東京地方裁判所 平成17年(行ク)67号 決定 2005年4月26日
主文
1 本件申立てを却下する。
2 申立費用は申立人の負担とする。
理由
第1申立ての趣旨
相手方が申立人に対して平成17年3月2日付けでした医師法7条2項に基づく医師免許取消処分(以下「本件処分」という。)の効力は,本案事件(当庁平成17年(行ウ)第94号医師免許取消処分取消請求事件)の判決が確定するまでの間,これを停止する。
第2事案の概要
1 前提事実
本件記録によれば,次の事実が一応認められる。
(1) 申立人(大正15年3月生)は,本件処分が効力を生ずるまでの間,産婦人科を専門とする医師であった者である。
(2) 相手方は,申立人が昭和49年から54年にかけて次の行為(以下,これらを併せて「本件非違行為」という。)をしたとして,医師法7条2項所定の医師免許取消し又は医業停止処分をするか否かを判断するために聴聞手続を行うこととし,申立人に対し,平成17年1月24日付け聴聞通知書を送付した。
ア Aについて,子宮及び右付属器は手術適応となるような病態でなかったにもかかわらず,慎重な検討を行うことなく,昭和49年12月20日,子宮全摘除術及び右付属器摘除術を行い,摘出する必要のない子宮及び右付属器を摘出した。
イ Bについて,不妊症と診断していないにもかかわらず,慎重な検討を行うことなく,昭和54年7月27日,不妊症の治療である両側卵巣楔状切除術及び円靱帯短縮術を行った。
ウ Cについて,挙児がなく,挙児を希望しており,子宮及び両側付属器は手術適応となるような病態でなかったにもかかわらず,慎重な検討を行うことなく,昭和51年6月9日,子宮膣上部切断術及び両側付属器摘除術を行い,摘出する必要のない子宮及び両側付属器を摘出した。
エ Dについて,子宮及び両側付属器は手術適応となるような病態でなかったにもかかわらず,慎重な検討を行うことなく,昭和50年2月28日,子宮及び両側付属器の摘出手術を行い,摘出する必要のない子宮及び両側付属器を摘出した。
(3) 平成17年2月16日,上記聴聞手続が実施された。
(4) 相手方は,同年3月2日,医道審議会より申立人につき医師免許取消相当との答申を受け,同日付けで,申立人に対し,本件非違行為が医師法4条4号に該当するため,同法7条2項に基づき,同月16日をもって医師免許を取り消すとの命令書を作成し,同命令書は同月5日,申立人に到達した(本件処分)。
(5) 申立人は,相手方に対し,同月11日,本件処分の取消しを求める訴えを提起した。
2 争点及び当事者の主張の骨子
(1) 処分により生ずる重大な損害を避けるための緊急の必要の有無
(申立人の主張)
申立人は現にαクリニック(以下「本件クリニック」という。)の名称で産婦人科医院を開設しており,月に延べ5ないし600人の患者が同院を受診している。これらの患者の診療は申立人でなければなしえないものであり,診療を中断すれば症状に重大な影響が生ずる患者も少なくない。
本件処分によって,本件クリニックが閉院に追い込まれれば,申立人は回復し難い損害を被ることとなる。
(相手方の主張)
行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)25条2項の「重大な損害」とは申立人の個人的な損害に限定され,申立人以外の第三者の被る損害は含まれない。
また,申立人はしかるべき医師を本件クリニックの開設者兼管理者として選任し開設の届出をすることによって診療所を再開し,本案訴訟係属の間,患者に対する診療を継続することも可能である。
(2) 「本案について理由がないとみえるとき」に該当するか否か
(相手方の主張)
医師法7条2項は医師免許取消処分につき相手方の裁量に委ねた規定であるから,申立人においてその裁量の逸脱・濫用の主張・疎明をする必要がある。
申立人が本件非違行為をしたことについては,完結までに20年以上を要した医療過誤訴訟の判決において確定した事実である。
(申立人の主張)
申立人が本件非違行為をした事実は否認する。ここで採り上げられた手術は全てその適応があったものである。
①相手方は本件非違行為から20年以上も経過した後に本件処分をしたこと,②本件非違行為については既に不起訴処分となっていること,③医道審議会は,既に平成12年に申立人につき不処分の結論を出していたことなどに照らせば,本件処分は相手方においてその有する裁量を逸脱濫用してなされたものである。
第3当裁判所の判断
1 事実認定
上記前提事実に一件記録を総合すると,次の事実が一応認められる。
(1) 申立人は産婦人科を専門とする医師であった者であり,申立外Eはその夫である(Eには医師資格はない。)。
(2) Eは,申立外医療法人芙蓉会の理事長として芙蓉会富士見産婦人科病院(改称前は芙蓉会富士見産院)及び芙蓉会富士見産婦人科病院分医院(改称前は芙蓉会産婦人科医院)を開設し(以下,これらを併せて「富士見病院」という。),申立人はその管理者(院長)に就任していた。
(3) 富士見病院の患者ら約60名は,医師資格のないEと申立人及び同病院勤務医らとが意思を通じて,Eの無資格診療に基づく出鱈目な検査結果及び所見に依拠して,手術の適応の認められない患者の子宮や卵巣を摘出するなどの手術を長年にわたり繰り返していたとして,昭和56年から62年にかけて,不法行為に基づきE及び申立人のほか医療法人芙蓉会及び5名の勤務医並びに国及び埼玉県を被告として損害賠償を求める訴えを提起した(以下「別件訴訟」という。)。
(4) 別件訴訟においては,第一次提訴以来約18年間にわたり医学鑑定を含む膨大な証拠調べが実施され,平成11年6月30日にすべての原告につきE及び申立人(両名については同訴訟係属中に破産宣告がなされ,破産管財人が訴訟を受継した。)並びに勤務医らの不法行為責任を認める判決が言い渡された(認容額は附帯請求を除き5億1425万円である。)。
(5) 同判決に対しては,上記勤務医ら(死亡した勤務医の相続人を含む。)が控訴し,手術適応の有無等を巡って審理が尽くされた結果,平成15年5月29日,控訴を棄却する判決が言い渡された(死亡した勤務医の相続人は控訴審において和解した。)。
(6) 上記勤務医らは更に上告及び上告受理の申立てをしたが,上告審は,平成16年7月13日,上告を棄却するとともに同事件を上告審として受理しないとの決定をし,同医師らの敗訴が確定した。
(7) 別件訴訟において確定した本件非違行為の概要は別紙1ないし4のとおりである。即ち,申立人は,医師資格もなく貧弱な医学的知見しか持ち合せていないEと相通じて,手術適応の全くない患者に対し,Eにおいて,「放置しておくと癌になってしまう。」「子宮を取らないと5年くらいしか生きられない。」「早く手術をしないと大変なことになる。」「今すぐ入院して手術をしなければ死んでしまう。」などと虚偽の事実を申し向けて手術を承諾させ,申立人において本件非違行為に係る手術をし又はその分担行為をしたものである。
なお,別紙1ないし4からも明らかなとおり,上記勤務医らは各症例の手術の適応につき,控訴審においても十分な主張立証を尽くした結果,上記事実が確定したものである。
(8) 申立人は,本件処分に係る聴聞手続において本件非違行為はいずれも手術の適応があった旨陳述し,本件における陳述書(疎甲9,11)においても同旨の陳述をするが,その内容は別件訴訟の一審及び控訴審判決において概ね判断の示された事項であり,同判決の結論を左右するに足りるような格別新しい主張・疎明を含むものとは一応認められない。
(9) 申立人が本件処分の効力発生までの間,本件クリニックにおいて行ってきた診療は通常の診療であって,余人をもって行い得ないような特殊な診療をしていたものではない。
申立人は,現在同クリニックを廃止しているが,申立人においてしかるべき医師を開設者兼管理者として診療所開設の届出をすれば,同クリニックにおける診療を再開することは可能であり(医療法8条),その間,同クリニックの土地建物の所有者(申立人の親族ら)において同医師に対し同クリニックの施設を賃貸するなどして収入を得ることも可能である。
2 争点(1)(処分により生ずる重大な損害を避けるための緊急の必要の有無)について
(1) 行政処分の効力の停止等は,処分により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要があるときにのみ認めることができ,重大な損害が生ずるか否かを裁判所が判断するに当たっては,損害の回復の困難の程度を考慮し,損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案するものとされている(行訴法25条2,3項)。
執行停止の制度は,ある行政処分につき取消訴訟が提起されても,処分の効力等はこれにより妨げられず処分の所期の目的を実現し得ることを前提として(同条1項),限定された要件の下に例外的にこれを停止しようとする制度であるから,前記「重大な損害」を生ずるか否かを判断するに当たっても,その執行等により維持される行政目的達成の必要性を一時的に犠牲にしてもなお救済しなければならない程度に重大な損害を避ける緊急の必要性があるか否かが勘案されるべきであり,行訴法25条3項において考慮すべき事項とされている「処分の内容及び性質」も,このような見地からの検討をもその考慮事項の1つとする趣旨の規定であると解するのが相当である。
(2) これを本件についてみると,申立人は,医師免許取消処分(本件処分)は違法であり,かつ,これによって重大な損害を受けるおそれがあるとして,その効力停止を求めているのであるが,本件処分の効力を停止するということは,申立人に医師としての活動を許容するということを意味するところ,医師の業務は,国民の健康や安全に直結するものであって,適格性を欠く者がこのような業務に従事することは,本来許されない事柄なのであるから,執行停止の可否を判断するに当たっても,このような処分の内容及び性質を踏まえた考慮をする必要があり,執行停止の要件該当性については,相当程度の疎明が必要になるものと解すべきである。
ところで,前説示のとおり,相手方は,申立人が,患者3名に対し,手術適応となるような病態がないにもかかわらず子宮及び両側付属器の摘出手術等を行ったこと,及び不妊症との確定診断を経ていない患者1名に対し,不妊症の治療である両側卵巣楔状切除術及び円靱帯短縮術を行ったことを非違行為(本件非違行為)として,本件処分を行ったものであるところ,これらの行為は,それが事実であるとすれば,いずれも医師としての適格性に重大な疑問を投げかけるものであるといわざるを得ない。
そして,一件記録に照らして検討しても,①申立人が現在年金を受給しており,診療を停止しても最低限の生活を営むことができることは申立人自身が認めるところであって,申立人が,本件処分によって収入が途絶し,その生活に困窮するといった事情を認めることはできないし,②本件クリニックの経営そのものは,他の医師の協力を得ることなどによって再開することも可能である以上,本件処分によって,本件クリニックが倒産の危機に瀕するとまではいうことはできず(なお,本件クリニックの土地建物の所有者は申立人の親族らであって,申立人が他の医師の協力を得ることによって同クリニックにおける診療を再開すること,仮に本案判決で申立人が勝訴し医師免許を回復した場合に申立人自身が同クリニックにおいて診療を再開することが困難であるとまでは一応認めることができない。),③申立人自身が医療に従事することによって得られるはずの充実感などといった人格的利益が損なわれるという点は,主観性の高い利益であって,重大な損害という評価に値するかどうかに疑問の余地があり,④申立人の診療を受けられない患者の不利益は,申立人自身の損害と評価することができるものではない上,本件クリニックの周辺にも多数の産婦人科病院又は診療所が存在することからすると(疎乙8),患者に上記のような不利益が生じるかどうかにも疑問の余地があるのであって,これらの点からすれば,本件処分の効力停止を正当化するほどの「重大な損害」の疎明がされているものということは困難であり,他にこの判断を左右するに足りる資料を見出すこともできない。
(3) もっとも,この点,本件非違行為が全く事実の基礎を欠き本件処分が相手方の有する裁量権を逸脱濫用するものでその違法性が明らかであるなどといった特段の事情があるときまで,「重大な損害」の有無を判断するに当たり,当該処分の内容等を考慮するのは相当ではないといった反論もあり得よう。
しかしながら,本件についてみれば,別件訴訟において審理が尽くされた結果,本件非違行為に相当する事実がある旨の認定がされ,上告審においてその判断が確定していることは前説示のとおりであって(申立人自身は,本件非違行為等の存在を認定した別件訴訟一審判決に対して控訴をしていないが,他の勤務医らが,控訴,上告をし,手術適応の有無等を巡り審理が続けられた結果,最終的には,上告棄却判決によって,同医師らの敗訴が確定している。),このような別件訴訟の結果は,重視せざるを得ない事実であることなどの事情を考慮すると,本件処分の適否の判断については,今後の本案訴訟の審理に待つべき点が残されているとしても,現段階において当事者双方から提出された疎明資料による限り,本件非違行為が濡れ衣であって,本件処分が違法であることは明らかであるということは到底困難であるというほかはない。
そうすると,本件において,裁判所が「重大な損害」の有無を判断するに当たり,本件非違行為の内容及びこれを前提としてなされた本件処分の内容性質を考慮することは何ら不当なものではないというべきである。
(4) 以上によれば,本件申立てについては,少なくとも,「重大な損害を避けるため緊急の必要性」があるということはできないものと解される。
3 結論
以上のとおり,本件申立ては,その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを却下することとし,申立費用の負担について,行訴法7条,民訴法61条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 鶴岡稔彦 裁判官 清野正彦 裁判官 進藤壮一郎)