東京地方裁判所 平成2年(ワ)16520号 判決 1993年8月27日
原告
望月濱子
右訴訟代理人弁護士
江口保夫
同
江口美葆子
同
戸田信吾
同
牧元大介
被告
太田資源開発株式会社
右代表者代表取締役
関根明忠
右訴訟代理人弁護士
木村孝
被告
木村光利
右訴訟代理人弁護士
児玉康夫
主文
一 被告らは、原告に対し、連帯して金四八九万六六一一円及びこれに対する昭和六〇年九月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告らは、原告に対し、連帯して金二六一五万九三八七円及びこれに対する昭和六〇年九月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
ただし、損害額二九〇二万五三〇二円の一部請求であるとする。
第二事案の概要
一本件は、ゴルフ場でプレー中に、他の客の打球が当たり、傷害を負ったとして、その客に対して民法七〇九条により、ゴルフ場を経営する会社に対して同法七一五条により(従業員であるキャディーの使用者としての責任)、それぞれ不法行為による損害賠償を請求した事件である。
二争いのない事実
1 被告太田資源開発株式会社(以下「被告会社」という。)は、群馬県太田市北金井三〇六番地において、鳳凰ゴルフ場(以下「本件ゴルフ場」という。)を経営している。
原告及び被告木村光利(以下「被告木村」という。)は、昭和六〇年九月一五日、本件ゴルフ場に客として入場し、ゴルフプレーをした。
2 原告は、昭和六〇年九月一五日午後一時五〇分ころ、本件ゴルフ場一八番ホールで第一打を打ち、その落下地点まで前進して第二打を打つ準備をしていたところ、後続組の被告木村が一八番ティー・グラウンドからドライバーを使用して打った第一打の打球を右肩甲骨付近にうけ(以下「本件事故」という。)、右肩甲骨骨折の傷害を負った。
三争点
1 被告木村に過失があったか。
(被告木村の主張) 本件事故の際に原告のいた地点は、被告木村のいたティー・グラウンドからは視認することができないので、プレーヤーがティー・ショットをするときはその組のキャディーが先行する組のプレーヤーの動向を確認すべきであるが、そのときキャディーは、被告木村のティー・ショットを制止せず、注意や警告もしなかった。
2 被告会社の従業員であるキャディーに過失があったか。
(被告会社の主張) 被告木村は、当初からキャディーの指示に全く従わず、勝手にプレーを続けていた。また、本件事故の際に被告木村のいたティー・グラウンドから原告のいた地点を視認することはできた。
3 原告は本件事故により、右足関節外側靭帯損傷の傷害を負ったか。
(原告の主張) 原告は、被告木村の打球をうけた衝撃によりその場に転倒し、右足関節外側靭帯損傷の傷害を負った。
(被告らの主張) 原告は本件事故の発生から約二〇日も経過してから右足の疼痛を訴え始めたのであり、本件事故と原告の右足関節外側靭帯損傷との間には因果関係がない。
4 本件事故により原告はどれだけの損害を被ったか。
原告は右足関節外側靭帯損傷の傷害を負ったことによる損害をも主張し、被告らはこれを否認する。
第三争点に対する判断
一争点1及び2(被告らの責任)について
1 証拠(<書証番号略>)によれば、次の事実を認めることができる。
本件ゴルフ場の本件事故当時の西コース(イン)一八番ホール(二九八メートル、パー四)は、いわゆる左ドッグ・レッグのコースであり、ティー・グラウンドから見て左にコースが折れ曲がり、左前方にグリーンがある。本件事故の際に原告のいた場所は、ティー・グラウンドの前方約二〇〇メートルで(原告が第一打を打ったのは、ティー・グラウンドではなく、約一〇〇メートル前方のレディース・ティーであった。)、フェアウェイが左に折れ曲がって間もなくの地点であり、そのティー・グラウンド寄りのすぐ後ろに樹木がまばらに植栽されていた。したがって、原告のいた地点のティー・グラウンドからの見通しは良好であるとはいえなかったが、そこにプレーヤーがいれば樹木の隙間を通してこれを視認することは、十分に可能であった。被告木村の組は、当初からキャディーの注意を無視して横柄な態度でプレーを続けていたが、このときも被告木村の同行者二人がいきなり打ち出し、続いて被告木村がティー・ショットを打ったものであり、この間に、被告木村の組のキャディー井田春美は、原告のいた地点とティー・グラウンドの双方を十分に見通せる位置にいたが、これを制止し、あるいは注意や警告を発することはなかった。
2 右1に認定したところによれば、被告木村は、ティー・ショットを打つ際に通常の注意を払っていたならば、前方で原告がプレーをしているのを現認することができたはずであるのに、原告がいることに気付かず、あるいはこれに気付いていながらこれを無視して、正にその方向に向けてティー・ショットを打ったものであるから、本件事故について被告木村に過失があることは明らかである。
また、被告木村の組のキャディー井田春美は、それまで被告木村らからいかに注意を無視されていたとはいっても、原告がいる地点に向けて被告木村の同行者二人がティー・ショットを打ち、更に被告木村もティー・ショットを打とうとしたのであるから、これを制止すべき注意義務を負っていたというべきであり、同キャディーには、これを怠った過失があるといわなければならない。したがって、同キャディーの使用者である被告会社には、民法七一五条に規定する使用者責任がある。
被告らの責任は不真正連帯債務の関係にあり、被告らには、本件事故によって原告の被った損害を連帯して賠償する義務がある。
二争点3(本件事故と右足の傷害との因果関係)について
1 証拠(個別に掲げるもののほか、証人石塚滝樹、同小林建一、同加藤哲也、同増田清、同関根五郎、原告本人)によれば、次の事実を認めることができる(原告本人尋問の結果中のこれと異なる部分は、他の関係証拠に照らして採用することができない。)。
原告は、本件事故の直後に現場に駆け付けた被告会社の取締役増田清に右肩の痛みを訴え、同人の運転する自動車で太田福島総合病院に連れていかれ、医師康野公則から応急治療を受けた。同医師の所見は、右肩を中心に疼痛があり、右肩の運動が制限されているというものであった(<書証番号略>)。なお、同病院に赴いた際、原告は、自力で歩行することができた。
原告は、いったん本件ゴルフ場に立ち寄った後、東京の自宅に帰宅し、その日のうちに最寄りの小林外科胃腸科医院に赴き、医師小林建一から診察と治療を受けた。その際、原告は、右肩の強い痛みを訴えたが、足の痛みは訴えなかったので、同医師は、「右肩峰損傷」と診断し、右肩のレントゲン撮影をし、湿布処置と超短波治療をした(<書証番号略>)。
原告は、その後は同医院で受診せず、翌々日の昭和六〇年九月一七日から、以前にも治療を受けたことのある石塚整骨院で柔道整復師石塚滝樹の治療を受けた。初診の際、原告は右肩部の疼痛のみを訴え、石塚は約四週間の治療を要する「右肩甲骨骨折」と診断した(<書証番号略>)。石塚が同月三〇日付けで作成した診断書には、病名として「右肩甲骨骨折」、「頚椎捻挫」及び「右肘関節捻挫」の三つが記載されており、足の傷病については記載するところがない(<書証番号略>)。同日付けで被告会社に請求した診療報酬も、右の三点の治療に関するもののみである(<書証番号略>)。そして、石塚が同年一〇月三一日付けで作成した診断書に至って、病名として右の三つの外に「右足関節捻挫」が加わり、「失神時に転倒した際、足関節を捻転したもので、同年一〇月四日より疼痛を訴える。以後加療」と記載され、被告会社に対する診療報酬の請求にも、その治療に関するものが加わった(<書証番号略>)。その後、原告は、昭和六一年三月一八日まで石塚整骨院で治療を受け、石塚の判断によれば経過は良好であったが、国立東京第二病院に転医した(<書証番号略>)。
原告は、昭和六一年三月一九日から、国立東京第二病院で、医師加藤哲也外から診察と治療を受けた。同医師の診断による傷病名は、「右足関節外側側副靭帯損傷」及び「右肩腱板損傷」であり、原告は、同年四月一九日に同病院に入院し、同月二一日に右足関節外側靭帯再建の、同年六月一八日に右肩腱板縫合肩峰部分切除の手術を受け、同年八月一八日に退院し(入院日数一二二日)、昭和六二年一二月三一日には症状が固定したが、その後平成二年四月五日まで通院した(退院後の通院実日数一七七日)(<書証番号略>)。
2 右1に認定したところによれば、原告は、本件事故の直後には足の痛みを訴えず、半月以上も経過した一〇月四日になって初めて足の痛みを訴えたことになる。これについて、前記柔道整復師石塚滝樹は、証人として、原告は早くから足の痛みを訴えていたが、治療した部位すべてについて診療報酬を請求しても保険会社が認めてくれないので、重症の部位三箇所だけを記載したところ、日を追うごとに足の痛みが増してきたので、一〇月四日ころからきちんとした治療を始め、診療報酬も請求するようにしたと証言する。しかし、この証言内容は極めて説得力を欠くものといわざるを得ず、先に引用した書証に照らして到底これを信用することができない。また、仮に右の証言を前提としても、原告は、本件事故の二日後である初診時には足の痛みを訴えず、しばらくして足の痛みも訴え出したが、肩や肘の痛みに比べれば軽微だったということになる。
国立東京第二病院での初診時には、原告の右足関節の靭帯は、一つがほとんど断裂し、もう一つは緩んで支持性を失っていたのであり、このような損傷を負ったときは、当然痛みがあるし、一晩もすれば腫れて皮下出血を起こすことが認められる(証人加藤哲也)。
そうすると、原告が本件事故によって転倒し、その際に右足関節の靭帯を損傷したのだとすると、右1に認定した事実と抵触するものといわざるを得ず、原告が本件事故以外の原因によって右の損傷を負ったという可能性を否定することができない。
3 したがって、原告の主張する傷害のうち、右肩甲骨骨折は本件事故と因果関係があるが、右足関節外側靭帯損傷については本件事故との間に因果関係を認めることができない。
三争点4(損害の額)について
右二に判断したように、本件事故と因果関係のある傷害は右肩甲骨骨折であり、、右足関節外側靭帯損傷については因果関係が認められないから、以下、これを前提として、原告の主張する損害費目について順次検討する。
1 治療費
原告が治療費として次の金額の支出をしたことは、原告と被告会社との間で争いがなく、被告木村との間では、以下に掲げる書証と弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。
①太田福島総合病院 八〇〇〇円
②小林外科胃腸科
二万九七〇〇円(<書証番号略>)
③石塚整骨院
一七一万三一八〇円(<書証番号略>)
④国立東京第二病院
一三五万五八一〇円(<書証番号略>)
計 三一〇万六六九〇円
しかし、右③には、「右足関節捻挫」についてのみの治療費二八万六〇〇〇円が含まれており(<書証番号略>)、右④には、「右肩腱板損傷」に関係のない治療費四二万三八四〇円が含まれている(<書証番号略>)。これらの分は本件事故との因果関係が認められないから、原告が本件事故に起因して支出した治療費の額は、二三九万六八五〇円である。
2 交通費
原告は、治療を受けるために交通費一二四万八九三〇円を支出したと主張し、被告らは、これを明らかに争わない。
3 入院雑費
原告は、入院雑費として六九万一一六八円を支出したと主張する。しかし、原告の入院期間のうち右肩腱板縫合肩峰部分切除の手術に要した期間は、六七日程度であると認められ、かつ、入院雑費は一日当たり一三〇〇円を認めるのが相当であるから、八万七一〇〇円についてだけ原告の主張を認めることができる。
4 温泉治療費及びこれに伴う雑費
原告は、温泉で療養するために四七万三六一五円を支出したと主張するが、証拠によって認められる支出は、四三万一八一五円である(<書証番号略>)。温泉で療養することまで必要であったのか疑問がないわけではないが、国立東京第二病院の医師木原正義は、その必要性を認めている(<書証番号略>)。右の支出のうち右肩甲骨骨折の治療のために必要であった分は、三〇万円と認めるのが相当である。
5 付添い看護料
原告は、入院中の付添い看護料として二二七万六二七六円を支出したと主張する。しかし、原告の入院期間のうち右肩腱板縫合肩峰部分切除の手術に要した期間は、六七日程度であると認められ、かつ、入院中の付添い看護料は一日当たり五〇〇〇円を認めるのが相当であるから、三三万五〇〇〇円についてだけ原告の主張を認めることができる。
6 家政婦代
原告は、家政婦代として一八三万一七二〇円を支出したと主張し、被告らは、これを明らかに争わない。
7 休業損害
原告は、本件事故のあった昭和六〇年九月一五日から後遺症の症状が固定した昭和六二年一二月三一日までの八三八日間休業のやむなきに至ったので、昭和六二年度賃金センサスの「企業規模計女子平均賃金」一年二三八万五五〇〇円に基づいて休業損害を計算すると、五四七万六八四七円になると主張する。
しかし、原告は、株式会社貴濱の代表者として「クラブ濱」を経営するものであり、本件事故後も従前どおり同会社から役員報酬を得ていたのであって、本件事故によって原告が一〇日ほど店に出ることができず、その間同会社が「チーママ」を雇ったというにすぎない(原告本人)。したがって、株式会社貴濱は本件事故によって若干の損害を被ったことになるが、原告自身には休業による損害は認められないから、本件においては、統計上の女子平均賃金によって原告の休業損害を算定することはできないというべきである。なお、原告は、本訴において、確定申告書等の自己の収入を明らかにすべき書証を提出していない。
8 傷害慰謝料
原告は、原告の入院及び通院についての慰謝料として二五六万円が相当であると主張する。しかし、原告の入通院についての慰謝料は、本件事故のあった昭和六〇年九月一五日から症状が固定した昭和六二年一二月三一日までの入院約二箇月(前記3を参照)及び通院約二六箇月を基礎とすべきであり、合計二〇〇万円とするのが相当である。
9 後遺障害による逸失利益
原告は、本件事故によって上腕骨・肩甲骨の外転運動の制限及び最大外転時の鈍痛その他の後遺症が残存し、後遺障害等級九級に相当し、労働能力喪失率が三五パーセントであるとして、昭和六二年度ないし平成三年度賃金センサスの「企業規模計女子平均賃金」により、症状が固定した時に四七歳であった原告の後遺障害による二〇年間の逸失利益は、一三二一万一六七八円であると主張する。
しかし、原告の主張する後遺障害のうち右足関節靭帯損傷に係るものは本件事故との因果関係を認めることができないから、右肩甲骨骨折に起因すると認められる後遺障害に限定すると、後遺障害等級の一二級に相当する(<書証番号略>)。したがって、労働能力喪失率は一四パーセントと考えるべきである。そして、本件口頭弁論終結時までの間について具体的な逸失利益が認められないことは前記7のとおりであるが、それ以降は逸失利益を生ずる蓋然性がある。原告は、昭和一五年一月二日生まれで(<書証番号略>ほか)本件口頭弁論終結時に五三歳であり、六七歳まで一四年間稼働することが可能であると考えられるので、平成三年度賃金センサス全女子労働者の平均年間給与額二九六万〇三〇〇円に男女較差是正のため六〇万円を加えた三五六万〇三〇〇円に一四年のライプニッツ係数9.8986を乗じて中間利息を控除し、これに労働能力喪失率一四パーセントを乗ずると、原告の後遺障害による逸失利益は、四九三万三八〇〇円である。
10 後遺障害による慰謝料
原告は、後遺障害等級九級に相当する後遺障害を負ったとして、後遺障害による慰謝料は五六〇万円が相当であると主張する。
しかし、本件事故に起因する原告の後遺障害は、後遺障害等級の一二級に相当する(前記9)から、その慰謝料は、二四〇万円が相当である。
11 以上1から10までに検討したところによれば、本件事故によって原告が被った損害は、合計一五五三万三四〇〇円である。
12 被告会社は、原告に対し、日動火災海上保険株式会社を通じて、本件事故による損害賠償として昭和六二年一二月までに九七四万八九〇九円を支払った(<書証番号略>)。また、被告木村は、原告に対し、住友海上火災保険株式会社を通じて、本件事故による損害賠償として昭和六一年一二月までに一三三万七八八〇円を支払った(<書証番号略>)。右の合計は、一一〇八万六七八九円である。
13 したがって、原告が被った損害のうちまだ被告らから賠償を受けていない金額は、四四四万六六一一円である。
14 原告は、本件の弁護士費用として二五〇万円が相当であると主張するが、右13の金額に照らして弁護士費用のうち四五万円を被告らに負担させるのが相当である。
四結論
以上のとおりであるから、被告らには、原告に対し、四八九万六六一一円及びこれに対する昭和六〇年九月一五日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。原告のその余の請求は、理由がない。
(裁判官近藤崇晴)