東京地方裁判所 平成2年(ワ)10432号 判決 1991年6月24日
原告
竹村春子こと
竹村はるこ
右訴訟代理人弁護士
橋本紀徳
同
横松昌典
被告
乙野花子
右訴訟代理人弁護士
椎名麻紗枝
主文
一 被告は原告に対し、原告が、別紙物件目録二記載の貸室につき、賃料一箇月二万一〇〇〇円で、期間の定めのない賃借権を有することを確認する。
二 被告は原告に対し、金二三二万六六四六円、及びうち金八七万三一六六円に対する平成二年九月一日から、うち金一四五万三四八〇円に対する平成三年五月一四日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一主文一と同旨
二被告は原告に対し、金四三四万六一二五円及びうち金一六七万三一六六円に対しては平成二年九月一日から、うち金二六七万二九五九円に対しては平成三年五月一四日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)のうち、同目録二記載の二階一〇号室(以下「本件貸室」という。)を賃借していたところ、本件建物を取得して右賃貸借の貸主の地位を承継した被告が、突然、本件貸室の明渡しを要求し、水道、電気の供給を停止し、共用のトイレを破壊する等を行って原告の本件貸室の使用を妨害し、その結果、一時しのぎに他のウイークリーマンション等に宿泊せざるを得なくなったとして、賃借権の確認及び損害の賠償を求めたものである。
一確定した主要な事実関係
1 原告は、昭和六一年一二月三〇日、訴外西村圭次から、本件貸室を、賃料月額二万円、管理費一〇〇〇円及び期間二年間の条件で借り受けて(以下これを「本件賃貸借契約」という。)、同日入居した。その後、本件賃貸借契約は、一度更新され、賃料等は従前のまま、期間の定めのないものとして継続した(<証拠略>)。
2 被告は、平成二年二月六日、本件建物を訴外西村の承継人から取得し、本件貸室の賃貸借契約上の貸主の地位を承継した(当事者間に争いがない点以外は、<証拠略>)。
3 本件建物については、平成二年三月二〇日ころから、一、二階全部についての大規模な改修工事(以下「本件工事」という。)が行われた(<証拠略>)。
4 原告は、平成二年四月下旬ころ、本件貸室から事実上退去し、以後は、友人宅やいわゆるウイークリーマンション等を転々とする生活を行い、現在に至っている(<証拠略>)。
二争点
1 被告が、本件工事の過程で、本件貸室への水道及び電気の供給を停止し、共用のトイレを破壊する等の占有を妨害する実力行使(以下「本件妨害行為」という。)を行い、その結果、本件貸室から原告を退去させたと言えるか否か、及び本件妨害行為が違法か否か。
2 争点1がすべて肯定できる場合、これによる原告の損害の範囲いかん。
第三争点に対する判断
一争点1について
1 関係証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件建物には、従前から、原告を含めて五名の独身女性が一、二階の部屋を賃借していたが、被告は、本件建物を取得する直前の平成二年二月四日、以前の家主であった訴外西村の養女の大江とともに本件建物を訪れ、五名の賃借人を集めて、自分が本件建物を取得することになった旨を告げた。その際、被告は、右五名の賃借人に対し、本件建物の老朽化が激しいので、三月から本件工事を行う必要があり、そのため、二月一八日までに、他へ引っ越すかあるいは工事の期間中自分が所有する家屋に空室があるのでそこに移るかを決めるよう通告した。その際、賃借人の一人から、立退料の支払についての打診がされたが、被告が立退料を支払う意思のない旨を回答したため、それ以上の話は出ないまま終了した。
原告ら賃借人は、あまりにも突然の話であったので、その後、全員で善後策を話し合ったが、原告としては、他へ引っ越すにも費用が要るし、被告所有の家屋に引っ越してしまえば、工事終了後も、ここに戻ることができなくなるのではないかと考えた。なお、被告所有の家屋の空室は、当時三室あり、出入口は個別にあるが、独立性のないものであった(<証拠略>)。
そこで、原告らは、その後、各自、被告に電話して立退料の支払の意向を打診したが、その際も、被告は、自分とは賃貸借契約がされていないことを理由に、全く支払う意思のない旨を回答した。
そして、二月一八日までの間、被告は、原告らに対し、実家や職場に頻繁に電話を架けて、繰り返し引越しを要求し、さもないと、三月からは賃料を二倍に値上げし、二倍になった賃料を前提に敷金及び礼金を取るほか、六箇月分の賃料を前払いしてもらうことになる旨を通告する等に及んだ。更に、被告は、原告らが回答期限の二月一八日までに立退きに承諾しなかったため、直ちに、各自に対し、「賃貸借契約解除通知書」と題する内容証明郵便を送付し、「原告らとの間には賃貸借契約がされていないから解除する」旨を通告したりした。
賃借人の中には、法律扶助協会を介して弁護士に交渉を委任した者もいたが、被告は、この弁護士の意見を聞き入れず、一方的にしゃべりまくるだけであったため、具体的な交渉の話ができない状態が続いた。
(二) その後、三月に入ると、二〇日ころから空室部分の工事が始まったが、その時点で、原告を含めて四名が立ち退かずにいたため、被告は、四名に対し、明渡しを前提とする調停の申立てを行った。
工事の内容としては、本件建物全部で一一あった部屋を壁をぶち抜く等により八つに造り変え、天井や床を張り替え、その結果、シャワールームとトイレ及び洗面所だけの部屋もできるというかなり大規模のものであり、騒音やほこりがひどかった。そのため、原告を除く賃借人は、遂に四月八日に引越してしまい、原告一人が残された状況になった。
その後程なく、廊下の電気が全部取り外され、四月下旬からの連休に原告が実家に帰っている間に部屋の外の電気の子メーターが取り外されて電気の供給がストップしたほか、水道についても、四月上旬から工事のために前触れもなく断続的に停止されたりしたが、その後は、本件貸室のみ水道の供給が止められた。さらに、二階の共用のトイレも、原告が不在中に壊され、五月初旬から半月間、替わりのトイレが造られるまで、トイレがない状態が続いた。
(三) 原告は、このような状況の下で、本件貸室に居住を続けることが事実上困難になったため、荷物を部屋に置いたまま、友人宅やいわゆるウイークリーマンション等に宿泊を続ける一方、五月三一日に、東京地方裁判所に、本件貸室に対する電気や水道の供給の停止その他原告の占有使用を妨害する一切の行為を禁止し、電気等を供給する工事をすることを命じる仮処分の申請を行い、七月五日にその旨の仮処分決定が出されたが、被告は、これに一切従わないまま現在に至っている。
(四) その後、本件貸室内にあった原告の荷物は、夏以降、本人の知らないうちに原告の実家方に送られた。
2 以上を前提に検討する。
(一) 被告は、本件建物の所有権を取得し、併せて本件賃貸借契約上の貸主の地位を承継したわけであるが、本件建物の改修工事を行う場合、それが、貸主としての修繕義務の履行としての工事の範囲である場合は格別、本件工事のごとく、賃貸借の対象物件の現状を大きく変更し、また、工事期間中貸室の使用が事実上不可能となるようなときは、借主の意向を無視して一方的に行うことが許されるものではない。すなわち、このような工事を行うことは、本件賃貸借契約の内容の変更を生じさせ、また、契約上、目的物を使用させるという貸主の債務の不履行を含むことになるため、賃借人の同意・承諾が不可欠である。
もちろん、被告本人の供述に表れているように、本件建物の改修工事を早期に行いたいという心情は理解できなくはないが、そのような必要がある場合は、借家法の適用のある本件賃貸借契約について、解約の申入れを行う等の手順が必要とされるところである。
(二) ところが、被告は、原告らに対し、突然に、貸室の明渡しか工事期間中の引越しのいずれかを選択するように一方的に要求し、しかも、明渡しの際の立退料の支払いについては、原告らとの間では賃貸借契約がされていないという独自の言い分を基に、一切考えに無い旨を表明しており、また、工事期間中の引越し先として提供した部屋は、独立性のない三部屋続きのものである。このような要求を突然突き付けられた原告らとしては、被告の要求に応じることができなかったことも無理からぬところである。
そして、その後の被告の対応は、原告らの意向を踏まえて協議をしていくというものでは全く無く、明渡しを実現すべく、ひたすら自己の要求を主張し続け、原告との関係では、電気や水道の供給を停止する等、原告の本件貸室の使用が不可能になる事態を積極的に作り出し、その占有使用を妨害しているのであり、あまりにも独善的で、法を無視する暴挙であるというほかはない。
なお、この間、電話の故障等のため原告との話合い等が円滑にいかず、あるいは、原告から感情的な言辞を浴びせられたことがあったとしても(後者の点は、被告の強引な対応に照らし、非難される程のものではなかろう。)、被告において、本件工事を一方的に強行し、原告の占有使用を妨害することが許される理由には到底なり得ない。
そして、前記のごとく、占有妨害禁止等の仮処分命令が出された後も、被告は、それに従う姿勢を見せていないのである。
(三) したがって、被告の本件妨害行為により、原告は本件貸室を退去するの止むなきに至ったのであり、しかも、この行為は、法により保護されている原告の賃借権を違法に侵害するものであるというべきである。
二争点2について
1 原告は、被告の本件妨害行為に基づく損害として、平成二年四月一九日から同三年四月三〇日までの間のウイークリーマンション等の宿泊費・光熱費として合計二三四万六一二五円(<証拠略>)及びその間ホテル住まいを余儀なくされた等による慰謝料として二〇〇万円を請求している。
しかしながら、被告の違法な本件妨害行為により、原告がホテル住まいを余儀なくされたことは、そのとおりではあるが、それによる宿泊費等の出費すべてが本件妨害行為による損害と言って良いかは、検討を要するところである。
2 ところで、原告は、ホテル住まいを続けた理由として、金銭的に余裕がないので、他の賃借物件に移ることができず、また、事件が長期間を要せずに決着するものと考えていたことを挙げている。
確かに、他に賃借物件を求めるとなれば、賃料がいわゆる新規賃料になって今より高額になる点は別にしても、敷金・権利金及び仲介手数料等のまとまった金員の支払が必要であり、しかも、これは、訴訟が勝訴で終了すれば、無駄になるものであるから、当初、他に賃借物件を求めなかったことには、それなりの合理性も窺えないではない。
しかしながら、ホテル等の宿泊費等は、一日数千円を要するのであって、これがある程度長期に及ぶ場合は、その合計の負担額は相当に高額になるのであるから、通常は、訴訟の決着が長期化することが予想される事態になれば、その時点で、別の賃貸物件を物色し、そこに移る等の対応をすべきである。
3 そこで、訴訟の終了見込みの点について見てみると、被告においては、前示の使用妨害禁止等の仮処分命令が出された後も、従前の態度を改めず、また、本件第三回及び第四回口頭弁論期日(平成二年一一月二一日及び三〇日)における弁論兼和解の際も、被告は、他の意見を聴き入れる様子は全くなく、自己の主張を一方的に述べることに終始しており、このような被告の対応は原告も承知しているところである。
そうすると、この段階で、和解等による早期の決着の見込みがなくなったことは、原告においても、十分に認識し、あるいは認識し得たはずである。
そうであれば、原告としては、第四回口頭弁論期日から一箇月後の平成二年一二月末までに他の賃貸物件を物色して移ることができたはずであり、その際は、敷金・権利金及び仲介手数料等の合計で少なくとも二五万円(賃料等の合計五箇月分)の一時的な出費が見込まれ、その後は、毎月の賃料等の出費が少なくとも五万円見込まれるのであり(裁判所に顕著な目黒区界隈の賃貸借取引の実情を前提にすると、このような額が推認される。)、平成三年四月末時点まで、以上合計で少なくとも五〇万円(前記の二五万円と平成三年一月から五月分までの賃料の合計)の出費が必要とされたというべきである。
4 以上によれば、原告の出費したホテル代等合計二三四万六一二五円のうち、平成二年一二月までの分合計一六二万六六四六円(宿泊費一四九万一五五八円、光熱費一三万五〇八八円)とその後の分のうちの五〇万円、以上合計二一二万六六四六円を、本件妨害行為によるホテル代等の損害とみるべきである。
5 また、原告は、本件妨害行為により一定期間ホテル住まいを余儀なくされる等の状態に追い込まれたのであり、これに対する慰謝料としては、二〇万円が相当である。
6 なお、損害金の支払の始期については、平成二年八月三一日までのホテル代等六七万三一六六円と慰謝料二〇万円の合計八七万三一六六円については平成二年九月一日から、その余のホテル代等の一四五万三四八〇円については平成三年五月一四日からである。
(裁判官千葉勝美)
別紙物件目録一、二<省略>