東京地方裁判所 平成17年(ワ)26111号 判決 2007年3月08日
原告
A
同訴訟代理人弁護士
千田賢
被告
B
同訴訟代理人弁護士
鳥飼重和
松本賢人
堀招子
呰真希
主文
1 被告は,原告に対し,金208万6913円及びこれに対する平成17年12月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを3分し,その1を被告の負担とし,その余は原告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,金688万6913円及び内金368万0283円に対する平成17年12月28日から,内金290万円に対する平成18年7月1日から,内金30万6630円に対する同月5日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,両頬にシミができていたことから美容外科医である被告の施術により頬部に「ポラリス」と称される美容外科治療(高周波とダイオードレーザーを同時に皮膚に照射するもの)を受けた原告が,当該施術後に左頬部に熱傷が生じ,これによって醜状瘢痕等が残ったとした上,「ポラリス」は,その施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険を内包するものであるところ,シミに対する治療効果はなく,かえって原告のようなシミ(肝斑)には禁忌とされているにもかかわらず,被告において,それらのことを原告に説明しないまま,しかも漫然と照射強度を引き上げるなどして当該施術を行ったなどと主張して,被告に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づいて,既払い診療費相当額及び後遺症慰謝料等の損害金並びにこれに対する民法所定の遅延損害金の支払を求めるなどしている事案である。
なお,以下では,診療契約上の義務(債務)ないし診療上の注意義務(不法行為法上の過失の前提となる注意義務)を併せて「義務」という。
1 前提事実(証拠原因により認定した事実については,括弧書きで当該証拠原因を掲記する。その余の事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告は,昭和39年8月13日生まれの未婚の女性である(未婚であることについては,甲A7)。
イ 被告は,美容外科を専攻する医師であり,平成16年当時,東京都千代田区に「Cクリニック」という名称の診療所(以下「被告クリニック」という。)を開設して,その院長を務めていた。
なお,被告クリニックは,平成17年6月から医療法人が経営するようになった(弁論の全趣旨)。
(2) 被告クリニックにおける「ポラリス」の施術
被告クリニックでは,平成16年当時(以下の日付は,特に断らない限り同年の日付である。),美容外科治療の一つとして「ポラリス」と称される施術を行っていた。
「ポラリス」とは,高周波(RF(radio frequency))と光(ダイオードレーザー)の2種類のエネルギーを同時に皮膚に照射する技術を搭載した装置(医療機器。イスラエルのシネロン・メディカル社(以下「シネロン社」という。)製)であるが,この装置を使用した施術ないし治療法を指すこともある(以下では,この装置のことを「ポラリス装置」といい,この施術ないし治療法のことを「ポラリス(の施術)」という。)。ポラリスの治療効果,副作用及び施術手順等は,別紙医学的知見1のとおりである。なお,被告クリニックでは,ポラリスの施術につき,額コース,首廻りコース,両頬コース及び顔全体コースを設けていた。(甲A5,6,乙A5,B1の1・2,2,4の1・2,5,6,11,12,弁論の全趣旨)
(3) 被告クリニックにおける原告の診療経過等
ア 原告は,7月17日,数年前から両頬にできていたシミ(以下「本件シミ」という。)につき,「D医院」のE医師の診察を受けて,肝斑であると診断され,その際,同医師から,肝斑にはレーザー治療は不適切である旨の説明を受けた(甲A1,7,原告本人)。
肝斑とは,主に30歳代から40歳代の女性の顔面(特に前額,頬骨部,口囲)に左右対称性に生ずる境界明瞭な淡褐色斑であり,眼囲の色が抜けたように見える点が特徴的である(肝臓とは関係がない。)。肝斑の治療方針等は,別紙医学的知見2のとおりである。(甲B1ないし15,乙B7,8,9の1・2,10の1・2)
イ 原告は,7月18日,本件シミの治療のために被告クリニックを受診して,上記のとおり肝斑と診断されたことも被告に告げたところ,被告からポラリスを勧められ,その結果,被告との間で,少なくとも本件シミの治療を目的として,ポラリスの両頬コース(5回セット)を受けること等を内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した(本件診療契約において合意されたポラリスの施術の目的が本件シミの治療のみであった(原告の主張)かどうかについては争いがある。)。
なお,上記のように,被告がポラリスを勧め,これを原告が受け入れたのであるが,その過程で,原告が肝斑にはレーザー治療は不適切であると聞いているのでレーザー治療は受けたくない旨を述べたのに対し,被告がポラリスは大丈夫である旨を述べたということがあった(原告本人,被告本人)。
ウ 原告は,被告クリニックにおいて,7月18日,8月8日及び同月29日の3回にわたり,被告によるポラリスの施術を受けた。
上記各施術(以下,これらの施術を併せて「本件施術」という。)は,ポラリス装置の治療パラメータを下記のように設定して行われた。
記
レーザーエネルギー
RFエネルギー
(J/平方センチメートル)
(J/立方センチメートル)
7月18日 30
100
8月 8日 32
100
8月29日 34
100
エ 上記の第3回目(8月29日)の施術によって,原告の左頬に,少なくとも発赤,腫脹が生じた(以下,この発赤,腫脹を「本件発赤等」という。)。
(4) 原告は,本件診療契約の締結後,被告に対し,同契約に基づく診療費として次の金員を支払った(以下,この診療費を「本件診療費」という。)。
① ポラリスの両頬コース(5回セット)
21万円
② 超音波麻酔クリーム
2万6250円
③ 鎮痛剤
1575円
④ トランサミン(飲み薬)21日分
9450円
⑤ ハイドロキノン(塗り薬)
1万5750円
計26万3025円
2 原告の主張
(1) 事実関係
ア 本件シミは,肝斑であった。
イ 本件診療契約において合意されたポラリスの施術の目的は,本件シミの治療のみであった。
なお,原告は,被告から,「シワとかたるみにもポラリスは効きます,治したいでしょう。」と言われたが,「生きているんですから,シワとかたるみもあるかもしれませんが,気にしておりません。とにかく治したいのはシミです。」と明確に答えた。
ウ 本件発赤等は,本件施術によって生じた熱傷であった。
そして,その熱傷が原因で,原告の左頬に25mm×7mmの皮膚陥凹を伴う醜状瘢痕及び色素沈着という後遺障害(以下「原告主張後遺障害」という。)が残った(平成18年2月1日固定。甲C第3号証中のI医師作成の後遺障害診断書を参照)。
(2) 義務違反による損害の賠償請求
ア ポラリスの施術を行ってはならない義務の違反(ポラリスの不適応)
ポラリスは,その施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険を内包するものである。しかして,ポラリスにはシミに対する治療効果はなく,しかも,肝斑に対してレーザー治療(ポラリスもその一種である。)は症状を悪化させるがゆえに禁忌とされている。
そうすると,被告は,原告に対し,ポラリスの施術を行ってはならない義務を負っていたというべきである。
しかるに,被告は,原告に対しポラリスの施術(本件施術)を行った。
イ 説明義務違反
少なくとも,ポラリスは,その施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険を内包するものであるところ,シミに対して(特に肝斑に対しては)治療効果があることの承認ないし確立はされておらず,かえって,肝斑に対しては,保存的治療が一般的であって,レーザー治療(ポラリスもその一種である。)は症状を悪化させるがゆえに禁忌とされている。
したがって,被告は,原告に対し,ポラリスの施術を行うに当たっては,少なくとも,①ポラリスは,シミに対して(特に肝斑に対しては)治療効果があることの承認ないし確立はされていないこと,②肝斑に対しては,保存的治療が一般的であって,レーザー治療は禁忌とされているところ,ポラリスもレーザー治療の一種であること,③ポラリスは,その施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険を内包するものであることを説明すべき義務があった。
しかるに,被告は,原告に対し,「ポラリスは,シミに最も効果的で,最も安全な治療であり,100症例のうち1症例もトラブルがない。」,「ポラリスはレーザー治療ではない。」などと述べ,上記①ないし③のような事項を説明しなかった。
ウ 手技上の義務違反
ポラリスはその施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険を内包するものであるから,被告は,原告に対し,ポラリスの施術をする際には,原告の皮膚の状態に適合した強度でレーザー等を照射するとともに,照射後には照射部位を十分に冷却するなどして,原告に熱傷等の傷害を負わせないようにすべき義務があった。
しかるに,被告は,上記義務に違反して,本件施術の際,第1回目の時から原告が照射部位に強い痛みを感じていることを認識していたにもかかわらず,前記のとおり第2回目,第3回目と照射強度を引き上げ,照射後の冷却もしなかった。
エ 義務違反と本件発赤等(熱傷),原告主張後遺障害との因果関係
(ア) 上記アの義務違反がなければ(すなわち,本件施術が行われていなければ),本件発赤等(熱傷)及びこれによる原告主張後遺障害は生じなかった。
(イ) 上記イの説明義務が尽くされていれば,原告は,ポラリスの施術(本件施術)を受けることはなく,本件発赤等(熱傷)及びこれによる原告主張後遺障害が生ずることもなかった。
(ウ) 上記ウの義務が尽くされていれば,本件発赤等(熱傷)及びこれによる原告主張後遺障害は生じなかった。
オ 損害
下記の(ア)は,本件施術を受けなければ支払う必要のなかった費用であるから,上記ア,イの各義務違反によって生じた損害であるといえる。(イ)及び(ウ)は本件発赤等(熱傷)が生じたことによる損害であり,(エ)は原告主張後遺障害が生じたことによる損害であるから,これらは,上記アないしウの各義務違反によって生じた損害であるといえる。
(ア) 本件診療費 計26万3025円
(イ) 本件発赤等(熱傷)の治療費等 計12万3888円
① 治療費 8万6838円
② 診断書の作成料 2万3870円
③ 交通費 1万3180円
(ウ) 傷害慰謝料 300万円
(エ) 後遺症慰謝料 290万円(障害等級12級に相当)
(オ) 弁護士費用 60万円
カ よって,原告は,被告に対し,債務不履行又は不法行為に基づいて,上記オの損害金合計688万6913円及び内368万0283円(訴状で請求した金員)に対する訴状送達の日の翌日から,内290万円(平成18年7月4日付け「請求の拡張申立書」による請求の拡張に係る金員)に対する同書面送達の日の翌日から,内30万6630円(同日付け「請求の拡張申立書(2)」による請求の拡張に係る金員)に対する同書面送達の日の翌日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(3) 本件診療契約の無効,取消し,解除による本件診療費の返還請求
ア 無効
本件診療契約は,シミ(肝斑)を治療する目的で締結されたものであるが,ポラリスにはシミや肝斑に対する治療効果はないのであるから,実現不能な債務の履行を目的とする契約であって,無効である。
イ 詐欺による取消し
原告が本件診療契約を締結したのは,真実は,ポラリスにはシミや肝斑に対する治療効果がなく,しかもポラリスは肝斑に対する治療として禁忌とされているレーザー治療の一種であるにもかかわらず,被告から,ポラリスにはシミや肝斑に対する治療効果があり,ポラリスはレーザー治療ではないなどと欺罔され,その旨誤信したからである。
原告は,被告に対し,平成16年12月21日到達の書面で,本件診療契約を取り消す旨の意思表示をした。
ウ 解除
本件診療契約において,被告に上記(2)のアないしウのような債務不履行があった。
原告は,被告に対し,平成16年12月21日到達の書面で,本件診療契約を解除する旨の意思表示をした。
エ よって,原告は,被告に対し,不当利得返還請求権ないし契約解除による原状回復請求権に基づいて,既払いの本件診療費26万3025円の返還を求める。
3 被告の主張
(1) 事実関係
ア 本件診療契約において合意されたポラリスの施術の目的は,シミの改善を含めた加齢による肌全体の衰え(シワ,たるみ等)の改善であった。
すなわち,7月18日の初診時において,原告は,両頬のシミを気にしており,「肝斑」という言葉にこだわっていたが,その肌は,毛穴が開き,シワやたるみのようなものが出始めていて,そこに影ができて皮膚が暗く見えているというような複合した状態であった。そこで,被告が,原告に対し,鏡を使って上記のような肌の状態を説明した上,シミの改善を含めた加齢による肌全体の衰えの改善に効果のあるポラリスの説明をして,これを勧めたところ,原告もこれに同意して,本件診療契約の締結に至ったのである。
このことは,原告が,被告クリニックを受診するに先立って,「大量のシワ,たるみ,血管を治療」と記載されたポラリスのパンフレットを入手し,これを読了していたこと,また,原告が,当初は両頬のシミの治療を希望していたものの,被告から「シワとかたるみにもポラリスは効きます,治したいでしょう。」と言われた後にポラリスの施術を受けることを承諾したことからしても明らかである。
イ 原告主張のような後遺障害はない。
原告の左頬の「瘢痕」及び「色素沈着」は,本件施術から約1か月を経過した平成16年9月ないし10月ころの時点では,せいぜい20mm×5mmであったのであり,平成18年2月1日時点では,それに比べて明らかに小さく薄くなっているから,「25mm×7mm」などということはあり得ない。
(2) 「義務違反」について
ア ポラリスの効果等
(ア) ポラリスは,皮膚のシワやたるみを改善することを目的とした治療法であるが,シミ(肝斑を含む。)を改善する効果もある。
このことは,被告自身が実務における医学的な経験から確信しているところであるし,ポラリス装置のメーカー(シネロン社)も,「ポラリスの施術によりスキントーンが多少明るくなることがあると多くの医師たちは報告している。」などとして,これを肯定している。
(イ) 肝斑に対してレーザー治療がすべて不適切というわけではない。しかも,ポラリスは,従来の単純なレーザー治療ではなく,RFエネルギーを併用した最新の治療法であって,肝斑に対して不適切とされるレーザー治療には該当しない。
(ウ) ポラリスは,従来のレーザー治療とは異なり,表皮を冷却しつつ真皮層を加熱するというシステムが採用されており,熱傷等が生ずることは極めてまれである。
イ 「ポラリスの施術を行ってはならない義務の違反」について
上記ア(ポラリスの効果等)及び(1)ア(本件診療契約の目的)のとおりであるから,本件においては,ポラリスの適応があったというべきであり,その施術を行ってはならない義務があったとはいえない。
ウ 「説明義務違反」について
被告は,本件診療契約の締結に際して,原告に対し,写真等を示しながらポラリスに係る以下の事項について具体的かつ詳細な説明をしたのであり,説明義務は尽くしている。また,被告は,原告に対し,ポラリスがレーザー治療でないなどと説明したことはない。
(ア) 施術内容
① ポラリスは,RFエネルギーとダイオードレーザーを照射する最新の治療法であり,腫れやカサブタなどにはならず,施術後すぐに化粧等をすることも可能であること
② 治療に対する反応が遅い可能性がある場合や患者自身の要求水準が高いような場合には,より効果を上げるため,投薬などを併用して治療を行っていくこと
③ 投薬も併用する場合の薬剤の効果及び服用・塗布方法
(イ) 効果
① ポラリスが加齢による肌全体の若返りに対する効果があること
② シミの治療には他に薬物療法などもあるが,ポラリスは,個人差はあるものの,一回の施術でも効果を期待できる治療であること
(ウ) 副作用
① ポラリスは最新の治療法であるので副作用の可能性は低いこと
② 副作用が全くないわけではなく,一過性ではあるが火傷や皮膚の発赤(紅斑)などが生じることがあること
③ ②のような症状が出た場合であっても,その後の措置を適切に行えば痕には残らないこと
エ 「手技上の義務違反」について
ポラリスの施術は,前回の治療の結果及び施術時における患者の肌の状態を被告が診察した上で,レーザー等の強度をポラリス装置のパラメータを調節して行っている。
本件施術においても,被告は,初回及び第2回目の施術後に原告の肌に異常は見られず,順調に治療が進んでいたことから,第3回目においては,第2回目よりもダイオードレーザーの強度を2ポイントだけ上げ,RFエネルギーの強度は第2回目と同数値として施術を行ったのであって,何ら不適切な点はなかった。
(3) 本件施術と原告主張後遺障害との因果関係について
仮に原告主張のような後遺障害があるとしても,次の点に照らすと,本件施術との間に相当因果関係はないというべきである。
① 通常生じないような後遺障害であること
原告の左頬の「瘢痕」及び「色素沈着」は,本件施術から約1か月を経過した平成16年9月ないし10月ころの時点では,せいぜい20mm×5mmであったところ,平成18年2月1日時点では,25mm×7mmと大きくなっていることになる。
しかし,ポラリスの施術によって熱傷が生じたとしても,適切な治療がされていれば,その瘢痕及び色素沈着は,小さくなるはずであって,反対に大きくなるということは通常生じない。
② 適切な措置がされていないこと
原告は,本件の第3回目の施術直後に被告が処方した薬を使用せず,市販の薬を使用していたこと,原告が9月7日に東京慈恵会医科大学附属病院形成外科を受診した際にガーゼ保膜がされなかったこと,その後に受診した杏林大学医学部付属病院においても,適切に貼付しなければかえって皮膚を痛めてしまう可能性のあるサージカルテープと思われる3Mテープが貼付されていたこと,原告が,本件発赤等の治療につき,診療の途中であるにもかかわらず数回にわたって病院を変え,一貫しない治療方針の下に診療を受けたことが推測されること,これらによれば,本件発赤等について適切な治療がされたとはいい難い。
(4) 原告主張の損害については,争う。
(5) 「本件診療契約の無効,取消し,解除」について
以上のとおりであるから,本件診療契約に無効原因や取消原因(詐欺)はないし,被告に本件診療契約上の債務の不履行もない。
第3当裁判所の判断
1 前記前提事実に証拠(甲A7,8,乙A7,原告本人,被告本人(ただし,乙A7及び被告本人については,後記の採用しない部分を除く。)のほか,各項に掲げるもの)及び弁論の全趣旨を併せると,本件における原告の診療経過等について以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 被告クリニック受診に至る経緯
ア 原告は,かねてから両頬のシミ(本件シミ)が気になっていたところ,習い事で訪れていたビルに入居している被告クリニックのパンフレットを入手して読んでいたこともあって,そのカウンセリングを受けたいと思い,被告クリニックに電話をかけて,7月18日の予約を取り付けた。
その電話で,原告がシミを取りたい旨を告げたところ,応対した職員はポラリスを勧めた。
もっとも,上記パンフレットには,ポラリスにつき,新世代エネルギー(RF)とダイオードレーザーを同時に照射する治療法である旨が記載され,その効果として主にシワやたるみの改善が記載されていて,シミに対して効果があるとは記載されていなかった。
(甲A5,6,乙A5)
イ その後の7月17日,原告は,D医院のE医師の診察を受けて,同医師から,本件シミは肝斑であると診断されるとともに,肝斑に対してレーザー治療は不適切である旨の説明を受けた。
(2) 被告クリニック初診(7月18日)(甲A2ないし4)
ア 原告は,7月18日,被告クリニックを初めて受診した。
原告は,カウンセリングに先立って記載を求められた問診表に「シミ」の治療を受けたい旨を記載し,また,カウンセリングの際にも,被告に対し,両頬のシミ(本件シミ)の治療を受けたい旨及び上記のとおり肝斑であると診断された旨を告げた。
イ これに対し,被告は,ポラリスを勧めた。その際,被告は,ポラリスについて,全く新しい新世代エネルギーを照射する最新の治療法で,シミにも効果があるなどと説明したが,シミにも効果があることについて医学的な承認ないし確立はされていないなどという説明はしなかった。なお,被告は,「シワとかたるみにもポラリスは効きます。治したいでしょう。」などとも言った。
上記のような説明を受けた原告が,ポラリスも肝斑に対して不適切とされているレーザー治療の一種なのではないかとの疑念を抱いて,被告に対し,肝斑に対してはレーザー治療は不適切と聞いているのでレーザー治療は受けたくないと言ったところ,被告は,ポラリスは大丈夫である旨答えた。
こうして,原告は,ポラリスの両頬コースを受けることにして,本件診療契約を締結した。
ウ そして,第1回目のポラリスの施術が行われた。
その際,被告が額にも照射をしようとしたところ,原告が,頬だけであるとして,これを拒否するということがあった。
施術後,原告の肌に特に異常は見られなかった。
エ 原告は,上記施術後,被告から,ポラリスを受けることに同意する旨の書面を提示され,これに署名した。同書面(甲A第4号証)には,「私は担当医から,今回の光治療「ポラリス」についてその方法,その効果,副作用などについて詳しい説明を聞き,理解しました。」などと印字されていた。
(3) 被告クリニックの第2回目の受診(8月8日)(甲A2)
原告は,8月8日,被告クリニックを受診して,被告の施術により第2回目のポラリスの施術を受けた。
施術後,原告の肌に特に異常は見られなかった。
(4) 被告クリニックの第3回目の受診(8月29日)(甲A2)
ア 原告は,8月29日,被告クリニックを受診して,被告の施術により第3回目のポラリスの施術を受けた。被告が行った手順は,次のとおりである。
① 施術に先立ち,顔の写真を撮影するとともに,肌の状態を確認し,麻酔クリームを塗って超音波マッサージを施行した。
② ポラリス装置の治療パラメータをレーザーエネルギーについて34(J/平方センチメートル),RFエネルギーについて100(J/立方センチメートル)に設定し,両頬にジェルを塗布した。
③ アプリケータを両頬に押し当てて,レーザーエネルギー及びRFエネルギーを照射した。その際,原告は,頬に痛みを感じたが,被告に対して痛いと訴えたことはなかった。
④ 施術後,看護師が,ジェルを拭き取り,皮膚の状態を確認した。
イ 原告は,施術後,身支度のため鏡を見たところ,頬が腫れているように感じたため,職員に申し出て被告の診察を受けた。被告は,原告に対し,副腎皮質ホルモン剤(劇デルモベートクリーム0.05%,軟膏)を塗布した上,冷凍したコットンで冷やすよう指示した。
原告は,待合室で職員からもらった保冷剤を頬に押し当ててしばらく冷やした後,被告クリニックを退出したが,途中で傘を置き忘れたことに気がついて再度被告クリニックに戻った。そのころになっても頬の腫れが引いていなかったため,再度,被告クリニックの受付職員に申し出て被告の診察を求めたが,他の患者の診療中であるとの理由で診察を受けることはかなわなかった。そのため,受付職員に対し,薬が欲しい旨告げたところ,上記の副腎皮質ホルモン剤の軟膏1本を渡されたが,副作用の有無に関する原告の質問に職員が分からないなどと答えたばかりでなく,投薬代を請求されたことから,被告クリニックの対応に不満を感じ,そのまま被告クリニックを退出し,投与された塗り薬は使用せず,市販の塗り薬(オロナイン軟膏)を塗り,患部を冷やすだけにしていた。
(5) 8月30日(甲C1の3)
原告は,8月30日,左頬の腫れが引かないとして,被告クリニックを訪れ,再度,被告の診察を受けたが,頬の腫れの治療法やポラリス施術費用の返還を巡って被告と押し問答になり,被告による警備会社への通報により臨場した警察官に説得されて被告クリニックを退出するに至った。
(6) 後医における治療経過等
ア 原告は,8月31日,東京慈恵会医科大学附属病院形成外科を受診してF医師の診察を受け,左頬(頬骨付近)に長さ2cm程度の熱傷(熱傷の深さは,1度(表皮熱傷)から2度(真皮浅層熱傷))との診断を受け,ネオメドロールee軟膏の処方を受けて継続通院を指示されたが,特にガーゼ保膜の処置はされなかった。なお,原告は,上記受診の際,予診表に,一昨日施術を受けた「シミに対する」光治療が原因と記載した。
その後,原告は,9月7日及び同月18日に同病院を受診して,G医師の診察を受けたが,同月18日の段階で上記の熱傷部分は上皮化して瘢痕となっており,同医師により,今後約6か月間瘢痕部の変化の観察を要する見込みであると診断された。
(甲C1の4ないし7,4)
イ 原告は,9月28日,今後の治療に関して診察を受けたいとして杏林大学医学部付属病院形成外科を受診し,H医師の診察を受け,左頬瘢痕(長さ約2cm×幅0.4cm)で,今後約6か月間の外来加療を必要とし,瘢痕の状態によっては手術治療が必要であると診断され,テーピング等の処置を受けた。なお,原告は,上記受診の際,被告クリニックで「肝斑に対して」ポラリスを3回受けたと申し立てた。(甲C1の8,6)
ウ 原告は,10月4日,セカンドオピニオンを得たいとの目的で東京警察病院形成外科を受診して,I医師の診察を受け,左頬部熱傷後色素沈着(長さ2cm×幅5mm)が存在し,治療により改善の見込みがあるが,期間としては約1年を要する見込みであり,治療を行っても完全に消失することはないと考えられるとの診断を受けた。なお,原告は,上記受診の際,「肝斑に対し」ポラリスを照射したと申し立てた。(甲C2)
エ 原告は,左頬の診療のため,10月12日,医療法人社団大森会クリニカ市ヶ谷(標榜する診療科は形成外科及び美容外科)を受診し,同日から平成18年2月1日までの間(なお,実通院日数は10日),同病院医師による診療を受けた。同病院のI医師は,同年2月1日,「左頬部に25×7(mm)の皮膚陥凹を伴った醜状瘢痕が残存,同部の色素沈着も存在する。」との後遺障害診断をした(ただし,同医師も,同症状について,「治療により改善の見込みはあるが,完治はしないと考える。」との意見を付記している。)。なお,原告は,上記10月12日の受診の際,「肝斑に対して」ポラリスを照射した旨申し立てた。(甲C3)
オ 原告は,平成17年12月ころ,慶應義塾大学医学部附属病院を受診して,左頬の瘢痕の治療を受けていたが,さらにセカンドオピニオンを希望して,同月14日,稲城市立病院を受診し,J医師により肝斑及び熱傷瘢痕と診断された。なお,原告は,上記受診の際,「肝斑の治療目的で」ポラリスを照射したと申し立てた。(甲C5)
(7) 原告の左頬の瘢痕等の現状(甲C1の12・13,3)
平成18年2月1日時点において,原告の左頬骨部分には,皮膚陥凹を伴う醜状瘢痕及び色素沈着が残存していた(その程度については後に検討する。)。
2 前記前提事実及び上記1の認定事実(以下,これらの事実を併せて「前提事実等」という。)に基づいて,まず,(1)本件シミの性質,(2)本件診療契約において合意されたポラリスの施術の目的,(3)ポラリスのシミないし肝斑に対する治療効果,(4)本件発赤等の性質について検討する。
(1) 本件シミの性質
前提事実等に証拠(乙A1の1ないし6)を併せると,本件シミは,E医師や稲城市立病院のJ医師による診断のとおり肝斑であったと認められる。
この点について,被告本人は,本件シミを肝斑であるというには疑問があるかのように供述するが,具体的な疑問点の指摘をしないまま,単に疑問があると述べるだけであって,到底採用することができない。
(2) 本件診療契約において合意されたポラリスの施術の目的
ア 前提事実等に証拠(甲A7,原告本人)を併せると,原告は,主として本件シミ(両頬のシミ)の治療のためにポラリスの施術を受けることにして本件診療契約を締結した(ポラリスにつき,仮に本件シミに治療効果がないとすれば,シワやたるみ等に治療効果があるとしても,その施術を受けることはなかった。)のであり,被告から「シワとかたるみにもポラリスは効きます。治したいでしょう。」などと言われたのに対しても,治したいのはシミである旨を答えたこと,被告としても,上記のような原告の目的を十分に了解した上で本件診療契約を締結したことが認められる。
イ 上記アの認定に反して,被告は,被告が,シミの改善を含めた加齢による肌全体の衰えの改善に効果のあるポラリスの説明をし,「シワとかたるみにもポラリスは効きます,治したいでしょう。」と言ったところ,原告も,これ(シミのみならずシワとかたるみといった加齢による肌全体の衰えの改善のためにポラリスの施術を受けること)に同意した旨主張し,被告本人も同旨の陳述(乙A7)・供述をしている。
しかしながら,証拠(甲A2,被告本人)によれば,被告クリニックにおける原告の診療録(甲A第2号証)中の当日(7月18日)欄には,「①」として「両頬の全体的なシミをなくしたい。皮膚科で肝斑と言われたのでDrに診てもらいたいとのこと→ポラリスcs(csにより本日希望)」(注・「cs」とはカウンセリングの意)と記載され,「②③④⑤」としては何も記載されていないところ,「①」には患者の訴えないし希望を,「②」には医師の側から勧めた治療内容をそれぞれ記載することになっていたことが認められるのであり,上記の被告の主張,陳述・供述のとおりであるとすれば,上記「②」として「シワ,たるみ」とか「肌全体」などの記載がされたはずである。そして,上記診療録中には,他に,上記の被告の主張,陳述・供述に沿うような記載が見当たらない。
また,ポラリスの顔全体コースではなく両頬コースが選択され,原告が額への照射を拒否したこと,原告が,後医の診療の際,シミないし肝斑の治療のためにポラリスの照射を受けたと訴えていたことは,上記の被告の主張,陳述・供述とは必ずしも整合せず,上記アの認定とよく整合する。
上記のような診療録の記載の点及び選択コース等の点並びに原告本人尋問の結果(この部分についての原告本人の供述は,一貫しているし,具体的で迫真性もあり,信用性が高い。)に照らして,上記の被告の陳述・供述は採用することができない。
なお,被告は,原告において初診前に被告クリニックのパンフレット(ポラリスの効果として,シワやたるみ等の改善が記載され,シミのことは記載されていない。)を入手して読んでいたことが,上記の被告の主張,陳述・供述を裏付けるものであるかのように主張するが,原告本人尋問の結果によれば,原告は,パンフレットの記載内容を細かくは覚えていなかった様子が窺われるし,仮に覚えていたとしても,医師(被告)から直接に「ポラリスはシミにも効く」と言われれば,上記アの認定のとおりとなることも十分に考えられるから,いずれにせよ,同認定を左右するものではない。
他に,本件全証拠を検討してみても,上記アの認定を覆すに足りる証拠はない。
(3) ポラリスのシミないし肝斑に対する治療効果について
別紙医学的知見1(1)に弁論の全趣旨を併せると,ポラリスは主としてシワやたるみの改善に効果があるとされている施術であり,ポラリスがシミに対しても効果があるかどうかについては,これを肯定する見解ないし報告(別紙医学的知見1(1)イ)もないわけではないが,少なくとも,その効果があることが医学的に承認され,又は確立しているとはいえないことが認められる。なお,別紙医学的知見1(1)ウにおける「スキントーンが多少明るくなることがある」(乙B第11号証),「皮膚の色においてわずかな改善が見られた」(乙B第4号証の1・2),「皮膚の白さを増す」(乙B第1号証の2)などという記載ないし発言は,これらの各乙B号証を全体的かつ仔細に検討してみても,シミに対して効果があることをいうものであると直ちに解することができない。
また,別紙医学的知見によれば,シミの中には老人性色素斑のようにレーザー治療が有効なものもあるのであるから,仮にレーザーをも照射するポラリスによってある種のシミが改善される場合があるとしても,ポラリスが当然に肝斑に対しても効果があるということにはならない。
そして,肝斑については,一般に,レーザー治療は禁忌とされ,ビタミンC,E,トラネキサム酸(トランサミン)などの内服や5%ハイドロキノン軟膏(院内製剤)の投与,ケミカルピーリングが効果的であるとされている。
(4) 本件発赤等の性質
別紙医学的知見1(3),上記1の(4)ないし(6)の各事実によれば,本件発赤等は,第3回目(8月29日)の本件施術によって生じた熱傷であったことが認められ,この認定を左右する証拠はない(この点についての被告本人の供述は,肯定も否定もしないという極めて曖昧なものである。)。
3 説明義務違反について
(1) 説明義務について
ア 以上に判示したところによれば,原告は主として本件シミの治療を受けようとしたのであり,そのことは被告も十分了解していたところ,ポラリスは,主としてシワやたるみの改善に効果があるとされている施術であって,シミに対しても効果があるということについては医学的な承認ないし確立はされていないこと,しかも,本件シミは肝斑であって,その旨の診断がされていることは被告も聞かされていたところ,肝斑については,一般に,レーザー治療は禁忌とされ,薬剤による治療が効果的であるとされており,ポラリスもレーザー治療の一種であること,そして,ポラリスには,その施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険もあること,これらが認められる。
そうすると,被告は,原告に対し,ポラリスの施術を行うに当たっては,少なくとも,①ポラリスがシミに対して治療効果があることについては医学的な承認ないし確立はされていないこと,②肝斑に対しては,一般に,レーザー治療は禁忌とされ,薬剤による治療が効果的であるとされているところ,ポラリスもレーザー治療の一種であること,③ポラリスには,その施術部位に熱傷等の傷害を負わせる危険もあること,これらの点を事前に説明すべき義務があったというべきである。
イ 特に上記①の点について敷衍すると,次のとおりである。
本件のような美容治療において,患者の最大の関心事が,当該治療に効果があるのかどうか,効果があるとしてその程度はどうかということであることは,容易に推察される。そして,美容治療であるがゆえに,効果に疑問があるということであれば,当該治療を受けないということも十分に予想されるところである。
しかして,前記のとおり原告は主として本件シミの治療を受けようとしていたのであるから,ポラリスがシミに対して効果があるのかどうかということは,原告にとって最も知りたい重要な事柄であったといえるのであり,仮に,ポラリスはシミにも効果があるとの見解ないし報告もあり,あるいは,その効果を「被告自身が実務における医学的な経験から確信して」いた(被告の主張)としても,上記①の点の説明は必要不可欠である。
さらにいえば,このように効果について医学的な承認ないし確立がされていない治療法については,患者が,その旨の説明を受けた上で,それでも当該治療を受けることに同意するというのでなければ,当該治療を実施してはならないものともいえる。
(2) 説明義務違反について
ア まず,被告が,原告に対し,ポラリスはシミにも効果があるなどと述べて,上記①の点について説明しなかったことは,上記1(2)イに認定したとおりである。
イ 次に,上記③の点についてみるに,証拠(甲A7,原告本人)によれば,被告は,原告に対し,上記③のような説明はせず,かえって,「ポラリスは,シミに最も効果的で,最も安全な治療であり,100症例のうち1症例もトラブルがない。」などと述べたことが認められる。
上記認定に反して,被告は,ポラリスの副作用として熱傷等が生ずることがある旨を説明したと主張し,被告本人も同旨の陳述(乙A7)・供述をしている。
しかしながら,本件の診療録中に上記のような説明をしたことの記載が全くないことはさて措くとしても(なお,「・・・副作用などについて詳しい説明を聞き,理解しました。」という甲A第4号証も,副作用の具体例が記載されているわけでもないから,ポラリスの副作用として熱傷等が生ずることがある旨を説明したという上記の被告の主張,陳述・供述を直ちに裏付けるものではない。),この点に関する被告本人の供述は,必ずしも明確なものではなく,かえって,その考えないし意識は,上記認定の「ポラリスは,シミに最も効果的で,最も安全な治療であり,100症例のうち1症例もトラブルがない。」との説明内容に近いものであることが窺われる。
上記の被告本人の陳述・供述は,原告本人尋問の結果(この部分についての原告本人の供述も,一貫しているし,具体的で迫真性もあり,信用性が高い。)に照らしても,採用することができない。
ウ 以上によれば,被告は,少なくとも上記①,③の点を説明しなかったことにおいて,説明義務違反があったといえる。
(3) 説明義務違反と結果との因果関係について
前提事実等に証拠(甲A7,原告本人)を併せると,原告は,少なくとも上記①及び③の点について十分な説明を受けていれば,21万円もの大金を投じて本件施術を受けるということはなく,したがってまた,本件発赤等(熱傷)を生ずることもなかったことが認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。
したがって,被告は,原告に対し,説明義務違反(債務不履行ないし不法行為)に基づいて,本件施術を受けたことによって生じた本件診療費(26万3025円)相当額の損害及び後記4の本件発赤等(熱傷)が生じたことによる損害を賠償すべき義務がある。
4 本件発赤等(熱傷)が生じたことによる損害について
(1) 上記1の(4)ないし(7)の事実によれば,原告は,本件発赤等が生じたがゆえに,上記1(6)のような診療を受けることになったばかりでなく,平成18年2月1日時点で,左頬部に皮膚陥凹を伴う醜状瘢痕及び色素沈着が残存するという後遺障害(以下「本件後遺障害」という。)が残ったものと認めるのが相当である(その具体的な程度については後に検討する。)。
この点について,被告は,①通常生じないような後遺障害であること及び②適切な措置がされていないことに照らして,本件施術ないし本件発赤等と本件後遺障害との間には相当因果関係がないと主張する(前記第2の3(被告の主張)(3))。
しかしながら,上記①の点については,原告の主張を前提とすれば瘢痕等が時の経過により大きくなっていることをいうものにすぎないところ,後記(2)のとおり,当裁判所は原告主張のように時の経過により大きくなっているとは認めないから,因果関係を否定する理由にはならない。
上記②の点についてみても,原告が受傷直後に使用していた市販薬(オロナイン軟膏)が傷の悪化をもたらしたことを窺わせる証拠は見当たらず(受傷の翌々日である8月31日には東京慈恵会医科大学附属病院による投薬治療が開始されたのであり,それまで原告が市販薬を使用したことによって熱傷の治癒に支障を来したとは認め難い。),また,後医において適切な治療がされなかったとか,複数の医療機関を受診したがために統一的な治療がされなかったということを認めるに足りる証拠もない。
他に,本件全証拠を検討してみても,上記の因果関係を肯定する認定を覆すに足りる的確な証拠はない。
(2) 本件後遺障害の程度について
原告は,本件後遺障害につき,甲C第3号証中の後遺障害診断書(I医師作成)を根拠に,平成18年2月1日時点における左頬部の醜状瘢痕等の大きさは25mm×7mmであったと主張する。
しかしながら,上記1(6)の事実によれば,平成16年10月当時における原告の左頬部の醜状瘢痕等の大きさはせいぜい20mm×5mm程度であったと認められるところ,同月1日当時の原告の写真(甲C1の8)と上記後遺障害診断書が作成された平成18年2月1日当時の原告の写真(甲C1の12・13)とを比較してみると,左頬部の醜状瘢痕等は後者の方が小さくかつ薄いことが明らかである。
したがって,上記の後遺障害診断書中の醜状瘢痕等の大きさをいう部分は採用することができず,本件後遺障害の醜状瘢痕等の大きさは20mm×5mmを下回るというべきである。
そして,証拠(甲C1の12・13)によれば,その醜状瘢痕等は,近くでよく見ればそれと分かる軽度のものであって,離れた位置からでも目立つというようなものではないことが認められる。
(3) 以上の次第で,本件発赤等(熱傷)が生じたことによる損害は以下のとおりとなる。
ア 本件発赤等(熱傷)の治療に要した費用 12万3888円
証拠(甲A7,甲C7ないし31)によれば,原告は,本件発赤等(熱傷)の診療のために,治療費8万6838円,診断書作成料2万3870円,交通費1万3180円,計12万3888円を要したことが認められる。
イ 傷害慰謝料 50万円
証拠(甲A7,甲C2ないし6)によれば,原告は,本件発赤等(熱傷)の診療を受けるために,平成16年8月31日から平成18年2月1日までの長期にわたり,計7か所の病院ないし診療所に通院した(平成16年8月に1回,9月に5回,10月に2回,11月,12月に各1回,平成17年2月,4月,5月,6月,9月,11月,12月に各1回,平成18年2月に1回)ものの,その通院は不規則であって,実通院日数(病院又は診療所への通院の日数。診断書作成のみの日を含まない。)は18日であることが認められる。上記の点のほか本件に顕れた諸般の事情を考慮すると,傷害慰謝料は50万円をもって相当と認める。
ウ 後遺症慰謝料 100万円
本件後遺障害は,左頬部に皮膚陥凹を伴う軽度の醜状瘢痕及び色素沈着が残存するというものであるが,前記のとおり,その大きさは20mm×5mmを下回るし,近くでよく見ればそれと分かるという程度のものである。しかも,前記のとおり,完治はしないものの治療により改善の見込みはあるとされている。
したがって,本件後遺障害は,原告主張の如く自動車損害賠償保障法施行令別表第2の12級に該当するほどのものではなく,同14級に相当する程度のものであると解する。これに対する慰謝料は100万円をもって相当と認める。
5 本件診療費相当額の損害と上記4のアないしウの損害との合計は188万6913円となるところ,本件における弁護士費用損害金は20万円をもって相当と認める。
したがって,被告は,原告に対し,説明義務違反の債務不履行又は不法行為に基づいて,208万6913円及びこれに対する遅延損害金を支払うべき義務がある。
なお,原告主張の「ポラリスの施術を行ってはならない義務の違反」及び「手技上の義務違反」については,その義務違反が認められるとしても,これにより上記損害を超える損害が生じたとは認められないから,判断しないこととする。
また,原告主張の「本件診療契約の無効,取消し,解除による本件診療費の返還請求」は,本件診療費相当額の損害の賠償請求と選択的併合の関係に立つものと解されるから,これについても判断しない。
6 以上のとおりであるから,原告の請求については,208万6913円及びこれに対する平成17年12月28日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから,その限度で認容し,その余は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,61条を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 貝阿彌誠 裁判官 片野正樹 裁判官 宮川広臣)
別紙医学的知見
1 ポラリスについて
(1) 適応ないし治療効果
ア シネロン社作成の「ユーザーマニュアル」(乙B第5号証。以下「本件マニュアル」という。)には,「しわを伸ばしスキンテクスチャーを改善するものです。」,「適応 しわの治療とスキンテクスチャーの改善に使用するシステム」などと記載されていて(スキンテクスチャーとは,肌理(きめ)を指す。),シミに対して効果があるとは記載されていない。
ポラリス装置の販売店がユーザー(医療機関)において患者向けのパンフレットとして発行ができるようにと作成したもの(甲A第5号証(被告クリニック発行のパンフレット))には,「大量のシワ,たるみ,血管を治療」とか「シワ・たるみへのめざましいトリートメント効果」などと記載されていて,シミに対して効果があるとは記載されていない。
被告クリニックのパンフレット(甲A第6号証,乙A第5号証)には,「シワ・たるみの治療」,「効果:深いシワやたるみの改善,輪郭の引き締め,小顔効果」とか「シワ・たるみを切らずに改善」などと記載されていて,シミに対して効果があるとは記載されていない。
イ 他方,シネロン社のコンサルタント及び講座の講師を務めるK医師によるポラリスの施術に係る症例報告(乙B第12号証)には,「表皮を傷めることなくシワの改善を促し,シミや目立った血管などにも効果が得られる。」とか「ポラリスによって得られた結果は・・・しわに関しては劇的であるとも言え・・・また,シミや血管拡張に関しても改善されている。」などと記載されている。
また,「Lクリニック」のホームページ(乙B第6号証)には,ポラリスについて,「メスを使わずに顔の肌を引き締め持ち上げて,しわとり・タルミ解消効果を高くする,画期的な美肌治療です。」,「シミやくすみにも効果があります。」などと紹介されている。
ウ なお,シネロン社は,「日本の医師により使用されているポラリスWRシステムの効能や結果について最近何人かの患者及び医師により提議されたいくつかの疑問を解明するものである。」という前書きの文書(乙B第11号証)において,「ポラリスの施術によりスキントーンが多少明るくなることがあると多くの医師たちは報告している。」と記載している。
また,上記K医師は,計8人の患者にポラリスの施術を行った結果の報告(乙B第4号証の1・2)において,「著しい皮膚色異常やシワのある患者には皮膚の色においてわずかな改善が見られた。」と記載している。
そして,「湘南鎌倉総合病院」形成外科・美容外科部長で北里大学形成外科非常勤講師を務めるM医師は,シネロン社主催のセミナーにおける講演において(その講演の反訳が乙B第1号証の2),ポラリスの治療効果につき,「シワ・たるみ以外にも皮膚の白さを増すんではないかと言われています。」などと述べている。
(2) 禁忌
本件マニュアルには,「禁忌」として次の事由が挙げられている。
・ 妊娠
・ 780~980nmのレーザー光の照射に対して禁忌を示す薬物の使用
・ 深部に至る軽度の日焼け,水疱疹のある重度の日焼け,又は刺青
・ ケロイドの傷痕
・ ペースメーカー又は細動除去器を埋め込んだ患者
・ 糖尿病
・ 治療部位にある傷又は感染症
(3) 副作用
本件マニュアルには,次のような記載がされている。
① 正しく使用されなかった場合には,強力なレーザー光やRFデバイスによって傷害を招くおそれがある。
② 過大なエネルギーを照射すると,治療する皮膚に熱損傷をもたらすおそれがある。
③ 副作用としては,次のような症状などが考えられる。副作用は,治療中や治療後間もなく現れることがある。
・ 痛み
・ 皮膚の発赤(紅斑)
・ 本来の皮膚組織の損傷(痂皮,水疱,火傷)
・ 色素沈着の変化(ハイパーあるいはハイポピグメンテーション)
・ 傷
・ 過大な腫れ
・ ダメージを受けやすい皮膚
・ 傷痕
(4) 治療手順
① レーザーエネルギー,RFエネルギーの設定をする(後記(6)参照)。
② 水ベースのジェルを用いて治療部位に潤いを与える。
③ アプリケータを治療領域に押し当てて僅かに圧力を加える。陽極と陰極の両方の電極を皮膚の表面に接触させる。
④ RFエネルギー,レーザーエネルギーを照射する。
⑤ 治療領域を調べる。
⑥ 皮膚に悪影響が現れている場合は,レーザーエネルギーとRFエネルギーのパラメータを下げる。
⑦ レーザーエネルギーとRFエネルギーを調整して再度照射した後,治療部位を評価する。表皮に悪影響がないか確認してこのパラメータで治療を続ける。
(5) 治療後のケア
本件マニュアルには,次のような記載がされている。
・ 治療後,シワの領域に一過性の紅斑や皮膚の腫れが見られる場合がある。
・ 治療後直ちに冷たい(凍っていない)パックを治療部位に押し当てることが推奨される。
・ 水疱や潰瘍が生じた皮膚は,抗生物質軟膏や火傷治療クリームで治療できる。
・ 水疱の後に痂皮が生じた場合は,油性クリームを用いて滑らかな状態に保つ。
(6) 治療パラメータ
レーザーエネルギー(治療部位に加えられるレーザーエネルギー密度の量)の値は,10~50(J/平方センチメートル)の範囲内で1刻みで変更ができる。RFエネルギー(RF電流が発生するエネルギー密度の量)の値は,10~100(J/立方センチメートル)の範囲内で5刻みで変更ができる。
本件マニュアルは,適正な治療パラメータを選択することが治療の成功に不可欠であるとした上,その選択指針を下記のように定めている。
記
スキンタイプ
レーザエネルギー
RFエネルギー
(J/平方センチメートル)
(J/立方センチメートル)
フルフェイス
22~28
65~80
小じわ
22~34
65~80
深いシワ
24~34
70~90
2 肝斑について
(1) 病態等
表皮基底層のメラノサイトの増加がなく,メラニンの増加のみが認められる。妊娠時,閉経期,月経不順などにより発症し,増悪するため,多腺性内分泌変調が基礎にあるといわれている。性腺刺激ホルモン,黄体・卵胞ホルモン,紫外線刺激によりメラニン生成が亢進していると考えられている。
(2) 治療方針
日光暴露(紫外線照射)を避け,戸外活動に際しては,遮光剤を用いる。ビタミンC,E,トラネキサム酸(トランサミン)などの内服が効果的である(ただし,トラネキサム酸の内服は,血栓を有する患者では避ける。)とされている。5%ハイドロキノン軟膏(院内製剤)の投与や,ケミカルピーリング(薬品(酸)を使って皮膚の角質を除去する方法)によって,より短期間で改善がみられるという報告もある。
(3) レーザー治療の適応
いわゆる皮膚のシミのうち老人性色素斑にはレーザー治療が有効であるとされているが,肝斑にレーザー治療を施すことは,かえってシミが黒くなったり濃くなったりしてしまうため,一般的には禁忌とされている。
もっとも,Nd-YAGレーザーが肝斑の治療に有効であったとの報告や,肝斑の治療としてレーザーピーリング(皮膚のくすみやザラつきの原因となる古い角質をレーザーによって飛ばし,肌を活性化させるもの)を行うという報告もある。
以上