東京地方裁判所 平成17年(ワ)23581号 判決 2006年5月30日
甲事件原告・乙事件被告
X
同訴訟代理人弁護士
村上泰
甲事件被告
J・CCO株式会社
同代表者代表取締役
藤森吉隆
乙事件原告
アムス・インターナショナル株式会社
同代表者代表取締役
德原榮輔
上記両名訴訟代理人弁護士
渕上玲子
同
中村新
主文
一 甲事件被告は、甲事件原告に対し、五万円及びこれに対する平成一七年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 甲事件原告のその余の請求を棄却する。
三 乙事件被告は、乙事件原告に対し、三万六六六六円及びこれに対する平成一八年四月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
四 乙事件原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、甲事件原告・乙事件被告に生じた費用の三六分の一と甲事件被告に生じた費用の二〇分の一を甲事件被告の、甲事件原告・乙事件被告に生じた費用の三六分の五と乙事件原告に生じた費用の六分の五を乙事件原告の、その余を甲事件原告・乙事件被告の各負担とする。
六 この判決は、第二項及び第四項を除き、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 甲事件
(1) 被告は、原告に対し、一一八万円及びこれに対する平成一七年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言
二 乙事件
(1) 被告は、原告に対し、二三万七二五八円及びこれに対する平成一八年四月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、乙事件原告(以下「アムス」という。)からマンションの住戸を賃借していた甲事件原告・乙事件被告(以下「X」という。)が、同マンションの管理会社である甲事件被告(以下「J・CCO」という。)に対し、J・CCOの従業員が、Xの住戸に不法に侵入し、Xが同住戸内に保管していた現金一八万円を窃取した上、同住戸の玄関扉に閉錠具を取り付け、Xが同住戸に立ち入ることができないようにしたことにより、精神的損害を負わせたとして、不法行為に基づき、上記一八万円相当額と慰謝料一〇〇万円の合計一一八万円及びこれに対する不法行為後の日である平成一七年九月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた(甲事件)のに対し、アムスが、Xに対し、上記住戸の未払賃料三万六六六六円と汚損修復費用二〇万〇五九二円の合計二三万七二五八円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一八年四月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた(乙事件)事案である。
一 当事者間に争いのない事実等(証拠を掲記した事実以外は争いがない。)
(1) Xは、平成一五年一二月二〇日、不動産の賃貸借等を業とする株式会社であるアムスから、東京都大田区《番地省略》所在の△△一〇二号室(以下「本件建物」という。)を、用途を住居、賃料を月額一一万円(毎月二六日限り翌月分を支払う。)、期間を同日から一年間とする約定で借り受けた(以下「本件賃貸借契約」という。)。
(2) 本件賃貸借契約の契約書(以下「本件契約書」という。)には、次の趣旨の条項がある。
ア 賃借人が賃料を滞納した場合、賃貸人は、賃借人の承諾を得ずに本件建物内に立ち入り適当な処置を取ることができる(一四条五号)。
イ 賃借人が賃料を二か月分以上滞納した場合は、賃貸人は賃借人に対して何らの通知・催告を要することなく直ちに本件賃貸借契約を解除することができる(一五条三号)。
ウ 賃借人は、賃貸借契約が終了した場合、別に定める「室内修復作業仕様書」に従い破損・汚損箇所の修復費用を負担する(一八条三号)。
(3) 本件賃貸借契約締結に際してX名義でアムスに差し入れられた「契約時敷金ゼロキャンペーン物件 特約条項承諾及び借室一時使用中止承諾書」と題する書面(以下「本件承諾書」という。)には、次の記載がある。
ア 「当初契約期間を一年間(更新可)と定め、契約期間延長を希望する場合は、契約満了日の前月末日迄に更新事務手数料として、新賃料〇・五ヶ月分及び別途敷金一ヶ月分を預け入れる事により更に一年間延長できるものとする。」(一項)
イ 「(契約時敷金ゼロキャンペーンの対象物件である本件建物について)対象期間中に賃借人がアムス・インターナショナル(株)に対し、一ヶ月以上賃料及び共益費(管理費)を滞納した場合、アムス・インターナショナル(株)から連帯保証人へ事前に報告し、契約解除(借室一時使用中止も含む)を行う事を承諾致します。又、これに関する一切の行為に対し不服申し立て及び損害賠償、その他一切の請求は致しません。」(四項)
(4) J・CCOは、本件賃貸借契約に基づく未納賃料の請求及び契約解除に関する事項につきアムスから委任を受けていたところ、平成一七年七月二二日ころ、Xに対し、「賃料の滞納が同日時点で既に二か月分に及んでおり、同月二六日が経過すれば滞納額が三か月分に及ぶことになるから、本件賃貸借契約を直ちに解除する。」旨の内容証明郵便(以下「本件内容証明郵便」という。)を送付した。
(5) J・CCOの従業員は、平成一七年八月二九日と三〇日の二回にわたり、J・CCOの業務の執行として、Xの不在中に本件建物の扉に施錠具を取り付け(同月三〇日には、本件建物に立ち入り、窓の内側に侵入防止のための施錠具を取り付けることもした。以下、これら二回にわたるJ・CCOの従業員による本件建物への立入り等を「本件立入り等」という。)、同扉に「最終通告及び契約解除通知」と題する書面(以下「本件通知書」という。)を貼り付けて、同月三一日までに同年七月分から九月分までの賃料として三三万円を支払わない場合には本件賃貸借契約を解除する旨通知した(もっとも、Xは、両日とも、その日のうちに、同居していた兄に上記施錠具を壊してもらって本件建物に立ち入ることができた。)。
(6) Xは、平成一七年九月一〇日に本件建物をJ・CCOに対して明け渡したが、同月分の日割賃料三万六六六六円をJ・CCO又はアムスに支払っていない。
(7) Xが明け渡した本件建物について、室内の壁紙の張り替え及びクリーニングをするとした場合の費用の見積額は、合計二〇万〇五九二円(以下「本件修復工事費」という。)である。
二 争点
(1) J・CCOの従業員による本件立入り等が適法か。
(J・CCOの主張)
アムスは、本件建物をその所有者から賃借してXに転貸しているのであるから、賃料不払い等の不測の事態が生じ、賃借人に連絡をしても返答がないような場合には、本件建物に立ち入るなどして、その適正な管理を行う必要がある。本件契約書一四条五号及び本件承諾書四項の各特約(以下合わせて「本件特約」という。)は、そのような場合を想定して置かれた規定であり、内容に合理性があるところ、アムスから本件建物の管理を委任されたJ・CCOは、本件特約に基づいて本件立入り等を行ったものであり、本件立入り等は適法である。
Xは、アムスと本件契約書及び本件承諾書を取り交わしたことにより、本件建物への立入りにあらかじめ同意していたと見ることができる。また、Xは、本件立入り等が行われた当時、本件賃貸借契約が本件内容証明郵便によって解除されて、本件建物の占有権原を有していなかったし、Xは、J・CCOが滞納賃料の支払を求めるために連絡を取ろうとしても何ら返答をせず、本件内容証明郵便による解除を無視して本件建物に居座るという悪質な態様での占有を継続していたのである。さらに、J・CCOによる施錠は、容易に取り外しないし破壊できる態様で行われたものにすぎず、これをもってXの占有を排除したとまでいうことはできない。したがって、本件立入り等を違法ということはできない。
(Xの主張)
建物をいったん住居として賃貸した以上、その建物内では賃借人の私生活が営まれるのであるから、所有者又は賃貸人であっても、合理的な理由がない限り、賃借人その他の居住者の承諾を得ずに当該建物内に立ち入ったりその玄関扉を施錠したりすることは違法な私生活の侵害であり、賃料の滞納があったというだけでは、立入り等をする合理的な理由があるとはいえない。
本件契約書一四条五号は、賃貸人は賃借人が賃料を滞納した場合にその承諾を得ずに本件建物内に立ち入り適当な処置を取ることができるとしているが、このような規定は、公序良俗に反して無効である。また、本件承諾書には、賃借人は本件賃貸借契約締結から一年後の更新時に敷金を差し入れる旨の記載や、賃借人は一か月以上賃料及び共益費(管理費)を滞納した場合賃貸人が契約解除をして本件建物の「一時使用中止」の措置を執ることを承諾する旨の記載あるが、Xは、本件承諾書の内容を理解してこれに署名したことはなく、本件承諾書は効力を有しないし、仮にそうでないとしても、本件承諾書の内容も公序良俗に反して無効である。
そして、Xは、二か月分以上の賃料を滞納したことはないから、アムスやJ・CCOが本件内容証明郵便や本件通知書によってした本件賃貸借契約解除の意思表示は、その効力を生じない。
したがって、J・CCOの従業員による本件立入り等は、違法な自力執行であり、不法行為を構成する。
(2) 本件立入り等によってXが被った精神的苦痛に対する相当な慰謝料の額はいくらか。
(Xの主張)
Xは、本件立入り等により、私生活の場に無断で侵入され、本件建物を使用できないようにされたため、その後本件建物において生活することにつき、著しく強い精神的不安を感じざるを得なくなったところ、この精神的苦痛に対する慰謝料額は一〇〇万円が相当である。
(J・CCOの主張)
否認する。
(3) J・CCOの従業員が本件立入り等の際にXが本件建物内に保管していた現金一八万円を窃取したかどうか。
(Xの主張)
J・CCOの従業員は、平成一七年八月二九日に本件建物に立ち入った際、Xが本件建物内に保管していた現金一八万円を窃取した。
(J・CCOの主張)
否認する。
(4) Xには、本件契約書一八条三号に基づいて、本件修復工事費を負担する義務があるか。
(アムスの主張)
本件賃貸借契約において本件建物の修復工事費が賃借人の負担となることは、本件契約書一八条三号に明記されており、本件建物の壁紙を全て張り替えたのは、Xの喫煙によるタバコのヤニ汚れがひどく、ハウスクリーニングによる除去が不可能であって、通常損耗の範囲を超えたものであったことによるものであるから、Xは、本件修復工事費を負担する義務がある。
(Xの主張)
Xは、本件建物に二年弱しか居住しておらず、本件建物の壁紙の張り替えやハウスクリーニングは原状回復の範囲を超えるものというべきである。
第三当裁判所の判断
一 争点(1)(J・CCOの従業員による本件立入り等が適法か。)について
(1)ア 本件立入り等は、本件建物に居住しているXの平穏に生活する権利を侵害するものであることが明らかである。
J・CCOは、本件立入り等の際の本件建物の玄関扉や窓の施錠は、容易に取り外しないし破壊できる態様で行われたものにすぎず、これをもってXの本件建物に対する占有を排除したとまでいうことはできないなどと主張するが、たとい本件立入り等が本件建物に対するXの占有を完全に排除するものではないとしても、それによってXの住居の平穏が害され、本件建物への立入りが困難になることは明らかであるから、本件立入り等がXの平穏に生活する権利を侵害するものであることはいうまでもない。
イ J・CCOは、本件特約は、本件建物をその所有者から賃借して転貸しているアムスが、不測の事態が生じたのに賃借人に連絡をしても返答がなく、本件建物に立ち入ってその適正な管理を行う必要がある場合を想定して置かれた規定であり、合理性があると主張する。
しかし、本件特約の文言(「賃料を滞納した場合」(本件契約書一四条五号)、「一ヶ月以上賃料及び共益費(管理費)を滞納した場合」(本件承諾書四項))からすれば、本件特約が賃料を滞納した賃借人に対して賃料債務の履行や本件建物からの退去を間接的に強制することを意図したものであることは明らかというべきである。
そうすると、本件特約は、アムスがXに対して賃料の支払や本件建物からの退去を強制するために、法的手続によらずに、Xの平穏に生活する権利を侵害することを許容することを内容とするものというべきところ、このような手段による権利の実現は、法的手続によったのでは権利の実現が不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情がある場合を除くほかは、原則として許されないというべきであって、本件特約は、そのような特別の事情があるとはいえない場合に適用されるときは、公序良俗に反して、無効であるというべきである。このことは、仮に、Xが本件特約の存在を認識した上で本件契約書や本件承諾書をアムスとの間で取り交わしたものであるとしても、変わらないというべきである。
ウ この点について、J・CCOは、Xが賃料を滞納した後Xに連絡を取ろうと試みたが返答がなく、Xが本件内容証明郵便による解除を無視して占有権原がないのに本件建物に居座ったために、J・CCOの従業員が本件特約に基づいて本件立入り等をしたものであり、本件立入り等は適法であると主張する。
しかし、仮に、Xが滞納賃料の支払を求めるJ・CCOからの連絡に応答せず、更には、本件内容証明郵便等による解除が有効であり、実体的にはXの本件建物に対する占有権原が消滅していたとしても、それだけでは、J・CCOが法的な手続を経ることなく、通常の権利行使の範囲を超えて、Xの権利を侵害するような方法によって、賃料の支払や本件建物からの退去を強制することが許される特別の事情があるとはいえないというべきである。
そして、他に、J・CCOの従業員が、本件建物の管理責任を果たすために、法的な手続を経ずに、本件立入り等をする必要があったことを認めるに足りる証拠はない。
(2) 以上によれば、J・CCOの従業員による本件立入り等は、Xの本件建物において平穏に生活する権利を侵害する違法な行為というべきであり、本件立入り等は、J・CCOの業務の執行としてされたものであるから、J・CCOは、民法七一五条に基づき、本件立入り等によってXに生じた損害を賠償する責任があるというべきである。
二 争点(2)(本件立入り等によってXが被った精神的苦痛に対する相当な慰謝料の額はいくらか。)について
本件立入り等の内容に照らせば、Xがそれによって精神的苦痛を被ったことは明らかというべきところ、本件立入り等の内容及び態様、Xが玄関扉の施錠具を壊して本件建物に立ち入るまでの経過等の諸事情を考慮すると、上記精神的苦痛に対する慰謝料の額は、五万円と認めるのが相当である。
そうすると、甲事件に係る請求のうち、J・CCOに対して、その従業員による本件立入り等の違法を理由に損害賠償を求める請求は、五万円の限度で理由がある。
三 争点(3)(J・CCOの従業員が本件立入り等の際にXが本件建物内に保管していた現金一八万円を窃取したかどうか。)について
Xは、J・CCOの従業員が平成一七年八月二九日に本件建物に立ち入った際にXが本件建物内に保管していた現金一八万円を窃取したと主張し、Aの陳述書にはこれに沿う部分がある。
しかし、Xが本件建物内に一八万円を現金で保管していたことの裏付けとなる客観的な証拠はないから、上記陳述書の記載から上記窃取の事実を直ちに認定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、甲事件に係る請求のうち、J・CCOに対して、本件立入り等の際にJ・CCOの従業員が現金一八万円を窃取したことを理由に損害賠償を求める請求は理由がない。
四 争点(4)(Xには、本件契約書一八条三号に基づいて、本件修復工事費を負担する義務があるか。)について
アムスは、Xには本件契約書一八条三号に基づいて本件建物の壁紙の張り替え費用及びハウスクリーニング代を負担する義務があると主張し、壁紙の汚損の程度を示す証拠として、Xが退去した後の本件建物内を撮影した写真を援用する。
しかし、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗について原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人にその義務が認められるには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、又は、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である(最高裁平成一六年(受)第一五七三号平成一七年一二月一六日第二小法廷判決・裁判所時報一四〇二号六頁参照。)
これを本件についてみると、アムスが援用する前記写真からは、本件建物の壁紙等の汚損が通常損耗の範囲を超えたものであったことを認めることはできない。
そして、本件契約書一八条三号において引用されている「室内修復作業仕様書」の内容を認定し得る証拠がない上、同号の文言には、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が具体的に明記されていないばかりか、そもそも、本件建物の破損・汚損の程度が通常損耗の範囲であっても賃借人が補修義務を負うことも明確とはいえない。
したがって、乙事件に係る請求のうち、Xに対して本件建物の壁紙の張り替え費用及びハウスクリーニング代相当額の支払を求める部分は、理由がない。
第四結論
以上によれば、甲事件に係る請求は、不法行為に基づき、慰謝料五万円及びこれに対する不法行為後の日である平成一七年九月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、乙事件に係る請求は、賃貸借契約に基づき、未払賃料三万六六六六円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成一八年四月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を求める限度で理由がある。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢尾渉)