該防水シートの所々に水溜りが見分される。内壁・竿縁天井及び畳が水損し,天井に取り付けられている照明器具が水損し傾いている。畳は,所々黒く汚損しているが,8畳和室に焼損は認められない。
カ 屋内階段について
屋内階段を見分すると,踏み板が白く汚損している。階段のビニールクロス貼りの内壁は,天井寄りで煤け,天井材及び天井に取り付けられている照明器具も煤けている。屋内階段の東側は,天井材が一部剥がれて断熱材が露出しており,断熱材の表面に若干の焼損が見られるが,野縁,野縁受け等に煤け及び焼損は認められない。屋内階段の屋根裏は,全面にわたり焼損しているのが見分される。
キ 2階について
(ア) ホールについて
ホールの床には,変色している断熱材や破損した石膏ボードが見分され,天井面からコードと照明器具が垂れ下がっているが,焼損はなく,床は黒く汚損している。
(イ) 西側バルコニーについて
西側バルコニーを見分すると,バルコニー北側には,アルミサッシ製の間口半間の開き戸が取り付けられており,この戸のガラスは,取っ手から上框にかけて煤けているが,下框寄りの煤けは若干である。西側バルコニーの庇部にある給気孔が2箇所煤け,ベランダの床には,若干の炭化物が見分される。
(ウ) 洋室について
西側バルコニー東隣の洋室を見分すると,南東側の床面に置かれている収容物には防水シートが掛けられているが,これらに焼損はなく,当該防水シート上や床に,天井下地材の石膏ボードが落下しているのが見分される。
床は汚損と水損が見られ,内壁に煤け及び水損が認められる。西側天井面に取り付けられている照明器具カバーは若干煤けているのに対し,東側の照明器具は,蛍光灯カバーがなく,露出している蛍光灯管に煤が付着している。
洋室の天井下地材の石膏ボードは,大半が剥離し,残存する石膏ボードは黒く変色している。露出している野縁及び野縁受けの焼損は若干である。天井裏で露出している南寄りの断熱材は,表面が焼損しているものの,野縁で原形をとどめているのに対し,北寄りの断熱材は焼損し,野縁に垂れ下がっている。
北側廊下から西寄りの開き戸上部の小壁を見分すると,この小壁は煤けているのに対し,洋室東寄りの開き戸上部の小壁は焼失し,天井寄りの内壁・天井のビニールクロスも焼損しており,この洋室は,東寄りの焼損が著しい。なお,洋室の天井裏は,全面にわたり焼損しているのが見分される。
(エ) リビングダイニングについて
室内のダイニングテーブル,椅子や座卓が煤けている。
北寄りの床面には,焼損し傾いている座卓や金属製の収納ボックスが見分され,床面には,焼損物が堆積しているが,これらの収容物の焼損は表面的なものであり,床に焼損は見られない。北側天井に取り付けられている照明器具は,焼損し原形がなく,天井裏は,全面にわたり焼損しているのが認められる。
東側の間口1.5間の掃き出し窓のガラスは煤け,西側の内壁に沿って置かれている食器棚,冷蔵庫,流し台,ガステーブルの表面が煤けている。北東側の内壁に沿って置かれている物入れが煤け,当該たんすの天板に石膏ボードの破片が見分される。
リビングダイニング天井が焼損し,野縁の所々に焼損している断熱材が垂れ下がっている。南側は,間口1間の引き違い窓が2箇所あり,いずれもガラスが焼損している。
北側には,間口1間の引き違い戸が2箇所あり,北側の引き戸上部の小壁のビニールクロスが焼失し,下地材の石膏ボードは黒く変色している。さらに,北側の引き違い戸上部は,小壁の下地材が焼損剥離し開放状態となっている。天井材の石膏ボードが剥離し,野縁及び野縁受けが露出しており,この野縁及び野縁受けは,南側寄りでは焼損は認められないが,北側寄りで焼損しており,2階リビングダイニングは,北寄りの焼損が著しい。
(オ) 東側バルコニーについて
バルコニー北側の間口1間の引き違い戸は,ガラス全面にひびが入っている。バルコニーの床に焼損しているタオル類が散乱しているが,床に焼損は認められない。
(カ) トイレについて
トイレを見分すると,腰壁から上方の内壁・天井,換気扇及び照明器具に若干の煤けが認められる。床には炭化物が散乱しているが,焼損は認められない。トイレの間口半間の開きドアは,取っ手から上方に煤が付着しているのが見分される。トイレ内に焼損は認められない。
(キ) 洗濯機室・シャワー室・脱衣所について
トイレ東隣の洗濯機室の収容物に焼損は認められない。脱衣所の床を見分すると,炭化物が散乱し黒く変色しているが,焼損は認められない。脱衣所東側の内壁に沿って取り付けられている吊り戸棚は,扉が変色し,北側の間口半間の引き違い窓は,ガラスがひび割れている。内壁は,腰壁付近から上方寄りで煤け,北側天井の天井材が剥がれ,野縁が露出し,野縁に断熱材が一部垂れ下がっているが,これらに焼損は見られない。
(ク) 西側から東西に延びる廊下について
西側から東西に延びる廊下を見分すると,天井寄りのビニールクロス貼りの内壁が焼損変色している。廊下の天井を見分すると,西側天井の野縁に垂れ下がっている断熱材が変色しているのに対し,廊下東側は,天井の垂木が所々焼損し,天井裏は全面焼損している。床面に屋根瓦や石膏ボードが散乱し,黒く変色しているが,床に焼損は認められない。
(ケ) 納戸について
脱衣所東隣の納戸を見分すると,床に焼損した衣類等の収容物が散乱しているが,これらの焼損は表面的なものであり,床に焼け込みは認められない。内壁は,一様に焼損し黒く変色している。天井材は焼損剥離し,野縁及び野縁受けが所々焼損し,さらに,野縁部分に残存する断熱材が焼損し,天井裏は全面焼損しているのが見分される。納戸の屋根を見分すると,北側の屋根が一部焼失し,残存する屋根部分の垂木が亀甲状に焼損炭化しているのが見分され,納戸は北側の焼損が著しい。
(コ) 8畳和室について
納戸東隣の8畳和室を見分すると,床には,屋根瓦や石膏ボード類が堆積している。屋根を見分すると,屋根組みを残し,焼失している。
a 東側,西側について
東側の内壁を見分すると,下地材の石膏ボードが所々焼損剥離している。間口1間の肘掛窓のガラスが破損落下し,柱,長押が炭化している。東側の屋根材の垂木が炭化しているが,原形をとどめている。
西側の内壁を見分すると,下地材の石膏ボードが所々脱落しており,長押,柱が炭化している。長押上部の小壁は,南西側では残存しているが,北西側の小壁は焼失している。軒桁,母屋,小屋ばりが炭化している。
b 南側,北側について
納戸南側の内壁下地材の石膏ボードが焼損剥離している。柱,長押は炭化し,長押上部の小壁は白く変色している。南側の屋根材の垂木は,炭化しているが,原形をとどめている。
北側の内壁を見分すると,下地材の石膏ボードが脱落し,露出している天井寄りの木ずりが一部焼失しているのが見分される。北側の間口1間の肘掛窓は,ガラスが破損落下している。北側の柱,長押は亀甲模様が深く,長押上部の小壁は焼失し,屋根材の垂木に焼け切れが見分される。南側と北側の軒桁,梁及び母屋の焼損程度を比較すると,いずれも北側の軒桁,母屋及び梁の亀甲模様が深く,2階8畳和室は,北側の焼損が著しいのが見分される。
(5) アセチレンガス切断機を使用して鉄骨を切断する作業は,その使用方法如何によっては,爆発又は火災の発生する危険性の高い行為であるため,法は,かかる作業に従事する者に対し,厳格な資格要件を課しているのみならず,その作業方法についても厳格な規制を課している。
すなわち,アセチレンガス切断機を使用して鉄骨を切断する作業は,「可燃性ガス及び酸素を用いて行なう金属の溶接,溶断又は加熱の業務」(労働安全衛生法施行令第20条10号)に該当するため,労働安全衛生法第61条2項により,都道府県労働局長の当該業務に係る免許を受けた者又は都道府県労働局長の登録を受けた者が行う当該業務に係る技能講習を終了した者その他厚生労働省令で定める資格を有する者でなければ,当該業務を行ってはならない旨規定されているほか,アセチレンガス切断機を使用する作業に従事する者は,その場所を常に整理整とんし,及びその場所に,みだりに,可燃性の物を置いてはならず(労働安全衛生規則第256条),さらに,多量の易燃性の物が存在し,火災が生ずるおそれのある場所においては,点火源となるおそれのある機械等又は火気を使用してはならない(同規則第279条)とされている。
(6) 被告は,昭和42年2月3日,ガス溶接技能講習修了証の交付を受け,ガス溶接技能者の国家資格を取得している。
2 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 被告の重過失の有無
(原告らの主張)
一般的に,アセチレンガス切断機を使用する場合において,アセチレンガスバーナーから発生する火花は,遠くまで飛散し,しかも,なかなか消えにくいという性質を有している。そして,被告は,床面から約2.5メートルの高さにおいて,梁(梯子状補強金具)の切断作業をしていたことからすれば,アセチレンガス切断機から発生する火花は,本件作業場内の至る所に飛散する可能性があった。さらに,被告が切断作業を行った場所は,可燃物である板壁より,最も近い鉄柱でわずか3センチメートル,最も遠い鉄柱でも30センチメートルしか離れていなかったのであるから,被告がアセチレンガス切断機を使用した場合,その発生した火花が本件作業場内の板壁を始めとする可燃物に飛散する危険性は非常に高かったのである。
加えて,本件作業場の存した建物は,木造瓦葺2階建の構造で,昭和33年ころ建築され,築40年以上の木造建物であり,内壁の隙間や所々朽ちている箇所のある状況であり,老朽化した状態であったことから,飛散する火花が本件作業場の内壁の隙間や朽ちている部分から飛散し,本件作業場に隣接する部屋や本件火災の原因となった天井裏への引火等が発生し,建物全体へと広がる危険性が高かったのである。
このように,本件作業場は,それ自体が可燃物というべきもので,火災発生の危険性が極めて高かったのであるから,被告は,ガス溶接技能者として,かかる危険な作業場内でのアセチレンガス切断機を用いた切断作業を行うことは避け,他の解体方法を選択すべき注意義務があったというべきであるし,仮に本件作業場内でアセチレンガス切断機を用いた切断作業を行う場合においては,本件作業場内部の補修工事を行い,板壁を取り外すなど火花の引火を防止する措置を講じるべきであり,かかる措置を講じることができない以上は,少なくとも,本件作業場内の板壁全体を防災シートで覆ってこれを保護すべき注意義務を負担していたというべきである。
しかるに,被告は,アセチレンガス切断機によって鉄柱や梁を切断するに際し,板壁全体を防災シートで覆う等の安全措置を講じる義務を怠り,わずか厚さ3ミリメートル,幅55センチメートル,長さ84センチメートルの鉄板を板壁に立てかけただけの極めて杜撰な防災措置しか講じていないのであり,しかも,上記鉄板には,これまでアセチレンガス切断機を使用する際の当板として使用され続けた結果,無数の小さな穴が開いている状態であって,アセチレンガス切断機から発生する火花が鉄板を通り抜けてしまい,火花の飛散を防止することができず,板壁に直に火花が当たってしまう危険すらある防炎措置としても極めて不十分なものであった。
以上のとおりであるから,本件火災の発生について,被告には重過失があったというべきである。
(被告の主張)
被告は,平成17年5月12日午前8時30分ころから本件工場中央部に最後に残った高さ約6メートルの不要鉄柱計5本の切断・撤去作業を開始した。鉄柱5本のうち3本は,各々約3メートルの間隔で独立してコンクリート床から垂直に立ち上がっており,また,板壁とは約30センチメートル離れた位置にあったので,コンクリート床から2ないし3センチメートルの低い位置で切断すれば,直ぐに撤去できるものであった。
本件作業場周辺は常に整理整頓を心掛け,常時2ないし3個の消火器を作業現場から約3メートル以内の場所に置き,万一に備えた。残りの消火器約20個は設計室に近い側の本件工場内部にまとめて置いておき,いつでも使用,補充できる状態にした。
切断作業は,酸素アセチレンガスバーナーで,鉄柱の周囲を360度一周させて行ったところ,板壁を背にして作業する場合には,前方に工作物がないので,ガスバーナーの使用に安全上の問題はなかったのに対し,板壁側に炎が向く場合には,ガスバーナーの炎が板壁に直接当たる可能性があったので,厚さ3ミリメートル,幅55センチメートル,長さ84センチメートルの縦長の鉄板2枚を板壁に立てかけ,ガスバーナーの炎が板壁側に向いても直接これに当たらないように配慮して実施した。なお,ガスバーナーで鉄材を切断する際には,溶けた鉄の粒が発生するが,これは比重が5以上であるため,一般にコンクリート床に落下し,空中に舞うことはない。
同日午前11時半ころまでに3本の鉄柱の撤去が順調に進み,残る2本の撤去作業に取り掛かった。この2本は,約2メートル離れて直立しており,撤去した3本と異なり,床から約2.5メートルの位置で,梯子を横にした状態の鉄製の補強金具(全長約2メートル,幅約25センチメートル,厚さ約5センチメートル)により互いに繋がっていたため,まず,この梯子状補強金具の両端4箇所を,アセチレンガス切断機を用いて切断する作業に着手した。鉄柱と板壁との間隔は約3センチメートル,梯子状補強金具と板壁の間隔は約10センチメートルであったため,バーナーの炎が直接板壁に当たらないように前記鉄板を鉄柱と板壁の間に差し込み,梯子状補強金具及び鉄板の裏側に約10センチメートルの間隔を保ちながら,2本の鉄柱ごとに上下各2箇所の切断作業を行った。各作業の最後には用済みとなった鉄板を鉄柱と板壁の間から抜き取り,板壁の表面温度を下げるため,約10メートル離れた手洗い場に置いてあったプラスチック製の洗面器に水(約10リットル)を汲み,作業を行った周辺の板壁に水を右手で掬って振りかけ,更に板壁の表面を目視で観察して変色していないことを確認した。そして,念のため,もう一度手洗い場に洗面器を持って行き,前回と同量の水を汲んで戻り,板壁を右手指先で暖まっていないことを確認した上,水の全量を2箇所に分けて板壁に散布した。同作業終了時,本件工場内の時計は12時半を指していた。
次に,取り外した梯子状補強金具の分解作業を約50分かけて行い,午前の作業を終了するために,酸素とアセチレンボンベの元栓をしっかりと締め,作業道具を片づけ,手洗い場で手を洗い,先ほどまで作業をしていた場所へ立ち寄って異常の無いことを確認した上,事務室内で作業着を脱いで私服に着替えた。被告は,昼食をとるため本件作業場を出る前に,再度事務室の窓越しに作業現場内を観察し,更に念のため本件工場内に入って作業場に異常の無いことを確認した。
以上のとおり,被告は,本件作業場を清掃して近辺に火が移らないよう周囲を整理し,また,梯子状補強金具の切断作業時には板壁との間に鉄板を差し入れ,切断後には2回にわたって水を掛けるという安全策を講じ,更には作業終了時にもその場所に相当時間とどまって点検と安全確認を繰り返す措置をとったのであり,被告のとった対策は,アセチレンガス切断機を用いた作業として相当の注意義務を尽くしたものである。
したがって,本件火災の発生について,被告には重過失はないというべきである。
(2) 原告らの被った損害
(原告らの主張)
ア 家財道具に係る損害(原告初男につき1602万6500円,原告太郎につき1587万8898円の合計3190万5398円)
原告らは,本件建物内に家財道具を所有していたところ,これらの家財道具は,本件火災による焼損のほか,高熱による変形や焼煙による匂いの付着,更には消火活動による大量の汚水の浸水のため,全く使用することができなくなってしまった。
なお,本件建物1階部分で生活を共にしていた原告初男及び原告初江が所有していた家財道具1602万6500円については,同一家庭内の財産として,原告初男が被った損害として一括して請求する。
また,本件建物2階部分で生活を共にしていた原告太郎,原告花子,原告春子及び原告一郎が所有していた家財道具1587万8898円については,同一家庭内の財産として,原告太郎が被った損害として一括して請求する。
イ 賃料相当額の損害(原告初男につき252万円,原告太郎につき81万6000円の合計333万6000円)
本件建物の焼失により,原告らは仮住居への移転を余儀なくされたほか,原告初男は,自動車を2台所有していたため,新規に駐車場を用意する必要が生じた。そのため,原告初男及び原告初江は,経営する精肉店である株式会社B屋の店舗(以下「本件精肉店」という。)の2階及び3階部分が空いていたので,同部分に引っ越すとともに,原告初男が所有する空き店舗を駐車場として使用している。仮に,原告初男が本件精肉店の2階及び3階部分を第三者に賃貸するとすれば,その家賃は月額8万円を下らないし,また,上記空き店舗は月額13万円で賃貸されていたものであるから,本件建物の跡地に新しく建て直す建物に移転することが可能となるまでの少なくとも1年間の賃料相当額252万円に相当する逸失利益による損害を受けることとなる。
一方,原告太郎,原告花子,原告春子及び原告一郎は,本件建物の焼失により,近隣のアパートを賃借して居住することを余儀なくされており,月額6万8000円の上記1年間の賃料相当額81万6000円に相当する積極損害を受けることとなる。
ウ 休業による逸失利益(原告初男につき29万9178円,原告初江につき23万0136円,原告太郎につき3万3268円の合計56万2600円)
本件火災により,原告初男及び原告初江は,本件精肉店を1週間休業することを余儀なくされ,また,原告太郎は,勤務していたC株式会社を2日半休業することを余儀なくされた。原告初男の年収は1560万円,原告初江の年収は1200万円,原告太郎の年収は485万9783円であったから,それぞれの休業による逸失利益は,原告初男につき29万9178円,原告初江につき23万0136円,原告太郎につき3万3286円となる。
エ 慰謝料(各原告につき200万円の合計1200万円)
原告らは,本件火災により,近隣の建物に延焼したり,生命身体への危険が及ぶことについて極めて大きい恐怖を感じた上,自らの財産が理不尽に奪われるという極度の精神的苦痛を受けたほか,環境の変化で多大なストレスを感じる日々であり,特に,原告春子は,本件火災が原因で頭痛,腹痛症,起立性調節障害,アレルギー性皮膚炎の症状が生じている。
原告らの被った多大な精神的苦痛を慰謝するには,各原告につき200万円が相当である。
オ 弁護士費用に係る損害(原告初男につき478万0399円)
被告が本件火災による損害賠償金の支払に応じようとはしなかったため,原告らは,弁護士に依頼して本訴を提起せざるを得なかった。そこで,損害総額の1割である478万0399円を原告らの代表である原告初男の損害として請求する。
(被告の主張)
ア 家財道具に係る損害について
原告らの主張する損害は,本件火災で焼失したのは本件建物の2階の一部にすぎないのに,本件建物内にあったすべての物が損害を被ったとしていること,再調達価格を基準として損害額を算定していること,エアコン7台を380万円,学習机2台を25万円とするなど損害を著しく過大に評価しているものがあることなどの点で,到底承服できないものである。
イ 賃料相当額の損害について
原告初男及び原告初江の移転先の住居及び駐車場は,自己所有の建物又は空き店舗であるから,損害はない。
また,駐車場の賃料相当損害金として空き店舗の賃料相当額を請求している点は,それ自体根拠がない。また,住居及び駐車場を1年間借り受ける必要があるとの原告らの主張は事実に反する。
ウ 休業による逸失利益について
本件精肉店が休業した事実はない。また,原告太郎は,仮に欠勤したとしても,給与は支給されていたはずである。
エ 慰謝料について
本件火災発生時,本件建物にいたのは原告花子だけであり,原告ら請求の慰謝料は高額に過ぎる。
オ 損害の填補について
被告は,平成17年5月14日,原告花子に見舞金100万円を支払った。
第3 当裁判所の判断
1 前記前提事実に加え,証拠(甲5,6,26,30,乙10,被告)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 被告は,昭和45年4月,父が経営していたA精機株式会社に代表取締役として就任し,以後35年間にわたって同社の経営に携わってきたが,従業員の高齢化,客先業界の斜陽化,設備設置の一巡等により,会社規模を徐々に縮小しながら,平成17年9月末日を目処に,顧客の要請により納入済み機械のメンテナンスを行うエンジニアリング会社として存続させることとして,従業員を整理した上,同社機械製造工場の整理,解体に取り掛かった。
(2) 被告は,平成16年5月ころ,本件工場内の工作機械約30台を撤去の上,元工場長と共に,棚,作業台,ロッカー等の鉄製構造物の解体作業を始め,同年6月には,本件工場2階の社宅に長年居住していた元工場長夫妻も引っ越しを済ませた。
被告は,平成16年8月ころ,工事解体請負業者に本件工場内を見せて相談したところ,本件工場本体を解体するには,鉄柱等残存している不要品や不要物を極力撤去しておかないと,日数が掛かり,近隣住民からの苦情も出るおそれがあるとの忠告を受けた。そこで,被告は,同年11月末までに,本件工場内にあった多数の可燃物(廃油,プラスチック,紙・段ボール,木製品等)を産業廃棄物として本件工場外に搬出するとともに,そのころから,鉄製構造物の解体作業に従事し,平成17年5月初めころには本件工場を解体する準備作業を終了する目処が立つ状況となった。
(3) 被告は,本件火災発生当日である平成17年5月12日午前8時30分ころから,本件工場中央部の本件作業場に最後に残った高さ約6メートルの不要鉄柱計5本(各々板厚3ミリメートルの薄い鉄板をコの字型に曲げた軽量型鋼を2個抱き合わせて溶接されたもので,別紙建物配置図の①ないし⑦で示した箇所に別紙図面2のとおりの位置関係で設置されていた。)の切断・撤去作業を開始した。鉄柱5本のうち3本は,各々約3メートルの間隔で独立してコンクリート床から垂直に立ち上がっており,板壁とは約30センチメートル離れた位置にあったので,コンクリート床から2ないし3センチメートルの高さの位置で切断すれば,直ぐに撤去できるものであった。
被告は,本件作業場周辺について,常に整理整頓を心掛け,常時2ないし3個の消火器を作業現場から約3メートル以内の場所に置き,残りの消火器(約20個)も設計室に近い側の本件工場内部にまとめて置いておき,いつでも使用・補充できる状態にしていた。
(4) 被告は,まず,別紙図面2の①ないし③の鉄柱から切断作業を開始した。この作業は,鉄柱の周囲を酸素アセチレンガスバーナーで360度一周させて行うものであり,被告は,作業するに当たり,常時使用していた厚さ3ミリメートル,幅55センチメートル,長さ84センチメートルの縦長の鉄板2枚を板壁に立てかけるなどして,ガスバーナーの炎が板壁等に直接当たらないように配慮して実施した。
被告は,同日午前11時半ころまでに3本の鉄柱の撤去作業を終え,残る2本の鉄柱の撤去作業を始めたが,この2本の鉄柱は,別紙図面1及び2のとおり,約2メートル離れて直立しており,床から約2.5メートルの位置で,梯子を横にした状態の鉄製の補強金具(全長約2メートル,幅約25センチメートル,厚さ約5センチメートル)により互いに繋がっていたため,まず,この梯子状補強金具の両端にある継ぎ手の部分の4箇所(別紙図面2の④ないし⑦のとおり)をアセチレンガス切断機を用いて切断する作業を行った。その際,鉄柱と板壁の間隔は約3センチメートル,梯子状補強金具と板壁の間隔は約10センチメートルであったため,ガスバーナーの炎が直接板壁に当たらないように前記鉄板を鉄柱と板壁の間に差し込み,更に厚さ3ミリメートル,幅1センチメートルのフラットバーと呼ばれている鉄製の帯板で鉄板を鉄柱にくくりつけて固定し,梯子状補強金具及び鉄板の裏側に一定の間隔を保ちながら,梯子状補強金具の切断作業を行った。
なお,被告は,この梯子状補強金具の切断作業について,別紙図面3のとおり,別紙図面の2の④及び⑤の継ぎ手については鉄骨階段の途中まで上がった位置で行い,また,別紙図面2の⑥及び⑦の継ぎ手についてはアルミ脚立に上がった位置で行った。
被告は,各切断作業の最後には,用済みとなった鉄板を鉄柱と板壁の間から抜き取り,板壁の表面温度を下げるため,約10メートル離れた手洗い場に置いてあったプラスチック製の洗面器に約10リットルの水を汲み,作業を行った周辺の板壁に上記水を右手で掬って振りかけ,さらに,板壁の表面を目視で観察して変色していないことを確認したほか,作業終了に当たり,念のため,再度,手洗い場に洗面器を持って行き,同量の水を汲んで戻り,板壁を右手指先で触れて暖まっていないことを確認した上,上記水を2箇所に分けて板壁に散布して,同日午後零時半ころ上記作業を終了した。
被告は,次に,取り外した梯子状補強金具の分解に取り掛かり,上記梯子状補強金具を板壁から約2メートル離して,コンクリート床に寝かせて置き,ガスバーナーの炎を常に下に向けるようにして切断した上,切断した鉄片は,温度が下がるまで,コンクリート床の上に放置した状態にして,約50分で上記作業を終了した。
(5) 被告は,作業を一旦終了するために,酸素とアセチレンボンベの元栓を締め,作業道具を片付け,手洗い場で手を洗い,先ほどまで作業をしていた場所へ立ち寄って異常のないことを確認した上,事務室で作業着を脱いで私服に着替えた。
被告は,再度,事務室の窓越しに本件作業場内を観察し,更に,念のため本件工場内に入って本件作業場に異常のないことを確認した後,玄関扉に施錠した上,同日午後1時35分ころ昼食を取るため本件工場外に出た。
(6) 被告は,昼食を済ませて,同日午後2時25分ころ,本件工場に到着し,駐車場で話しかけてきた女性と立ち話をしていたところ,本件工場内から「パチパチ」と音がするのに気付き,玄関の鍵を開けて事務室に入った瞬間,ガラス窓を通して本件工場中央にある鉄骨階段の左脇の1階と2階の境目(床から約2.5メートル)付近の最後に切断した梯子状補強金具の面する杉板張りの内壁付近から小さな炎が上がっているのを発見した。そこで,被告は,前記のとおり備え置いていた約20個の消火器の中から中型の粉消火器1本を取り上げて鉄骨階段下まで走って行き,板壁に消火粉を吹き掛けたが,炎の大きさの割には火勢の衰えが認められないことから,火は,板壁の内側から2階の方へ廻っていると判断し,2本目の消火器を手にして鉄骨階段を駆け上って2階の倉庫に上がったところ,既に火は天井のベニヤ板を燃やし始めており,消火できず,更に3本目の消火器を取りに駆け戻ったが,単独での消火は困難と判断し,同日午後2時30分ころ携帯電話により消防の出動を要請した。
(7) 本件火災の出火原因は,被告が,アセチレンガス切断機を用い,鉄骨製の梁(梯子状補強金具)を切断中の火花が,本件作業場の杉板張り内壁の隙間から1階天井裏に溜まっていた埃に飛び着火して,無炎燃焼を継続し,時間の経過とともに出火したものであるところ,本件作業場の存した建物は,木造瓦葺2階建の構造で,昭和33年ころ建築され,築40年以上の木造建物であり,老朽化した状態であった。そして,小岩消防署の出火原因判定書によると,東側作業場の北西側に残存している杉板張り内壁には,隙間や所々朽ちている状況が見分されることから,本件火災の出火箇所とされている東側作業場の西側の杉板張りの内壁にも同様の状況があったものと考えられるとされており,また,被告自身も,小岩消防署に対する質問調書において,「切断箇所は,梁と鉄骨の柱が溶接している部分の3箇所です。この梁の背面は,東側の木造建物の1階天井裏となっており,古い建物なので天井裏にはかなりの埃が溜まっていたと思いますが,実際に天井裏を覗いたことはないので,埃がどの程度溜まっていたのかはわかりません。」と供述している。
(8) 厚生労働省安全衛生部安全課編「ガス溶接・溶断作業の安全」によると,ガス溶接等の作業は,危険物であるアセチレンなどの可燃性ガスと支燃性の強い酸素とを用いて,吹管の火口に作られた高温の火炎を取り扱うものであり,特に,アセチレンは可燃性ガスの中では最も危険性が高く,酸素は空気に比べると物を燃やす力が格段に強いことから,油断すると爆発,火災等の災害を引き起こす危険な作業であるとされており,作業時には,他の可燃物の着火源となる火の粉を周りにまき散らすので,火災の出火源になることも多いほか,アセチレンガス切断機から発生する火花は意外と遠くまで飛び,思ったほどすぐに消えにくい性質を有しており,2.2メートルの高さから水平にガス切断した場合,火花は水平方向へ最大10メートルに達することがあると指摘されている。
また,小岩消防署の現場見分調書によると,被告が切断作業時に使用していた厚さ3ミリメートル,幅55センチメートル,長さ84センチメートルの縦長の鉄板は,茄子色に変色し,無数の小さな穴が開いているのが見分されている。
2 争点(1)(被告の重過失の有無)について
以上の認定事実に基づき検討するに,アセチレンガス切断機を使用して鉄骨等を切断する作業は,その使用方法如何によっては,爆発又は火災の発生する危険性の高い行為であるため,前記のとおり,法は,かかる作業に従事する者に対し,厳格な資格要件を課しているのみならず,その作業方法についても厳格な規制を課しており,アセチレンガス切断機を使用する作業に従事する者は,その場所を常に整理整とんし,及びその場所に,みだりに,可燃性の物を置いてはならず(労働安全衛生規則第256条),さらに,多量の易燃性の物が存在し,火災が生ずるおそれのある場所においては,点火源となるおそれのある機械等又は火気を使用してはならない(同規則第279条)とされているところ,アセチレンガス切断機を使用する場合において,アセチレンガスバーナーから発生する火花は,遠くまで飛散し,しかも,なかなか消えにくいという性質を有しており,被告が床面から約2.5メートルの高さで梯子状補強金具の切断作業をしていたことからすれば,上記火花は,本件作業場内の各所に飛散する危険性があったと考えられる上,被告が切断作業を行った場所は,可燃物である板壁から,鉄柱で約3センチメートル,梯子状補強金具で約10センチメートルしか離れていなかったというのであるから,被告がアセチレンガス切断機を使用した場合,その発生した火花が本件作業場内の板壁を始めとする可燃物に飛散する危険性は一層高かったものといわざるを得ないし,加えて,本件作業場の存した建物は,木造瓦葺2階建の構造で,昭和33年ころ建築され,築40年以上の木造建物であり,内壁の隙間や所々朽ちている箇所が見分される状況であり,老朽化した状態であったことから,飛散する火花が本件作業場の内壁の隙間や朽ちている部分を通して更に飛散し,1階天井裏に溜まっていた埃に飛び着火するなどして,建物全体へと広がる危険性が極めて高かったものというべきである。
このように,被告は,ガス溶接技能者として,アセチレンガス切断機を使用して鉄骨等を切断する作業がかかる危険性を伴う行為であることを熟知していたはずであるから,本件作業場内でアセチレンガス切断機を用いた切断作業を行うことは極力避け,他の解体方法を選択すべき注意義務があったというべきであるし,仮に本件作業場内でアセチレンガス切断機を用いた切断作業を行う場合においては,アセチレンガス切断機から発生する火花が飛散するおそれのある本件作業場内の板壁を取り外すとか,火花が飛散するおそれのある板壁全体を防災シートで覆うなどしてアセチレンガス切断機から発生する火花の可燃物への着火を未然に防止するための十分な防災措置を講じるべき注意義務を負っていたというべきである。
しかるに,被告は,アセチレンガス切断機によって梯子状補強金具を鉄柱から切断するに際し,火花が飛散するおそれのある板壁全体を防災シートで覆うなどの防災措置を講じる義務を怠り,アセチレンガスバーナーの炎が当たるおそれのある板壁の部分に,わずか厚さ3ミリメートル,幅55センチメートル,長さ84センチメートルの鉄板を差し込んだだけの防災措置しか講じていないのであり,しかも,上記鉄板は,これまでアセチレンガス切断機を使用する際の当板として使用され続けてきた結果,無数の小さな穴が開いている状態であり,アセチレンガス切断機から発生する火花が鉄板を通り抜けてしまい,火花の飛散を防止することができず,板壁に直に火花が当たってしまう危険性すらある防炎措置としても極めて不十分なものであった以上,ガス溶接技能者として,アセチレンガス切断機を使用して鉄骨等を切断する作業に業として従事していた者であることをも勘案すると,本件火災の発生について,重過失があったといわなければならない。
この点に関し,被告は,本件作業場周辺について,常に整理整頓を心掛け,常時2ないし3個の消火器を作業現場から約3メートル以内の場所に置き,残りの消火器(約20個)も設計室に近い側の本件工場内部にまとめて置いておき,いつも使用・補充できる状態にしていたほか,梯子状補強金具の切断作業時には板壁との間に厚さ3ミリメートル,幅55センチメートル,長さ84センチメートルの鉄板を差し入れ,切断後には2回にわたって作業を行った周辺の板壁に水を掛け,更には作業終了時にもその場所に相当時間とどまって点検と安全確認を繰り返す措置をとったことが認められるが,被告のとった上記措置は,アセチレンガス切断機を用いた作業を行う場合に当然になすべき措置にすぎないものである(ただし,梯子状補強金具の切断作業時に板壁との間に鉄板を差し入れた措置は防炎措置として極めて不十分なものであったことは上記説示のとおりである。)し,被告が切断作業後には2回にわたって作業を行った周辺の板壁に水を掛け,更には作業終了時にもその場所に相当時間とどまって点検と安全確認を繰り返す措置をとるなどしたことは,むしろ,被告において,当該箇所にアセチレンガス切断機から発生する火花が飛散するなどの危険性のあることを認識していたことを裏付けるものというべきであるから,本件火災の発生について,被告に重過失があったとの前記認定を左右するものではない。
3 争点(2)(原告らの被った損害)について
(1) 家財道具に係る損害について
前記前提事実に加え,証拠(甲1,2,7,26ないし29,31ないし34,原告初男,原告初江,原告太郎)及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,本件建物内に甲7の1・2に記載された家財道具を所有していたところ,これらの家財道具は,本件火災による焼損のほか,高熱による変形や焼煙による匂いの付着,更には消火活動による大量の汚水の浸水のため,ほとんど使用することができない状態となったことが認められる。
そして,上記家財道具に係る損害額を算定するに当たっては,本件火災当時の交換価値を基準とすべきであり,経年による減価が見込まれるものについては,個々の家財道具ごとに購入価格又は本件火災当時の再調達価格に経年減価の程度に応じた割合を乗ずるなどして算定することが本来であるが,本件においては,事案の性質上,客観的な購入時期,購入価格又は再調達価格等を認めるに足りる確たる証拠がない家財道具が数多く存在する上,個々の家財道具の減価の程度をその種別等に応じて正確に算定することは困難であり,したがって,個々の家財道具に係る損害を厳格に算定することは極めて困難であるといわざるを得ないから,民事訴訟法248条に則り,以上認定した諸事情に加え,弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,原告らの被った家財道具に係る損害の相当額を原告ら請求額(原告初男につき甲7の2に記載された金額の累計額である1602万6500円,原告太郎につき甲7の1に記載された金額の累計額である1587万8898円)の5割と認定することとする。
なお,本件において,原告らは,本件建物1階部分で生活を共にしていた原告初男及び原告初江が所有していた家財道具については,同一家庭内の財産として,原告初男が被った損害として一括して請求し,本件建物2階部分で生活を共にしていた原告太郎,原告花子,原告春子及び原告一郎が所有していた家財道具については,同一家庭内の財産として,原告太郎が被った損害として一括請求しているところ,本件事案の性質,なかんずく当該損害の性質にかんがみれば,かかる請求も,合理性がないとはいえず,是認すべきものと考えられる。
したがって,被告は,家財道具に係る損害として,原告初男に対し,801万3250円,原告太郎に対し,793万9449円をそれぞれ支払うべき義務がある。
(2) 賃料相当額の損害について
証拠(甲13,31,33,原告初男,原告太郎)及び弁論の全趣旨によれば,本件火災による本件建物の焼失により,原告初男及び原告初江は,仮住居への移転を余儀なくされたほか,原告初男は,所有していた自動車2台の駐車場を新規に用意する必要が生じたため,原告初男及び原告初江は,自らが経営する本件精肉店の2階及び3階部分の空き部屋に引っ越すとともに,原告初男が所有する空き店舗を駐車場として使用しており,他方,原告太郎,原告花子,原告春子及び原告一郎は,平成17年7月から本件建物の跡地に新しく建て直す建物に移転することが可能となる平成18年10月までの間,近隣のアパートを賃料月額6万8000円で賃借して居住することを余儀なくされていることが認められる。
上記認定事実によれば,原告初男及び原告初江が引っ越した先は,自らが経営する本件精肉店の2階及び3階部分の空き部屋であり,また,原告初男が自動車2台の駐車場として使用しているスペースは自己が所有する空き店舗であって,これにより賃料相当額の出費を余儀なくされたというものではなく,当該空き部屋又は空き店舗を上記使用期間中他に賃貸することにより賃料収入を得られる具体的蓋然性が存在したことを認めるに足りる証拠もないことにかんがみると,当該空き部屋又は空き店舗の賃料相当額の逸失利益による損害を受けたものと認めることは困難であるといわざるを得ず,この点に関する原告初男の請求は,理由がない。
他方,原告太郎が移転先のアパート代として出費を余儀なくされた月額6万8000円の割合による少なくとも1年間分の賃料に相当する81万6000円については,本件火災と相当因果関係のある損害と認めて妨げないというべきであり,したがって,被告は,賃料相当額の損害として,原告太郎に対し,81万6000円を支払うべき義務がある。
(3) 休業による逸失利益について
原告らは,本件火災により,原告初男と原告初江は,本件精肉店を1週間休業することを余儀なくされ,また,原告太郎は,勤務していたC株式会社を2日半休業することを余儀なくされ,逸失利益による被害を被ったと主張するが,原告初男と原告初江は本件精肉店の経営者として本件精肉店から給料をもらう立場にあったというのであり(甲14,15,31,32,原告初男,原告初江),また,原告太郎は勤務先から有給休暇を取得してこれに充てていたというのであって(甲17),いずれの原告についても,上記休業により給料が具体的に減額されたことを認めるに足りる証拠はないから,逸失利益による損害を被ったものと認めることはできないといわざるを得ない。
したがって,この点に関する原告初男,原告初江及び原告太郎の請求は,いずれも理由がない。
(4) 慰謝料について
証拠(甲18,31ないし34,原告初男,原告初江,原告太郎)及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,本件火災により,愛着や思い出のある家財道具のみならず,生活の本拠まで失い,一時的であれ転居を余儀なくされ,環境が変化したことなどにより,肉体的・精神的ストレス等の苦痛を受けたこと,とりわけ,原告花子は,本件火災発生当時,本件建物内にいたことから,生命身体に対する具体的恐怖を感じたこと,原告春子は,平成17年6月28日,医療法人社団桐和会篠崎駅前クリニックで受診し,頭痛,腹痛症,起立性調節障害の疑い,アレルギー性皮膚炎と診断され,本件火災による生活環境の変化がその一因である可能性があり得ると診断されていることなどが認められる。
上記認定の事情のほか,本件に顕れた諸事情を斟酌すると,原告らの受けた精神的損害に対する慰謝料としては,原告花子及び原告春子について各30万円,原告初男,原告初江,原告太郎及び原告一郎について各20万円をもって相当と認める。
したがって,被告は,慰謝料として,原告花子及び春子に対し,各30万円,原告初男,原告初江,原告太郎及び原告一郎に対し,各20万円をそれぞれ支払うべき義務がある。
(5) 損害の填補について
証拠(甲34,乙10,被告)によれば,被告は,平成17年5月14日,原告花子に見舞金100万円を支払っていることが認められる。
上記金員については,まず,原告花子の損害額に充当し,残額については,原告太郎の損害額から控除するのが相当である。
(6) 弁護士費用に係る損害について
原告らが弁護士に依頼して本訴を提起・追行していることは記録上明らかであり,本件事案の内容,認容額その他諸般の事情を勘案すると,本件火災と相当因果関係のある弁護士費用に係る損害は,170万円と認めるのが相当である。
なお,原告らは,上記弁護士費用に係る損害について,原告初男の損害として一括して請求しているところ,かかる請求も,合理性がないとはいえず,是認すべきものと考えられる。
したがって,被告は,弁護士費用に係る損害として,原告初男に対し,170万円を支払うべき義務がある。
(7) まとめ
以上説示したところによれば,被告は,原告初男に対し,991万3250円,原告初江に対し,20万円,原告太郎に対し,825万5449円,原告春子に対し,30万円,原告一郎に対し,20万円及び上記各金員に対する本件不法行為の日である平成17年5月12日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務がある。
第4 結論
よって,原告らの請求は,上記3の3の(7)に判示した限度で理由があるから,これを認容し,その余は,理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判官 土肥章大)
別紙
建物配置図<省略>
図面1〜3<省略>