大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成17年(行ク)277号 決定 2006年1月25日

申立人

甲野太郎

代理人弁護士

小島好己

代理人弁護士

杉浦智也子

代理人弁護士

中根秀樹

代理人弁護士

西田美樹

相手方

東大和市

代表者市長

尾又正則

処分行政庁

東大和市福祉事務所長

関田實

代理人弁護士

木下健治

主文

一  処分行政庁は,申立人に対し,申立人の長女である甲野春子につき,A保育園,B保育園,C保育園,D保育園,又はE保育園のうち,いずれかの保育園への入園を仮に承諾せよ。

二  申立費用は,相手方の負担とする。

事実及び理由

第一  申立て

主文同旨

第二  事案の概要

一  事案の骨子

東大和市に居住する申立人の長女甲野春子(以下「春子」という。)は,喉頭軟化症等のため気管切開手術を受けた後,カニューレ(喉に開けた穴に常時装着して気管への空気の通り道を確保する器具)を装着しており,現在,心身に障害のある就学前の児童を対象にした施設に通園している。申立人は,相手方が設置運営する普通保育園への春子の入園申込みをしたが,処分行政庁である東大和市福祉事務所長は,春子について適切な保育を確保することが困難であるとして,同申込みに対する不承諾処分をした。

本件は,そのため,申立人が,申立人には児童福祉法24条1項本文における「児童の保育に欠ける」事由があり,かつ,春子は,たん等の吸引が適切に行われれば,普通保育園に通園することができるので,上記不承諾処分は違法であって,春子の普通保育園への入園を承諾すべきであり,また,償うことのできない損害を避けるために緊急の必要がある旨主張して,行政事件訴訟法37条の5に基づき,相手方に対し,処分行政庁が春子の普通保育園への入園を仮に承諾することを求める仮の義務付け申立事件である。

二  関係法令の定め

本件に関係する主な法令の規定は,以下のとおりである。

(一)  児童福祉法24条1項は,「市町村は,保護者の労働又は疾病その他の政令で定める基準に従い条例で定める事由により,その監護すべき乳児,幼児又は第39条第2項に規定する児童の保育に欠けるところがある場合において,保護者から申込みがあったときは,それらの児童を保育所において保育しなければならない。ただし,付近に保育所がない等やむを得ない事由があるときは,その他の適切な保護をしなければならない。」と規定している。

(二)  児童福祉法39条1項は,「保育所は,日日保護者の委託を受けて,保育に欠けるその乳児又は幼児を保育することを目的とする施設とする。」と規定している。

(三)  児童福祉法43条の3は,「肢体不自由児施設は,上肢,下肢又は体幹の機能の障害(…略…)のある児童を治療するとともに,独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設とする。」と規定している。

(四)  児童福祉法施行令27条は,柱書で「法第24条第1項の規定による保育の実施は,児童の保護者のいずれもが次の各号のいずれかに該当することにより当該児童を保育することができないと認められる場合であって,かつ,同居の親族その他の者が当該児童を保育することができないと認められる場合に行うものとする。」と規定し,その1号で「昼間労働することを常態としていること。」と,その4号で「同居の親族を常時介護していること。」とそれぞれ規定している。

(五)  東大和市保育の実施に関する条例2条は,柱書で「保育の実施は,児童の保護者のいずれもが次の各号のいずれかに該当することにより,当該児童を保育することができないと認められる場合であって,かつ,同居の親族その他の者が当該児童を保育することができないと認められた場合に行うものとする。」と規定し,その1号で「居宅外で労働することを常態としていること。」と,その2号で「居宅内で当該児童と離れて日常の家事以外の労働を常態としていること。」と,その5号で「長期にわたり疾病の状態にあり,又は精神若しくは身体に障害を有する同居の親族を常時介護していること。」とそれぞれ規定している。

(六)  東大和市F学園条例1条は,「この条例は,心身に障害がある就学前の児童(…略…)に対し,自立を助長するために必要な指導及び訓練を行うため,東大和市F学園(…略…)を設置し,その管理及び運営について必要な事項を定めるものとする。」と規定している。

(七)  東大和市F学園条例3条は,柱書で「学園に,次の施設を設ける。」と規定し,その1号で「肢体不自由児通園施設」と,その2号で「知的障害児通園施設」とそれぞれ規定している。

三  前提事実

一件記録によれば,現段階では,以下の事実を一応認めることができる。なお,認定の根拠を各末尾に付記した。

1  申立人及び春子の状況

春子は,平成12年*月*日,父である申立人及び母である甲野夏子(以下「夏子」という。)の長女として出生した。春子は,気管の入口の組織が弱く,空気を吸うときにふさがって呼吸しにくくなる喉頭軟化症のため,平成13年11月27日,気管切開手術を受け,以後,空気の通り道を確保するため,カニューレを常時喉に装着,挿入して現在に至っている。なお,カニューレには,その時々の状況に応じて,さらにスピーチバルブ(声を出すとき等に使用するもので,カニューレを通して息を吸うことのみが可能となる器具)や人工鼻(ほこり等を避けるためのフィルター付きキャップで,カニューレを通して息を吸ったり吐いたりすることができる器具)等を装着している。(疎甲1)

2  F学園への入園申込み

(一) 申立人は,東京都知事に対し,平成15年5月16日,東大和市立F学園(以下「F学園」という。)に春子を入園させるため,肢体不自由児通園施設入園申請書を提出した。この申請に係る入園が承諾されたため,春子は,平成15年6月から現在に至るまで,F学園に通園している。(疎甲4の2,疎乙4)

(二) F学園は,心身に障害のある就学前の児童に対し,自立を助長するために必要な指導や訓練等の早期療育を行い,児童の福祉増進を図ることを目的とした施設である。(疎乙10)

3  普通保育園への入園申込み

(一) 申立人は,東大和市福祉事務所長に対し,平成16年3月2日,春子の平成16年度保育園入園申込書を提出して,入園申込みをした。(当事者間に争いのない事実)

(二) 東大和市福祉事務所長は,申立人に対し,平成16年3月8日,入園申込書を受理しない旨電話にて通告し,その後,入園申込書一式を申立人に返却した。(当事者間に争いのない事実)

(三) 申立人は,東大和市福祉事務所長に対し,平成17年1月20日,希望保育園を社会福祉法人B保育園(以下「B保育園」という。)として,平成17年度の保育園入園申込みを行った。(疎乙1)

(四) 東大和市福祉事務所長は,申立人に対し,平成17年2月23日,上記申込みによる保育園の入園を不承諾とする処分を通知した。(疎甲3の1,疎乙1)

(五) 申立人は,東大和市福祉事務所長に対し,平成17年3月4日,希望保育園をA保育園,B保育園,C保育園,D保育園,又はE保育園として,保育園入園申込みの変更届を提出した。(疎乙2)

(六) 東大和市福祉事務所長は,申立人に対し,平成17年3月23日,上記変更届による保育園の入園を不承諾とする旨の処分を通知した。(疎甲3の2,疎乙2)

4  審査請求

(一) 申立人は,東大和市長に対し,平成17年4月21日,前記4(四)及び(六)の各不承諾処分(以下「本件各処分」という。)に対する審査請求を行った(以下「本件審査請求」という。)。(疎甲4の1,疎乙3)

(二) 東大和市長は,申立人に対し,平成17年8月12日,本件審査請求を棄却するとの裁決をし,これを申立人に通知した。(疎甲4の2)

5  訴えの提起

申立人は,平成17年11月2日,相手方を被告として,本件各処分の取消しを求めるとともに,処分行政庁が,申立人に対し,春子のB保育園その他の適切な保育園(A保育園,C保育園,D保育園,又はE保育園)への入園を承諾するとの処分をすることの義務付け等を求める前記本案の訴えを提起した。(疎甲5)

四  争点

本件の争点は,①F学園に通園している春子を普通保育園に入園させることが,申立人にとって「償うことのできない損害を避けるために緊急の必要があ」る(行政事件訴訟法37条の5第1項)ということができるか,また,②本件が「本案について理由があるとみえるとき」(同項)に該当するか,すなわち,東大和市福祉事務所長が春子の普通保育園への入園を承諾しなかったことが,児童福祉法24条1項ただし書にいう「やむを得ない事情」の有無の判断において裁量権の逸脱又は濫用があるものとして,違法であり,相手方に対してこの承諾を義務付けるべきであるということができるかという点である。

五  争点に関する当事者の主張の要旨

別紙のとおり。

第三  当裁判所の判断

一  前記前提事実並びに一件記録(疎甲1から9まで,疎乙1から5まで,7から14まで,16。いずれも枝番のあるものは枝番すべてを含む。)及び当事者間に争いのない事実によると,現段階では,以下の事実を一応認めることができる。

1  申立人及び春子の状況

(一) 春子は,平成12年*月*日,父である申立人及び母である夏子の長女として在胎28週6日,体重1425グラムにて出生したが,呼吸窮迫症候群のため,人工呼吸管理がされ,サーファクタントの投与を受けた。

その後,呼吸状態は改善したが,気管の入口の組織が弱く,空気を吸うときにふさがって呼吸しにくくなる喉頭軟化症等のため,平成13年11月27日,気管切開手術を受け,以後,カニューレを喉に装着,挿入して現在に至っている。なお,カニューレには,その時々の状況に応じて,さらにスピーチバルブないし人工鼻等を装着している。

その結果,春子は,気管内にたまる唾液やたんを定期的に除去することが必要となっており,多ければ1時間に1回程度,場合によっては2,3時間に1回程度,風邪気味などであれば30分に1回程度の間隔で,1回につきおよそ1分間程度,吸引器を用いて唾液やたんの吸引を行っている。また,誤えんを避けるために水分にとろみをつけることも必要となっている。

(二) 申立人は,印刷加工等を目的とするG株式会社の代表取締役であり,妻の夏子も同社の経理事務等を手伝っている。また,同居している夏子の母秋子(昭和10年*月*日生まれ。以下「秋子」という。)は,関節リウマチ,子宮筋腫,乳ガン等を患っていて,月1回の割合で通院しており,その付添い及び日常生活での看護を夏子が行っている。また,申立人の父甲野次郎も,食道がん等に罹患しており,同人の通院等の介護も時折夏子が行っている。

2  F学園への入園申込み

(一) 申立人は,東京都知事に対し,平成15年5月16日,春子をF学園に入園させるため,肢体不自由児通園施設入園申請書を提出した。この申請に係る入園が,入園期間を同年6月1日から平成19年3月31日までとして承諾されたため,春子は,平成15年6月から現在に至るまで,F学園に通園している。

(二) 上記申請の際に提出された,春子の主治医である社会福祉法人鶴風会東京小児療育病院・みどり愛育園小児科椎木俊秀医師(以下「椎木医師」という。)作成に係る春子に関する平成15年5月15日付け療育意見書(疎乙5)には,次のような記載があった。

(1) 身体障害者手帳の欄には,「有(1級)」と,障害名の欄には,「①四肢体幹機能障害 ②呼吸器機能障害」と,障害の原因となった病名の欄には,「①低酸素性脳症 ②声門不狭窄症」との記載があった。

(2) 現病歴(これまでの経過)の欄には,「在胎28週6日,1425gにて出生,RDSのため人工呼吸器管理を受けた。声門不狭窄症のため1歳1ケ月時に気管切開術を受けた。1歳4ケ月頃…抜管のため…状態となりけいれんを1回おこした。その後一人歩きまで獲得するための全身の低緊張が…体幹の機能障害を残して現在に至っている」(「…」は記載不分明箇所。以下,同じ。)との記載があった。

(3) 身体の状況の欄には,「歩行障害・不安定歩行」,「座位・可」,「上肢機能障害・有」,「変形・姿勢異常・無」,「けいれん発作・有1回(1歳4ケ月頃)」,「抗けいれん剤の服用・無」,「その他特記すべき身体状況・声門不狭窄症のため気管切開術を受けている。嚥下障害のため喘嗚が…取される。」との記載があった。

(4) 知的発達遅滞の欄には,「無」と,合併症の欄には「有(声門不狭窄症,嚥下障害)」と,生活の欄には,「食事・一部介助」,「衣服着脱・一部介助」,「排尿排便・一部介助」との記載があった。

(5) 療育方針の欄には,「全身の筋力低下,筋緊張の低下が認められる(下肢優位)ため,PT訓練を中心とした筋力向上のトレーニングを必要とする。気管切開を受け,唾液の気管への流入もあるため排痰を十分に行い,呼吸状態を安定させる必要がある。」との記載があった。

(6) 療育見込期間の欄には,「平成15年6月1日〜平成19年3月31日」との記載があった。

(7) 意見書の末尾には,「上記のとおり,肢体不自由児通園施設での療育が適当と判断します。」との記載があった。

(三)(1) F学園は,昭和47年10月1日に開設され,相手方が設置運営を行う施設であり,心身に障害のある零歳から就学前の乳幼児に対し,自立を助長するために必要な指導及び訓練等,早期療育を行い,児童の福祉増進を図ることを目的としている。F学園の定員は,肢体不自由児が15名,知的障害児(ただし,東大和市に住所を有する児童)が15名である。児童たちは,午前10時に登園して自由遊びをし,午前10時半からおあつまりやグループ活動を行い,正午には給食を食べ,午後1時から睡眠や自由遊びをして,午後2時半に降園することになっている。F学園では,小児科医,整形外科医,神経科医による身体的及び精神的な健康管理を行っており,また,理学療法士,作業療法士,言語療法士,音楽療法士,心理相談員による専門の指導を行っている。

(2) F学園の平成17年度の職員配置によれば,主任保育士1名,保育士8名(うち臨時職員2名を含む),看護師3名(うち臨時職員2名)が3グループ20名の園児を担当しており,臨時職員である2名の看護師が日替わりで常時1名が春子に対応し,正規職員である1名の看護師が,全園児の健康管理,医師及び訓練士との調整事務のほか,春子対応看護師の休暇補充要員及び職員休暇の補充要員の役割を果たしている。

(四) 春子は,F学園に,平成17年4月は10日間,5月は14日間,6月は16日間通園しており,たん等の吸引は,同月は,1日平均5,6回程度行われていた。具体的には,平成17年5月9日には,10時50分,11時45分,13時5分,13時50分に吸引が行われた。F学園入園後,春子は,医師の療育意見書に基づく理学療法士による理学療法を受け,身体機能向上に一定の成果があがっているものの,現在もまだ機能訓練を受けている。

(五) 春子は,平成17年5月9日,衣類を着替える際に介助を拒否したところ,徐々に喘嗚が激しくなり,呼吸困難,チアノーゼ出現,パニックの状態となった。そこで,看護師らが合同で吸引を実施したところ,喘嗚が軽減し,チアノーゼも消失した。

3  普通保育園の看護師の配置状況

申立人の申請に係る相手方の各保育園(A保育園,B保育園,C保育園,D保育園,又はE保育園)には,看護師が各1名配置されている。こうした看護師は,平成16年5月17日の段階で,全国に約2万か所ある保育所のうちで約4400か所ある。

東京都保育事業実施要綱は,看護師は,「保育士との協力のもとに零歳児の異常の発見,特に登所時における健康観察を通じての異常の有無の確認及び医師との連絡を行うほか,健康診断,予防接種の計画及びその実施に対する協力等保健活動に従事するものとする。」と規定している。また,国が定める児童福祉施設最低基準(昭和23年12月29日厚生省令第63号)33条に定める職員の規定においては,保育園における看護師の配置の義務は定められていない。相手方の設置する前記各保育園には,それぞれ約100名から180名の園児が通園しており,看護師は,園児全体の看護行為に当たっている。

4  平成16年の春子の状況

(一) 平成16年3月1日付け保育園入園申込書に添付された杏林大学小児科の保坂弘明医師(以下「保坂医師」という。)作成に係る春子(当時3歳6か月)についての同年2月18日付け診断書(疎甲1,2)には,以下のような記載があった。

「病名 喉頭軟化症(気管切開術後)・声帯麻痺…(中略)…発達に関しては,定頚6カ月,座位は1歳,一人立ちは1歳4カ月,一人歩きは1歳6カ月で可能となっております。また,言葉も2歳時ころから,出るようになり,現在はスピーチバルブの使用も可能となっております。現在,遠城寺式乳幼児分析発展検査表にて,移動運動2歳6カ月,手の運動3歳,基本的習慣3歳,対人関係3歳8カ月,発語2歳9カ月,言語理解3歳4カ月と良好な発展も認めております。患者は気管切開中の児ではありますが,保育園の看護士さんの協力(吸引等)も得られる状態であり,普通保育園,学級の進むことが,より患児の成長発達を促し,また患児もそれに対応する能力があると思われます。患児が普通保育園,学級に進むことは,東京都心身障害教育改善検討委員会の最終報告の,今後の東京都の特別支援教育の展開に向けた改善の方向(第2章)の理念に合致すると思われます。

(二) 椎木医師の作成した同年3月4日付け診療情報提供書(疎甲6の1)には,傷病名欄に「喉頭軟化症(気管切開術後),声門下狭窄,声帯麻痺」との記載があり,紹介内容欄に以下のような記載があった。

「現在は身体的には呼吸の問題を除き急速な伸びが見られ知的にも順調に発達しておられます。よって健常児との統合保育が児にとっての発達に極めて有効かつ必要だと考えます。一方気管からの分泌物,唾液の気管への流入,誤嚥の可能性などがあり気管内吸引などの医療的ケアが必要な状況です。気管内吸引は適切な指導を受けた職員が決められた手順で行えば安全に行える手技であります。また気管カニューレが抜けた場合も気切孔がすぐには閉じることはなく,これも手技を習得すれば安全に行うことができます。当院では職員の方へのご指導もお引き受けいたしますし,急変時の対応あるいはご相談にも随時応じていける体制をとる予定ですのでご配慮のほどよろしくお願いいたします。」

(三) 春子は,平成16年3月4日には,身体障害者手帳4級となっていた。

(四) 椎木医師が東大和市長に宛てて作成した春子に関する平成16年5月17日付け診療情報提供書(疎甲6の2)には,傷病名欄に「喉頭軟化症(気管切開術後),声門下狭窄,声帯麻痺」との記載があり,紹介内容欄には以下のような記載があった。

「甲野太郎殿が貴市に提出された陳情書の添付資料「危険を伴う『たんの吸引行為』について甲野春子殿の主治医として,たんの吸引に際して引き起こされるおそれのある危害の内容に従って見解を述べさせていただきたく思います。…(中略)…

【口腔鼻腔内吸引】

○ 長時間の吸引が行われると低酸素血症を引き起こすおそれがある。

・ 通常は1回の吸引は約10〜15秒以内で終了します。吸引時間を定めてそれを厳守すれば回避可能です。

…(中略)…

【カニューレ内部までの気管内吸引】

○ 清潔保持が徹底されないと感染症に罹患するおそれがある。

・ 吸引前に手洗いの励行や清潔操作を厳守することにより回避可能です。

○ 長時間の吸引が行われると低酸素血症,肺胞の虚脱,無気肺を引き起こすおそれがある。

・ 口腔鼻腔内吸引と同様の理由で回避可能です。

【カニューレ下端より肺側の気管内吸引】

○ 吸引によって刺激され,咳そう反射(残存している場合)がおこり,カニューレの位置の移動や抜去による出血,気管切開孔の閉塞の危険性がある。

・ 通常気管内吸引は気管カニューレの先端より先にはチューブを挿入せずに吸引いたします。その場合にはこのようなことは起こりません。しかし,もう少し深くチューブを挿入して吸引をしないと十分に排痰できない方もいらっしゃいます。その際には医師の指示に従い吸引チューブの挿入長や,挿入時間などを厳守して家庭で安全に行っている手順に従って行うことにより十分回避可能です。万が一カニューレが抜去された場合には児の場合は気管切開孔がすぐには自然閉鎖しないため,その際の対応をきちんと習得していれば十分に対応可能と考えます。

○ 清潔保持が徹底されないと感染症に罹患するおそれがある。

・ カニューレ内部までの気管内吸引と同様の理由で回避可能です。

○ 気管分岐部の粘膜を傷つけ,出血を起こすおそれがある。

・ 通常の医療行為においても気管分岐部以下までチューブを挿入して吸引することは例外的な場合を除いてありません。よってこのような吸引は家族にも認めることはありません。チューブの挿入長を制限していれば起こりえない事故です。

○ 長時間あるいは高い吸引圧での吸引が行われると,末梢部までの空気まで吸引されて低酸素血症,肺胞の虚脱,無気肺を引き起こす可能性がある。

・ 口腔鼻腔内吸引と同様の理由及び適切な吸引時間を設定することで回避可能です。

○ 迷走神経そうを刺激することにより,呼吸停止や心停止を引き起こすおそれがある。

・ 気管内吸引が刺激になり呼吸状態が悪くなる方もいらっしゃいますが,その方の場合には日頃からそのような症状が既に見られていることが多く,そのような方の場合には保育園の職員に医療的ケアを依頼することは難しいと思います。しかし日頃から安定的に気管内呼吸が行われている方に急に上記のような症状が出現するということは可能性としてはありえますが,日頃診療を行っている経験上その可能性は極めて低いと思われます。もし起こるとすると体調不良であったり呼吸器感染症に罹患していたりする場合が考えられますが,その際には園をお休みにしたり家族にお迎えに来ていただいたりして対応することになると思います。

○ 気管粘膜を傷つけ,粘膜のびらんや気管拡張を招き,気管食道ろうや大血管穿破による動脈の大量出血により失血死を引き起こすおそれがある。

・ これは気管内吸引を行っている方には十分に注意していてもおきうる合併症です。特にチューブを深くまで挿入して頻回に吸引する方や気管内に肉芽を形成しやすい方などに多く見られる合併症です。そうでない方は日頃から気管内からの出血や肉芽の形成に気をつけ医師の定期的な診察を受けていれば十分に回避可能です。このような合併症を起こさないためにもできるだけ吸引チューブの挿入長が短くて済むように調整していく必要があります。保育園職員は医師の指示に従い家族のアドバイスを受けながら吸引を行えば事故は最小限に防げます。

上記の危害の内容はあくまで可能性について述べられているものであって,すべて十分に回避可能であったり仮に起こったとしても適切な対応をしている場合には責任を問えない不可抗力に属する内容と考えます。」

(五) 国立成育医療センター耳鼻咽喉科川城信子医師(以下「川城医師」という。)作成に係る平成16年11月22日付け診断書(疎甲6の3)には,診断名の欄に「喉頭狭窄,声帯麻痺,気管切開カニューレ装用」との記載があり,附記として以下のような診断内容の記載があった。

「スピーチバルブを使用しており,発声も可能で,言語によるコミュニケーションも問題がない。発達も少し遅れていたが,現在は精神発達,運動発達に問題がない。これからの成長のためには他の子ども達とのコミュニケーションにより,精神面の発達,身体面の発達がさらに伸びていくことが期待できる。保育園での経験が児にとって,さらに豊かな人格形成につながると期待する。カニューレの管理は母親の管理が上手で脱落防止のテープがカニューレホルダーの上からがっちりとカニューレを固定しており,脱落することはない。吸引を必要とする可能性があるが,スピーチバルブを使用しているので,痰は口の方向に出すことが可能である。医学的にも安全な状態になっている。」

(六) 国立成育医療センター呼吸器科宮川知士医師(以下「宮川医師」という。)作成に係る平成16年11月22日付け診断書(疎甲6の4)には,診断名の欄に「気管切開中による機能障害」との記載があり,附記として以下のような診断内容の記載があった。

「気管切開を現在まで続けているが,母親は気管切開とその管理についての十分な知識を有しており,平素の在宅管理に問題を認めない。現在4歳となり,知的発達にとって重要な時期にあると考えられる。特に同年齢の健常児との共同生活を行える保育園への通園は,このような知的発達にとって必要不可欠なものと考えられる。気管切開における吸引については,いまや在宅で広く行われているものであり,医療に関する知識を有する看護師であれば,安全かつ有効に行うことができると考えられる。またカニューレの事故抜去については,母親が固定法を工夫するなど事故防止に努めており,現在の固定法で十分に事故抜去を防止できるものと考える。これらの状況にかんがみて,本児が保育園に通園できることが望ましく,可能な限りのご配慮をお願いします。」

5  平成17年の春子の状況

(一) 春子の主治医である東京小児療育病院・みどり愛育園小児科松田光展医師(以下「松田医師」という。)作成に係る平成17年9月28日付け診療情報提供書(疎甲8)には,傷病名欄に「喉頭軟化症(気管切開術後),声門下狭窄,声帯麻痺」との記載があり,紹介内容欄には以下のような記載があった。

「【頭部MRI】2005年9月8日実施

脳梁,脳幹,小脳に異常所見なし。大脳ではび慢性に皮質下白質の発達がやや不良(年齢に比して)である。これは未熟児出生の影響と思われ,2003年のMRIと比較すると白質の伸びは明らかで,特に皮質の発達に問題はなく,破壊性,進行性の病変はない。

【胸部CT】2005年9月8日実施

両肺とも肺野はほぼクリアであり,誤嚥の形跡はない。前回(2003年9月)と比較して所見は著明に改善しており,正常範囲内の所見といって差し支えない。

【心理評価】2005年9月9日実施(4歳11ケ月時)

田中ビネー検査:IQ=88 知的な遅れは指摘できない。

…(中略)…

この2年間における画像所見の改善,知的な伸びは大きく,身体的には気管切開を除いてほとんど問題ない状況となっております。よって今後の本児の発達を考えた時,健常児との統合保育は極めて重要であり,その権利は十分に保障されるべきと考えます。」

(二) 春子は,平成17年11月の時点では,たん等の吸引の必要がある場合に,自ら申し出るだけでなく,自分自身でチューブの挿入及び吸引を行うことも可能となっている。また,春子は成長に伴い既に鼻と口からの呼吸も一部可能となっており,成長に伴って完全な自己呼吸が可能となり,カニューレの装着が不要となる可能性もある。

6  普通保育園への入園申込み

(一) 申立人は,F学園の関係者から,春子の兄弟の通う普通保育園に入園をしてみてはどうかとの助言を受けたことから,東大和市福祉事務所長に対し,平成16年3月2日,平成16年度保育園入園申込書を提出して,入園申込みをした。

(二) 東大和市福祉事務所長は,申立人に対し,平成16年3月8日,入園申込書を受理しない旨電話にて通告し,その後,入園申込書一式を申立人に返却した。申立人は,これ以後も,春子を普通保育園に入園させようと東大和市福祉事務所長や東大和市と折衝するなど様々な行動を続けたが,入園についての承諾は得られなかった。

(三) 申立人は,東大和市福祉事務所長に対し,平成17年1月20日,希望保育園をB保育園として,平成17年度の保育園入園申込みを行った。

(四) 東大和市福祉事務所長は,申立人に対し,平成17年2月23日,上記申込みによる保育園入園を不承諾とする処分を通知した。通知書(疎乙1)に記載された不承諾の理由は,以下のとおりであった。

「甲野春子様の保育園入園申請につきましては,気管切開をされ,たんの吸引措置が必要な健康状態であるところから,申請があった認可保育園において通常の集団保育を行うことに支障が無いかどうかを含め,検討を行ってまいりました。

この結果,甲野春子様が申請された保育園に入園した場合,市として児童福祉法第24条における適切な保育を確保することが困難との判断をいたしました。」

(五) 申立人は,東大和市福祉事務所長に対し,平成17年3月4日,希望保育園をA保育園,B保育園,C保育園,D保育園,又はE保育園として,保育園入園申込みの変更届を行った。

(六) 東大和市福祉事務所長は,申立人に対し,平成17年3月23日,上記変更届による保育園入園を不承諾とする処分を通知した。その通知書(疎乙2)に記載された不承諾の理由は,以下のとおりであった。

「甲野春子様の保育園入園申請につきましては,気管切開をされ,たんの吸引措置が必要な健康状態であるところから,平成17年1月20日付で申請があったことに伴い,通常の集団保育を行うことに支障が無いかどうかを含め検討を行なった結果,入園は困難と判断した経過があります。

今回の変更届に基く申請については,過去の経過も踏まえ,入園の適否について検討した結果,甲野春子様が申請された保育園に入園した場合,市として児童福祉法第24条における適切な保育を確保することが困難との判断をいたしました。」

二  争点1(償うことのできない損害を避けるために緊急の必要があるときの要件の存否)について

1 行政事件訴訟法37条の5第1項所定の「義務付けの訴えに係る処分又は裁決がされないことにより生ずる償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があるとき」とは,義務付けの訴えに係る処分又は裁決がされないことによって被る損害が,原状回復ないし金銭賠償による填補が不能であるか,又は社会通念上相当に困難であるとみられる程度に達していて,そのような損害の発生が切迫しており,社会通念上,これを避けなければならない緊急の必要性が存在することをいうと解すべきである。

2(一) これを本件について見るに,前記認定事実によると,春子は,現在満5歳であり,保育園への入園が許可されたとしても,平成19年3月には保育園を卒園することになる。したがって,申立人は,春子のために,平成17年11月2日に本案訴訟を当庁に提起しているものの,本案訴訟の判決の確定を待っていては,春子は,保育園に入園して保育を受ける機会を喪失する可能性が高いということができる。子供にとって,幼児期は,その健康かつ安全な生活のために必要な習慣を身につけたり,自主的,自律的な精神をはぐくんだり,集団生活を経験することによって社会生活をしていく上での素養を身につけたりするなどの重要な時期であるということができるから,子供にとって,幼児期においてどのような環境においてどのような生活を送るかはその子供の心身の成長,発達のために重要な事柄である。したがって,相手方が春子の保育園への入園を許可する旨の処分をしないことによって,春子が保育園に入園して保育を受ける機会を喪失するという損害は,その性質上,原状回復ないし金銭賠償による填補が不能な損害であるというべきである。

そして,親権者は,子供を監護及び教育する権利を有し,義務を負っている(民法820条)。したがって,幼児期において子供をどのような環境においてどのような生活を送らせるかは,親権者の権利,義務にも影響するところであるから,上記損害は,申立人の損害でもあるということができる。

(二) また,春子は,現に保育園に入園することができない状況に置かれているのであるから,損害の発生が切迫しており,社会通念上,これを避けなければならない緊急の必要性も肯定することができる。

3(一)  これに対し,相手方は,春子がF学園に通園しているから,償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があるということはできない旨主張する。

(二)  しかし,前記認定事実によると,F学園は,心身に障害のある零歳から就学前の乳幼児に対し,自立を助長するために必要な指導や訓練等,早期療育を行い,児童の福祉増進を図ることを目的として,肢体不自由児及び知的障害児を療育する施設であって,その療育時間も原則として,1日4時間30分程度にとどまるというのである。したがって,F学園を保育園と同視することはできない。

そうすると,春子がF学園に通園していることをもって,春子が保育園に入園して保育を受けているのと同様の状況にあると見ることはできず,また,保育園に入園することができないことによる損害が回避されていると認めることもできない。

(三)  以上によると,相手方の前記(一)の主張は,採用することができない。

三  争点2(本案について理由があるとみえるときの要件の存否)について

1 行政事件訴訟法37条の5にいう仮の義務付けを命ずるには,「本案について理由があるとみえるとき」という要件が必要である。そして,同条の文言,及び仮の義務付けの決定が,裁判所が本案判決前に仮に行政庁が具体的な処分をすべきことを命ずる裁判であることからすると,その発令の要件は,処分の執行停止の決定においては「本案について理由がないとみえるときは,することができない」(同法25条4項)とされているものよりも,更に厳格なものであり,仮の義務付けの裁判の段階において,積極的に,本案について理由があると認め得ることが必要であると解すべきである。

2  そこで,上記観点から,本件において,本案について理由があると認め得るかについて検討するに,申立人は,申立人には保育に欠けるところがあることを前提に,春子に関して児童福祉法24条1項ただし書にいう「やむを得ない事由」がないことは明らかであるから,処分行政庁である東大和市福祉事務所長は,申立人の申込みに対して,適切な保育園への春子の入園を承諾する義務があり,本案について理由があるとみえるというべきである旨主張するところ,これは,本件において,①申立人には保育に欠けるところがあり,かつ,②東大和市福祉事務所長が,春子に関して児童福祉法24条1項ただし書の「やむを得ない事由」が存在すると判断し,普通保育園への入園を承諾しなかったことが,その裁量権の範囲を超え又はその濫用となるものであって,違法であるとの主張であると理解することができる。

そして,前記前提事実及び認定事実によれば,申立人は,会社の代表取締役であり,妻の夏子もその経理事務を手伝っており,また,夏子は,病気の母の看護をするとともに,申立人の父の介護もしていることが認められる。したがって,児童の保護者のいずれもが昼間労働をすることを常態としており,一方は同居の親族の常時介護もしているため,結局,いずれも当該児童を保育することができないと認められる場合であって,かつ,同居の親族その他の者が当該児童を保育することができないと認められる場合(児童福祉法施行令27条1号,同条4号)に当たるということができる。そうすると,申立人らには,保育に欠けるところがあるというべきである。

そこで,これらを前提に,本件において,相手方ないし東大和市福祉事務所長の児童福祉法24条1項ただし書についての前記判断に,その裁量権の範囲を超え又はその濫用となるような違法な点があったかどうかについて検討する。

3  児童福祉法1条1項は,「すべて国民は,児童が心身ともに健やかに生まれ,且つ,育成されるよう努めなければならない。」と規定し,また,同法2条は,「国及び地方公共団体は,児童の保護者とともに,児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」と規定して,児童の健やかなる育成の重要性を強調している点にかんがみると,同法24条1項に基づいて,児童の保育に欠けるところのある保護者から申込みがあったときに,処分行政庁は,当該児童に対し,保育所における保育を行う際に,当該児童が心身ともに健やかに育成する上で真にふさわしい保育を行う責務があるというべきである。このことは,当該児童が障害を有する場合であっても同様である。そして,真にふさわしい保育を行う上では,障害者であるからといって一律に障害のない者が通う普通保育園における保育を認めないことは許されず,障害の程度を考えて,当該児童が,普通保育園に通う児童と身体的,精神的状態及び発達の点で同視することができ,普通保育園での保育が可能な場合には,普通保育園での保育を実施すべきである。

よって,このような場合であるにもかかわらず,処分行政庁が,児童福祉法24条1項ただし書にいう「やむを得ない事由」があるとして,当該児童に対し,普通保育園における保育を認めなかった場合には,処分行政庁の保育所への不承諾処分は,裁量の範囲を超え又はその濫用となるものであって,違法となると解すべきである。

4  そこで,春子が,その障害の程度を考えて,普通保育園に通う児童と,身体的,精神的状態及び発達の点で同視することができ,普通保育園での保育が可能か否かについて検討するに,前記前提事実及び認定事実のほか,かっこ書内の引用によると,以下のとおり認定判断することができる。

(一) 春子は,過去において,四肢体幹機能障害(歩行障害,上肢機能障害),呼吸器機能障害等を有し,1級の身体障害者手帳を有していた。しかし,その後,心身の健全な発育と障害の改善がみられ,現在では,①カニューレを喉に装着,挿入しているため,気管内にたまる唾液やたんを定期的に除去する必要があり,30分に1回から2,3時間に1回程度の間隔で,1回につきおよそ1分間程度,吸引器を用いて唾液やたんを吸引する必要があること,及び②嚥下障害による誤えんを避けるため,水分にとろみをつけることが必要となっているという障害が残っている程度で,身体障害者手帳も,平成16年3月4日には4級となっている。

(二) 春子の身体的機能は年々回復してきており,上記(一)①のたん等の吸引及び上記(一)②の誤えんへの注意の点を除いては,本件各処分の当時は,障害のない児童とほとんど変わらない身体的機能を有するようになってきている。春子がF学園に入園する際の資料であった椎木医師の平成15年5月15日付け療育意見書(疎乙5。春子の2歳8か月当時)において指摘されたような,四肢機能障害や筋力向上のトレーニングの必要性,生活面での一部介助の必要性,肢体不自由児通園施設での療育の相当性,療育見込期間については,その後の診断書,診療情報提供書等では見当たらず,精神的発達,運動発達にも問題がなくなり,かえって,普通保育園に入園し,障害のない児童との集団保育をすることが薦められている。また,春子は,成長に伴い既に鼻と口からの呼吸も一部可能となっており,今後,成長に伴って完全な自己呼吸が可能となり,カニューレの装着が不要となる可能性もあるとされている。

(三) たん等の吸引に関しても,椎木医師作成に係る平成16年3月4日付け診療情報提供書(疎甲6の2),同じく同年5月17日付け診療情報提供書(疎甲6の2)及び宮川医師作成に係る同年11月22日付け診断書(疎甲6の4)によると,たん等の吸引行為には各種の危険が伴うが,いずれも回避可能であるか,あるいは,その事故が起こる可能性が極めて低いものであり,気管切開における吸引については,在宅でも広く行われているものであって,春子のような症状の安定した健康状態に近い患者の場合には,医療に関する知識を有する看護師であれば,安全かつ有効に行うことができるものであって,春子の場合にあっては,医師による保育園職員への指導や危急時の対応も可能であると認めることができる。なお,東京都健康局医療サービス部疾病対策課が作成した国学院大学法学部平林勝政教授による「ALS患者の在宅療養の支援について―家族以外の者によるたんの吸引に関する法的解釈―」と題する講演録(疎乙6)においても,たんの吸引は,医師の医学的な判断や技術をもってするのでなければ危害を生ずるおそれのある医行為であるとされているものの,看護師による実施を排斥するものではなく,また,家族又はヘルパー等のように医師,看護師以外の者が行うたん等の吸引であっても,目的及び手段が相当であれば違法ではないとするものであり,また,たん等の吸引行為は,患者の状態が安定していて,そのたん等が取れやすいのであれば,人体に大事を及ぼすおそれのある行為ではないとされており,上述した認定判断と矛盾するものではない。

(四) カニューレの脱落ないし抜去事故については,杏林大学医学部付属病院小児系病棟における重大な事故の発生例が報告されている(疎乙16)が,当該事故は,当時1歳6か月の入院中の幼児の例であり,本件各処分当時,4歳半であって,現在5歳3か月の知的機能,運動機能ともに問題のない春子の場合に参考となるものではない。また,本件においては,川城医師作成に係る平成16年11月22日付け診断書(疎甲6の3)及び宮川医師作成に係る同日付け診断書(疎甲6の4)によると,春子の場合,脱落防止のテープがカニューレホルダーの上からしっかりとカニューレを固定しており,現在の固定法で十分に事故抜去を防止することができると認めることができる。また,万一,事故抜去が生じたり,たん等の吸引の遅れ等が生じたとしても,春子の年齢,精神発達,運動発達の状況,看護師等の存在,さらには,主治医の協力等を考えると,それが重大事故に発展する可能性は極めて乏しいというべきである。

(五) 誤えんに対する注意については,保育士によっても可能であることは明らかである。

(六) 申立人の希望する保育園には,いずれも看護師1名が配置されている。

5 以上の事実関係によれば,春子は,平成15年当時は,種々の機能障害等を有していたものの,成長につれてこれは改善され,本件各処分当時は,呼吸の点を除いては,知的・精神的機能,運動機能等に特段の障害はなく,近い将来,カニューレの不要な児童として生活する可能性もあり,医師の多くも,春子について障害のない児童との集団保育を望ましいとしているものであって,たん等の吸引については,医師の適切な指導を受けた看護師等が行えば,吸引に伴う危険は回避することができ,カニューレの脱落等についても,十分防止することができるということができる。

したがって,春子がたん等の吸引と誤えんへの注意の点について格別の配慮を要するとしても,その程度に照らし,普通保育園に通う児童と,身体的,精神的状態及び発達の点で同視することができるものであって,普通保育園での保育が可能であると認めるべきである。

そうすると,以上の認定判断を前提とする限り,春子の普通保育園での適切な保育が困難であって,児童福祉法24条1項ただし書にいう「やむを得ない事由」があると判断した東大和市福祉事務所長の判断は,裁量の範囲を超え又はその濫用となるものというべきである。したがって,春子の普通保育園への入園を不承諾とした本件各処分は,違法であるというべきである。

6(一)  これに対し,相手方は,たん等の吸引行為を保育士に取り扱わせるのは問題である旨主張する。

しかし,申立人が求めているのは,あくまで看護師によるたん等の吸引行為であり,保育士はその補助者と想定しているにすぎないのであるから,同主張は,採用することができない。

(二)  次に,相手方は,現在,各保育園に勤務する看護師は,零歳児保育特別対策事業を実施するために配置されたものであり,たん等の吸引などの医行為を必要とする特定の児童のために配置されたものではない旨主張する。

しかしながら,相手方の主張する東京都保育所事業実施要綱は,その1条で,「この要綱は,…(中略)…区市町村が,児童福祉法(以下「法」という。)第24条の規定に基づき保育を実施する児童の在籍する保育所について,その児童の処遇の改善及び保育所の運営の充実を図るため支出した費用に関し,東京都が地方自治法第232条の2の規定に基づき,補助する事業を規定し,もって児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」と規定しており,実施要綱が,東京都の補助すべき事業の対象を定めるものにすぎないことは明らかである。そうすると,実施要綱3条柱書で「区市町村が,法第24条の規定に基づき法第39条に規定する保育所において保育を行う児童を対象として行う次に掲げる事業を対象とする。」と定め,同条1項表題で「零歳児保育特別対象事業」と,同項(1)―A号で「零歳児保育を推進するため,次の各号の要件を満たす公立保育所及び社会福祉法人等立保育所の運営の充実を図るために行う事業をいう。」と定め,さらに,同号の中の(カ)において,「保健師又は助産師若しくは看護師(以下「保健師等」という。)を1名配置すること。…(中略)…保健師等は,保育士との協力のもとに零歳児の異常の発見,特に登所時における健康観察を通じての異常の有無の確認及び医師との連絡を行うほか,健康診断,予防接種の計画及びその実施に対する協力等保健活動に従事するものとする。」とそれぞれ定めているものの,これらの規定は,補助対象事業を定めているものであり,実際に保育所に配置された看護師が,零歳児に対する健康観察等のほか,たん等の吸引等,医行為を必要とする特定の児童のためにも働くことを妨げるものではないというべきである。

その他,本件一件記録を精査してみても,看護師がたん等の吸引等の医行為を必要とする特定の児童のために働くことを妨げる根拠は見当たらない。逆に,衆議院第159回通常国会における決算行政監視委員会第3分科会における平成17年5月17日付け議事録(疎甲9)によれば,同日の審議において,高木美智代議員が,春子を想定した相手方に居住する喉頭軟化症の児童に関する保育所入所の可能性に関する質問をしたことに対し,政府参考人である伍藤忠春厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(当時)は,「たんの吸引ということが,これが医療行為とされておりますことから,保育所に看護師が配置されておるかどうかということが決め手になるわけでございます。現在全国に二万カ所ございます保育所のうち,看護師が配置されておるのが四千四百カ所程度でございます。…中略…こういったところでは状況によっては受け入れが可能ではないかと思います(以降,省略)」と回答していることが認められ,この回答も,看護師が,こうした職務も行い得ることを示すものと評価することができる。

以上によれば,相手方の前記主張は,採用することができない。

(三)  また,相手方は,東大和市内の各保育園には,約100名から180名の園児が通園している状況の下で,各保育園に配置された1名の看護師は,園全体としての看護行為に当たらなければならず,実際問題として,一人の園児に対し,付きっきりで看護することができる体制にはないとし,F学園の方が適切な対応を取ることができる旨主張する。

しかしながら,春子に係る特別な世話の内容は,①30分ないし2,3時間に1回,1分間程度行われるたん等の吸引行為,又は春子が行うたん等の吸引行為の補助と②誤えんを防ぐために水分にとろみをつけることである。そして,これら以外の点については,仮に,相手方が主張するように,春子は体力的に疲れやすく,散歩等の際にも5分から10分毎に休憩を必要とすることなどがあったとしても,保育士のみでも十分対応することができるはずのものである。しかも,春子の年齢や,精神面,運動面の発達状況,さらには,春子が,既に平成17年11月の段階では,自分自身で吸引行為を行うことができるようにまでなっていることも考え合わせると,本件各処分当時においても,看護師が春子の世話に付きっきりのものとなったり,看護師にとって過大な手間となるということはできない。

したがって,相手方の前記主張は,採用することができない。

(四)  相手方は,椎木医師作成に係る平成15年5月15日付けの療育意見書(疎乙5)において,理学治療等の必要性が記載され,療育見込期間も平成19年3月31日までとされていることを主張するが,この診断は,一般的な幼児の発達の急速さに照らせば,はるかな過去のことであり,既に認定判断した春子の発達状況等からすると,本件各処分の当時に妥当するものではない。

(五)  相手方は,春子が,平成17年5月9日に,チアノーゼ状態になったことを指摘するが,これは,結局ことなきを得た出来事である。しかも,本件各処分時以降の事情であり,かつ,平成17年11月段階では,春子自身が自ら吸引を行えるようになっているのであるから,看護師及び保育士が通常の園児に対するのと同様に春子に注意を払っていれば,たん等の吸引の遅れによる事故は防ぐことができるものと考えることができる。

このほか,同一保育中の他の園児とのけんか,悪ふざけなどにより起こり得るカニューレ脱落事故等についても,カニューレの固定法の工夫等により防止することが可能であり,万が一事故が起こった場合でも,適切な処置がなされれば,大事に至ることはないと考えられる点についても,前記認定判断のとおりである。

以上によれば,相手方の前記主張も,採用することができない。

7 以上の認定判断を前提とすると,現段階においては,本件各処分は,処分行政庁が裁量権を逸脱又は濫用したものであって違法であり,処分行政庁は,本件における普通保育園への入園の各申請につき,承諾の義務を負うものということができる。

第四  結論

以上によれば,本件申立ては,理由があるからこれを認容することとし,申立費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官・菅野博之,裁判官・鈴木正紀,裁判官・岩井直幸)

別紙争点に関する当事者の主張の要旨<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例