東京地方裁判所 平成18年(ワ)8482号 判決 2006年10月31日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の請求
1 被告は、原告に対し、161万7000円及びこれに対する支払催告の日である平成16年8月6日から支払済みまで民事法定利率年5%の割合による遅延損害金を支払え。
2 訴訟物は、弁護士賠償責任保険契約(第2の1(1)及び(2)参照)に基づく保険金(弁護士業務に起因して損害賠償請求訴訟の被告になったことによる当該訴訟の弁護士報酬相当額の損害をてん補すべき保険金)の支払請求である。
第2事案の概要
1 争いのない事実関係
(1) 全国弁護士協同組合連合会(保険契約者)と被告(被保険者)との間で団体損害保険契約(弁護士賠償責任保険。以下「本件保険契約」という。)が締結されており、弁護士資格を有する原告は、その被保険者の1人である。
本件保険契約においては、被保険者が弁護士の資格に基づいて遂行した業務に起因して法律上の損害賠償を請求されたことが、保険事故とされている。
(2) 本件保険契約の約款(甲3)においては、被告は、保険事故によって被保険者が被る損害(被害者に対する損害賠償債務及び被保険者に生ずる各種費用負担等の損害であって約款に定めるもの)をてん補する責めに任ずる旨が定められている(2.弁護士特約条項の第1条)。
本件保険契約の約款(甲3)においては、被告がてん補する損害の範囲を定める条項があり(1.賠償責任保険普通保険約款の第2条)、その第1項(4)には「被保険者が当会社の承認を得て支出した、訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解または調停に関する費用」を被告がてん補するという定めがある。
(3) 被保険者である原告は、弁護士の資格に基づいて遂行した業務に起因して訴外Aから法律上の損害賠償を請求され、Aを原告とし、原告を被告とする損害賠償請求訴訟を提起された。当該訴訟については、請求棄却判決が確定し、原告が賠償責任を負うことはなかった。
(4) 原告(弁護士資格を有する)は、当該訴訟につき、別の弁護士を訴訟代理人として選任することなく、自ら出廷して訴訟活動を行った。
被告は、前記(2)の約款記載の「当会社の承認」に当たる行為をしていない。
(5) 原告は、平成16年8月6日、被告に対して、弁護士報酬相当額の保険金161万7000円の支払を催告した。
2 争点
(1) 原告は訴訟代理人を選任せずに1(3)の訴訟を遂行したが、そのような場合でも約款(1.賠償責任保険普通保険約款)第2条第1項(4)に基づく弁護士報酬相当額の保険金請求権が、原告に発生するか。
(2) 被告は約款(1.賠償責任保険普通保険約款)第2条第1項(4)所定の「当会社の承認」に当たる行為をしていないが、そのような場合でも前記弁護士報酬額相当の保険金請求権が、原告に発生するか。
(3) 次の被告の主張の当否
弁護士賠償責任保険は損害保険であるが、その中心は賠償責任保険であって、賠償責任保険金(賠償責任債務の負担という損害をてん補する保険金)の支払の適正確保のため、付随的に、紛争解決費用の支出による損害についても所定の要件の下に保険金を支払うように保険が設計されている。被害者から弁護士に対して故意による賠償責任が追及される場合には、弁護士が賠償責任を負うことが確定しても、故意免責規定が適用され、賠償責任保険金を支払う可能性がない。このような場合には、賠償責任保険金の支払の適正確保という前提を欠くから、紛争解決費用の支出による損害について保険金を支払う必要性がない。したがって、故意免責規定は、紛争解決費用の支出による損害についての保険金の支払についても適用される。Aは原告の故意による賠償責任を追及していたのであって、このような場合には、付随の紛争解決費用の支出による損害に係る保険金の支払についても、約款(1.賠償責任保険普通保険約款)第4条(1)の故意免責の適用がある。
(4) 原告に保険金請求権がある場合における具体的な保険金額(弁護士報酬相当額・原告は161万7000円と主張)
第3争点に対する判断
1 争点(1)(訴訟代理人を選任しない場合でも弁護士報酬相当額の保険金請求権を有するか)について
(1) 約款の定め(被保険者が・・・支出した、訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解または調停に関する費用)の文言解釈上は、被保険者が現実に他の弁護士に弁護士報酬支払債務を負った場合でなければ、当該約款の定める場合には該当しないと解するほかはない。
ところで、原告は、他の弁護士に対して弁護士報酬支払債務を負っていないことは、第2の1の事実関係から明らかである。
したがって、原告の請求は、理由がない。
(2) 本件保険契約の定めのうち紛争解決費用の支出による損害についても保険金を支払う旨の部分は、賠償責任保険(被害者に対する賠償責任債務の負担という損害について保険金を支払う保険)の性質は有していないものの、なお損害保険の性質は有しているものと考えるのが、約款(甲3)の解釈上自然である。
ところで、弁護士が、自己を当事者とする訴訟について、他の弁護士を訴訟代理人に選任せずに自己が訴訟を遂行した場合において、当該弁護士には損害(財産上の差額)が発生しないのが通常である。
他の弁護士を訴訟代理人に選任しなかったことによっては、他の弁護士に支払うべき弁護士報酬の支払いを免れるという事実上の利益は発生しても、財産の減少は生じていないからである。また、自己を当事者とする訴訟に自己の労働時間を割いたことにより当該弁護士の弁護士業務収入が減少するという因果関係は、自由業である弁護士の業務の性質(事業主と雇用契約を締結して所定の労働時間の労働の対価を賃金として取得する労働者との相違など)を考えると、一般的には認められない(少なくとも、因果関係の相当性があるとはいえない。)からである。
以上によれば、弁護士を当事者とする訴訟について弁護士自身が訴訟を遂行しても、当該弁護士に損害保険でてん補すべきほどの損害が発生するということには無理があるものというべきである。
したがって、この観点からも、原告の請求は理由がない。
(3) 原告は自らを訴訟代理人に選任した場合には保険金が支払われるべきであると主張するが、自らを訴訟代理人に選任するという事態の発生を想定することはなかなか困難である。したがって、当該主張も、採用の限りでない。
2 以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
(裁判官 野山宏)