東京地方裁判所 平成2年(ワ)1225号 判決 1992年2月28日
原告
小松昭助
被告
原田甫
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、五五七万五六六〇円及びこれに対する平成二年二月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告の息子である原田勝美が引き起こした交通事故の被害者である原告が、被告を相手方として、勝美の不法行為によつて被つた損害(通院治療費一五万三九六〇円、通院交通費四万二二〇〇円、休業損害四六八万七五〇〇円、慰謝料八〇万円、修理費二一万円、弁護士費用一一〇万二〇〇〇円)について、重畳的債務引受、信義則に基づく損害賠償責任、ないし被告の勝美に対する生活費等の供与が原告に対する不法行為に当たると主張して、右額の合計額から既払い額を控除した残額の支払いを請求した事案である。
一 当事者間に争いのない事実
1 事故の発生(以下、「本件事故」という。)
(一) 日時 昭和六三年七月一四日午後一〇時五八分頃
(二) 場所 東京都板橋区中丸町三番五号先路上(以下、「本件路上」という。)
(三) 加害車 普通乗用自動車(練馬五八ひ八七九二)
右運転者 原田勝美
(四) 被害車 普通貨物自動車(練馬四五ね一三五一)
右運転者 原告
2 勝美は被告の長男であること。
3 原告が被告に対し、昭和六三年七月一五日に電話で本件事故の内容を伝えたところ、被告は、「ご迷惑をかけて申し訳ありません。」と述べ、また、同月一八日に電話した際には、勝美に関し、「好きなようにしてくれ。」と述べたこと。
4 勝美が加害車を所有していること。
5 原告は自賠責保険から一二〇万円の支払を受けたこと。
二 被告が自白したものと見做された事実
勝美は、自己のために運行の用に供していたこと。従つて、勝美は、自動車損害賠償保障法三条により、本件事故により原告に生じた人的損害を賠償する責任がある。
三 争点
争点は、本件事故の態様、勝美の不法行為責任の成否、被告が勝美の惹起させた損害を負担すべき理由とその額である。
第三争点に対する判断
一 本件事故の態様については、証拠(甲三、四の各1、2、五、七、原告)によると、勝美が仮免許で加害車を運転中、赤信号を看破して交差点に進入したことを警察官に発見され停止を命ぜられたが、シンナー一斗缶一缶を所持していたので、その発覚を恐れ逃走中、追跡してくるパトカーに気をとられ、前方注視を怠つたために、交差点で発進直後の被害者の発見が遅れ、ハンドル操作により衝突を回避しようとしたができず、加害車前部を被害車後部右側に追突させた、というものであることを認めることができる。そうすると、勝美には前方注視を怠つた過失があるので、民法七〇九条により、原告に生じた物的損害を賠償すべき責任がある。
二 被告の責任の根拠
1 重畳的債務引受
(一) 原告は、昭和六三年七月一五日、被告に電話で本件事故の内容を伝えたところ、被告は、「ご迷惑をかけて申し訳ありません。」、「おたくには絶対迷惑はかけない。息子がかけた損害は家を売つてでも必ずお支払いいたします。」等と述べ、原告も了承したのであり、これによつて被告は、原告に対し、勝美の原告に対する損害賠償債務を重畳的に引き受けた旨主張する。
(二) 証拠(甲三の1、六、原告、被告)によると、以下の事実を認めることができる。
(1) 勝美は中学三年の頃ボンドの吸引を覚え、高校卒業後も家業のそば屋を手伝いながらもトルエンの吸引を続けていたことから被告は勝美を持て余していたところ、勝美は、二〇歳の頃、被告の反対を押切り、右翼団体に入るために家を出ていき、以後、本件事故迄の間、勝美は被告宅には戻ったことはなかつた。昭和六三年一月初め頃に勝美が刑務所を出所するときも、勝美が断ったこともあって被告は迎えには行かず、勝美の加入する右翼団体の構成員が迎えに行つた。加害車も被告が警察から返還を受けて保管していたところ、被告不在中に右団体の構成員が取りに来たので、家人が引き渡した。
勝美が家を出てから被告が勝美に送金したのは、本件事故の一週間前位に、電話で、右団体から脱退したいのでその逃走資金を貸して欲しい旨言ったことから一〇万円送金したこと、のみである。
(2) 原告は、被告に、本件事故の翌日である昭和六三年七月一五日に電話で本件事故の内容を伝えたところ、被告は、「ご迷惑をかけて申し訳ありません。」と述べ話し合いをしたところ、被告は、家を出ているとはいえ息子の起こした事故であり、賠償金も一五万円程度であれば支払えると考えて話し合いに応じようとし、被告の店の休業日である同月一八日に池袋で会う約束をしたが、原告が親として支払う義務がある、と述べたことから、法的責任はないとの考えのもとに待ち合わせの場所に行かなかったこと、そこで、原告から、同日電話があった際、勝美を「好きなようにしてくれ。」と述べたこと、以後原告から何回か電話があり、損害賠償をしてくれるよう求めたが、被告は応じなかった。
(3) 原告は、警察署の留置場で、勝美と二回面会し、賠償金の支払いについて話し合いをした。特に、第二回目の面会の際には、被告が払う気がないのでどうするか、という点がその中心であった。
右認定に反する原告本人尋問の結果は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によると、被告は勝美の父としての立場から、勝美の損害賠償債務について、全損害が明らかとなる前に、原告申し出額程度ならば支払つても良いと考えて協議に応じようとしたに過ぎず、勝美の債務を引き受けて支払おうとの考えのもとに、その趣旨で述べたものとまでは認められないので、結局原告の右主張は認めることはできない。
2 信義則に基づく損害賠償責任
(一) 被告は勝美を溺愛し、勝美はシンナーの常用者で、しかもシンナーを吸つたうえでの交通事故の常習者であることを知りながら、働く意欲のない勝美に車両購入資金や生活費等を与え、更生のための方途を講じなかつたことにより本件事故の発生を可能ならしめたのであるから、信義則上、被告において勝美が発生させた本件事故の損害賠償責任を負うと解すべき旨主張する。
(二) しかしながら、既に認定したように、被告は勝美に車両購入資金や生活費等を与えたとは認められないのであるが、仮に原告の主張する事実が認められるとしても、このような事実から被告に息子である勝美の損害賠償責任を負担すべき信義則上の義務が生ずるとは認められないのであり、従つて、何れにせよ原告の主張は理由がないこととなる。
3 被告の勝美に対する生活費等の供与の原告に対する不法行為性
(一) 被告は息子である勝美を溺愛し、勝美はシンナーの常用者で、働く意欲もなく生活費に困窮しており、かつ交通事故の常習犯で過去に何度も実刑判決を受けていることを知りながら、無収入の勝美に車両購入資金や生活費等を与えてきたのであり、このような被告の違法な援助と本件事故の発生との間には因果関係があり、しかも被告は第三者に対する損害の発生を予見しうる立場にあつたことを考えるならば、被告の勝美に対する金銭の援助は、原告に対する不法行為を構成すると解すべき旨主張する。
(二) しかしながら、既に認定したように、被告は勝美に車両購入資金や生活費等を与えたとは認められないのであるが、仮に原告の主張する生活費等の供与の事実が認められるとしても、民法八七七条一項においては、被扶養者がいかなる者であるにせよ生活に困窮しているときは扶養する義務があるものとしているのであるから、生活費等の援助は、不法行為を構成することはないものと解すべきであり、従つて、何れにせよ原告の主張は理由がないというべきである。
三 結論
以上によると、原告の被告に対する本件請求は理由がないことに帰するので、棄却することとする。
(裁判官 長久保守夫)