東京地方裁判所 平成19年(ワ)13号 判決 2009年3月25日
主文
1 被告は,原告Aに対し,221万2079円及びこれに対する平成16年3月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,220万円及びこれに対する平成16年3月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Cに対し,110万円及びこれに対する平成16年3月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は,これを10分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。
6 この判決の第1項ないし第3項は,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告Aに対し,2172万2675円及びこれに対する平成16年3月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,2005万9389円及びこれに対する平成16年3月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Cに対し,947万9694円及びこれに対する平成16年3月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,被告が運営管理するD病院(後に病院名は「Dメディカルクリニック」と変更された。以下「被告病院」という。)において,被告病院の医師らが,慢性膵炎を伴う膵頭部癌の患者に対し幽門温存膵頭十二指腸切除術及び再建術を行ったところ,吻合部に縫合不全が発生したため患者が腹膜炎に罹患して多臓器不全により死亡したことにつき,患者の遺族(共同相続人)である原告らが,医師らに経鼻胃管を早期に抜去した過失,経鼻胃管を再挿入しなかった過失又は腹膜炎に対する治療としての開腹手術が遅れた過失があったとして,被告に対し,不法行為責任(使用者責任)又は診療契約上の債務不履行責任に基づき,それぞれ損害賠償の支払を求めた事案である。
1 前提事実(証拠等を掲記しない事実は争いのない事実である。)
(1) 当事者
ア 原告A及び原告Bは亡E(昭和23年5月11生まれ。以下「E」あるいは「本件患者」という。)の妹であり,原告CはEの異母兄である。
原告らは,平成16年4月28日(以下,日付は,特に年を表記しない限り,平成16年の日付である。また,時刻は24時間制で表記する。)にEが死亡したため,原告A及び原告Bはいずれも法定相続分5分の2の割合で,原告Cは法定相続分5分の1の割合で,Eの権利義務を共同相続した(甲C1ないし11)。
イ 被告は,被告病院を運営管理している医師である。
被告は,被告が雇用し,被告病院に勤務していたF医師及びG医師(以下,被告,G医師及びF医師を併せて「被告病院医師ら」という。)とともに,Eの診療を担当した。
(2) 診療経過
ア Eは,2月27日,腹部と背部の疼痛のため被告病院を受診し,被告との間で,診察,検査,治療その他の医療行為を受けることに関する診療契約を締結した。
イ Eは,3月6日,膵頭部癌及び慢性膵炎疑いのため被告病院に入院し,同月19日,F医師の執刀のもと,被告及びG医師が助手となり,幽門温存膵頭十二指腸切除術(PpPD)及び今永法による再建術(以下,同切除術と再建術とを併せて「本件手術」という。)を受けた。
ところが,Eは,本件手術における吻合部に縫合不全が発生し,消化液等の消化管内容物が漏出して腹膜炎を発症し,4月2日には緊急開腹手術が行われたが,4月28日に多臓器不全により死亡した。
本件手術で摘出された膵頭部の腫瘤の病理組織検査の結果は高分化型管状腺癌であり,腫瘤は膵内胆管の粘膜及び十二指腸漿膜下組織の一部に浸潤しており,膵癌の進行度はステージⅢであった。
この間の診療経過は別紙診療経過一覧表のとおりである(ただし,下線部の事実は,当事者間に争いがあるので,第3当裁判所の判断において適宜認定する。)。
(3) 医学的知見
ア 膵頭十二指腸切除術(PD)は,膵頭部領域の良性及び悪性疾患に対して施行される標準術式である。
今永法は,同切除術後の消化管再建術のうちの一つであり,口側から肛門側に向かって,胃空腸吻合部,膵空腸吻合部,胆管空腸吻合部の順に配列されることから,日本ではより生理的な再建術式の一つとされている。
イ 腹部外科手術後には,手術侵襲による交感神経刺激や麻酔等の影響により,消化管運動は一定期間(大腸は2,3日,十二指腸・小腸は数時間程度)麻痺する。
ウ 縫合不全とは,手術時に消化管を縫い合わせた部分(吻合部)に癒合しない部分があり,消化管の内容物が消化管外に流出することをいい,縫合不全が生じた場合には腹膜炎などを引き起こすことが多い。
エ 腹膜炎は,細菌感染,悪性腫瘍又は機械的,化学的刺激等によって起こる腹膜の炎症である。このうち,腹膜の急性炎症が腹腔内の一部に限局している状態を急性限局性腹膜炎といい,細菌感染等により腹膜の炎症が腹膜全体に波及する急性びまん性の腹膜炎を急性汎発性腹膜炎という。
2 争点
(1) 被告病院医師らが経鼻胃管を抜去したことについて注意義務違反があるか。
(2) 被告病院医師らが経鼻胃管を再度挿管しなかったことについて注意義務違反があるか。
(3) 被告病院医師らが3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに開腹手術を行わなかったことについて注意義務違反があるか。
(4) 被告病院医師らの各注意義務違反とEの死亡との間に因果関係があるか。また,被告病院医師らの各注意義務違反がなければEが死亡することを回避することができた相当程度の可能性があるか。
(5) 損害の発生及び額
3 争点に関する当事者の主張
(1) 被告病院医師らが経鼻胃管を抜去したことについて注意義務違反があるか。
(原告らの主張)
ア 注意義務の内容及び注意義務の存在を基礎付ける事実
被告病院医師らには,本件手術後,縫合不全の発症を回避するため,消化液の産生量が十分に回復し,かつ,腸管内で消化液等を運んでいくための腸管蠕動が十分に回復したのを確認してから,Eの経鼻胃管を抜去すべき注意義務があった。
一般に,膵頭十二指腸切除術の後,患者に経鼻胃管を留置しておくことの意義は,腸管蠕動が十分に回復していない段階で胃液等の消化液の産生量が回復してきた場合に,消化液の貯留により消化管内圧が上昇して吻合部の縫合不全が発症することと嘔吐などによる誤嚥性肺炎を防止することにある。
特に本件で行われた今永法という消化管再建術は,胃内容物が胃空腸吻合部,膵空腸吻合部,胆管空腸吻合部の順に全ての吻合部を通過することになり,また,消化液が上部腸管内に貯留してきた場合には,まず胆管空腸吻合部に消化液増加による内圧負荷がかかり,次にそれに加えて膵空腸吻合部に負荷がかかることになる。胆管空腸吻合部と膵空腸吻合部は,胃空腸吻合部と比較して吻合組織の構造や強さに差があるため吻合が弱く,縫合不全が生じやすい。
また,膵臓の実質は非常にもろい組織であることから,膵臓と空腸の縫合を行う際には,もろい組織である膵実質の断端を直接空腸に繋ぐのではなく,まず膵実質をその外側にある膵臓の被膜で覆うようにして縫合し(マットレス縫合),この縫合されたものと空腸の漿膜とを縫合することにより,強固な吻合を実現することが考えられる。ところが,本件では,F医師は,膵空腸縫合を行うに当たり膵断端を閉鎖したうえで空腸への縫合を行おうと試みたが,膵の断端が術前から診断されていた慢性膵炎のために硬化しており,閉鎖することができなかった。このことから,F医師をはじめとする被告病院医師らは,本件手術を終えた時点で,本件患者の膵空腸吻合部が比較的弱い吻合であることを認識していた。
以上のことから,被告病院医師らは,術後に消化管内圧の上昇によって縫合不全が起こる危険性が比較的高いということを予見することができ,縫合不全の発症を回避するため上記注意義務があった。
イ 注意義務違反の事実
被告病院医師らは,3月21日10時に,消化液の産生量も腸管蠕動も全く回復していなかったにもかかわらず,Eの経鼻胃管を抜去した。したがって,被告病院医師らには,消化液の産生量が十分に回復し,かつ,腸管蠕動が十分に回復したのを確認してからEの経鼻胃管を抜去すべき注意義務を怠った過失がある。
(被告の主張)
膵頭十二指腸切除術・再建術は,消化器外科の分野でも最難関の手術といわれており,約1割の症例で縫合不全が発症し,発症予後は極めて不良である。そのため,縫合不全を回避するため様々な方法論が提唱され,その中の一つとして経鼻胃管の留置がいわれていた時代もあった。
しかし,そのような見解は,米国における前向き無作為抽出試験により否定的な結論が出され,直近の文献で縫合不全を防止する目的で経鼻胃管を長期間留置するとの方法論を紹介しているものは存在しない。
むしろ,近時の文献によれば,術後翌日から術後3日目ころまでには経鼻胃管を抜去することを推奨するのが一般的である。
また,再建術として今永法を用いた場合に限って経鼻胃管抜去の時期を遅らせなければならないなどという医学的知見は存在しない。
したがって,術後2日目に経鼻胃管を抜去した被告病院の処置は,医療水準に適ったものであったというべきである。
(2) 被告病院医師らが経鼻胃管を再度挿管しなかったことについて注意義務違反があるか。
(原告らの主張)
ア 注意義務の内容及び注意義務の存在を基礎付ける事実
仮に経鼻胃管を術後翌日から術後3日目ころまでに抜去してよいとしても,被告病院医師らには,Eに対し,遅くとも3月24日21時ころには速やかに経鼻胃管を再度挿管すべき注意義務があった。
3月23日0時ころの時点では,22日の一日を通して膵液の産生量が回復してきていることから,胃液など膵液以外の消化液の産生量も回復してきていることを認識することができ,また,3月23日0時ころの時点では,未だ腸音を聴取できず排ガスも確認されていない状態であったことから,腸管の蠕動運動が回復していないことが明らかであった。したがって,被告病院医師らは,3月23日0時ころの時点では,胃液等の消化液が胃及び腸管に貯留していることを認識することができ,また,今後も貯留してくるであろうことを予見することができた。
次に,3月23日22時ころには,一日の膵液の産生量が十分回復してきていることから,胃液など膵液以外の消化液の産生量も十分回復していることを認識することができ,また,同時点においても,未だ腸音を聴取できず排ガスも確認されていない状態であったことから,腸管の蠕動運動が回復していないことが明らかであった。したがって,被告病院医師らは,3月23日22時ころの時点では,胃液等の消化液が胃及び腸管に貯留していることを認識することができた。しかも,同時点では,既に縫合不全を発症しているとの診断がなされた後であるから,その貯留した消化液が腹腔内に漏出し始めていることも認識できた。
さらに,3月24日21時ころの時点では,前日までと異なり,腹腔内に留置されたドレーンからの排液が計1000mℓ以上に達しており,縫合不全により胃液を中心とする大量の消化液が腹腔内に漏出し続けていることが判明している。
以上の事実から,被告病院医師らは,腹腔内に大量の消化液が漏出するのを防止して限局性腹膜炎の状態に止まらせるため,また,吻合部に更に負担がかかって縫合不全が持続し悪化するのを回避するため,遅くとも,ドレーンからの排液が1日足らずで計1000mℓ以上もあることが確認された3月24日21時ころの時点では速やかに経鼻胃管を再度挿管して胃液の排出を行うべきであった。
イ 注意義務違反の事実
被告病院医師らは,Eに対し経鼻胃管を再度挿管しなかった。したがって,被告病院医師らには,Eに対し,遅くとも3月24日21時ころには速やかに経鼻胃管を再度挿管すべき注意義務を怠った過失がある。
(被告の主張)
原告らの主張は,消化管内圧亢進が縫合不全を誘発するものであり,Eに消化管内圧亢進の状況があったことが前提となるが,そもそも消化液が消化管内圧を亢進させて縫合不全を発症させるという医学的知見が近時否定的に解されているうえ,原告らが前記過失を主張する時点よりも後の3月25日にガストログラフィンが本件手術の吻合部付近にまで達しないほど蠕動運動は回復していなかった。
したがって,被告病院医師らに経鼻胃管を再度挿管すべき注意義務はない。
(3) 被告病院医師らが3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに開腹手術を行わなかったことについて注意義務違反があるか。
(原告らの主張)
ア 汎発性腹膜炎発症の事実
以下の(ア)から(ウ)までの事実に照らせば,Eは,遅くとも3月26日の腹部CT検査時までには汎発性腹膜炎となっていた可能性が高い。
(ア) 3月26日の腹部CTでは,下腹部のダグラス窩に液体貯留が認められる(乙A5の3の3)。その貯留液体は,腹腔内に漏出した消化液である可能性が高い。
経過記録(乙A2p152以降)によれば,3月24日以降,腹腔内に留置されたドレーンチューブから毎日1000mℓ以上という多量の排液があり,また,その排液は混濁していることも記録されている。腹腔内に漏出した消化液は,結果的には各ドレーンチューブから体外に排出されているが,その排液量が多量であったことも考慮すると,縫合不全により上腹部に漏出した消化液が下腹部にまで及んだ可能性が高い。
F医師も,3月26日の腹部CTでダグラス窩への液体貯留を確認した後,「painの移動はDouglasの腹水のひろがりによるものか」と診療録に記載している(乙A2p17)が,腹水のひろがりとは,まさに縫合不全により腹腔内へ漏出した消化液が下腹部のダグラス窩にまで広がったと判断したものと考えられる。
また,4月2日の手術記録においても,左右横隔膜下腔からダグラス窩まで汚染腹水の貯留を多量に認めたと記載されている(乙A2p7)が,これは3月26日の腹部CT検査時にも見られたのと同様の貯留液体と考えるのが合理的である。
このように,漏出した消化液が下腹部にまで及ぶと,その部位にも化学性の炎症を起こして腹膜炎となり,上腹部から下腹部まで腹膜全体に炎症が拡大し,汎発性腹膜炎を呈する。
(イ) また,3月24日以降のCRPの値は,極めて異常な高値を示している。乙A2p66-1以降のデータによると,CRPの値は,3月24日の11.75mg/dℓ(以下,単位省略)から3月25日に21.94になり,3月27日には25.15まで上昇している。
一方,白血球数についても,3月25日には14100個/μℓ(以下,単位省略)と高値となっている(乙A2p67-2)。なお,白血球数は,3月27日以降も高値のままである。
これらの所見は,Eが重篤な感染症に罹患している可能性を示唆している。
(ウ) さらに,経過記録に記載されているとおり,Eは,縫合不全の疑いがあると診断された3月23日18時ころ以降,度々腹部全体の強い疼痛を訴えている(乙A2p151以降)。
イ 注意義務の内容及び注意義務の存在を基礎付ける事実
(ア) 被告病院医師らには,遅くとも3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに再開腹手術を行うべき注意義務があった。
そして,開腹時の所見から,縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建が可能な場合には,汎発性腹膜炎の原因を除去するために再縫合による再建を行い,また,感染の波及している上腹部から下腹部のダグラス窩まで(腹腔内全体)を生理食塩水で洗浄したうえ,それまでドレーンが留置されていた上腹部だけでなく,下腹部にもドレーンを留置するという処置を行うべき注意義務があった。
これに対し,開腹時の所見から,縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建が不可能な場合には,感染の波及している上腹部から下腹部のダグラス窩まで(腹腔内全体)を生理食塩水で洗浄したうえ,それまでドレーンが留置されていた上腹部だけでなく,下腹部にもドレーンを留置するという処置を行うべき注意義務があった。
(イ) 一方,被告が主張するように3月26日の時点ではEの腹膜炎が限局性のものであったとしても,被告病院医師らには,遅くとも同日の腹部CT検査施行後,速やかに再開腹手術を行うべき注意義務があった。
そして,開腹時の所見から,縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建が可能な場合には,再縫合による再建を行い,また,上腹部の腹腔内を生理食塩水で洗浄したうえ,ドレーンチューブを再度留置するなどの処置を行うべき注意義務があった。
これに対し,開腹時の所見から,縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建が不可能な場合には,上腹部の腹腔内を生理食塩水で洗浄したうえ,ドレーンチューブを再度留置するなどの処置を行うべき注意義務があった。
被告は,3月26日においては,まだドレナージによる保存的療法で経過観察すべき段階であったと主張するが,既に縫合不全により多量の消化液がドレーンチューブから排出されるようになってから3日目に入っており,同日中もその傾向は明らかであった(乙A2p154)。F医師は,診療録に「局所のリークドレナージは良好」と記載している(乙A2p17)が,ドレーンチューブから1000mℓ以上という多量の消化液が連日排出されていたという事実,及び,上腹部の腹腔内に漏出した消化液が下腹部のダグラス窩にまで及んだ可能性が高いと考えられることからすると,保存的療法は病態を改善させる効果がなく,もはや保存的療法で経過観察する時期は終了していたというべきである。以上のことから,被告病院医師らには,前記注意義務があった。
ウ 注意義務違反の事実
(ア) 前記イ(ア)の注意義務について
被告病院医師らには,Eに対し,3月26日の腹部CT検査施行後の時点になっても,速やかに再開腹をして縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建を行うという処置,及び,感染の波及している上腹部から下腹部のダグラス窩まで(腹腔内全体)を生理食塩水で洗浄したうえ,それまでドレーンが留置されていた上腹部だけでなく,下腹部にもドレーンを留置するという処置をいずれも行わなかった過失がある。
(イ) 前記イ(イ)の注意義務について
被告病院医師らには,Eに対し,3月26日の腹部CT検査施行後の時点になっても,速やかに再開腹をして縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建を行うという処置,及び,上腹部の腹腔内を生理食塩水で洗浄したうえ,ドレーンチューブを再度留置するなどの処置をいずれも行わなかった過失がある。
(被告の主張)
ア 3月26日の時点では,汎発性腹膜炎は発症していないこと
汎発性腹膜炎とは,腹膜の炎症が腹腔内全体に波及した状態のことをいい,炎症が腹膜の一部に限局している限局性腹膜炎に対する用語である。
3月26日の診療記録によれば,痛みの部位は右上腹部に限局しており,腹壁は平坦,ドレーンチューブからの排液も有効であり,よって同日時点における腹膜炎は限局性のものであった。
原告らは,3月26日の腹部CT検査の画像において,本件縫合不全の発症部位から離れたダグラス窩に液体貯留が認められると主張するが,ダグラス窩に貯留している液体が,腸内容液であるか腸管浮腫に随伴する反応性腹水であるかは,いずれとも決しかねる。また,仮にダグラス窩に貯留する液体が腸内容液であったとしてもその量は少量である。いずれにしても同日のカルテによれば,痛みは強いものの右上腹部に限局しており,下腹部は平坦で反跳痛,筋性防御に関する所見なし,ドレーンからの排液も1000mℓ以上あり,ダグラス窩に貯留する液体は汎発性腹膜炎を惹き起こしていないことは明らかである。
また,原告らは,血液検査の結果(白血球数,CRP)から汎発性腹膜炎が基礎付けられると主張するが,白血球数,CRPとも,体内において炎症が起こっていることをうかがわせる所見であるに過ぎず,その炎症が限局性のものか汎発性のものかを判断する所見ではない。
さらに,原告らは,3月26日の時点まで腹部全体に疼痛が持続していたと主張するが,同日時点における痛みは右上腹部に限局していたことは上述したとおりである。Eは,本件手術以前にも腹部全体の痛みを訴えているが,これは膵臓の炎症に起因するものであり,汎発性腹膜炎が発症していたからではない。臨床的にも,例えば腸炎を発症した場合も,炎症を起こしているのは特定の部位であったとしても腹部全体に自発痛を覚えることがある。したがって,自発痛の所見は,それだけで診断に至るものではなく,圧痛,反跳痛,筋性防御などの所見の有無をも加味して腹膜炎の診断に至るものである。3月26日時点におけるEの腹部所見は,乙A2p17に記載されているとおりであり,これによれば,痛みは右上腹部に限局している。ここでいう「痛み」は,腹部触診によって得られた痛みのことであり,圧痛,反跳痛,筋性防御のことを指す。
加えて,原告らは,排液の量が多いことを指摘するが,これはドレーンが効いているということを意味するものであり,むしろ保存的療法が奏効していることの証拠というべき事柄である。
被告病院医師らは,Eの訴える自発痛のみならず,圧痛,反跳痛,筋性防御の腹部所見から痛みの部位が右上腹部に限局しているとの所見を得ているのであるから,3月26日時点におけるEの腹痛部位は右上腹部に限局しており,汎発性腹膜炎には至っていなかったというべきである。
イ 3月26日の時点で開腹手術を行う義務はないこと
術後縫合不全が発症した場合であっても,保存的療法にて効果を見極め,これが奏功しない場合に開腹手術に至るべきである。そして,保存的療法が奏功しているか否かは,ドレーンチューブからの排液が得られているかどうか,改善傾向が見られず症状が悪化しているかどうか,腹膜炎の範囲が限局性か汎発性かなどの臨床所見を基礎として,再開腹による手術侵襲から蒙るダメージと,保存的療法を継続することにより蒙るダメージとを比較衡量して判断されるべきである。
本件においては,3月26日の時点においては,経験ある消化器外科の医師により痛みの部位は右上腹部に限局し,腹壁も軟らかいとの所見がとられており,ダグラス窩の貯留液も少量であり,ドレーンチューブからの排液も良好であることが確認されており,膵頭十二指腸切除術という難易度が高く,それ自体死亡率もきわめて高い手術を受けた直後のダメージからも回復していない状況で,保存的な治療による回復を期待しつつ経過を観察することも合理的な判断というべきである。
原告らは,①ドレーンチューブからの排液が1000mℓを超えていたこと,②下腹部にまで消化液が及んでいたことを根拠として,同日時点において開腹手術を施行するべきであった旨主張するが,ドレーンチューブからの排液が多いということは,ドレーンが適切に効いているということの証左というべきであって,保存的療法の限界を表す根拠にはならない。また,下腹部(ダグラス窩)に液体が及んでいるとしても,これが消化液であるという根拠はなく,むしろ,腹膜刺激のために腸管の浮腫,浸出液の漏出が起こり,これが貯留したもの(炎症に起因する滲出性の腹水の貯留)であると考えられ,しかも,その量は僅かであることから,直ちに再開腹手術を行うべきとの判断には繋がらないというべきである。
(4) 被告病院医師らの各注意義務違反とEの死亡との間に因果関係があるか。また,被告病院医師らの各注意義務違反がなければEが死亡することを回避することができた相当程度の可能性があるか。
(原告らの主張)
ア 前記(1)の注意義務違反とEの死亡との間の因果関係について
(ア) 被告病院医師らが,消化液の産生量が十分に回復し,かつ,腸管蠕動が十分に回復したのを確認してからEの経鼻胃管を抜去していたならば,その経鼻胃管を通じて貯留した消化液を体外に排出することにより腸管内圧の減圧を行うことができたから,腸管内圧の上昇による縫合不全の発症を回避することができ,Eが4月2日以降,創部出血等を来して不可逆的な敗血症・感染性ショックに至るということはなく,播種性血管内凝固症候群(DIC)や多臓器不全に陥ることもなかった。
したがって,Eの死亡を回避することができた高度の蓋然性があり,被告病院医師らの前記(1)の注意義務違反(過失)とEの死亡との間には因果関係がある。
(イ) 仮に(ア)のように高度の蓋然性が認められないとしても,被告病院医師らが消化液の産生量と腸管蠕動が十分回復したのを確認してからEの胃管を抜去していたならば,縫合不全,限局性・汎発性腹膜炎及びその後の敗血症,多臓器不全,死亡という一連の事実の発生を回避することができた相当程度の可能性があった。
イ 前記(2)の注意義務違反とEの死亡との間の因果関係について
(ア) Eに汎発性腹膜炎が発生した時期は早くても3月25日に入ったころであり,それまでは限局性腹膜炎であった。被告病院医師らが,Eに対し,遅くとも3月24日21時ころに速やかに経鼻胃管を再度挿管していたならば,その経鼻胃管を通じて,最も産生量の多い消化液である胃液を,各吻合部を通過する前に体外に排出することができ,腹腔内に多量の胃液が漏出するのを防止することができた結果,限局性腹膜炎の状態に止まらせることができた。そして,緊急開腹手術をすることなく,ドレナージによる保存的療法によって,腹膜炎を寛解・治癒させることが可能であった。
また,経鼻胃管を再度挿管していたならば,既に縫合不全を起こしている吻合部に更なる負担をかけず,またそれ以外の吻合部にも更なる負担をかけることはなかったから,緊急開腹手術をすることなく,ドレナージによる保存的療法によって,縫合不全自体も治癒させることが可能であった。
したがって,被告病院医師らが,Eに対し,遅くとも3月24日21時ころに速やかに経鼻胃管を再度挿管していたならば,汎発性腹膜炎の発症を回避することができた結果,その後の敗血症,多臓器不全,死亡という一連の事実の発生を回避することができた高度の蓋然性があり,被告病院医師らの前記(2)の注意義務違反(過失)とEの死亡との間には因果関係がある。
(イ) 仮に(ア)のように高度の蓋然性が認められないとしても,被告病院医師らが遅くとも3月24日21時ころに速やかに胃管を再度挿入していたならば,汎発性腹膜炎及びその後の敗血症,多臓器不全,死亡という一連の事実の発生を回避することができた相当程度の可能性があった。
ウ 前記(3)の過失とEの死亡との間の因果関係について
(ア) 前記(3)のイ(ア)の過失とEの死亡との間の因果関係について
① 被告病院医師らが,遅くとも3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに再開腹手術を行い,縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建が可能な場合にはそれを行い,また,感染の波及している上腹部から下腹部のダグラス窩まで(腹腔内全体)を生理食塩水で洗浄したうえ,それまでドレーンが留置されていた上腹部だけでなく,下腹部にもドレーンを留置するという処置を行っていたならば,汎発性腹膜炎は寛解または治癒し,Eが4月2日以降,不可逆的な敗血症,多臓器不全となり,本件手術からわずか1か月余りしか経過していない4月28日に死亡するという事態を回避しえた蓋然性が高い。
また,再縫合による再建が不可能な場合には,感染の波及している上腹部から下腹部のダグラス窩まで(腹腔内全体)を生理食塩水で洗浄したうえ,それまでドレーンが留置されていた上腹部だけでなく,下腹部にもドレーンを留置するという処置を行い,さらには,既に3月25日の造影剤ガストログラフィンを用いた吻合部透視検査により胆管空腸吻合部が縫合不全を起こしていることは確実となっていたのであるから,胆管を流れてくる胆汁が腹腔内に漏出しないようにドレーンを留置するとともに,その縫合不全部から胃液や膵液が腹腔内に漏出しないようにするためのドレーンを留置していたならば,汎発性腹膜炎は寛解又は治癒し,Eが4月2日以降,不可逆的な敗血症,多臓器不全となり,本件手術からわずか1か月余りしか経過していない4月28日に死亡するという事態を回避することができた高度の蓋然性がある。したがって,被告病院医師らの前記(3)のイ(ア)の過失とEの死亡との間には因果関係がある。
② 仮に①のように高度の蓋然性が認められないとしても,被告病院医師らがEに対し3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに再開腹手術を行っていたならば,敗血症,多臓器不全,死亡という一連の事実の発生を回避することができた相当程度の可能性があった。
(イ) 前記(3)のイ(イ)の過失とEの死亡との間の因果関係について
① 仮に被告の主張するように3月26日の時点でのEの腹膜炎が限局性腹膜炎であったとすると,汎発性腹膜炎であった場合よりも腹膜炎の重症度は軽かったということになるから,被告病院医師らが,遅くとも3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに再開腹手術を行い,縫合不全を起こしている吻合部の再縫合による再建が可能な場合にはそれを行い,また,上腹部の腹腔内を生理食塩水で洗浄したうえ,ドレーンチューブを再度留置するなどの処置を行っていたならば,Eが汎発性腹膜炎を発症し,Eが4月2日以降,不可逆的な敗血症,多臓器不全となり,本件手術からわずか1か月余りしか経過していない4月28日に死亡するという事態を回避することができた高度の蓋然性がある。
また,再縫合による再建が不可能な場合には,上腹部の腹腔内を生理食塩水で洗浄したうえ,ドレーンチューブを再度留置するなどの処置を行っていたならば,Eが汎発性腹膜炎を発症し,Eが4月2日以降,不可逆的な敗血症,多臓器不全となり,4月28日に死亡するという事態を回避することができた高度の蓋然性がある。
したがって,被告病院医師らの前記(3)のイ(イ)の過失とEの死亡との間には因果関係がある。
② 仮に①のように高度の蓋然性が認められないとしても,被告病院医師らがEに対し3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに再開腹手術を行っていたならば,敗血症,多臓器不全,死亡という一連の事実の発生を回避することができた相当程度の可能性があった。
(被告の主張)
ア 本件において,Eは,4月2日に再開腹手術を受けたが,4月9日以降正中創と右のドレーンから出血が出現し,翌10日以降輸血が開始されたものの,4月28日に死亡した。しかし,Eに対する再開腹手術では,縫合不全部の検索と腹腔内の洗浄,ドレーンの留置が行われただけであり,腹腔内の臓器の切除・縫合などといった操作は一切行われていないし,3月19日に実施した膵頭十二指腸切除術(本件手術)に起因する出血が4月9日ころ出現するとは考え難い。そうすると,4月9日以降出現した出血は,手術操作とは全く別の原因によるものと考えざるを得ないところ,膵消化管手術後の合併症として膵液瘻が知られており,膵液瘻により漏出した膵液が血管を消化・融解して大量出血を引き起こすとの医学的知見が存在すること,膵管チューブからの膵液排出量は再開腹手術後減っていないこと,これ以外に上記出血を合理的に説明できる原因が見当たらないことから,Eは,膵頭十二指腸切除術・再建術を受けた後,膵液瘻が形成され,ここから漏出した膵液により血管が破断し,出血を来し,多臓器不全に陥り,死亡するに至ったものと考えるべきである。
イ したがって,Eが死亡するに至ったのは,膵液瘻から漏出する膵液により血管が消化・融解されたことより出血を来したことに端を発する多臓器不全であり,膵液瘻は膵消化管吻合術後の合併症として一定割合で発生するものである。したがって,原告らの主張する前記各注意義務違反と膵液瘻から漏出する膵液による血管の消化・融解との間に関連性はないから,前記各注意義務違反とEの死亡との間に因果関係はない。
ウ よって,原告らの主張する前記各注意義務違反(過失)とEの死亡との間に因果関係はなく,本件においては,仮に被告病院医師らが原告らの主張する前記各注意義務を尽くしていたとしても,Eの死亡という結果を回避することができた相当程度の可能性も存在しない。
(5) 損害の発生及び額
(原告らの主張)
ア 不法行為に基づく損害
(ア) Eの損害を相続したもの
① 治療関係費 76万5387円
少なくとも,緊急手術が決定された4月1日以降4月28日に死亡するまでの診療についてEが負担した診療費75万5937円及び腹帯・貸病衣代・クリーニング代等9450円の合計76万5387円は,被告病院医師らの過失による損害である。
② 死亡による逸失利益 232万4135円
平成15年賃金センサスの全労働者学歴計(全産業規模計)の平均賃金年収額488万1100円を基礎とし,ライプニッツ式計算方法により,年5%の中間利息を控除し,生活費控除率を50%,就労可能年数を1年として計算すると,その逸失利益は,488万1100円×(1-0.5)×0.9523=232万4135円となる。
③ 死亡慰謝料 2500万円
Eの死亡に伴う精神的苦痛を金銭に換算すると,少なくとも2500万円をもって慰謝料とするのが相当である。
④ 弁護士費用 280万8952円
原告らが相続したEの損害に関する請求について支払う弁護士費用のうち,被告が負担すべき金額は,認容される金額の1割を下ることはない。
⑤ Eの損害合計額 3089万8474円
⑥ 原告ら各自の相続額
原告A,原告B,原告Cは,合計3089万8474円を2対2対1の割合で相続したから,それぞれ,1235万9389円,1235万9389円,617万9694円となる。
(イ) 原告Aの固有の損害 936万3286円
① 葬儀関係費用 150万円
② カルテ等開示請求費用 1万2079円
③ 慰謝料 700万円
原告Aは,被告の不法行為によりかけがえのない兄を失った。その苦痛は察するに余りあり,少なくとも700万円をもって慰謝料とするのが相当である。
④ 弁護士費用 85万1207円
原告Aは,本件事故により,本訴訟の提起等について原告訴訟代理人弁護士に委任することを余儀なくされた,原告Aが支払う弁護士費用について被告が負担すべき金額は,認容される金額の1割を下ることはない。
(ウ) 原告Bの固有の損害 770万円
① 慰謝料 700万円
原告Bは,被告の不法行為によりかけがえのない兄を失った。その苦痛は察するに余りあり,少なくとも700万円をもって慰謝料とするのが相当である。
② 弁護士費用 70万円
原告Bは,本件事故により,本訴訟の提起等について原告訴訟代理人弁護士に委任することを余儀なくされた,原告Bが支払う弁護士費用について被告が負担すべき金額は,認容される金額の1割を下ることはない。
(エ) 原告Cの固有の損害 330万円
① 慰謝料 300万円
原告Cは,被告の不法行為によりかえがえのない弟を失った。その苦痛は察するに余りあり,少なくとも300万円をもって慰謝料とするのが相当である。
② 弁護士費用 30万円
原告Cは,本件事故により,本訴訟の提起等について原告訴訟代理人弁護士に委任することを余儀なくされた,原告Cが支払う弁護士費用について被告が負担すべき金額は,認容される金額の1割を下ることはない。
(オ) 原告らの請求等
原告らは,被告に対し,不法行為(民法715条1項)に基づく損害賠償請求として,原告Aは2172万2675円,原告Bは2005万9389円,原告Cは947万9694円及びこれらに対する本件不法行為日である平成16年3月21日から民法所定の年5分の割合による各遅延損害金の支払を求めている。
イ 債務不履行に基づく損害
(ア) 前記ア(ア)と同じ。
(イ) 原告らの請求等
原告らは,被告に対し,医療契約上の債務不履行(民法415条)に基づく損害賠償請求として,原告A及び原告Bは各1235万9389円,原告Cは617万9694円及びこれらに対する本件訴状送達日の翌日である平成19年1月14日から民法所定の年5分の割合による各遅延損害金の支払を求めている。
(被告の主張)
争う。
第3当裁判所の判断
1 認定事実
第2の1の前提事実のほか,証拠(甲A3,甲B17,乙A9ないし11,証人G,証人F,証人H,原告A本人,被告本人及び各項末尾に掲記した各書証)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の各事実が認められる(なお,人証末尾の数字は人証調べ調書の該当頁数である)。
(1) 診療経過について
ア 2月27日
Eは,腹部と背部の疼痛のため被告病院を受診した。
イ 3月6日
Eは,膵頭部癌及び慢性膵炎疑いのため被告病院に入院した。
ウ 3月19日(本件手術日)
13時15分から17時23分にかけて,F医師を術者,被告及びG医師を助手として,Eに対し本件手術が施行された。
被告病院医師らは,まず,膵頭部を切除し,主膵管の周囲に二重に針をかけて膵管チューブを固定した。膵臓は,慢性膵炎のために硬化しており,膵臓の被膜を縫い合わせて膵断端を魚の口の形のように包み込んで閉鎖するマットレス縫合は実施が困難であったため,膵断端を直接空腸の被膜に縫合することとされた。
次に,胆のうを摘出し,十二指腸を切除した後,今永法による再建術を行い,口側から肛門側に向けて,胃空腸吻合部,膵空腸吻合部,胆管空腸吻合部の順に配列して縫合された。このうち,膵空腸吻合部については,主膵管と膵管チューブを空腸の切開部から空腸内に通したうえで,膵断端は直接空腸の被膜に縫合された。
そして,腹腔内を生理食塩水2000mℓで洗浄した後,右側腹部からウィンスロー孔へペンローズドレーン4本(以下,本件手術日から4月2日の再開腹手術日までの間に留置されたものを「右側ペンローズドレーン」という。)を,正中よりやや右側から胃空腸吻合部と膵空腸吻合部の裏面へペンローズドレーン4本(以下,前同期間に留置されたものを「正中側ペンローズドレーン」といい,右側ペンローズドレーンと併せて「右ペンローズドレーン」という。)を,左側腹部から左横隔膜下へペンローズドレーン2本(以下,前同期間に留置されたものを「左ペンローズドレーン」という。)をそれぞれ留置し,膵管チューブは腹壁外に出して胃壁と腹膜が縫合された。また,胃液を排出するために経鼻胃管が挿入された。
鎮痛剤として,ペンタジンとボルタレン座薬の投与が開始され,これ以降,ペンタジンとボルタレン座薬は連日のように投与された。
この日のEの白血球数は7400(基準範囲3900~9700)であった。
なお,本件手術で摘出された膵頭部の腫瘤の病理組織検査の結果は高分化型管状腺癌であり,腫瘤は膵内胆管の粘膜及び十二指腸漿膜下組織の一部に浸潤しており,膵癌の進行度はステージⅢであった。
(乙A2p4,5,40,46,58-2,137,147)
エ 3月20日(本件手術後1日目)
膵管チューブからの1日の排液量は25mℓであり,透明であった。
また,左右ペンローズドレーンから多量の淡黄淡血性の排液があり,経鼻胃管からの排液は約10mℓで暗血色であった。
(乙A2p148)
オ 3月21日(本件手術後2日目)
6時ころ,右側ペンローズドレーンから一部褐色の排液があり,10時ころには,左右ペンローズドレーンから淡々黄血性の排液が多量にあった。
F医師は,10時ころに回診した際,経鼻胃管からの排液が少量で透明であったことから,これを抜去した。
Eに腹部膨満はなく,腸音は聴取困難であり,膵管チューブからの1日の排液量は約60mℓであった。
(乙A2p15,149)
カ 3月22日(本件手術後3日目)
9時30分ころ,膵管チューブに血性のものが一筋混入した。
F医師の回診の際,腸音がやや弱く聴取され,腹部膨満はなかった。
腹部レントゲン検査により,膵管チューブの位置に異常がないことと大腸にガスがほとんどないことが確認された。
膵管チューブからの1日の排液量は約245mℓに増加した。また,左右ペンローズドレーンからの排液は淡々黄血性であった。
白血球数は9800,CRPは17.19(基準範囲0.30以下)であった。
(乙A2p15,64-4,65-4,150)
キ 3月23日(本件手術後4日目)
9時30分ころにF医師が回診した際,ペンローズドレーンから黄色の浸出液が多量にあった。また,右ペンローズドレーンに緑茶色の膿(アイテル)が認められたため,排液の一部について培養同定検査を実施したところ,緑膿菌が多量に検出された。
10時45分ころ,Eは痛みのために座位の方が楽であるとして,自力で座位の姿勢をとっていた。
14時ころ,Eは軽度の嘔気を訴えた。
15時ころ,右ペンローズドレーンに緑茶色と赤褐色の膿が付着しており,左ペンローズドレーンに淡黄血性の排液があった。Eは,廊下まで歩行することができた。
18時と20時ころ,Eは腹部全体の疼痛を訴えた。
F医師はEの縫合不全を疑うとともに,Eが鎮痛剤ソセゴンの中毒のために痛みを訴えている可能性も考慮していた。
20時30分ころ,右ペンローズドレーンから茶褐色ないし黒緑色の排液が多量に流出し,腹部全体の疼痛が強まったが,腹部膨満はなかった。G医師は,保存的治療で経過観察することにした。
膵管チューブからの1日の排液量は約260mℓであった。
(乙A2p16,60-1,145,146,151)
ク 3月24日(本件手術後5日目)
0時から1時ころにかけて,右上腹部に限局しているものの自制できないほどの強さの疼痛があり,Eは,苦痛表情で「昨日の夜からの痛みは今までにない痛み」と看護師に訴えた。
G医師は,膵管チューブからの排液の流出量が減少したため,チューブの詰まりを疑って,チューブに陰圧をかけるミルキングを行った。また,腹部レントゲン検査によって,膵管チューブの位置が正常であることを確認した。右ペンローズドレーンから多量の腸液が流出していたが,G医師は,圧痛が右上腹部に限局しており,ドレナージが効いているものと判断して,保存治療を継続することとした。
膵管チューブからの廃液の流出は緩慢であり,1日の排液量は約25mℓに減少したが,混濁はなかった。また,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は1150mℓを超える量であり,性状は黒緑色であった。
この日は座位でいることが多かった。
白血球数は9600,CRPは11.75であった。
(乙A2p16,66-1,67-1,151,152,証人G23)
ケ 3月25日(本件手術後6日目)
F医師が,造影剤ガストログラフィンを使用した上部消化器官のX線造影検査を実施したところ,造影剤が胆管空腸吻合部から消化管外へ漏出していることが確認された。
Eは,1時50分ころ,痛みがあって眠れないと訴え,座位になって起きていた。また,5時ころに腹部全体の痛みの増強を,8時ころに上腹部から右にかけての痛みの増強を,19時ころに再度腹部全体の痛みを,それぞれ訴えた。
21時ころ,Eに目立った腹部膨満はないものの,右側腹部の腹壁がやや固めになっていることが看護師によって確認された。
膵管チューブからの1日の排液量は約40mℓであり,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は1050mℓを超える量であった。
この日の血液検査で,白血球数が14100に,CRPが21.94にそれぞれ上昇したことが確認された。
(乙A2p17,66-2,67-2,153)
コ 3月26日(本件手術後7日目)
0時30分ころ,Eは、痛みのために自力座位になり,「どこが痛いのかもうよくわからない」と看護師に訴えた。このとき,Eは冷汗があり,呼吸は促迫気味であった。
0時35分ころ,左ペンローズドレーンから淡黄色の排液が中等量あり,中央に乳黄色の液体が少量あった。
Eを回診したG医師は,自発痛は強いが,右上腹部に限局していると診断した。Eの腹部は平坦になっていた。
この日は午前中からペンタジンとボルタレン座薬が投与されていたが,12時ころには激痛のためにEの苦痛様顔貌が著明になり,ペンタジンとボルタレン座薬を併用しても鎮痛効果が十分に得られない状態になったため,13時15分ころ,非常に強力な鎮痛作用のある塩酸モルヒネの投与が開始され,以後ボルタレン座薬無効時に塩酸モルヒネ10mgを生理食塩水100mℓに溶かした水溶液が1日2回まで点滴投与されるようになった。
15時ころに腹部CT検査が実施された。同CT検査では、右横隔膜下とダグラス窩に液体が少量貯留するとともに,右に胸水が少量貯留していることが認められたが,膵管チューブの位置は正常であること,縫合不全が疑われる部分に留置されたペンローズドレーンからのドレナージ(排液)は良好であることが確認された。Eは,CT検査後の帰室時に,冷汗著明で呼吸が促迫していた。
F医師は,同CT検査の結果から,ダグラス窩への腹水の広がりによって下腹部に疼痛が生じているのではないかと考え,カルテに「painの移動はDouglasの腹水のひろがりによるものか」と記載したものの,汎発性腹膜炎には至っていないと判断し,ボルタレン座薬と塩酸モルヒネ等の鎮痛剤で疼痛をコントロールしながら,ドレナージによる保存的治療を続けることとした。
19時ころ,上肢に軽度の振戦がみられ,呼吸がやや促迫気味であった。
20時ころ,左ペンローズドレーンから淡黄色ないし緑色の排液があり,血液の混入がみられた。また,正中創のガーゼに淡黄緑色の排液が付着した。
21時30分ころにも,自制不可の右上腹部痛があり,冷汗がみられた。
24時ころ,左ペンローズドレーンと正中創から黒緑色の排液が認められた。
膵管チューブからの1日の排液量は約29mℓであり,混濁はなかった。また,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は1100mℓを超える量であった。
(乙A2p17,18,82-5ないし7,83-1ないし5,84-1ないし7,85-1ないし7,86-1ないし6,87-1ないし7,88-1ないし6,154,乙A5の1の1ないし3,5の2の1ないし3,5の3の1ないし3,証人F25)
サ 3月27日(本件手術後8日目)
正中創と左ペンローズドレーンから,3時30分ころに黒緑色の排液が少量あり,6時ころに淡黒緑色の排液が多量にあった。また,左ペンローズドレーンに少量の膿が確認されたが,腸液の混入はなかった。
Eは,4時ころに上腹部痛を訴え,11時,14時45分,18時ころには自制不可の右上腹部痛を訴えたが,F医師は,痛みの訴えが一定しないとして,ソセゴン中毒の可能性を疑っていた。
3時40分と18時ころ,塩酸モルヒネが投与された。
膵管チューブからの1日の排液量は約65mℓであった。また,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は1050mℓを超える量であった。
白血球数は19600,CRPは25.15であった。
(乙A2p18,66-3,67-3,155)
シ 3月28日(本件手術後9日目)
左ペンローズドレーンに少量の膿が確認された。
2時45分ころと14時ころに自制不可の痛みを訴えたため,塩酸モルヒネが投与された。
膵管チューブからの1日の排液量は約45mℓであり,混濁はなかった。また,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は1050mℓを超える量であった。
(乙A2p18,19,156)
ス 3月29日(本件手術後10日目)
3時40分,12時と18時ころに自制不可の痛みを訴えたため,塩酸モルヒネが投与された。F医師は,腹痛が右に限局していると判断した。腸音がやや弱く聴取された。
膵管チューブからの1日の排液量は約55mℓであり,混濁はなかった。また,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は合計1455mℓを超える量であった。
白血球数は18200,CRPは25.77であった。
(乙A2p19,66-4,67-4,157)
セ 3月30日(本件手術後11日目)
6時30分,13時,15時45分ころに自制不可の右上腹部痛を訴え,塩酸モルヒネが投与された。また,19時40分ころから継続的に下腹部の激痛を訴えるようになり,23時ころには,下腹部痛のため発叫した。
膵管チューブからの1日の排液量は約72mℓであった。また,右ペンローズドレーンからの1日の排液量は合計約910mℓであった。
(乙A2p19,158)
ソ 3月31日(本件手術後12日目)
3時ころから,わずかではあるが腹部膨満が認められるようになった。3時と5時ころにEが自制不可の痛みを訴えたため,塩酸モルヒネが投与された。このため,8時以降にEが訴える腹痛は自制内となった。
G医師は,Eの全身状態が悪化傾向にあり,汎発性腹膜炎の様相を呈していると判断し,他の被告病院医師らに対し,再手術を検討するよう申送りをした。
膵管チューブからの1日の排液量は約80mℓであった。また,左ペンローズドレーンからは淡々茶色の排液が多量にみられた。この日のペンローズドレーンからの排液量は約1600mℓであった。
白血球数は18300,CRPは20.24であった。
(乙A2p20,68-1,69-1,159)
タ 4月1日(本件手術後13日目)
Eは,腹膜炎が進行して全身状態が悪化し,尿量が減少し,血圧も低下傾向になり,腎不全に陥った。傾眠傾向となり,声をかけると覚醒するがすぐにウトウトし,この日は腹痛をほとんど訴えなかった。また,腹部膨満が認められた。
13時ころに実施された腹部CT検査で,左右横隔膜下からダグラス窩にかけて多量の腹水が認められた。
膵管チューブからの1日の排液量は約40mℓであった。この日はペンローズドレーンからの排液をガーゼに吸い込ませて頻回に交換したが,排出量は計測しなかった。
白血球数は40400,CRPは18.21であった。
(乙A2p20,21,68-2,69-2,160,161,乙A6の1の1ないし3)
チ 4月2日(本件手術後14日目,再開腹手術日)
16時07分から17時17分にかけて,F医師を術者,被告及びG医師を助手として,腹腔内の洗浄,縫合不全部の修復処置,腹腔外への管状ドレーンの誘導留置等を行うため,再開腹手術が施行された。
被告病院医師らは,Eの左右横隔膜下の腹腔からダグラス窩にかけて汚染腹水の貯留を多量に認めたため,これを吸引し,その一部を培養同定検査に提出した。空腸,腹膜とも漿膜炎が比較的強く白苔(ベラーク)も伴っており,汎発性腹膜炎を呈している状況が確認された。胃空腸吻合部,膵空腸吻合部,胆管空腸吻合部とも明らかな断裂等は見当たらず,周囲と強く癒着していた。そのため,腹腔ドレナージにより創の瘻孔化を形成させる方針を採り,右側腹部から胆管空腸吻合部へペンローズドレーン4本,正中の創の中央部から胆管空腸吻合部へペンローズドレーン2本,左右側腹部からダグラス窩へペンローズドレーン3本ずつ,左右側腹部から左右横隔膜下へペンローズドレーン3本ずつをそれぞれ留置したほか,正中の創の上部と下部から皮下へペンローズドレーン1本ずつ,左下腹部から筋肉へペンローズドレーン1本をそれぞれ留置し,生理食塩水7500mℓで腹腔内を洗浄して手術を終了した。
17時50分ころから24時にかけて,創部のペンローズドレーンから多量の排液があった。
汚染腹水の一部について培養同定検査を実施した結果,緑膿菌が検出された。
白血球数は33800,CRPは21.24であった。
(乙A1,乙A2p6,7,21,47,50,60-2,68-3,69-3,162,163)
ツ 4月3日(再開腹手術後1日目)
9時ころ,正中創上部と右側上腹部のペンローズドレーンから浸出液が多量に排出された。
10時30分ころ,膵管チューブから淡緑色の排液があった。
16時ころ,右側腹部のペンローズドレーンから緑色膿様の浸出液が,正中創上部のペンローズドレーンから緑黄色の浸出液がそれぞれ多量に排出され,正中創下部のペンローズドレーンから少量の出血がみられた。
18時ころ,右側上腹部のペンローズドレーンから胆汁(ガーレ)混入様の淡緑茶色の浸出液が多量に排出された。
22時ころ,Eは自制不可の痛みに襲われ,身の置き所がないと訴えた。
膵管チューブからの1日の排液量は約55mℓであったが,24時ころにも淡緑色の排液は持続していた。
白血球数は24800,CRPは18.05であった。
(乙A2p22,68-4,69-4,164)
テ 4月4日(再開腹手術後2日目)
5時ころ,Eは自制不可の左上腹部痛を訴えた。
14時ころ,右側腹部と正中創中央部のペンローズドレーン(いずれも胆管空腸吻合部の方向に向かうもの)から胆汁様の排液があり,左側腹部のペンローズドレーンから淡黄色の排液が多量にあり,Eは,自制不可の痛みを訴えた。
18時ころにEが自制不可の痛みを訴えたことから,塩酸モルヒネが投与されたが,22時ころ,腹部全体の痛みが増強し,苦痛表情が出現した。
また,その間の20時ころには,左側腹部のペンローズドレーンから淡黄色の排液が多量にあり,正中創上部のペンローズドレーンから黄緑色の排液があり,正中創下部のペンローズドレーンからは少量の血性の排液があった。
膵管チューブからの1日の排液量は約44mℓ(淡緑色の排液)であった。
右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は1000mℓ(膿様の排液)を超える量であった。
(乙A2p23,165)
ト 4月5日(再開腹手術後3日目)
1日に数回,自制不可の腹部全体の痛みがあり,塩酸モルヒネが投与された。
正中創中央部のペンローズドレーンから胆汁ないしグレーの排液が多量にあった。また,膵管チューブからの1日の排液量は約70mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は約600mℓであった。
白血球数は21900,CRPは17.08であった。
(乙A2p23,24,70-1,71-1,166)
ナ 4月6日(再開腹手術後4日目)
正中創中央部のペンローズドレーンから黒色で胆汁様の排液があった。また,右側上腹部のペンローズドレーンからも暗茶色で胆汁様の排液があり,わずかに血性であった。ドレーン排液からアミラーゼが1373IU/ℓ(基準範囲42~116IU/ℓ)検出された。
この日も自制不可の痛みを訴え,塩酸モルヒネが投与された。
膵管チューブからの1日の排液量は約65mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は約721mℓであった。
白血球数は27300,CRPは14.68であった。
(乙A2p24,70-2・3,71-1,167)
ニ 4月7日(再開腹手術後5日目)
正中創上部と下部のペンローズドレーンから緑色の胆汁と膿がみられた。
この日も自制不可の痛みがあり,塩酸モルヒネが投与された。
膵管チューブからの1日の排液量は約42mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は596mℓを超える量であった。
(乙A2p24,168)
ヌ 4月8日(再開腹手術後6日目)
正中創上部と下部のペンローズドレーンから緑色の胆汁と膿が認められ,左のペンローズドレーンに血が混入していた。
この日も自制不可の痛みを訴え,苦痛表情が強く,奇声を上げるなどしたため,塩酸モルヒネが投与された。
膵管チューブからの1日の排液量は約100mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は約850mℓであった。
白血球数は18700,CRPは13.40であった。
(乙A2p24,70-4,71-2,169)
ネ 4月9日(再開腹手術後7日目)
この日も自制不可の痛みを訴え,塩酸モルヒネが投与された。
20時ころから21時ころにかけて,正中創中央部と右側上腹部のペンローズドレーンに出血少量と暗茶色の胆汁がみられた。
膵管チューブからの1日の排液量は約85mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は約615mℓであった。
(乙A2p25,170)
ノ 4月10日(再開腹手術後8日目)
1時ころ,Eは,排痰とともに,右側上腹部のペンローズドレーンからの排液と同様の色(暗赤茶色)の吐血をした。
Eは,総ビリルビン9.21mg/dℓの異常高値(基準範囲0.2~1.2mg/dℓ)となり,黄疸が進行した。
右側上腹部と正中創のペンローズドレーンから暗血性の出血様浸出が続き,夕方以降SPO2(経皮的動脈血酸素飽和度)が91%あるいは92%まで低下した。
右側上腹部のドレーン排液から緑膿菌が検出された。
膵管チューブからの1日の排液量は約85mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は約900mℓであった。
白血球数は19600,CRPは14.03であった。
(乙A2p25,60-3,72-1,73-1,171)
ハ 4月11日(再開腹手術後9日目)
SPO2は90%前後で推移していたが,18時に74%に低下したため,酸素の継続投与が開始された。
Eは,傾眠傾向と不穏言動が顕著となった。
膵管チューブからの1日の排液量は約60mℓであり,右側上腹部のペンローズドレーンからの1日の排液量は約550mℓであった。
(乙A2p172)
ヒ 4月12日から28日まで(再開腹手術後10日目から26日目まで)
4月12日,右側上腹部と正中創中央部のペンローズドレーンから黒茶色の排液が継続してみられた。Eは,腎不全と肝不全と胸水貯留による呼吸不全が合併し,多臓器不全と診断された。この日の白血球数は15600,CRPは19.32,総ビリルビンは13.91mg/dℓであった。
4月16日夜,ドレーンの排液が暗血性になり,血圧と意識レベルの低下がみられた。
4月17日に血液の凝固能を検査したところプロトロンビン時間が14.4秒かかり,プレDIC状態(汎発性血管内凝固症候群準備状態)にあると診断された。
Eは,4月19日以降,敗血症とDIC状態が進行して出血傾向となり,正中創と右側上腹部ペンローズドレーンからの出血が続き,更に多臓器不全が進行した結果,4月28日16時38分に死亡した。
(乙A1p12,乙A2p3,26ないし37,72ないし79,173ないし189,191ないし194)
(2) 医学的知見
ア 縫合不全について
PpPDにおける重要な術後合併症は,膵空腸吻合部及び胆管空腸吻合部の縫合不全である(甲B15p507)。縫合不全の診断に当たっては,発熱や腹痛などの症状の出現と血液検査として白血球の増多,核の左方移動,CRPの陽性などを認めたら縫合不全を疑うとされている(甲B18p1138)。
排液の性状から縫合不全などが疑われる場合には直ちにCT検査を施行し,腹腔内貯留液や膿瘍の範囲とドレーンとの位置関係を確認し,瘻孔造影を行いドレーンの位置を修正したり,新たにドレーンを挿入したりしながら効果的ドレナージを行う。術後合併症が発生した場合,ドレナージのみで対応できないことも少なくない。安易に再手術することは戒めなければならないが,ドレナージ操作により病状の改善が得られない場合には,他に病状悪化となる原因がないかを検索したうえで躊躇せずに再手術に踏み切ることが重要である。(甲B15p508,509)
正常膵液は無色透明であり,膵液単独では組織融解は起こらない。しかし,ドレーン排液が黄白色に混濁し,甘酸っぱい特有の臭気をもつ場合は,腸液中のエンテロキナーゼにより膵液中のトリプシンが活性化され,周囲組織を融解している可能性がある。ドレーン排液中のアミラーゼ値が1万IU/ℓ以上の場合に,膵空腸吻合部の縫合不全として診断している場合が多い。また,膵空腸吻合部の縫合不全は約10%に発生するとされている。(乙B3p178,乙B4p1143)
さらに,膵腸吻合部以外の総肝管空腸及び十二指腸空腸縫合不全は発生頻度が低く,発生しても腹腔内出血となることはまれであり,ドレーン管理を中心とした通常の保存療法で軽快する(乙B11p587)。
イ 消化液の量と経鼻胃管の留置について
消化液の1日の分泌量は,胃液1500~2500mℓ,胆汁200~800mℓ,膵液500~800mℓであり,PD後では,胃液1000mℓ以下,膵液と胆汁を合わせて四,五百mℓである(甲B9p139,証人H4)。
PpPDは術後の胃運動機能の回復が遅く,術後に胃内容の停滞が高率に発生する欠点があるとされている(乙B3p174)。
PDの術後管理として,経鼻胃管は排ガス確認まで留置するという見解もあるが(甲B13p350),その一方で,最近では患者の安楽を考えて短期間で経鼻胃管を抜去する傾向にあり,一般的には排液の量や性状に問題がなければ手術の翌日には抜去となるとしている見解(甲B19p23)や,PpPDを含むPDに関し,術後1,2日目に経鼻胃管を抜去することを予定しているクリニカルパスが発表されている(乙B9p160,161,乙B10p74)。
また,胃管は比較的早期に抜去となるが,胃内容停滞が生じた場合は胃管の再挿入が必要となるという見解もある(乙B11p587)。
ウ 急性腹膜炎の診断について
急性汎発性腹膜炎の腹痛のタイプは体性痛で,激しい持続性の痛みが時間の経過とともに腹部全体に波及する。腹部所見として,触診で圧痛,反跳痛,筋性防御がみられ,病状の進行とともに腹筋は板状強直を示す。また,呼吸促迫や苦悶状顔貌を呈することもある。血液検査では,とくに初期から白血球増多(10000~30000)となり,急性炎症の存在を反映してCRPの亢進が認められる。(甲B2p746,甲B3p468,甲B4p498,甲B14p204,乙B15p475)
エ 急性腹膜炎の治療と予後について
急性汎発性腹膜炎は,初期診断,早期外科的治療を原則とし,原因のいかんにかかわらず緊急に開腹手術を要する外科的疾患である。全身麻酔下手術による感染源の除去,腹腔内洗浄,滲出物や膿汁のドレナージ,抗生物質の投与,多臓器不全の予防が治療上重要であり,術前全身管理として,肺合併症の予防,消化管減圧のため経鼻胃管を挿入留置する。開腹手術においては,感染巣の除去と腹腔内に貯留している膿性腹水,消化管からの漏出内容を十分吸引除去し,腹腔内を加温生理食塩水で洗浄して腹腔内浄化を行ったうえ,必要に応じてドレーンを挿入留置し,浸出液を腹腔外に誘導するものとされる。(甲B2p748,甲B3p470,甲B4p497,甲B14p205,乙B15p475~476)
縫合不全のために漏れ出た腸液や膿がドレナージがされている部位以外の腔まで広がってそこに炎症が及ぶと汎発性腹膜炎の状態になり,開腹手術の適応となる(証人G7,証人F20,23)。
なお,腹膜炎の確定診断は,患者の身体所見や血液検査,並びに腹部単純X線像やエコー,CT検査によって行われるが,緊急性を要する例では,開腹手術が先行して行われた後に診断の確定を要する場合もあるとされている(甲B2p746)。
術後縫合不全による腹膜炎は,早期では汎発性腹膜炎,晩期では限局性腹膜炎として起こることが多い(乙B15p477)。
急性限局性腹膜炎については,腹膜炎症状の限局化に伴い腹痛,発熱等の症状は軽減し,圧痛のある抵抗または腫瘤を感知するのみとなってくる。限局した炎症は抗生物質の投与等により縮小,消退する場合もあるが,膿量が増して周囲臓器を刺激し局所皮膚の発赤,腫脹等の症状を呈する場合も多い(甲B14p204)。限局性腹膜炎は,通常は緊急手術を要しない疾患であるが(甲B2p747表3),ドレナージの効きが悪い場合,縮小傾向に乏しい場合や局所の炎症所見が増悪する場合には,開腹手術の適応となる(甲B14p205,証人F23,証人H42,被告本人17)。
腹膜炎の起炎菌(主に腸内細菌)が血液中に流入すると敗血症となる。敗血症に陥ると,細菌やその産生毒素であるエンドトキシンなどによって敗血症性ショックを呈し,DICや多臓器不全となって死亡する危険がある。(甲B17p4)
また,感染源に対する外科的治療がなされず重症化した場合は,肺水腫,急性呼吸窮迫症候群(ARDS)による呼吸不全,エンドトキシンによる腎不全,肝不全,播種性血管内凝固症候群(DIC),消化管出血などを招来し,多臓器不全(MOF)という致死性の病態へと移行して予後は不良であり,一般に,急性汎発性腹膜炎の予後は,腹膜炎の進展程度,起炎菌の種類,患者の年齢や抵抗力,発症からの経過時間あるいは手術までに要した時間などによって左右され,特に発症から手術までの時間に比例して死亡率が高くなるとされる(甲B2p748,甲B3p467~470,乙B15p474)。
オ 膵癌の予後について
日本膵臓学会による膵癌登録集計結果(1981~1995年度症例)によれば,高分化型管状腺癌の切除例の1年生存率は56.8%,5年生存率は12.2%である(甲B6p157,185)。また,膵消化管吻合の縫合不全発生例での死亡率は8%ないし40%とされ,PDが施行された膵頭部癌の5年生存率は9%ないし19%であるとの報告がある(乙B2p806)。
2 争点(1)(被告病院医師らが経鼻胃管を抜去したことについて注意義務違反があるか)について
(1) 原告らは,被告病院医師らが経鼻胃管を抜去したことについて注意義務違反があると主張する。この点について判断する前提として,まず,縫合不全がいつ発生したか(縫合不全の発生時期),縫合不全が発生した部位は本件手術における胃空腸吻合部,膵空腸吻合部と胆管空腸吻合部の3つの吻合部のいずれであるか(縫合不全の発生部位)について検討する。
ア 前記認定事実によれば,本件手術後4日目の3月23日において,9時30分ころに右ペンローズドレーンに緑茶色の膿が認められ,15時ころには同ドレーンに緑茶色と赤褐色の膿が付着しており,さらに,20時30分ころには同ドレーンから茶褐色ないし黒緑色の排液が多量に流出したこと,3月24日には同ドレーンからの排液の性状が黒緑色であったこと,3月26日20時ころに左ペンローズドレーンから淡黄色ないし緑色の排液があり,正中創のガーゼに淡黄緑色の排液が付着したこと,同日24時ころに左ペンローズドレーンと正中創から黒緑色の排液があったこと,3月27日3時30分ころに左ペンローズドレーンと正中創から黒緑色の排液が少量あり,同日6時ころには同一箇所から淡黒緑色の排液が多量にあったことの各事実が認められる。
そして,このように,3月23日以降,断続的に胆汁の色素である緑色を帯びた膿や排液が左右のペンローズドレーンと正中創から漏出していることからすると,上記膿や排液には胆汁が含まれていたものと推認される。
また,3月25日に実施した上部消化器官のX線造影検査で,造影剤が胆管空腸吻合部から消化管外へ漏出していることが確認されたことは前記認定事実のとおりである。
さらに,Eは,3月23日以降,連日のように自制できないほどの右上腹部を中心とする痛みを訴えていたところ,胆管空腸吻合部は右上腹部に位置している。
これらの事実を総合すると,3月23日9時30分ころに胆管空腸吻合部が縫合不全を起こしたと認めるのが相当である。このことは,被告本人もその本人尋問において,前記X線造影検査の結果と再開腹手術の際の所見からすると,縫合不全は胆管空腸吻合部の後壁側で生じたことが最も疑われると供述しているところであり,実際に再開腹手術の際に,胆管空腸吻合部が他の吻合部よりも重点的にドレナージ処置されていることからも明らかである。
イ これに対し,膵空腸吻合部が縫合不全を起こしたとの事実は,その可能性自体は否定できないものの,これを確定的には認めることができない。すなわち,前記認定事実によれば,再開腹手術の際には,胃空腸吻合部,膵空腸吻合部,胆管空腸吻合部とも明らかな断裂等は見当たらず,縫合不全部を具体的に確認することはできなかったとされていることのほか,証人Hの証言では,Eの診療経過に照らすと,膵空腸吻合部が一番脆弱な吻合部であることなどから,縫合不全が膵空腸吻合部で生じた可能性があるとされているものの,実際に縫合不全が膵空腸吻合部で生じたか,胆管空腸吻合部で生じたかは特定できないとされ,被告本人尋問の結果においても,再開腹手術によって胃空腸吻合に縫合不全が生じていないことは確認することができたが,縫合不全が膵空腸吻合部(後壁側)で生じたか,胆管空腸吻合部(後壁側)で生じたかを確認することはできなかったとされている。
そして,縫合不全が最初に疑われた3月23日の2日後に実施した上部消化器官のX線造影検査において,胆管空腸吻合部からの漏出が確認された一方で膵空腸吻合部からの漏出が確認されていないことは,膵空腸吻合部に縫合不全がなかったことを推認させる事実といえる。
確かに,3月23日には,膵管チューブからの1日の排液量が約260mℓに達していたにもかかわらず,翌24日には約25mℓまで減少していることは前記認定事実のとおりであるが,縫合不全発生前の3月22日に腹部レントゲンにより膵管チューブの位置に異常がないことが確認され,縫合不全発生後の同月26日の腹部CTでもその位置が正常であることが確認されていること,本件手術の場合には残膵が正常な機能に戻れば1日量として80ないし100mℓ程度の膵液を産生すると考えられるところ(証人H46),再開腹手術直前の3月31日や再開腹手術後の4月8日から10日にも80mℓから100mℓ程度の膵液が膵管チューブから排出されていたことからすると,膵空腸吻合部が縫合不全を起こして膵管チューブが主膵管から脱落したとは認め難く,残膵の膵液産生量の一時的な減少についても機能低下等の身体的状況によるである可能性を否定することができないから,上記排液量の減少から直ちに膵空腸吻合部の縫合不全を推認することはできないというべきである。
また,4月6日にペンローズドレーンの排液から1373IU/ℓのアミラーゼが検出されているところ,膵液にはアミラーゼが含まれていることからすると,このことは膵液の腹腔内への漏出を示唆する所見ではあるが,上記アで認定したとおり,本件患者には胆管空腸吻合部に縫合不全が発生していたことが疑われるのであるから,膵管チューブでドレナージしきれなかった膵液が主膵管から空腸内にいったん流入したうえで胆管空腸吻合部から消化管外へ漏出する可能性もあるうえ,膵空腸吻合部の縫合不全の診断基準としてドレーン排液中のアミラーゼ値が1万IU/ℓ以上の場合とされることが多い(前記1イ(ア))のに対し,上記検査値はこの値よりもはるかに小さい値であることに鑑みると,上記アミラーゼの異常数値から直ちに膵空腸吻合部の縫合不全が生じたと推認することはできない。
ウ さらに,胃空腸吻合部の縫合不全の有無については,被告が再開腹手術の際に胃空腸吻合部には縫合不全がないことを確認したと述べていること(被告本人25),胆管空腸吻合部や膵空腸吻合部よりも強固な吻合であって縫合不全が発生する割合が低いとされていること(乙B1p2308,証人H3),本件患者の場合に胃空腸吻合部の縫合不全を積極的に示唆する所見は格別見当たらないことから,同部位に縫合不全が発生したとは認められない。
エ 以上によれば,Eの縫合不全部位は,膵空腸吻合部や胃空腸吻合部ではなく胆管空腸吻合部であり,3月23日9時30分ころに同部位に縫合不全が発生したものと認めるのが相当である。
(2) 次に,原告らは,被告病院医師らには,本件手術後,縫合不全の発症を回避するため,消化液の産生量が十分に回復し,かつ,腸管内で消化液等を運んでいくための腸管蠕動が十分に回復したのを確認してから,Eの経鼻胃管を抜去すべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠った注意義務違反があると主張するので,被告病院医師らに上記注意義務があるかについて検討する。
ア PpPDは,術後の胃運動機能の回復が遅く,胃内容の停滞が高率に発生する欠点があるとの医学的知見(乙B3p174)や,PDの術後管理に関して経鼻胃管を排ガス確認まで留置するとの医学的知見(甲B13p350)も存在するが,小腸の運動は術後数時間で回復するとされ,前向き無作為抽出試験において,術後胃管を留置しなかった群と排ガスまで留置した群との間で胃管留置の有無に起因する術後合併症の頻度に差はなかったと報告されていること(乙B13,14),経鼻胃管の留置には苦痛が伴い,気管支炎や肺炎を引き起こす可能性があること(証人H14),PpPDを含むPDのクリニカルパスの紹介例において胃管抜去が術後1日目ないし3日目とされていること(乙B9p160,乙B10p74,乙B12p800)からすると,PpPDを含むPD及び再建術の術後管理として,縫合不全を防止する目的で腸管蠕動が十分に回復するまで経鼻胃管を留置することが本件手術当時における医療水準になっていたということはできず,しかも,本件手術から縫合不全が発生した3月23日9時30分ころまでの間に,Eに嘔気・嘔吐等の胃内容停滞の発生を積極的に示す所見はなく,Eの場合に上記クリニカルパスが妥当しないというべき特段の事情は認められないから,腸管蠕動の回復が確認できるまで経鼻胃管を留置すべきであったということはできない。
イ また,原告らは,被告病院医師らが本件手術で膵空腸を吻合する際に膵断端が硬化していたために予定していたマットレス縫合を実施できず,膵空腸吻合部が比較的弱い吻合であることを認識していたことから,被告病院医師らは,術後に消化管内圧の上昇によって同部位に縫合不全が起こる危険性が比較的高いことを予見することができたとして,縫合不全の発生を回避するために腸管蠕動が十分に回復したのを確認するまでEの経鼻胃管を留置すべき注意義務があった旨主張するが,膵断端組織の血流障害を防ぐためには吻合面に異物(糸)が出ないことが重要との考えの下にマットレス縫合や断端の(魚口状)閉鎖操作を行わないという医学的見解も存在し,膵断端の閉鎖がPD後の再建術にとって必要不可欠なものと位置づけられておらず(乙B5p276,証人F11),しかも,上記(1)で説示したとおり,そもそもEの縫合不全が膵空腸吻合部で起こったとは認めることができないから,原告らの上記主張はその前提を欠くものというべきである。
ウ したがって,被告病院医師らに,本件手術後に腸管蠕動が十分に回復したのを確認してからEの経鼻胃管を抜去すべき注意義務があったということはできない。
3 争点(2)(被告病院医師らが経鼻胃管を再度挿管しなかったことについて注意義務違反があるか)について
(1) 原告らは,被告病院医師らには,Eの腹腔内に大量の消化液が漏出するのを防止して限局性腹膜炎の状態に止まらせるため,また,吻合部に更に負担がかかって縫合不全が持続し悪化するのを回避するため,遅くとも3月24日21時ころの時点では速やかに経鼻胃管を再度挿管して胃液の排出を行うべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠った注意義務違反があると主張する。
(2) そこで検討するに,膵管チューブからの1日の排液量が3月21日の約60mℓから3月22日に約245mℓ,23日には約260mℓに増加し,24日には右ペンローズドレーンからの排液量が1150mℓを超える量であったことからすると,3月22日ころから胃液や膵液等の消化液の産生量が回復し始めたことを窺うことができる。
しかしながら,腹部外科手術後には,手術侵襲による交感神経刺激や麻酔等の影響により消化管運動が麻痺するが,その期間は大腸で2,3日,十二指腸・小腸で数時間とされているところ,本件手術後3日目の3月22日の回診においてやや弱いながらも腸音が聴取できたうえ,術後4日目の3月23日14時ころに軽度の嘔気を訴えた以外には,3月24日21時ころまでの間に,嘔気・嘔吐を訴えておらず,胃内容停滞が継続的に発生したことを示す所見は存在しない。
また,原告らは,Eの縫合不全の発生原因について,胃液を中心とする消化液の産生量が増加し,かつ,腸管蠕動が十分に回復しなかったために,消化液が消化管内に貯留して消化管内圧が上昇したことによって縫合不全が発生した旨主張するが,本件手術以降縫合不全が最初に確認された3月23日9時30分ころまでの間にEに胃内容停滞が発生したことを窺わせる所見は存在しないこと,縫合不全は,吻合部の内圧上昇のほか,吻合部の過緊張,血行障害,吻合局所の感染,不完全な縫合等種々の原因によって発生するとされていること(乙B20p1123,1124)に照らすと,Eの場合,胃液を中心とする消化液の貯留による消化管内圧上昇が縫合不全の原因となった可能性は否定できないものの,これが主要な原因であったとまでは認めることができない。
(3) したがって,被告病院医師らに遅くとも3月24日21時ころまでにEに対し経鼻胃管を再度挿管すべき注意義務があったとまではいえず,原告らの上記主張は理由がない。
4 争点(3)(被告病院医師らが3月26日の腹部CT検査施行後,速やかに開腹手術を行わなかったことについて注意義務違反があるか)について
(1) 原告らは,Eは遅くとも3月26日のCT検査時までに汎発性腹膜炎になっていた可能性が高く,また,仮に限局性腹膜炎であったとしても,被告病院医師らには,同検査施行後速やかにEに対し開腹手術を行うべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠った注意義務違反があると主張するので,以下検討する。
ア まず,Eの腹痛の状況についてみると,前記認定事実によれば,縫合不全発生後の3月23日18時と20時ころに腹部全体の疼痛を訴え,同日20時30分ころに腹部全体の疼痛が強まったこと,3月24日0時ころから1時ころにかけて,疼痛は右上腹部に限局しているものの,自制できないほどの強さの痛みがあり,Eは,苦痛表情で,前夜からの痛みの程度について今までにない痛みであると看護師に訴えたこと,同日には右上腹部に腹膜刺激症状としての圧痛が発生したこと,3月25日5時ころに腹部全体の痛みの増強を訴え,8時ころに上腹部から右にかけての痛みの増強を訴え,19時ころに再度腹部全体の痛みを訴え,21時ころには右側腹部の腹壁がやや固めであったこと,3月26日0時30分ころに,Eは痛みのために自力座位になり,「どこが痛いのかもうよくわからない」と訴え,その際,冷汗があり,呼吸は促迫気味であったこと,この日に回診したG医師は右上腹部に限局した痛みと診断したものの,同日12時ころにEが激痛のために苦痛様顔貌が著明になり,鎮痛剤のペンタジンとボルタレン座薬が投与されたが効果がなかったため,F医師によって,13時15分ころから非常に強力な鎮痛作用のある塩酸モルヒネの投与が開始され,その後もボルタレン座薬が効果がないと塩酸モルヒネが投与されたこと,同日15時ころにCT撮影が終了して帰室した際にも,Eは冷汗著明で,呼吸が促迫していたこと,その後は,3月26日21時30分ころ,3月27日と同月30日に自制不可の右上腹部痛を訴えたが,3月28日,29日,31日にEが腹痛を訴えた部位は右上腹部に限定していなかったことの各事実が認められる。
イ 以上の事実によれば,Eは,縫合不全発生当日である3月23日に腹部全体の激痛が発生し,それ以降,右上腹部痛と全体痛を交互に繰り返しながら,痛みの中心である右上腹部に腹膜刺激症状と腹筋の硬直化が現れ,26日には,痛みの部位が認識できなくなり,痛みが通常の鎮痛剤では効果がない程度に達し,急性汎発性腹膜炎の徴候である呼吸促迫と苦悶状顔貌を呈していたのであって,被告病院医師らがより強力な鎮痛作用を企図して鎮痛薬を塩酸モルヒネに変更するほどであったのであるから,この間においてEの腹痛が右上腹部に限局し続けていたということはできない。
加えて,この間にEに断続的に投与された鎮痛剤の鎮痛作用によって腹部の痛みが全体として低減されながらも痛みの中心部分は完全な鎮痛ができずにその部分だけ痛みが自覚されることもあり得るところであるし,看護師の痛みに関する質問の仕方次第で,Eが腹部全体の痛みの中で特に痛い部分を回答し,看護師がその回答を所見として看護記録に記載することもあること(被告本人7)からすると,Eには,上記期間中,右上腹部を痛みの中心とする腹部全体痛が断続的に発生していたとみるのが相当である。
ウ 次に,前記2(1)のとおり,3月23日9時30分ころに胆管空腸吻合部に縫合不全が発生したと認めるのが相当であること,その際のドレーン排液から緑膿菌が多数検出されたこと,この直後からEが腹部にそれまでに感じたことのない激痛を訴え始めたことに照らすと,Eの一連の上記腹痛は,消化管から漏出した消化液による化学的刺激による化学性腹膜炎と腸内細菌感染による細菌性腹膜炎を併発したことによるものと推認することができる。
エ そして,3月24日に9600であった白血球数(基準範囲3900~9700)が,25日に14100,27日に19600と約5000ずつという急激な上昇を示し,3日で倍増したこと,また,CRP(基準範囲0.30以下)も,3月24日に11.75,3月25日21.94,3月27日25.15と異常高値が継続し,しかも増加傾向にあったことからすると,この間に細菌感染と炎症が拡大し,細菌性腹膜炎と化学性腹膜炎の症状が悪化したものと認められる。
オ また,3月26日に実施したCT検査で右横隔膜下とダグラス窩に腹水の貯留が認められたことも腹膜炎症状の拡大を示す所見というべきである。
この点に関し,被告は,上記腹水は本件手術による侵襲ないし腸管浮腫に伴う反応性腹水であったと主張するが,前記認定説示のとおり,3月23日9時30分ころに胆管空腸吻合部に縫合不全が発生したと認めるのが相当であること,3月25日以降細菌感染と炎症の拡大を示す白血球数及びCRPの上昇が認められたこと,3月24日から26日までの間に病室で座位の姿勢を何度も取っており,廊下まで歩行したこともあったこと,Eに右上腹部を痛みの中心とする腹部全体痛が断続的に発生したこと,4月1日に撮影された腹部CTで,左右横隔膜下からダグラス窩にかけて多量の腹水が認められたこと,4月2日に再開腹手術を施行した際に,左右横隔膜下の腹腔からダグラス窩にかけて汚染腹水の貯留を多量に認め,汚染腹水から緑膿菌が検出されたこと,手術侵襲に伴う反応性腹水は腹膜から吸収されるため本件手術後7日目にダグラス窩に反応性腹水が貯留している可能性は低いこと(証人H11,35),反応性腹水がダグラス窩に貯留しても下腹部に痛みが生じるということはないこと(証人F26,被告本人21)等の諸事情を総合すると,3月26日にCT検査で確認された右横隔膜下とダグラス窩の腹水は,反応性腹水ではなく,縫合不全部から漏出した後にドレーンで排出されなかった消化液及び腸内細菌等の消化管内容物が右横隔膜下とダグラス窩まで移動し貯留した汚染腹水であると認めるのが相当である。
そして,被告病院医師らとしても,3月26日当時は,既に上部消化器官のX線造影検査で胆管空腸吻合部に縫合不全が発生した可能性が高いとの事実を確認していたこと,上記の白血球数及びCRPの上昇,ドレーン排液からの緑膿菌の検出については検査記録紙に,Eが3月24日から26日まで何度も病室で座位の姿勢を取っていたこと及び右上腹部を痛みの中心とする腹部全体痛が断続的に発生したことは看護記録にそれぞれ記載があり,被告病院医師らはそれらの各事実を当該診療記録等から確認できたことに鑑みれば,被告病院医師らは,3月26日のCT検査における上記腹水は縫合不全部から漏出した消化液及び腸内細菌等の消化管内容物が右横隔膜下とダグラス窩まで移動し貯留した汚染腹水であることを認識すべきであったというべきである。
カ さらに,Eの場合には,ダグラス窩に達するドレーンは留置されていなかったのであるから,そこに貯留した汚染腹水をドレナージすることは不可能であるうえ,右上腹部のドレナージが奏功しているにもかかわらず,Eの病態は一向に改善されず,その腹痛は強くなって,腹部全体に及ぶようになり,3月24日以降細菌感染と炎症が拡大傾向にあったことからすると,3月26日のCT検査施行当時にはEの腹膜炎の症状が限局性腹膜炎の段階に止まっていたとはいえず,汎発性腹膜炎の症状を呈しており,3月26日以降に現状のままドレナージを続けてもEの腹膜炎の症状を快方に向かわせることは極めて困難な状況にあったというべきであって,被告病院医師らとしても,上記CT検査結果及び上記診療記録上の情報に照らし,Eの状態がそのような状態にあることを認識すべきであったというべきである。
キ したがって,被告病院医師らには,3月26日の腹部CT検査施行後速やかに,遅くとも翌日までに,Eに対し,縫合不全部位である胆管空腸吻合部の修復処置とダグラス窩を含む腹腔内各所から腹腔外へのドレーンの誘導留置等を行い,併せて汚染腹水の吸引と腹腔内洗浄を行うための再開腹手術をすべき注意義務があったと認められる。
ところが,被告病院医師らは,3月27日までにEに対する再開腹手術を行わず,強力な鎮痛作用のある塩酸モルヒネ等で腹痛を抑制しながら現状のドレナージによる保存療法を継続したのであるから,同医師らには,上記注意義務を怠った過失があるというべきである。
(2) これに対し,被告は,3月26日の時点では,ペンローズドレーンから多量の消化液を排出できており,ドレナージが有効であったから,まだドレナージによる保存的療法で経過観察すべき段階であったと主張するが,上記認定説示のとおり,3月24日以降連日1000mℓ以上の多量の排液がペンローズドレーンから排出される中で3日間経過を観察し続けたにもかかわらず,その排出量は一向に減らず,縫合不全の状態に改善が認められなかったうえ,ダグラス窩に貯留した汚染腹水を既に留置されていたドレーンでドレナージすることは不可能であったから,この段階では,もはや現状のドレナージによる保存的療法を続けても縫合不全の状態や腹膜炎の病状を改善させる効果は期待できなかったと認められるから,被告の上記主張は採用できない。
(3) また,被告は,被告病院医師らは,3月26日の時点で,圧痛,反跳痛,筋性防御が右上腹部に限局しているとの腹部所見を得ていたこと及びEに腹部膨満がなかったことから,Eは限局性腹膜炎であり,汎発性腹膜炎には至っていなかったと主張する。
確かに,G医師が縫合不全の発生から間もない3月24日の時点では圧痛が右上腹部に限局していたことを確認したという事実は認められるが,それ以外にEに関する腹膜刺激症状の検査・確認結果はカルテに記載がなく,被告病院医師らの供述の他に,3月26日の時点でEの腹膜刺激症状が右上腹部に限局していたことを認めるに足りる証拠はない。証人Gは,3月26日のカルテ上の「pain強いが右上腹部に限局」との記載について,本件患者の主訴としての痛みばかりでなく圧痛も含む意味で記載した旨供述するが,G医師はカルテ上,圧痛は「tend」(圧痛を意味する英語tendernessを短縮したもの)と記載し,疼痛は「pain」と記載して両者を書き分けている状況が窺えること(乙A2p12,16)に照らすと,上記供述部分は直ちに信用できない。また,被告は,毎朝あるいは診療の合間を縫ってEを回診し,腹部所見をとって反跳痛や筋性防御が右上腹部に限局していることを確認していた旨供述する(被告本人,乙A9)が,この事実を客観的に裏付ける記載は,カルテ上にも看護記録上にもないことから,上記供述部分は採用することができない。これに加えて,ペンタジンやボルタレン座薬等の鎮痛剤が併用されたり,強力な鎮痛作用のある塩酸モルヒネが使用されると,自発痛ばかりでなく,圧痛,反跳痛もマスクされることがあり得るうえ,患者は痛みが緩和されると腹部に力を入れないために筋性防御もマスクされる可能性があるために,腹部所見がどのくらい強くなっているかを判断できなくなるおそれがあるところ(証人H39,証人F26),3月26日には午前中にペンタジンとボルタレン座薬が併用され,13時15分ころからは塩酸モルヒネの投与が開始されたこと(乙A2p154)などの事情も考慮すると,3月26日のCT検査施行後の時点においてEの腹膜刺激症状が右上腹部に限局していたとは認めることができない。
また,汎発性腹膜炎に罹患した患者は,痛みから腹筋を緊張させるため筋性防御や腹部が平坦な板のように硬くなる板状強直が現れるとされており,一般には腹部膨満があることが多いとはされているものの,それが汎発性腹膜炎の診断にとって必須な症状とはされていないから(甲B2p746,甲B3p468,甲B4p498,証人G27),3月26日のCT検査施行後の時点においてEに腹部膨満が認められなかったとしても,そのことを理由に汎発性腹膜炎に至っていなかったとはいえない。
したがって,被告の上記主張は理由がない。
(4) さらに,被告は,Eが本件手術を受けた直後のダメージから回復していない状況にあったことを理由に,この段階では保存的な治療による回復を期待しつつ経過を観察するのが合理的であったとも主張するが,上記認定説示のとおり,3月26日のCT検査施行後の段階では,現状のドレナージを続けてもダグラス窩の汚染腹水を排出することができず,保存的治療を継続しても病態の改善は望めなかったことに照らすと,そのまま腹膜炎が進行して敗血症,腎不全,肝不全等が出現し,かえって手術に耐えられない状態に陥る可能性も小さくなかったというべきであり(現に,Eは腹膜炎の進行に伴い4月1日に腎不全に陥り,意識レベルが低下している。),また,この当時のEの血小板数が15万個/μℓ以上であって基準範囲内に保たれていたことなどからしても,Eが再開腹手術に耐えられない状態ではなかったと認められるから(甲B17,乙A2p67-2・3),被告の上記主張も採用できない。
(5) 以上によれば,被告病院医師らには,3月26日の腹部CT検査施行後速やかに,遅くとも翌日までに,Eに対し,縫合不全部の修復処置とダグラス窩を含む腹腔内各所から腹腔外へのドレーンの誘導留置等を行い,併せて汚染腹水の吸引と腹腔内洗浄を行うための再開腹手術をすべき注意義務があり,同医師らにはこの注意義務を怠った過失があるというべきである。
5 争点(4)(被告病院医師らの争点(3)についての注意義務違反とEの死亡との間に因果関係があるか,被告病院医師らの争点(3)についての注意義務違反がなければEが死亡することを回避することができた相当程度の可能性があるか)について
(1) まず,被告病院医師らが,3月26日の腹部CT検査施行後3月27日までに,Eに対し,縫合不全部の修復処置,汚染腹水の吸引と腹腔内洗浄及びダグラス窩を含む腹腔内各所から腹腔外へのドレーンの誘導留置等を行うための再開腹手術を行わなかったという過失とEが4月28日に死亡したという結果との間の因果関係の有無について検討する。
確かに,被告病院医師らは,本件手術後14日目の4月2日に再開腹手術を試みた際には,空腸と腹膜が白苔を伴い,周囲と強く癒着し,縫合不全部位を確認できなかったために縫合不全部の修復処置(再建術)を断念しているが,縫合不全によって腹腔内に強い炎症が起こるとその炎症部位に多くの白血球や血小板が集合して白苔となって大網,小網,腸間膜組織を癒着させ縫合不全部を覆うことになるところ(甲B17,証人H36),26日の段階は縫合不全発生の3日後であって,実際の再開腹手術日(縫合不全発生の10日後)までの約3分の1に過ぎないこと,縫合不全発生から再開腹手術日までの期間中の後になるほど血液中の白血球数が増加したこと(4月1日の白血球数は,3月24日と比べると約4.2倍,3月25日と比べると約2.8倍に増加した。),25日の上部消化器官に対するX線造影検査で胆管空腸吻合部から消化管外への漏出の状況を確認できていたことからすると,被告病院医師らが3月26日の腹部CT検査施行後3月27日までに上記再開腹手術を行っていれば,縫合不全部位が白苔や癒着のために視認できない状態に至っておらず,あるいは縫合不全部位に対する修復(再建術)を行うことが可能な場合もあり得たものと認められる。
しかし,上記事情からすると,3月26日,27日の時点であれば,4月2日の時点よりも縫合不全部位を確認できた可能性が高かったであろうとはいえるものの,Eの腹腔内や臓器の状態が具体的にどのような状態であったかは明らかではなく,そもそも縫合不全部位を確認すること自体に難しい面があること,また仮に縫合不全部位が確認できたとしても,既に漏出した消化液により組織の損傷が進んでいることなどから,再縫合ができない場合もあり得るとされていること(甲B17,証人H35,36,証人G30)に照らすと,被告病院医師らが3月26日の腹部CT検査施行後3月27日までに上記再開腹手術を行っていれば,縫合不全部位を確認して,同部位に対する修復処置(再建術)を行うことが可能であり,Eが死亡した4月28日の時点においてなお生存していたことについて高度の蓋然性があるとまでは認めることができない。
したがって,被告病院医師らの上記過失とEが4月28日に死亡したという結果との間に因果関係があるということはできない。
(2) 次に,被告病院医師らが,上記再開腹手術を行わなかったという過失がなければEが4月28日に死亡したという結果を回避することができた相当程度の可能性の有無について検討する。
被告病院医師らが3月26日の腹部CT検査施行後3月27日までに上記再開腹手術を行っていれば,縫合不全部位に対する修復(再建術)を行うことが可能な場合もあり得たのであって,Eが死亡した4月28日の時点においてなお生存していた可能性があったことは上記認定のとおりである。これに加えて,上記の再開腹手術を行っていれば,白苔や癒着に遮られることなく,胆管空腸吻合部の胆管内に胆管チューブを挿入して胆汁の腹腔内への漏出を防止し,各吻合部,ダグラス窩や左右横隔膜下等からドレナージをするうえで最適な位置にペンローズドレーンを配置できることによって,消化液及び消化管内容物の腹腔内への漏出による炎症や細菌感染をより効果的に抑えることができた可能性があり,また,汚染腹水の除去と腹腔内洗浄を実施することによって,腹膜炎の起炎菌を除去したうえで,抗生物質を投与して感染症治療を行っていれば,たとえ縫合不全部に対する修復処置(再建術)が奏功せず縫合不全が再発したとしても,腹膜炎の症状を限局化ないし緩解させることができたか,あるいは,敗血症の発症時期や多臓器不全に陥る時期を遅らせることができた可能性があったことも否定できないというべきである。
そうすると,被告病院医師らが26日のCT検査後27日までに上記再開腹手術を行っていれば,Eが死亡した4月28日の時点でなお生存していた相当程度の可能性があったと認めるのが相当である。
(3) ところで,被告は,被告病院医師らの上記過失の前提となった縫合不全と無関係に形成された膵液瘻により漏出した膵液によって4月9日以降にEの血管が破断して出血を来し,多臓器不全に陥って死亡したものであるから,再開腹手術の時期が遅れたこととEが4月28日に死亡したこととの間に因果関係はなく,Eが死亡することを回避することができた相当程度の可能性もないと主張し,被告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述部分がある。
Eの再開腹手術日以降の出血の状態についてみると,4月9日に正中創中央部と右側上腹部のペンローズドレーンに少量の出血があり,4月10日に同じドレーンから暗血性の出血様浸出が続き,4月16日夜にもドレーンの排液が暗血性になり,4月19日以降に出血傾向が出現してドレーンからの出血が続いたことは,前記認定事実のとおりである。
しかしながら,Eは,再開腹手術後も,連日のように自制不可の腹痛を訴えるとともに,ドレーンから胆汁を含む排液が多量に排出され,縫合不全の状態は再開腹手術前と比べて改善することなく持続していたこと,再開腹手術の際の汚染腹水からも4月10日のドレーン排液からも緑膿菌が検出されたこと,再開腹手術後も白血球数とCRPが一度も基準範囲内に戻ることなく異常高値のまま推移したことなどの事実からすると,Eは,再開腹手術後も消化液による化学性腹膜炎と緑膿菌等の腸内細菌による細菌性腹膜炎の症状が治癒することなく続いていたというべきである。そして,Eは腹膜炎が重症化して同月12日に腎不全,肝不全と呼吸不全を合併した多臓器不全に陥り,遅くとも同月17日にはプレDICの状態になっていたこと,汎発性腹膜炎が進行すると消化管出血を来すとされているところ,Eが4月10日1時ころに右側上腹部のペンローズドレーンからの排液と同様の色(暗赤茶色)の吐血をしていたことからすると,ドレーン排液中の血液は消化管出血に由来する可能性も否定することができないというべきである。他方,膵液瘻形成の可能性について検討すると,膵断端に主膵管以外に存在する分枝膵管からの膵液漏出は起きるとしてもごくわずかな量であって膵管チューブから膵液がドレナージされていれば問題にならないとされているところ(乙B4p1146,証人G19),再開腹手術翌日である4月3日から上記出血が確認された4月9日までの1週間の膵管チューブからの1日ごとの排出量は,55mℓ→44mℓ→70mℓ→65mℓ→42mℓ→100mℓ→85mℓと推移しており,出血の前日と当日には減少するどころかむしろ増加傾向にあったこと(乙A2p164ないし170),アミラーゼ値が5000IU/ℓ以上の液体が30mℓ以上,10日間にわたって出続けている状態を膵液瘻とするとの医学的知見やアミラーゼ値数万~数十万IU/ℓであれば膵液瘻と診断できるとの医学的見解があるところ(乙B19p777,乙B20p1121),Eの場合には4月6日のドレーン排液から1373IU/ℓのアミラーゼ値が検出されたにすぎず,しかも,膵管系から腹腔に通じる瘻孔の存在は全く確認されていないこと,一般に縫合不全の発生時期は多くが術後3日から1週間以内とされているところ(乙B20p1118),本件手術後4月9日までに3週間以上も経過していることなどの点に鑑みると,残膵の皮膜の瘻孔であれ,膵空腸吻合部の縫合不全であれ,この時期になって残膵から腹腔に通じる膵液瘻が形成されて膵液の漏出を発生させ,血管を破断したものとは認められない。
以上によれば,上記各出血は,Eが3月26日に既に罹患していた腹膜炎の増悪に伴う消化管出血ないしDICによる出血であると認めるのが相当であり,Eが3月23日に発生した縫合不全と無関係に発生した膵液瘻からの膵液漏出によって上記各出血が引き起こされて死亡したとは認められない。
よって,被告の上記主張は採用できない。
6 争点(5)(損害の発生及び額)について
(1) Eは,被告病院において適切な治療行為を受けていたならば,その死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったにもかかわらず,被告病院において適切な治療行為が行われなかったこと(前記争点(3)にかかる被告病院医師らの注意義務違反)によってこれを侵害されたのであるから,被告には,適切な治療行為により生存する相当程度の可能性を侵害したことに基づいてEが被った損害を賠償すべき責任があるというべきである(最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁参照)。
そして,本件事案の内容,被告病院医師らによる診療の経過,被告病院医師らの注意義務違反(過失)の内容と態様,Eがその死亡時においてなお生存していた可能性の程度(Eが膵癌進行度ステージⅢの高分化型管状腺癌に罹患していたこと,高分化型管状腺癌の切除例の1年生存率は56.8%,5年生存率は12.2%とする日本膵臓学会の統計があることなど),仮に生存していた場合に予想される生存期間,生活状況と治療状況,日常生活動作(ADL)の状況等,本件訴訟に顕れた一切の事情を考慮すると,Eがその死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性を侵害されたことにより被った損害(精神的苦痛)に対する慰謝料は500万円が相当である。
原告A及び原告Bは,Eの妹として,それぞれ上記慰謝料請求権の5分の2である200万円ずつを,原告Cは,Eの異母兄として,その5分の1である100万円を,相続により取得した。
また,原告Aは,被告病院に対するEに関するカルテ等の開示請求費用として1万2079円を支出したことが認められるところ(弁論の全趣旨),これは被告医師らの注意義務違反行為がなければ支出する必要のなかった費用であるから,被告に賠償義務のある損害と認めるのが相当である。
弁護士費用相当分の損害については,本件事案の性質・内容,訴訟の経過,認容額等に照らし,原告A及び原告Bについてはそれぞれ20万円,原告Cについては10万円と認めるのが相当である。
(2) なお,原告らは,上記損害の他にも,治療関係費,死亡による逸失利益,葬儀関係費用,原告ら固有の慰謝料の損害賠償を求めているが,前記認定判断によれば,被告病院医師らが3月26日CT検査施行後翌日までに再開腹手術を行ったとしても,Eが4月28日以降もなお確実に生存し,同日までに確実に退院でき,就労可能な程度まで快復することができたとは認められないから,上記各損害はいずれも,Eがその死亡時においてなお生存していた可能性を侵害されたことによって生じたものとは認められない。
(3) 合計額
したがって,被告に対し,原告Aは221万2079円の,原告Bは220万円の,原告Cは110万円の損害賠償請求権を有するというべきである。
7 結論
以上によれば,原告らの本訴請求は主文第1項ないし第3項掲記の限度で理由があるからこれを認容し(なお,原告らは,不法行為日である平成16年3月21日からの遅延損害金を請求しているところ,前記認定判断によれば,本件における不法行為日は平成16年3月27日である。),その余は理由がないので棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村田渉 裁判官 大嶋洋志 裁判官 平野望)