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東京地方裁判所 平成18年(ワ)15698号 判決 2008年6月12日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,3298万3425円及びこれに対する平成14年11月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,3134万8425円及びこれに対する平成14年11月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告が開設するC病院(以下「被告病院」という。)において,腰椎後方進入椎体間固定術及び腸骨移植術(以下「本件手術」という。)を受けた亡Dの相続人である原告らが,Dに対する治療として本件手術を選択すべきでないのに本件手術を施行した過失や,説明義務違反があると主張し,被告に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償及びこれに対するDが死亡した日である平成14年11月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

1  前提となる事実(証拠を掲げていない事実は,当事者間に争いがない事実である。)

(1)  当事者等

ア D(昭和10年10月3日生)は,平成14年10月3日(以下,平成14年については,原則として月日のみを記載する。),被告病院において,本件手術を受けた。11月10日午後零時15分,Dは死亡した(甲C2,乙A2)。

イ 原告Aは,Dの夫であり,原告Bは,Dの子である(甲C1,C2)。

ウ 被告は,被告病院を開設している。

(2)  診療経過の概要

本件の診療経過の概要は以下のとおりであり,その詳細は,別紙診療経過一覧表のとおりである。

Dは,7月15日,被告病院整形外科を受診した。その後も,Dは,同月18日,22日,8月7日,15日,21日,27日,9月9日に被告病院を受診した。

9月26日,Dは,透析性破壊性脊椎症との診断の下,手術目的で被告病院に入院し,10月3日,本件手術を受けた。本件手術の術者は,被告病院のE医師であり,F医師らも助手として立ち会った(乙A1の344頁)。

同月14日,Dに下血があり,同月19日,Dに対し,小腸部分切除術が行われた。

同月27日,消化管穿孔,汎発性腹膜炎,縫合不全等の疑いがあることから,Dに対し,小腸再手術が行われた。

11月10日午後零時15分,Dの死亡が確認された。

2  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は,次の4点である。

(1)  Dに対する治療として本件手術を選択したことが過失といえるか否か

(2)  説明義務違反の有無

(3)  因果関係の有無

(4)  損害額

3  争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。

(1)  争点(1)(Dに対する治療として本件手術を選択したことが過失といえるか否か)について

(原告らの主張)

ア 長期透析患者の場合には,術後合併症の発生が多く,脊椎手術を行うに当たっては,その選択を慎重に行う必要があり,敬遠される場合も多い。例えば,長期透析患者の場合,虚血性腸疾患の可能性があり,術後消化管出血が生じることが多い。また,長期透析患者の場合,縫合不全が生じやすいことから,術後消化管出血が生じ,それに対応するために小腸切除術などを行った場合,縫合不全が生じる可能性もある。

Dは,長期透析患者(約23年7か月)であったこと,当時67歳と高齢であったこと,人工透析患者に手術を行った場合の死亡例が多く存在すること,本件手術箇所が身体の重要な腰部であること,Dには狭心症,不整脈の既往症があったことなどからすれば,Dに対して本件手術を行うことはハイリスクであった。

イ 他方,Dは,長期透析患者ではあったが,食事の仕度,洗濯,掃除,買物などの家事はすべて行っており,部屋の中で杖をつくこともなく,普通の生活をしていた。

また,Dは,1週間に3回,Gクリニックにおいて,透析を受けていたが,通院の際には,一人で歩いて迎えの車に乗車していた。そして,Gクリニックで透析を受けた後,Dは,送迎バスで本厚木駅に戻り,本厚木駅から自宅最寄りのバス停まではバスに乗り,そこから700m程度歩いて帰宅していた。帰宅途中,本厚木駅の駅ビルの地下のスーパーで買物をすることもあった。

被告病院に通院する際には,自宅からタクシーを利用するものの,診察室へは一人で歩いて行き,診察を受けた後は,被告病院前のバス停まで歩いていた。9月26日に被告病院に入院する際には,車いすが用意されていたものの,Dは,これに荷物を載せ,自らは歩いて整形外科の受付へ向かった。

ウ 以上のように,Dは,長期透析患者ではあるものの,歩行困難等はなく,普通の日常生活を営むことができたから,本件手術を行う必要性はなく,ハイリスクの本件手術を行うべきではなかった。Dは,これまでにステロイド製剤による薬物療法を行っておらず,これを施行する余地があったことや,Dの余命などを総合考慮すれば,ハイリスクな根治治療(本件手術)を行うよりも,痛みを和らげる治療を選択すべきであり,被告病院が本件手術を選択したことは誤りであった。

エ なお,被告は,Dが歩行困難であったなどと主張するけれども,前記イのとおり,Dは歩行可能であり,普通に日常生活を送っていたのであるから,被告の主張には理由がない。また,被告は,Dが手術を積極的に求めたと主張するけれども,そのような事実はない。

(被告の主張)

ア 透析性破壊性脊椎症の手術適応については,「保存療法にもかかわらず下肢神経症状が改善せず,著しいADL(日常生活動作:Activities of Daily Living)障害が持続する場合である」,「保存的治療の無効例と,既に重度の頚部脊髄症となった例には,手術的治療が適応となる」,「手術治療の適応は神経根又は脊髄の明らかな圧迫症状であり,病態によって除圧術と固定術が行われる」,「神経障害が認められた場合に,整形外科的治療の適応がある」などとされており,「非透析患者と透析患者との間に根本的な差はない。脊髄や神経根の圧迫症状に対してはまず除圧術を考慮する。」とされている。

イ Dの場合には,幾つかの医療機関で消炎鎮痛剤等による保存療法を受けているものの,腰痛は改善せず,その症状は進行性で半年ほど前から強い腰痛が生じ,さらには下肢のしびれという知覚障害,歩行困難等の麻痺という馬尾・神経根症状を呈し,重篤であった。画像所見においても,腰椎4番,5番の骨破壊,同部不安定性,著明な神経への圧迫があった。被告病院での今回の診断時において,Dの透析性破壊性脊椎症は,腰椎4番,5番の間の椎間板狭小,腰椎4番,5番の椎体の骨破壊像,腰椎4番の前方すべりと同部の脊柱管の著しい狭窄による硬膜管の著しい圧迫という段階に至っていた。

このように,Dの透析性破壊性脊椎症は,自覚所見,他覚所見,画像所見,治療歴から考えて保存的治療は効果がないと考えられ,完全に手術適応であった。

ウ 原告らは,長期透析患者に対する手術はハイリスクであり,手術が敬遠される場合が多く,日常生活を普通に送っていたDには必要がないなどと主張する。

しかしながら,Dの場合,ADLスケールがレベル1(道具や装具を要する)の状態にあり,DのADL,QOL(Quality of Life)には大きな障害が生じていた。Dには,透析のために通院する必要があり,さらに病状が進行すれば,通院もままならなくなるという状態に陥る可能性も考えられた。

透析性破壊性脊椎症の患者にあっては,術前合併症や術後合併症が多いことは周知の事実であり,手術の選択については慎重に行うことは当然であるが,被告病院の医師らは,心臓の検査を含めた全身状態の検索を行うなど本件手術が可能か否かについて慎重に検査を行い,手術適応であると判断されたのである。その上で,被告病院の医師らは,Dに対して,十分なインフォームドコンセントを行ったところ,Dが手術を希望したのである。

以上のことからすれば,Dに対して手術を選択するのは当然であり,原告らの主張は理由がない。

エ また,原告らは,長期透析患者の場合には,虚血性腸疾患の可能性などがあるから,手術を選択したことは誤りである旨主張する。

しかしながら,虚血性腸疾患は,腹痛,下痢,下血が三大症状であるところ,本件手術前のDにはこのような徴候は一切認められないし,Dから腹部の異常の訴えもない。にもかかわらず,本件手術を施行する前に下部消化管造影などの検査を行わなければならないということはできず,また,術前に何ら徴候を認めなかったDが虚血性腸疾患があったとは考え難く,本件手術を施行したことに問題はない。

(2)  争点(2)(説明義務違反の有無)について

(原告らの主張)

ア 医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,疾患の診断(病名と症状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務がある。

イ しかし,被告病院の医師らは,透析患者に対して手術をした場合の悪い結果の説明をしていない。すなわち,透析患者に対する手術例における成功例だけではなく,死亡例を数値等で説明すべきであるのに,その説明を怠った。本件においては,Dが透析患者であったことから,一般的な手術以上の危険があるが,そのことについて,Dとその家族に十分理解できる程度に明確な説明をしていない。また,透析患者に対する手術は,出血傾向,創傷治癒遅延,易感染症,電解質・酸塩基平衡異常,血圧異常などが起こり得るハイリスクの手術であり,合併症の頻度も高く,再手術の可能性もあり得るにもかかわらず,これらの点について説明がされていない。

ウ 被告は,十分な説明をしたなどと主張するけれども,医師による説明時間は10分程度であり,その間に被告が主張する医学生に対する講義のような説明を行うことは不可能であり,そのような説明がされなかったことは明らかである。仮に,被告が主張する医学生に対する講義のような説明があったとしても,医学的知識のないDや原告Aが,この説明を理解したということはあり得ない。

また,被告らは,本件手術前にDが看護師の前で泣いていたことをもって,Dが本件手術について十分理解していた証拠であるなどと主張するけれども,Dは,手術に対する不安,恐怖があったからこそ,泣いていたのであり,医師としては,Dが泣いていたのであれば,手術意向の確認等を行うべきであった。

(被告の主張)

ア 被告病院の医師は,初診時からDが手術目的の入院を申し込んだ9月9日までの間,また,本件手術の前日である10月2日の術前説明において,透析性破壊性脊椎症という病気とその原因,Dの病状,治療法,手術方法,手術や合併症の危険性等について,十分に時間をかけて丁寧に説明をしてきた。

イ 10月2日,F医師は,D及び原告Aに対して,40分程度の時間をかけて術前説明を行った。その際,単純X線画像,MRI画像,脊髄造影画像などを示しながら,病名とその原因,病状との関連,経過等を説明した上で,手術の方法,手術の危険性,合併症等について説明した。

具体的には,手術の結果が思っていたようによくないこともあるが,被告病院では腰椎後方椎体間固定術を多数行っており,その手術結果は良好であることを説明した。また,手術の危険性については,全身麻酔や手術によって,心臓や肺の機能が悪くなり,呼吸困難,血圧がコントロールできなくなること,ショックになること,精神状態も悪くなることがあること,出血が止まらないこと,感染が起きること,傷が汚くなること,腎不全による透析患者の場合には,それら合併症が生じる可能性が透析をしていない患者と比べて明らかに高いこと,最悪の場合としてという前置きの上で,心不全,脳梗塞,感染,内臓障害などが起きて全身状態が悪化して死亡することもあることなどを説明した。また,手術の結果がよくない場合として,両足の運動麻痺,感覚障害が生じたり,便のコントロールができなくなったりすることがあるなどと説明した。

このような説明が終わり,Dからの質問にF医師が答えた後,Dは,その場で同意書に署名しようとしたが,F医師は,もう一度よく考え,ご主人とよく相談して決めてくださいと述べ,説明・同意書を手渡した。その後,Dらは,説明・同意書に署名してナースステーションに届けた。

以上のように,Dらに対しては,本件手術についての説明義務が尽くされており,Dは,その説明を理解した上で本件手術に同意したことは明らかである。

(3)  争点(3)(因果関係の有無)について

(原告らの主張)

ア 被告病院の医師らが,本件手術を施行しなければ,Dは死亡することはなかった。

イ 被告病院の医師らが,Dらに対し,合併症などについて十分な説明をしておれば,Dは,本件手術を選択しなかった可能性は十分にあり,Dが死亡することはなかった。

(被告の主張)

争う。

(4)  争点(4)(損害額)について

(原告らの主張)

ア Dの損害

以下のとおり,Dは合計3872万1882円の損害を被り,原告A及び原告達夫は,それぞれDの損害額の2分の1の損害賠償請求権を相続した。

(ア) 逸失利益  2372万1882円

a 稼働分の逸失利益  1691万8770円

Dは,死亡時67歳であったので,平均余命19年の2分の1の期間10年間(ライプニッツ係数7.7212)稼働できたはずであり,生活費控除30%,平成14年賃金センサス女性学歴計65歳以上の年収を基準として,逸失利益は次式により算出される。

313万0300円×0.7×7.7212=1691万8770円

b 年金分の逸失利益  680万3112円

Dは,死亡時67歳であり,その平均余命19年のライプニッツ係数は12.085で,Dの2か月分の年金は13万4033円であることから,生活費控除30%として,年金分の逸失利益は次式により算出される。

13万4033円×6×0.7×12.085=680万3112円

(イ) 慰謝料  1500万円

イ 原告Aの損害  1362万2484円

(ア) 葬祭費  150万円

(イ) 慰謝料  750万円

(ウ) 弁護士費用  462万2484円

ウ 原告達夫の損害  1198万7484円

(ア) 慰謝料  750万円

(イ) 弁護士費用  448万7484円

(被告の主張)

争う。

第3争点に対する判断

1  診療経過等

前記前提となる事実並びに証拠(甲A1,乙A1,A2,A3の1ないし4,A4の1,2,A5の1ないし5,A6,A7,原告A,証人F,証人E)及び弁論の全趣旨によれば,本件の診療経過等について,次の事実が認められる。

(1)  Dは,慢性糸球体腎炎にて,昭和54年4月から,人工透析を開始した。同年7月25日以降,Gクリニックにおいて,週3回の人工透析を受けていた(甲A1,乙A1の2,3,7頁)。

(2) 平成5年,Dは,H病院において,頚椎の破壊性脊椎症(DSA:Destructive Spondyloathropathy。)に対する手術を受けた(乙A1の4,7頁)。

(3)  平成14年7月12日,GクリニックのI医師は,被告病院のF医師に対し,Dの診療を依頼する紹介状を作成した(乙A1の7頁)。

その紹介状には,Dが慢性腎不全で週3回の血液透析中であること,慢性糸球体腎炎にて昭和54年4月20日より透析中であること,平成5年にC6,C7の破壊性脊椎症の手術を受けたこと,現在腰痛がひどく,複数の施設を受診しているが,消炎鎮痛での経過観察のみとなっていること,DがF医師の診察を受けることを強く希望していることなどが記載されている。

(4)  7月15日,Dは,被告病院整形外科を受診した。Dは,10年くらい前から腰痛があり,その腰痛が6か月くらい前から増悪していること,右下肢に痛みとしびれがあることなどを訴えた。F医師は,徒手筋力検査,単純X線撮影を実施し,単純X線撮影の結果,第4腰椎と第5腰椎間の椎間板が狭小化し,椎間板に面した第5腰椎椎体の破壊性変化も疑われ,透析性破壊性脊椎症を疑い,その旨Dに対し説明するとともに,その確定診断にはさらに精査が必要である旨説明し,MRI検査を依頼した(乙A1の6,19,20頁,A5の1ないし5,A6,証人F)。

(5)  同月18日,被告病院において,Dに対し,MRI検査が行われた(乙A1の21,47頁,A3の1ないし4)。

(6)  同月22日,Dは,被告病院整形外科を受診した。F医師は,Dに対し,同月18日に撮影したMRIについて,年齢変化による脊椎の変性とともに,第4腰椎,第5腰椎椎体の骨破壊像とその間の椎間板の狭小化,第4腰椎前方すべりと同部の脊柱管の著しい狭窄による硬膜管の著しい圧迫が認められ,透析が原因となって生じる破壊性脊椎症であることを説明した。そして,F医師は,これまで消炎鎮痛剤加療等による保存療法を行ってきたが症状が治まらず,悪化していること,手術を行えば効果が期待できること,画像及び神経所見からすると,一般的には手術適応であるが,全身状態を調べなければ手術が可能かどうか分からないことなどを説明した(乙A1の21,47頁,A6,証人F)。

同日のF医師の診察終了後,Dに対し,血液一般検査,血液凝固機能検査,心電図検査等が実施された(乙A1の42ないし44,49ないし54頁,A6)。

(7)  8月7日,Dは,被告病院整形外科を受診した。F医師は,7月22日に実施された心電図検査の結果,ST-T変化が認められ,心疾患の可能性を示す所見があったことから,Dに対し,さらに詳しい検査をする必要がある旨告げた。そして,8月15日に循環器内科を受診するよう指示した。また,同日,Dに対し,心臓超音波検査が施行された(乙A1の22,24,42ないし46頁,A6)。

(8)  同月15日,Dは,被告病院循環器内科を受診した。同科のJ医師は,Dは,透析歴20年でリスクが高く,また,心電図上もV5,V6のST低下あることから,8月27日にドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査を施行することとし,その結果を見て,最終的に判断することにした(乙A1の13,24,45,46頁)。

(9)  同月21日,Dは,被告病院整形外科を受診した。F医師は,J医師がドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査の結果を見て手術適応を判断するとしたことから,Dに対し,ドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査の結果を見ないと手術できるかどうか分からない旨説明し,9月9日の外来診察の際に手術の可否を決めたいと話した(乙A1の22頁,A6)。

(10)  同月27日,Dは,被告病院循環器内科を受診し,ドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査を受けた。J医師は,その検査の結果,心筋肥大を認めるものの,明らかな心筋虚血は疑われないと判断した(乙A1の13,48頁)。

(11)  9月9日,Dは,被告病院整形外科を受診した。F医師は,Dに対し,ドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査の結果,手術が可能である旨のJ医師の判断内容を伝えた。そして,Dが手術を希望したため,同日,F医師は,被告病院の腎センターの医師と交渉し,Dの透析の枠を確保した(乙A1の23頁,A6)。

(12)  同月26日,Dは,被告病院に入院した(乙A2の2,38頁)。

同日,K看護師は,Dの診療に関する記録の《身体系のチェック》の頁の「筋肉・骨格」の「歩行」欄に,「長距離は車イス使用」と記載し(乙A2の40頁),《日常生活動作能力スケール》の頁の「歩行」及び「行動範囲」のレベルとして,それぞれ「1」(道具や装具を要する)を記載し,「備考」欄には「車イス」と記載し(乙A2の43頁),「安全基本アセスメント用紙」の頁の「歩行障害」の「ふらつき」にチェックをした(乙A2の56頁)。また,K看護師は,看護記録に,「車イスにて5C病棟入院」と記載するとともに,Dが「もう何十年も前から痛いんです。最近急にひどくなって,家の中以外は歩けないですよ。病院もバスで。」と述べたことを記載し,客観的所見として,「ADL:ほぼ車イス,腰痛,両下肢しびれ強く歩行困難,跛行-」と記載した(乙A2の165頁)。

同日,被告病院整形外科のL医師は,循環器内科のJ医師に対し,手術可能かどうかについての診療を求めたところ,J医師は,心エコー上は壁運動良好であり,手術に関し問題ないと考えられる旨回答した(乙A1の16頁)。

同日,被告病院整形外科のM医師は,被告病院腎センターの医師に対し,Dの診療を依頼した。被告病院腎センターの医師は,M医師に対し,N医師,O医師,P医師,Q医師らが担当して併診する旨返答した(乙A1の12頁)。

同日,被告病院のリハビリテーション科において,Dは,夫と一緒に歩くと腰痛,両足の痛み,しびれが上昇すると訴えた。同科のR医師は,Dに対して歩く能力を見る検査を行い,屋内で平行棒に沿って「つたい歩き」は可能であると判断した(乙A1の37,38,証人F)。

同日,Dに対し,被告病院の研修医が徒手筋力検査を行ったところ,「5」ないし「5-」という結果となった(乙A2の279頁,証人F)。

(13)  同月27日,Dに対し,ミエログラフィー(脊髄造影)検査が行われた(乙A2の280頁,A4の1,2)。

同日,Dは,看護師に対し,腰が痛いですと訴えた(乙A2の165頁)。

(14)  同月30日,M医師は,Dに対し,徒手筋力検査を行ったところ,「5」ないし「4-」という結果が得られた(乙A2の280頁,証人F)。

同日,Dは,E医師に対し,右足が非常につらくて歩きづらい旨訴えた。E医師は,Dに対して,どの程度痛いかについて,VAS(ビジュアルアナログスケール)で確認したところ,89であった。なお,E医師は,Dに対し,出産のときの痛みを100とした場合に右足の痛みはどの程度となるかという尋ね方をして,VASを確認した(乙A2の315頁,証人E)。

(15)  10月1日,M医師は,被告病院麻酔科の医師に対し,術中の管理を依頼したところ,同科のS医師は,M医師に対し,Dから,3年前に狭心症,不整脈と診断されたこと,今年に入り動悸を全く感じていないこと,4月の他院のホルターの結果が問題なしであったことを聴取したこと,循環器内科の心エコー50%,壁運動良好,CX-P:CTR51.4%と心負荷があるが,全身麻酔は問題ないと考えられる旨報告した(乙A2の106頁)。

同日,Dは,看護師に対し,「やっぱりねぇ ふらふらしちゃう」と訴えた(乙A2の165頁)。また,Dは,「右の足がまだ痛し,腰痛がどうしてもつらいねぇ」と訴えていた(乙A2の281頁)。

(16)  同月2日,F医師は,Dと原告Aに対し,本件手術についての術前説明を行った。そして,F医師は,Dらに対し,「C病院:説明・同意書」という文書(以下「本件同意書」という。)を交付した。原告Aは,本件同意書に,Dの氏名と原告Aの氏名等を記載した(乙A2の274頁,原告A)。なお,本件同意書には,F医師により,「第4,第5腰椎破壊性脊椎症(腎透析が原因)と診断し,後方進入,神経除圧,椎体間固定(金属内固定人工骨及び要あれば骨盤骨使用)を行う。全身麻酔,手術により,全身状態が悪化する事がありうる。腎不全による透析中の場合は,その可能性が通常より高い。手術により両下肢運動知覚障害,排便障害等が出現,改悪する事がありうる。貧血があり,要あれば日赤血による輸血を行う。その際の注意は別途示す。術創汚染時は,再洗浄を行う。術後は3日~7日間のベッド上安静の予定」と手書きで記載されている。

同日,Dは,看護師に対し,「大変分かりやすく教えてくれました。大丈夫です。Tさんも手術をなさって元気になって歩いて来たようですし。私もみんなの勇気になるためにも手術をしてがんばらないと」などと述べた。また,Dは,手術に対して前向きな様子ではあったが,不安も大きく流涙が見られた(乙A2の165頁)。

(17)  同月3日午前1時30分ころ,Dは,看護師に対し,「何でだろう。眠れなくて」と訴えた。Dは,手術に対しての不安があり,入眠困難であった(乙A2の166頁)。

同日,Dに対し,本件手術が施行された。本件手術は,術者をE医師とし,F医師とM医師を助手とする手術チームにより行われ,この3名の医師は,いずれも日本脊椎脊髄病学会認定の脊椎脊髄外科指導医である。また,本件手術の手術時間は,3時間28分であり,術中出血量は167gであった(乙A2の344頁,A6,A7)。

本件手術後,Dは,集中治療室に入室した(乙A2の57頁,A7)。

本件手術後のDには,両下肢知覚障害,しびれ,冷感,運動障害は認められず,危険な不整脈の出現もなく,心負荷もなかった(乙A2の166頁)。

また,同日の術後出血は,218gであり(乙A2の8頁),同日午後3時45分のDのHb値は9.5g/dlであり,午後11時59分のHb値は8.5g/dlであった(乙A2の198頁)。

(18)  同月4日,Dの出血量は138gであり(乙A2の9頁),同日のDのHb値は8.0g/dlであった(乙A2の199頁)。同日,Dの全身状態は良好であり,集中治療室を退室した(乙A2の57頁,A7)。

(19)  同月7日,Dの血圧が90台に低下し,心電図モニター上心房細動が認められた(乙A2の284頁)。

(20)  同月8日午前2時ころ,Dに見当識障害が認められた(乙A2の285頁)。

同日,被告病院整形外科のU医師は,Dに心電図上心房細動が認められたことなどから,循環器内科の医師に対し,診療を依頼し,同日から,心房細動のコントロールと心電図異常の精査のため,循環器内科の併診となった(乙A2の104頁)。また,U医師は,Dに見当識障害などが認められたことから,被告病院精神科の医師に対し,精神科での診察を依頼し,同日から,精神科の併診となった(乙A2の102頁)

(21)  同月14日,Dは,透析時に排便があり,50cc程度の下血(鮮血)が認められた(乙A2の289頁)。

(22)  同月15日,前日の下血の原因を検索するため,Dに対し,胃内視鏡検査及び大腸内視鏡検査が行われたものの,出血源は確認できなかった(乙A2の329頁)。

(23)  同月17日,Dに下血が認められた(乙A2の292頁)。また,被告病院放射線科において,Dに対して,赤血球スキャン検査が実施され,小腸からの出血が確認された。また,放射線科において,Dに対し,血管造影検査が行われ,第3回腸動脈からの出血が認められたものの,活動的な出血とは言い難かったので,ゼルフォームによる塞栓術が施行された(乙A2の293,331,382頁)。

同日,被告病院消化器内科の医師は,D及び原告Aに対し,下血の経過等について説明した(乙A2の332頁)。

(24)  同月19日,被告病院の医師らは,D及び原告らに対し,小腸出血と診断されたため,小腸部分切除術を行う旨の説明をした(乙A2の276頁)。そして,同日,被告病院のV医師らにより,Dに対し,小腸部分切除術が行われた(乙A2の352頁)。

(25)  同月24日及び31日,同月19日に行われた小腸部分切除術の際に切除された小腸について病理診断報告書が作成された(乙A2の368,369頁)。同報告書による病理診断の結果,小腸のうっ血,浮腫が認められ,血液透析によるアミロイドーシスと診断された。

(26)  同月27日,汎発性腹膜炎,縫合不全,消化管穿孔の疑いがあるため,V医師らにより,Dに対し,小腸再手術(小腸再吻合術,回腸人工肛門増設術)が行われた(乙A2の300ないし302,357頁)。

(27)  11月10日,Dは死亡した(乙A2の4頁)。

2  医学的知見

証拠(甲B2ないしB7,乙B1,B2,B5ないしB8)によれば,破壊性脊椎関節症,その治療方法,透析患者に対する手術等について,以下の医学的知見が認められる。

(1)  破壊性脊椎関節症について

破壊性脊椎関節症(DSA。「破壊性脊椎症」と同義。)は,長期透析患者にみられる脊椎病変で,骨棘を伴わない椎間腔の高度の狭小化と椎体終板の骨侵食による不整像や骨透亮像を特徴とする病態である(乙B2)。

透析患者特有の脊椎病変としてDSAなどが報告されており,DSAは,長期透析例にて頻度が高くなり,15年以上透析例では20%以上となる(乙B5)。

DSAは,長期透析患者に特有な脊椎の骨・軟骨組織の破壊性病変である(乙B6)。

(2)  破壊性脊椎関節症の治療方法等について

ア 『図説 腰椎の臨床』(2001(平成13)年4月1日発行。乙B2)には,破壊性脊椎関節症の治療方法として,保存療法と手術療法が記載されている。保存療法については,「神経症状を有しない腰背部痛のみの場合は,保存療法を優先させる。装具療法や鎮痛剤で,多くの場合軽快する。椎体の亜脱臼や脊柱管狭窄による下肢痛に対しても,椎間の自然癒合が期待できるため,神経根ブロックや硬膜外ブロックを併用することにより症状の改善を試みる」と記載されている。また,手術療法については,「手術適応は保存療法にもかかわらず下肢神経症状が改善せず,著しいADL障害が持続する場合である。」と記載されている。

イ 『標準整形外科学第9版』(2005(平成17)年3月15日第9版発行。乙B6)には,破壊性脊椎関節症の治療について,「保存的治療の無効例と,既に重度の頚部脊髄症となった例には,手術的治療が適応となる。」,「脊椎の不安定性や変形が著しい場合には前方あるいは後方からの除圧・固定術が選択される。骨移植術単独では骨癒合が遷延しやすく,予防のために一般にプレートなどの金属製の内固定器具 instrumentが使用されている」と記載されている。

ウ 『整形外科クルズス改訂第4版』(2003(平成15)年6月1日改訂第4版発行。乙B7)には,破壊性脊椎関節症等について,「疼痛,軽い神経症状などの症状があれば,頚椎カラー,腰椎コルセットの使用,生活指導などを行い」,「保存的治療として消炎鎮痛薬,ステロイドの使用も有効なことがある」,「手術治療の適応は神経根または骨髄の明らかな圧迫症状であり,病態によって除圧術と固定術が行われる」などと記載されている。

エ 丸山弘樹,安宅謙,下条文武「194.破壊性脊椎関節症」(『腎と透析 2000 臨時増刊号』。甲B2)には,破壊性脊椎関節症の整形外科的治療の適応について,「神経障害が認められた場合に,整形外科的治療の適応がある。神経障害が不可逆的になる前に治療する」と記載されている。また,同文献には,「DSAは確実に進行するので,DSAと診断されたときから,将来の整形外科的治療に備えて,骨をはじめ,全身状態を良好に保持しておくことが,治療成績を向上させるうえで大切であると考える」と記載されている。

オ 松下和孝,田中元子,伊藤和子,松下和徳「長期透析合併症-透析アミロイドーシス-」(『Urology View Vol.4 No.3』。甲B3)には,破壊性脊椎関節症について,「DSAは透析患者のADLを左右するばかりではなく環軸病変を伴えば致命的になる可能性もあるため,臨床症状の出現には十分な観察が必要である。手術療法も積極的に行われてはいるが,透析患者は慢性的な尿毒症状態に加えて種々の長期透析症候群を有しているため,high risk であることには変わりなく,また poor result の可能性もあるためインフォームドコンセントも健常者以上に重要である」と記載されている。

(3)  透析患者に対する手術等について

ア 佐藤公治,安藤智洋,佐竹宏太郎,大西哲朗「長期透析患者における脊椎手術療法の検討」(『腎不全外科 ’06』。甲B4)及び大西哲朗,佐藤公治「長期透析患者における脊椎手術療法の検討」(『透析会誌39(4)』2006(平成18)年。甲B5)には,脊椎手術を施行した血液透析患者78例80手術(手術時平均年齢61歳。平均透析期間20.1年),非透析例76例77手術(手術時平均年齢62歳)の結果,透析群のほぼすべての症例に腎不全以外の術前合併症が認められ,高血圧,二次性上皮小体機能亢進症に次ぎ,閉塞性動脈硬化症,消化管出血の合併がみられたこと,術後合併症については,非透析群がイレウス,偽膜性腸炎,肝機能障害,術後低血圧が各1例であったのに対し,透析群は不明熱,消化管出血,術後低血圧の発生が目立ったこと,死亡例は非透析群では認められなかったのに対し,透析群では頚椎手術で消化管出血にて一例,腰椎手術で手術部感染にて一例認められたことなどが記載されている。

また,佐藤公治,安藤智洋,佐竹宏太郎,大西哲朗・前掲「長期透析患者における脊椎手術療法の検討」(甲B4)の「考察」には,「透析患者に対する脊椎手術は術前合併症も多く,術後合併症の発生も多くなっており,きわめて慎重な手術症例の選択が必要であるが,手術後成績に関しては良好な改善率が得られるので,症例によっては手術も選択すべきである。死亡例のうち1例は糖尿病合併例の敗血症であり,糖尿病合併患者には細心の注意が必要である」と記載されている。

イ 中尾慎一,吉田宗人,川上守,安藤宗治,山田宏「長期透析患者における脊椎手術後の合併症の検討」(『中部整災誌 2004;47』。甲B6)には,「血液透析患者の手術時の問題点としては①出血傾向,②創傷治癒遅延,③易感染性,④電解質・酸塩基平衡異常,⑤血圧異常があると言われている。ハイリスクであることは前提であり,徹底した全身管理が行われる。しかしながら重篤な合併症が起こり,ときとして患者が不帰の転帰をとることがある」,「透析性脊椎症に対して徹底した管理下で手術を行ってきたが,合併症の頻度ならびに再手術率は決して容認し得るものではなかった。十分なインフォームドコンセントのもとに手術が決定されるべきである」と記載されている。

ウ 『今日の整形外科治療指針第5版』(2004(平成16)年3月1日第5版発行。乙B5)には,破壊性脊椎関節症などの透析性脊椎症の治療方針について,「①軽度の頚椎や腰椎の神経根圧迫病変については,頚椎カラーやコルセットによる外固定等の保存的治療で軽快する場合がある。②ただ透析中の血液浸透圧変化やサイトカイン活性化等により疼痛が増強しがちであり,長期にわたり保存療法を続けることが困難な例も多い。③手術適応は非透析患者と透析患者との間に根本的な差はない。脊髄や神経根の圧迫症状に対してはまず除圧術を考慮する。」と記載されている。また,同文献には,透析性脊椎症患者に対するリハビリテーションのポイントについて,「原則的には外来で透析可能な状態,つまり歩行にて通院可能な状態を目ざす」と記載されている。

エ 篠原光,曽雌茂,茶薗昌明,井上雄,中村陽介,木田吉城,牛久智加良,丸毛啓史「1-2-7 透析患者における腰椎手術の治療成績」(『関東整形災害外科学会雑誌』第38巻臨時増刊号外の「第47回関東整形災害外科学会演題抄録集」。2007(平成19)年3月発行。乙B8)の透析患者の手術成績,合併症などについて検討した「結果および考察」には,対象15例中「重篤な合併症としては,敗血症による周術期死亡が1例,全身アミロイドーシスにより術後1年で死亡した症例が1例あった。透析患者は透析のための通院を余儀なくされており,歩行障害が患者のADLにおよぼす影響は大きい。今回の検討では,短期の術後成績ではあるが,良好な結果が得られており,患者の満足度は高かった。こうしたことから,透析患者に対しても透析専門医の協力による注意深い周術期の管理が可能であれば,必要に応じて手術療法を積極的に選択すべきと考える」と記載されている。

また,赤坂嘉之,弘田裕,喜多島出,青山貴子,立花新太郎,武田裕介「長期血液透析患者における脊椎手術治療成績の検討」(前掲『関東整形災害外科学会雑誌』第38巻臨時増刊号外。乙B8)には,「今回,手術実施症例の90%が,外来通院透析を継続できる移動能力を獲得できた。これにより透析患者QOL維持目的で,保存治療抵抗性の症例において手術は有用である。しかし,周術期死亡を含めた合併症があるため,手術適応の慎重な検討,十分なインフォームドコンセントが必要である」と記載されている。

オ 『整形外科手術クルズス 改訂第2版』(2006(平成18)年6月1日改訂第2版発行。乙B1)の「透析患者の周術期管理」の項には,「表14 透析患者の周術期管理のポイント」として,循環器専門医による心機能のチェック(心エコー,要すれば心筋シンチグラフィー,心カテーテル),麻酔科術前コンサルタントなどが挙げられており,また,同文献には,「最も問題となるのは,心疾患の合併である。術前に最低限,心エコーを行い,心機能をチェックしておいてもらう」と記載されている。

カ 梶村昌良,菱田明「[各論] Ⅲ 下部消化管異常 (2)虚血性腸疾患」(『臨牀透析』 vol.18 no.12 2002。甲B7)には,「透析患者は,虚血性腸炎の原因となる高血圧,糖尿病,動脈硬化,うっ血性心不全等の合併症を有することが多く,虚血性腸炎発症の高危険群である。長期透析患者にみられる透析アミロイドーシス,高度の便秘等も腸管微小循環の低下を引き起こす増悪因子と考えられる」と記載されている。また,同文献には,虚血性腸疾患の徴候について,「突然の腹痛,下痢,下血が三大症状であり,典型例では,便秘の続いた後に,突然の左側腹部痛,左下腹部痛で始まり,その後に水様性下痢,下血がみられる」と記載されている。

3  争点(1)(Dに対する治療として本件手術を選択したことが過失といえるか否か)について

前記1の事実及び前記2の医学的知見等に基づいて,Dに対する治療方法として,本件手術を選択したことが被告病院の医師らの過失といえるか否かについて検討する。

(1)  前記2(2)の医学的知見によれば,破壊性脊椎関節症の手術適応がある場合として,「保存療法にもかかわらず下肢神経症状が改善せず,著しいADL障害が持続する場合」,「保存的治療の無効例」,「神経根または骨髄の明らかな圧迫症状」,「神経障害が認められた場合」などが挙げられているところ,乙B9(X医師の意見書)によれば,手術適応に絶対的なものはないとしながら,「一般的に考えれば,手術が考慮されても良い状況と考えられるのは,日常生活動作に支障があると強く感じている状況となった場合である」とされる。

そこで,以下,本件手術に至るまでのDの病態,ADL,治療経過等にかんがみ,Dに対する本件手術の必要性の有無等について検討する。

ア Dの病態について

(ア) 前記1(4)ないし(6)のとおり,7月15日に撮影された単純X線写真(乙A5の1ないし4)及び同月18日に撮影されたMRI(乙A3の1ないし4)によれば,当時のDについて,第4腰椎,第5腰椎椎体の骨破壊像が見られ,その間の椎間板が狭小化していること,第5腰椎に対して第4腰椎が前方にずれた状態(すべり)となっていることから,第4腰椎・第5腰椎間の脊柱管が著しく圧迫されているものと認められる(乙A1の47頁,A6,B9,証人F)。

また,9月27日に撮影されたミエログラフィー(乙A4の1,2)によれば,第4腰椎・第5腰椎間には造影剤が認められず,この部位で脊柱管内の神経が圧迫されていることが認められる(乙A7,B9)。

(イ) 前記1(4)のとおり,被告病院の初診時において,Dは,10年程度前から腰痛があり,その腰痛が被告病院を受診する6か月前ころから増悪していること,右下肢に痛みとしびれがあることなどを訴えていたことが認められる。

(ウ) 以上のような画像所見やDの訴え等からすれば,Dは,長期間の透析による合併症である破壊性脊椎関節症が第4腰椎・第5腰椎間で起こり,すべりなどを伴ったことにより,脊柱管が著しく狭くなる腰部脊柱管狭窄症となり,その結果,腰の痛み,下肢の痛みや,しびれを訴えるようになったものと認められる。そして,前記2(2)エの医学的知見によれば,DSAは確実に進行するとされているところ,乙B9(X医師の意見書)によれば,椎間板ヘルニアに伴って発症した腰部脊柱管狭窄症以外の腰部脊柱管狭窄症において,狭くなった脊柱管が広くなることはないことから,Dに発症した腰部脊柱管狭窄症は,自然に改善するものではなく,確実に進行する疾患であったとされていることからすれば,Dの腰部脊柱管狭窄症は,確実に進行する疾患であったものと認められる。

イ DのADLについて

(ア) 前記1(1)ないし(3)のとおり,Dは,慢性糸球体腎炎であって,昭和54年から透析を開始し,被告病院を受診したころには,Gクリニックにおいて,週3回の血液透析を受けていたことが認められる。

そして,Dは,Gクリニックへの通院には,送迎バスを利用するものの,Gクリニックから帰宅する際には,通常,Gクリニックから本厚木駅までGクリニックの送迎バス,本厚木駅から源氏河原のバス停までは神奈川中央交通の路線バスを利用する必要があり,源氏河原のバス停から自宅までの約700mについては,徒歩で帰宅する必要があったものと認められる(甲A1,A2,原告B)。

(イ) 前記1(4)のとおり,Dは10年程度前から腰痛があり,その腰痛が6か月前ころから増悪し,右下肢に痛みとしびれがあったことが認められ,証拠(乙A2の341頁)によれば,被告病院の診療録には,痛みが強く,20m程度しか連続して歩けなくなってきたため,被告病院を受診するに至った旨の記載があることが認められる。

その後の被告病院入院時には,前記1(12)のとおり,Dは,看護師に対し,「最近急にひどくなって,家の中以外は歩けないですよ」と述べたことが認められ,同日,K看護師は,長距離歩行には車椅子が必要であること,ADLはほぼ車椅子,両下肢しびれ強く歩行困難であること,歩行時にふらつきがあることなどを看護記録等に記載したことが認められる。

また,前記1(12)のとおり,同日,被告病院のリハビリテーション科において,Dは,夫と一緒に歩くと腰痛,両足の痛み,しびれが上昇すると訴えたこと,リハビリテーション科のR医師が,Dに対して歩く能力を見る検査を行った結果,屋内で平行棒に沿って「つたい歩き」は可能であると判断したことが認められる。

さらに,前記1(14)のとおり,同月30日,Dは,E医師に対し,右足が非常につらくて歩きづらい旨を訴えたこと,E医師がどの程度痛いかをDに尋ねたところ,出産のときの痛みを100とした場合の右足の痛みは89である旨答えたことが認められ,前記1(15)のとおり,10月1日,Dは,看護師に対し,「ふらふらしちゃう」,「腰痛がどうしてもつらいねぇ」と訴えていたことが認められる。

(ウ) 前記2(3)ウのとおり,透析性脊椎症患者に対するリハビリテーションのポイントは,原則的には外来での透析可能な状態,つまり歩行にて通院可能な状態を目指すとされ,前記2(3)エのとおり,透析患者は,透析のための通院を余儀なくされており,歩行障害が患者のADLに及ぼす影響は大きいとされているところ,前記(ア)のとおり,Dは,週3回,透析のための通院が必要であり,その通院の際にはバス停から約700m程度の距離を歩いたり,路線バスを利用したりする必要があること,前記(イ)のとおり,被告病院の医師や看護師らは,Dは長距離の連続歩行が困難であるなど歩行障害があると判断していたことなどからすれば,本件手術に至る前のDは,そのADLが著しく障害されていたものというべきである。

(エ) 原告らは,Dは,Gクリニックの通院の際にも普通に歩行するなど歩行困難な状況にはなく,家事を普通にこなすなど日常生活を普通に過ごしていたなどと主張し,原告らもこれに沿う供述をする(甲A1,A2,原告B,原告A)。

しかしながら,乙B9(X医師の意見書)によれば,腰部脊柱管狭窄症による間欠跛行の特徴は,座ったりしゃがんだりして腰を丸めると痛みやしびれが軽くなり,しばらく座って休むとまた歩けるようになることであり,休み休み歩けば全体で歩ける距離が制限されることもなく,また,日によって歩ける距離や時間が変動することも特徴であるとされていることからすれば,Dは,休みながらであれば,ある程度の距離を歩行したり,家事をこなしたりすることなどもできた可能性はあったというべきである。したがって,Dがバス停から700mを徒歩で帰宅したことや,家事をこなしていたことなどの原告らの供述内容が事実であったとしても,Dが長距離の連続歩行が困難な状況にあったという前記認定とは矛盾しない。

また,原告らは,Dは普通に歩行しており,休みながら歩いたりすることもなかったから,歩行障害は全くなく,また,家事をする際に休みながらするということもなく,腰の痛みも大したことはなかった旨供述する。

しかしながら,Dは,友人であるTが被告病院で腰の手術を受けて回復したので,被告病院の受診を強く希望し,I医師の紹介により,被告病院のF医師の診察を受けることになったこと(乙A1の7,165頁,原告A),前記1(3)のとおり,被告病院受診前のDは腰痛がひどく,消炎鎮痛薬の服用で経過観察となっていたことからすれば,Dは,手術を念頭において被告病院を受診したものと推認される。Dに大した腰痛もなく,普通に長距離を歩行したり,家事をこなすなど日常生活に何ら支障がないにもかかわらず,Dが手術を念頭において被告病院の受診を希望するとは考え難いことに加え,前記(イ)のとおり,被告病院の診療録等には,20m程度しか連続して歩けなくなってきたため,被告病院を受診するに至ったこと,長距離歩行には車椅子が必要であること,ADLはほぼ車椅子,両下肢しびれ強く歩行困難であること,歩行時にふらつきがあることなどが記載されていること,D自身が「家の中以外は歩けないですよ」などと述べていたこと,リハビリテーション科のR医師が,Dの歩行能力について検査した結果,「つたい歩き」が可能であると判断したことなど被告病院におけるDの訴えや歩行能力に対する看護師や医師の判断内容からすれば,Dは,連続して長距離を歩行することが困難な状況にあったことは明らかであり,これに反する原告らの供述は採用できない。

ウ 被告病院受診前の治療状況等について

前記1(3),(4)及び証拠(乙A2の341頁)によれば,Dは,被告病院受診前の10年くらい前から腰痛があり,その腰痛が平成14年の始めころから増悪しており,7月12日ころまでに,Dは,複数の施設を受診し,消炎鎮痛薬を服用したり,神経ブロックにて加療を受けたものの,痛みが強く,20m程度しか連続して歩けなくなってきたため,被告病院を受診するに至ったことが認められる。

エ 以上のように,本件手術を受ける前のDには,長期間の透析による合併症である破壊性脊椎関節症が第4腰椎・第5腰椎間で起こり,すべりなどを伴ったことにより,脊柱管が著しく狭くなる腰部脊柱管狭窄症となり,その結果,腰の痛み,下肢の痛み,下肢のしびれを訴えるようになったこと,Dに発症した腰部脊柱管狭窄症は確実に進行する疾患であったこと,Dは透析のための通院が週3回必要であるにもかかわらず,長距離の連続歩行が困難であるなどADLが著しく障害されていたこと,複数の施設を受診し,消炎鎮痛薬の投与や神経ブロック等が施されたものの,腰痛などの症状が増悪していたことなどからすれば,Dに対する本件手術の必要性がなかったとはいえず,本件手術の施行が考慮されてもよい状況にあったというべきである。

(2)  前記(1)のとおり,Dの病態,ADLなどにかんがみれば,Dに対して,本件手術を施行することが考慮されてもよい状況にあったといえるけれども,前記2(3)の医学的知見によれば,Dのような透析患者に対する手術については,術前合併症,術後合併症の発生が多く,慎重な手術症例の選択が必要であること,血液透析患者の手術は,出血傾向,創傷治癒遅延,易感染性,電解質・酸塩基平衡異常,血圧異常といった問題点があるなどハイリスクであり,合併症の頻度や再手術率は決して容認し得るものではないことなどから,十分なインフォームドコンセントのもとに手術が決定されるべきであることなどが指摘されている。

他方,前記2(3)の医学的知見によれば,手術後成績に関しては良好な改善率が得られるので,症例によっては手術も選択すべきであること,手術適応は非透析患者と透析患者との間に根本的な差はないこと,短期の術後成績ではあるが,良好な結果が得られており,患者の満足度が高く,透析患者に対しても透析専門医の協力による注意深い周術期の管理が可能であれば,必要に応じて手術療法を積極的に選択すべきであることなども指摘されている。

このように,透析患者に対する手術については,ハイリスクではあるけれども,術後成績は良好であり,十分な周術期管理やインフォームドコンセントなどが実施されているなどの条件を満たした場合には,手術を容認する医学的見解があるところ,X医師も,「本件のようなリスクの高い患者を手術する際には,十分なバックアップ体制の存在する病院で,脊椎手術の専門家が手術を行うことは必須条件ではあるが,一番重要なのは患者の病状の強さに応じた手術に対する同意とともに,手術のリスクに対する同意である」と指摘されている(乙B9)。

そこで,上記のような長期透析患者に対する手術がハイリスクであるものの,十分な周術期の管理や,インフォームドコンセントなどが実施された場合などには手術も容認され得るとの医学的知見に照らし,長期透析患者であったDに対し,本件手術を施行することが許されないものであったか否かについて検討する。

ア 本件手術に至るまでの全身状態の管理等について

(ア) 前記1(1)のとおり,Dは,20年以上の長期にわたり,人工透析を受けていたこと,前記1(15)のとおり,Dは,平成11年に不整脈,狭心症と診断されたことが認められる。

このように,長期透析を受け,不整脈等の既往症があったDに対し,被告病院では,前記のとおり,次のような検査等が実施され,本件手術に至ったことが認められる。

すなわち,被告病院受診後のDには,7月22日,心電図検査及び血液一般検査等が実施され(前記1(6),(7)),この心電図検査の結果,ST-T変化が認められたため,前記1(7)ないし(11)のとおり,8月7日に心臓超音波検査が行われ,8月27日にドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査が実施されている(前記1(7)ないし(10))。そして,被告病院循環器内科のJ医師は,ドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査の結果,心筋肥大を認めるものの,明らかな心筋虚血は疑われず,手術が可能であると判断した(前記1(10),(11))。

9月26日,L医師は,J医師に対し,手術可能かどうかの診療を求めたところ,J医師は,心エコー上は壁運動良好であり,手術には問題ないと考えられる旨回答した(前記1(12))。同日,M医師は,被告病院腎センターの医師に対し,Dの診療を依頼し,腎センターのN医師,O医師,P医師,Q医師らが併診することになった(前記1(12))。10月1日,M医師は,麻酔科のS医師に対し,術中の管理を依頼したところ,S医師は,全身麻酔は問題ないと考えられる旨回答した(前記1(15))。

(イ) 前記2(3)オのとおり,透析患者に対する周術期管理として,循環器専門医による心機能のチェック(心エコー,要すれば心筋シンチグラフィー,心カテーテル),麻酔科術前コンサルタントなどを行うこととされているところ,前記(ア)のとおり,被告病院では,Dに対し,心電図検査,心エコー,ドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査が実施され,循環器内科のJ医師により手術が可能であるとの判断がなされ,また,M医師から術中管理を依頼された麻酔科のS医師も,全身麻酔は問題ないと判断し,本件手術に至っていること,本件証拠上,循環器内科のJ医師,麻酔科のS医師の上記判断に過誤があったと認めるに足りる証拠はないこと,Dは,被告病院を受診してから約2か月の間に被告病院を度々受診し,心機能に対する検査や血液検査等が実施され,循環器内科等へのコンサルトなどがなされていることなどからすれば,本件手術に至るまでの被告病院におけるDに対する全身状態の管理等について,医療水準を逸脱した不備があったということはできず,そのような全身状態の管理を行った上で本件手術の施行を決定したことが,慎重さを欠いた安易なものであったということもできない。

イ インフォームドコンセントについて

(ア) 前記1の事実及び証拠(乙A2の274頁,A6,証人F)によれば,10月2日,F医師のD及び原告Aに対する術前説明について,以下の事実が認められる。

この術前説明では,F医師は,単純X線,MRI,脊髄造影の画像を示しながら,病名とその原因等について説明した。具体的には,頚椎の手術の時と同様に全身麻酔をかけてから手術に入るので眠っているうちに手術が進むこと,腰の骨(椎体)が長年の透析のために破壊され,その結果神経が圧迫されているので,背中側から切開し,骨や靱帯を切り離して神経への圧迫をとること,続いて,壊れている前側の腰骨(椎体)を削った腰の骨かあるいは骨盤の骨を使って固めること,ベッドから早く起き上がり,歩行訓練ができるように,また,移植した骨が確実に癒合するように金属も使うこと,術後3日から7日でリハビリを開始することができ,一人で歩くことができるようになること,手術の結果が思っていたようによくないこともあるが,被告病院でのこの手術の結果は良好であることなどを説明した。

また,F医師は,本件手術の危険性について,全身麻酔や手術によって,心臓や肺の機能が悪くなり,呼吸困難,血圧がコントロールできなくなること,ショックになること,さらに精神状態も悪くなることがあることを説明し,出血が止まらないこと,感染が起きること,傷が汚くなることも考えられ,腎不全による透析患者の場合は,それらの合併症が生じる可能性が透析をしていない患者に比べて明らかに高いことを説明した。さらに,F医師は,最悪の場合としてという前置きの上で,心臓が悪くなる,頭の方に障害が起きる,感染,内臓障害などが起きて全身状態が悪化し,不幸な転帰になる可能性があり,Dの場合,以前にも同じ病気で頚椎の手術を受けているが,そのころよりも透析期間が長くなっており,高齢となっているので,頚椎手術のときよりも危険性が高いことなどを説明した。

そして,F医師は,手術の結果がよくない場合として,両足の運動麻痺,感覚障害が生じたり,便のコントロールができなくなったり,あるいは手術前より悪くなることがあること,それらの予防のために脊椎脊髄外科専門医師が複数で手術に入り,手術時間を短くし,出血を少なくできるように計画していること,必要があれば日赤の血液を輸血すること,手術した場所が感染した場合にはひどくならないうちにもう一度その傷口を洗浄することがあることなどを説明した。

その後,F医師は,Dらに対し,本件同意書を交付した。その後,原告Aは,本件同意書に,Dの氏名と原告Aの氏名等を記載した。

同日,Dは,看護師に対し,「大変分かりやすく教えてくれました。大丈夫です。Tさんも手術をなさって元気になって歩いて来たようですし。私もみんなの勇気になるためにも手術をしてがんばらないと」などと述べた。また,Dは,手術に対して前向きな様子ではあったが,不安も大きく流涙が見られた。

(イ) なお,原告らは,10月2日の術前説明の時間は10分程度であり,上記のような説明を行うことは不可能である旨主張し,原告Aも,上記のような説明を受けた記憶はないなどと,原告らの主張に沿う供述をする。

しかしながら,F医師の説明の後にDが「大変分かりやすく教えてくれました」と述べ,不安も大きく流涙が見られたことからすれば,危険性などについても具体的な説明がされたことがうかがわれること,「手術により,全身状態が悪化する事があり得る」,「透析中の場合は,その可能性が通常より高い」など本件同意書に記載のある事項について全く説明がされていないということは考え難いにもかかわらず,原告Aは,本件同意書について,「一応は納得ということで署名いたしました」と供述しながら,手術の危険性や透析患者の場合には普通よりも危険性が高いことなどについて説明を受けたかという質問に対し,記憶がない旨供述していることからすれば,10月2日のF医師の説明内容についての原告Aの記憶はあいまいであって,その供述は採用することはできず,その他前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(ウ) 医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があると解される。

これを本件についてみると,前記2(3)のとおり,Dのような長期透析患者に対する手術は,術前,術後合併症の発症が多く,ハイリスクであり,死亡例もあることなどからすれば,Dに対しては,一般的な本件手術の危険性に加えて,長期透析患者に対する手術が非透析者に対する手術よりも危険性が高く,死亡等の重大な合併症が生じる可能性があることなど,透析患者に対する手術特有の危険性についても説明する義務があったというべきである。

本件では,前記(ア)のとおり,本件手術の前日である10月2日,F医師は,Dの病名や病状とその原因,実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,予後について具体的な説明をしており,その中で,合併症が生じる可能性が透析をしていない患者に比べて高いことや,最悪の場合には不幸な転帰となる可能性などについても説明していたことが認められる。

加えて,本件では,前記(1)イ(エ)のとおり,Dは手術を念頭において被告病院を受診したものと推認されるにもかかわらず,被告病院では,直ちに手術の決定がされることはなく,Dに対し,心電図等の種々の検査を実施しながら,初診から約2か月経過してから手術が決定された経緯にかんがみれば,7月22日,8月7日,同月21日,9月9日の各日の診療の際に,F医師は,病状等について説明するとともに,Dに対して本件手術を行うことがハイリスクであることや,全身状態のチェックのために検査等が必要であることなどの説明をしていたことが認められるというべきである(乙A6,証人F)。

これらのことからすれば,本件において,被告病院の担当医に説明義務違反があったということはできない。そして,本件では,本件手術のリスク,透析患者は特にハイリスクであること,不幸な転帰となる可能性もあること等について説明がされた後に,Dは,看護師に対し,「大変分かりやすく教えてくれました。大丈夫です。Tさんも手術をなさって元気になって歩いて来たようですし。私もみんなの勇気になるためにも手術をしてがんばらないと」と述べたこと,Dに流涙が見られたこと,被告病院の入院診療録には,Dの疾病感として「はやく手術して良くなりたいんです。」との記載があること(乙A2の39頁)などからすれば,Dは,本件手術の危険性について理解した上で,本件手術を施行することについて同意していたことは明らかである。

ウ 以上のように,本件手術に至る前のDに対する全身状態の管理に不備があったとはいえないこと,Dは,本件手術のリスクや透析患者は通常よりもリスクが高いことなどについて説明を受け,危険性等について理解した上で,本件手術に同意したことに加え,被告病院は,集中治療室を有し,循環器内科,消化器内科,一般内科,整形外科,リハビリテーション科,精神科など多数の診療科を有する大学病院であり(乙A1,A2),術後十分なバックアップ体制を執り得ること,本件手術を担当する3名の医師がいずれも日本脊椎脊髄病学会認定の脊椎脊髄外科指導医であったことなどにかんがみれば,長期透析患者に対する手術がハイリスクであることなどを考慮しても,Dに対する本件手術の施行が許されないものであったということはできない。

(3)  以上のとおり,Dには,本件手術の必要性がなかったとはいえず,Dの病態等からすれば,本件手術が考慮されてもよい状況であったこと,長期透析患者であったDに対する手術がハイリスクであることなどを考慮しても,Dに対する本件手術の施行が許されないものであったといえないことからすれば,被告病院の医師らが,Dに対する治療方法として,本件手術を選択したことが過失に当たるとはいえない。

(4)  原告らは,Dに対して本件手術を選択したのは誤りであるとして,前記第2の3(1)記載の主張をするけれども,いずれも採用することができない。その理由は,次のとおりである。

ア 原告らは,Dは,長期透析患者であったことに加え,本件手術当時,67歳と高齢であり,狭心症,不整脈の既往があったことからすれば,本件手術を行うことはハイリスクであり,本件手術を選択すべきでなかった旨主張する。

前記1(15)のとおり,Dは,本件手術の3年前ころに,不整脈及び狭心症と診断されていたことが認められる。

しかしながら,本件証拠上,循環器系の合併症の既往があったことをもって,直ちに手術適応が否定されるとする医学的知見は認められないところ,乙B9(X医師の意見書)によれば,腰部脊柱管狭窄症の手術が行われる患者の平均年齢は70歳以上であり,これらの患者の多くは,高血圧症,不整脈,狭心症及び心筋梗塞などの循環器系の合併症の既往があり,循環器系の合併症があるからといって,それだけで手術ができないわけではないとされている。また,前記2(3)オのとおり,透析患者の周術期管理において,最も問題となるのは,心疾患の合併症であり,心機能のチェックが必要である旨指摘されているところ,本件では,前記(2)アのとおり,心電図検査,心エコー検査,ドブタミン負荷タリウム心筋シンチグラフィー検査が行われ,循環器内科のJ医師により,手術が可能であると判断され,その判断に過誤があったと認めるに足りる証拠がないことからすれば,本件手術を施行したことが過失であるとはいえず,原告らの主張は採用できない。

イ 原告らは,Dに対しては,ステロイド製剤による薬物療法が行われていなかったから,ステロイド製剤による薬物療法を行う余地があり,これを行わないで本件手術を施行したことは過失である旨主張する。

しかしながら,前記2(2)ウの医学的知見によれば,破壊性脊椎関節症に対する保存的治療として,「ステロイドの使用も有効なことがある」とされるにとどまり,乙B9(X医師の意見書)によれば,ステロイド製剤の投与は,腰部脊柱管狭窄症の治療法として一般的に行われているものではなく,推奨されている治療法でもないとされていることからすれば,ステロイド製剤の投与が必須であって,ステロイド製剤が投与されていない限り,手術は許されないということはできない。

ウ 原告らは,長期透析患者には,虚血性腸疾患の可能性があり,術後消化管出血を生じることが多いこと,また,縫合不全が生じやすいことから,術後消化管出血が生じ,それに対応する手術を行った場合には縫合不全が生じる可能性があるから,Dに対して手術を選択すべきでなかった旨主張する。

確かに,前記2(3)ア,カの医学的知見によれば,透析患者に対する手術の術後合併症として,消化管出血が目立つこと,透析患者は,虚血性腸炎発症の高危険群であることが認められる。

しかしながら,前記2(3)エによれば,透析患者に対しても,必要に応じて手術療法を積極的に選択すべきであるとされ,また,前記2(3)のとおり,透析患者に対する手術がハイリスクであるものの,十分なインフォームドコンセントや周術期管理などの要件を満たせば手術を容認する医学的見解があることからすれば,一般的に,透析患者に対する手術には術後消化管出血の可能性があり,虚血性腸炎の発症の高危険群であるという医学的知見があることをもって,すべての透析患者に対する手術が許されないということはできない。そして,前記2(3)カのとおり,虚血性腸炎の三大症状は,突然の腹痛,下痢,下血であるところ,本件手術前のDには,これらの徴候は認められておらず,何ら徴候が認められないDに対し,透析患者は一般的に虚血性腸炎発症のリスクが高く,術後消化管出血の可能性が高いとされていることをもって,本件手術の施行が許されないものであったということはできない。

なお,被告病院においては,本件手術前に,腹部単純X線検査,腹部CT検査,腹部MRI検査,腹部血管造影検査など虚血性腸炎に対する検査が実施されていないけれども,一般的に透析患者には虚血性腸炎の可能性が高いことをもって,前記のとおり,何ら虚血性腸炎の徴候が認められないDに対し,虚血性腸炎に対する検査を行うべきであったということもできず,前記(2)アのとおり,心電図検査等の種々の検査が行われ,手術が可能であると判断されたことからすれば,術前のDの状態管理について医療水準を逸脱した不備があったということはできない。

4  争点(2)(説明義務違反の有無)について

原告らは,長期透析患者であるDに対して本件手術を行う場合には,そのリスクが高いことから,悪い結果を死亡例の数値などを挙げて説明するべきであり,また,医学的知識のないDや原告Aが十分理解できるように説明すべきであったのに,そのような説明がされていないから,被告病院の医師には,説明義務違反がある旨主張する。

しかしながら,前記3(2)イのとおり,F医師は,手術に付随する危険性,予後について具体的な説明をしており,その中で,合併症が生じる可能性が透析をしていない患者に比べて高いことや,最悪の場合には不幸な転帰となる可能性などについても説明していたこと,説明後にDが「大変分かりやすく教えてくれました」と述べたことなどから,本件手術について説明義務違反がないことは明らかであり,原告らの主張には理由がない。

5  以上のとおりであって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浜秀樹 裁判官 松田浩養 裁判官 松井俊洋)

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