東京地方裁判所 平成2年(ワ)14911号 判決 1994年8月30日
原告
赤川吉徳
同
赤川美津子
右両名訴訟代理人弁護士
鳥生忠佑
同
山本裕夫
同
斎藤義房
同
中本源太郎
同
下林秀人
同
渡邉澄雄
同
青木護
被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
鈴木一男
同
村瀬勝元
被告
近畿日本ツーリスト株式会社
右代表者代表取締役
安部和壽
右訴訟代理人弁護士
原山庫佳
同
薦田哲
同
高橋裕次郎
主文
一 原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告赤川吉徳に対し、各自金四三六三万六〇〇三円及びこれに対する平成元年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、原告赤川美津子に対し、各自金四一八一万九八三一円及びこれに対する平成元年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(被告東京都)
1 主文同旨
2 仮執行免脱宣言
(被告近畿日本ツーリスト株式会社)
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告らは、訴外亡赤川順之(以下「順之」という)の父及び母である。
順之は、昭和四七年八月九日、原告らの長男として出生し、東京都立田無工業高等学校(以下「田無工業高校」という)一学年在学中である平成元年一月二三日から同月二五日にかけて同校が企画実施した移動教室(スキー教室)(以下「本件スキー教室」という)に参加した際に死亡したものである。
(二) 被告東京都は、田無工業高校の設置者である。
(三) 被告近畿日本ツーリスト株式会社(以下「被告会社」という)は、田無工業高校に委託されて本件スキー教室の企画を立案し、訴外竹永梅子看護婦(以下「竹永看護婦」という)を雇用して、本件スキー教室に参加した田無工業高校の生徒の健康管理と看護にあたらせていたものである。
2 順之の死亡の経緯
(一) 順之の病歴
順之は五歳ころ喘息を発症し、小学校入学後も増悪する一方であった。そのため、原告らは、順之が小学校一年生のころ、当時経営していた喫茶店を廃業したうえ家族全員で東京から長野県に転居して、順之の転地療養に専念した。
その甲斐あって順之の症状は著しく改善し発作もほぼ収まったので、原告らは、昭和六一年七月ころ、当時中学校二年生であった順之とともに東京に戻った。順之は、昭和六三年四月、田無工業高校に入学したが、概ね良好な健康状態が続いた。
しかし、順之は、同年夏、サッカー部の合宿で「大飯食い」(一年生にどんぶり飯を何杯も食べさせる行為)を強要されたことから体調を崩し、同年九月以降喘息による欠席や早退が目立つようになり、同年一一月一九日から同月二四日まで喘息の発作のため東京都小平市所在の公立昭和病院(以下「昭和病院」という)に入院し、それ以後も、同病院に頻繁に通院し喘息の治療を受けた。
(二) 原告らは、順之入学当時、順之の喘息の既往歴を健康調査票に記載して提出し、順之自身も喘息を申告した。さらに、原告吉徳は、同年一二月ころに行われた面談の際、クラス担任である訴外清水昭弘教諭(以下「清水教諭」という)に対し順之の喘息症状の悪化を説明した。そのため、清水教諭らは、順之の喘息が決して軽くないことを認識していた。
(三) 本件スキー教室の概要
本件スキー教室は、田無工業高校が一年生全員を対象として企画実施したもので、平成元年一月二三日から同月二五日までの二泊三日の日程で、長野県小県郡真田町菅平高原において行われた。宿泊先は、菅平サンホテル(以下「本件ホテル」という)であった。本件スキー教室には、田無工業高校から生徒三一五名、教師一三名が参加し、被告会社の添乗員三名と竹永看護婦が同行した。
(四) 順之が本件スキー教室に参加した事情
前期のごとく喘息が悪化していたので、順之と原告らは本件スキー教室参加を見送ることにしていた。そのため、原告らは、同月一四日に開かれた保護者会にも出席しなかった。ところが、順之は、清水教諭から本件スキー教室に参加しないと単位をやらないなどと執拗に言われたため、スキー教室の直前になり突然参加すると言い出したので、原告らは、清水教諭に架電し、喘息の心配があるのでどのような些細なことでも必ず連絡してくれるようにとの特別の依頼をしたうえで、結局、順之を参加させることとした。
(五) 本件スキー教室の経過1(平成元年一月二三日)
順之は、同月二三日、健康状態に特に異常はなく、スキー講習会に参加していた。
(六) 本件スキー教室の経過2(同月二四日)
しかし、順之は、同月二三日の深夜ないし同月二四日の早朝、喘鳴があり喘息の発作が始まったため、食欲がないとして朝食をとらず、午前中のスキー講習会も休むこととした。そして、順之は、寝ているより座っている方が楽だと言って、午前中はロビーで訴外土器薗進教諭(以下「土器薗教諭」という)らの仕事を手伝っていたが、その際にも吸引器を握って離さなかった。寝ているよりも座っている方が楽だということは、気管支狭窄の進行のため、横になった状態では呼吸が困難となり、起座呼吸を強いられる程に喘息の発作が重篤化していることを示すものである。
順之は無理をして昼食を食べたものの、午後になっても喘鳴が続いたため引き続きスキー講習会を休むこととし、同日午後二時ころには保健室として確保された三〇九号室(以下「保健室」という)に移動し、そこで休んでいたが、症状は一向に改善せず、同日夕方ころには、肩で呼吸し、話すこともできない状態であった。
順之は、無理をして夕食を少し食べたが、その後喘息発作の症状は一層進行したため、食後すぐに他の生徒と離れ一人で保健室に収容され、同所で寝ることとなった。竹永看護婦は、同日午後一〇時三〇分ころ、順之に対し安静を命じたうえ、乾燥防止のため保健室の浴槽に湯を張る等の措置をとった。順之の症状は予断を許さない状況にあった。
(七) 本件スキー教室の経緯3(同月二五日)
順之は、同月二五日早朝、重症発作を起こし、同日午前六時ころ竹永看護婦が順之の検温をした時も、同日午前六時三〇分の起床時間後に清水教諭や竹永看護婦が見回った時も、咳が出て朝食を食べられない状態が続いた。そして、順之は、竹永看護婦らが保健室を離れて食堂にいる間に、不安も重なって致命的な喘息発作に襲われ、同日午前七時三五分ころ、廊下に倒れているところを本件ホテルの従業員に発見された。急を聞いた教師や竹永看護婦らが駆けつけた時、順之は、顔面蒼白で意識もなかった。竹永看護婦らは、気道の確保に努めるとともに、人工呼吸や心臓マッサージを行い、本件ホテルの通報により駆けつけた菅平診療所の医師も強心剤投与等の応急処置を行った。順之は、本件ホテルの通報で同日午前八時すぎに到着した救急車に乗せられ、同日午前八時四五分、長野県上田市内にある柳澤病院に搬送されたが、同日午前九時一一分、同病院内において死亡した。
(八) 順之の死因
順之の直接の死因は、気管支喘息による急性心不全である。
喘息は、アレルゲンの作用のほかにも、気圧、温度、湿度等の気候の変化、肉体的運動等も誘発原因となる。また、喘息の呼吸困難の発作は、夜間、特に明け方に起こることが多く、軽いときには喘鳴を聞く程度であるが、重いときには患者は起座し、上半身を前方に軽く曲げ、手で上半身を支えるような位置をとる。経過は一般に頑固で発作を反復し、重症例にあっては呼吸困難は持続性となり、衰弱により発作中に死亡したりすることもある。
3 田無工業高校教師ら及び竹永看護婦の過失
(一) 総論
一般に、学校長をはじめ教育活動にあたるすべての教諭は、学校教育法の趣旨及び教育者の職責上当然に、当該教育活動のもとにある生徒の安全を保護する義務がある。特に、未成年者である生徒に対し親元を離れて課外の教育活動を行う場合、教諭は親に代わって生徒の健康状態に留意し、生徒の健康生命が損なわれることのないよう十全の看護を行う義務がある。
(二) 事前準備における過失
(1) 本件の場合、清水教諭らとしては、企画の段階で健康管理のための綿密な計画を立案し必要な体制を整えるべきであった。特に、順之のように健康面で不安のある生徒を、寒冷地で健康への影響が懸念されるうえに救急医療体制が万全ではない菅平高原に連れていく以上、それを前提として健康管理の対策を立てるべきであった。
しかるに、清水教諭らは、菅平高原の医療機関や救急医療体制について十分調査せず、本件ホテルに救急患者の搬送体制があることすら把握していなかったうえ、季節診療所にいるのは整形外科医であることやその医師が夜間どこに待機しているかも知らなかった。清水教諭らは、喘息の重症発作に対応できる設備のある病院に搬送するのに一時間以上はかかることを知りながら、緊急の対処が必要となる可能性の強い生徒は早めに医師の診療を受けさせる方針を確立せず、本件スキー教室に参加する生徒の健康状態等について予め竹永看護婦と打ち合わせ、手持ちの資料を竹永看護婦に交付する等の準備をしなかった。
(2) また、被告会社は、田無工業高校との間で本件旅行契約を締結し、被告会社の責任において看護婦を同行させ、本件スキー教室に参加した生徒の健康管理と看護にあたらせることを約した以上、予め竹永看護婦と田無工業高校側の打ち合わせの機会を確保するか、同校から資料を入手し竹永看護婦に交付して健康管理や看護に関する体制を整えるべきであり、また旅行業者としての経験と情報網を活用して現地医療機関を確認する等の事前準備を十分に行い、スキー教室中の竹永看護婦の職務遂行の万全を期すべきであったのに、かかる一切の努力を怠った。
(3) さらに、竹永看護婦としては、本件スキー教室に同行した唯一の医療関係者として事前に参加者中の有病者及びその程度を把握しておくべきであったのに、これを怠り、本件スキー教室直前に養護教諭に架電した以外、打ち合わせの機会の確保や事前の資料提供を求めようとしなかった。
(三) 搬送義務違反
(1) 清水教諭らとしては、本件スキー教室中の生徒の健康状態に留意し、親や医療関係者とも相談のうえ生徒に適切な治療を受けさせるべきであった。特に喘息患者は天候による気圧の変化によって発作を起こしやすいので、その症状の変化に細心の注意を払って早期に医師の治療を受けさせる等適切に対処すべきであった。
さらに、竹永看護婦としても、参加者が病気の場合は症状の変化に注意し、田無工業高校の教師らと相談して適切な看護を行い、必要に応じ医師の適切な治療を受けさせるべきであった。
(2) 平成元年一月二四日午前中の過失
前記のごとく、順之は、平成元年一月二三日深夜ないし同月二四日早朝にかけて喘息発作を発症し、食欲不振、喘鳴、起座呼吸等の諸症状が現れていたし、菅平高原は医師の診療を受けるうえで重大な制約があったのであるから、清水教諭ら又は竹永看護婦には、順之に重症発作に陥る可能性及びいったん重症発作が起きると手遅れになる高度の危険性があることは予見できた。清水教諭らは、前年の重症発作による緊急入院等の順之の既往歴を承知していたから、このまま症状が進行すれば極めて危険な状態に陥ることは予見できたはずであるし、一方、竹永看護婦も、本件スキー教室に同行した唯一の医療専門家であり、順之の症状や聴取した既往症から喘息発作の増悪することを予見できたはずである。まして、竹永看護婦及び清水教諭らが順之の病状について直ちに協議を尽くしていれば、一層の確実性をもって症状の悪化を予見できたことは明らかである。
このように、順之の症状が進行して重症発作に陥る可能性と重症発作に陥った場合の高度の危険性が容易に予測できた以上、清水教諭らと竹永看護婦としては、平成元年一月二四日午前中の段階で、上田市内の設備の整った病院等に順之を搬送し、医師の診断を仰ぐ等の措置をとるべきであった。とりわけ、原告らは、本件スキー教室に先立ち、清水教諭に対し、順之の体調に異変があれば必ず連絡するよう特別に依頼していたのであるから、清水教諭としては、原告らの指示ないし助言を求め、順之の症状を的確に把握すべきであった。
しかるに、清水教諭ら及び竹永看護婦は、症状の進行を軽視して右義務を怠り、順之をして単にスキー講習会を休ませたのみで、医師の診療を受けさせずに漫然と時間を空費した。
(3) 平成元年一月二四日午後ないし同月二五日の過失
前記のごとく、順之の症状は同月午後になっても一向に改善せず、同日夜にはさらに悪化し、翌二五日早朝ついに重症発作を起こしたのであり、この間、吸引を使用しても症状は改善されなかったのだから、清水教諭ら及び竹永看護婦としては、医師による診療が必要であり、また夜間緊急時の対処が困難であると予見できた。したがって、同人らとしては、平成元年一月二四日午後の時点において資格ある医師の診療を受けさせるべきであったのに、これを怠った。
まして、同日夜、順之の症状が一層悪化し、かつ喘息の発作は気温の低下する明け方に起こりやすいのであるから、同人らとしては、夜間から早朝にかけて重症発作が発生する危険を考慮し、医師のもとに搬送して診療を受けさせるべきであったのに、これを怠り、喘息患者に心理的不安を与えることは禁物で、症状の急激な悪化を見逃さないよう患者を一人だけで就寝させることは絶対避けるべきなのに、順之を一人だけで保健室に就寝させた。
さらに、清水教諭ら及び竹永看護婦としては、翌二五日朝、重症発作の発生を確知した時点で躊躇することなく順之を医師のもとに搬送し、診療を受けさせるべきであった。この時点では、同日午前七時三五分に致命的な発作を起こす以前に対処する時間的余裕があったから、未だ最悪の事態を回避することも十分可能であったのである。しかし、同人らは、これを怠り、順之を保健室に一人だけで放置した。
(4) このように順之の症状が平成元年一月二四日から同月二五日朝にかけて進行し重症発作が生じる過程で、清水教諭ら及び竹永看護婦には何度となく順之の症状の悪化を予見し、医師の診療を受けさせて重症発作を未然に回避する機会があったが生かされず、その結果、順之は治療を受ける機会を奪われ、喘息の重症発作により死に至った。
4 被告らの責任
(一) 被告東京都の責任
清水教諭らの行為は、公共団体の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて過失によって違法に他人に損害を加えたものであり、国家賠償法一条一項により、田無工業高校の設置者である被告東京都は右行為による損害賠償の責めを負うべきである。
また、竹永看護婦は被告会社だけでなく被告東京都の指導監督下にもあったので、被告東京都は竹永看護婦の使用者として民法七一五条に基づき原告らに対し損害を賠償する責任を負う。
(二) 被告会社の責任
(1) 被告会社は、前記のごとく、本件スキー旅行の事前準備を怠ったものであるから、民法七〇九条に基づき原告らに対し損害を賠償する責任を負うべきである。
(2) 被告会社は、竹永看護婦を雇用して本件スキー教室参加者の健康管理と看護に当らしめたものであり、同人の使用者たる地位を有するところ、同人の前記不法行為は、被告会社の事業の執行についてなされたものであるから、被告会社は竹永看護婦の使用者として民法七一五条に基づき原告らに対し損害を賠償する責任を負う。
(3) 被告会社は、本件旅行契約は旅行業約款中の手配旅行契約約款(以下「手配旅行約款」という)二条一項に規定する手配旅行契約であり、被告会社と竹永看護婦の間には雇用関係や指揮監督関係は存在しなかった旨主張する。
しかし、本件旅行契約が手配旅行約款にいう手配旅行契約に該当するか否かは必ずしも明らかではない。仮に、本件旅行契約が全体として手配旅行契約に該当するとしても、看護婦付添いサービスは旅行サービスに該当するものではなく、むしろ手配旅行約款二四条一項に規定する添乗サービスと同様の法的性格を持つものと解すべきである。すなわち、手配旅行約款二条一項は「代理、媒介又は取次をすること等により旅行者が運送・宿泊機関等の提供する運送、宿泊その他の旅行に関するサービスの提供を受けることができるように手配することを引き受ける契約」を「手配旅行契約」と定義し、そのサービスを「旅行サービス」と規定する一方、同約款二四条一項では「契約責任者からの求めにより、団体に添乗員を同行させ、添乗サービスを提供すること」があることを規定している。前者は手配された運送・宿泊機関等がサービスの主体であり、被告会社の債務の履行は手配の終了により完了するとされるのに対し、後者は被告会社自身がサービスの主体とされる。看護婦付添いの場合、バス会社やホテル等と異なり旅行業者からの独立性が乏しく、その業務の形態も添乗員と同様に旅行団体に常時同行し世話するというものであるので、付添看護婦は添乗員の一員ないし補助者とみる方が実態に即しており、看護婦のサービスは添乗サービスに準じるものと解するのが相当である。
特に本件の場合、被告会社は、多年にわたり訴外石田看護婦を幹事とする看護婦グループに付添看護婦の派遣を依頼しており、昭和六〇年ころから右グループの一員である竹永看護婦を被告会社の手配旅行に同行させ、本件スキー教室の前年である昭和六三年には、台湾を含め一一回、延べ五三日間も同行させる等、継続的日常的に竹永看護婦に付添を依頼しており、被告会社と竹永看護婦の間には非常勤の添乗員と同様の雇用関係が存在していた。竹永看護婦の報酬は被告会社が額を決定して直接支払っており、本件ホテルの宿泊代等も被告会社が負担していた。被告会社は、本件スキー教室のような団体旅行については「正看護婦がご集合より解散まで全行程に同行し、その費用についてはすべて当社が負担致します。」と宣伝して営業上の重要なセールスポイントとし、本件旅行費用見積書に「看護婦付添費用サービス」と記載して自らの費用と責任で看護婦を同行させることを明示している。また、被告会社は、竹永看護婦に対し、学校側と打ち合わせるよう指示している。
以上のとおり、竹永看護婦との看護婦付添いにかかる契約は田無工業高校ではなく終始一貫被告会社の名義と計算で行われており、田無工業高校側でも被告会社が看護婦付添いサービスを提供すると理解していたのであって、竹永看護婦が被告会社の指揮監督のもとで付添いサービスに従事していたことは明瞭である。
5 損害
(一) 順之固有の損害
(1) 逸失利益六三一三万九六六二円
順之は、死亡当時一六歳であり、田無工業高校を卒業する一八歳から六七歳までの四九年間稼働することが見込まれたところ、本件死亡により右期間に得べかりし収入を失ったものである。
賃金センサス昭和六三年第一巻第一表記載の男子の産業計・企業規模計・学歴計・年齢階級計の平均賃金は、年四五五万一〇〇〇円であり、就労可能年数四九年間の場合の新ホフマン係数を23.123として中間利息を控除し、生活費控除を四割として、得べかりし利益の現価を計算すると六三一三万九六六二円となる。
(2) 相続
原告らは、順之の右逸失利益を法定相続分に従い各二分の一ずつ相続した。
(二) 原告らの固有の損害
(1) 慰謝料 各自一〇〇〇万円
順之は死亡当時わずか一六歳であったこと、治療の機会すら与えられなかったこと、最後の発作の際の状況等をみれば、順之の無念ははかり難いものがある。原告らは、順之を健康に育てるべく仕事を犠牲にして長期聞転地療養をする等筆舌に尽くし難い努力を払い、本件スキー教室の際にも、田無工業高校の教師らに対し、順之に変わった点があれば必ず連絡するよう依頼し、旅行期間中は仕事を休んで自宅待機する等万全の注意を払っていた。
清水教諭らは、順之や原告らの意思に反して本件スキー教室参加を強要し、順之に医師の診療の機会を一度も与えずに死に追いやっておきながら、事実の隠蔽に躍起となる有様であり、何ら反省の姿勢はなく、かかる事故の再発を防止する決意を窺うことはできない。かくして原告らが被った精神的苦痛は甚大であり、到底金銭で慰謝できるものではないが、あえて金銭に評価すれば各自一〇〇〇万円を下ることはない。
(2) 葬儀費用 一八一万六一七二円
原告吉徳は順之の葬儀等のために次の費用を支払った。
ア 葬儀店への支払分 三一万九三〇〇円
イ 葬祭場への支払分 一万〇二四〇円
ウ 僧侶への支払分 六一万五〇〇〇円(戒名料二〇万円を含む。)
エ 参列者の接待、引出物費用 四七万一六三二円
オ 葬儀、通夜手伝いの謝礼 二〇万円
カ 仏檀 二〇万円
(3) 災害共済給付による免責額 各自三五〇万円
原告らは、順之の死亡見舞金として、日本体育・学校健康センターから七〇〇万円を受領した。
(4) 弁護士費用 各自三七五万円
原告らは、本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任し、弁護士費用として右損害合計額から右(3)の免責額を控除した額の約一割にあたる七五〇万円を支払う旨約定した。
6 よって、原告吉徳は、被告らそれぞれに対し、右不法行為に基づく損害として金四三六三万六〇〇三円、原告美津子は、被告らそれぞれに対し、右不法行為に基づく損害として金四一八一万九八三一円、及びこれらに対する不法行為の日である平成元年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び主張
(被告東京都の認否)
1 請求原因1(一)(二)の事実は認める。
同(三)の事実のうち、被告会社が田無工業高校に委託され本件スキー教室の企画を立案したことを認め、その余は不知。
2 請求原因2(一)の事実のうち、順之が昭和六三年四月田無工業高校に入学したこと、同年夏サッカー部の合宿に参加したことは認めるが、右合宿の際「大飯食い」を食べさせられたことは否認し、その余は不知。
同(二)の事実は否認する。
田無工業高校は、毎年、新一年生の保護者に対し生徒の健康調査の依頼をしており、順之の保護者であった原告らに対しても昭和六三年四月一一日に右調査を依頼したが、指示した期限までに提出がなく、その後の学校側の催促にもかかわらず未提出のままであった。
また、同年一二月二三日に行われたクラス面談の際に原告吉徳と面談した内容は主として成績のことであり、同原告から喘息症状の悪化の説明はなかった。
同(三)の事実は、本件スキー教室の参加人数を除き認める。参加生徒は二九六名、教師は一二名であった。
同(四)の事実中、原告らが保護者会に出席しなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。
なお、仮に清水教諭がスキー教室に可能な限り参加するよう教育的言動をとったとしても、その言辞の一端を捉えてスキー教室に参加するよう強要したとする原告らの主張は単なる言いがかりにすぎない。
同(五)の事実は認める。
同(六)の事実のうち、順之がスキー講習会を休んだこと、午前中はロビーで土器薗教諭らの仕事を手伝っていたこと、昼食を食べたこと、午後は保健室で休んだこと、夕食を食べたこと、夕食後保健室で一人で寝たこと、竹永看護婦が乾燥防止のため保健室の浴槽にお湯を張ったことを認め、その余は否認する。
同(七)の事実のうち、清水教諭と竹永看護婦が午前六時三〇分ころ巡回したこと、順之が午前七時三五分ころ廊下に出てきたところを本件ホテルの従業員に発見されたこと、急を聞いた教師や竹永看護婦らが駆けつけた時に順之の顔色が蒼白であったこと、菅平診療所の医師が駆けつけたこと、順之が救急車で上田市内にある柳澤病院に搬送され、同病院内で死亡したことは認めるが、順之がせきのため朝食を食べられない状態であったことは否認し、その余は不知。
同(八)の事実のうち、順之の死因が気管支喘息による急性心不全であることは認めるが、その余は不知。
3 請求原因3は否認ないし争う。
4 請求原因4の事実のうち、被告東京都が田無工業高校の設置者であることは認めるが、その余は争う。
5 請求原因5の事実のうち、順之が死亡当時一六歳であったこと、原告らが災害共済給付による見舞金として七〇〇万円を受領したことは認めるが、原告らが本件スキー教室の前に田無工業高校の教諭らに対し、順之に変わった点があれば必ず連絡するよう依頼したことは否認し、その余は不知。
(被告東京都の主張)
1 順之の死亡に至る経緯について
(一) 本件スキー教室の概要
(1) 実施場所 長野県小県郡真田町菅平高原
なお、田無工業高校は、本件スキー旅行の実施場所選定にあたり、四旅行業者に候補地の選定及び見積書の提出を依頼したうえ、昭和六三年三月一八日から一九日にかけて現地調査を行い、スキー講習会実施上の安全性に問題がないことを確認し、冬期季節診療所が設置されること、自動車で二〇分くらいの真田町内には内科医師がいること、看護婦一名の付添があること等を総合的に判断して、被告会社が選定し見積書を提出した菅平で本件スキー教室を実施することとした。
(2) 宿泊先 菅平サンホテル(本件ホテル)
(3) 行動計画
a 平成元年一月二三日(月)
午前七時一〇分 所沢駅東口集合
午後〇時三〇分 本件ホテル到着
午後二時〇〇分〜四時〇〇分 スキー講習会
午後四時〇〇分〜七時三〇分 用具点検・入浴・夕食
午後七時三〇分 健康調査(参加生徒全員に健康カードにより自己申告させ、異常があれば看護婦に相談する。以下同じ。)
午後八時〇〇分 室長会議
午後一〇時〇〇分 就寝・消灯
b 同月二四日(火)
午前六時三〇分 起床・健康調査
午前七時三〇分 朝食
午前九時〇〇〜一一時三〇分 スキー講習会
午前一一時三〇分〜午後一時三〇分昼食・休憩
午後一時三〇分〜四時〇〇分 スキー講習会
午後四時〇〇分〜七時三〇分 用具点検・入浴・夕食
午後七時三〇分 健康調査
午後八時〇〇分 室長会議
午後一〇時〇〇分 就寝・消灯
c 同月二五日(水)
午前六時三〇分 起床・健康調査
午前七時三〇分 朝食
午前九時〇〇〜一一時〇〇分 スキー講習会
午前一一時一五分 昼食・休憩
午後一時〇〇分 本件ホテル出発
午後六時〇〇分 所沢駅東口到着
(二) 生徒の健康管理に対する田無工業高校の取り組みと原告らの対応
(1) 田無工業高校では、前記のように毎年新一年生の保護者に対し、生徒の健康調査の依頼をしており、順之についても、清水教諭は、昭和六三年四月一一日、原告らに対し生徒健康調査票の提出を依頼したが、原告らはこれを提出しなかった。
同月下旬のクラス全員の個別面談の際、順之は、清水教諭に対し「子供のときから喘息であるが、現在は元気で、サッカーで体を鍛えている。」と説明した。
(2) 同年一二月二三日、原告吉徳は、清水教諭と順之の成績について面談した際、「昔喘息だったが、今は大分よくなっている。二学期に肺炎になって体調を崩したが、それも良くなったので三学期以降頑張らせたい。」などと話したが、スキー教室についての質問とか、同教室において順之の健康に特に配慮を依頼する旨の話は一切しなかった。なお、順之は、二学期は一七日間欠席した(肺炎五日、喘息四日、風邪四日、体調不良二日、無断欠席二日)が、三学期は元気に登校し、休みは全然なかった。
(3) 平成元年一月一〇日、順之を通じて原告らに対し「保護者会のお知らせ」を配布し、保護者会への出欠票及びスキー教室参加確認書を提出するように指示した。
同月一一日、参加予定者全員に健康調査票を記入提出させた。
同月一三日、右健康調査票を踏まえ、校医(内科医)によるスキー教室健康診断を実施したところ、校医は、順之の喘息を知ったうえで「参加可」と判断した。
(4) 同月一四日、保護者会を実施し、スキー教室の説明等を行った。原告らは出席予定となっていたが、何の連絡もなく欠席した。
(5) 同月一五日、原告らと順之はよみうりランドにスケートに行ったが、順之は元気で体調は悪くなかった。
(6) 同月一八日、清水教諭は、スキー教室のしおりを順之を含む参加生徒全員に配布説明し、特に順之ら持病のある生徒数名に対しては、心配のある者は医者に相談し、服用中の薬は忘れず持参服用するよう個別に指導した。
同月二一日、中沢教諭は竹永看護婦と生徒の健康管理に関し電話で打ち合わせた。さらに、土器薗教諭は、同月二三日、竹永看護婦に対し、前記健康診断の結果に基づき中沢教諭が作成した生徒の健康に関する資料等を交付し、生徒の健康管理の方法について打ち合わせた。
(7) 一方、順之は、本件スキー教室の実施の直前になって急遽参加すると言い出したが、その際原告ら主張のように、清水教諭が、原告らから、どのような些細なことでも必ず連絡するようにとの特別の依頼を受けたことは一切なかった。
したがって、清水教諭は、順之に喘息の持病があることを知っていたが、本件事故のような死亡につながる可能性がある病気であることを知る由もなかった。
(三) 順之の状況
(1) 平成元年一月二三日(初日)
順之に異常はなく、喘息発作の徴候はなかった。
(2) 同月二四日(二日目)
清水教諭は、午前六時三〇分ころ、生徒の起床を促すため各部屋を巡回した際、順之に対し「大丈夫か。」と問いかけ、順之は「明け方ちょっとせきが出たが、大丈夫です。」と答えた。順之は、その際、咳をしていなかったが、清水教諭が一応朝食まで休むよう勧めたため、これに従ってロビーの椅子に座っていた。
順之は、朝食時にも特に異常はなかった。
清水教諭は、午前八時ころ、念のため竹永看護婦に順之を診てもらったが異常はなかった。
順之は、午前八時三〇分ころ、スキー講習会出席を確認する際、悪天候による風邪の悪化を心配した清水教諭から、午前中はスキー講習会を休むよう勧められたため、これに従いスキー講習会を休むこととし、本部となっていたロビーにおいて、練習記録の整理など土器薗教諭らの手伝いをしていた。
順之は、昼食時には食事をした。
午後になっても天気はよくならなかったので、清水教諭は大事をとって順之に午後のスキー講習会も休むように勧め、順之はこれに従って講習会を欠席し、手伝う仕事もなかったため、午後二時ころ、保健室に行った。
竹永看護婦がポットにお湯を入れて保健室に持っていった時、順之はベッドでテレビ等を見ながら、持参した缶詰を食べて休んでいた。
その後、スキー講習会が終了すると、順之も自分の部屋に戻り売店で買い物をしたりしていた。
順之は、夕食を食べ残していたが、他の生徒と比べて目立つほどではなかった。
順之は、午後七時三〇分の健康調査の際、健康チェックカードの「せき・のどの痛み」の項目欄に○印を付けたため、清水教諭が確認したところ、「それは朝のことで、今は大丈夫。」と答えた。
清水教諭は、順之が当日スキー講習会に参加していないため他の生徒と話題が異なり疎外感を持つと心配し、ゆっくり休んで翌日のスキー講習会には参加してもらいたいと考え、順之が皆と一緒に寝たくないと希望したこともあって、午後九時ころ、それまでミーティングに参加していた順之に保健室で寝るよう指示した。
清水教諭が、午後一一時ころ、各部屋の生徒の就寝を確認したとき、順之はテレビを見ていた。その後保健室を来訪した竹永看護婦は、乾燥防止のため浴槽にお湯を張ったが、その際、順之はテレビを見ており変わった様子はなかった。
竹永看護婦が、午前一時過ぎ、保健室を覗いたところ、順之はよく寝ていた。
(3) 同月二五日(最終日)
竹永看護婦が、午前六時過ぎ、保健室に行くと、順之は「いつもと同じ。せきが少し出たが、大丈夫。」と答えた。
清水教諭が、午前六時三〇分ころ、各部屋を巡回したとき、順之は「昨日と同じように少しせきが出たが、今は大丈夫。」と答えた。清水教諭は、咳を現認しなかった。
午前七時ころ、竹永看護婦が朝食はどうするか聞くと、順之は「腹がすいていないから食べたくない。」と答えたので、「後でパンを持って来てあげる。」と伝えて、午前七時一五分ころ同部屋から去った。
午前七時三〇分ころ、順之が「苦しい。助けて。」と言いながら保健室から廊下に出てくるのを本件ホテルの従業員が発見した。竹永看護婦は直ちに人工呼吸等の応急手当をし、午前七時五〇分ころ到着した菅平診療所の医師が心臓マッサージ等の処置を始めた。午前八時ころ到着した救急隊が、午前八時四五分ころ、順之を上田市内の柳澤病院に搬入したが、順之は、午前九時一一分ころ、急性心不全で死亡した。
(四) 田無工業高校の教師らの過失の不存在
(1) 学校教育において生徒の生命、身体、健康等の危険を防止する義務の内容及び程度は、当該教育活動の内容及びそれが有する危険性の程度と、生徒の心身の発達に伴う判断能力とを総合的に勘案し、具体的状況下で事故発生の予見可能性があり、被害者自身による回避が困難であるため学校側で回避措置をとるよう社会通念上期待されるか否かによって定められるべきである。
本件スキー教室は高校生を対象とした教育活動であるから、学校側に小中学生を対象とした教育活動を行う場合と同様の高度かつ厳密な看護義務を要求することはできない。
(2) 原告らは、学校側が本件スキー教室の企画の段階で健康管理のための綿密な計画を立案し必要な体制を整えるべきであったのに、清水教諭らはこれを怠った旨主張する。
しかし、スキー教室は健康面等で支障のない生徒を参加させるものであるから、学校側に喘息患者に対する高度かつ救急の医療体制が整っているスキー場を選定する義務はない。清水教諭らは、生徒及びその保護者に対しガイダンスを行い、持病のある生徒に対し医師に相談して参加するよう指導し、スキー教室健康診断も実施していた。高校一年生という年齢も考慮すれば、田無工業高校の生徒に対する健康管理のための計画は必要にして十分なものであった。また、学校側は竹永看護婦と打ち合わせ、参加する生徒の健康状態に関する資料も交付している。そもそも、スキー教室の実施にあたっては、法令上看護教諭ないし看護婦の付添いは義務づけられていない。
(3) また、原告らは、清水教諭らとしては、順之に平成元年一月二四日の朝から喘息発作の特徴的症状が現れていたし、事前に原告らから特別の依頼を受けていたのだから、直ちに原告らに連絡をとって順之の症状を正確に把握し医師の診断を仰ぐ等の措置をとるべきだったのに、清水教諭らは病状の進行を軽視し、右義務を怠ったと主張する。
しかし、清水教諭らは、本件スキー教室前から順之に喘息の持病があることを一応知っていたが、原告らからこの点に関し原告ら主張のような特別の配慮を求められたことはなく、順之自身もそのような申告をせず学校内で喘息発作を起こしたこともなかったため、順之の喘息の持病が特に注意を要するものとは認識していなかった。平成元年一月二五日に予期できない重症発作を起こすまで順之に特に異常な点はなく、しかも本件スキー教室中順之から清水教諭らに対し喘息の悪化を予想させる話は一切出ていない。順之の死亡は重症発作が発生してから極めて短時間に死の転帰をとった突然死ないしこれに近い死亡であり、予見可能性がないことはもちろん、結果回避の可能性もなかった。
(五) 過失相殺
仮に、被告東京都に何らかの責任があるとしても、本件死亡事故発生について順之及び原告らには以下のような過失がある。
すなわち、順之は、学校側から健康状態に異常がある場合申し出るよう指導されていたのに、自己の喘息の症状について適切に伝えず清水教諭ら及び竹永看護婦の判断を誤らせた。また、原告らは、清水教諭らに対し順之の健康状態について適切な情報を提供せず、そのうえ順之に対して教諭らに自己の健康状態を報告するように指導せずに、清水教諭ら及び竹永看護婦の判断を誤らせ、本件事故の発生の回避を不可能とした。
(被告会社の認否)
1 請求原因1(一)(二)の事実は認める。
同(三)の事実のうち、被告会社が田無工業高校に委託され本件スキー教室の企画を立案したことは認め、その余は否認する。被告会社は竹永看護婦を雇用していたわけではない。
2 請求原因2の事実のうち、同(三)の事実、並びに同(七)の事実のうち順之が死亡したことは認めるが、その余はすべて不知。
3 請求原因3の事実のうち、被告会社が田無工業高校と本件旅行契約を締結したことは認め、その余は否認ないし争う。
4 請求原因4は争う。
5 請求原因5の事実は否認する。
(被告会社の主張)
1 本件旅行契約の性質
旅行業者は大量の旅行契約を迅速に処理するため旅行業約款を定めるが、旅行者の保護のため運輸大臣の認可が必要とされている(旅行業法一二条の二第一項)。運輸大臣は標準約款を定め、旅行業者がこれと同一の約款を制定するか、同一の内容に既存の約款を変更した場合、右認可を受けたものとみなされる(同法一二条の三)。右標準旅行業約款上、旅行契約には主催旅行と手配旅行の二種類がある。
本件旅行契約は手配旅行約款二条に規定する手配旅行契約である。手配旅行契約とは、旅行業者が旅行者の委託により旅行者のために代理、媒介又は取次を行い、旅行者が運送、宿泊等の旅行に関するサービス(以下「旅行サービス」という)の提供を受けられるよう手配することを引き受けるものであり、自ら旅行サービスを提供することを引き受けるものではないので、旅行サービスの手配により手配旅行契約に基づく被告会社の債務の履行は終了する。本件旅行契約は、被告会社自らが看護婦を雇用して旅行参加者の健康管理と看護にあたらせることを契約内容とするものではなく、旅行サービスに該当する看護婦付添いサービスの提供を受けられるよう手配することを引き受けるにとどまるものであるから、付添看護婦は被告会社の指揮監督に服する立場になかった。
原告らは、本件旅行契約が全体としては手配旅行契約に該当するとしても、看護婦付添いは添乗サービスと同様の性質を持つと解するのが相当である旨主張する。しかしながら、添乗サービスは、約款上の特則に基づく唯一の例外として被告会社自身がサービスを提供するものであり、看護婦付添いサービスを添乗サービスに準じて扱うことはできない。また、保健婦助産婦看護婦法によれば具体的看護行為は看護婦の独立行為とされており、看護サービスは看護婦が独立して提供するサービスであるから、看護婦を添乗員の一員ないし補助者とみることはできない。
2 被告会社と竹永看護婦との関係
被告会社は、竹永看護婦を雇用していない。
田無工業高校は、昭和五九年ころスキー教室を実施した際、多数の生徒が風邪をひき苦労したことがあったため、本件スキー教室にあたり看護婦を手配することを被告会社に要望した。そこで、被告会社は付添看護婦グループの幹事に依頼し、その紹介で竹永看護婦を手配したにすぎない。竹永看護婦は他の旅行業者の旅行にも付き添っており、被告会社と支配服従関係になかった。
竹永看護婦の報酬は、平成元年一月二五日、被告会社が支払ったが、右報酬は田無工業高校から受け取った旅行代金から支払ったものである。一般に手配旅行における旅行サービス提供者に対する報酬の支払は旅行者が被告会社に対し旅行代金を一括して支払い、被告会社が各旅行サービス提供者に対し報酬を支払う方法で行うこととなっており、本件旅行費用見積書の「看護婦付き添い費用サービス」との記載は、看護婦付添費用については旅行代金に含めず、旅行代金総額を値引減額するという趣旨にすぎない。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 当事者
請求原因1(一)(二)の事実は、当事者間に争いがない。
請求原因1(三)の事実のうち、被告会社が田無工業高校に委託され、本件スキー教室を企画立案したことは、当事者間に争いがない。
二 順之の死亡に至る経緯
1 本件スキー教室は田無工業高校が一年生全員を対象として企画実施したものであり、平成元年一月二三日から同月二五日までの二泊三日の日程で長野県小県郡真田町菅平高原において行われたこと、順之は同月二五日死亡したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
2 順之が昭和六三年四月田無工業高校に入学したこと、サッカー部の夏合宿に参加したこと、平成元年一月二三日健康状態に特に異変はなかったこと、同月二四日午前中スキー講習会を休んで本件ホテルのロビーで土器薗教諭らの仕事を手伝っていたこと、同日の昼食を食べたこと、同日午後保健室で休んでいたこと、同日の夕食を食べたこと、その後保健室で一人で寝たこと、竹永看護婦が保健室の乾燥防止のため浴槽にお湯を張ったこと、清水教諭及び竹永看護婦が同月二五日午前六時三〇分ころ保健室に様子を見に行ったこと、順之は同日午前七時三五分ころ保健室前の廊下において本件ホテルの従業員に発見されたこと、急を聞いた教師や竹永看護婦らが駆けつけた時に順之の顔面は蒼白であったこと、菅平診療所の医師が駆けつけたこと、順之は救急車で柳澤病院に搬送されたこと、順之の死因は気管支喘息による急性心不全であること、以上の事実はいずれも原告と被告東京都の間に争いがない。
3 右争いのない事実に、成立に争いのない甲第三、第六、第一〇号証、第一五号証の一、二、丙第二号証の二、原本の存在とその成立に争いのない甲第二、第四号証、乙第二号証の一、丙第四五号証、証人雨宮正和の証言とこれにより真正に成立したものと認められる甲第七号証、証人近藤保の証言とこれにより真正に成立したものと認められる甲第八号証の一ないし三、証人須藤寛の証言とこれにより真正に成立したものと認められる乙第二号証の二、第四号証の一、二、第五ないし八号証、証人土器薗進及び同清水昭弘の各証言並びにこれらにより真正に成立したものと認められる丙第三号証の一、二、第六号証、右証人土器薗の証言により真正に成立したものと認められる丙第四号証、第五号証の一、二、第八、第九、第一二号証、右証人清水の証言により真正に成立したものと認められる丙第七号証の一ないし三、第一三、第一九、第二三号証、証人竹永梅子の証言とこれにより真正に成立したものと認められる丙第一一、第二四号証、原告吉徳本人尋問の結果とこれにより真正に成立したものと認められる甲第九、第一六号証、原告らと被告東京都との間では成立について争いがなく、原告らと被告会社との間では原告吉徳本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一一、第一二号証、原告らと被告東京都との間では伊豆鉄次郎作成部分の成立について争いがなく、柳澤文哉作成部分については証人藤沢君子の証言により真正に成立したものと認められ、原告らと被告会社の間では右証人藤沢の証言により真正に成立したものと認められる甲第一三号証、原告らと被告東京都との間では鳥生忠祐及び山本裕夫作成部分の成立について争いがなく、柳澤文哉作成部分については弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められ、原告らと被告会社の間では弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一四号証の三、弁論の全趣旨により原本の存在が認められ、保護者会に出席する趣旨の記入部分を除き成立に争いのない丙第二号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一四号証の二、丙第一、第一四、第一五、第二〇号証、第二五号証の一ないし七、第二六号証、第二七ないし三〇号証の各一、第四三号証、原告吉徳本人尋問の結果により山本裕夫が平成三年一〇月一日本件ホテルを撮影した写真であることが認められる甲第五号証の一ないし一五、撮影場所が本件ホテルであることに争いはなく、右証人清水の証言により清水昭弘が平成三年一二月一日撮影した写真であることが認められる丙第二一号証、弁論の全趣旨により大久保健が平成元年一月二三日本件ホテル付近を撮影した写真であることが認められる丙第二七号証の二、弁論の全趣旨により大久保健が平成元年一月二四日本件ホテル内の食事風景を撮影した写真であることが認められる丙第二八号証ないし三〇号証の各二、並びに右証人藤沢君子の証言及び検証の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
(一) 順之の病歴
順之は五歳ころ喘息を発症し、原告らは長野県に転居して順之の転地療養に専念した。その結果、順之の喘息は改善し発作もほぼ収まったので、原告らは、昭和六一年夏ころ、当時中学二年生であった順之とともに帰京した。
順之は、昭和六三年四月、田無工業高校に入学したが、同年九月以降、喘息が悪化して欠席や早退が目立つようになり、同年一一月一九日から同月二四日まで喘息発作のため昭和病院に入院し、退院後も同病院に通院して喘息の治療を受けた。
(二) 順之の病歴に関する清水教諭及び田無工業高校側の認識
順之は、昭和六三年四月の個別面談の際、クラス担任の清水教諭に対し、「子供のときから喘息ですが、現在は元気でサッカーをして体を鍛えている。」と説明した。その後、一学期中に行われた全校健康診断の際等でも、順之の健康状態には特に異常はみられなかった。
清水教諭は、同年九月以降の二学期に入って順之の欠席が目立ち始めた際、喘息が原因であることは認識していたものの、順之が昭和病院の緊急外来を受診したり、同病院に通院し治療を受けていることを原告ら及び順之から報告されていなかった。順之の二学期の欠席は一七日間であるが、学校側では、うち五日はマイコプラズマ肺炎、四日は喘息、四日は風邪、二日は体調不良、二日は無断欠席であると認識していた。
清水教諭は、二学期に入って順之の成績が下がったため、同年一二月二三日、原告吉徳と面談し、順之の成績について話し合いの機会をもった。その際に、原告吉徳は、順之の既往症について「昔喘息だったが、今は大分よくなっている。二学期に肺炎になって体調を崩したが、それもよくなったので三学期以降頑張らせたい。」と説明した。
以上のような経緯から、清水教諭は、二学期までの時点において、順之の喘息の持病が特別に配慮が必要な状態にあるとは考えていなかった。
(三) 本件スキー教室の概要
本件スキー教室は、移動教室と称し、田無工業高校の一年生を対象とした同高校の教育活動の一環として、平成元年一月二三日から二五日まで二泊三日の日程で、長野県小県郡真田町菅平高原において行われた。その概要は、被告東京都の主張1(一)のとおりであり、田無工業高校では、清水教諭らが、昭和六三年三月ころ、本件スキー教室のため現地調査を行ったうえ、被告会社の見積り中に看護婦の付添いサービス(無料)があること等も考慮して菅平高原を本件スキー教室の実施地に選定した。
(四) 順之が本件スキー教室に参加するに至る経緯
清水教諭らは、平成元年一月一〇日、順之を通じて原告らに対し、本件スキー教室の説明のための「保護者会のお知らせ」を配布し、保護者会出欠票及びスキー教室参加確認書の提出を促した。
順之は、同月一一日、清水教諭らの求めに応じて、健康調査票を記入提出し、同月一三日、右健康調査票に基づいて実施された校医によるスキー教室健康診断を受診して、スキー教室に参加できると診断された。しかしながら、この時点では、原告ら及び順之は喘息の悪化を心配して本件スキー教室に参加しないこととしていたので、同月一四日、前記保護者会が開かれた際にも、原告らは出席しなかった。
順之は、同月一五日、原告らとともによみうりランドにアイススケートに行ったが、その際も元気で体調は特に悪くなかった。
清水教諭は、同月一八日、スキー教室のしおりを順之のクラスに配布説明し、順之ら持病のある生徒数名に対し医者に相談し服用中の薬は忘れず持参するよう指導した。
この頃、順之は、従前より清水教諭から本件スキー教室に参加しないと「単位をやらない。」等と言われていたため、不本意ながら直前になって突然スキー教室に参加すると言い出した。
順之の右意向を受けた原告らは、同月一九日、順之を昭和病院に行かせ、同病院の医師からスキー教室に参加させても特に支障はない旨の診断を得たので、急遽順之を本件スキー教室に参加させることとした。
他方、田無工業高校で養護を担当する中沢教諭は、同月二一日、竹永看護婦と本件スキー教室中の生徒の健康管理について電話で打ち合わせた。さらに、同月二三日、本件スキー教室出発後、バスの車中で田無工業高校の横屋教諭が竹永看護婦に「スキー教室前の健康診断の結果」等の資料を交付するとともに、本件ホテル到着後、土器薗教諭が竹永看護婦に対し前記健康診断の結果に基づいて中沢教諭が作成した資料等を交付し、生徒の健康管理について打ち合わせた。
(五) 本件スキー教室の順之の病状
(1) 順之は、平成元年一月二三日、健康状態に特に異変はなく、スキー講習会に参加した。
(2) 順之は、同日深夜ないし同月二四日の早朝、発作が始まり喘鳴があった。順之の隣で寝ていた訴外雨宮正和は、同月二三日深夜順之がゼイゼイと音を立てながら苦しそうに呼吸していることに気付き、同室の訴外近藤保は、同月二四日早朝順之が苦しそうに咳き込んでいることに気づいたが、いずれもそのことを清水教諭らに報告しなかった。
清水教諭は、同日午前六時三〇分ころ起床を促すため各部屋を回った際、順之に対し「大丈夫か。」と質問したが、順之は「明け方ちょっとせきが出たが、大丈夫です。」と答えた。
順之は同日の朝食をとらなかった。
竹永看護婦は、同日午前八時ころ、清水教諭の依頼により順之に対し検温、問診等を行い、「スキー教室中疾病記録」(丙第一一号証)に「喘息(+)」と記入し、持参の薬を服用したことを確認のうえ、安静を指示した。その際、順之は特に咳をしている様子はなく、顔色も普通であった。
清水教諭は、その後、順之に対し午前中のスキー講習会を休むよう勧め、順之は、右勧めに従い午前中のスキー講習会を欠席して、ロビーで土器薗教諭らの仕事を手伝っていた。
順之は、昼食をとったものの、午後のスキー講習会も清水教諭の勧めに従って休み、同日午後二時ころから保健室で休んでいた。
順之の友人である前記近藤及び雨宮は、同日夕方ころ廊下で順之とすれ違った際、順之が肩で呼吸しながら手を胸にあてて下向き加減で歩いており、顔色も悪かったため、「大丈夫か。」などと声をかけたが、順之は何も答えず下を向いたまま立ち去った。近藤及び雨宮は、順之が保健室にでも行くのだろうと考え、順之の症状を清水教諭らに報告しなかった。
順之は、同日夕食を半分ほど食べた後、保健室で一人で休んだ。
竹永看護婦は同日午後一一時ころ保健室に赴き、乾燥を防止するため保健室の浴槽にお湯を張ったが、その際、順之は特に咳をしている様子はなかった。
なお、清水教諭は、順之に対し原告らに電話連絡するよう勧めたところ、順之は家に電話すると心配するからと言って従わなかった。
(3) 順之は、同月二五日の朝、喘息発作を起こし、朝食を食べられない状態となったが、竹永看護婦が同日午前六時ころ様子を見に行った際も、清水教諭が同日午前六時三〇分ころ保健室に行って様子をみた際も、「少しせきがでたが、大丈夫。」と返答していた。
順之は、同日午前七時三五分ころ、清水教諭ら及び竹永看護婦が朝食のために食堂に行き順之から目を離した間に致命的な発作を起こし、廊下に倒れているところを本件ホテルの従業員に発見された。
順之は、この時すでに顔面蒼白で意識を失っており、竹永看護婦らによる気道確保等の処置及び菅平診療所の医師による強心剤投与等の応急処置が施された後、本件ホテルの通報で同日午前八時過ぎに到着した救急車に乗せられ、同日午前八時四五分ころ、長野県上田市内にある柳澤病院に搬送されたが、同日午前九時一一分、同病院内において死亡した。
原告吉徳は、同日朝、清水教諭から救急車が到着した旨の電話連絡を受け、その内容が要領を得ないのでとりあえず順之を迎えに行くこととし、東京を出発して同日午後一時すぎ小諸の近くから本件ホテルに電話して初めて順之の死亡を知らされた。
(六) 順之の死因
順之の直接の死因は、気管支喘息による急性心不全である。
一般に、気圧、温度、湿度等の気候の変化、肉体的運動等は喘息の誘発要因となり、また、喘息の呼吸困難の発作は夜間特に明け方に多く、軽いときは喘鳴がある程度だが、重いときには患者は起座し上半身を前方に軽く曲げて手で上半身を支えるような姿勢をとる(起座呼吸)。喘息の経過は一般に頑固で発作を反復し、重症例にあっては呼吸困難は持続性となり衰弱により発作中に死亡したりすることもある。
以上のとおり認められる。
4 右の点に関し、原告らは、昭和六三年一二月二三日の原告吉徳と清水教諭との面談の際、同原告が順之の喘息症状の悪化を説明した旨主張するが、右当日の両者の面談内容は前認定のとおりであって、その際に、同原告が順之の喘息症状が悪化しているとか、同人の健康に特別に配慮してほしいなどと説明したものとは認められない。
また、原告らは、平成元年一月一九日ころ順之を本件スキー教室に急遽参加させることに決めた際、原告吉徳が清水教諭に架電し、喘息が心配なのでどんな些細なことでも必ず連絡してくれるようにとの特別の依頼をした旨主張し、前記原告吉徳本人尋問の結果及び甲第一六号証中には右主張に沿う供述・記載部分がある。しかしながら、前記甲第一一、第一二号証(順之死亡直後に原告らと清水教諭、土器薗教諭らとの会話を録音したテープの反訳文)によれば、原告らは順之死亡直後である同月二九日及び同年二月二三日に清水教諭らと会談した際にも原告ら主張のような特別の連絡依頼をしたことを前提に話をしていないことが認められ、これと前記証人清水の証言及び丙第一三、第四三号証に照らすと、原告吉徳の右供述及び記載部分はたやすく信用することができず、他に原告ら主張の右事実を認めるに足りる証拠はない。
また、原告らは、同月二四日の発作は重篤なものであって、順之は起座呼吸を強いられ吸引器を離さなかった旨及び同日夜の順之の症状は予断を許さない状況にあった旨主張する。たしかに、前記甲第七号証、第八号証の三並びに証人近藤及び同雨宮の各証言によれば、前認定のごとく、同日早朝喘息発作があったこと及び同日夕方順之が具合悪そうにしていたことは認めることができるが、右各証拠によっても、順之の症状が原告らの主張するような重篤な発作であり、しかもそのような発作状態が継続したことまでを認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。なお、前記丙第一一号証(スキー教室中疾病記録)によれば、本件スキー教室中に竹永看護婦が作成した疾病記録中には同月二四日朝の時点で順之に喘息発作があったとの主張に沿う記載があることが認められるが、前記丙第二四号証及び証人竹永の証言によれば、右疾病記録の同日午前八時一三分の欄の「喘息」との記載は、順之が咳があったことを申告したところ、竹永看護婦が順之の咳は現認していないが、順之に発熱、のどの発赤等風邪の症状がなかったこともあり、喘息と推断して記載したにすぎないこと、同日午後一〇時三〇分の欄の「喘息発作(朝のみ)」との記載は、当日午後一一時からのミーティングにおいて報告するため午前中に順之から聴取した内容を記載したものであること、同月二五日午前六時三〇分の欄の「喘息発作」との記載も、順之が「せきがでた。」と申告したため、竹永看護婦は右の咳を現認したわけではないが、前日と同様の理由で記載したにすぎないことが認められるのであって、右記載をもって直ちに順之の症状が重篤な発作であり、そのような発作状態が継続したとの事実を認めることはできない。
他方、被告東京都は、同月二四日に清水教諭が順之にスキー講習会を休むよう勧めたのは順之が風邪を引くことを心配してのことである旨及び同日夜清水教諭が順之を保健室で休ませたのは、順之の疎外感を心配し翌日のスキー講習会には参加してもらいたいと考えたこと、順之自身他の生徒と一緒に寝たくないと希望したことによる旨主張し、前記証人清水の証言及び前記丙第一三号証中には右主張に沿う供述・記載部分があるが、前認定事実及び甲第一一号証によれば、清水教諭が順之に喘息の持病があることを念頭に置いて右各処置をとったのは明らかであって、右各供述・記載部分は、にわかに措信できない。
三 被告東京都の責任について
1 以上の認定事実をもとに被告東京都の責任について判断するに、本件スキー教室が課外活動として田無工業高校の教育活動の一環をなすことは前認定のとおりであり、清水教諭ら教育活動にあたるすべての教諭には、本件スキー教室を実施するにあたり、順之ら生徒全員の生命・安全を保護すべき一般的な注意義務があることはいうまでもない。しかし、右義務の具体的な内容及び程度は、一方において当該教育活動の内容やその危険性の程度、他方において高校生たる生徒自身の判断能力・自己申告能力等を総合するとともに、喘息の持病を有する等の特別の事情のある生徒については、生徒自身及びその保護者が右事情をどの程度学校側に周知させていたかをも考慮したうえで決せられるべきものと解するのが相当である。
2 事前準備における清水教諭らの過失について
原告らは、田無工業高校側は、本件スキー教室の企画の段階で健康管理のための綿密な計画を立案して必要な体制を整えるべきであったのに、これを怠った旨主張する。
しかし、前記丙第四、第六、第一二、第一三号証、証人土器薗及び同清水の各証言によれば、本件スキー教室は、参加予定の生徒に対する健康診断等を実施したうえ、健康上特に問題のない生徒のみを参加させることを前提に企画立案されたものであることが認められ、清水教諭らとしては、右事実を前提として本件スキー教室中の参加生徒の健康管理を立案準備すれば足りるというべきである。そして、前認定のごとく、清水教諭らは事前の現地調査を行い、比較的付近に病院があることを確認し、また被告会社の見積り中に看護婦の付添いサービスがあること等も考慮して菅平高原における本件スキー教室を企画立案し、生徒及びその保護者に対し健康管理のためのガイダンス等を実施したうえで本件スキー教室を実施したのであるから、田無工業高校側に本件スキー教室の事前準備にあたり懈怠があったということはできない。
この点に関し、原告らは、清水教諭らとしては、順之のように健康面で不安のある生徒を、寒冷地で健康への影響が懸念されるうえ緊急医療体制も万全ではない菅平高原に連れて行く以上、それを前提として健康管理の対策を立てるべきであったのに、これを怠った旨主張する。
しかし、清水教諭は、本件スキー教室実施以前の昭和六三年一二月二三日における原告吉徳との面談の際に、順之に喘息の持病があることを認識していたものの、同原告から、順之の健康に特別に配慮が必要な状態にあるとまで告知されていたとは認められないこと、また、平成元年一月一九日ころ、原告ら及び順之が順之の喘息発作の症状を的確に清水教諭ら学校側に伝え、順之の健康に特段の配慮を要請したと認めるに足りる証拠はないことは、いずれも前記のとおりであるから、清水教諭らに順之の喘息に特に考慮したうえ事前に安全対策を立案準備する法的義務があったということはできない。
したがって、原告らの右主張にかかる事前準備の過失を認めることはできない。
3 搬送義務違反について
原告らは、清水教諭及び竹永看護婦としては、本件スキー教室中も生徒の健康状態に留意し、親や医療関係者とも相談のうえ、適切な治療を受けさせるべきであり、平成元年一月二四日から同月二五日にかけて順之の喘息発作が進行し致命的な重症発作が生じる過程で、順之の症状の悪化を予見し医師の診療を受けさせて重症発作を回避すべく順之を医師のもとに搬送すべきであったのに、これを怠った旨主張する。
同月二四日朝、順之に喘息発作があったこと及び同日夕方順之が具合悪そうにしていたこと、並びに同日の順之の症状経過は前認定のとおりである。しかし、本件全証拠によっても、右発作が死亡につながる重篤な発作であるか、又は継続的に進行して行く重篤な発作であったことを認めるに足りず、順之の死因となった同月二五日午前七時三五分の喘息発作が突発的な重症発作であった可能性を否定できない。さらに、一般的に喘息の持病を有する者が、突発的に重症発作を惹起して死亡する蓋然性が高いとの事実を認めるに足りる証拠はないことに加え、前認定のごとく、昭和六三年一二月二三日の原告吉徳の説明やスキー教室参加前の順之の申告等の内容から、清水教諭は順之の喘息の持病が特に配慮を要する状態にあると認識できる状況にはなかったこと、本件スキー教室中においても順之が清水教諭らや竹永看護婦に対し必ずしも正確に自己の症状を訴えてはおらず、また、順之の具合悪そうな状態を現認した前記近藤及び雨宮もこれを清水教諭らに告げなかったことに徴すると、清水教諭及び竹永看護婦において、順之が喘息の重症発作によって死亡する危険性を平成元年一月二四日から同月二五日朝にかけてのいずれかの時点で予見することができ、また予見すべきであったと断ずることはできないから、以上のような事情を前提とすれば、未だ原告ら主張にかかる搬送義務違反を認めるには足りないというほかない。
4 竹永看護婦の過失について
原告らは、竹永看護婦としては、事前に参加者中の有病者の有無を確認すべきであったのに、これを怠り(事前準備義務違反)、また本件スキー教室中も参加生徒の健康状態・病状に注意し、必要に応じて順之を設備の整った病院に搬送し、医師の診療を受けさせるべきであったのに、これを怠った(搬送義務違反)過失があると主張する。
このうち竹永看護婦に搬送義務違反があったと認めることができないのは右3で説示したとおりである。また、事前準備義務違反の点についても、前認定のとおり、竹永看護婦は、平成元年一月二一日、田無工業高校養護担当中沢教諭と電話で打ち合わせ、同日二三日スキー教室出発後のバスの車中で同校の横屋教諭から参加生徒の健康診断に関する資料を受け取り、本件ホテル到着後は土器薗教諭と資料に基づき生徒の健康管理について打ち合わせを行っているものであるから、参加者中の有病者の有無及び疾病の程度につき一応把握していたものというべきであり、竹永看護婦の事前準備に欠けるところがあったとまでは認めることはできない。
そうすると、竹永看護婦が不法行為責任を負うことを前提として、被告東京都が民法七一五条に基づく責任を負うという原告らの主張は、その前提を欠くこととなって理由がない。
四 被告会社の責任について
原告らは、被告会社としては、本件旅行契約を締結し被告会社の責任で看護婦を同行させ、本件スキー旅行に参加した生徒の健康管理にあたらせることを約した以上、予め竹永看護婦と学校側の打ち合わせの機会を確保する等の事前準備を行うべきだったのに、これを怠ったのであるから、被告会社自身が民法七〇九条の不法行為責任を負う旨主張する。
しかし、前記甲第二号証、乙第二号証の一、二、丙第一四、第一五号証、成立に争いのない乙第一二号証の一ないし四、証人角田和正の証言とこれにより真正に成立したものと認められる乙第一一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一号証、並びに前記証人須藤及び同竹永の各証言によれば、本件旅行契約は手配旅行約款にいう手配旅行契約であり、被告会社としては旅行者である田無工業高校が看護婦付添い等の旅行サービスを享受できるよう旅行サービス提供者を手配すれば足り、被告会社自身が付添い看護婦等を雇用し、又は使用して旅行サービスの提供者となるものではないこと、及び被告会社と竹永看護婦の間には使用者責任の成立を認めるべき実質的な指揮監督関係もなかったことがそれぞれ認められる。したがって、被告会社には、竹永看護婦と学校側の事前打ち合わせの機会を確保する等の事前準備をする義務があるとはいえないから原告らの右主張は理由がない。
もっとも、前記乙第二号証の二、丙第八号証によると、本件旅行費用見積書中には「看護婦付き添い費用サービス」との記載があることが認められるが、前記各証拠によれば、右は、単に看護婦付添い費用については被告会社が負担し、実質的に旅行費用を値引きする旨を表示したにすぎないことが認められるから、右の記載をもって被告会社が自らの責任において看護婦を同行させ本件スキー教室に参加した生徒の健康管理と看護にあたらしめる旨の表示をしたものと認めることはできない。
次に、被告会社の民法七一五条の使用者責任については、その前提となる竹永看護婦の注意義務違反が認められないことは、被告東京都について説示した前記三4と同様であり、また、右認定の事実からすると、被告会社が竹永看護婦の使用者たる地位にあるともいえないから、いずれの観点からしても被告会社に右の使用者責任を問うことはできないというほかない。
五 結論
以上によれば、前認定のとおり、原告らに対する順之死亡後の田無工業高校側の対応に誠意がないとみられてもやむをえない面があったとしても、被告東京都に原告ら主張の事前準備における注意義務違反及び搬送義務違反を認めることはできず、被告東京都及び被告会社の使用者責任の前提となる竹永看護婦の注意義務違反、並びに被告会社についての原告ら主張の注意義務違反を認めることもできないから、原告らは、被告らに対し不法行為責任を問うことはできないというべきである。
よって、原告らの被告らに対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないことに帰するからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大和陽一郎 裁判官大竹昭彦 裁判官内野俊夫)