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東京地方裁判所 平成2年(ワ)9835号 判決 1993年8月30日

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金二〇〇万円及びこれに対する被告国家公務員等共済組合連合会については平成二年八月二八日から、被告藤井トム清については同年九月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを七分し、その五を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金七〇〇万円及び被告国家公務員等共済組合連合会(以下「被告連合会」という。)については平成二年八月二八日から、被告藤井トム清(以下「被告藤井」という。)については同年九月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事実関係

一  事案の概要

本件は、子宮外妊娠であつた原告が、原告の診察にあたつた医師である被告藤井の誤診により、子宮外妊娠に対する適切な診察・検査を受けられないまま卵管が破裂し出血したため、死亡するかもしれない危険にさらされ、かつ、過大な手術痕が残つたとして、被告藤井に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、同被告の使用者である被告連合会に対しては診療契約上の債務不履行または使用者責任による損害賠償請求権に基づき、被告らに対し慰謝料として合計七〇〇万円の損害賠償を請求した事案である。

二  当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実等

1  原告は、昭和三九年五月三一日生まれの未婚の女性であり、被告連合会は、東京都目黒区中目黒二丁目三番八号に東京共済病院(以下「共済病院」という。)を設置している。被告藤井は、平成元年七月当時(以下、本判決においては、特に断らない限り、年号は平成元年である。)、共済病院において産婦人科医として勤務し、また、右当時、東京都が渋谷区恵比寿二丁目三四番一〇号に設置する都立広尾病院(以下「広尾病院」という。)に当直医として勤務していた。

2  原告は、七月一六日午前三時すぎころ、広尾病院において被告藤井の診察を受けた。原告は、被告藤井の問診に対し、下腹部に強い痛みがあること、不正性器出血があること、最終生理が五月八日ころから二週間であることを訴えた。被告藤井は、原告に対して、内診及び超音波検査を実施し、鎮痛剤のポンタール及びブスコバンをそれぞれ二日分処方し、原告を帰宅させた。

3  原告は、翌一七日共済病院産婦人科において、被告藤井の診察を受けた。原告藤井は、原告に対し、膣鏡による検査、内診を行い、一般的尿検査、血液検査を実施した。この時点で、被告藤井は、原告の症状を骨盤腹膜炎であると診断し、抗生剤ケフラール、鎮痛消炎剤ポンタール、胃薬ベリチームを五日分処方し、原告を帰宅させた。

4  原告は、同月二四日午前中、再び共済病院産婦人科で被告藤井の診察を受けた。診察の結果、被告藤井は、原告を卵巣機能不全と診断し、生理を起こすために薬であるプラノバール一〇日分を処方して、原告を帰宅させた。

5  原告は、同月二四日午後一〇時三〇分ころ、救急車で共済病院に運ばれた。診察・検査を受けた結果、体内に出血があるのが発見されたため、翌二五日午前一時三〇分ころから宮本医師の執刀のもとに開腹手術が開始された。右手術の結果、原告の症状は子宮外妊娠による左卵管破裂であることが判明し、共済病院医師らは左卵管切除手術を実施した。原告は、共済病院に、八月八日まで入院し、その後同月一八日まで同病院に通院した。

三  原告の主張

1  責任原因

(一) 被告藤井の責任

(1) 注意義務

一般に、無月経、下腹部の痛み及び不正性器出血は子宮外妊娠の三徴候と言われている。したがつて、被告藤井としては、原告から右三徴候の訴えがあつたのであるから、七月一七日及び二四日に、子宮外妊娠の診察に必要不可欠であるhCG検査を実施し、入念な内診を行つて原告の症状が子宮外妊娠によるものではないかとの疑いを持ち、原告を入院させて身体の安全を図りつつ、速やかに一層入念な検査、具体的には、タグラス窩穿刺、子宮内膜診査掻爬、超音波断層診、内視鏡検査等を行い、子宮外妊娠の診断が確定次第直ちに開腹手術をして、罹患した卵管を摘出すべき注意義務を負つていた。

(2) 過失

ア 被告藤井は、七月一七日、原告にhCG検査を実施することなく妊娠ではないと誤診し、入念な検査を実施するのを怠り、原告に対して一般的尿検査を実施し鎮痛剤と抗生物質を投与しただけで、入院させることなく帰宅させた。また、同月二四日午前中に診察した際にも、hCG検査を実施しなかつたため、妊娠ではないと誤診した過失がある。

イ 仮に、被告藤井が新ゴナビスライドによりhCG検査を実施し、その結果が陰性であつたとしても、原告の症状からすれば、被告藤井には、更に低単位のhCG検査を実施するなど、入念な検査をし、妊娠か否かを診断すべき義務があつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。

(二) 被告連合会の責任

原告は、七月一七日及び二四日、被告連合会との間において、原告に対する診察・検査を適切に行う旨の診療契約を締結した。しかるに、被告連合会は、前記(一)記載のとおり、その雇用する医師の過失による原告に後記の損害を与えたのであるから、その損害を賠償する債務を負う。また、被告連合会は被告藤井を雇用しているので、民法七一五条一項本文の規定に基づき、原告に対し損害を賠償する債務を負う。

2  損害(請求総額七〇〇万円)

(1) 五〇〇万円

被告藤井が適切な診察・検査を怠つたため、原告は、七月一七日から同月二四日までの間、生命の危険にさらされた。特に、卵管が破裂した同月二四日午後一〇時半から手術終了の翌二五日午前三時ころまでは極めて危険な状態にあつた。右生命の危険にさらされたことを金銭で評価すると五〇〇万円が相当である。

(2) 一五〇万円

被告藤井が適切な診察・検査を怠つたため、原告は、七月一七日から同月二五日午前一時までの間、下腹部痛に苦しみ、とりわけ、二四日午後一〇時半ころから二五日午前一時までの間は猛烈な下腹部痛に苦しんだ。右苦痛を金銭で評価すると、一五〇万円が相当である。

(3) 五〇万円

被告藤井の誤診により、原告は、原因不明のまま開腹手術をうけることになり、そのため、子宮外妊娠の確定診断のもとに実施される開腹手術に比べて手術痕が大きくなり、その痕が現在も残つている。これによる原告の精神的苦痛を金銭で評価すると、五〇万円が相当である。

四  被告らの主張(責任原因について)

本件においては、被告藤井は、原告を診察した七月一七日、二四日午前中とも、原告に対して、hCG検査(二〇〇IU/l・新ゴナビスライド)を実施しているが、その結果はいずれも陰性であつたのであり、同月一六日に行つた超音波検査の所見で胎嚢(GS)が認められなかつたこと、一七日、二四日共に膣鏡検査で原告には性器出血が見られず、また、内診の結果、子宮の大きさ、堅さはほぼ正常で、子宮付属器の卵巣、卵管にも触れず異常所見がなかつた。したがつて、原告には、妊娠を示す徴候が見られなかつたのであるから、被告藤井が、原告の症状を一七日には骨盤腹膜炎であると、また、二四日には卵巣機能不全であると診断したことは止むを得ないことであり、被告藤井には、一七日または二四日の午前中の時点で、原告を入院させ、更に検査をする等して経過観察する義務はなかつた。

第三  争点

一  被告藤井が、原告の症状を子宮外妊娠と診断せず、七月一七日には骨盤腹膜炎と、同月二四日午前には卵巣機能不全とそれぞれ診断したことは、止むを得ないことであつたか。被告藤井は、原告に対し、七月一七日及び同月二四日午前中にhCG検査を実施したか否か。

二  原告が、七月一七日から同月二四日までの間、生命の危険にさらされ、下腹部痛に苦しんだこと及び原告の腹部に原告主張のような手術痕が残つたことは被告藤井の誤診に基づくものであるか否か。

三  原告の慰謝料額

第四  争点についての判断

一  前記当事者間に争いのない事実に《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は、七月一五日午後一〇時ころ、一週間程前から続いていた腹部痛が激しくなり、翌一六日の午後三時ころ、タクシーで広尾病院に行き、同病院の救急センターで被告藤井の診察を受けた。原告は、被告藤井の問診に対して、同月一五日に一日中性器出血があつたこと、最終の生理が五月八日から一四日間あつたこと、昭和六二年九月に虫垂切除手術を受けたことがあること、五月末ころ男性との性交渉があつたこと等の事実を告げた。被告藤井は、原告の腹部痛が内診を実施することができないほど激しかつたため、原告に対して、鎮痛剤(ブスコバン)の静脈注射を実施し、原告の腹部痛が治まつてから内診を実施したところ、「子宮が前傾前屈で、大きさ及び硬さは正常であり、子宮に触れると非常に強い痛みを訴え、子宮付属器の卵巣、卵管の部分にも強い圧痛があり、子宮膣部には糜爛がなく、膣内には出血の痕跡はなく、膣分泌液は白かつたが、子宮口では茶褐色である」との所見を得た。被告藤井は、原告が若い女性で、生理も遅れていることから、原告が妊娠している可能性があると考え、原告を婦人科外来に連れて行き、超音波(エコー)で原告の下腹部を診察した。超音波検査の結果、胎嚢(GS)が写つていなかつたことから、被告藤井は、原告には、妊娠の所見が認められないと判断し、原告に対して、妊娠ではないだろうと告げた(なお、広尾病院では、妊娠反応薬による検査は全て検査科を通じて実施しているが、夜間ということもあつて、被告藤井は妊娠反応薬による検査を実施しなかつた)。また、被告藤井は、内診の結果に異常がないこと、膣内に出血が見られないこと、超音波に胎嚢が写つていないこと等から、原告の症状が子宮外妊娠による可能性はないと判断し、むしろ原告の腹部痛は月経前の腹痛であるとの疑いを持ち、鎮痛剤二種類(ポンタール、ブスコバン)を二日分出して、「自分は共済病院の医者であるから、薬を飲み終わつてもまだ腹痛がある場合には、共済病院の方に来るように」と告げて、原告を帰宅させた。

2  原告は、七月一七日には、同月一五日からの腹部の激しい痛みは多少治まつていたものの、依然として痛みが続いていたので共済病院に赴き、被告藤井の診察を受けた。被告藤井は、原告に対して内診を実施したところ、「子宮膣部には糜爛、鬱血はなく、膣分泌液は中等量で白く、子宮体は前傾前屈であり、大きさ及び硬度は正常であるが圧痛があり、子宮付属器には触れることがない」との所見を得た。被告藤井は、原告の痛みは炎症によるものである可能性があると判断し、骨盤腹膜炎と診断した上で、原告に対して、血液検査と尿一般検査を実施した。被告藤井は、抗生物質、鎮痛消炎剤、胃薬を五日分処方し、症状が悪化した場合や薬を飲み終わつたときに再度来院するよう指示して原告を帰宅させた。

3  原告は、腹痛が同月一五日の時ほど強くなく我慢できる程度の痛みであり、また、仕事が忙しかつたこともあつてしばらく通院せず、同月二四日の午前中に至つて共済病院に赴き、被告藤井に三度目の診察を受けた。被告藤井は、原告に対して内診を実施したところ、前回の内診とほぼ同様の所見を得た。また、前回実施した尿検査及び血液検査の結果により原告に炎症所見が見られなかつたことから、被告藤井は原告を卵巣機能不全と判断し、また、原告には、まだ生理がないということであつたので、卵巣の機能を調整して、薬が切れた時点で生理を起こす薬であるプラノバールを一〇日分処方して、原告を帰宅させた。

4  原告は、右同日、病院から帰宅した後も軽度の腹部痛を感じていたが、同日午後一〇時ころ、友人と自宅で会話中、激しい痛みを感じ、ベッドに倒れたため、救急車で共済病院に運ばれた。原告はショック状態であつた。原告を診察した共済病院の外科医長宮本洋寿医師は、腹部刺激症が原告の腹部全体に見られたため、緊急手術を要すると判断し、原告に開腹手術の承諾を求めたが、原告は、被告藤井及び共済病院の医師に対する不信感から右手術を承諾しなかつた。そこで、宮本医師は、原告の家族に連絡をとることとし、その間に、原告に対して、血液検査、超音波検査等を実施したところ、超音波検査の結果、腹腔内に大量の出血があるとの所見が得られたが、出血の原因は分からなかつた。そして、最終的に、原告本人の手術承諾が得られたので、宮本医師の執刀の下で、被告藤井も立会い、二五日午前一時から手術を開始し、原告の痛みが上腹部にあつたこと等から、中腹部正中切開で開腹したところ、腹部に約二五〇〇ミリリットルの血液と約六六〇グラムの凝血があり、腹腔内所見によると、原告の子宮は手拳大で柔らかく、妊娠子宮の状態であつた。宮本医師は、凝血等を取り除いた後、上腹部から下腹部までを検査したところ、左の卵管が腫大しており、また、卵管の一部に〇・五センチ大の穿孔があり、右穿孔から出血しているのが認められることから、破裂部を含めた卵管を切除した。宮本医師は、原告が若い女性であるので、皮膚に傷がつく可能性が比較的少ない五-〇ナイロン連続埋没縫合で皮膚を閉じた。また、被告藤井は、最後に、原告の子宮内膜掻把した。被告の症状は、左卵管間質部妊娠と診断された。

二  以上の事実に対して、被告らは、被告藤井は、七月一七日、二四日の午前中に、被告藤井が原告を診察した際、原告に対して、新ゴナビスライドによるhCG検査を実施したと主張し、被告藤井も本人尋問において右主張に沿う供述をしている。

しかしながら、被告藤井が、七月一七日、同二四日に原告を診察した際に作成されたカルテには、いずれも、hCG検査を実施した旨の記載がない。この点について、被告藤井は、検査結果が陰性で異常がない場合にはカルテに記載漏れが生ずることがあり、本件の場合も二回とも陰性であつたから、単なる記載漏れである旨供述している。しかし、被告藤井本人尋問の結果及び鑑定の結果によれば、カルテに検査の記載がなければ検査料を健康保険組合または患者に請求することができない可能性もあり、また、本件hCG検査の結果が陰性であつたことが診療上意味がないとはいえず、むしろ重要な検査データであつて、カルテ作成の目的に照らして、医師としては記載するのが通常であると考えられるところ(鑑定人もその旨指摘している)、二回とも記載漏れが生じたというのは不自然であること、被告藤井の供述は、妊娠が疑われる患者に対しては、通常、hCG検査を実施しているから本件でも実施しているはずである旨のものであり、本件での具体的状況については必ずしも述べられていないことなどからすれば、本件藤井の右供述はにわかに信用することができない。また、共済病院看護婦ら作成にかかる陳述書も被告藤井の右供述と同趣旨のものであつて、本件での具体的状況についての記載は全くない。以上に加えて、原告は、その本人尋問において、本件以前にも妊娠反応検査を受けたことがあり、hCG検査がどのようなものかを知つていたが、本件で被告藤井が、どうしてこの検査をしてくれないのか疑問に思つた旨の供述をしていることをも考え合わせれば、被告藤井が原告に対して新ゴナビスライドによるhCG検査を実施していなかつたものと認めるのが相当である。

三  子宮外妊娠及びその診断等について《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1  子宮外妊娠とは、妊卵が正常の着床部位である子宮体部膣以外の部位に着床したものを総称し、妊卵の着床部位によつて、卵管妊娠、卵巣妊娠、腹膜妊娠等に分類されるが、卵管妊娠の場合、その多くは妊娠三か月までに中絶(卵管流産、卵管破裂)し、一旦中絶すると激しい症状を呈する。また、子宮外妊娠の手術療法が行われるようになつた今世紀の初めから、子宮外妊娠による死亡率は激減しているが、現在でも、妊娠中毒症、出血に次いで妊産婦の死亡原因として挙げられることから、妊娠の可能性がある女性が、無月経、下腹部痛及び性器出血を訴えて診察を求めてきた場合には、子宮外妊娠を疑い、子宮外妊娠か否かについて診断を尽くす必要がある。また、以前は、中絶前に子宮外妊娠の診断をする事は非常に困難とされていたが、本件当時には、補助診断法の進歩により、中絶前の診断はかなり容易となつていた。

2  子宮外妊娠の診断は、患者が妊娠しているか否か、妊娠しているとした場合それが子宮内か子宮外かを鑑別するものであるが、患者が妊娠しているか否かを鑑別するための有力な検査方法として尿中hCG検査があり、子宮外妊娠の診断には必要不可欠の検査であるとされている。尿中hCG検査とは、妊卵の着床後、尿中に排出されるようになる人絨毛組織により生産される糖蛋白ホルモンである絨毛性ゴナドトロピン(hCG)の尿中濃度を測定することにより、妊娠の有無を判定するものであるが、子宮外妊娠の場合、妊卵の着床が正常な着床部位ではないため、絨毛が十分な発育を遂げることができず、hCGの分泌量が正常妊娠に比べて低値となり、尿一リットル当たり一〇〇IU以下の値を示す症例が四分の一程度あると報告されているが、本件当時には、高感度のhCG検査薬が発売されており、一リットル当たり二〇~五〇IUまで測定可能な検査薬を使用した場合、子宮外妊娠であつても、九〇~九六パーセントが陽性となり、また、一リットル当たり一〇IUの測定が可能な検査薬を使用した場合には、子宮外妊娠であつてもほぼ一〇〇パーセント陽性となる。一リットル中二五~五〇IUの感度をもつ高感度尿中hCG検査で陰性になつた場合、子宮外妊娠の可能性は極めて少ないと判断される。

四  被告藤井の過失について

以上の事実を前提として被告藤井の過失の有無について判断する。

1  右認定事実によれば、原告は、七月一六日に広尾病院で被告藤井の診察を受けた際、強い下腹部痛を訴え、また、問診に対して、最終の生理が五月八日から二週間でその後生理がないこと、五月末ころ男性との性交渉があつたこと、七月一五日は一日中性器出血があつたことなどを被告藤井に対して述べており、前記の子宮外妊娠の三徴候が見られるのであるから、被告藤井としては、原告の症状が、子宮外妊娠ではないかとの疑いを持ち、子宮外妊娠か否かの診断をつける義務を負つていたものというべきである。

被告藤井は、七月一六日、内診の結果に異常がないこと、また、不正性器出血が認められないこと、超音波検査の結果から妊娠所見が得られないことから、原告の症状が子宮外妊娠である可能性はほとんどないと診断している。しかし、《証拠略》によれば、膣分泌物が褐色である場合は分泌物に血液が混じつているもので、性器出血に他ならないとされているところ、前記認定事実によれば、原告の膣分泌物は白色であつたが、子宮口では茶褐色であつたのであり、また、原告が七月一五日に性器出血があつたと告げていることからすれば、たとえ七月一六日の診察で膣内に出血の痕跡を認めなかつたとしても、少なくとも不正性器出血の疑いは持つべきであつたにもかかわらず、膣内に出血の痕跡を認めなかつたことから直ちに原告に不正性器出血がなかつたと判断するのは早計にすぎたというべきである。また、内診については、《証拠略》によると、子宮外妊娠の場合、子宮に強い圧痛が認められるところ、本件でも、原告には子宮及び子宮付属器の卵巣、卵管の部分に強い圧痛が認められたのであるから、内診の結果に異常がないとはいえず、むしろ他の症状とも相まつて子宮外妊娠の可能性を示す症状ととらえるべきである(なお、《証拠略》によれば、妊娠の徴候があり、子宮の増大傾向がなく更に子宮付属器の腫大等を認めれば子宮外妊娠であることを診断できるが、付属器の腫大等が認められなくとも、子宮外妊娠が否定されるわけではないことが認められ、したがつて、原告の内診所見だけでは、原告が子宮外妊娠でないと判断することはできない。)。さらに、鑑定の結果によれば、子宮外妊娠の場合、子宮内には胎嚢(GS)が認められず、また、子宮外には胎嚢(GS)が認められるのは四分の一程度であることが認められるのであるから、超音波検査の結果、胎嚢(GS)が認められないことからすれば、正常妊娠である可能性はある程度否定することはできるが、子宮外妊娠であることを否定する根拠にならない。そうであるならば、七月一六日の時点で、原告が子宮外妊娠である可能性がないとはいえず、被告藤井には、原告が子宮外妊娠であるか否かについて、更に検査を実施する義務があつたものである。そして、子宮外妊娠の診断のためには、前記のとおり、まず、妊娠しているかどうかを検査することが必要であり、その必要不可欠な検査がhCG検査であるということができる。

2  ところで、鑑定の結果によれば、子宮内に胎嚢(GS)が認められないのに妊娠反応が陽性の場合、子宮外妊娠である可能性が高まるとされていることが認められ、また、共済病院で使用されている外来用のhCG検査薬は、持田製薬から発売されている新ゴナビスライドであり、検査感度二〇〇IU/lであるが、《証拠略》によれば、子宮外妊娠の場合でも七五~八五パーセントの事例で陽性になることが認められることから、本件でhCG検査を実施した場合、高い確率で陽性になつたものと認められる。また、《証拠略》によれば、共済病院には感度五IU/lの検査薬(ハイゴナビス)が存在していたと認められるところ、右検査薬によれば、ほぼ一〇〇パーセントに近い確率で陽性となつたと認められる。したがつて、七月一六日は夜間の診療ということで、被告藤井が原告に尿中hCG検査を実施しなかつたのは止むを得ないとしても、七月一七日及び同月二四日の時点では、被告藤井に尿中hCG検査を実施すべき義務があつたというべきである。

3  以上によれば、被告藤井が、七月一七日の時点でhCG検査を実施しておれば高い確率で陽性反応を得ることができ、右陽性反応が得られた場合、前日実施した超音波検査の結果や不正性器出血、下腹部痛等の症状と合わせて、原告が子宮外妊娠であると強く疑い得たにもかかわらず、被告藤井は、子宮外妊娠の検査に必要不可欠とされているhCG検査を実施しなかつたばかりか、内診に異常がなく、不正性器出血もないと誤診したため、被告藤井は、原告が子宮外妊娠であるとの疑いを持つことがなく、七月一七日の時点では骨盤腹膜炎と、また、同月二四日には、卵巣機能不全と誤診したものである。そのため、右誤診がなければ、子宮外妊娠の疑いをもつてなすべき処置、すなわち原告を入院させ、更に入念な検査(内視鏡による検査等)を実施し、診断が確定次第開腹して卵管を摘出することができたにもかかわらず、右処置を怠つたため、原告の卵管が破裂するに至つたものであると認めることができる。

したがつて、被告藤井は、不法行為に基づき、原告に生じた本件損害を賠償する責任を負う。

五  損害(慰謝料)について

前記認定事実によれば、原告は、被告藤井の誤診の結果、長期間激しい下腹部痛に悩まされ、とりわけ七月二四日の午後一〇時ころ、卵管が破裂し卵管摘出手術が行われるまで下腹部の激痛に苦しみ、死亡する危険さえもあつたこと、また、《証拠略》によれば、子宮外妊娠の確定診断があつた場合の一般的な治療方法としては開腹手術によるしかないことが認められ、したがつて、同被告の前記過失がなかつたとしてもいずれにせよ右手術を実施する必要があつたことが認められるものの、鑑定の結果によれば、本件と異なり、被告藤井の誤診がなく子宮外妊娠であるとの確定診断があつた上で開腹手術をする場合には、下腹部臓器の病変であることから、臍上部まで切開創が伸びることはほとんどないことが認められるところ、《証拠略》によれば、原告の腹部には下腹部から臍上部まで長さ約一二、三センチメートル(臍上部は数センチメートル)の手術痕が残つたことが認められる。以上の事実を総合し、本件諸般の事情を考慮すると、原告に生じた精神的苦痛を慰謝すべき金額は合計二〇〇万円が相当であると認められる。

六  被告連合会の責任

被告連合会が被告藤井の使用者であることは当事者間に争いがない。したがつて、被告連合会は、その余の点について判断するまでもなく、原告に対し、民法七一五条の規定にしたがつて、原告に生じた本件損害を賠償する責任があることになる。

第五  結論

以上により、被告らは、原告に対し、各自二〇〇万円及びこれに対する被告連合会については右被告に本件訴状が到達した日の翌日であることが記録上明らかな平成二年八月二八日から、被告藤井に対しては右被告に本件訴状が到達した日の翌日であることが記録上明らかな同年九月一日より各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河野信夫 裁判官 角 隆博 裁判官 中山大行)

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