大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成2年(ワ)11269号 判決 1993年12月15日

主文

一  被告山田夏子、同山本敏子、同内野桂子、同中本春子は原告に対し、それぞれ原告が別紙物件目録三記載の建物の所有権並びに同目録一及び二記載の土地について別紙賃借権目録記載の賃借権を有することを確認する。

二  被告山田夏子は原告に対し、別紙物件目録三記載の建物について、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をし、かつ、右建物を明渡せ。

三  被告亡高木佐助承継人渡邊武子、同高木茂一、同高木友次、同高木桂三、同高木邦夫、同高木浩司、同宮田佳子は原告に対し、原告が別紙物件目録一及び二記載の土地について別紙賃借権目録記載の賃借権を有することを確認する。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、原告が自己の所有する建物を母親に貸し、その使用貸借が終了したのに異母妹の一人が建物の所有権移転登記をし占有を継続し、その余の異母妹らとともに原告の建物所有及びその敷地の賃借権の帰属を争っており、敷地の賃貸人も賃借権が原告に帰属することを明確に認めようとしないとの理由で、右異母妹らに対し建物所有権及び土地賃借権が原告に帰属することの確認を、登記名義を有し占有している異母妹に対し建物の所有権移転登記及び明渡しを、貸主の訴訟承継人らに対し賃借権の確認を、それぞれ求めたのに対し、被告らにおいて本件建物の所有権及び土地賃借権は原告の異母妹である被告らの母親に帰属していたものであるとしてこれを争った事案である。

一  争いのない事実等

1  原告と被告山田夏子(以下「被告山田」という。)、被告山本敏子(以下「被告山本」という。)、被告内野佳子(以下「被告内野」という。)、被告中本春子(以下「被告中本」という。)は、訴外田辺定次(以下「定次」という。)を父とする異母兄弟である。

2  別紙物件目録一及び二記載の各土地(以下「本件土地」という。)は、元被告亡高木佐助(以下「亡佐助」という。)の所有(甲一、二)であったが、同人は本件訴訟中の平成四年九月八日死亡し、その承継人である被告渡邊武子、同高木茂一、同高木友次、同高木桂三、同高木邦夫、同高木浩司、同宮田佳子がその所有権を承継取得し、賃貸人の地位を承継するとともに本件訴訟を承継した(弁論の全趣旨)。

3  本件土地には別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)が建築されているが、昭和三三年一〇月九日付けで被告山田らの母親である田辺正美名義の所有権保存登記がされ、昭和五一年四月一六日受付をもって、同月一四日贈与を原因として被告山田に所有権移転登記が経由されている(甲三)。

4  本件建物には、被告山田らの母親で原告の父定次の妻である田辺正美(以下「正美」という。)が被告山田らと居住していたが、平成元年一一月二八日死亡し、その後は被告山田が家族とともに居住している。

二  本件の争点

本件土地の借地権及び本件建物の所有権の帰属

三  争点についての原告の主張

原告は、昭和二一年ころ、西林玉枝の紹介により定次を代理人として亡佐助から本件土地を賃借し、原告がPX等に勤務して得た収入により本件建物を建築し、その後、原告が結婚するに際して、本件建物での煙草屋の営業を正美に一任し、本件借地に伴う負担を正美が負担することとして無償で使用を認めていたものであり、正美の死亡により右使用貸借は終了したものである。

四  争点についての被告山本、同内野、同中本の主張

定次は、昭和二一年ころ、西林玉枝の紹介により亡佐助から本件土地を賃借し、本件土地上に本件建物を建築し、その後、遺産分割により正美がこれを相続したものであり、本件借地権及び本件建物は正美の遺産に属する。

第三  争点に対する判断

一  本件土地の賃借及び本件建物に関して次の事実が認められる。

1  原告は、定次とその先妻との間に昭和二年八月一八日出生し、昭和一八年一〇月ころ、定次、正美及びその子供らである被告山本、同山田、同内野、同中本と同居していた江東区平野の自宅から出征したが、その後、正美と右被告らは山梨県田富村に疎開し、定次だけが東京に残った。しかし、昭和二〇年三月の大空襲により右自宅は焼失し、定次は西林玉枝の敷地内に畳三畳位のバラックを建てて居住するようになった。定次は関東配電(後の東京電力)の集金係をしており、バラックを建てる以前から西林の敷地に自転車を置いていた(甲九、原告本人第一回、証人西林玉枝、弁論の全趣旨)。

2  原告は終戦後復員し、昭和二〇年九月ころ上京し、定次のバラックに同居して、同年一〇月ころから米軍のPXに勤務するようになった。その後、西林の紹介で亡佐助から本件土地を借りることになり、定次が亡佐助と会って賃貸借契約を締結した。その際、賃貸借契約書が作成されたか否かは不明であり、その後、本件土地上に本件建物が建てられ、昭和二一年の暮れころ、定次と原告は右バラックから本件建物に転居し、間もなく正美とその子供らも疎開先から戻り、本件建物に同居するようになった(原告本人第一回、証人西林玉枝、被告山本本人)。

3  原告は、昭和二〇年一〇月から同二四年三月までPXで通訳や販売の仕事をしていたが、その間に明治大学の編入試験を受け、専門部商科に入り、昭和二三年三月専門部を卒業し、昭和二四年一月から同二六年三月まで明治大学商学部に在籍した後、日英自動車株式会社に入社し、昭和三一年一一月、結婚するころまで本件建物に居住していた。昭和二三年三月ころ、本件土地において煙草屋を開業するため、その許可を受けて土地を借増しし、そのための店舗を増築したが、正美は、右店舗において煙草だけでなく、その他の食品を販売する仕事に従事し、原告も家に居る時は母を助けて煙草販売を手伝ったり、伝票の整理などをしていた。他方、定次は戦前から引き続き東京電力に勤務し、昭和二九年四月五日、死亡した。本件店舗の電話の名義は右定次の死亡当時は定次であったが、その後原告名義となった。現在の電話帳にも右電話番号で「田辺貢(たばこ)」として掲記されている(原告本人第一回、甲五、甲六の一、二、甲九、甲一五の一、二、甲二二、乙一四)。

4  原告は、昭和三一年一一月三日、結婚するため、本件建物から出たが、その後、煙草屋は正美が経営するようになった。被告山本は昭和三〇年三月に、被告中本は昭和四〇年一一月に、分離前被告中田省子は昭和四六年二月に、被告内野は昭和四九年一一月に、それぞれ結婚して本件建物から出たが、皆それまでは正美の店の手伝いをしていた。被告山田は昭和三四年四月に結婚したが、引き続き本件建物に居住し、正美の手伝いをしていた。正美は、煙草屋の売上げから本件借地の地代を支払い、煙草屋の営業経費に計上して税務申告をしていた。また正美は昭和五八年ころ、本件建物について期間一〇年の火災保険に加入していた(原告本人第一回、甲二二、乙二ないし一三)。

5  原告は、結婚後、妻と別居し、昭和三三年暮れころ、本件建物に戻り、同三六年四月ころまで本件建物に住んでいたが、その後転居した。そのころ原告は杉並区永福町に自己資金で土地(七六・五二平方メートル、乙一五)を購入し、その後昭和五六年四月、第一勧銀ハウジングセンター及び住宅金融公庫から融資を得て、右土地上に二階建て建物(乙一六)を建築した。また原告は、昭和四六年ころからは不動産鑑定士の資格を取得している(原告本人第一回)。

6  平成元年一一月二八日、正美は死亡し、その後、親族で集まって正美の遺産について話合いを持ったが、同年一二月九日、本件建物に親族及び正美の税務を長期に亘り扱ってきた磯村年夫税理士が集まり、被告山田が本件建物で煙草屋を継続するか等について話がされた。その際、被告山田は煙草屋を継続したい旨発言し、その夫である和雄はこれに反対するなどしたが、正美の相続税の申告については磯村税理士に委任することに意見の一致を見た(原告本人第二回、甲二一、二二、乙一七の一、二)。

7  翌平成二年一月一四日、本件建物において話合いが持たれたが、その際、被告山田の夫である和雄から被告山田名義の賃貸借契約書(乙一)が示されたものの、被告山田自体は自己に賃借権があるとの強い主張はしないで、結局、妹たちの面倒を見てくれた原告を含めて、正美の相続人である被告ら五人の併せて六人で本件賃借権も含めて六等分しようとの意見が出され、原告が相続財産は平等に分配する旨を記載して、これに六人が署名指印することになった。しかし、被告山田だけは、署名をしたものの、夫である和雄の制止もあって指印をしなかった。そのため右平等分配案は実現しなかった(甲二二、乙一八、原告本人第一回)。

8  平成二年二月二五日、被告中本、同山本、分離前被告中田省子の三人は、賃借人が誰であるかを確認するため、亡佐助方を訪問したが、その際、昭和六二年まで借地権の名義人は原告であるとして申告をしている旨を聞き、その申告書の交付を求め、送付されることになった。しかし、税理士の許可が出ないとのことで送付を受けることができなかった。また、原告はそのころ、数度にわたり、亡佐助方を訪れたが、亡佐助からは姓は「田辺」で名は一字の人である旨を聞いた。西林玉枝は、当初、亡佐助の妻や定次からは定次が借地人であると聞いていたが、右原告が亡佐助方を訪問した当時、亡佐助が本件土地の賃借人は名前が一字の人だと述べるのを聞いている。なお、右被告らが亡佐助方を訪れた際、被告山本及び分離前被告中田も名前が一字である旨を聞き、また分離前被告中田はそれが原告の名であることも聞いている(甲七、八、被告中本、同山本、同中田各本人、証人西林玉枝、原告本人第一回)。

二  そこで、以上の事実及び争いのない事実を前提として本件争点について検討すると、本件土地を賃借し、本件建物を建築したのは、その時期及び収入等から考えて、正美ではなく定次又は原告であると認められるが、もし定次であるとすれば、貸主である亡佐助において、賃借人は定次であるとして取扱われているはずであり、その後占有さえしなくなり、面識もほとんどない原告を賃借人として税務申告をすることは通常考えられないこと、もし定次であるとすれば、定次が死亡した当時、その遺産に関して何等かの話合いがされるべきところ、そうした話がされた形跡のないこと、原告は賃借当時ある程度の収入があり、実質的にも負担能力があったものと推測されることなど諸般の事情を総合すると、本件土地の賃借権者及び本件建物の所有者は原告であると推認される。そこで以下被告山本らが本件土地賃借権及び本件建物が原告に帰属するとするのが空論であると指摘する諸点について検討を加えることにする。

1  契約締結者について

被告山本らは、直接亡佐助と会って契約したのは定次であることをもって原告が契約締結者であるとする根拠はないとするが、亡佐助は西林と面識があり、西林は原告より定次との接触が長く、原告はまだ未成年であったから、具体的な交渉を父である定次が行うのも不自然なことではなく、原告を借主とすることと矛盾することではなく、前記のとおり、もし定次が原告の名を全く出しておらず、自己名義で契約しているのであれば、その後、原告名義で税務申告をするということは考えられないのであり、そうすると、定次が原告の名において賃貸借契約を締結したものと見る方が自然である。

2  賃借の目的について

被告山本らは、原告は将来父から独立して店舗を営む目的で本件土地を賃借したと供述するが、煙草販売業は定次及び正美が営んでいたもので、原告の営業の意図は認められない半面、定次は妻子を呼び寄せて居住させる必要があったとして、定次が居住の目的で賃借したものであるとするが、原告の供述(第一回)では、定次は元居住していた深川に家を建てる意図を有していたが、実際には建てられず、正美や原告の妹である被告らが東京に居住するためには本件建物以外に居住する場所がなかったことが窺われるのであり、結果的には原告は大学に行き、会社に勤務することとなったため、本件建物は居住用となり、また煙草屋の営業も正美に任せることになったものと考えられ、結果的な賃借状態から契約目的を居住用とし、原告の主張を論難することはできない。

3  仲介者である西林との関係及び亡佐助の意思について

被告山本らは、定次の方が仲介者である西林と親しく、また亡佐助も定次に貸したと認識していることをもって賃借人を定次と考えるべきであるとするが、確かに未成年であり、面識のない原告よりは定次の方が賃貸借の相手方としては自然であり、現に契約締結に赴いたのが定次であることを考えると、その当時、亡佐助が定次が借主であるとの認識を持ったとしても不思議ではない。しかし、実質的負担者が原告であるとして定次が原告名義で契約することは十分に考えられることであり、行為者が定次であることから形式的名義人及び実質的負担者までが定次であると推認することはできない。

4  契約書の存在について

被告山本らは、原告が本件賃貸借契約書が存在し、ボストンバックに入れてあったと供述するのは信用できないとするが、確かにこの点についての原告の供述は不分明であり、原告は契約書を見ていない疑いが強いのであるが、しかし、そもそも契約書が作成されたか否かも不明確であり、また、多年が経過していることを考えると、敢えて虚偽の事実を述べているものとは思われず、また、契約書が存在するのにかかわらず見ていないとすれば、契約書を所持しているのは定次であるとの可能性が高く、定次が賃借人であるとの推定が働くのであるが、契約書の存在自体が疑わしい本件においては、右の供述の不明確性をもって原告の供述の信用性を否定することはできない。

5  本件建物の増改築と本件建物登記について

被告山本らは、本件建物の増改築費用を原告が負担したとの証拠はなく、正美名義に本件建物登記がされたのに無関心であるのは不自然である点を指摘しているところ、確かに、増改築に際して原告が費用を負担したとの証拠は原告本人の供述しかなく、これを裏付ける資料は提出されていないが、その半面、正美が独自に負担したとの証拠もなく、この点は積極的に原告の所有でないことを推測させるものではない。また、登記の点は、そもそも正美は本件建物完成後に上京したもので所有権保存登記のできる立場にはないのであり、仮に定次の所有であるとしても、遺産分割協議により本件建物を正美の所有とする合意が成立しているわけではないから、本件正美の登記はいずれにしても事実に反するものである。したがって、むしろ原告は親族間のことであり、あまり登記に強い関心を有していなかったのでそのままにしていたと見る方が自然である。

6  賃料の支払い等について

被告山本らは、原告は賃料の支払い、増額交渉、固定資産税の負担などについてすべて正美に任せきりであり、賃借権者としては考えられないことであり、本件建物について正美が火災保険契約を締結しているのは原告所有と相入れない旨主張しているが、原告は正美が生存中はすべて正美に一任していたというのであり、途中で明渡しを求める意思はなかったのであるから、ある程度任せきりになっても不自然とまでは言えないし、また正美が所有者としての行動をしていたとしても、本件建物は原告の所有か又は定次の遺産であり、それによって正美の所有となるものではないから、積極的に本件建物の原告所有を否定する事実とまでは言えない。

三  以上のほか本件に現れた諸事情を総合勘案すると、本件借地権及び本件建物は原告に帰属すると認めるのが相当である。なお、被告山本らは、定次にこれらが帰属しており、正美が双方代理により遺産分割協議をしてこれらを取得し、本件借地権及び本件建物が正美の遺産に属することを前提として原告はこれを六人で均等分割する旨の書面(乙一八)に署名指印したのであるから、右遺産分割を追認したものであると主張するが、右書面の作成経緯からすると、これによって原告が本件借地権及び本件建物が正美の遺産に属することを確定的に認めたものと評価することはできないから、これをもって原告の本件賃借人の地位及び本件建物所有権を放棄したものと解することはできない。

四  結論

以上によれば、原告の被告らに対する請求は、いずれも理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。

物件目録

一 足立区<編集注・略>九番四

宅地 四八・六九平方メートル

二 同所九番壱

宅地 壱五〇・五九平方メートルのうちの七七・五九平方メートルの部分

三 同所同番地

家屋番号 九番七

木造瓦葺弐階建 居宅

床面積

壱階 九弐・壱九平方メートル

弐階 参弐・九五平方メートル

賃借権目録

賃貸借期間 昭和六三年四月二日から二〇年間

使用目的 非堅固建物所有

賃料 月額金四万五八五〇円也

支払方法 毎月末日支払い

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例