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東京地方裁判所 平成17年(ワ)27192号 判決 2008年7月10日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,1億7428万6275円及びこれに対する平成16年7月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,1000万円及びこれに対する平成16年7月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,500万円及びこれに対する平成16年7月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告が開設するD脳神経外科病院(以下「被告病院」という。)において,平成16年7月30日に未破裂脳動脈瘤クリッピング術(以下「本件手術」という。)を受けた原告Aが本件手術後に高次脳機能障害となったことについて,原告らが,被告病院の医師らには,本件手術中に未破裂脳動脈瘤を破裂させた過失,手術器具等の操作を誤った過失,説明義務違反,安全管理義務違反があるなどと主張し,被告に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償及びこれに対する本件手術の日の翌日である平成16年7月31日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

1  前提となる事実(証拠を掲げていない事実は,当事者間に争いがない事実である。)

(1)  当事者

ア 原告A(昭和24年9月23日生)は,平成16年7月30日(以下,平成16年については,原則として月日のみを記載する。),被告病院において,本件手術を受けた(甲C1,乙A3)。

イ 原告Bは,原告Aの妻であり,原告Cは,原告Aと原告Bの子である(甲C1)。

ウ 被告は,被告病院を開設している。

(2)  診療経過の概要

本件の診療経過の概要は以下のとおりであり,その詳細は,別紙診療経過一覧表のとおりである(なお,診療経過一覧表中,証拠を掲記した事実は当該証拠により認定したものであり,その他は当事者間に争いのない事実である。)。

原告Aは,6月25日,左片麻痺に気付き,同月28日,被告病院を受診した。被告病院院長のE医師は,原告Aを診察し,その際,原告Aは,頭痛,左半身の麻痺,口角左によだれがあるなどと訴えた(乙A1の5,19頁,A8)。同日,原告Aに対し,MRI検査(T2)などが行われた。この検査の結果,原告Aに右脳梗塞,椎骨脳底動脈循環不全,頚椎症,既往歴である高血圧症等が認められたことから,翌29日,原告Aは,被告病院に入院することになった(乙A1の6,7頁,A2の1頁,A8)。

同月29日,被告病院において,原告Aに対し,MRI検査,MRA検査が行われ(乙A2の9頁,A5の1),同月30日,心エコー検査が行われた(乙A2の9頁,A7)。被告病院のF医師は,これらの検査の結果,原告Aが右脳室周囲梗塞であること,原告Aの前交通動脈に未破裂脳動脈瘤(以下「本件動脈瘤」という。)があることが認められたため,翌7月1日,原告A及び原告Bに対し,脳梗塞及び本件動脈瘤について説明した(乙A2の5,31頁)。同月7日,原告Aは,被告病院を退院した(乙A2の1,35頁)。

同月28日,原告Aは,本件動脈瘤に対する手術目的で入院した(乙A3の4頁)。同日,原告Aに対し,三次元CT血管撮影検査が,翌29日に,脳血管撮影検査が行われた(乙A3の6,26頁)。同日,F医師は,脳血管撮影検査等の結果,原告Aに本件動脈瘤の他に2つの脳動脈瘤が認められたことなどを説明した(乙A3の6,7頁)。

同月30日,原告Aに対し,本件手術が施行された。本件手術は,F医師,E医師が担当した。本件手術中,本件動脈瘤が破裂し,破裂後,テンポラリークリップが使用され,その後,有窓クリップにより,前交通動脈の本件動脈瘤がクリッピングされた(乙A3の111頁)。

同月31日,原告Aに対し,CT検査が行われ,その結果,右前頭葉に低吸収域が認められた(乙A3の9頁)。8月2日,原告Aに対し,MRI検査が行われた(乙A3の10,29頁)。同月3日,F医師は,MRI検査の結果,右大脳半球にまだらに脳梗塞あり,脳梁(膝部)に脳梗塞があると判断した(乙A3の10頁)。

同月9日,原告Aに異常行動が認められた(乙A3の14頁)。9月17日,原告Aは,セグフィックス(腹部用ベルト)に足を絡めて,ベッド柵に足がかかった状態で仰向けに倒れているところを発見された(甲B1,乙A3の195頁)。同日,原告Aに対し,CT検査が行われたが,異常所見はなかった(乙A3の195頁)。

2  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は,次の7点である。

(1)  本件手術中に本件動脈瘤を破裂させた過失の有無

(2)  本件動脈瘤破裂後のクリップ操作についての過失の有無

(3)  本件手術中に手術器具の操作を誤り,右前頭葉等を損傷させた過失の有無

(4)  説明義務違反の有無

(5)  安全管理義務違反の有無

(6)  因果関係の有無

(7)  損害額

3  争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。

(1)  争点(1)(本件手術中に本件動脈瘤を破裂させた過失の有無)について

(原告らの主張)

以下の事情からすれば,被告病院の医師らには,本件手術中に本件動脈瘤を破裂させた過失があるといえる。

ア 本件手術中の映像を見れば,被告病院のF医師が,本件動脈瘤を探っているときに,手術器具で本件動脈瘤の壁に不用意に力を加え,破裂に至ったことは明らかである。

また,本件動脈瘤の壁部分が赤くなっているのが見えており,本件動脈瘤の壁が薄くなっていることを被告病院の医師らは認識できたこと,本件動脈瘤は,その上方からクリッピングを行うことは不可能であるところ,本件動脈瘤の上方からクリップしようとした本件手術中の手技が疑問であること,視野が狭くなっている中での剥離は危険な手技であることなどからすれば,被告病院の医師らの手技は不注意極まりないものである。

被告は,本件動脈瘤の破裂は,鈍的剥離子を手前に動かした時に生じており,剥離子先端は本件動脈瘤の側壁を押していないことなどから,手術手技は標準的なものである旨主張する。しかし,本件手術中の映像によれば,剥離子を引き始めた段階で既に出血しており,出血原因である破裂は,引く操作に入る前の剥離子が本件動脈瘤に触れた時点で生じたと考えられ,剥離子を手前に動かした時に破裂したことを前提とする被告の主張は理由がない。

イ 脳動脈瘤が柔らかくなれば,破裂する確率が低下するので,本件手術においても,E医師が証言するように,本件動脈瘤が出た段階で血圧を下げるべきであったのに,E医師は,そのような指示をしなかった。

被告は,本件手術中,マニトールが投与されていた旨主張するけれども,マニトールの投与は,本件動脈瘤の破裂の約3時間前や,破裂の1時間後に実施されてはいるものの,術中破裂の対応とは考えられない。

ウ 本件動脈瘤は,8mmと大きく,不整形であることに加え,走行する動脈の裏側に位置するなど術野の確保が困難な症例であったから,動脈瘤のラッピング(筋膜とサージセルとアロンアルファで動脈瘤を補強する)及びトラッピング(早期に血流を遮断して瘤を小さくしてから剥離してクリッピングする)の手技を施し,本件動脈瘤の破裂を予防すべきであったのに,被告病院の医師は,このような手技を行わなかった。

(被告の主張)

ア 本件動脈瘤は,およそ8mmと大きなものであり,形も不整形な上,左右の前大脳動脈の陰になるような形で位置していたことから,本件動脈瘤にクリップをかける際に妨げとなる血管を剥離する必要があり,被告病院の医師は,慎重に本件動脈瘤を血管から剥離していったものの,本件動脈瘤の壁が非常に薄くなっていたため,剥離子が若干触れた際に破裂してしまったのである。本件手術の映像を見れば,本件動脈瘤の破裂は,剥離子を手前に動かした時に生じていることが確認でき,剥離子先端が本件動脈瘤の壁を押したりしていない。また,本件動脈瘤をクリップする方向についても,術者の裁量に委ねられるというべきであり,本件手術におけるクリップ方向が医療水準を逸脱したものとはいえない。したがって,本件手術中の被告病院の医師らの本件動脈瘤に対する手技は,標準的なレベルにあるといえ,過失と評価されるものではない。

イ 原告らは,本件動脈瘤が出た段階において,血圧を低下させるなどして本件動脈瘤の緊張を和らげるべきであった旨主張する。しかし,本件手術において,E医師は,原告Aの血圧を下げるよう指示し,そのため,マニトールが投与されている。

ウ 原告らは,本件動脈瘤の破裂を防止するために,トラッピング及びラッピングを施すべきであった旨主張する。しかし,トラッピングを行うには,脳への血流確保のためにバイパスを設けるなどの処置が必要となるところ,前交通動脈からは,バイパスすることが不可能な穿通枝動脈が分岐している。仮にトラッピングを行った場合に動脈瘤と親動脈との剥離を行うと長時間穿通枝動脈に血流が行かず,その間当該動脈が栄養している部分の脳が虚血状態に陥り,重篤な後遺症を残す蓋然性が高い。そのため,破裂防止を目的にトラッピングを行うか,トラッピングを行わずに短時間で剥離を進めるかは,執刀医の判断に委ねられるというべきである。

また,ラッピングは,動脈瘤が小さいなどクリッピングが不可能な場合に用いられる手技であり,本件のように不整形でありながらもクリッピングが可能な大きさの脳動脈瘤に用いられる手技ではない。さらに,ラッピングを行うことで,術野が狭くなり,剥離がより困難になることから,術中破裂を防止する目的でラッピングをすることはない。

(2)  争点(2)(本件動脈瘤破裂後のクリップ操作についての過失の有無)について

(原告らの主張)

ア 未破裂脳動脈瘤に対する手術においては,より慎重で注意深い操作が必要であり,長時間血流を遮断すると脳に虚血性変化を惹起し,機能障害を来すことがあるから,血流遮断時間には注意する必要があり,穿通枝動脈の血流を妨げないようにすべきであるにもかかわらず,被告病院の医師は,本件動脈瘤を破裂させた後,内視鏡等を使用して穿通枝動脈の確認をすることなく,やみくもにクリップをかけたり,外したりしたことにより,長時間にわたって血流が遮断された。

イ 具体的には,右A1(前大脳動脈)に対しては,4回のかけ直しが行われ,最長27分38秒間,テンポラリークリップが緩められることなくかけられていた。また,左A1(前大脳動脈)に対しては,2回のかけ直しが行われ,最長13分42秒間,テンポラリークリップが緩められることなくかけられていた。また,前交通動脈に対しては,5回のかけ直しが行われ,最長34分35秒間,2番目に長いのが19分31秒間,クリップが途中緩められることなくかけられていた。そして,前交通動脈に対しては,テンポラリークリップよりも閉鎖圧の強い有窓クリップが用いられ,血流が遮断されていた。

ウ 被告病院の診療録には,テンポラリークリップ等による血流遮断時間について正確な記録がないこと,前交通動脈の本件動脈瘤が2本の有窓クリップでクリッピングされたのは午後2時53分であるにもかかわらず,看護師が診療録に午後2時02分にクリッピングしたと誤って記載しており(乙A3の119頁),手術現場にいた看護師もクリップの種別を勘違いしていたことがうかがわれることなどからすれば,本件手術に立ち会った看護師は,血流遮断時間をカウントしていたとは考えられない。

(被告の主張)

ア 原告らは,被告病院の医師が,テンポラリークリップにより長時間血流を遮断させた旨主張する。しかし,前交通動脈は,左右の前大脳動脈から血流が供給されるものと,いずれか片方の動脈から供給されるものとがあり,本件は前者である。したがって,テンポラリークリップにより左右いずれかの前大脳動脈を遮断したとしても,血流の供給はできており,虚血には至らない。被告病院の医師らは,やみくもにテンポラリークリップを用いたわけではなく,テンポラリークリップを駆使して可能な限り,脳への血流を維持しつつ,出血の抑制を行ったのであり,その操作に過失はない。

イ 本件動脈瘤は,形,大きさ,親動脈との位置関係から,クリッピング操作には時間を要することが予想され,親動脈のテンポラリークリップによる血流遮断時間が長くなることはやむを得ない。また,テンポラリークリップと有窓クリップは,その用途が異なり,被告病院の医師らの選択に誤りはない。

ウ 原告らは,被告病院の看護師らは,テンポラリークリップの時間をカウントしていなかった旨主張するけれども,本件手術においては,看護師がテンポラリークリップの時間をカウントしており,そのことは麻酔記録(乙A3の114頁)に記録して管理されている。

(3)  争点(3)(本件手術中に手術器具の操作を誤り,右前頭葉等を損傷させた過失の有無)について

(原告らの主張)

ア 未破裂脳動脈瘤の手術においては,脳を傷つけないという注意義務があり,慎重に手術器具を操作することにより,脳を傷つけることは避けられるものである。それにもかかわらず,被告病院の医師は,慎重に手術器具を操作する義務を怠り,以下のとおり,本件手術中に,右前頭葉脳表等を損傷させ,脳挫傷を生じさせた。

(ア) 頭蓋骨切開の際に,切開器具により硬膜,右前頭葉脳表及び静脈を損傷させた。

本件手術時のビデオテープ(甲A1)の映像によると,開頭時,硬膜からの出血と脳表・静脈からの出血が認められる。この2つの損傷位置を見ると,硬膜の傷も,脳・血管の傷も,見る方向は違うが同位置に存在し,大きさからしても,時を同じくして負った傷と考えざるを得ない。つまり,損傷時間は,硬膜がビデオテープの映像に映る前であり,骨に近い位置からも,骨にドリルで開けた3点の穴をつなぐように切ったとき,その器具で損傷させたと考えるのが極めて自然である。

(イ) 剥離子やはさみといった手術器具等により右前頭葉を損傷させた。

(ウ) 前脳基底部の脳表をはさみで切って損傷させた。

(エ) 長時間にわたって,脳ベラで脳を圧迫して損傷させた。

E医師は,脳ベラの圧迫時間について,「少し長め」,「少し多めといえば多め」と証言していることから,脳ベラによる圧迫で脳を損傷させたことは明らかである。

(オ) その他,本件証拠として提出されているビデオテープには(甲A1,乙A4),午後12時27分ころから午後1時ころまでの映像はない。この間,視神経や前頭蓋底からの離開,半球間縦列の開放(対側前頭葉から離開),臭神経周囲のくも膜を切開して臭神経をできる限り,長く露出させるという手技が行われていたはずであるが,この部分の手技に誤操作があり,その部分の映像を抹消した可能性がある。

イ 本件手術後,原告Aには,広範な脳挫傷が認められ,前頭葉症状が出現していることから,前記ア(ア)ないし(エ)記載のとおり,被告病院の医師の手術器具の操作の誤りにより原告Aの脳が損傷させられたことは明らかである。

(被告の主張)

ア 原告らは,本件手術中に手術器具で右前頭葉等を損傷させた過失があるなどと主張するけれども,原告らが主張する脳の損傷は正確には確認できない。そもそも,脳動脈瘤クリッピング術は,脳の間をはさみやピンセットで剥離して脳に埋まった動脈瘤を露出する手術であり,開頭から動脈瘤のクリッピングまで脳に触れず,一切の出血もなく,手術を終了することは不可能であり,多少の出血等は認められるものの,それらは普通の開頭手術で見られる程度のものであり,脳ベラの操作についても,脳への影響が少なくなるよう努力されており,標準的な手術手技レベルである。

イ 本件手術後に撮影されたMRIでは,原告が主張する箇所に脳の損傷を示す所見は認められていない。

(4)  争点(4)(説明義務違反の有無)について

(原告らの主張)

ア 医師は,診療契約締結の際,患者に対して,その現在の病状を正確に伝えるとともに,患者が受ける治療方法について十分理解し,納得した上で治療を受けることができるように,信義則上,その実施する治療方法の具体的内容,その理論的根拠,リスク,予後の見通し等,患者がその治療法を選択するために必要な医学的情報についての説明を患者に十分理解可能なレベルで行うことが要求されている。

イ 本件手術は,頭蓋内に中等度の大きさの脳動脈瘤1個,比較的小さな脳動脈流2個の多発性脳動脈瘤を有し,くも膜下出血の父親を持ち,過去に脳梗塞を生じたことのある54歳の原告Aに対して,予防的に行われたクリッピング術である。

本件手術当時,径10mmの脳動脈瘤の年間破裂率は1%,それ以下のサイズの脳動脈瘤の破裂率は0.5%とされており,原告Aの平均余命25年として計算すると,生涯の破裂率は50%となる。これに対し,手術危険率については,原告Aは脳梗塞や高血圧を合併していたことにより,1個の動脈瘤について,一般にいわれている5%に対し,2倍の10%と考えられる。2個の動脈瘤に対し,クリッピング術を行うとすれば,結局20%が手術危険率となる。自然破裂の危険率25%と手術の危険率20%はほぼ同じであるが,両者が相違するのは,手術は数時間で生じる危険であるのに対し,自然破裂は25年間に生じる危険であるという点である。原告Aの場合,脳動脈瘤が前交通動脈にあったこと,高血圧や脳梗塞の既往があり,脳の動脈硬化が著明であったこと,本件動脈瘤の位置及び向きからすると,盲目的な手技操作になる可能性が高いことなどからすれば,手術の危険性については十分予測されたといえる。

また,本件手術は,前交通動脈の脳動脈瘤に対する手術であり,術後に精神症状を起こす可能性が比較的高いところ,精神症状の度合いによっては,ADL(日常生活動作)やQOL(仕事や人間関係を含む生活の質)に支障を来す可能性が高い。

さらに,未破裂脳動脈瘤に対する治療としては,開頭術以外にも血管内治療等の治療方法がある。

ウ 前記イのとおり,本件手術は危険な手術で,術後に精神症状等が生じる危険性があり,また,他の治療方法等の選択肢があるにもかかわらず,被告病院の医師は,6月30日のカルテに「月末OP?」と手術を行うことが前提のような記載をし,原告Aらに対し,本件手術のリスクについて,大丈夫,臭覚がなくなる程度であると説明するにとどまり,本件手術の困難性や,危険性についての説明をせず,また,血管内治療などの他の選択肢に関する説明もしなかった。したがって,被告病院の医師には,本件手術についての説明義務を怠った過失がある。

(被告の主張)

ア 7月1日,被告病院のF医師は,原告Aらに対し,以下の点について説明した。

① 原告Aに脳梗塞が認められ,その症状は比較的軽いこと

② 未破裂動脈瘤が認められたこと

③ 未破裂動脈瘤の破裂率は年間0.5%から2%(年1%前後)程度であること,一般的に脳動脈瘤の最大径が5mm前後より大きく,年齢が65歳以下で,その他の条件が治療を妨げない場合は手術的治療が勧められるとされていること,また,瘤が5mm以上で,不整形,多発性,脳梗塞で発症したものなどは比較的破裂率が高いこと

④ 手術合併のリスクは1%から5%であり,そのうち生命にかかわるような問題が発生するリスクや日常の生活に介護を要するような重篤な後遺症が残るリスクがおよそ1%,感染するリスクや嗅覚がなくなるなどの軽度の障害が残るリスクまで含めるとおよそ5%となること

⑤ ただし,未破裂動脈瘤が偶然発見された場合より,脳梗塞などによって発見された場合の方が手術合併症率は高くなり,原告Aはそれに該当すること

⑥ 治療法には保存的治療法と手術による治療法があり,手術方法としてはクリッピング術と血管内治療があること

⑦ 上記一般的な未破裂動脈瘤の破裂率からすると手術が勧められるが,手術合併症率が高いことから手術を受けるか否かについては原告Aの家族と相談した上で決断してもらいたいこと

また,F医師は,前記⑥について説明する際,クリッピング手術と血管内治療についてのメリット・デメリットを説明した論文を原告Aらに手渡している。

イ 同月29日,F医師は,原告Aらに対し,三次元CT血管撮影及び脳血管撮影の画像を示しながら,以下の点について説明した。

① 原告Aには脳動脈瘤が3つ認められ,中大脳動脈,前交通動脈,前大脳動脈に一つずつ発見されたと説明した。また,中大脳動脈瘤は大きさが2mm,前大脳動脈瘤は5mm,前交通動脈瘤(本件動脈瘤)は8mm程度であること,前交通動脈瘤(本件動脈瘤)は形が不整形なものであり,脳血管(左右の前大脳動脈水平部(A1)と垂直部(A2))の陰になるような形で裏側に位置するため手術は比較的困難になるが,クリッピング術を断念しなければならないほどのものではないこと

② できれば右中大脳動脈瘤と前交通動脈瘤をクリッピングしたいが,左からのプテリオナルアプローチにより前交通動脈瘤のみをクリッピングすること

F医師は,以上のとおり,説明した上で,原告Aらから,本件手術の施行について,同意を得た。

ウ 本件手術当日である7月30日の術前,F医師は,原告Aらに対し,以下のとおり,説明した。

① 術野を確保するとともに脳全体への圧迫を回避するため,直回(rectal gyrus:前頭葉の一部)を若干吸引すること,右前頭葉は左前頭葉に比べて症状が出にくいこと,脳梗塞などを生じる確率が1%,その他のリスクを含めると5%ほどになること

② 29日の説明では左からのアプローチにより行うと説明したが,本日のカンファレンスにおいて,右からのプテリオナルアプローチにて行うこととし,本件動脈瘤のクリッピングを行い,可能であれば右中大脳動脈瘤もクリッピングする予定であること

エ 以上のとおり,本件手術については,十分な説明がなされており,被告病院の医師に説明義務違反はない。

(5)  争点(5)(安全管理義務違反の有無)について

(原告らの主張)

本件手術後,原告Aには,高次脳機能障害が生じ,徘徊等が見られており,何度かセグフィックス(腹部用ベルト)を抜け出すなどしていたから,セグフィックス(腹部用ベルト)のみならず,抜け出し防止帯を同時に装着すべきであった。それにもかかわらず,被告病院の医師や看護師らは,セグフィックス(腹部用ベルト)のみを使用し,抜け出し防止帯を装着させなかった。

このように,被告病院に安全管理義務違反があったことは,9月17日に原告Aがセグフィックス(腹部用ベルト)を抜け出して転落した後,F医師が「抑制帯の使用方法に不備があったと思われ」との経過報告(甲A2)を作成したことからも明らかである。

(被告の主張)

患者がセグフィックス(腹部用ベルト)をすり抜けることがあるからといって,常に抜け出し防止帯を装着しなければならないということはできない。抜け出し防止帯を装着する際には,完全に抜け出さないほどに身体を抑制しなくてはならない必要性と,それに対する患者の理解が必要である。

被告病院では,原告Aに高次脳機能障害による病状が見られたため,腹部用ベルトのみならず,寝返り調整帯,肩部調整帯,手部・脚部調整帯を状況に応じて使用していた。そして,原告Aは,高次脳機能障害の影響もあって,過度の興奮状態となることもあったため,常に完全な身体抑制を行うことはかえって身体の危険を招く可能性があったため,完全抑制を行わなかったのである。

このように,被告病院では,抜け出し防止帯等により身体拘束を行うことで得られる原告Aの身体の安全と,身体拘束を行うことで惹起される危険との調整を図り,最善の使用を心がけており,原告が主張するような安全管理義務違反はない。

なお,原告らは,F医師が,「不備があったと思われ」と経過報告をしたこともって,安全管理義務違反があった旨主張するけれども,F医師は,看護記録等を見て,レトロスペクティブにとらえて,「不備があった」旨を経過報告書に記載したにすぎず,そのことをもって,被告の責任が肯定されるわけではない。

(6)  争点(6)(因果関係の有無)について

(原告らの主張)

ア 被告病院の医師らは,本件手術において,本件動脈瘤を破裂させ,その後,やみくもにクリップ操作を行ったため,長時間にわたって血流が遮断され,原告Aに高次脳機能障害が生じた。

イ 本件手術後,原告Aには,前頭葉症状が生じている。前記(3)の原告らの主張のとおり,剥離子やはさみ等の手術器具の誤操作により,右前頭葉等を損傷させており,この損傷が前頭葉症状の原因である。

ウ 被告病院の医師が,本件手術の危険性等について説明すべき義務を怠ったため,原告Aは,本件手術が重篤な後遺障害を引き起こす可能性のある危険な手術であるとの認識を欠いたまま,本件手術に臨んでしまったのであり,説明義務が尽くされておれば,原告Aは本件手術を受けることはなかった。したがって,説明義務違反と,原告Aが高次脳機能障害となったこととの間には相当因果関係がある。

(被告の主張)

ア 本件動脈瘤が破れたことによる出血は認められるけれども,それによる脳の影響はほとんどない。

また,被告病院の医師らは,本件手術中,クリップと穿通枝動脈との関係を観察し,確認していたから,原告が主張するような小動脈を誤ってクリッピングするようなことはしていない。したがって,原告Aに生じた高次脳機能障害と被告病院の医師らによるクリップ操作との間には因果関係がない。

イ 脳ベラの使用により主にストレスを与える右前頭葉は,非優位半球の非機能的部位であって,仮に多少の損傷が生じたとしても症状の出にくい箇所であり,原告ら主張の右前頭葉等を損傷させたとする手技と原告Aに生じた高次脳機能障害との間に因果関係はない。

(7)  争点(7)(損害額)について

(原告らの主張)

ア 原告Aの損害  1億7428万6275円

(ア) 治療費等  60万8245円

(イ) 入院雑費  21万2000円

106日(入院日数)×2000円=21万2000円

(ウ) 入院慰謝料  250万0000円

(エ) 逸失利益  3682万4480円

原告Aの本件事故前の年収は,392万円であるところ,本件手術後の原告Aには,左片麻痺と精神障害の後遺症が残っており,これは,後遺障害別等級表・労働能力喪失率別表第1の第1級1神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,常に介護を要するものに該当し,労働能力喪失率100%であり,症状固定時(9月11日)から67歳までの13年間(ライプニッツ係数9.394)の稼働が可能であることから,逸失利益は次式により算出される。

392万円×9.394=3682万4480円

(オ) 後遺障害慰謝料  3000万0000円

(カ) 住宅ローン  2200万0000円

(キ) 家賃収入  1872万0000円

(ク) 介護費用  2572万1550円

原告Aが,被告病院を退院した11月12日時点の平均余命は25年(ライプニッツ係数14.094)であり,その間,原告Bと原告Cの介護を要し,1日の介護費を5000円とすると,介護費用は次式により算出される。

5000円×365日×14.094=2572万1550円

(ケ) 証拠保全費用  70万0000円

(コ) 説明義務違反による慰謝料  1000万0000円

(サ) 安全管理義務違反による慰謝料  1000万0000円

(シ) 弁護士費用  1700万0000円

イ 原告Bの損害  1000万0000円

原告Aが受傷したため,原告Bが受けた精神的損害に対する慰謝料は1000万円を下らない。

ウ 原告Cの損害  500万0000円

原告Aが受傷したため,原告Cが受けた精神的損害に対する慰謝料は500万円を下らない。

(被告の主張)

争う。

第3争点に対する判断

1  診療経過等

前記前提となる事実並びに証拠(甲A2,A6,B1,乙A1,A2,A5の1,A7,A8,原告C,証人F,証人E)及び弁論の全趣旨によれば,本件の診療経過等について,次の事実が認められる。

(1)  原告Aは,6月25日,左片麻痺に気付き,同月28日,被告病院を受診した。被告病院のE医師は,原告Aを診察し,その際,原告Aは,頭痛,左半身の麻痺,口角左によだれがあるなどと訴えた(乙A1の5頁,A2の3頁,A8)。

同日,原告Aに対し,平衡機能検査,簡易聴力検査,精密眼底検査(両側),神経心理検査(操作の容易なもの),MRI検査(T2),脳入検査一式が行われた(乙A1の6頁)。

この検査の結果,原告Aに右脳梗塞,椎骨脳底動脈循環不全及び頚椎症に加え,血圧205/120,215/119と既往歴である高血圧症等が認められたことから,翌29日,原告Aは,被告病院に入院することになった(乙A1の4ないし7頁,A2の1頁,A8)。

(2)  同月29日,原告Aは,被告病院に入院した(乙A2の1,32頁)。

同日,原告Aに対し,MRI検査,MRA検査が行われた(乙A2の9頁,A5の1)。

(3)  同月30日,心エコー検査が行われた(乙A2の9頁,A7)。F医師は,MRI検査,MRA検査等の結果,右脳室周囲梗塞であること,前交通動脈に本件動脈瘤があることが認められたため,原告Aらに対し,翌7月1日に脳梗塞等について説明を行うこととした。また,F医師は,同日の診察記録に「月末OP?」と記載した(乙A2の5頁,A7)。

(4)ア  7月1日,F医師は,原告A及び原告Bに対し,原告Aに発症した脳梗塞及び本件動脈瘤等について説明した(乙A2の5,31頁,A7,証人F)。

具体的には,F医師は,原告Aに脳梗塞が認められ,その症状は比較的軽いと考えられること,前交通動脈に5mm程度の未破裂脳動脈瘤(本件動脈瘤)が認められたことについて説明した。そして,F医師は,未破裂脳動脈瘤は,放っておくと,くも膜下出血になる危険性があり,一般的に脳動脈瘤の最大径が5mm前後より大きく,年齢が65歳以下で,その他の条件が治療を妨げない場合は手術的治療が勧められること,脳梗塞などによって未破裂脳動脈瘤が発見された場合の方が手術合併率が高くなり,原告Aはそれに該当することなどを説明した。また,F医師は,治療方法としては,クリッピング術と血管内治療があるが,本件動脈瘤の位置や形状などからすると,血管内治療は適さないこと,手術合併のリスクは1%から5%であり,そのうち生命にかかわるような問題が発生するリスクや日常の生活に介護を要するような重篤な後遺症が残るリスクがおよそ1%,感染するリスクや嗅覚がなくなるなどの軽度の障害が残るリスクまで含めるとおよそ5%となること,脳梗塞発症後1か月は手術しない方がよいので様子を見ることなどを説明した。

イ  原告らは,F医師は,本件手術のリスクについて,大丈夫,臭覚がなくなる程度であり,脳梗塞の影響もないと説明し,また,血管内治療など他の治療方法等についての説明がなかった旨主張し,原告Bもこれに沿う供述をする。

しかしながら,同日のF医師による原告Aらへの説明に立ち会った看護師が,その面談の要点として診療録に,「クリップor血管内ope,この場所は,血管内opeにてきさない場所です」と記載したことが認められることからすれば(乙A2の31頁,証人F),F医師がクリッピング術以外の治療方法について説明しなかったという原告Bの供述は採用することはできない。

また,7月29日にF医師は,原告Aらに対する本件手術についての説明内容として,「infarction(訳:脳梗塞)など1%,その他 risk 5%→同意」と記載したことからすれば(乙A3の7頁),同日,F医師は,本件手術の危険性として脳梗塞を挙げて説明し,原告Aが本件手術に同意したことが認められるところ,その前の7月1日に,においがなくなる程度のリスクしかないと説明されていたにもかかわらず,手術の2日前の同月29日に脳梗塞のリスクがあると説明されて,原告A及び原告Bが異議を述べることなく同意することや,後日,1%という具体的数字を挙げて脳梗塞のリスクを説明したF医師が,7月1日には,1から5,あっても10%などと手術の危険率の数字を挙げながら,あえてにおいがなくなる程度のリスクしかないとの説明を行うことは考え難く,においがなくなる程度のリスクの説明しかなかったという原告Bの供述は採用できない。

ウ  さらに,原告Bは,F医師に対し,脳梗塞の影響について聞いたら,「大丈夫」と答えたと供述しているけれども(甲A5),『脳ドックガイドライン』(甲B2の添付文献5)によれば(後記2(3)参照),虚血性脳血管障害が合併する場合は手術のリスクファクターであるとされていること,同日の診療録には(乙A2の31頁),F医師の説明内容として,脳梗塞発症後1か月は手術しない方がよいので様子みるとの記載があることからすれば,当時,100例程度の脳動脈瘤に対する手術経験を有していたF医師は(証人F),脳梗塞の合併が手術リスクに影響し得ることについて当然認識していたものと推認されるところ,脳梗塞の影響について聞かれたにもかかわらず,全く問題がないかのような発言をするとは考え難く,脳梗塞の手術への影響という話題が出た以上,手術リスクに影響する旨の説明はあったもの推認され,これに反する原告Bの供述は採用できない。

エ  また,原告らは,F医師は,7月1日の説明が行われる前日のカルテに「月末OP?」と記載したことから,同日の時点でF医師は,既に手術をする前提であり,そのことが手術のリスクや他の選択肢等について説明がなかったことを証明するものであるなどと主張する。

しかしながら,診療録の記載では「月末OP?」と疑問符が付されていること,『脳ドックガイドライン』(甲B2の添付文献5)によれば(後記2(4)参照),一般的に脳動脈瘤の最大径が5mm前後より大きく,年齢がほぼ70歳以下で,その他の条件が治療を妨げない場合は手術的治療が勧められるとされていることからすれば,F医師が,本件は手術が勧められるケースであり,手術をすることを想定していた可能性はあるものの,手術以外の選択肢がないという趣旨で「月末OP?」と記載したとは考え難く,かかる診療録の記載があることをもって,F医師が手術のリスク等について説明しなかったものと認めることはできない。

(5)  同月7日,原告Aの症状が軽快したため,原告Aは,被告病院を一時退院した(乙A1の21,22頁,A2の1,35頁)。なお,原告Aは,同月23日に再入院し,同月27日に本件動脈瘤に対する手術を受ける予定であったが,被告病院の都合により,同月28日に入院し,同月30日に手術を行う予定に変更された(乙A2の12,35頁,A7)。

(6)  同月28日,原告Aは,本件動脈瘤に対する手術目的で入院した(乙A3の4頁)。

F医師は,原告A,原告B及び原告Cに対し,くも膜下出血の自然経過や,未破裂脳動脈瘤の年間破裂率が1%から2%であることなどを説明し,脳血管撮影検査,三次元CT血管撮影検査の必要性と危険性について説明し,これらの検査施行について,原告Aの同意を得た(甲A6,乙A3の6,163頁,A7,原告C)。

なお,原告Bは,未破裂脳動脈瘤の破裂率についての説明は受けていない旨供述するけれども,同日の診察記録に「ムンテラ」と記載され,脳動脈瘤の破裂率を1から2%と記載されていることからすれば(乙A3の6頁),破裂率に関する説明はあったというべきであり,これに反する原告Bの供述は採用できない。

同日,原告Aに対し,三次元CT血管撮影検査が行われた(乙A3の26頁)。

(7)ア  同月29日,原告Aに対し,脳血管撮影検査が行われた(乙A3の6頁)。脳血管撮影検査等の結果,本件動脈瘤の径が8mmであり,その他に径が2mmの右中大脳動脈瘤と,径が5mmの右前大脳動脈瘤があることが認められた。また,F医師は,左経シルビウス裂アプローチで本件手術を行うこととした(乙A3の6,7頁)。

また,F医師は,原告A及び原告Bに対し,術前説明を行い,同日,原告Aは,手術同意書に署名した(乙A3の6,7,106頁,A7,証人F)。この手術同意書には,「脳血管外科手術では術中術後の出血や梗塞の可能性があります。麻痺など重篤な後遺症が残る可能性は1%未満です」と記載されている。

同日の術前説明において,F医師は,原告Aには脳動脈瘤が3つ認められ,中大脳動脈,前交通動脈,前大脳動脈に一つずつ発見されたこと,中大脳動脈瘤は大きさが2mm,前大脳動脈瘤は5mm,前交通動脈瘤(本件動脈瘤)は8mm程度であること,本件動脈瘤は形が不整形なものであり,脳血管(左右の前大脳動脈水平部(A1)と垂直部(A2))の陰になるような形で裏側に位置するため手術は比較的困難であること,できれば右中大脳動脈瘤と本件動脈瘤をクリッピングしたいが,左経シルビウス裂からのプテリオナルアプローチにより本件動脈瘤をクリッピングする予定であることなどについて説明するとともに,直回といわれる前頭葉の一部を若干吸引する必要があること,脳梗塞などの重大な合併症が生じる可能性が1%,その他のリスクを含めると5%程度であることなどを説明した。

イ  原告らは,F医師は,本件手術のリスクについて説明していない旨主張し,原告B及び原告Cもこれに沿う供述をする。

しかしながら,同日,F医師は,原告Aらに対する本件手術についての説明内容として,「infarction(訳:脳梗塞)など1%,その他 risk 5%→同意」と診療録に記載したこと(乙A3の7頁),前記のとおり,同日付けで原告Aが署名した手術同意書には,「脳血管外科手術では術中術後の出血や梗塞の可能性があります。麻痺など重篤な後遺症が残る可能性は1%未満です」と記載されていることからすれば,本件手術のリスクについての説明がなかったという原告B及び原告Cの供述は採用できず,同日に記載された診療録の記載等からすれば,前記のとおり,数値を挙げたリスクの説明があったというべきである。

ウ  また,原告Bは,本件動脈瘤のある位置や血管との位置関係,手術が比較的困難であることなどについての説明もなかった旨供述するけれども,原告Bは,「血管4本に隠れてるんではなく,形のいびつと後ろに倒れている。ただ,前に4本というか,こういうふうに血管があるんでっていうふうな説明は受けています」と供述していること,原告Cの陳述書(甲A6)にも,「表面がいびつで,形も後ろの方に倒れている感じです。前に4本の血管があるので見えにくい」と記載されていることからすれば,脳血管(左右の前大脳動脈水平部(A1)と垂直部(A2))の陰になるような形で裏側に位置することなど本件動脈瘤と血管との位置関係等について説明があったものと認められ,これに反する原告Bの供述は採用できない。また,このように,本件動脈瘤が不整形であることや,本件動脈瘤が血管の裏側にあることなど手術が困難であることを基礎づける事実をあえて説明したことからすれば,本件手術が比較的困難である旨の説明があったと推認され,これに反する原告Bの供述は採用できない。

(8)ア  同月30日,F医師は,原告A及び原告Bに対し,直回といわれる前頭葉の一部を若干吸引する必要があること,脳梗塞などの重大な合併症が生じる可能性が1%,その他のリスクを含めると5%程度であること,前日の説明では左からのアプローチにより行うと説明したが,本日のカンファレンスにおいて,右からのプテリオナルアプローチで行うことにしたことなどを説明した(乙A3の7頁,A7,A8,証人F)。

なお,原告らは,本件手術当日にはF医師から説明自体を受けていない旨主張し,原告Bはその旨陳述し,供述する(甲A5)。

しかしながら,原告Bは,「左から開頭すると言ったが右からする」との説明を受けたと供述しているところ(甲A5),診療録の記載等からすれば,左からのプテリオナルアプローチが右からのプテリオナルアプローチに変更されたのは本件手術当日である7月30日であることが認められ(乙A3の7頁,A7,A8),そうであれば,右からのアプローチに変更した旨の説明を受け得るのは本件手術当日しかないというべきであり,本件手術当日にF医師から説明を受けていない旨の原告Bの供述等は採用できない。

イ  同日,原告Aに対し,本件手術が施行された。

本件手術は,F医師及びE医師が担当した。本件手術では,前交通動脈裏に本件動脈瘤があり,ホイブナー動脈周囲を剥離し,頚部を露出させ,その後,E医師が,左右の前大脳動脈垂直部(A2)及び前交通動脈から本件動脈瘤を剥離していたところ,本件動脈瘤が破裂した。本件動脈瘤が破裂した後,テンポラリークリップが使用され,有窓クリップにより,前交通動脈の本件動脈瘤がクリッピングされた。その後,F医師は,右中大脳動脈右前側動脈瘤にクリッピングを行い,通常どおり,閉頭した(乙A3の7,8,111頁,A7,A8,証人F,証人E)。

(9)  同月31日,原告Aに対し,CT検査が行われ,その結果,右前頭葉に低吸収域が認められた。原告Aの意識は,ジャパンコーマスケールⅠ-1点であり,前頭葉症状が認められた(乙A3の9頁)。

(10)  8月2日,原告Aに対し,MRI検査が行われた(乙A3の10,29頁)。

(11)  同月3日,F医師は,MRI検査の結果,右大脳半球にまだらに脳梗塞があり,脳梁(膝部)に脳梗塞があると判断した。F医師は,術中,術後の虚血の影響を疑い,膝部は,前交通動脈の穿通枝動脈が原因であろうと考え,点滴,高圧酸素,リハビリテーションで経過観察をすることとし,その旨,原告Bらに対して,説明した(乙A3の10,11頁)。

(12)  同月4日,原告Aの意識は,ジャパンコーマスケールⅠ-2点であり,左片麻痺は改善傾向にあった。F医師は,リハビリテーションで経過観察とした(乙A3の11頁)

(13)  同月6日,F医師は,原告Bに対し,原告Aの症状について,前交通動脈,穿通枝動脈の脳梗塞,脳梁の脳梗塞,右大脳半球の脳梗塞があると説明し,記憶障害については経過観察とし,左片麻痺についてはリハビリテーションを行う旨説明した(乙A3の13頁)。

(14)  同月8日,原告Aは,疾患に関連した意識障害が甚だしく,常時,危険行動が認められた。G看護師は,被告病院の入院診療録の「フォーカスチャーティング」に「目の行き届きにくい夜間も行動活発であるため,日中の活動を促し,必要時医師の指示による睡眠剤を使用している。転落・転倒のリスクは非常に高いため今後も注意必要と考えられる」と記載した(乙A3の167頁)。

(15)  同月9日,原告Aに異常行動があり,甲状腺刺激ホルモン下降,脳脊髄液貯留が認められた(乙A3の14頁)。

(16)  同月10日,原告Aにせん妄が認められた(乙A3の15頁)。

(17)  同月17日,原告Aの精神症状が継続していることが認められた(乙A3の17頁)。

(18)  同月22日,H看護師は,入院診療録の「フォーカスチャーティング」に「セグフィックスや車いす安全帯は継続使用中。以前よりも,暴言・物をなげる等の行為は減ったが,時折見られることもあり。依然継続してみていく必要あり。プラン続行とする」と記載した(乙A3の173頁)。

(19)  9月5日,原告Aは,セグフィックス(腹部用ベルト)使用中であったが,器用に起き上がり,ぶつぶつと独り言を言いながら,シーツを引っ張ったり,カーテンを開閉し,また,脱いだ服を振り回したりした(甲B1,乙A3の183頁,弁論の全趣旨)。

(20)  同月7日午前1時30分ころ,原告Aは,腹部用ベルトをすり抜け,起きたり,寝たりを繰り返した。原告Aに腹部用ベルトを再度装着し,その後,原告Aは入眠した(乙A3の183,184頁,弁論の全趣旨)。

同日の日中,原告Aは,車いす上で過ごした。表情は穏やかで,機嫌は良かった(乙A3の184頁)。

同日午後5時45分ころ,原告Aは,自力で腹部用ベルトやテーブルを外して立ち上がり,ステーション内のフローシートやテプラの器械や書類を投げ,制止しようとする看護師を殴ろうとした。約3分程度すると,原告Aは,何事もなかったように落ち着いた(乙A3の184頁,弁論の全趣旨)。

(21)  同月9日,原告Aは,全裸となり,腹部用ベルトからすり抜けて寝ていたので,腹部用ベルトを再度装着した(乙A3の185頁,弁論の全趣旨)。

(22)  同月10日,午後11時ころまで,原告Aはステーション内で過ごし,眠前薬内服し,一度ベッドで横になるが,「ここじゃ眠れない」と述べ,他の病室から新館まで突進様に歩き出した。原告Aは,注意する声にも反応せず,目は半閉眼で,眠そうな様子だが,車いす,ベッド柵を持ち上げたりと動きが止まらなかった。その後,エレベーターホールへベッドを移動し,原告Aに腹部用ベルトを装着した(乙A3の187頁,弁論の全趣旨)。

(23)  同月11日,被告病院の看護師は,入院診療録の「フォーカスチャーティング」に「消灯後半開眼のまま,徘徊したり,日中車いす乗車中も車いすを持ち上げたりと行動落ち着かず,転倒みられている。本日より内服減量したこともあり,今後も厳重な観察が必要となる」と記載した(乙A3の188頁)。

(24)  同月17日午後7時30分ころ,原告Aに対して腹部用ベルトが装着され,ベッドに移動した。

午後10時30分ころ,看護師が物音がしたため,訪室したところ,原告Aがベッドシーツとセグフィックス(腹部用ベルト)に足を絡めて,ベッド柵に膝を乗せた状態で仰向けに倒れているところを発見された。原告Aは,看護師に対し,「どうした?」と聞き,看護師が原告Aに状況を確認すると,「悪いやつらに追いかけられた」と述べた。入眠前に装着したセグフィックス(腹部用ベルト)が,足先に絡んでおり,また,シーツも膝から下に少し絡んでいる状態であった。頭部を打ったことについて,原告Aは,「頭がぐにゃっと言った」と述べた。その後,当直医にドクターコールがされ,原告Aに対し,CT撮影が行われたが,CT上異常所見はなかった(甲A2,乙A3の195頁,弁論の全趣旨)。

午後11時ころ,原告Aは,セグフィックス(腹部用ベルト)をすり抜け,ベッド柵を乗り越え,405室に入室し,他の患者の布団をはぎ,全裸でベッドサイドを徘徊した(乙A3の195頁,弁論の全趣旨)。

(25)  同月24日午前11時ころ,原告Aは,院外を歩いているところを発見された(乙A3の202頁)。

(26)  同月26日,原告Aは,1時間の間に3度離棟した(乙A3の205頁)。

(27)  同月27日,F医師は,原告Bに対し,原告Aの症状について,向精神薬がなくても落ち着いてはいるが,徘徊がひどいことなどを説明した(乙A3の20頁)。また,F医師は,同日の入院診療録に,以前より外での刺激,外泊,外出などを勧めているが,家族の協力がない旨記載した(乙A3の21頁)。

(28)  11月12日,原告Aは,被告病院を退院した(乙A3の23頁)。

2  医学的知見

証拠(甲B2ないしB5,乙B1,B4)によれば,未破裂脳動脈瘤及びこれに対する治療等について,以下の医学的知見が認められる。

(1)  未破裂脳動脈瘤及びその治療方法について

未破裂脳動脈瘤自体は,無症状のことが多いが,動脈瘤が前兆なく突然破裂し,くも膜下出血を起こすことがある。くも膜下出血が生じた場合,約30%から50%が死亡したり,重篤な後遺症を残すことがある(甲B4,『脳神経外科学大系 15 インフォームドコンセント』(乙B4の添付文献))。

未破裂脳動脈瘤の破裂を予防する方法としては,開頭術によるクリッピング術と,血管内手術によるコイル塞栓術がある。開頭クリッピング術とは,全身麻酔下で,皮膚切開で開頭し,未破裂脳動脈瘤の根元にクリップをかける手術である。コイル塞栓術は,局所麻酔下で鼠径部の動脈からカテーテルを挿入し,極細のものを頭蓋内まで入れ,金属コイルで未破裂脳動脈瘤を詰めてしまう方法である。

どちらを選択するかは,脳動脈瘤の発生部位や,形,その他要因を総合的に判断して決定される(乙B1,前掲『脳神経外科学大系 15 インフォームドコンセント』(乙B4の添付文献))。

なお,NTT東日本関東病院のウェブページには(甲B5),「未破裂脳動脈瘤の破裂を防ぐ方法としては,開頭手術で瘤をつぶす方法(クリッピング術)とカテーテル法で瘤を中から詰める血管内治療(コイリング)の2つがあります。いずれの方法も100%安全というわけではないので,瘤の位置や大きさによって適切な治療法を選択するわけです。当院では開頭手術クリッピングを主に行っております」と掲載され,クリッピングに適した脳動脈瘤としては,中大脳動脈瘤,内頚動脈瘤,前交通動脈瘤,ネックの幅が広いもの,比較的大きいもの,内部に血栓を伴うような瘤等が挙げられている。

また,前掲『脳神経外科学大系 15 インフォームドコンセント』(乙B4の添付文献)には,「開頭クリッピング術が困難な場所で,動脈瘤の形状が適当(頸部が狭い状態)であれば,血管内手術によるコイル塞栓術をお勧めする場合があります」と記載されている。

(2)  未破裂脳動脈瘤の破裂率等について

ア 1998(平成10)年,未破裂脳動脈瘤国際共同研究(ISUIA)の後向き(retrospective)症候群の観察で,くも膜下出血に合併しない群(group Ⅰ)で10mm未満の病変の年間破裂率が0.05%であると報告された。しかし,この研究は多くの欠点があり,本ガイドラインの参考資料とするのは不適当であるとされている(『脳ドックのガイドライン』(2003(平成15)年9月発行。甲B2の添付文献5))。

そこで,本邦における未破裂脳動脈瘤の治療方針決定のため,我が国における未破裂脳動脈瘤の自然経過及び診療の実態を,独自に把握する必要があると考えられ,日本脳神経外科学会が主体となり,本邦における未破裂脳動脈瘤の自然歴及び治療の危険性の把握,大規模なデータバンクを構成することを目標として,UCASJapan(日本未破裂脳動脈瘤悉皆調査)が構成され,進行している(UCASJapan Study Group「日本未破裂脳動脈瘤悉皆調査(UCASJapan)の現況:中間報告Ⅱ」『脳神経外科ジャーナル』第12巻第3号(2003(平成15)年3月20日発行。甲B2の添付文献4))。

UCASJapanの中間発表によれば,全体としての破裂率は年間0.7%(95%信頼区間0.4-1.1)で,5mm以上の病変では年間1.1%(0.8-1.8%/年)であった(前掲『脳ドックのガイドライン』(甲B2の添付文献5))。

なお,UCASJapanの最終的な結果は,2006(平成18)年度の調査終了後となる(前掲「日本未破裂脳動脈瘤悉皆調査(UCASJapan)の現況:中間報告Ⅱ」(甲B2の添付文献4))。

イ 前掲『脳ドックのガイドライン』(甲B2の添付文献5)には,「現在,無症候性未破裂脳動脈瘤の破裂率に関してエビデンスレベルの高い文献は存在しない」,「文献からは,無症候性未破裂脳動脈瘤全体としての破裂のリスクは年間0.5%から1.9%であり,およそ1%と推定される」などと記載されている。

また,同文献には,「個々の脳動脈瘤の破裂のしやすさには,脳動脈瘤の大きさ,形,部位,多発性,患者の年齢,性別,家族歴,高血圧,喫煙,生活環境,妊娠などが関与する。なかでも脳動脈瘤の大きさは重要」と記載され,札幌医科大学関連病院の破裂と未破裂脳動脈瘤の大きさの分布によると,大きい場合は高く,小さい場合は低い旨の記載がある。

なお,同文献には,「その他,多発性,家族性,年齢,喫煙,高血圧などで破裂率が高いとの報告があるが,その程度を推定する知見は十分ではない」と記載されている。

(3)  手術のリスクについて

ア 『脳神経外科 Advanced Practice 8 脳動脈瘤』(2003(平成15)年1月10日第1版発行。甲B3)には,札幌医科大学関連の24施設の治療成績について,巨大脳動脈瘤を除く3年間の未破裂脳動脈瘤1615例の血管内手術を含む手術成績を検討した結果では,死亡は4例,0.2%,重度後遺症13例,1%,軽度後遺症53例,3%という結果であったこと,結果不良例の約19%が10mm以上で,やはりサイズの大きな病変の手術リスクは高く,また10mm以上の群では21%が何らかの後遺症を発現し手術不成功となっていること,部位による治療成績の差は明らかではなかったことなどが記載されている。

また,同文献には,69歳以下の1375例の手術例のうち96%が転帰良好であったこと,70歳以上の240例の手術例のうち94%が転帰良好であったことが記載されている。

イ 近畿大学医学部脳神経外科のウェブページには(甲B4),「我々のこれまでの経験からこの開頭術による脳動脈瘤クリッピング術の成功率は95%以上と考えています」と掲載されている。

また,NTT東日本関東病院のウェブページには(甲B5),「当院では通常の未破裂動脈瘤であれば,こめかみに6センチほどのキズをつけるだけで,3時間足らずで終了できる微小開頭法を用いて手術を多くの症例で行っています。」,「過去5年間の手術成績は,巨大動脈瘤などの特殊な動脈瘤を除いた通常の動脈瘤の手術では,手術死亡は0%,後遺症が残った率は2.4%でした」と掲載されている。

ウ 前掲『脳神経外科学大系 15 インフォームドコンセント』(乙B4の添付文献)には,開頭クリッピング術について,「文献的には手術の成功率は約95%です。また,後遺症発現率が約4%,死亡率が0から1%です。合併症としては,①手術中・手術後の頭蓋内出血・脳梗塞,手術による脳挫傷,②手術部位の感染,③全身麻酔のリスクなどがあり,一過性のものから運動障害や感覚障害,意識障害が残ることも(場合によっては死亡することも)あります」と記載されている。

また,同文献には,コイル塞栓術について,「手術による合併症のリスクは開頭クリッピング術とほぼ同じ程度です」と記載されている。

エ 前掲『脳ドックのガイドライン』(甲B2の添付文献5)には,手術のリスクについて,以下のような記載がある。

(ア) 無症候性未破裂脳動脈瘤に対する開頭術のリスクに関してもエビデンスレベルの高い論文はない。

(イ) ISUIAでの成績は平均年齢50歳代の group Ⅰの1か月後の手術死亡率が2.3%,1.8%,後遺症を含めると17.5%,13.7%であった。この成績は術後の高次脳機能を評価していることが特徴であるが,手術症例の多くが15mm以上の病変であること,症候性の症例が多いことなどから,我が国の無症候性未破裂脳動脈瘤の手術成績の参考とするのは不適当である。

(ウ) 我が国の発表から無症候性未破裂脳動脈瘤の手術成績を見ると,小野らの39例では死亡はなく軽度後遺症1例,塩川らの1992(平成4)年以降の108例では死亡はなく合併症は4.6%,鈴木らの34例では死亡はなく合併症5.9%,安井らの200例では死亡はなく後遺症は5%,奥山らの410例では死亡はなく合併症は6.8%,滝沢らの123例では死亡1例,後遺症2.4%などの報告がある。札幌医科大学関連24施設の未破裂脳動脈瘤1615例の手術成績を検討した結果では,死亡0.2%,後遺症4%という結果であった。これらの数値より無症候性未破裂脳動脈瘤の開頭手術成績は全体として死亡は1%以下,後遺症はおよそ5%程度と推定される。

(エ) 未破裂脳動脈瘤の手術のリスクにかかわる要因としては脳動脈瘤の大きさ,部位,年齢,虚血性脳血管障害の存在などが挙げられる。脳動脈瘤のサイズが大きくなるとともに手術が困難となりリスクも高くなる。一般に大きさが10mmまでの病変では手術成績にさほど影響を与えないが,10mmを超える病変ではリスクは高くなる。Solomon らの結果では無症候性の場合10mm未満では合併症はなかったが,10-25mmでは6%であったと記載されている。

部位に関しては,一般的に椎骨脳底動脈系の手術が困難とされているが,Rice らの報告では,12mm以下の116例では97%は結果良好で,前頭蓋窩の病変と差はなく,King らの無症候性未破裂脳動脈瘤の集計では部位による差は明らかではない。

開頭手術によるリスクは年齢とともに高くなることは当然予測されるが,血管内手術を含めて,暦年齢がどの程度治療リスクを増すかの検討が必要である。

虚血性脳血管障害が合併する場合,開頭術の成績が不良であることは1980年代後半から90年代前半にかけて我が国で大きな問題となった。しかし,最近ではこの点に関する対策が進歩し,手術成績は改善されているように見える。しかし,なおリスク・ファクターである点には変わりなく,開頭術の検討に際しては虚血性脳血管障害の有無の検討が必要である。

(4)  前掲『脳ドックのガイドライン』(甲B2の添付文献5)には,無症候性未破裂脳動脈瘤について,以下の記載がある。

ア 未破裂脳動脈瘤が発見された場合は,その医学的情報について正確かつ詳細なインフォームド・コンセントが必要である。

インフォームド・コンセントは医師との面談による。伝えるべき情報の骨子は,推定される将来の破裂の危険,破裂した場合に予測される予後,実施可能な積極的治療法の種類と現時点での治療の成功と合併症の可能性などであるが,それらはできる限り,個々の患者及び治療を行う施設固有の情報であることが望ましい。

イ 脳動脈瘤が硬膜内にある場合は,原則として手術的治療(開頭術又は血管内手術)を検討する。

手術的治療(血管内手術を含む)を勧めるに際しては,基本的には手術による破裂予防効果が手術のリスクを上回ることが前提となるが,現在のところ特定の患者の特定の脳動脈瘤についてそれらを高い精度で推定するための情報は十分ではない。

ウ 一般的に脳動脈瘤の最大径が5mm前後より大きく,年齢がほぼ70歳以下で,その他の条件が治療を妨げない場合は手術的治療が勧められ,ことに10mm前後より大きい病変には強く勧められるが,3,4mmの病変,また70歳以上の場合にも,脳動脈瘤の大きさ,形,部位,手術のリスク,患者の平均余命などを考慮して個別的に判断する。

3  争点(1)(本件手術中に本件動脈瘤を破裂させた過失の有無)について

前記1(8)イのとおり,本件手術において,E医師が前交通動脈等から本件動脈瘤を剥離していたところ,本件動脈瘤が破裂したことが認められ,原告らは,この破裂について,被告病院の医師らに過失があった旨主張する。

そこで,被告病院の医師らに,本件動脈瘤を破裂させた過失があったか否かについて検討する。

(1)  乙B4(I医師の意見書)によれば,「脳動脈瘤の術中破裂は破裂例でより多く経験されるが,未破裂例でも時々経験される」とされ,乙B6(調停委員J医師の意見書)によれば,「動脈瘤は組織構造的に動脈壁三層構造のうち中膜を欠くため,日常生活中の自然破裂によりくも膜下出血を生じる。それ故に動脈瘤近傍を標準的な手技にて丁寧に操作していても動脈瘤破裂が生じることは決して希ではない」とされていることからすれば,本件手術中に本件動脈瘤が破裂したことをもって,直ちに被告病院の医師らに過失があったということはできない。

(2)  原告らは,被告病院の医師らは本件動脈瘤の壁が薄いことを認識できたこと,被告病院の医師らが不用意に力を加えたこと,本件動脈瘤は上方からクリッピングを行うことが不可能であるのに上方からクリッピングを行おうとしたこと,本件のように視野が狭くなっているところで剥離を行うのは危険な手技であることなどを根拠として,被告病院の医師らには,本件動脈瘤を破裂させた過失がある旨主張する。

しかしながら,本件手術の映像(甲A1,乙A4)を参考資料として作成されたI医師の意見書では(乙B4),本件手術中の手技に不適切な点はないとされていること,J医師は,本件手術中の映像(乙A4)によると,本件動脈瘤の破裂は,剥離子を手前に動かした時に生じていることが確認でき,この操作において剥離子先端は本件動脈瘤側壁を押していないし,挿し込んでもいない,動脈瘤近傍の手術操作としては標準的な手術手技レベルを示しており,特に拙劣であるとか乱暴であるとかの印象は受けないとの意見を述べていること(乙B6)からすれば,本件動脈瘤が破裂したことについて,被告病院の医師らに医療水準を逸脱した手技の誤りがあったということはできない。

なお,甲B2(K医師の意見書)には,最も問題は術中に本件動脈瘤が破裂していることであると指摘されているけれども,同意見書には,本件動脈瘤破裂に関する被告病院の医師の手技に過誤があったという指摘はなく,その他本件動脈瘤の破裂について,被告病院の医師らの手技に過誤があったと認めるに足りる証拠はない。

(3)  また,原告らは,本件動脈瘤が露出した段階で血圧を下げなかったこと,本件動脈瘤が不整形等であるにもかかわらず,トラッピングやラッピングを行わなかったことなどを根拠として,被告病院の医師らには過失がある旨主張する。

証拠によれば(乙A3の114頁),本件動脈瘤が破裂する直前の午後1時15分から30分ころの間に,F医師及びE医師が,血圧を低下させるよう指示したことや,本件動脈瘤が破裂する前に親動脈をテンポラリークリップで遮断したという事実は認められない。

しかしながら,本件では,E医師は,親動脈遮断後,動脈瘤の壁を故意に破って動脈瘤の緊張度を和らげて充分な剥離を行った上で,ネッククリッピングを行おうとしていたところ,思っていた以上に本件動脈瘤の壁が薄く,親動脈の遮断や血圧低下指示を行う前に本件動脈瘤が破裂したことが認められる(乙A8,証人E)。

そして,乙B6(J医師の意見書)によれば,「テンポラリークリップや低血圧麻酔管理は術中破裂を予防する手段として知られているところであるが,脳血流確保の点からは好ましくない。そのためテンポラリークリップや低血圧麻酔管理の持続は短時間であることが望ましく,また開始時期は早からず遅からずが望ましいところであるが,タイミングの判断は一概に定められるものではなく,要は手術進行に応じて状況を総合的に判断することになり術者の裁量に委ねられるところである。本件動脈瘤においては動脈瘤の形,大きさ,親動脈との位置関係などからクリッピング操作にはある程度の時間を要することが予測されており,テンポラリークリップや低血圧麻酔管理が徒に長時間にわたることのないようそれらの方法を開始するタイミングは大変に難しかったであろうことは十分に推測される」とされていることからすれば,前記のとおり,不意に本件動脈瘤が破裂したため,結果的に本件動脈瘤の破裂前に親動脈の遮断や血圧低下指示が行えなかったことをもって,被告病院の医師らに医療水準を逸脱した過誤があったということはできない。

(4)  以上のとおり,本件手術中に本件動脈瘤が破裂したことが認められるけれども,本件動脈瘤が破裂したことについて,被告病院の医師らに原告ら主張の過失があったということはできない。

4  争点(2)(本件動脈瘤破裂後のクリップ操作についての過失の有無)について

前記1(8)イのとおり,本件動脈瘤が破裂した後,テンポラリークリップが使用されたことが認められ,原告らは,本件動脈瘤破裂後,やみくもにクリップをかけたり,外したりしたことにより,長時間にわたって血流を遮断させるなど,被告病院の医師らには,クリップ操作について過失がある旨主張する。

そこで,本件動脈瘤破裂後の被告病院の医師らによるクリップ操作に過失があったといえるか否かについて検討する。

(1)  甲B6によれば,中大脳動脈吻合術において,血流遮断時間34分にて,術後脳梗塞を合併した症例があったことが認められるところ,証人Eも,テンポラリークリップを利用した場合に何分以上すると脳に悪い症状が生じるかという質問に対し,個人差があるとしつつ,テンポラリークリップで4本(左右A1,左右A2)遮断した場合には,5分から10分おきに開くと証言していることからすれば,長時間血流が遮断された場合には脳梗塞等が生じる可能性があるものと認められ,テンポラリークリップを使用する医師は,無用にテンポラリークリップを使用することを避けるなど,血流遮断時間がいたずらに長時間とならないよう配慮する必要があるというべきである。

(2)  本件では,本件動脈瘤の破裂後,右A1(前大脳動脈)に対しては,テンポラリークリップが4回かけられ,最長27分程度テンポラリークリップがかけられていたこと,左A1(前大脳動脈)に対しては,テンポラリークリップが2回かけられ,最長13分間程度テンポラリークリップがかけられていたこと,左右のA1に同時にテンポラリークリップがかけられていた最長時間は13分程度であること,右A2(前大脳動脈)に対しては,有窓クリップが3回かけられ,3回目にパーマネントクリップに至ったこと,右A1(前大脳動脈)に対しては,有窓クリップが2回かけられ,2回目にパーマネントクリップに至ったことが認められる(甲A8,9,B2,乙A4)。

(3)  このように,本件手術では,比較的長時間にわたってテンポラリークリップによる血流遮断がなされたり,有窓クリップのかけ直しが行われていることが認められる。

しかしながら,乙B6(J医師の意見書)によれば,本件手術中のクリップ操作について,本件動脈瘤の形,大きさ,親動脈との位置関係などから,本件手術は比較的困難な部類に属するので,クリッピング操作には時間を要し,テンポラリークリップによる親動脈の血流遮断時間が長くなることはやむを得ないことであり,動脈瘤クリップのかけ外しの回数は必然的に多くなり,クリップ操作に要する時間が長くなり,この間のテンポラリークリップのかけ外しの回数も多くならざるを得ないとされている。

また,同意見書によれば,本件手術では,テンポラリークリップの使用により破裂部位からの出血はコントロールされ術野は血の海になることが防がれており,テンポラリークリップのかけ方も動脈瘤クリッピングに際して視野の妨げにならない位置にかけられていて適切であって,テンポラリークリップを時々外してかけ替えるなどして親動脈に血流回復の機会を与え,血流遮断の影響が少なくなるよう促しているのが分かるとされている。

さらに,乙B4(I医師の意見書)によれば,本件動脈瘤破裂後のテンポラリークリップの使用等特に問題はないとされている。

J医師やI医師が上記のような意見を述べているところ,証人Eは,本件動脈瘤の破裂後は,血流遮断をしなければ,出血多量で死亡する可能性があり,本件動脈瘤の破裂が剥離をほとんど行っていない段階に起きたことから,血をきれいにしてから剥離をやらないと大事な血管を遮断するなど大変なことになる旨証言していることからすれば,本件動脈瘤破裂後に出血を抑制し,剥離作業を進めるためには,比較的長時間のテンポラリークリップの使用もやむを得ない措置であったというべきであり,本件動脈瘤破裂後の被告病院の医師らによるテンポラリークリップの操作に医療水準を逸脱した過誤があったということはできない。

また,乙B6(J医師の意見書)によれば,本件動脈瘤は手術が困難な部類に属するものであり,パーマネントクリッピングは,動脈瘤頚部に対して必要十分にかけ,親動脈には狭窄やキンキング(折れ曲がり)を生じないようにし,前交通動脈やA1からの穿通枝動脈・ホイブナー動脈等の血流を妨げないようにすることが肝要であり,そのためにクリップは何回かかけたり,外したりすることが多く,本件手術において,かけ外しの回数が多かったとして,手術操作が不適切であったとすることはできないとされていることからすれば,本件手術において,前記(2)のとおり,有窓クリップのかけ直しがされたことをもって,被告病院の医師らの有窓クリップの操作について,医療水準を逸脱した過誤があったということはできない。

(4)  なお,原告らは,前交通動脈の遮断には,テンポラリークリップよりも閉鎖圧の強い有窓クリップが用いられていた旨主張するけれども,乙B6(J医師の意見書)によれば,本件動脈瘤破裂後のテンポラリークリップや有窓クリップを用いたクリッピング手技に関し,前者は流入親動脈の一時的な血流遮断を目的に,後者は親動脈を窓内に納めて当該親動脈裏側に位置する動脈瘤を処置する目的に使用するものであり,この選択に誤りはないとされていることからすれば,本件手術におけるクリップの選択に誤りがあったということはできず,その他被告病院の医師らのクリップ選択に誤りがあったと認めるに足りる証拠はない。

また,原告らは,テンポラリークリップ等による血流遮断時間について正確な記録がないことなど本件手術記録の記載からすれば,本件手術に立ち会った看護師は,血流遮断時間をカウントしていたとは考えられず,やみくもにクリップ操作をするなどクリップ操作に過失があった旨主張し,K医師も(甲B2),やみくもにクリップをかけたり,外したりしたことや,テンポラリークリップにより長時間血流を遮断したことが,術後生じた脳梗塞の原因である旨指摘している。

しかしながら,本件手術記録には,テンポラリークリップがされた時間等についての記録があることが認められることからすれば(乙A3の114頁),看護師がクリップ操作時間を全くカウントしていなかったとは言い難く,原告らの主張はその前提を欠いており,また,前記(3)のとおり,本件手術においては,比較的長時間のテンポラリークリップもやむを得ない措置であったというべきであるから,被告病院の医師らが,やみくもにテンポラリークリップ等を使用したということもできない。

5  争点(3)(本件手術中に手術器具の操作を誤り,右前頭葉等を損傷させた過失の有無)について

原告らは,本件手術中,被告病院の医師らが,慎重に手術器具を操作する義務を怠り,原告Aの右前頭葉脳表等を損傷させ,脳挫傷を生じさせた過失がある旨主張するけれども,以下のとおり,原告らの主張には理由がない。

(1)  原告らは,頭蓋骨切開の際に,硬膜,右前頭葉脳表及び静脈を損傷した過失がある旨主張する。

証拠によれば(甲A1,A7の1,証人F,証人E),午前10時42分ころ,右前頭葉を包む硬膜から出血が認められ,この出血を吸引機で吸引する作業を行っていること,午前11時ころ,硬膜又は静脈からの出血を吸引機で吸引する作業を行っていることが認められる。

しかしながら,甲B2(K医師の意見書)によれば,骨や,硬膜,脳表からの小さな出血は脳の手術においてはよくあることとされ,被告病院の医師らの手技に過誤がある旨の指摘がないこと,乙B6(J医師の意見書)によれば,本件手術中,硬膜からの出血や脳表からの静脈性出血などが見られるがそれらは普通開頭手術で見られる程度のものであるとされていること,乙B4(I医師の意見書)によれば,本件手術の手技について不適切な点はないとされていることからすれば,前記のとおり,硬膜に出血が認められたことをもって,本件手術中の被告病院の医師らの手技に医療水準を逸脱した過誤があったということはできない。

なお,原告らは,頭蓋骨開頭時における本件手術時のビデオテープ(甲A1,乙A4)に映っていないところで,被告病院の医師らによる手術器具操作の誤りがあり,それにより硬膜に出血が認められたのであり,その部分の映像は抹消された旨主張するけれども,本件手術で大きな問題となり得る本件動脈瘤の破裂時の映像が残っていることからすれば(乙A4),被告病院が隠蔽等の意図をもって一部の映像を抹消したものとは認め難く,また,前記のとおり,ビデオテープの映像上,硬膜等に認められた出血等が開頭手術では通常見られる程度であることからすれば,ビデオテープに映っていないところで操作の誤りがあったという原告らの主張は採用できない。

(2)  原告らは,剥離子やはさみといった手術器具等により右前頭葉を損傷させ,前脳基底部の脳表をはさみで切って損傷させたなどと主張する。

本件手術中の午後1時46分ころや,午後1時54分ころなどに,はさみ等の手術器具操作に起因して出血があったことは認められるけれども(甲A1,A7の1,2,乙A4),乙B6(J医師の意見書)によれば,出血が見られるが,普通開頭手術で見られる程度のものであり,これらに対する処置も標準的レベルをクリアーしているとされていること,乙B4(I医師の意見書)によれば,不適切な点はないとされていることに加え,甲B2(K医師の意見書)においても,出血は多い印象を受けるとしながら,具体的な操作の誤りなどは指摘されていないことにかんがみれば,本件手術中に手術器具操作による出血が認められたことをもって,被告病院の医師らに医療水準を逸脱した手術器具操作の過誤があったということはできず,その他被告病院の医師らの手術器具操作に過誤があったと認めるに足りる証拠はない。

(3)  原告らは,被告病院の医師らには,長時間にわたって,脳ベラで脳を圧迫して損傷させた過失がある旨主張する。

確かに,証人Eは,脳ベラの圧迫時間について,「少し長め」,「少し多めといえば多め」と証言しているけれども,乙B6(J医師の意見書)によれば,脳ベラは時々かけ替えるなどして影響が少なく済むよう努力・工夫しているのが見受けられるとされていること,甲B2(K医師の意見書)においても,脳ベラの操作に誤りがある旨の指摘はされていないことからすれば,被告病院の医師らによる脳ベラの操作に医療水準を逸脱した過誤があったということはできず,その他被告病院の医師らの脳ベラ操作に過誤があったと認めるに足りる証拠はない。

6  争点(4)(説明義務違反の有無)について

(1)  医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があると解される。

前記2(3)のとおり,本件で実施された脳動脈瘤クリッピング術は,死亡や重度後遺症なども生じ得る手術であることが認められる。また,前記1(1)ないし(7)のとおり,原告Aには本件動脈瘤に起因する症状が見られなかったことから,本件動脈瘤は,無症候性の未破裂脳動脈瘤であったものと認められ,前記2(2)のとおり,無症候性の未破裂脳動脈瘤は放置しても破裂しない場合もあり,破裂しない限り,日常生活に特段の支障がないことが認められ,無症候性の未破裂脳動脈瘤に対するクリッピング術は,予防的手術であるといえる。

未破裂脳動脈瘤に対するクリッピング術が,死亡や重度後遺障害等が生じ得るものであり,予防的な手術であることにかんがみれば,クリッピング術を行おうとする医師は,患者が自らの身に行われようとするクリッピング術につき,その利害得失を理解した上で,当該療法を受けるか否かについて熟慮し,決断することができるよう,当該療法を行うことによるリスク,当該療法を行わない場合のリスク,当該療法以外の療法の選択が可能な場合には,その療法の内容と利害得失等について,具体的に説明する義務があるというべきである。

(2)  本件では,前記1(4),(6),(7),(8)アのとおり,7月1日,同月28日,同月29日及び同月30日,F医師から,原告Aらに対し,本件動脈瘤に対する本件手術等についての説明が行われたことが認められ,その際,本件動脈瘤の他に2つの脳動脈瘤があり,可能であれば3つの脳動脈瘤のうち本件動脈瘤と右中大脳動脈瘤にクリッピングを行うことなどが説明されていることから,疾患の診断や,実施予定の手術の内容等についての説明はなされているというべきである。

(3)  次に,F医師が,本件手術を行わない場合のリスクについて,必要な説明を尽くしたといえるか否かについて検討する。

ア 前記2(1),(2)の医学的知見によれば,未破裂脳動脈瘤は,破裂するとくも膜下出血を起こすことがあるとされ,未破裂脳動脈瘤の年間破裂率については,エビデンスレベルの高い文献は存在しないものの,UCASJapanの中間報告等の文献などからすると,無症候性の未破裂脳動脈瘤全体の破裂のリスクは年間0.5%から1.9%であり,およそ1%と推定され,脳動脈瘤の大きさ,形,部位,多発性,家族歴,高血圧などによって破裂率が異なり,特に脳動脈瘤の大きさは重要であって,大きい場合は破裂率が高いとされている。

イ 本件では,前記1(4),(6)のとおり,7月1日には,未破裂脳動脈瘤は放っておくとくも膜下出血になる危険性があることが説明され,同月28日には,くも膜下出血の自然経過や,未破裂脳動脈瘤の年間破裂率が1%から2%であることが説明されるなど,本件手術を行わない場合のリスクについて具体的に数値を示して説明がされていること,前記アの医学的知見に照らし,その説明内容が不正確であるということもできないことからすれば,本件手術を行わない場合のリスクについての説明はなされているというべきである。

(4)  本件手術によるリスクについて

ア 前記2(3)のとおり,前掲『脳ドックのガイドライン』(甲B2の添付文献5)には,無症候性未破裂脳動脈瘤の開頭手術成績は全体として死亡は1%以下,後遺症はおよそ5%程度と推定されると記載されていること,近畿大学医学部のウェブページでは,クリッピング術の手術成功率は95%以上とされていること,前掲『脳神経外科学大系 15 インフォームドコンセント』(乙B4の添付文献)には,文献的には手術の成功率は95%と記載されていることからすれば,無症候性の未破裂脳動脈瘤に対する開頭手術のリスク(死亡,後遺症)は,一般的には5%程度とされているものと認められる。

本件では,前記1(4),(7),(8)のとおり,7月1日には,手術により重大な後遺症が残るリスクがおよそ1%,その他の軽度の障害が残るリスクまで含めるとおよそ5%となることなどが説明され,同月29日及び30日には,脳梗塞などの重大な合併症が生じる可能性が1%,その他のリスクを含めると5%程度であることなどが説明されており,F医師による本件手術のリスクについて説明内容は,無症候性の未破裂脳動脈瘤に対する開頭手術のリスクとして一般的にいわれている数値とは矛盾しない。

イ ところで,前記2(4)の医学的知見によれば,インフォームドコンセントにおいて,伝えるべき情報の骨子は,推定される将来の破裂の危険,破裂した場合に予測される予後,実施可能な積極的治療法の種類と現時点での治療の成功と合併症の可能性などであるが,それらはできる限り,個々の患者及び治療を行う施設固有の情報であることが望ましいとされている。

そして,本件では,前記(1)のとおり,本件手術が,重篤な合併症等が生じ得る予防的な手術であることにかんがみ,原告Aが,本件手術を受けるか否かについて熟慮し,決断することがきるよう,被告病院の医師は,本件手術のリスクについて,具体的な説明をすべきであるから,その具体的な説明に当たっては,可能な限り,原告Aの症状など本件手術固有の事情をも考慮した手術リスクについて説明する必要があるというべきである。

本件では,前記1(7)のとおり,本件動脈瘤は,不整形なものであり,脳血管の陰になるような形で裏側に位置すること,本件動脈瘤と右中大脳動脈瘤の2つの脳動脈瘤に対してクリッピングを行う可能性があったこと,前記1(3)のとおり,原告Aが脳梗塞を合併していたことなどが認められる。

そこで,本件動脈瘤の位置や形,2つの脳動脈瘤に対するクリッピング術を行う可能性があったこと,原告Aの年齢,病状など本件手術固有の事情にかんがみ,原告Aに対して本件手術を行うことのリスクについて,説明義務が尽くされたといえるか否かについて検討する。

(ア) 前記2(3)の医学的知見によれば,手術合併症の発生率について,種々の文献において,数値が示されているけれども,本件証拠上,これらの文献で示された数値が,単発性の脳動脈瘤に対して行われた手術症例だけのものであると認めるに足りる証拠はなく,証拠によれば(甲B2の添付文献4),UCASJapanの患者初期登録は2979例3667個の瘤でなされ,そのうち多発性は18%であったとされていることからすれば,各種の文献で示されている手術合併率は,単発性のものに限らず,2つ以上の動脈瘤に対する手術のリスクをも含んだものである可能性が高いと考えられる。

このように,一般的なリスクとして挙げられている5%という数値は,複数の脳動脈瘤に対する手術のリスクをも含んだ数値である可能性が高いこと,本件証拠上,2つ以上の瘤に対する手術のリスクが1つの瘤に対する手術のリスクと比べてどの程度増加するのか明らかでないこと,前記2(3)のとおり,脳動脈瘤の大きさが手術のリスクに影響を与えるとされているところ,本件動脈瘤以外に本件手術のクリッピング対象とされた右中大脳動脈の動脈瘤は2mm程度と小さく,本件動脈瘤に対するクリッピングと比較してそのリスクが小さいと考えられることからすれば,本件手術が2つの脳動脈瘤に対するクリッピング術であることをもって,一般的に挙げられているリスクの値よりも本件手術のリスクが大幅に増加するとは認め難く,リスクが増加し得るとしても,その増加率を明確な数値として算出する具体的な根拠は見当たらないというべきである。

(イ) 前記2(3)の医学的知見によれば,一般に大きさが10mmまでの病変では手術成績にさほど影響を与えないが,10mmを超える病変ではリスクは高くなるとされ,Solomon らの結果では無症候性の場合10mm未満では合併症がなかったが,10-25mmでは6%であったとされていることからすれば,8mm程度の本件動脈瘤に対する手術が,一般的なクリッピング術と比較して,明らかにリスクが高いということはできない。

(ウ) 本件動脈瘤は,不整形なものであり,脳血管の陰になるような形で裏側に位置するので,F医師やE医師は,比較的困難な手術であると述べていることからすれば(乙A7,A8,証人F,証人E),不整形ではなく,血管の裏側に位置しない脳動脈瘤に対するクリッピング術と比較して本件手術が困難な手術であることは否定できないけれども,前記2(3)の医学的知見によれば,部位,形が具体的にどの程度手術リスクに影響するかは明らかとなっていない。

(エ) 前記2(3)の医学的知見によれば,虚血性脳血管障害が合併する場合は,開頭術の成績が不良であることは1980年代後半から90年代前半にかけて我が国で大きな問題となったが,最近ではこの点に関する対策が進歩し,手術成績は改善されているように見えるとしつつも,なおリスク・ファクターである点には変わりないとされているところ,原告Aが脳梗塞を合併していたことからすれば,脳梗塞を合併しないケースと比較すると手術の危険率が増加する可能性は否定できないけれども,前記2(3)の医学的知見によれば,どの程度手術リスクに影響を与えるかは明らかではない。

(オ) 以上のように,本件手術は,2つの脳動脈瘤に対してクリッピング術を行う可能性があったこと,本件動脈瘤が不整形であり,血管の裏側に位置していたこと,原告Aが脳梗塞を合併していたことにかんがみれば,本件手術のリスクは,『脳ドックのガイドライン』で推定された5%以上である可能性は否定できず,脳梗塞などの重大な合併症が生じる可能性が1%,その他のリスクを含めると5%程度であるとのF医師の説明は,本件手術のリスクをやや低めに説明しているものと考えられなくもない。

しかしながら,前記のとおり,脳動脈瘤の大きさ,部位,虚血性脳血管障害の合併などが手術リスクにどの程度の影響を与えるかについては明らかではないこと,破裂動脈瘤と未破裂動脈瘤とを合わせて1000例程度の手術経験を有する証人Eが,原告Aに手術合併症が生じる確率は,少し普通の動脈瘤よりも高いだろうと思っていた旨証言していることなどからすれば,本件手術のリスクが一般的な手術リスクの2倍以上になるなど,大幅にリスクが増加するとは認め難く,その他手術リスクが大幅に増加すると認めるに足りる証拠はない。また,本件手術は,一般的な手術と比べて多少リスクが高いといい得るとしても,どの程度リスクが高くなるかを数値で提示するための具体的な根拠がなく,その提示は困難であるというべきである。

このように,本件手術は一般的なクリッピング術と比較して困難な手術であり,手術のリスクも一般的なクリッピング術よりも高い可能性はあるけれども,大幅なリスクの増加を認めるに足りる証拠がないこと,多少のリスク増加が考えられるものの,その増加の程度などを具体的な数値で提示することが困難であること,前記2(3)のとおり,そもそも手術のリスクについてはエビデンスレベルの高い論文はないとされ,札幌医科大学脳神経外科関連の病院(死亡0.2%,重度後遺症1%,軽度後遺症3%),NTT東日本関東病院(通常の動脈瘤手術では,手術死亡0%,後遺症2.4%)など一般的にいわれている5%よりも低い危険率を報告する例もあり,手術のリスクが5%という数値自体確立されたものとも言い難く,各々の施設や条件等により異なり得るものであること,原告Aは本件手術当時54歳で高齢者とは言い難く,手術リスクが一般的なものよりも低くなる要素があることなども考慮すれば,脳梗塞などの重大な合併症が生じる可能性が1%,その他のリスクを含めると5%程度であるとのF医師の説明が,一概に誤ったものであったということはできず,その他F医師の説明が明らかに誤りであったと認めるに足りる証拠はない。

以上のとおり,F医師が本件手術のリスクとして提示した数値が,一般的にいわれている未破裂脳動脈瘤に対するクリッピング術のリスクの数値と矛盾せず,本件手術固有の事情を考慮しても,その説明が一概に誤っているとはいえないことに加え,本件では,F医師は,原告Aのように脳梗塞を合併している場合は手術合併率が高いこと(前記1(4)),本件動脈瘤は,不整形なものであり,脳血管の陰になるような形で裏側に位置するため手術は比較的困難になることなどについて説明していることからすれば(前記1(7),(8)),本件手術のリスクについての必要な説明はなされていたものというべきである。

ウ なお,原告らは,原告Aが脳梗塞や高血圧を合併していたことから,手術の危険率は,一般的な5%の2倍の10%であり,2個の動脈瘤に対する手術であるから,合計20%が本件手術の危険率である旨主張し,K医師もこれに沿う意見を述べる(甲B2)。

確かに,前記2(3)の医学的知見によれば,リスクにかかわる要因として,虚血性脳血管障害を合併する場合が挙げられているものの,1990年前半までの手術成績が不良であったことがリスク要因として挙げられている根拠であることがうかがわれ,その後,手術成績が改善していることから,前記イ(エ)のとおり,本件手術当時において,原告Aが脳梗塞を合併していたことが,本件手術のリスクにどの程度の影響を与えるものであるかは明らかではなく,危険率が一般的な手術の2倍であると認めるに足りる証拠はない。

また,前記イ(ア)のとおり,クリッピングの対象となった右中大脳動脈の動脈瘤は2mm程度と小さなものであることなどにかんがみれば,2個の動脈瘤に対する手術であるからといって,手術の危険率が2倍になるということはできず,大幅なリスクの増加があると認めるに足りる証拠はない。

したがって,本件手術の危険率が20%であるという原告らの主張は,具体的な根拠のないものであって,このような危険率を本件手術の危険率として説明する義務があったということはできない。

(5)  本件手術以外の療法等について

ア 本件では,前記1(4)のとおり,7月1日には,一般的に脳動脈瘤の最大径が5mm前後より大きく,年齢が65歳以下で,その他の条件が治療を妨げない場合は手術的治療が勧められること,手術のリスクが1ないし5%程度であること,未破裂脳動脈瘤を放置した場合にはくも膜下出血の危険性があることなどが説明されている。これらの説明がなされたことからすれば,F医師は,手術をしない選択肢があることを当然の前提として,原告Aにおいて手術するかしないかを選択できるようにするために,手術をした場合のリスクと手術をせずに放置した場合のリスクに関する情報を提供していたものというべきであり,F医師による説明が,手術をしない選択肢が存在しないかのようなものであったということはできない。

イ また,前記2(1)のとおり,未破裂脳動脈瘤の破裂を予防する方法として,開頭術によるクリッピング術と血管内手術によるコイル塞栓術があるとされているところ,本件では,前記1(4)のとおり,本件動脈瘤に対する治療方法としては,クリッピング術と血管内治療があることが説明されていることが認められ,その際,F医師は,原告Aらに対し,本件動脈瘤の位置や形状などからすると,血管内治療は適さないとの説明をしたことが認められる。

前記2(1)の医学的知見によれば,中大脳動脈及び前交通動脈の動脈瘤は開頭クリッピング術に適したものとされ,開頭クリッピング術が困難な場所で,動脈瘤の形状が適当(頸部が狭い状態)であれば血管内手術を勧める場合があるとされているところ,証人Fは,本件動脈瘤は血管と動脈瘤の境目が広くなっているので,血管内治療の場合はコイルが出て来てしまったりするので難しい旨証言しており,本件動脈瘤は頸部が広く,これに対する血管内治療は困難であったことが認められること,本件手術の対象となった動脈瘤は,クリッピング術に適するとされている前交通動脈と右中大脳動脈の動脈瘤であることからすれば,前記1(4)のとおり,F医師が,位置や形状等から血管内治療は適さないと説明したことが不適切な説明であったということはできず,本件における他の選択可能な療法である血管内治療及びその利害得失等についての説明はなされているものというべきである。

(6)  以上のとおり,本件においては,本件手術を行わない場合のリスク,本件手術を行うことによるリスク及び本件手術以外の療法とその利害得失等について具体的な説明がなされているというべきであり,被告病院の医師らに説明義務違反があったということはできない。

7  争点(5)(安全管理義務違反の有無)について

(1)  原告らは,原告Aが何度かセグフィックス(腹部用ベルト)を抜け出すなどしていたにもかかわらず,原告Aに抜け出し防止帯を装着させなかった安全管理義務違反がある旨主張するので,以下,原告ら主張の安全管理義務違反があったといえるか否かについて検討する。

(2)  前記1(14)ないし(26)のとおり,本件手術後の8月8日,原告Aの意識障害が甚だしく,常時,危険行動が見られたこと,その後も原告Aの精神症状が継続し,暴言,物を投げるなどの行為をしたこと,9月7日,原告Aが腹部用ベルトをすり抜け,起きたり,寝たりを繰り返したこと,同日,看護師を殴ろうとしたこと,同月9日,腹部用ベルトからすり抜けて寝ていたこと,同月17日午後10時30分ころ,原告Aがベッドシーツと腹部用ベルトに足を絡めて,ベッド柵に膝を乗せた状態で仰向けになって倒れているところを発見されたこと,同日午後11時ころ,原告Aは,腹部用ベルトをすり抜け,全裸で徘徊したこと,同月24日,原告Aが院外を歩いているところを発見されたこと,同月26日,原告Aは,1時間で3度離棟したことなどが認められる。

(3)  このように,原告Aは,腹部用ベルトをすり抜けたり,外したりしたことが認められるけれども,前記のとおり,原告Aには危険行動が見られ,暴言,物を投げる,看護師を殴ろうとしたことなどが認められ,腹部用ベルトに加え,肩部調整帯,手部・脚部調整帯などを用いて抑制するなど身動きの取れない強い抑制をすれば(甲B1),原告Aが暴れるなどした場合,調整帯等により自傷する可能性も否定できないこと,強い身体拘束は人権上も問題がないとはいえないことにかんがみれば,何度か腹部用ベルトをすり抜けたことをもって,常時,腹部用ベルトに加え,肩部調整帯などを用いた強い身体拘束をしなければならないということはできない。

また,前記1(14),(18),(23)のとおり,被告病院では,原告Aに危険行動等が見られたため,転落・転倒のリスクなどに注意を払い,厳重な観察を行っており,被告病院の看護師らは,原告Aの安全管理に配慮していたことがうかがわれることからすれば,腹部ベルトに加え,肩部調整帯,手部・脚部調整帯などを用いて強い抑制をしなかったため,原告Aが腹部用ベルトをすり抜け,転倒したという結果をもって,被告病院の医師や看護師らに安全管理義務違反があったということはできず,その他被告病院の医師や看護師らに安全管理義務違反があったと認めるに足りる証拠はない。

(4)  なお,原告らは,F医師が,9月17日に原告Aがベッドから転落したことについて,「抑制帯の使用方法に不備があった」との経過報告をしたことから(甲A2),被告病院の医師や看護師らに安全管理義務違反があった旨主張する。

しかしながら,F医師は,その経過報告を法的な注意義務違反という趣旨で記載したものではなく(乙A9),また,その経過報告には,「抑制帯の使用方法には不備があったと思われ,結果的にベットからの転落につながった可能性もある」と記載され,不備があった可能性を指摘しているにとどまっていること,また,「結果的に」と記載されており,転落が起きたことを前提に事後的に判断した内容であるとうかがわれることからすれば,F医師が,上記記載のある経過報告を作成したことをもって,当時の原告Aの症状や言動などから,被告病院の医師や看護師らに,原告Aに対して,腹部ベルトのみならず,肩部調整帯や,手部・脚部調整帯を用いて強い抑制をすべきであったということはできない。

8  以上のとおりであって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浜秀樹 裁判官 松田浩養 裁判官 松井俊洋)

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