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東京地方裁判所 平成17年(ワ)4858号 判決 2006年5月29日

原告

パシフィックメディアマーケティングサービスL.L.C.

同代表者代表取締役

A・B

同訴訟代理人弁護士

小村享

被告

パシフィックメディア株式会社

同代表者代表取締役

A野太郎

同訴訟代理人弁護士

佐藤りか

岡本優

吉澤尚

主文

一  被告は、原告に対し、一三四七万五一八三円及びこれに対する平成八年一〇月一〇日から支払済みまで年六パーセントの割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、純資産調整額に関して被告が発行した約束手形(Promissory Note,以下「本件支払証書」という。)に基づいて、約定の元利金の支払を求める事案である。

一  争いのない事実等(各項目の末尾に証拠等の記載のないものは、争いのない事実である。)

(1)  当事者

ア 原告は、アメリカ合衆国デラウエア州において設立された有限責任会社であり、米国内におけるタバコ製造事業者の広告媒体の設置等を事業目的としている。

イ 被告は、原告の日本法人として設立された株式会社であり、日本国内のビルの屋上にタバコ製造事業者の広告塔を設置すること等を事業目的としている。

(2)  被告の旧株主等

ア 平成八年一〇月一〇日当時、被告の発行済株式総数は一九九九株であり、被告の株主は下記の九名であって(以下、下記九名の株主を総称して「PM株主」という。)、それぞれが保有する被告株式の数は下記のとおりであった。

①原告 保有株式数一四九六株

②パシフィックメディアホールディングス 同一〇二株

③DDKコーポレーション(以下「DDK」という。) 同三四一株

④A・B(以下「B」という。) 同一三株

⑤C・D(以下「D」という。) 同一三株

⑥E・F(以下「F」という。) 同一三株

⑦G・H(以下「H」という。) 同一三株

⑧B山松夫(以下「B山」という。) 同六株

⑨I・J 同二株

イ 当時、被告の代表取締役にはB及びHが、同取締役にはD及びFがそれぞれ就任していた。Bは、当時、原告の代表取締役にも就任していた。

(3)  被告株式買取及び出資契約

ア(ア) PM株主は、平成八年一〇月一〇日、デラウエア州法人であるカタリナマーケティングコーポレーション(以下「CMC」という。)に対して、その保有する被告株式の五一%に当たる一〇一九・四九株(その内訳は、原告保有株式の内五一九・四九株、B山保有株式の内三株、その他のPM株主が保有する全ての株式)を売却した(以下「本件買取契約」という。)。

(イ) その際、PM株主、CMC及び被告との間で、本件買取契約に定められた株式の一定の売却価格を事後的に調整する旨の規定が設けられ、株式売買実行日現在で被告の資産調査を行い、①被告の純資産が一億一九二三万八〇〇〇円を上回る場合は、被告が、PM株主に対して、同金額を超過する分を按分して支払い、②反対に、被告の純資産が九七五五万八四〇〇円を下回る場合は、PM株主が、被告に対して、同金額を不足する分を按分して支払う旨の合意が成立した(Net Worth Adjustment,以下「本件価格調整条項」という。)。

そして、本件買取契約では、本件価格調整条項に基づき、被告が超過額をPM株主に支払う場合には、被告は、現金の交付に代えて、同額の支払を証する支払証書を交付することでその支払を繰り延べることができる旨定められた。

イ CMCは、上記ア(ア)のとおりPM株主から買い付けた被告株式一〇一九・四九株を、同日、CMCの一〇〇%子会社であるデラウエア州法人カタリナマーケティングワールドワイド(以下「CMW」という。)に現物出資した(以下「本件出資契約」という。)。

(4)  オペレーティング契約

ア 原告外二名による現物出資

本件買取契約及び本件出資契約により、被告の株主は原告、B山及びCMWの三名となったが、同人らは、被告の業務執行に関し、平成八年一〇月一〇日付けオペレーティング契約(Operating Agreement,以下「本件オペレーティング契約」という。)を締結し、同人らが保有する被告株式をもって、デラウエア州の有限責任会社であるカタリナ・パシフィック・メディア・L.L.C.(以下「Holdco」という。)に対して現物出資し、被告をHoldcoの一〇〇%子会社とすることとした。

そして、上記のとおり現物出資が実施された結果、Holdcoが被告の単独の株主になるとともに、Holdcoの株主は、①原告(保有株式九七六・五一株)、②B山(同三株)、③CMW(同一〇一九・四九株)の三名となった。

イ コールオプション

本件オペレーティング契約では、原告及びB山が保有するHoldcoの株式を、全てCMWが買い取ることができるというコールオプション(以下「本件コールオプション」という。)の権利がCMWに付与された。

(5)  支払証書の作成

ア 被告は、本件価格調整条項により被告に生じた債務の履行に代えて、各PM株主に対して、支払証書を作成して交付した。

原告に対しては、元本一三四七万五一八三円及びこれに対する平成八年一〇月一〇日から支払済みまでの年六%の割合による利息を支払う旨約する同日付け本件支払証書が被告から交付された。

イ 本件支払証書においては、本件コールオプションの行使により、CMWが、原告とB山が保有するHoldcoの株式の買取を完了した時点をもって、元本の支払期限とする旨定められた。

(6)  CMWによる本件コールオプションの行使

CMWは、平成一五年五月二九日、原告及びB山に対して、本件コールオプションの権利を行使し、平成一五年七月一〇日、株式購入代金を決済して同株式の買取を完了した。

(7)  原告による催告

原告は、被告に対し、平成一六年一〇月六日、本件支払証書に基づく債務の支払を催告した。

(8)  被告の資本等

本件支払証書の発行日付(平成八年一〇月一〇日)を含む平成八年度から平成一六年度までの被告の資本金額は、平成一一年度を除き、九九九五万円であった。なお、平成一一年度には増資により資本金額は四億三二四五万円となったが、翌平成一二年度には減資により九九九五万円となった。

また、平成八年度から平成一四年度まで、被告の監査法人作成に係る財務諸表及び監査報告書には、「減資準備金」の名目で、本件買取契約に基づく債務の支払に充てるための資金として一八〇〇万五九四四円が計上されていた。

一方、平成八年度から平成一六年度までの被告の税務申告書には、本件買取契約に基づく債務は記載されていなかった。また、平成八年度から平成一四年度までの被告の税務申告書には、Bが被告代表者として署名・捺印した。

二  争点

(1)  本件支払証書の発行は、商法の会社財産の払戻規制に反するか否か

(被告の主張)

ア 本件支払証書の発行は、本件買取契約に定められた本件価格調整条項の履行の一環としてされたものであり、本件買取契約締結時における株式の発行会社である被告が、その株主である原告に対して、一定の金員の支払を約束することをその内容としているから、実質的には、株主に対する会社財産の払戻しを規定するものに他ならず、商法上これが認められるのは、資本の減少、利益配当に限られる。

イ 本件支払証書の発行が、資本の減少に当たるとした場合には、①取締役会における承認決議、②株主総会における特別決議、③債権者に対する通知又は公告といった債権者保護手続を経た上で、④配当可能利益の範囲内で実施するなど、商法上の厳格な手続規定を履践しなければならない。

ところが、被告は、本件支払証書を発行するに当たり、上記の手続規定を履践しておらず、本件支払証書の発行は無効である。

(ア) まず、被告においては、平成八年一〇月二日開催の取締役会において、本件買取契約締結についての承認決議が行われたが、その際、本件支払証書を発行することにより、資本を減少することについての承認決議は行われなかった。

また、仮に上記の取締役会で資本減少についても承認決議が行われたとしても、同取締役会は、米国ニューヨーク州ニューヨーク市内で開催されている上、当時被告の取締役であったA野太郎(以下「A野」という。)には招集通知も発送されておらず、A野は出席もしていないから、取締役会開催のための商法上の手続が履践されていない。

(イ) 次に、被告においては、平成八年一〇月二日開催の株主総会において、本件買取契約締結についての承認決議が行われたが、本件支払証書を発行することにより資本を減少することについての承認決議は行われていない。

また、上記株主総会も、商法の規定に反して、日本国内ではなく、ニューヨーク市内で開催されている上、被告の株主であったDDKは、委任状の提出を含め同株主総会には出席していないため、株主全員が出席した総会は開催されていない。

(ウ) さらに、本件支払証書の発行に際し、債権者保護手続は採られていない。

(エ) 以上のとおり、本件支払証書の発行は、実質的には商法上の資本の減少に該当するにも関わらず、原告は商法上の手続を履践していないのであるから、本件支払証書の発行は無効である。

しかも、本件支払証書の発行による資本減少は、減資の実態のみならず、外形的にも資本減少と認められるものがない、いわゆる資本減少不存在の場合であるから、資本減少としての効力を有しないことに関する主張方法は制限されず、被告は、資本減少無効の訴えによらずしてその効力が発生していないことを主張できる。

ウ 本件支払証書の発行が、株主に対する利益配当に当たるとした場合、株式会社が株主に対して利益配当を行うには、別途、利益配当の議案を含んだ利益処分案についての取締役会決議及び株主総会決議による承認が必要であるが、被告においては、上記いずれの承認手続も履践されていないから、原告には配当請求権は発生していない。

(原告の主張)

ア 被告を含めて、本件買取契約の当事者は、本件支払証書の取引を資本取引としてではなく、通常の契約取引として、合意したものである。

また、本件価格調整条項は、被告がPM株主に対して金員を支払う場合があることだけではなく、PM株主が被告に対して金員を支払う場合があることをも定めており、後者の場合には、被告の論法に従うならば、実質的には増資となるのである。よって、本件価格調整条項を設けた本件買取契約は、その双務性に照らしても、なんら違法ではない。

さらに、被告が本件支払証書を発行した時点での株主はHoldcoであり、原告は株主ではなかったのであるから、原告に対する金銭の支払は資本の払戻しには当たらない。

イ 本件の一連の契約は、被告の全株主が契約当事者として参加し、被告株主全員の同意を得て成立している。

ウ 本件買取契約の締結や、本件支払証書により被告が支払義務を負担することなどについては、当時の被告の取締役会決議及び株主総会決議を適正に経ている。

まず、平成八年三月三日に開催された被告の取締役会、株主総会において、CMCが被告の株式五一%を買収し、経営参加することが承認された際、当時被告の取締役であったA野も出席しており、出席取締役として議事録に署名もしている。

また、同年一〇月二日に開催された被告の取締役会及び株主総会では、本件支払証書の発行について承認されているが、同取締役会については、A野を含む全取締役が招集手続を省略して開催することに同意の上、開催されたものであり、その手続に違法はないし、同株主総会については、米国内で開催することにつき全株主の同意があること、DDKはBを代理人とする委任状を提出して、同総会に参加しており、その手続に違法はない。

エ 本件買取契約に設けられた本件価格調整条項及び本件支払証書の発行の一連の取引の前後を通じて、被告の資本の金額は九九九五万円で変わりがないから、本件支払証書の発行は、商法が規定する有償減資あるいは無償減資のいずれにも該当しない。

被告の「実質的に資本の払戻行為に該当する」旨の主張は、純資産の株主への払戻行為が存在したという意味に解釈できるが、この実質は、株主への配当の支払であるところ、本件支払証書の発行に関する一連の取引は、上記のとおり、全株主及び全取締役が同意し、しかも配当可能利益が存在した状態で行われているのであるから、違法とはならない。

オ 仮に、本件支払証書の発行が資本減少に該当するとしても、資本減少は、資本減少後六か月以内に、訴えの提起によってのみ主張できるのであり、しかも、訴えを提起できる者は、株主、取締役、資本の減少を承認しなかった債権者などに限られ、被告はこれらの者に該当しないから、被告による資本減少の主張は認められない。

また、被告は、株主総会決議の瑕疵などの主張をしているが、これも不存在ではない以上、提訴期間を既に経過しているし、被告は、株主総会決議の取消や無効の訴えを提起できる者には該当しない。

(2)  本件支払証書の発行は、利益相反取引に該当し無効となるか否か

(被告の主張)

本件買取契約が締結された当時、PM株主の一人であるBは、原告の代表取締役であるとともに、被告の代表取締役でもあり、同じくPM株主であるH、D及びFは、被告の取締役(Hは代表取締役)であった。そこで、本件買取契約の当事者であると同時に、本件支払証書を被告の取締役として原告に対し発行した同人らの行為は、利益相反取引に該当するにもかかわらず、被告において、かかる利益相反取引に対する取締役会の承認決議は一切行われていない。仮に、本件買取契約について取締役会の承認決議が行われていたとしても、利益相反取引の承認は包括的に行うことが許されないから、本件支払証書の発行には別途取締役会による承認又は株主全員の同意が必要になるところ、かかる承認や同意は得られていない。よって、利益相反取引となる本件支払証書の発行は、無効である。

なお、本件買取契約に関しては、PM株主全員が契約の当事者として署名しているが、契約書には三枚の署名欄が存在していることに鑑みれば、当該署名欄のみがPM株主間で取り交わされていたかのようにも推測され、果たして、各PM株主が、本件買取契約の本文を交付されていたのか、交付されていたとしても本件買取契約の複雑な内容及び本件価格調整条項のもたらす効果を正確に把握していたか否かも明らかでなく、かかる署名欄への署名の存在のみをもって、取締役会の承認に代わる株主全員の有効な同意があったとは認められない。

(原告の主張)

本件買取契約を締結すること、本件支払証書により被告が支払義務を負担することに関しては、当時の被告の取締役会決議及び株主総会決議を適正に経ている。また、本件買取契約や本件オペレーティング契約は、被告の全株主が契約当事者として参加し、被告株主全員の同意を得て締結している。

(3)  原告の主張は、禁反言の原則に反するか否か

(被告の主張)

原告の代表者であるBは、被告が平成八年度の法人税額を申告するために作成した税務申告書に、当時被告代表者として署名押印したが、この税務申告書に添付された被告の平成八年度の貸借対照表及び損益計算書には、本件支払証書を発行したことを原因として将来の資本が減少すること、又は、本件支払証書の発行により成立した債務について負担していることについて記載されておらず、Bは、これらの貸借対照表及び損益計算書の内容を確認した上で、これを承認したのである。

したがって、Bが、一旦本件支払証書に基づく債務の存在について記載されていない貸借対照表及び損益計算書に基づいて作成された税務申告書によって税務申告した以上、Bが代表者である原告が、被告は本件支払証書を発行したことに基づく債務を負担していると主張することは、禁反言の法理に照らし、認められない。

(原告の主張)

争う。平成八年度から平成一四年度まで、米国の株主と取締役向けの監査報告書及び財務諸表には、本件支払証書に基づく金員の支払が明らかに計上されており、このことについて、被告やA野から異議はなかった。

(4)  本件支払証書の発行は、公序良俗に反するか否か

(被告の主張)

前記(1)、(2)の被告の主張のとおり、本件支払証書の発行は、会社財産払戻しに関する商法上の諸規定を潜脱するものであり、しかも、利益相反取引であるにもかかわらず、必要な商法上の手続を経ていない。そこで、その義務の履行が商法違反となるような支払義務を定めた本件支払証書は、その発行の経緯、意義に照らし、公序良俗に反し無効である。

(原告の主張)

本件支払証書の発行は、PM株主全員の同意の下で、株主総会、取締役会の決議等を経て行われており、会社財産の払戻規定を潜脱するものでも違法な利益相反取引でもないことは前記のとおりである。

(5)  平成八年一〇月一〇日時点における被告の純資産額は、一億一九二三万八〇〇〇円を上回っていたか否か

(被告の主張)

本件買取契約に定められた株式譲渡の実行日である平成八年一〇月一〇日時点において、被告の純資産額が一億一九二三万八〇〇〇円を上回っていたか否かについては立証が無く、本件価格調整条項に定められた条件が成就しているかどうかは不明であるから、原告の請求は認められない。

(原告の主張)

被告は、平成八年一〇月一〇日時点において、被告の純資産額が一億一九二三万八〇〇〇円を上回っていたからこそ、本件支払証書を発行したのである。また、そもそも本件支払証書の交付とその履行を求めるための条件(CMWによる本件コールオプションの行使)の成就という請求原因事実については争いがないのであるから、被告が提出できる抗弁は、本件支払証書の無効又は取消事由に限られ、本件支払証書発行の条件成就の有無については、被告が争える事実ではない。

(6)  被告の本件支払証書の発行が商法違反であるなどの主張が信義則違反に当たるか否か

(原告の主張)

被告の計算書類に付随する注記によれば、将来における会計上の減資準備金が留保されていることは明らかである。これは、本件支払証書による支払に充当するために被告において準備しているものであり、被告は、本件支払証書による支払債務を計算書類で自認しているのである。

また、被告の代表者であるA野は、平成八年三月当時、既に被告の取締役に就任しており、A野は、その当時、本件買取契約に関する覚書に署名しており、本件支払証書発行の一連の取引についても熟知していた。

そして、被告ないしA野は、本訴に至るまで、本件支払証書に係る金銭の支払義務を否定したことはなかった。

そこで、被告が、本訴において、商法違反などと主張して本件支払証書による支払を拒絶することは、禁反言ないし信義則違反である。

(被告の主張)

原告の上記主張は争う。被告の正式な計算書類には、本件支払証書の資金に関する記載はなされていない。また、A野は、平成八年当時、被告の取締役であったが、当時、A野は、Bからは、本件買取契約に設けられた本件価格調整条項や本件支払証書の詳細についての説明を受けておらず、その内容を知らなかったものである。

第三争点に対する判断

一  争点(1)(本件支払証書の発行は、商法の会社財産の払戻規制に反するか否か)について

(1)  被告は、本件支払証書の発行が資本の減少に該当する旨主張する。

しかしながら、そもそも資本の減少とは、資本すなわち会社債権者に対する担保として会社に留保すべき純財産額の基準となる額を減少することをいい、いわゆる実質上の資本の減少とは、会社財産の減少を伴う資本の減少と解されるところ、前記争いのない事実等によれば、被告の資本の額は、本件支払証書の発行の前後において、九九九五万円以下に減少していないことが認められるから、本件支払証書の発行をもって、実質上の資本の減少に当たるということはできない。なお、前記争いのない事実等によれば、被告の監査法人作成に係る平成八年度から平成一四年度までの財務諸表及び監査報告書には、「減資準備金」の名目で、本件買取契約に基づく債務の支払に充てるための資金が計上されている事実が認められるが、この「減資準備金」の計上をもって、本件支払証書の発行により、被告の資本の額が実際に減少するとは認めるに足りず、他に、本件支払証書の発行によって、被告の資本の額が減少するとすべき事情は見当たらない。

したがって、本件支払証書の発行が資本の減少に該当する旨の被告の上記主張は、採用することができない。

(2)  次に、被告は、本件支払証書の発行が株主に対する利益配当に当たるとした場合、被告においては、利益配当の議案を含んだ利益処分案についての取締役会決議及び株主総会決議による承認が履践されていないから、原告には利益配当請求権は発生しない旨主張する。

確かに、本件支払証書に基づく債務の履行によって、被告が有する資産が、本件支払証書発行当時被告の株主であった原告に移転することになるから、実質的には株主への利益配当になると解し得る(なお、原告は、被告が本件支払証書を発行した時点での株主はHoldcoであり、原告は、株主ではなかった旨主張するが、本件支払証書は、PM株主、CMC及び被告間の本件買取契約における本件価格調整条項に基づいて発行されたものであり、被告株式がHoldcoに現物出資されたのは、本件買取契約を前提として締結された本件オペレーティング契約によるものであることからすれば、本件支払証書は、被告の株主に対する金銭の支払を約したものというべきである。したがって、原告の上記主張は採用することができない。)。

そして、利益配当に関する商法上の規制が設けられた趣旨は、会社資産の不当な流出を防止することにより、当該会社自身や株主の権利及び会社に対する債権者の利益を保護することにあると解されるところ、《証拠省略》によれば、本件価格調整条項を含む本件買取契約は、平成八年一〇月一〇日、被告PM株主全員の同意に基づいて行われたことが認められること(これに対し、被告は、当時の被告の株主が本件買取契約の契約書の署名欄に署名したことのみをもって株主全員の有効な同意があったとはいえない旨主張する。しかし、当時のPM株主が本件価格調整条項を含む本件買取契約の成立に異議を述べていることを窺わせる事情は見当たらず、また、当時のPM株主が、本件買取契約書の内容を確認することなく署名欄に署名したことを窺わせる事情も見当たらないことからすれば、PM株主は、全員が上記一連の取引につき同意していたと認めるのが相当である。したがって、被告の上記主張は採用することができない。)、前記争いのない事実等によれば、本件価格調整条項は、被告の純資産が一億一九二三万八〇〇〇円を上回る場合にのみ、同金額の超過分を按分してPM株主に支払うというものであるところ、当時の被告の資本金額は、この基準額を下回る九九九五万円であったこと、本件支払証書は、本件価格調整条項により被告に生じた債務の履行に代えて発行されたものであることからすれば、本件支払証書の発行をもって、被告の株主の意思に沿わないものであるとか、配当可能利益がないにもかかわらず配当がなされるものであるなど、不当なものであるということはできない。

したがって、被告の上記主張は採用することができない。

二  争点(2)(本件支払証書の発行は、利益相反取引に該当し無効となるか否か)について

被告は、B、H、D及びFらが、本件買取契約の当事者でありながら、被告の取締役として本件支払証書を原告に対して発行した行為は、利益相反取引に該当する旨主張する。

確かに、本件支払証書の発行当時Bは、原告代表取締役であるとともに被告の代表取締役であったことからすれば、Bが自ら代表権限を有する原告に対して、被告代表者として本件支払証書を発行する行為は、商法二六五条一項前段にいう利益相反取引に該当すると認められる。

そこで、本件支払証書の発行は、本件支払証書発行に対する被告の取締役会の承認決議がなければ、原則として無効になると解されるが、そもそも商法二六五条一項が利益相反取引に対して取締役会の承認を要する旨を定めている趣旨は、取締役がその地位を利用して会社と取引をし、自己又は第三者の利益を図り、会社ひいては株主に不測の損害を被らせることを防止することにあると解されるため、このような商法の立法趣旨に照らせば、株主全員の合意がある場合には、取締役会の承認を経ていなくても、利益相反取引が無効とはならないと解される(最高裁判所昭和四九年九月二六日第一小法廷判決・民集二八巻六号一三〇六頁参照)。

そして、本件価格調整条項を含む本件買取契約は、当時の被告株主全員の同意に基づいて行われたこと、本件支払証書は、本件価格調整条項により被告に生じた債務の履行に代えて発行されたものであることは前記一(2)のとおりであり、本件支払証書が利益相反取引を理由に無効となるものということはできない。

したがって、被告の上記主張は採用することができない。

三  争点(3)(原告の主張は、禁反言の原則に反するか否か)について

被告は、Bが被告の代表者であった当時、本件支払証書に基づく債務の存在について記載されていない平成八年度の被告の貸借対照表及び損益計算書に基づいて税務申告をしたことからすれば、Bが代表者を務める原告が、被告は本件支払証書の発行に基づく債務を負担していると主張することは、禁反言の法理に反する旨主張する。

確かに、平成八年度から平成一六年度までの被告の税務申告書において、本件支払証書の発行に基づく債務が記載されていないこと及び平成八年度から平成一四年度までの税務申告書には、Bが被告代表者として署名・捺印したことは前記第二の一(8)認定のとおりである。

しかしながら、そもそも禁反言の法理とは、自らの言動によってある事実の存在を相手に信じさせた者は、それを信頼した者に対して、当該事実に反する主張をしてはならないという、信義誠実の原則(民法一条二項)による法理であると解されるところ、Bが被告代表者であった当時、税務申告書に本件支払証書に基づく債務を記載しなかったことの一事をもって、Bが代表者を務める原告が、本件支払証書に基づく請求をすることが信義誠実の原則に反するとまでは解されない。また、禁反言の原則は、相手方の信頼を保護することを主目的とする法理であるところ、前記争いのない事実等によれば、被告の監査法人が作成した平成八年度から平成一四年度までの被告の財務諸表及び監査報告書には、「減資準備金」の名目で、本件買取契約に基づく債務の支払に充てるための資金が計上されていたことにも鑑みれば、税務申告書に本件支払証書に基づく債務が記載されていないことによって、被告が、原告から本件支払証書に基づく債務を請求することはないと信頼していたものとは認めるに足りない。

したがって、原告の請求が禁反言の法理に反するということはできず、被告の上記主張は採用することができない。

四  争点(4)(本件支払証書の発行は、公序良俗に反するか否か)について

被告は、本件支払証書は、会社財産払戻しに関する商法上の諸規定を潜脱するものである上、本件支払証書の発行は利益相反取引であったにもかかわらず、必要な商法上の手続を経ていないから、本件支払証書の発行が公序良俗に反する旨主張する。

しかしながら、本件支払証書の発行が、会社財産払戻しに関する商法上の諸規定に違反するとか、利益相反取引として無効であるということができないことは前記のとおりである。

したがって、被告の上記主張は、その前提を欠くものであり、採用することができない。

五  争点(5)(平成八年一〇月一〇日時点における被告の純資産額は、一億一九二三万八〇〇〇円を上回っていたか否か)について

被告は、平成八年一〇月一〇日時点において、被告の純資産額が一億一九二三万八〇〇〇円を上回っていたか否かは明らかでなく、本件価格調整条項に定められた条件が成就したか否か不明である旨主張する。

しかしながら、本件買取契約では、本件価格調整条項において、株式売買の実行日の被告の資産調査を行い、被告の純資産額が一億一九二三万八〇〇〇円を上回る場合には、被告がPM株主に対して同金額を超過する分を按分して支払うこととされていることは前記のとおりであるところ、《証拠省略》によれば、株式売買の実行日である平成八年一〇月一〇日時点における被告の資産調査が行われ、この資産調査によれば、被告の純資産額が一億一九二三万八〇〇〇円を上回っていたことが認められる。

したがって、被告の上記主張は採用することができない。

第四結語

以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金子順一 裁判官 石原寿記 山﨑隆介)

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