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東京地方裁判所 平成17年(行ク)295号 決定 2005年12月20日

主文

1  本件申立てをいずれも却下する。

2  申立費用は申立人の負担とする。

理由

第1申立ての趣旨

別紙1(申立ての趣旨)記載のとおりである。なお,同別紙記載の更正処分を,以下「本件更正処分」という。

第2事案の概要

1  本件申立ては,まず,申立人が租税特別措置法(昭和32年法律第26号。以下「措置法」という。)66条の4に規定する国外関連者との間で行った国外関連取引につき,支払う対価の額が独立企業間価格を超えているとして,処分行政庁が,同条7項に基づき,独立企業間価格を推定し,又は,同条9項の質問若しくは検査の権限を行使して収集した資料等を用いて,同条1項及び2項並びに国税通則法(昭和37年法律第66号)24条に基づき,独立企業間価格を算定して,本件更正処分を行おうとしていることを前提としている。そして,申立人が,独立企業間価格を算定するために必要と認められる帳簿書類又はその写し(以下「独立企業間価格算定帳簿書類」という。)を申立人は遅滞なく提示し又は提出しているから課税要件を欠く一方で,当該課税処分が行われた場合には,申立人には償うことのできない損害が生ずるなどとして,本件更正処分の差止めを求める旨の訴訟(当庁平成17年(行ウ)第561号事件)を提起し,これを本案として,本件更正処分の仮の差止めを求めたものである。

2  争点(当事者双方の主張の骨子は,次に記載するとおりである。)

(1)  差止めの訴えに係る処分がされることにより償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があるか否か。

ア 申立人の主張

(ア) 本件更正処分が新聞報道されると,申立人のブランドに対する信用の失墜といった回復不能な損害を被ることになる。

(イ) 本件更正処分により,申立人は,財務状況に深刻な悪影響を受けることになる。

イ 相手方の主張

(ア) 新聞報道による信用の失墜は本件更正処分による損害とはいえず,この点をひとまずおき,仮に新聞報道が納税者の納税申告や経理処理の適正さに対する否定的評価を与えるとしても,企業の販売する商品等のブランド価値に対して否定的評価を下す内容ではなく,現にブランド価値が低下したことを疎明する資料もない。

(イ) 更正処分による税額の発生自体は「償うことのできない損害」には当たらず,また,申立人の財務状況の悪化の疎明もない。

(2)  本案について理由があるとみえるか否か。

ア 申立人の主張

(ア) 申立人が提示し又は提出しなかったとされる帳簿書類は独立企業間価格算定帳簿書類には当たらない(国外関連者が保有する帳簿書類は措置法66条の4第7項にいう独立企業間価格算定帳簿書類には当たらない。税務職員が提示又は提出を求めた帳簿書類は独立企業間価格の算定のために必要がない。申立人が提出した独立企業間価格を算定,検証する報告書の有効性を否定し,それを超える資料を要求することは,申立人に不可能を強いるものである。)から,処分行政庁が独立企業間価格を推定することは措置法66条の4第7項の要件を満たさず違法である。

(イ) 同様に同条9項の質問・調査権の行使は同項の要件を満たさず違法であって,これにより収集された比較対象企業の取引内容に関する情報に基づいて,同条1項及び2項並びに国税通則法24条に基づく更正処分を行うことは違法である。

(ウ) 現実の申立人の国外関連者との間での棚卸資産の取引価格は独立企業間価格を超えてはいない。

イ 相手方の主張

(ア) 申立人には本件更正処分により重大な損害を生ずるおそれがないから本案事件の訴えは不適法である。

(イ) 措置法66条の4第9項の質問・検査権の行使の違法は,申立人以外の第三者の法益侵害を主張するものにすぎない上に,これは法人税の更正処分の「根拠となる法令の規定」に当たらないから主張自体失当である。

(ウ) 申立人は,独立企業間価格算定帳簿書類を遅滞なく提示し又は提出しなかった(独立企業間価格算定帳簿書類には,国外関連者が保有する帳簿書類が含まれないわけではない。税務職員が申立人に対して提示又は提出を求めた帳簿書類は,独立企業間価格算定帳簿書類に当たる上,国外関連者と特殊な関係にある申立人において,提出不可能な書類ではない。)から,措置法66条の4第7項違反はない。

(3)  公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるか否か。

ア 相手方の主張

申立人の平成11年1月1日から同年12月31日までの事業年度の法人税に係る更正処分の除斥期間は平成18年3月31日であり,その終期が切迫しているところ,現在の訴訟実務における平均的な審理期間を考慮すると,たとえ本件において仮の差止めの決定の終期が本案事件の第1審判決言渡しの時までとされた場合であっても,同日までに本案事件において第1審判決が言い渡される見込みは極めて少ないといわざるを得ず,本件申立てに基づいて仮の差止めの裁判がされると,更正の除斥期間との関係で,申立人に対する更正処分をすることが不可能となるおそれがあり,国税通則法24条が更正により直接達成しようとしている行政目的である公共の利益ないし公益,すなわち申告に係る課税標準又は税額等が課税庁において調査したところと異なる場合における課税の適正・充実という要請が害されて,「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」が具体的かつ高度に認められる上に,本件のような申立てが安易に認容されることとなれば,課税処分を免れるための便法として,仮の差止めの申立てを濫用する余地を認めることにもなりかねない。

イ 申立人の主張

更正処分の除斥期間は6年であるから,申立人の申告内容に疑義があればいつでも調査を行うことができたにもかかわらず,処分行政庁はその期間の経過間際になってようやく更正処分を行おうとしているにすぎず,仮の差止めの結果として,法律関係の早期確定,当事者の立証の困難の回避等の意義を有する除斥期間制度により処分行政庁が本件更正処分を行うことができなくなったとしても,公共の福祉に影響を及ぼすとはいえない。

第3当裁判所の判断

1(1)  差止めの訴えの提起があった場合において,その差止めの訴えに係る処分又は裁決がされることにより生ずる償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があり,かつ,本案について理由があるとみえるときは,裁判所は,申立てにより,決定をもって,仮に行政庁がその処分又は裁決をしてはならない旨を命ずることができる(行政事件訴訟法37条の5第2項)が,仮の差止めは,公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときは,することができない(同条第3項)ので,以下,本件における上記各要件の充足の有無(争点(1)ないし(3))について検討する。

(2)  そして,本件疎明資料及び本案事件の記録によれば,本件事案の経緯は,別紙3(本件事案の経緯)記載のとおりであることが一応認められる。

2  争点(1)(償うことのできない損害を避けるための緊急の必要性の有無)について

(1)  行政事件訴訟法37条の5第2項は,仮の差止めの要件として,「償うことのできない損害を避けるため緊急の必要」があることを定めている。

これは,本案事件における差止判決を待っていたのでは「償うことのできない損害」を生ずるおそれがあって,これを避けるために緊急の必要があることを要件とするものであるから,「償うことのできない損害」とは,差止訴訟の要件である「一定の処分又は裁決がされることにより重大な損害を生ずるおそれがある場合」(同法37条の4第1項)よりも損害の回復の困難の程度が著しい場合をいうものと解すべきであり,金銭賠償が不可能な損害が発生する場合のほか,社会通念に照らして金銭賠償のみによることが著しく不相当と認められるような場合を指すものと解される。

(2)  このような見地から,本件更正処分が行われることにより,申立人が被るであろう損害について検討する。

申立人は,争点(1)で示したとおり主張しているが,更にその主張を具体的に敷えんすると,①本件更正処分がなされると,税務当局は,歴史的にみて,本来秘密にされるべき納税者の情報を組織的な意図として確信犯的に守秘義務違反により垂れ流してきており,まず間違いなく情報がリークされ,その結果,新聞各紙において,申立人は「申告漏れ」,「所得を海外に移転」,「課税逃れ」等と極めて否定的に表現されることになり,申立人のブランドへの消費者の忠誠といった無形の財産が侵害され,イメージの低下,ブランドに対する信用の失墜といった回復不能な損害を被ることになること,②本件更正処分は,国税と地方税,本税と附帯税を併せて36億円に上ることが予想される上に,高率の延滞税を回避するためには,年間の売上高が227億円程度の申立人にとっては,事業以外の目的で多額の資金調達を迫られることになり,財務状況に深刻な悪影響を受けることになることが,「償うことのできない損害」である旨主張する。

しかしながら,上記①については,業務停止等の命令などとは異なり,更正処分が行われた場合に,税務職員が当該事実を新聞各紙に公表する旨の規定は存しない。むしろ,税務職員には,守秘義務が課されている(法人税法(昭和40年法律第34号)163条)のであるから,本件更正処分の効力として(最高裁判所平成15年3月11日第三小法廷決定・判例タイムズ1119号156頁参照)当該事実を公表することはなく,また,守秘義務に違反して公表することが常態となっているとの疎明もない。したがって,新聞報道によって,仮に申立人の信用が失墜すると仮定したとしても,当該損害は本件更正処分による損害とはいえないものといわざるを得ない。

また,上記②についても,更正処分に不服がある場合には,事後の争訟においてその取消しを求めることによって救済を受けることができ,その場合には当然,申立人が延滞税を負担することもなく,仮に更正処分に従って所定の税額を納付した後,事後の争訟において更正処分が取り消されれば,当該税額は,還付加算金と共に申立人に還付されることになるのである。その納税資金の調達による損害は,このような還付制度による回復をもって満足することが当然に予定されているものというべきであり,また,たとえこれを納付しなくとも,所定の要件さえ満たせば執行停止制度を活用することもできる。更に付言すれば,原告は,延滞税の発生を阻止するために事実上所定の税額を納付せざるを得なくなる旨も主張するようであるが,延滞税は更正処分において納付すべき税額があるときに,法定納期限の翌日から完納する日まで所定の利率において当然に発生するものである。本案事件の敗訴の可能性を考慮して所定の税額をあらかじめ納付することは申立人の自由であって,これを仮の差止めにおいて保護されるべき対象であるということはできず,申立人の主張は,相応の敗訴の可能性を前提とする点において,「本案について理由があるとみえるとき」との要件と矛盾するかのような行動を是認した上で,延滞税の発生を阻止するために,仮の差止めの制度を用いることにほかならないのであって許されないものというべきである。

(3)  以上のとおり,申立人が,本件更正処分により「償うことのできない損害」を被るものとは認められない。

3  以上によれば,その余の点(争点(2)(「本案について理由があるとみえるとき」に該当するか否か。),争点(3)(「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」に該当するか否か。))について判断するまでもなく,本件申立てはいずれも理由がない。

第4結論

よって,本件申立てはいずれも理由がないから,これらを却下することとし,申立費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大門匡 裁判官 関口剛弘 裁判官 菊池章)

別紙1申立ての趣旨

麻布税務署長は,申立人に対し,申立人の平成11年1月1日から同年12月31日まで,平成12年1月1日から同年12月31日まで,平成13年1月1日から同年12月31日まで,平成14年1月1日から同年12月31日まで,及び,平成15年1月1日から同年12月31日までの各事業年度について,仮に,以下の理由による法人税の更正処分を行ってはならない。

租税特別措置法66条の4第7項に基づき,申立人が別紙2(国外関連者目録)記載の各法人との間で行った高級ハンドバッグ,カバン,靴,衣料品,アクセサリー等の棚卸資産の購入に係る取引につき独立企業間価格を推定すること,又は,同条9項に基づき,東京国税局の職員が質問又は検査の権限を行使して収集した資料等を用いて,同条1項及び2項並びに国税通則法24条に従い,申立人が別紙2(国外関連者目録)記載の各法人との間で行った高級ハンドバッグ,カバン,靴,衣料品,アクセサリー等の棚卸資産の購入に係る取引につき独立企業間価格を算定すること

別紙2国外関連者目録 (略)

別紙3本件事案の経緯

1 申立人は,平成3年3月1日に設立され,肩書住所地に本店を有し,ハンドバッグ,カバン,靴,化粧品,装身具及び服飾雑貨類の輸出入並びに販売等を業とする,資本金2億円の内国法人である。

2 申立人は,平成11年1月1日から同年12月31日まで,平成12年1月1日から同年12月31日まで,平成13年1月1日から同年12月31日まで,平成14年1月1日から同年12月31日まで,及び,平成15年1月1日から同年12月31日までの各事業年度において,α又はβというブランドの製品である高級ハンドバッグ,カバン,靴,衣料品,アクセサリー等(以下「本件製品」という。)の棚卸資産を,申立人の国外関連者である別紙2(国外関連者目録)記載の各外国法人から輸入した(以下「本件取引」という。)。

3 税務職員は,平成15年4月9日以降,本件取引について,移転価格税制に関する税務調査を行ってきた。その過程で,申立人は,独立企業間価格算定帳簿書類として,A税務事務所作成の本件製品の適正な移転価格を算定,検証したとする報告書を提出したが,税務職員は,当該報告書は不適当な資料であり,当該報告書のみでは独立企業間価格算定帳簿書類を提示し又は提出したことにはならないとして,さらに,申立人の国外関連者の会社概要及び損益に関する資料の提示又は提出を求めた。しかし,申立人は,上記報告書は,入手し得る限りの公開情報を利用し,入念に比較対象企業を抽出した上で,独立企業間価格を算定したものであって,それ以上の資料は不必要であるばかりか,申立人の国外関連者は公開企業ではないため,申立人は他の方法により公知になっていない企業の情報を開示することはできないなどとして,その提出を拒否した。

4 そのため,税務職員は,措置法66条の4第9項に基づく質問・検査権を行使し,比較対象企業から資料等を入手した上で,申立人に対して,平成17年12月末日までに本件更正処分を行う可能性を示唆した。

5 そこで,申立人は,平成17年11月25日,当庁に対し,本件更正処分の差止めを求める訴え(当庁平成17年(行ウ)第561号事件。本案事件)を提起するとともに,これを仮に差し止めるよう求める本件申立てを行った。

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