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東京地方裁判所 平成2年(ワ)9987号 判決 1994年2月28日

原告

三好昌子

三好弘夫

三好光可

三好栄一

右原告ら訴訟代理人弁護士

深道辰雄

被告

国家公務員等共済組合連合会

右代表者理事長

古橋源六郎

被告

大川淳

右被告ら訴訟代理人弁護士

真鍋薫

主文

一  被告らは、原告三好昌子に対し、各自金六一三万二四二〇円及びこれに対する昭和六一年一〇月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告三好昌子のその余の請求及び原告三好弘夫、同三好光可、同三好栄一の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告三好昌子と被告らとの間においては、同原告に生じた費用の一〇の一を被告らの負担とし、その余は各自の負担とし、原告三好弘夫、同三好光可及び三好栄一と被告らとの間においては、全部同原告らの負担とする。

四  この判決は、原告三好昌子勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、原告三好昌子に対し金一億〇一五〇万九〇一三円、同三好弘夫に対し金一一〇〇万円、同三好光可及び同三好栄一に対しそれぞれ金五五〇万円及びこれらに対する昭和六一年一〇月三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告三好昌子(以下「原告昌子」という。)は、被告国家公務員等共済組合連合会(以下「被告共済」という。)との間で、昭和六一年九月三日、被告共済経営の九段坂病院が原告昌子に対し脊椎麻痺による背部痛や歩行困難等の症状の適切な治療行為をし、原告昌子がその対価として診療報酬を支払う旨の準委任契約を締結した。

2  原告三好弘夫(以下「原告弘夫」という。)は原告昌子の夫、原告三好光可及び同栄一(以下「原告光可」、「原告栄一」という。)は原告昌子の子である。

3  前記契約に基づき、九段坂病院の医師である被告大川淳(以下「被告大川」という。)は、同年一〇月三日、原告昌子の脊椎麻痺の原因を解明するため局部麻酔をして針生検を行った。

医師が麻酔注射の注射針や針生検の生検針を椎間に挿入するにあたっては、これらの針によって脊髄神経を損傷することがないように慎重に挿入部位を選定すべきである。

ところが、被告大川は、右注意を怠り安易に麻酔針または生検針を椎間に挿入し、麻酔針または生検針によって原告昌子の脊髄神経を損傷した(以下「本件医療事故」という。)。

その結果、原告昌子は、両下肢が麻痺し尿感覚を喪失した。

4  損害

(一) 原告昌子の損害 金一億〇一五〇万九〇一三円

(1) 昭和六二年一月一日以降同六三年一一月一二日までの医療費の自己負担分 金六三万二四二〇円

原告昌子は、昭和六一年九月三日九段坂病院に入院し、同六三年一一月一二日退院したが、少なくとも昭和六二年一月一日以降の入院は本件医療事故がなければ必要のないものであった。

(2) 家屋等改善費 金二七万七九九〇円

原告昌子は、九段坂病院を退院するにあたり、車椅子での生活のため自宅の諸設備等を買入れたり自宅の改造をしたりしなければならなかった。

(3) 介護料 金三二〇七万四一八四円

原告昌子は、本件医療事故によって、他人の介護なしに日常生活を営むことが不可能となり、生涯付添い看護を要するようになった。この介護料は一日当たり金四五〇〇円が相当であり、昭和六二年一月から平成二年七月末までの分は五八八万六〇〇〇円となる。昭和六三年簡易生命表の平均余命により原告昌子が平成二七年七月末まで生きるものとして、平成二年八月から同二七年七月末までの介護料を年五分の割合によるホフマン方式で算出すると、金二六一八万八一八四円となる。

(4) 休業損害 金三三五二万四四一九円

原告昌子は、本件医療事故がなければ少なくとも昭和六二年一月から家事労働に従事できたはずである。昭和六二年の賃金センサスによると年収二四四万七三〇〇円となるから、昭和六二年一月から平成二年七月末までの休業損害は金八七六万九四九一円であり、平成二年八月から平成一六年一月末(原告昌子は同年二月六日に六七歳となる。)までの休業損害を新ホフマン係数を利用して計算すると金二四七五万四九二八円となる。

(5) 慰謝料 金三〇〇〇万円

(6) 弁護士費用 金五〇〇万円

(二) 原告弘夫の損害 金一一〇〇万円

(1) 慰謝料 金一〇〇〇万円

原告弘夫は、その妻が本件医療事故のために生涯車椅子生活を強いられ、自身は退職して介護にあたり、結局転職を余儀なくされたうえ、場合によっては再度職業をなげうって一生介護をしなければならなくなる可能性がある。この精神的苦痛は、原告昌子が生命を害された場合に匹敵する。

(2) 弁護士費用 金一〇〇万円

(三) 原告光可及び同栄一の損害各金五五〇万円

(1) 慰謝料 各金五〇〇万円

原告光可及び同栄一はそれまで両親と共に平穏な家庭生活を送ってきたのに、本件医療事故により母の悲惨な姿に接し、また父が生活のため復職し介護ができないことから母が入院せざるを得ず、母と共に暮らすことができなくなった。このように平和な家庭生活を破壊された原告光可及び同栄一の精神的苦痛は、原告昌子が生命を害された場合に匹敵する。

(2) 弁護士費用 各金五〇万円

5  よって、被告共済に対しては債務不履行による損害賠償請求として、被告大川に対しては不法行為よる損害賠償請求として、被告ら各々に対し、原告三好昌子は金一億〇一五〇万九〇一三円、同三好弘夫は金一一〇〇万円、同三好光可及び同三好栄一はそれぞれ金五五〇万円及び右各金員に対する本件医療事故の日である昭和六一年一〇月三日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は不知。

3  同3のうち、被告大川が九段坂病院の医師であり原告ら主張のとおり針生検をしたこと及び生検に当たって原告ら主張のような注意義務のあることは認めるが、被告大川がこの注意義務に反したという点は否認する。生検によって原告昌子の脊髄を損傷した事実はなく、同原告のその後の症状は生検とは関係がない。

4  同4は争う。

三  抗弁

1(一)  原告らは、本件医療事故のあった昭和六一年一〇月三日にその損害と加害者を知った。

(二)  平成元年一〇月三日が経過した。

2  本件医療事故は公務員である被告大川が公共団体の公権力の行使としてなした行為に基づくから、被告大川は責任を負わない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)は否認する。被告大川は、原告らに対し、本件医療事故について一切説明しなかったため、原告らが被告大川の行為に疑いを持ったのは、昭和六三年一一月一二日に九段坂病院を退院する頃に相談した某病院の看護婦の言葉によってである。したがって、原告らはその時までは損害及び加害者を知ったことにはならない。

2  抗弁2は否認する。被告大川は公務員ではない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因について

1  原告昌子・被告共済間に請求原因1のとおりの契約が成立したことは当事者間に争いがない。

2  同2(原告らの身分関係)は弁論の全趣旨によりこれを認める。

3  被告大川が九段坂病院の医師であり請求原因3のとおり針生検を行ったこと、針生検には原告ら主張のような注意義務が要求されるものというべきであり、被告らもこれは争わないところである。

4  次に、証拠によると、以下の事実が認められる。

(一)  原告昌子は、かねてから糖尿病を患っていたが、昭和六一年八月四日、糖尿病のコントロールのため等潤病院に入院した。同月五日、胸椎の一一番の骨が破壊されているようなレントゲン結果が出、同月一五日に胸腔穿刺により胸水が異常に溜まっていることが認められたこと等から、糖尿病に癌性の胸膜炎または菌による胸膜炎が合併していることが疑われた。同年九月一日ころから足の動きが悪くなり、同月三日には胸髄の一〇番(へその高さ)より下の部分が完全に動かず痛覚は消失、触覚も正常の二、三割程度となった。そこで緊急手術のため、同病院の医師野本栄が、同日夕方、原告昌子を脊椎治療で名の通った九段坂病院に転院させた。(<書証番号略>、証人野本栄、被告大川)

(二)  被告大川がただちに原告昌子に対しレントゲン検査及び脊椎造影、CT検査を施行したところ、第一〇、一一胸椎が破壊されその間の椎間板が消失し脊髄が強く圧迫されていた。被告大川は、悪性腫瘍の脊椎転移による脊椎麻痺を疑い、検査後引続き第一〇・一一胸椎椎弓切除術と第七胸椎第二腰椎間ハリントン固定術(圧迫されている部位の椎弓を取除いて脊髄を圧迫から開放し、金属の支柱を固定する手術)を行った。このとき、脊髄や腫瘍性の組織を採取し、病理組織検査のために提出した。(被告大川、<書証番号略>)

(三)  手術後、原告昌子の両下肢の筋力は徐々に改善し、手術時には反応がほとんどゼロであったものが同月一八日には右足はほとんどすべての筋肉が正常を一〇とした場合の一または二となり、左足も一プラスの筋力あるものが幾つかみられ、同月二五日に右足の一部は三(重力に抗して動く状態)まで回復した。同月二七日には筋力が低下したがその後改善し同年一〇月二日には右足の多くの筋肉が三の筋力を示し左足も一部を三を示すまでになった。

また、原告昌子の知覚は、両方の足首より上の部分の触覚については同年九月六日には正常を一〇とした場合の五または四となったが、痛覚については両下肢の前面が同月一一日に一となったにとどまる。左右の機能を比べると、筋力・知覚とも右のほうが左よりわずかに勝っていた。原告昌子自身は同月一八日に知覚の改善を自覚している。

膀胱機能については、転院時から自尿はあった(<書証番号略>)が、手術後自然排尿量は増大し毎日五、六回の自然排尿となり二四時間尿量も安定して正常に近くなった。

病理組織検査の結果化膿性脊椎炎の可能性が高いとされ、また泌尿器科医の腎臓検査でも癌としての明瞭な所見はないとされた。しかし病理医は腎癌を疑っており、それまでの経過からしても腎癌の可能性は払拭しえなかったことから、より正確な検査をするため針生検をすることとなった。(証拠保全カルテ、<書証番号略>、証人福田眞輔)

(四)  被告大川は、同年一〇月三日、原告昌子に対し局所麻酔をしたうえ針生検を行った。一般に針生検はすべての動作をX線透視下で行うが、局所麻酔は生検手技に先立って行われるのでX線透視をせずに行われることがあり、また局所麻酔針は直径一ミリメートル以下と細いためX線透視をしても尖端の位置を確認しにくい。本件では、局所麻酔針も生検針も背中の中心から五ないし六センチメートル脇へそれた外側の皮膚から約四五度の角度で針先を背中の中心方向に向け挿入された。この位置から針を挿入すると、通常は脊髄神経は椎弓(脊椎の後部)に囲まれているためこれに阻まれ、針が脊椎神経に到達することはできないが、本件では前記緊急手術によりこの椎弓が切除されていた。代わりに太さ6.4ミリメートルのハリントンロッド(金属棒)二本が設置されていたが、その位置は椎弓のあった位置より少し背面寄りで脊椎骨との間に隙間があるため、刺入角度を小さくすると針がこの隙間を通って脊髄神経に達する可能性がある。かといって刺入角度を大きく取ると肺などを傷つけ致命傷を負うこともある。麻酔針を刺したとき、原告昌子は電気が走ったようなショックを受け、被告大川に声を出して訴えたが、被告大川は肋間神経を針が刺激したものと判断して針先の位置を僅かに変えて続行し、引続いて同じ所から生検針を刺して椎間板正中近くの組織を採取した。(鑑定、<書証番号略>、原告昌子)

(五)  組織培養の結果、原告昌子は黄色ブドウ球菌による化膿性脊椎炎であったことが判明した。(<書証番号略>)

(六)  針生検後、翌日の診断で両下肢が完全対麻痺、五日後の同月八日も左右の腸腰筋が一(筋肉の筋が動くのが見える程度)である他は、測定した筋肉すべてゼロ、その後も同月一一日、一三日、一四日、二〇日、同年一一月一日、七日と腸腰筋以下運動機能ゼロの状態が続き、同年一二月一五日には両足拇指屈曲がわずかにできるようになったが、同月二六日に再び動かなくなり、昭和六二年一月九日、同月二二日と動いておらず、同日は左第五指がピクピク動く他は筋力すべてゼロ、同年二月二五日にも下肢運動はない。同年四月八日に大腿四頭筋、腸腰筋、大腿内が一ないし一プラスになり、同月二四日にはほとんどの筋が一となったが、針生検前と比べると明らかに回復が遅かった。同年六月九日に左の膝立てが五センチ可能になり同年七月九日に左足を伸ばして三ないし五センチ挙げることが四、五回できるようになった。しかし、同年一一月一八日、昭和六三年一月七日とそれ以上の改善はなかった。昭和六三年七月一六日に左膝を自力で三〇センチ挙げられるようになり、同年九月二〇日ころから左の長母趾伸筋が三マイナスになるなど左下肢の筋力の回復傾向が見られたが、同年一一月一二日の退院時は左の腸腰筋が三マイナスであるほかはほとんどゼロや一であった。左右の比較では、針生検前とは逆に右側の麻痺が強くなっている。(<書証番号略>、証拠保全カルテ、鑑定)

知覚は、痛覚・触覚とも昭和六一年一〇月八日の時点で比較すると、針生検前どころか緊急手術直前よりもその脱失の上限が上昇し(<書証番号略>)、同年同月二二日右下肢については回復がみられるものの左はなお知覚脱失の状態にあり、同年一二月五日の時点でも右下肢の触覚には八の数字もみられるが左は依然すべてゼロ、同年八月二二日になってようやく左下腿外側と足底の一部に一の知覚が出たが、再び悪化し昭和六三年一一月一二日(退院日)の大腿以下の下肢前面の触覚は左右ともゼロであった。膀胱機能については、生検後完全な尿閉となり、生検の行われた昭和六一年一〇月三日から九段坂病院を退院した同六三年一一月一二日までカテーテルがはずされることはなかった。(<書証番号略>、証拠保全カルテ、証人山浦伊裟吉調書添付の表)

5 以上の事実からすると、針生検後原告昌子の容態は不連続に悪化しているというべきである。そして、前示の事実に針生検を境として脊髄症状を悪化させる他の要因の存在を示す確証がなく、かえって、被告大川作成の退院連絡表(<書証番号略>中には「局麻にてspinal pct!!以後Paraplegia.」「spiral pctについては本人いくらか気づいている」との記載があり、この記述は、被告大川尋問の結果からすると脊髄穿刺(spinal pct)をして以後完全対麻痺(paraplegia)になり、脊椎穿刺については原告昌子本人に話していない()がいくらか気づいている、との趣旨であると解されること(なお、被告大川はこれについて、針生検を実施することを原告昌子の家族に話していないが原告昌子は被告大川が話さなかったことに気づいているという意味であった、と述べるが、同被告は、本人尋問の際、原告昌子本人には一週間程前には針生検をすることを告げたと陳述しており、家族に告げていないことをことさら退院連絡表に記載することは不自然である。)を併せ考えると、被告大川が針生検に先立つ局所麻酔の際に麻酔針で原告昌子の脊髄神経を損傷し、それが筋力・知覚麻痺の増悪と自力排尿不能をもたらしたと推認するのが相当である。

6  そこで、原告らの損害について検討する。

(一)  請求原因4(一)(1)(原告昌子の医療費)について

<書証番号略>によれば、原告昌子は、昭和六一年九月三日から同六三年一一月一二日までの間、九段坂病院に入院していたことが認められる。

また、前記認定の事実及び証拠(証拠保全カルテ、被告大川)によると、以下の事実が認められる。すなわち、緊急手術の後針生検前には筋力、触覚ともに回復傾向が明らかで、針生検の前日と退院時とを比べると筋力も触覚も針生検の前日の方が勝っていたうえ針生検前には自尿もあった。なお痛覚は入院中を通じて脱失状態であり、回復しないまま退院した。リハビリについては、昭和六一年九月一六日から開始し同月二五日には車椅子乗車・運転が五〇分可能になり、針生検の前日である同年一〇月二日に車椅子乗車が四〇分であった。また、被告大川は緊急手術の後原告らに対し、二、三か月で退院できるだろうと述べていた。

これらの事実によれば、原告昌子は本件医療事故がなければおそらく三か月程度で退院していたであろうと認められるから、緊急手術から四か月近く終過した昭和六二年一月一日から六三年一一月一二日までの医療費の自己負担分は、本件医療事故と因果関係のある損害といえる。その額が六三万二四二〇円であることは、弁論の全趣旨により認めることができる。

(二)  同(2)ないし(4)について

原告昌子が緊急手術後針生検までの一か月間に介助なしで上半身を起こしたり両足で立ったりすることができなかったことは当然としても、もともと針生検前の麻痺の程度が相当重く回復に時間がかかっていたこと、しばしば痛みやしびれを訴えていたこと、一般に糖尿病患者は血流障害を起こしやすく化膿性脊椎炎にかかると回復が遅いこと、昭和六一年九月一六日の時点で、ゴール(終着点は車椅子、介助ADL(日常生活動作)と診断されていることなど(<書証番号略>、証人福田眞輔)からすると、原告昌子は、本件医療事故がなかったとしても、車椅子での生活を余儀なくされ日常的に介護を要する状態であり、家事労働に従事することは無理であったと認められる。したがって、車椅子生活のための家屋改造費、介護料及び休業損害と本件医療事故との間に相当因果関係があると認めることはできない。

(三)  同(5)(原告昌子の慰謝料)について

前記認定のように、原告昌子が本件医療事故のために自力排尿ができなくなったこと、下肢の筋力、知覚の機能が低下して回復が遅れ、これに伴って二〇か月程長く入院しなければならなかったこと、原告昌子の麻痺の原因を明らかにするためには針生検が不可欠の手段であったこと、椎弓摘出後の針生検は相当困難を伴うものであるから(証人山浦伊裟吉)被告大川の過失の程度は著しいとまではいえないこと、九段坂病院入院前の治療状況や同病院における治療経過、その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を斟酌すると、原告昌子の慰謝料としては金五〇〇万円が相当である。

(四)  同(6)について

弁論の全趣旨によると、原告昌子は原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任して相当額の費用及び報酬を支払う約束をしている事実が認められるところ、本件医療事故と相当因果関係のある弁護士費用は金五〇万円と認める。

(五)  請求原因4(二)ないし(四)(原告弘夫、光可、栄一の損害)について

前記認定のとおり、原告昌子は、緊急入院の際既に糖尿病をかかえ化膿性脊髄炎から重い下半身麻痺となっており、本件医療事故がなくてもその後介護なしの生活が期待できたわけではなかった。したがって、原告昌子が介護を要することによる精神的苦痛を慰謝料の根拠とすることはできない。原告昌子が本件医療事故によって自力で排尿することができなくなり、回復が遅れたことなどにより、原告昌子の夫である原告弘夫、子である原告光可及び同栄一が相当の精神的苦痛を被ったであろうことは推認できるが、前記認定の事実及び本件に顕れたすべての証拠によってもいまだ原告昌子が生命を害された場合にも比肩すべき、または、右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたとまでは認めることができない。そうすると、原告弘夫、同光可、同栄一の慰謝料請求を認めることはできず、したがってまた、弁護士費用の賠償も認められない。

二抗弁について

1  原告らが昭和六一年一〇月三日に本件医療事故の発生を知ったことを認めるに足りる証拠はない。かえって、<書証番号略>及び原告弘夫尋問の結果によれば、原告らは、被告大川から、原告昌子が退院するまでの間に本件医療事故について説明を受けたことがなく、原告らが疑いを持ったのは昭和六三年一一月以降に江戸川病院の婦長に相談してからであることが認められる。

よって、抗弁1は理由がない。

2  被告大川が被告共済経営の九段坂病院の医師であることは当事者間に争いがない。そして、被告共済は国家公務員等共済組合法二二条により法人格を付与される団体であり、その被用者は、特に刑法その他の罰則の適用については法令により公務に従事する職員とみなされるが(同法一三条、三六条)、それ以外の点において公務員とみなすべき理由はなく、また、医療行為を行なうことを内容とする被告大川の職務内容が公務性を有し、かつ権力的作用を有するともいえない。

したがって、抗弁2も理由がない。

三結論

以上の次第で、原告昌子の本訴請求は、被告ら各自に対し、被告共済については債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告大川については不法行為による損害賠償請求権に基づき、金六一三万二四二〇円及びこれに対する本件医療事故の日である昭和六一年一〇月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、原告昌子のその余の請求及び原告弘夫、同光可、同栄一の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官赤塚信雄 裁判官綿引穣 裁判官森淳子)

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