東京地方裁判所 平成2年(ワ)11584号 判決 1991年9月26日
原告 東京ベルテック株式会社
右代表者代表取締役 田口勝弘
右訴訟代理人弁護士 藤森洋
被告 広田不動産株式会社
右代表者代表取締役 広田力一
右訴訟代理人弁護士 杉原哲太
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
理由
一 請求原因1(原、被告の行為の商行為性)の事実及び同2のうち本件売買契約が締結され、ローン融資付け約定以外の約定が本件売買契約において合意された事実は、いずれも、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件売買契約の際に原、被告間でローン融資付け約定が合意されたかどうかについて検討する。
1 原告代表者の尋問の結果中及び右の尋問の結果により原告代表者の陳述を記載した書面と認められる甲第五号証中には、「昭和六二年九月三〇日に本件売買契約を締結する際、原告代表者が被告代表者に対し、原告会社が本件売買代金の残代金を独自で金融機関から借りて作るのが無理であるので被告会社の方で融資付けをしてほしい旨申し入れたところ、被告代表者がこれを引き受ける旨承諾し、かつ、原告代表者が被告代表者に対し、金融機関からのローンが付かなかった場合には速やかに本件手付金を返還することを申し入れたところ、被告代表者がこれを承諾したから、原告と被告との間で同日ローン融資付け約定が合意された」旨の供述部分(以下「原告代表者供述」という。)があるが、原告代表者供述については、(1)ローン融資付け約定が本件売買契約の契約書であることに当事者間に争いのない甲第一号証の書面上には全く記載されておらず、しかも、(2)その記載がない理由として、原告代表者が、原告代表者供述において、「ローン融資付け約定が契約書に記載されていると税務署関係で契約不成立と見られて困るので口約束だけとした」旨説明する部分は、ローン融資付け約定の重要な意味にかんがみると、又は証人浅野嘉正の証言により認められる本件当時ローン融資付け約定の記載のある不動産売買契約書式が不動産業者間で相当一般的に使用されていた事実に照らすと、ほとんど説得力を伴わない弁解といわざるを得ず、更には、(3)前掲浅野証言によれば、本件売買契約の交渉及び締結が行われた昭和六二年八、九月ころは、依然として不動産取引に関する融資が極めて緩やかに行われ、取引物件さえあれば取引全額の融資が出る可能性が一般的に見込まれたことが認められ、本件売買の残代金を原告が独自で金融機関からの融資により調達することが、本件売買契約の締結当時、当然に、又は明らかに、無理又は不可能であったとまではいえない(そのように確実に無理又は不可能であれば、そもそも本件売買契約を締結するべきではなく、又は締結するとしてもその契約書には他の何よりも優先してローン融資付け約定を明記するべき筋合いである。)等、その信用性に多くの疑問があり、到底これを採用することができない。
2 成立に争いのない甲第三号証の覚書には、本件売買の「最終残金は、昭和六二年一一月三〇日でありますが、その期日までに金融機関の融資が出来ない場合は延期することを承諾致します」との記載があり、原告は、この記載も本件売買契約においてローン融資付け約定が合意されたことの証左に当たるとして右甲第三号証を援用するが、右の記載も、その字義にかんがみると、ローン融資付け約定を表現するものでないのみならず、前掲の原告代表者供述(ちなみに原告代表者が右の覚書が作成され、又は被告会社側から手渡される場面に直接関与し、又は立ち会っていないことは原告代表者の自認するところである。)によっても右覚書が原告と被告との間でローン融資付け約定の合意があったことを記載したものと認めるには到らず、他に右覚書がその記載をしたものであることを認めるに足りる証拠はない。
かえって、前掲浅野証言及びこれにより右浅野証人の陳述を記載した書面と認められる乙第四号証によれば、甲第三号証の覚書は右浅野証人が被告会社のために起案したものであること及び被告がこの起案に基づき右覚書を作成したのは、原告が昭和六二年一〇月六日の手付金の残金八〇〇万円を被告に交付する際に、被告に対し、「売買残代金の融資方を金融機関に交渉中であるが、その売買残代金の支払期日である同年一一月三〇日に間に合いそうになく、実際に間に合わなかった場合に直ちに契約違反として手付金を没収しないように多少の余裕を見てほしい。そして、その際の紛争を避けるためあらかじめの承諾書をほしい」旨の申出をしたので、被告が、その一一月三〇日の期限から二週間位のズレ(その期限徒過の際なお申込中の融資付けの実行が遅れるズレ)はやむを得ないこととして了承する趣旨に出たものであることが認められ、右の認定事実によれば、甲第三号証の覚書は、ローン融資付け約定の合意書ではなく、手付金没収を約二週間後に先送りするための本件売買の残代金支払期日の約二週間の延期承諾書と解するのが相当である。
3 原告代表者の尋問の結果中「昭和六二年一一月三〇日の一日か二日前ころ、原告代表者が、被告会社に対し、原告が金融機関から融資を受けるのが不可能であるので本件売買契約を白紙に戻して契約金を返してもらいたい旨希望したところ、被告会社から原告代表者に対し、被告が本件土地の隣接地(以下「本件隣接地」という。)の買収に入るから、その買収ができるまで本件手付金の返還を待ってほしい旨の申出があり、原告代表者は、それを承知した」旨の供述部分については、原告代表者と被告会社の何人との会話であるのか、被告会社側の申出の理由や趣旨が何辺にあるのか等、抽象的な供述であるのみならず、それが被告が本件手付金の返還義務を認めた上でその支払を延期することの申出をしたことの供述であるとすれば、この供述は、その後に原告が作成したことについて当事者間に争いのない乙第三号証の契約書(これは本件隣接地の買収についての手数料並びに本件隣接地及び本件土地の売却についての手数料の各支払の方法で本件手付金の返還分を実質的に考慮することを表した文書と認められる。)の書面とも正確には符合しない(ましてや、同じくその後に被告が作成したことについて当事者間に争いのない乙第一号証の契約書とはなおさら符合しない)のであって、これらを要するに、原告代表者の尋問の結果中の右供述部分も、被告がローン融資付け約定の効力に基づき本件手付金の返還義務があることを自認した事実を示す趣旨のものとしては、到底これを採用することができない。
4 以上の他に、本件売買契約の際に原告と被告との間でローン融資付け約定を合意したことを認めるに足りる証拠はない。
5 そうすると、原告と被告との間でローン融資付け約定が合意されたことを前提とし、そのローン融資付け約定の発効による本件売買契約の当然合意解除に基づき被告に対し本件手付金の返還を求める原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。
三 次に、原告は、被告が平成元年一一月一五日本件土地をインターフォームらに売却した当時、それより前に本件売買契約における本件決済期日が金融機関から原告への融資実行時点までに延期されていたことによりなお本件売買契約関係が続いていたから、被告による右売却は、売主としての義務不履行である旨主張し、これに対して、被告は、原告の買主としての売買残代金の支払期日は昭和六二年一一月三〇日からその約二週間後の期日に延期されたにすぎず、その支払期限に原告が被告に対し売買残代金を支払わなかったので、被告が原告のその義務不履行に基づき昭和六三年二月六日ころ本件手付金を没収した旨主張するので、本件売買契約の帰趨について判断する。
1 前掲の≪証拠≫並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件売買契約の締結後の昭和六二年一〇月はじめころ、原告は、本件売買契約の締結交渉の当時から原告側の立場でその交渉の媒介をしてきた高橋堅助を原告会社の取締役営業部長に選任し、高橋は、引き続き、本件売買契約に基づく被告との間の取引関係に関する原告会社の業務に従事することとなった。
(二) 同月六日ころ、高橋は、前記二、2認定の原告の申出を被告に伝え、これに対して被告が同じく前記二、2で認定した経緯で作成された甲第三号証の承諾書を高橋に手渡した。
(三) 原告は、本件売買契約締結の直後から、自ら売買残代金五億八九四〇万円全額の融資方を求めて四社位の不動産金融業者と交渉したが、その融資が受けられる具体的目処がたたなかったため、同月二一日ころ、被告に対し、適当な不動産金融業者の紹介を要請し、被告は、原告に対し、三社の不動産金融業者を紹介した。
(四) しかし、被告紹介の不動産金融業者も、なかには被告が直接に口利きをした業者もあったにもかかわらず、原告に対する本件売買の残代金全額の融資を承諾する者はなく、同年一一月末近くには、原告が金融機関から本件売買の残代金全額の融資を受ける可能性が極めて乏しくなった。
(五) 原告会社の前記高橋は、本件手付金がいわゆる手付け流れとなる事態が見込まれたので、そのころ、被告代表者及び日光建設不動産株式会社(以下「日光建設」という。)の従業員浅野嘉正に対し、(1)本件隣接地を被告が買収し、本件土地と合わせて四筆のより大規模な一団の土地として他に転売すること、(2)その買収及び転売について日光建設と原告とが仲介して被告から手数料を受け取り、これにより本件手付金の手付け流れによる原告の損失を埋め合わせることの二点を主な内容とする企画を話し、ほどなく、被告代表者及び浅野がこの考えを採り入れることにしたので、原告会社としても、そのころから、高橋に右の買収のための仲介業務に従事させることにし、高橋は、被告会社の事務所に頻繁に出入りしながらこの業務に従事するようになった。
(六) 同年一一月末ころには、原告が本件売買の残代金の融資を受ける可能性は、ほとんど絶無となり、高橋は、そのころ、被告代表者との間で、その融資を受ける見通しがなくなったことについて話合いをした。
(七) 同年一一月末ころから前記のとおり浅野及び高橋が仲介を続けた本件隣接地の買収交渉は、地主の一人がこれに応じようとせず、難航したので、昭和六三年二月初めころ、被告代表者が高橋に対し本件売買契約及び本件手付金の帰趨を定めようとする意向を示し、原告は、これについて、同月五日ころ、「本件隣接地の買収を被告の委託を受けて原告が担当し、その買収完了時に被告が相当の仲介手数料を原告に支払い、かつ、その買収後に本件隣接地及び本件土地の四筆を他に売却したときにも被告が原告に対して相当の手数料を支払うこととし、その二回の手数料の支払がされた時に原告が本件手付金についての請求権を放棄することとする」旨の記載のある契約書(乙第三号証)を作成して、被告に届けたが、被告は、これを承諾せず、同月六日ころ、被告は、高橋に対し、「本件売買契約は、原告の都合により代金授受の猶予期間においても調達不能につき本件手付金は慣例に従い流れとすることとし、被告は、本件隣接地及び本件土地の買収及び売買の仲介について、日光建設及び原告に規定の手数料を支払い、原告は日光建設と配分によりこれを受け取るものとする」旨の記載のある契約書(乙第一号証)を渡し、高橋は、その内容を原告代表者に伝えた。原告代表者は、これについて反対の意思を高橋に述べた。
(八) 本件隣接地の買収交渉の仲介は、(七)の文書の授受の前後も続けられたが、どうしても地主の承諾が得られず、同年夏ころには、この買収交渉の仲介もその買収の企画も、立ち消えになった。しかし、原告は、被告に対し、本件売買の残代金の調達についての見通しを伝えることがなかったばかりか、本件手付金の返還を請求したことも全くなかった。
(九) 平成元年一一月一五日、被告が本件土地を株式会社インターフォームらに売り渡して、その所有権移転登記を了したが、この後になって、原告は、本件手付金の返還を求める本件訴訟を提起した。
以上の事実が認められ、原告代表者の尋問の結果中右認定に副わない部分は、前掲各証拠に照らし、不自然で信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 右1の認定事実を総合すれば、本件売買契約における売買残代金五億八九四〇万円を支払うべき本件決済期日が昭和六二年一一月三〇日の約二週間後の期日に延期されたが、原告においてその残代金の資金調達ができず、そのため、この不調達を伝えられた被告がその支払期限のころ原告に対し本件土地についての所有権移転登記手続をし、及び現状有姿のままこれを引き渡す債務の弁済についての口頭の提供をしたにもかかわらず、原告はその支払期限までに右売買残代金の支払をしなかったものであり、したがって、この原告の債務不履行に対して、被告が、本件売買契約における「買主の義務不履行に基づくときは支払済みの手付金の返還を請求することができない」旨の約定に基づき、昭和六三年二月六日ころ、原告に対し、「本件手付金は慣例に従い流れとする」旨の告知をして本件手付金を没収する旨の意思を表示したものと推認することができる。
3 ところで、本件売買契約においては、前示のとおり、「契約当事者の一方が本契約に違背したときは、相手方は催告を要することなく本契約を解除することができ、売主の義務不履行に基づくときは売主は買主に対し領収済みの手付金の倍額を支払うものとし、買主の義務不履行に基づくときは買主は売主に対し支払済みの手付金の返還を請求することができない」旨の約定が合意されており、この約定によれば、本件手付金が本件売買当事者の債務不履行の場合において契約関係の一切を清算する損害賠償の予定の性質を有するものであると認められるが、このように違約手付金の約定が契約関係を清算する趣旨で合意された場合には、手付金受領者は、相手方に債務不履行の違約があったときは、あらかじめ契約解除の手続をとることなくいわゆる手付金流れとすることによりこれを確定的に自己に帰属させることができるとともに、特段の事情のない限り、相手方にその旨を告知したときは、これによって右契約関係も当然に終了するものと解される。
そうしてみると、本件手付金は、昭和六三年二月六日ころ被告がした前記認定の告知により、被告に没収されて確定的に被告に帰属するとともに、本件売買契約も、これにより当然に終了したものといわざるを得ない。抗弁は、結局、理由がある。
4 したがって、被告がインターフォームらに本件土地を売却した当時になお本件売買契約関係が続いており、その売却が被告による本件売買契約の債務不履行となることを前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当といわざるを得ない。
四 以上の次第で、原告の請求は、理由がないから、これを棄却
(裁判官 雛形要松)