東京地方裁判所 平成2年(ワ)1986号 判決 1991年9月27日
原告
田中角栄
右訴訟代理人弁護士
美作治夫
同
大矢勝美
被告
学校法人中央工学校
右代表者理事
大森厚
右訴訟代理人弁護士
藤井一雄
同
関根和夫
同
古口章
同
太田昇
主文
一 被告は、別紙目録記載のブロンズ製胸像及びブロンズ製銘板を公開又は展示してはならない。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、別紙目録記載のブロンズ製胸像、ブロンズ製銘板及び石膏製塑像(以下、それぞれを「本件胸像」「本件銘板」「本件塑像」といい、これらを一括して「本件胸像等」という。)を公開又は展示してはならない。
第二事案の概要
一本件は、被告が原告の承諾を得ることなく、本件胸像を無断で制作し、これによって同人の人格権(肖像権)を違法に侵害したと主張して、原告がその公開、展示の禁止を求めるのに対して、被告は本件胸像の制作、展示につきあらかじめ原告の承諾を得たものであり、たとえそうでなくても本件胸像の制作、展示はその制作目的、設置場所、公開、展示方法等の点からして社会通念上許容される正当行為である旨主張している事案である。
二当事者間に争いのない事実等
1(一) 原告は、昭和二二年に衆議院議員に当選して以来、自民党や内閣の要職を経て、昭和四七年七月から昭和四九年一二月まで内閣総理大臣の地位にあった。また、原告は、いわゆるロッキード事件(丸紅ルート)に関して受託収賄罪及び外為法違反により起訴され、第一審では懲役四年、追徴金五億円の有罪判決を、第二審では控訴棄却の判決を受け、現在最高裁判所に上告中である。
原告は、昭和六〇年二月に脳梗塞で倒れて入院し、同年四月に退院したが、その後は療養をしている。退院以来、言語障害はあるが、病状はかなり回復し、ごく限られた範囲内の客とは面会している(証人田中眞紀子)。
(二) 被告は私立学校経営を目的とする学校法人であり、原告は、昭和一一年に被告の前身である中央工学校を卒業し、昭和二八年六月から同校の第五代校長に、昭和三九年三月の被告の設立とともに理事長に就任し、昭和四七年七月六日に内閣総理大臣の指名を受けるまで、右校長及び理事長の地位にあった。
2 被告は平成元年一〇月に創立八〇周年を迎えることになっていたため、これを記念する各種事業を行う計画が昭和六一年三月ころから学内で持ち上がり、同年六月には、被告の教職員で組織する「学校創立八〇周年記念事業委員会」が発足し、同委員会による検討の結果、学校の発展に尽くした功労者の記念胸像の制作等を行うこと、この胸像制作の対象者を、被告の創設者である松本小七郎、戦前から被告の発展に尽くし、戦後の復興を成し遂げた大森国臣(被告代表者理事大森厚(以下「大森」という。)の父)及び被告の戦後の復興に多大の貢献をし、また、長年にわたって被告の理事長、校長を務めた原告とすることが計画された。
右記念事業計画は、昭和六二年三月に開かれた評議委員会における諮問並びにその後開かれた理事会での審議及び議決を経て正式決定され、実施に移される運びとなった(以上の事実のうち、被告が創立八〇周年記念事業の一環として、本件胸像及び銘板を被告の記念館に公開、展示する計画を有していたことは当事者間に争いがない。その余については<書証番号略>、被告代表者本人)。
3 被告は、同年七月三一日、かねてから内々に胸像の制作依頼をしていた東京芸術大学助教授(当時)の原正樹(以下「原」という。)との間で右三名の胸像制作に関する契約を正式に締結し(以上の事実のうち、被告が本件胸像の制作を原に依頼した事実は当事者間に争いがなく、その余の事実については被告代表者本人)、その後原から本件胸像等の引渡を受けた。
三争点
1 本件胸像の制作、展示について、原告の承諾があったか。
2 原告の承諾がないとして、被告が本件胸像を公開、展示することは許されるか。
第三争点に関する判断
一争点1について
1 当事者間に争いのない事実及び証拠(<書証番号略>、証人遠藤昭司、証人田中眞紀子、被告代表者本人)によれば次の事実が認められる。
(一) 本件胸像等の制作、展示は、前記のとおり、昭和六二年三月ころ決定されたが、大森は八〇周年記念事業の一つとして原告の功績を顕彰するという胸像制作の目的からして、本件胸像の制作、展示に関しては特に原告の承諾をとることは必要でなく、単に儀礼的にその旨連絡しておけば、十分であろうと考えていた(ちなみに、大森は、他の胸像制作の対象者である松本小七郎については、その遺族もしくは子孫に対して承諾を得る手続をとっていない。)。
そこで、大森は、昭和六二年四月ころ、被告の評議員で、かつ、当時の原告方にある田中事務所の秘書であった遠藤昭司(以下「遠藤」という。)に対して、「被告の八〇周年記念事業の一つとして原告の胸像を作ることとしたいので、原告に宜しくお伝え願いたい。」という趣旨のことを依頼した。
(二) 大森は右の依頼をしてから一か月ほどして、遠藤に対して本件胸像制作の件を原告に伝えたかどうか尋ねたが、遠藤は右依頼を失念していたため、大森は再度同様の依頼をした。そこで、遠藤は、同年六月ころ、原告の自宅にある田中事務所の前の駐車場付近で、原告の長女田中眞紀子(以下「眞紀子」という。)に対して「被告が記念事業で原告の胸像を作るそうです。」と述べると、眞紀子は「それは結構ですね。いい男に作ってもらわにゃね。」という趣旨の返事をした。
その後、大森は同年六月下旬ころ、遠藤から右の結果の報告を電話で受け、また、同年七月になって、大森が田中事務所で遠藤と会い、労をとってもらったことに対して礼を述べた際にも同様の報告を受けた。
(三) 平成元年一〇月二一日、椿山荘において、被告の創立八〇周年記念パーティが開催され、招待を受けた原告を代理して眞紀子の夫田中直紀が出席し、顕彰状を受け取ってきたが、右顕彰状には原告の胸像を作って顕彰するという趣旨のことが記載されていた。原告はこれを見て初めて被告が本件胸像を制作していたことを知り、被告が自分の承諾なしに本件胸像を制作していたことに立腹し、眞紀子を通じて、被告に対して本件胸像の制作について異議を述べるとともに、本件胸像等の廃棄、引渡しを求めた。
2 ところで、証人眞紀子は「遠藤から被告が本件胸像を制作する話を聞いたことは一度もない。」旨証言するが、証人遠藤は右眞紀子とのやり取りについて、眞紀子は胸像をどこに置くか、誰が作るかなどを聞くかと思っていたら、いきなり前認定のような返答があったので記憶が鮮明である旨証言しており、また、証人遠藤の証言及び被告代表者本人尋問の結果は、遠藤が一度本件胸像制作の件を原告に話すことを大森に依頼されながら失念し、再度大森から依頼を受けたこと、また、遠藤が眞紀子に話をした時期である昭和六二年六月下旬ころ、遠藤が大森に対して原告の了解を得た旨報告したことなどの点で一致しており、信用がおけるものと認められるから、右眞紀子の証言は信用できない。
3 右事実によれば、原告自身は本件胸像の制作、展示について承諾していなかったことが明らかである。
被告は、眞紀子の承諾があったから、原告本人の承諾があったことと同一視しうると主張しているように解される。
しかしながら、前記認定の眞紀子と遠藤との会話の経緯に照らすと、遠藤は本件胸像の制作、展示の承諾を求めたわけではなく、単に連絡事項の一つとして被告の計画を眞紀子に知らせただけであり、したがって、眞紀子も軽く考えて前記のような返事をしたもので、右返事は承諾とは解されないこと(現に、昭和六〇年初めころに計画された新幹線浦佐駅前の原告の銅像の制作、展示について、原告は最終的には同意したものの、当初これをいやがっていた(証人眞紀子)のであるから、眞紀子が本件胸像につき承諾を与えたのなら直ちに原告本人にその旨伝えるはずであるところ、そうした形跡はない。)、仮に前記返事が承諾と解される余地があるにせよ、後記のとおり胸像の制作、展示の承諾という重大な人格権の処分行為については、本人が生存中は、もっぱら本人のみがなすことができるもので、これを他人が代わって行うことはできないものと解されるから、右被告の主張は理由がない。
二争点2について
1 一般的に、人格的利益の一つとして、人は自己の肖像を無断で制作、公表されない利益を有し、これを侵害され又は侵害されるおそれのある者は、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は、将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができる場合があると解される。いかなる場合に可能かは、肖像の制作、公表によって蒙る本人の不利益、被害感情などと、これにより得られる肖像の制作、公表をする者及び公共の利益とを比較衡量して決すべきであり、これは肖像の形態(写真、彫刻、絵画等)、展示の目的(特に公共の利益の有無)、展示の形態その他の具体的事情に基づき判断すべきである。
2 胸像は写真とは本質的に異なり、その制作、展示の目的、形態においてその人のいわば分身として、その全人格を具体的に表象するものであり、かつ半永久的に保存されるものである。本人としては、右のような性格をもつ胸像の制作、展示それ自体を好まぬこともあり、また、時代の流れにより本人に対する評価が変わるかも知れぬことを考慮して自己の胸像の制作、展示を拒むこともあろう。
胸像が前記のような性格を持つ以上、右のような本人の意思は最大限に尊重されるべきである。
3 他方、被告は、(一) 原告が総理大臣等の公職の歴任者であり、その肖像は国民一般に周知となっており、原告の許諾なく新聞、雑誌等に掲載されていること、(二) 被告が本件胸像を制作、展示する目的は、原告の被告への多大の功績に感謝し、これを顕彰するものであること、(三) 本件胸像については原告の秘書が賛同していたこと、(四) 展示の場所は被告の八〇周年記念館の内部であり、役職員、教職員、生徒などの学校関係者しか出入りしないことを理由に、本件胸像の制作、展示は社会的相当行為であるという。
(一)の事実については当事者間に争いがなく、その余の事実は被告代表者本人尋問の結果によって認められる(ただし、記念館の性格からみて、同所に出入りできるのは、被告のいう学校関係者のみならず、学校と何らかの関係のある外部の者を含むと思われる。)。
まず、公職の歴任者である原告の写真を、その承諾なく公刊物に掲載できるのは、国民の知る権利に奉仕し、報道の自由を実現する等公益目的があり、かつその表現形態に相当性がある場合であるが、本件で問題となっているのは胸像であり、かつ、被告の目的は原告の被告に対する功労の顕彰というのであるから、右のような公益目的とは関係がない。
したがって、被告のこの点の主張は、本件胸像の制作、展示の正当性を根拠づけるものではない。
次に、被告の本件胸像の制作、展示の目的は被告に対する原告の功労、功績の顕彰という点にあるが、その当該本人が胸像の公開、展示という形での顕彰を拒否している以上、被告としては原告の意思を尊重すべきであり、あえてこれを無視してまで本件胸像を公開、展示して計画どおりに実行することが、前記原告の顕彰という点からしてどれだけ意味があるか疑わしく、原告と被告との関係、本件胸像の展示場所、展示方法等の点を考慮したとしても、その必要性は認められないと言わなければならない。
その他、原告の秘書が本件胸像の制作、展示に賛同していたこと、展示場所が被告の記念館内部であること(前記のとおり、多くの学校関係者や外部の者が胸像を見ることができる。)も、公開、展示を正当づける理由とはならない。
したがって、原告は、被告に対して、本件胸像及び銘板の公開、展示を禁止することを求めることができる(なお、本件胸像等のうち、本件塑像は本来展示用のものではなく、これについては被告は保管を継続する意思はあるものの、これを公開ないし展示する意思は全くないとしているから、本件塑像について公開、展示の禁止を求める原告の請求は理由がない。)。
(裁判長裁判官谷澤忠弘 裁判官古田浩 裁判官細野敦)
別紙目録
原正樹制作にかかる
一 田中角栄ブロンズ製胸像 一体
二 右胸像に付属するブロンズ製銘板 二枚
三 田中角栄石膏製塑像 一体