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東京地方裁判所 平成17年(ワ)5048号 判決 2005年11月29日

原告

苫小牧埠頭株式会社

代表者代表取締役

工藤豊彦

訴訟代理人弁護士

河谷泰昌

八代眞由美

被告

日本ゼオン株式会社

代表者代表取締役

古河直純

訴訟代理人弁護士

腰原誠

吉村浩

古田啓昌

佐藤剛史

大河内亮

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

被告は,原告に対し,1億0888万5000円及びこれに対する平成16年11月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,被告の子会社であったゼオンマテリアル株式会社(以下「訴外会社」という。)が営業を廃止した後,親会社である被告が,親会社責任を果たすべく訴外会社に対し資金を提供して,訴外会社が自己の債務を弁済していたにもかかわらず,訴外会社と裁判で債権債務の存否について係争していた原告が訴外会社に勝訴し,原告の訴外会社に対する債権が裁判上確定するや,一転して,被告において,訴外会社に対し資金を提供することなく,訴外会社に特別清算を申し立てさせ,訴外会社の原告に対する債務を弁済させなかったのは,原告以外の訴外会社の債権者に対し親会社責任を果たしてきた被告が信義則及び公平の原則に基づき子会社の債権者である原告に対して負担する一種の保護義務に違反したものであって,原告に対する債権侵害の不法行為が成立するとして,原告が,被告に対し,回収不能となった債権額である1億0888万5000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定年5分の割合による金員の支払を求めた事案である。

1  争いのない事実等(認定根拠を掲記した事実以外は当事者間に争いがない。)

(1)  原告は,倉庫業,港湾運送業,海上運送業等を目的とする株式会社である。

被告は,合成ゴム,合成樹脂等の製造・加工及び販売等を業とする株式会社であって,東京証券取引所第一部上場企業である。

(2)  訴外会社は,平成5年9月17日に設立された土木建設資材,包装資材等の売買等を目的とする資本金5000万円の株式会社であった。

訴外会社の株主は,出資比率90%の被告と10%のゼオン化成株式会社の2社であり,被告は訴外会社の親会社であった。

(3)  訴外会社は,平成12年6月20日,原告に対し,訴外会社がフトー産業株式会社らとの間で行った電光掲示板の売買取引によってこうむった損害について原告に不法行為責任等があると主張し,札幌地方裁判所苫小牧支部に,原告を被告として損害賠償請求等を求める訴えを提起した。

訴外会社は,原告に対し,平成11年11月5日を支払期日とする金額1億円及び888万5000円の2通の約束手形を振り出したが,上記支払期日に各手形金の支払をしなかった。原告は,訴外会社に対し,上記手形金1億0888万5000円(以下「本件手形金」ということがある。)及び遅延損害金の支払を求める訴えを,上記損害賠償等請求訴訟の反訴として提起した。

札幌地方裁判所苫小牧支部は,平成14年10月30日,訴外会社の損害賠償請求等の本訴を棄却し,反訴である上記手形金請求を認容して,訴外会社に対し,原告に対する1億0888万5000円及びこれに対する平成13年1月24日から支払済みまで年6分の割合による遅延損害金の支払を命ずる判決を言い渡した。

訴外会社が控訴したが,札幌高等裁判所は,平成15年10月31日,訴外会社の控訴を棄却する判決を言渡し,訴外会社に対し1億0888万5000円及び遅延損害金の支払を命じた上記1審判決は,平成15年11月19日に確定した。

原告は,同判決確定後,本件手形金請求権の強制執行として訴外会社の預金差押えを行い,70万5817円を回収し(争いがない),同額を本件手形金の遅延損害金に充当した(弁論の全趣旨)。

(4)  訴外会社は,上記控訴審判決の後である平成15年12月1日,株主総会の決議によって解散し,同月26日,東京地方裁判所に対して特別清算手続開始を申し立て,同裁判所は,平成16年3月9日,特別清算開始決定をした。

訴外会社が上記特別清算開始の申立て時に負担していた債務は,被告に対する6億3899万6980円,原告に対する上記手形金(元金)債務1億0888万5000円,ゼオンエフアンドビー株式会社に対する業務委託料25万2000円であった。

訴外会社は,特別清算手続において,同社の現有資産約323万円を,上記各債権者が有する債権残高割合で配分して支払い,残債務の免除を受ける内容の協定案を提出し,平成16年6月18日に開催された債権者集会において賛成多数(原告は,反対を表明した。)で可決され,その後,裁判所の認可決定がされた。

訴外会社は,平成16年8月20日,原告に対し,上記協定に基づく弁済として41万8419円を支払った。

原告は,上記41万8419円を,本件手形金の遅延損害金の弁済に充当した(弁論の全趣旨)。

訴外会社は,平成16年10月15日,特別清算が結了して法人格が消滅した。その結果,原告は,訴外会社から本件手形金の弁済を受けられないことが確定した(弁論の全趣旨)。

2  争点及び争点についての当事者の主張

本件の争点は,原告が主張する債権侵害による不法行為の成否であり,この点に関する当事者双方の主張は,以下のとおりである。

(原告)

(1) 事実経過について

ア 訴外会社は,平成12年9月30日をもって,営業を休止することを表明したが,「休止」といいながら,実際には,訴外会社は,資産の換価(債権の回収を含む。)と債務の弁済のみを行う方針を固めたもので,実質的には営業の「休止」ではなく「廃止」であった。このことは,別紙原告主張表(2)売上及び経常利益の推移に記載のとおり,平成14年3月から平成15年12月1日までの間,訴外会社の売上高が皆無であったこと,同表(4)役職員の状況に記載のとおり,平成13年3月期には従業員が女子1名にすぎず,平成14年3月期には従業員が皆無であったことからも明らかである。

訴外会社は,平成12年3月末に既に約3億9000万円の債務超過に陥っていたが,事業廃止後の平成13年3月期以降債務超過は更に拡大し,7億円前後の債務超過の状態で推移し,事業を廃止した以上,清算が不可避の状況となった。

被告は,訴外会社が平成12年9月30日をもって営業を廃止した後,別紙原告主張表(3)役員在籍状況記載のとおり,訴外会社の取締役に被告の要職にあった者を次々と就任させ,被告の意思によって訴外会社のすべての業務執行が決定されることになった。

イ 以上のとおり,被告が訴外会社の業務執行をすべて決し,かつ,訴外会社の清算が不可避の状況となった段階において,被告は,子会社である訴外会社に対し,同社の資産をもって弁済しきれない債務の弁済原資を提供し,子会社の債務を弁済させるという親会社責任を果たす方針を決定した。

被告は,上記方針に基づき,訴外会社に対し,訴外会社の第8期(平成12年4月1日から平成13年3月31日まで)の期中に3億9000万円を,第10期(平成14年4月1日から平成15年3月31日まで)の期中に5000万円をそれぞれ貸し付け,訴外会社をして同資金をもって第一勧業銀行(当時の商号)からの借入金2億9000万円及び被告の関連会社に対する債務などを弁済させた。

その結果,別紙原告主張表(1)業況推移記載のとおり,訴外会社の平成12年3月末に約13億5000万円であった資産合計は,平成13年3月末には約1億2000万円に激減し,同様に約17億4000万円であった負債合計は,平成15年3月31日の第10期末に流動負債6億4067万4115円(その99%にあたる6億4000万円は,被告に対する短期貸付金である。),固定負債1億0888万5000円(本件手形金債務である。)に激減し,第10期末(平成15年3月末)において弁済未了の債務は,小口債務を除けば,原告に対する本件手形金債務と被告に対する借入金債務のみであった。すなわち,訴外会社は,被告に対する短期借入金及び原告に対する本件手形債務を除く債務の全部を弁済した。

被告は,平成12年9月以降の訴外会社に対する資金支援を短期貸付金名目で行っているが,当初から,同資金が訴外会社から全く返済されないものであることを認識し,かつ,それを容認しており,それを前提に訴外会社に対する貸付金の金利免除を行っているから,短期貸付金とは名ばかりの実質的には贈与に該当するものであり,被告が親会社責任を果たすために訴外会社に資金を提供したことを裏付けている。

(2) 被告の訴外会社の債権者である原告に対する保護義務

このように被告は,訴外会社と親子会社の間柄とはいえ,訴外会社の負う債務について本来弁済の責任を負わないにもかかわらず,あえて親会社責任を果たすとの考えから,自己の経済的損失を受忍して訴外会社に弁済不足資金を贈与し,訴外会社に同社の債務を弁済させる方針を決定し,それを実行に移した以上,訴外会社の債権者は,訴外会社に弁済能力がなくても自己の有する債権について被告の資金援助により全額の弁済が受けられると期待し,かつ,信頼を寄せるのが当然であり,原告においても,本件手形金債務の存否につき,訴外会社と裁判で係争中ではあったが,同債務の存在が確定すれば,被告において,訴外会社の親会社としての責任を果たすべく訴外会社に対し資金提供を行い,訴外会社をして原告に対する債務を弁済させるものと確信していた。

そうすると,司法判断によって原告の訴外会社に対する本件手形金債権の存在が確定した以上,被告は,訴外会社に対し,原告以外の債権者に対して全額弁済を行わせたのと同様に,原告に対しても,訴外会社をして原告に対する債務を全額弁済させて,原告の上記信頼に応えるべきであり,一部の債務に対しては親会社責任を果たし,その余の債務に対しては親会社責任を果たさないということは許されない。これは,被告に原告の債務の弁済の責任があるという意味ではなく,親会社責任を果たしてきた者が信義則及び公平の原則に基づき負担する債権者に対する一種の保護義務とでもいうべきものであり,被告は,同保護義務に基づき,同訴外会社の負担するすべての債務について資金支援をして訴外会社に弁済させるべき義務があった。

しかるに,被告は,上記義務に違反し,訴外会社をして原告に対する債務の全部若しくは一部の弁済をさせることなく,訴外会社に特別清算の申立てを行わせ,訴外会社をして原告に対する債務の弁済をさせなかったものであるから,故意に債権の給付を侵害したものとして,債権侵害に基づく不法行為が成立する。

また,被告は,訴外会社をして申し立てさせた特別清算事件においても,本件手形金債務のみならず,訴外会社の被告に対する6億4000万円の債務をも訴外会社の債務と主張したが,親会社責任を果たすという見地から原告に対する保護義務を負担している被告の立場からすれば,本件手形債務のみを訴外会社の債務として申し立てるべきであったものであるから,これも違法である。

(被告)

(1) 被告の訴外会社の債権者である原告に対する保護義務

親会社責任を果たすと決定した親会社には,子会社の債権者の期待と信頼に応えるべき一種の保護義務が課せられるという見解自体,我国の判例,裁判例においていまだかつて提唱されたことがなく,また,一種の保護義務の具体的内容や法律上の根拠も明らかでない上,保護義務の発生要件になると思われる親会社責任の意味すら不明であるから,原告の主張は,明らかに失当である。

そもそも,親会社とは子会社の株主にほかならないところ,株主の責任は株式の引受価額を限度とするものであって(株主有限責任),親会社が株式の引受価額を超えて子会社の債権者に対し何らかの責任を負担するという点で,原告の主張は,現行法の解釈を超えたものである。

債務者が,いずれの債権者に対して弁済を行うかは,強制執行や倒産手続等の限定された局面を除けば,債務者の自由に委ねられるのである。したがって,原告が,自らの訴外会社に対する債権につき,全額の弁済を受けられると期待し,かつ,信頼を寄せるという際の期待及び信頼は,現行法を前提とする限り,法的に保護されるものではない。

原告は,被告が訴外会社の負担する債務の弁済の責任を負わないことを認めているから,親会社責任が道義上の責任であることを認めていることになるが,いったん被告が親会社責任という道義上の責任の履行に着手するや,一種の保護義務という法律上の責任に転化されるべきであると主張しており,この点で法律論として破綻している。

結局,原告の主張は,民法上の詐害行為取消権や倒産法上の否認権によって例外的に手当がされている分野に,債権侵害の不法行為という一般的理論を無理矢理持込んだものであって,それ自体失当である。

(2) 事実経過について

第一勧業銀行は,訴外会社に対し,従前から弁済期限1か月程度の当座貸越による貸付けを行っており,概ね3億円程度の貸付残高が毎月更新されていたが,平成12年末から平成13年初めころ,今後は短期貸付けの更新に応じかねるとして,約定どおりの返済を求めてきた。訴外会社は,3億円近い短期貸付残高の返済資金を用意することが困難であったので,被告に相談をした。被告は,訴外会社が同銀行から融資を受けるにあたり,同銀行に対し,「借入債務が支障なく履行されますよう同社を監督」する旨及び訴外会社の「経営及び財務につき健全な状態を保持すべく十分指導」する旨の念書(いわゆる経営指導念書)を差し入れていた。それゆえ,訴外会社が同銀行に対して短期借入金を返済しないときは,同銀行が被告に対して経営指導念書に基づく義務の履行を求めてくるものと予想されたことから,被告は,訴外会社に対し,同銀行からの短期借入金(平成13年2月末の残高は2億9000万円。)の返済資金を融資することにした。このように,被告は,原告のいう親会社責任を果たすために訴外会社に対する短期貸付けを行ったものではないし,自己の経済的損失を受忍して訴外会社に弁済不足資金を交付したものでもない。

また,原告の訴外会社に対する本件手形金債権は,平成12年6月20日の訴訟提起から平成15年11月19日に判決が確定するまでの間,一貫してその存否が争われていたから,原告が,同債権につき全額の弁済が受けられると期待し,信頼を寄せる基礎は存在しないし,仮に原告がそのような一方的な信頼や期待を寄せていたとしても,そのような期待は到底合理的なものとはいえず,法的保護に値するものではない。

第3  争点に対する判断

1  原告は,被告において,子会社である訴外会社に対し資金を提供し,被告を除く訴外会社の債権者に対する債務を弁済させたのであるから,原告に対しても,訴外会社をして原告に対する債務を全額弁済させて,原告の期待と信頼に応えるべきであると主張し,この意味は,被告に原告の債務の弁済の責任があるという意味ではなく,親会社責任を果たしてきた者が信義則及び公平の原則に基づき負担する債権者に対する一種の保護義務であると主張する。

しかしながら,親会社は,子会社の株主であって,法律上,子会社の債権者との関係では,株主として出資額を限度として有限責任(商法200条1項)を負担するのみであり,その他,子会社の債務につき,子会社の債権者に対し,直接弁済の責任を負わない。すなわち,親会社が,子会社の債権者に対して,直接の弁済であろうと,子会社に資金を提供して子会社が弁済するという,いわば間接的なものであろうと,いずれの意味においても,親会社であることに基づき,子会社の債務の弁済について債務若しくは責任を負うことはないというべきである。

原告は,上記の点を意識してか,自己の主張を,親会社である被告に子会社である訴外会社の原告に対する債務の弁済の責任があるという主張ではないとするものの,被告が子会社である訴外会社に原告の債務を弁済するための資金を提供しなかったことを捉えて,一種の保護義務違反であると主張するものである以上,実質的には,親会社に子会社の債務について責任があるとする主張と異ならず,原告の上記保護義務違反の主張は,採用することができない。

また,原告は,被告が,訴外会社をして同社の債務を弁済させる方針を決定し,それを実行に移した以上,訴外会社の債権者は,訴外会社に弁済能力がなくても自己の有する債権について全額の弁済が受けられると期待し,かつ,信頼を寄せるのが当然であると主張する。

しかしながら,親会社であるからといって,子会社の債権者に対し,子会社の債務の弁済について債務若しくは責任を負うことはない以上,子会社の債権者である原告が,親会社の被告が訴外会社に弁済資金を提供して自己の債権も弁済が受けられると信頼したとしても,そのような信頼は,子会社の債権者である原告の一方的なものであって,法的保護に値する信頼とはいえないし,親会社の子会社の債権者に対する何らかの法的義務を導き出す根拠となるものともいえない。さらに,被告は,原告の訴外会社に対する本件手形金債権につき,平成12年6月20日の訴訟提起から平成15年11月19日に判決が確定するまでの間,一貫してその存在を争っていたから,原告が同債権につき全額の弁済が受けられると期待するという事実的基礎が存在したかどうかについても疑問があり,原告の上記主張は,いずれにしろ採用の限りではない。

結局,原告がその主張の前提とする事実関係,すなわち,被告において,訴外会社の営業廃止に伴い,訴外会社の債権者のうち,原告を除く第一勧業銀行等に対する債務につき,子会社である訴外会社に弁済資金を贈与し,訴外会社の原告に対する本件手形金支払債務の存在が裁判上確定されるや,被告の主導で訴外会社に特別清算を申し立てさせ,原告の訴外会社に対する本件手形金の回収を事実上不能ならしめたという事実関係を前提としても,被告において,原告に対する何らかの法的義務に違反し,故意に基づき原告の本件手形金債権の給付を侵害したということはできない。

以上によれば,原告の本訴における被告の親会社責任を前提とした一種の保護義務に基づく債権侵害の主張は,それ自体失当といわざるを得ない。

なお,被告が,訴外会社をして申し立てさせた特別清算事件において,本件手形金債務のみならず,訴外会社の被告に対する6億4000万円の債務をも訴外会社の債務として申し立てた点につき,原告は,親会社責任を果たすという見地から原告に対する保護義務を負担している被告の立場からすれば,本件手形債務のみを訴外会社の債務として申し立てるべきであったものであって違法であると主張するが,同主張は,親会社責任を果たすという見地から被告が原告に対する保護義務を負担しているという主張を前提としているから,既に説示したところに照らし,採用の限りでない。

2  以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないから,主文のとおり判決する。

(裁判官・春名茂)

別紙原告主張表<省略>

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