東京地方裁判所 平成2年(ワ)53号 判決 1990年12月17日
原告 伊藤久美
右訴訟代理人弁護士 山岡義明
被告 友廣静代
右訴訟代理人弁護士 遠藤勝男
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、二四三万円を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が被告に賃貸していた店舗の賃料について、そのうち被告が原告に直接支払うべき平成元年五月一日から平成二年一月三一日までの一か月二七万円の割合の賃料九か月分合計二四三万円の支払を求める事案である。
一 争いのない事実等
(証拠により認定した事実については、当該箇所に証拠を記載する。)
1 原告は、クラブ経営を業とする被告に対し、東京都港区赤坂二丁目一四番一二号所在井上ビル四階の店舗四九・五八平方メートル(一五坪)(以下「本件店舗」という。)を、次の条件で賃貸した(以下この契約を「本件契約」という。)。((四)の条件について甲一)
(一) 期間 昭和六三年四月一五日から平成二年四月一四日までの二年間
(二) 目的 クラブ経営
(三) 賃料等 一か月六〇万円とする。このうち管理費を含む三三万円については、原告が店舗の所有者である井上流通産業株式会社に支払う賃料を被告が原告に代って支払い、残金二七万円を毎月二〇日までに翌月分を原告の指定する場所に持参または指定銀行に振り込んで支払う。
光熱費、看板代等の実費はすべて被告の負担とする。
(四) 保証金 被告は、契約成立と同時に、この契約に基づく一切の債務を担保するために保証金一〇〇万円を原告に預け入れる。この保証金には利息は付けない。
契約が終了した場合には、被告が本件店舗を原告に返還した日から一か月以内に、被告が契約に基づき負担すべき一切の債務を精算して、残金を被告に支払う。
(五) その他 風俗営業の許可は原告が取得する。
2 また、原告と被告との間の本件契約には、二六条に、次の特約条項がある。
記
本物件は占有移転禁止の仮処分となっているため、貸主(原告)は借主(被告)に対し次のとおり保証期間を設けることとする。但し、本処分が実行され、営業不可能となった場合に限る。
(1) 一年未満
貸主は借主に対し六〇〇万円保証。
(2) 一年以上二年未満
貸主は借主に対し四〇〇万円保証。
(3) 二年以上
時効。
3 本件店舗は、井上流通産業株式会社の所有で、原告は、本件店舗を井上流通産業から賃借していた。
4 井上流通産業と原告との間の東京地方裁判所昭和六三年(ワ)第一四三八号事件(建物明渡訴訟)において、平成元年六月二七日、被告も利害関係人として参加して、次の内容の訴訟上の和解が成立した(以下この和解を「別件和解」という。)。
(一) 原告及び被告は、井上流通産業に対し、本件店舗を平成二年四月末日限り明け渡す。
(二) 原告及び被告は、井上流通産業に対し、連帯して本件店舗の明渡しまで賃料相当損害金として月額三三万円を支払う。
5 被告は、平成二年一月末日に原告に対し本件店舗を明け渡した。
6 原告は、この間風俗営業の許可を取得しなかった。
7 被告は、被告が原告に直接支払うべき平成元年五月一日から平成二年一月末日までの賃料合計二四三万円(月額二七万円の九か月分)を原告に支払わない。
8 被告は、平成二年六月五日の本件第四回口頭弁論期日において、風俗営業許可を取得しない債務不履行に基づく損害賠償請求権、保証金返還請求権、特約に基づく違約金請求権を自働債権として、相殺する旨の意思表示をした。(顕著な事実)
二 争点
1 被告は、原告が風俗営業許可を取得しないこと及び違約金等の約定に関して公正証書の作成手続を履行しないことを理由として、本件店舗の賃料の支払を拒絶することができるかどうか。
2 被告が、別件和解に利害関係人として参加して事案の概要一4記載の内容の和解を成立させたことにより、風俗営業許可を原告が取得しないことについての原告に対する抗弁権を放棄したかどうか。
3 被告が、原告に対し風俗営業許可を取得しない債務不履行に基づく損害賠償請求権、保証金返還請求権及び特約に基づく違約金請求権を有していて、原告の賃料請求権と相殺することができるかどうか。
第三争点に対する判断
一 争点1(風俗営業許可を原告が取得しないこと等を理由とする賃料支払拒絶の可否)について
1 原告は、風俗営業許可の取得の点について次のとおり主張する。すなわち本件契約締結当時、本件店舗についてその所有者である井上流通産業から明渡請求訴訟が原告に対して提起されている状況であって、同会社の協力が得られないことから右許可が得られないことを被告は了承していた、というのである。そして、原告は、本人尋問において、原告と井上流通産業との関係が険悪になって許可はすぐ取れないので、後に井上流通産業との間で和解が成立したら許可を取ることになっていたと供述する(原告四~六項)。
しかし、本件契約は、被告が本件店舗でクラブ営業をする目的で締結されたものである。そして、クラブ営業は「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」二条一項にいう「風俗営業」に該当するから、同法三条一項の許可を受けなければクラブ営業を営むことができず、許可なくクラブ営業を営んだ場合には犯罪として一年以下の懲役等の処罰の対象となるものである(同法三条一項、四九条一項一号)。したがって、風俗営業許可は、被告がクラブ営業をするに当たっての必須の大前提であったといわなければならない。そして、《証拠省略》によれば、現実問題としても、当然のことながら、許可を受けないでクラブ営業をすることは、警察の取り締まりにより、特にホステスを雇用することが事実上困難であると認められる。したがって、風俗営業許可を得なければ、被告のクラブ営業は法律上は違法であり、かつ、事実上も困難で、被告において本件契約の目的をほとんど達することができないものであったと認められる。そして、被告は、従来ホステスをしていた時の経験からこのことを承知していたものと認められる(被告五~七項)。
しかも、本件においては、許可申請に当たって家主である井上流通産業の協力が必要であったと認められ(原告四、五項)、かつ、本件契約は家主の承諾を得ていない無断転貸借であるから、家主の協力は原告において求めるほかないものである。
このように、本件においては、風俗営業許可がなければ被告は契約の目的をほとんど達することができず、しかも右許可は原告が取得するほかないものであったから、原告が本件契約を成立させるためには、被告に対し原告において風俗営業の許可を取得する旨約束するに至るのが自然の成り行きである。そして、特約条項には、「風俗営業許可は貸主が取得」する旨明文で規定され、何の保留も付されていないのであるから、結局、明文どおり、原告は被告に対し原告が風俗営業許可を取得する旨確定的に約束したものと認めるのが相当である。原告の主張及び供述は採用できない。
2 このように、風俗営業の許可を取得することは本件店舗でのクラブ営業の必須の大前提であるから、その義務は本件契約において原告が負う「目的物を使用収益させる義務」の重要な一内容を構成するものというべきである。したがって、原告のこの義務は、賃借人である被告が負担する賃料支払義務と対価関係に立つものである。よって、被告は原告の右義務不履行により使用収益が不十分となった程度に応じて賃料支払を拒絶することができる。
3 《証拠省略》によれば、次に事実が認められる。
(一) 被告は、原告が風俗営業許可を取得してくれるものと信じて、昭和六三年五月末頃、ホステスを一五人ほど雇用して、本件店舗でクラブを開業した。
(二) 開業して二か月目から、営業が軌道に乗り出し、二か月目は一か月の売上が六〇〇万円ほどになった。そして二か月目の終りの頃の営業状態から、被告はこのまま営業を継続できれば、一か月の売上は九〇〇万円位が期待できると考えた。
(三) ところが、開業後、被告は六月と七月に警察の手入れを受け、風俗営業許可なしにホステスを雇用してクラブを営業してはならない旨強く叱責され、始末書を提出させられた上、このまま営業を継続すれば逮捕する旨警告された。
(四) そこで、被告は危険を感じ、営業規模を大幅に縮小し、ホステスは多くても五人程度に止め、警察の手入れがありそうだと思われる時には、ホステスを雇用せず、自分一人で営業した。なお、平成二年一月に明け渡すまでの間に、被告は警察に五回ほど呼び出されて出頭した。
(五) 昭和六三年七月の警察の手入れ以後、営業を大幅に縮小せざるを得なくなったため、売上は次第に減少し、昭和六三年一一月頃には一か月二〇〇万円程度にまで減少した。そして、平成二年一月に本件店舗を明け渡すまでの間は、売上もその程度に低迷し、月々赤字が続いた。
4 右3の事実によると、被告は、原告が風俗営業許可を取得する義務を履行しないことによって、本件店舗をクラブ営業のために使用することにつき大きな制約を受けたものと認められる。そして、被告が本件店舗を十分に使用できなかった程度は七割を下回るものではないと評価するのが相当である。
したがって、被告は、原告が風俗営業許可を取得する義務を履行しない間は、本件店舗の賃料の七割の支払を拒絶することができるというべきである。
5 なお、被告は、違約金の特約について原告が公正証書を作成する義務を履行しないことを理由として賃料の支払を拒絶することができると主張する。
しかし、仮に原告が右の義務を負っていたとしても、右の義務は、賃料支払義務と対価関係に立つ「目的物を使用収益させる義務」の内容とはなっていないと考えられるから、被告はこれを理由に賃料の支払を拒むことはできない。
二 争点2(営業許可に関する抗弁権の放棄の有無)について
原告は、被告が別件和解に参加して和解を成立させた時点で、被告は原告に対する抗弁権を放棄したと主張する。
しかし、《証拠省略》によれば、別件和解は、本件店舗使用についての井上流通産業と原告及び被告との間の紛争に関してなされたものであるから、この和解条項自体により被告がそのような抗弁権を放棄したものとは認められない。
ところで、被告は、原告の風俗営業許可取得に関する債務不履行により大きな損害を被っていたところ、別件和解が成立しても、被告が右許可が得られたのと同様の営業ができるようになるわけではないから、原告が過去の損害を填補するとか、早期に右許可を取得できる保証が得られたといった特別の事情でもない限り、被告が原告に対する賃料支払に関する抗弁権を放棄するとは到底考えられない。しかるに、本件ではそのような事情は認められない。もっとも、原告は、別件和解成立の後は風俗営業許可の点は井上流通産業と被告とで直接話し合うことになり、被告は原告に賃料二七万円を支払っていくことになった旨供述する(原告一三、一四項)。右両者間で和解が成立したのであるから、許可の点を被告が同会社と交渉することは十分あり得ることであるが、結局許可は取得できなかったのであるから、和解成立時に許可を取得できる見通しはなかったといわざるを得ない。したがって、被告がこれに関する抗弁権を放棄することが合理的に了解できる客観的な状況はなく、被告が右の抗弁権を放棄したとは認めることができない。原告の主張及び供述は採用できない。
三 結論
以上によれば、被告は本件店舗の明渡しまで月額賃料六〇万円の七割に相当する四二万円の支払を拒むことができる。ところが、被告は平成元年五月一日以降本件店舗の明渡しまで原告に代わって右賃料のうち三三万円を井上流通産業に支払っているから(原告二一項)、被告は原告が本訴で請求する残額の月額二七万円については、その全額の支払を拒むことができる。よって、その他の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないことに帰着する。
(裁判官 岩田好二)