東京地方裁判所 平成2年(ワ)1560号 判決 1991年3月19日
原告
市川三千子
被告
株式会社マルヒデ
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成元年二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 交通事故の発生
日時 平成元年二月二六日午後一〇時三五分ころ
場所 埼玉県児玉郡神川町大字元原一一四―一先交差点(以下「本件交差点」という。)
被告車 普通貨物自動車(足立一一を一四〇)
右運転者 永井恒太郎(以下「永井」という。)
原告車 普通乗用自動車(熊谷五七て七二九三)
右運転者 市川優(以下「被害者」という。)
事故の態様 原告車が本件交差点を通過しようとしたときに、左方から本件交差点に進入してきた被告車と衝突した。
2 責任原因
被告は、被告車を本件事故当時自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文により、被害者及び原告が本件事故によつて被つた後記損害を賠償すべき義務がある。
3 損害
(一) 被害者の死亡
被害者は、請求原因1項記載の交通事故(以下「本件事故」という。)により全身打撲、頭蓋底骨折等の傷害を負い、平成元年二月二六日死亡した。
(二) 被害者の損害
(1) 逸失利益
被害者は、本件事故時から六七歳になるまでの四九年間について、少なくとも年間四五五万一〇〇〇円の収入を得ることができたものと考えられるから、被害者の生活費を右収入の四割として、ライプニツツ方式(係数一八・一六八七)により年五分の中間利息を控除して、被害者の本件事故による逸失利益の本件事故時の現価を算定すると、次のとおり四九六〇万円となる(一〇万円未満切捨て)。
4,551,000円×(1-0.4)×18.1687=49,611,452円
(2) 慰藉料
被害者が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉するためには二〇〇〇万円をもつてするのが相当である。
(三) 原告の損害
(1) 治療費
原告は、被害者の(一)項記載の傷害に対する治療等のために、鈴木外科病院に一七万三七〇〇円を支払つた。
(2) 慰藉料
原告は、その息子である被害者の唯一の相続人であり、本件事故当時は被害者と同居し、老後の面倒をみてもらうことにしていたところ、本件事故によりこのような期待を奪われ茫然自失の状態にあり、原告が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉するためには五〇〇万円をもつてするのが相当である。
(3) 葬儀費用
原告は、被害者の葬儀を営み、その費用として一二一万四〇〇〇円の支払を余儀なくされた。
(4) 弁護士費用
原告は、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、その報酬として二〇〇万円の支払を約した。
(四) 相続
原告は、被害者の母であり、他に相続人はいないから、被告に対する被害者の損害に係る賠償請求権を単独で相続した。
4 損害の填補
原告は、被告車に付されていた自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から二五一六万三九〇〇円の支払を受け、原告の被告に対する損害賠償額に填補したため、填補後の被告に対する請求額は五二八二万三八〇〇円となる。
5 よつて、原告は、被告に対し、本件事故による損害賠償の内金として三〇〇〇万円及びこれに対する本件事故の日の翌日である平成元年二月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2のうち、被告が本件事故当時被告車を自己のために運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。
3 請求原因3の事実のうち、(一)(被害者の死亡)の事実は認めるが、その余は知らない。
4 請求原因4のうち、原告が自賠責保険から二五一六万三九〇〇円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。
三 抗弁(免責)
1 本件事故現場の道路状況等は別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおりであり、本件交差点において長瀞町から本庄市に通じる道路(以下「本件道路」という。)と児玉町から藤岡市に通じる道路(以下「交差道路」という。)とが交差している。
2 永井は、被告車を運転して、本件交差点から南へ約五〇メートル離れた本件道路西側沿いにある被告の駐車場から本件道路上に出るにあたつて、大回りで左折し、別紙図面<2>地点で交差道路上の信号機(別紙図面の信号機、以下「信号」という。)が黄色を表示していることを確認し、さらに時速約二〇キロメートル弱で進行して別紙図面<3>地点で信号が黄色から赤色表示に変わつたことを認め、さらに同速度で進行して別紙図面<4>地点が対面信号(別紙図面の信号機、以下「信号」という。)の表示が青色に変わつたことから、アクセルを踏んで加速し、時速約四〇キロメートルで本件交差点に進入したところ、交差道路を赤信号を無視して進行してきた原告車と出会頭に衝突した。
3 右事実からすれば、対面信号の青色の表示に従つて本件交差点に進入した永井には何らの過失はなく、本件事故は、原告車を運転して交差道路を進行してきた被害者が、本件交差点に進入するに際し、対面信号が赤色であるにもかかわらずこれを無視して進入した一方的過失によつて惹起されたものというべきである。
4 被告車には、本件事故当時構造上の欠陥又は機能上の障害はなかつた。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は認める。
2 抗弁2の事実のうち、被告車が本件交差点から南へ約五〇メートル離れた本件道路西側沿いにある被告の駐車場から本件道路上に出てきたこと、被告車が原告車と本件交差点において出会頭に衝突したこと及び原告車が本件交差点に進入したときにその対面信号が赤色であつたことは認めるが、被告車が信号が青色表示に変わつてから本件交差点に進入したとの事実は否認し、その余は知らない。
本件事故後、本件交差点内に残された被告車の右後輪によるタイヤ痕は少なくとも一八・五メートルあり、これによれば本件事故直前の別紙図面<5>地点における被告車の速度は毎時五〇キロメートルを超えていたものと推認されるところ、永井において信号が黄色から赤色表示に変わつたことを確認した<3>地点から右<5>地点の手前までの距離はわずかに二五メートル足らずであるから、被告車の加速性能からすれば、被告車は<3>地点では既に毎時二〇キロメートルを超える速度で走行していたと考えるのが相当である。そこで、被告車が<3>地点から<5>地点の手前までを平均毎時三五キロメートルの速度で進行したとすれば、信号が赤色から青色に変わる二秒後までの間に被告車は約一九・四四メートル走行したことになるから、被告車が本件交差点内である横断歩道上を走行中に信号が青色に変わつたことになり、したがつて、被告車は対面信号である信号が青色に変わる前に本件交差点に進入していたことになるのである。
3 抗弁3は争う。
4 抗弁4は争う。
第三証拠
証拠関係は、本件訴訟記録中、書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 請求原因2のうち、被告が本件事故当時被告車を自己のために運用の用に供していたことは当事者間に争いがない。
右によれば、被告は、自賠法三条本文により、同条但書所定の事由が認められない限り、被害者及び原告が本件事故により被つた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三 抗弁(免責)について
1 本件事故現場の道路状況等は別紙図面のとおりであり、本件交差点において本件道路と交差道路とが交差していること、永井が、本件事故発生の前に、被告車を運転して、本件交差点から南へ約五〇メートル離れた本件道路西側沿いにある被告の駐車場から本件道路上に出てきたこと、被告車と原告車とが本件交差点において出会頭に衝突したこと、原告車が対面信号が赤色を表示しているときに本件交差点に進入したことは当事者間に争いがない。
2 いずれも成立に争いがない甲第一二号証の一ないし一二、同第一四号証の三ないし五及び同第一五号証の一、二並びに証人永井恒太郎の証言によれば、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 本件事故当時、本件道路及び交差道路はいずれも、平坦なアスフアルト舗装された道路で、最高速度が毎時四〇キロメートルに規制され、路面は乾燥しており、交通量は本件道路、交差道路ともに少なかつた。
(二) 永井は、被告車を運転して、被告の駐車場から別紙図面<1>地点を通つて本件道路上に出てきた後、被告車の車長が八・四六メートルあることから、左折するに際して対向車線にはみ出る形で大回りして<2>地点を通過し、本庄市方面に向かう車線に入り、<3>、<4>と進行し、
地点を通過する際にも交差道路を右方から走行してくる車両の有無を確認することなく、<5>地点に至つたときに初めて右方から走行してくる原告車を<ア>地点に認め、急ブレーキをかけたが間に合わず、被告車の右前部と原告車の左前部とが<×>地点で衝突した。原告車はかなりの高速で本件交差点に進入してきており、被害者において被告車との衝突を回避する措置を取つた形跡は窺われない。
(三) 本件事故後、被告車は別紙図面<6>地点に前部を南西に向けて本庄市方面への車線をふさぐように停車し、右後輪によるタイヤ痕が<5>地点付近から停車位置まで路面に残つており、原告車は<イ>地点の交差点北西歩道の植え込みに前部を南西に向けて停車していたが、原告車によると見られる衝突前のタイヤ痕は認められなかつた。
(四) 被告車は、塗色が白及び緑の普通貨物自動車であるが、本件事故によつて、地上から約〇・六五メートルの位置にある前部バンパー、前照灯、フロントガラスがいずれも大破し、右側面前部の地上から約〇・七五メートルのところに白色塗料が付着しており、また、原告車は、塗色が白の普通乗用自動車であるが、本件事故によつて左側面が大破し、左側面前部には緑色の塗料が付着しており、前部バンパーは左側が破損していた。
(五) 本件道路を本庄市方面に向けて走行する被告車からの交差道路を右方から走行してくる車両に対する見とおし状況は、本件交差点の東南角に高さ約二・七メートルのフェンスが設置されていたことから、別紙図面
地点に至つて初めて
’地点を見とおすことができるにとどまり、
地点から<×>地点までの距離は約一六・三メートルであり、
’地点から<×>地点までの距離は約二二・七メートルであつた。
3 次に、被告車が本件交差点に進入したときのその対面信号の表示について検討する。
(一) 前掲甲第一四号証の三、四及び同第一五号証の一、二、証人永井恒太郎の証言により原本の存在及び成立を認めることができる乙第一号証ないし同第三号証並びに同証人の証言によれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 永井は、相模原市及び大和市に搬送するアルミ部材約二トンを被告車に積んで運転していたが、別紙図面の<2>地点に達したときに信号が黄色であるのを確認し、毎時約二〇キロメートルの速度で<2>地点から<3>地点に進み、<3>地点において信号が黄色から赤色に変わるのを認めて除々に加速し、<4>地点で信号が赤色から青色に変わつたのを認めたのでアクセルを強く踏んでさらに加速し、毎時約四〇キロメートルになつた<5>地点において交差道路を右から進行してくる原告車を<ア>地点に認めた。
(2) 永井は、本件事故の四年前から被告の児玉営業所に配属されていたことから、本件事故前に何度も本件交差点を仕事のために通過していた。
(二) ところで、前掲甲第一四号証の三並びにいずれも成立に争いがない甲第一六号証の二ないし四、同第一七号証の一ないし三及び同第一八号証の一、三によれば、被告車の右後輪による前記タイヤ痕の長さは少なくとも約一八・五メートルあること、被告車と同型式の普通貨物自動車が四トンの荷物を積んで毎時五〇キロメートルの速度で走行しているときの制動停止距離(制動のための動作を開始してから停止するまでの距離であり、いわゆる空走距離を含んでいる。)が一八・〇メートルであること、本件交差点の信号と信号の信号サイクルは別紙信号機サイクル表のとおりであり、信号と信号のいずれもが赤色を表示するいわゆる全赤の時間が二秒あることの各事実が認められ、原告は、これらの事実を基に、「永井が右方から進行してくる原告車に気付いた別紙図面<5>地点における被告車の速度は少なくとも毎時五〇キロメートルを超えており、<5>地点の手前から約二五メートル離れている<3>地点においてもその速度は毎時約二〇キロメートルを超えていた。そこで、被告車が<3>地点から<5>地点の手前までの約二五キロメートルを平均毎時三五キロメートル(即ち毎秒約九・七二メートル)の速度で進行したとすれば、信号が黄色から赤色に変わつたのを永井が認めた<3>地点から信号が赤色から青色に変わる二秒後までの間に被告車は約一九・四四メートル走行するから、被告車は対面信号である信号が青色に変わつたときには既に本件交差点内である横断歩道上を走行していたことになる。」旨主張する。
しかし、被告車と同型式の普通貨物自動車に関する右制動停止距離は、当該車両自身の制動力の他には何ら力を加えられることがない状態で測定されたものと解されるところ、本件事故においては、被告車が停止するまでにその右方から走行してくる原告車による力が加わつており、その結果被告車による前記タイヤ痕も直線ではなく、西側に大きく膨らんだ曲線を描いているのであつて、また積載重量にも大きな違いがあり、このことからすれば、右タイヤ痕のみをもつて衝突直前の被告車の速度を推定することはできないといわざるを得ず、また、原告の右主張は、被告車が<3>地点から<5>地点の手前までを平均毎時三五キロメートルの速度で進行したとの仮定を前提とするものでもあつて、原告の右主張は到底採用することができないというべきである。
4 以上認定の事実によれば、たしかに、永井は対面信号が青色であることを認めて本件交差点に進入したものであるが、しかし、夜間の交通量の少ない交差点においては、信号の変わり目では原告車のように赤信号で進入してくる車両のあることは十分予見できるのであるから、永井としては少なくとも停止線手前の別紙図面
地点において交差道路を右方から進行してくる車両の有無を確認すべきであつたのであり、これを怠つて右車両の有無を確認することなく本件交差点に進入した以上、やはり過失があつたものといわざるを得ない。よつて、被告の免責の主張は理由がない。
しかしながら、本件事故は基本的には被害者の信号無視によるものとみるべきであり、前認定の本件事故の態様等に徴すると、本件事故の発生に対する永井と被害者との過失割合は一〇対九〇と認めるのが相当である。
四 損害について
1 被害者の損害
(一) 逸失利益
証人大内喜一郎の証言により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証、同証人の証言及び弁論の全趣旨によれば、被害者は、本件事故当時一九歳の健康な男子であり、昭和四六年に父親を交通事故で失つた後は、旅館を経営していた母親である原告と二人暮らしであつたこと、被害者は、将来母の経営する右旅館を継ぐこととなつており、その修行のために農業高校を中退して平成元年一月一七日から日本料理店「しんかい」で板前として働いており、毎月一二万円の収入を得ていたことの各事実を認めることができる。
右の事実によれば、被害者は、本件事故時から六七歳になるまでの四八年間について、賃金センサス平成元年第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・全年齢平均の年収額四七九万五三〇〇円の収入を得ることができたとみられるから、被害者の生活費を右年収の五〇パーセントとし、ライプニツツ方式(係数一八・〇七七一)により年五分の割合による中間利息を控除して、被害者の逸失利益の本件事故時の現価を算定すると、四三三四万二五五八円となる(円未満切捨て。)。
(二) 慰藉料
被害者の家族状況や本件事故の態様等を斟酌すると、被害者が本件事故により被つた精神的苦痛を慰藉するには、一二〇〇万円をもつてするのが相当である。
2 原告の損害
(一) 治療費等
成立に争いのない甲第六号証の一ないし三によれば、被害者は本件事故後鈴木外科病院において治療を受け、原告はその治療費等として一七万三七〇〇円を支払つたことを認めることができる。
(二) 慰藉料
前記認定の原告と被害者との生活の状況等を斟酌すれば、本件事故により被つた原告の精神的苦痛に対する慰藉料としては四〇〇万円が相当である。
(三) 葬儀費用
いずれも成立に争いがない甲第七号証及び同第八号証の各一ないし三並びに弁論の全趣旨によれば、原告は被害者の葬儀を営み、その費用として一二一万四〇〇〇円を支払つたことが認められるが、被害者の年齢・社会的地位等を考慮すると、そのうち九〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害と認めることができる。
3 いずれも成立に争いがない甲第四号証の一ないし五によれば、原告は被害者の実母であり、他に相続人がいないことが認められ、前記被害者の損害に係る被告に対する損害賠償請求権を全部相続したものと認められるから、原告の請求額は(原告の損害に係るものと併せて)六〇四一万六二五八円となる。
4 前記認定のとおり、被害者と永井との本件事故における過失割合は九〇対一〇であるから、原告の右請求額について九〇パーセントを過失相殺として減額すると、過失相殺後の請求額は六〇四万一六二五円(円未満切捨て。)となる。しかし、原告が被告車に付された自賠責保険から二五一六万三九〇〇円を受領していることは当事者間に争いがないから、本件事故による被告の原告に対する損害賠償債務は全て消滅したものと認められる。
五 よつて、原告の本訴請求はその余について判断するまでもなく理由がないことに帰するから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原田敏章 長久保守夫 森木田邦裕)
別紙 <省略>
信号機サイクル表
<省略>