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東京地方裁判所 平成2年(特わ)237号 判決 1992年3月27日

裁判所書記官

中里功治

本籍

東京都小金井市本町二丁目二五二七番地

住居

東京都杉並区浜田山一丁目七番二六号

会社役員

吉住隆弘

昭和一四年二月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は検察官立澤正人、白濱清貴各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年八月及び罰金七〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金四〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、建築の設計・施行等の総合建設業及び土地売買・仲介、マンション建築販売等の不動産事業を営む不二建設株式会社(以下、不二建設という。)に勤務し、昭和五七年五月から常務取締役を、同六一年一二月からは専務取締役を勤める一方、同社の子会社であり不動産事業を営む和光株式会社(以下、和光という。)の取締役も兼任し、同六一年四月にはその代表取締役に就任し、不二建設や和光その他の不二建設の関連会社が行う不動産取引の大部分を責任者として取り扱っていたものであり、東京都杉並区浜田山一丁目七番二六号に居住していたが、昭和五九年から同六二年にかけて、不二建設や和光その他の関連会社が行った複数の不動産売買に関し、仲介等の業務を行った株式会社オーシャンファーム(昭和五九年二月以前の旧商号は、株式会社大洋興発。以下、オーシャンファームという。)の代表取締役若松俊男及び株式会社トース(以下、トースという。)の代表取締役須藤功から、各不動産売買に伴い、今後も取引に加えてもらうなどの思惑から支払われる謝礼金を取得していたところ、これら謝礼金の所得に関し、自己の所得税を免れようと企て、それら謝礼金の取得に際して、若松と須藤をして第三者に対する支払いを仮装する経理処理を行わせるなどの方法により、所得を秘匿した上、

第一  昭和五九年分の実際総所得金額が二六三九万六五〇〇円あった(別紙1修正損益計算書参照)のにかかわらず、同六〇年三月一二日、同区成田東四丁目一五番八号所轄杉並税務署において、同税務署長に対し、同五九年分の総所得金額が一四三九万六五〇〇円で、これに対する所得税額が三九万二九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(平成二年押第二四四号の1)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、昭和五九年分の正規の所得税額六四三万九六〇〇円と右申告税額との差額六〇四万六七〇〇円(別紙2脱税額計算書参照)を免れ

第二  昭和六〇年分の実際総所得金額が一億五三三八万九八〇〇円あった(別紙3修正損益計算書参照)のにかかわらず、同六一年三月七日、前記杉並税務署において、同税務署長に対し、同六〇年分の総所得金額が一六三八万九八〇〇円で、これに対する所得税額が四七万七六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同押号の2)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、昭和六〇年分の正規の所得税額九〇一二万二八〇〇円と右申告税額との差額八九六四万五二〇〇円(別紙4脱税額計算書参照)を免れ

第三  昭和六一年分の実際総所得金額が二億四一四九万二一四六円あった(別紙5修正損益計算書参照)のにかかわらず、同六二年三月七日、前記杉並税務署において、同税務署長に対し、同六一年分の総所得金額が三〇九五万六六四六円で、これに対する所得税額がすでに源泉徴収された税額を控除すると八万八六六六円の還付を受けることとなる旨の虚偽の所得税確定申告書(前同押号の3)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、昭和六一年分の正規の所得税額一億四三五五万九三〇〇円と右還付税額との合計一億四三六四万七九六六円(別紙6脱税額計算書参照)を免れ

第四  昭和六二年分の実際総所得金額が一億九〇四六万一四〇四円あった(別紙7修正損益計算書参照)のにかかわらず、同六三年三月一五日、前記杉並税務署において、同税務署長に対し、同六二年分の総所得金額が八〇万一二〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前記押号の6)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、昭和六二年分の正規の所得税額八七七九万二六〇〇円と右申告税額との差額八六九九万一四〇〇円(別紙8脱税額計算書参照)を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示全事実について

一  被告人の当公判廷における供述

一  第一回、第四ないし第七回各公判調書中の被告人の各供述部分

一  被告人の検察官に対する平成二年一月三〇日付、同年二月五日付、同月一〇日付、同月一三日付、同月一六日付(二通)、同月二〇日付、同月二一日付、同月二四日付各供述調書

一  第八回公判調書中の証人山口慎一郎の供述部分

一  収税官吏作成の昭和六三年六月二四日付領置てん末書

一  東京都小金井市長作成の戸籍謄本(戸籍の附票写し添付のもの)

判示第一ないし第三の事実について

一  収税官吏作成の平成二年二月二八日付謝礼金収入調査書

一  若松俊男の検察官に対する平成二年二月六日付供述調書(謄本)

判示第二及び第三の事実について

一  若松俊男の検察官に対する平成二年二月一〇日付、同月一六日付各供述調書(いずれも謄本)

判示第三及び第四の事実について

一  証人田辺美那子、同須藤功の当公判廷における各供述

一  第四回公判調書中の証人須藤功の供述部分

一  須藤功の検察官に対する各供述調書(謄本三通・いずれも不同意部分を除く)

一  東京地方検察庁で保管中のメモ書等一袋(平成二年東地領第三一一号符四号)

判示第一の事実について

一  若松俊夫の検察官に対する平成二年二月九日付供述調書

一  押収してある被告人の昭和五九年分の所得税確定申告書一袋(平成二年押第二四四号の1)

判示第二の事実について

一  収税官吏作成の査察官報告書

一  押収してある被告人の昭和六〇年分の所得税確定申告書一袋(前同押号の2)

判示第三の事実について

一  若松俊男の検察官に対する平成二年二月一四日付供述調書(謄本)

一  収税官吏作成の賃貸料収入調査書、借入金利子調査書、租税公課調査書、管理費調査書

一  押収してある被告人の昭和六一年分の所得税確定申告書一袋(前同押号の3)、収支内訳書(不動産所得用)一袋(前同押号の4)、財産及び債務の明細書(前同押号の5)

判示第四の事実について

一  収税官吏作成の平成二年二月二三日付謝礼金収入調査書

一  押収してある被告人の昭和六二年分の所得税確定申告書一袋(前同押号の6)、収支内訳書(不動産所得用)一袋(前同押号の7)

(弁護人の主張に対する判断等)

一  被告人がトースの代表取締役須藤功から受領した謝礼金の金額について

前掲須藤功の検察官に対する各供述調書等関係各証拠によれば、不動産仲介業等を営むトースの代表取締役である須藤は、トースが不二建設や和光その他の不二建設の関連会社あるいは同じく不動産業を営むオクト株式会社(以下、オクト)という。)の行う不動産売買について仲介等の仕事を行った際、今後も取引に加わらせて欲しいとの趣旨で、不二建設や和光における不動産取引について実権を握る被告人や、オクトの主張である大川守正に対し、それぞれ取引毎に多額の謝礼金を提供しており、須藤が被告人へ謝礼金を渡したのは、杉並区阿佐谷南三丁目所在の土地、新宿区左門町所在の土地・建物、中野区中野四丁目所在の土地・建物、豊島区高田三丁目所在の土地、江東区南砂四丁目所在の土地、江東区深川二丁目所在の土地・建物、町田市鶴間所在の土地、千代田区神田須田町二丁目土地・建物、新宿区早稲田鶴巻所在の土地・建物の九物件(なお、以下においては、各物件の所在地を冠して、それぞれ何々物件という。)の取引に関してであることが認められる。

弁護人は、右の九物件の取引に関して被告人が須藤から謝礼金を受け取ったことを認めるものの、高田三丁目物件、南砂四丁目・深川二丁目両物件(右二物件については、合わせて一緒に渡されていることについては争いがないので、両物件を一緒に扱う。)、町田市鶴間物件に関しては、その受領金額について争う。すなわち、検察官の主張は、高田三丁目物件の取引に関して昭和六一年一二月に二一八三万円と同六二年一月に七〇〇〇万円を、南砂四丁目・深川二丁目両物件の取引に関して合わせて同年三月に一八八四万円を、町田市鶴間物件の取引に関して同年五月に三四二八万円を、被告人はそれぞれ受領しているというものであるのに対し、弁護人は、高田三丁目物件に関しては昭和六二年一月に約四五〇〇万円を、南砂四丁目・深川二丁目両物件に関しては同年三月に約八〇〇万円を、町田市鶴間物件に関しては同年五月に約一二〇〇万円を、それぞれ受領したに過ぎない旨主張し、被告人は公判廷においてそれに沿う供述をする(当公判廷における供述及び第四回ないし第七回各公判調書中の被告人の各供述部分。以下、被告人の当公判廷での供述と公判調書中の供述部分を合わせて、被告人の公判廷供述という。)。

当裁判所は、高田三丁目物件に関する昭和六一年一二月の二一八三万円の受領は認定しなかったが、その他は検察官の主張どおりに認定したので、以下その理由を述べる。

トースの代表取締役須藤は証人として、前記謝礼金の提供に関して、「株式会社岩屋の角本から言われて、不動産業界で行われている担当者へのバックリベートを支払うことにし、被告人に支払った。バックリベートの基準は、取引のあった物件毎に被告人との相談の上で決まった。ところで、被告人やオクトの大川にリベートを渡すに際しては、各取引毎に、渡す金額を計算上明確にするために、計算式や支払い金額を記載した計算メモを、トースの事務員の田辺美那子に指示して作らせあるいは自分自身で作った。作った計算メモのコピーをとった上、被告人らに現金を渡す際に計算メモの原本を一緒に渡し、金額を確認してもらっていた。計算メモのコピーは、トースの税務関係で後日トラブルが生じたときに備えて、自己の支払った金額を明らかにする趣旨で保管していた。被告人にリベートを渡すに際しては、架空領収証を使ってトースで経理処理をし、リベートを交付した事実が分からないようにする約束であった。そのため、昭和六三年一一月にトースが査察を受けてから、メモのことは最後まで発覚しないようにしようとねばった。しかし、その後調べが進み、被告人に対してリベートを渡していたことを隠し切れなくなって、被告人らには内緒にして保管していた計算メモのコピーを国税局に提出した。国税局の査察調査で書類等を持っていかれたので、後からメモを作るというようなことはない。被告人に渡す金額は、不二建設等の不動産取引にトースがかかわった都度被告人と相談し、被告人の指示や話合いの下に基準とする金額を決め、それからトースの下で裏金とする費用として二五パーセントを引いて、残りの七五パーセントを渡していた。」旨証言している(証人須藤の第四回公判調書中の供述部分と第一一回公判期日における当公判廷での供述。以下、前者を第一回証言、後者を第二回証言という。)。そして、国税局の領置した計算メモのコピー一四枚(平成二年東地領第三一一号符四号。検察官請求証拠番号甲32のもの)は、右須藤の証言にある計算メモのコピーであり、平成元年五月一一日須藤から提出を受けて領置したものであるが、それら計算メモのコピーは、いずれもトースの社用紙に計算式等が記載されたメモのコピーであり、宛先が記載されて、被告人宛と大川宛が七枚ずつであり、被告人宛の七枚は、須藤から被告人に謝礼金が渡された全ての物件に関するものである。メモの様式、記載事項は、メモによって多少の違いはあるが、冒頭に宛先の氏名を、次に物件名の記載があり、続いて支払い金額算出の元となる金額を計算した上、その金額から二五パーセントを差し引いた額が、被告人や大川に対する支払い分として記載してあり、最後に日付と須藤功というローマ字による署名がある。そして、被告人宛のメモに記載された支払い金額は、高田三丁目物件、南砂四丁目・深川二丁目両物件、町田市鶴間物件以外の物件に関するメモについては、被告人が公判廷においても認めている謝礼金の受領金額と一致し、受領金額を争う高田三丁目物件、南砂四丁目・深川二丁目両物件、町田市鶴間物件に関する各メモについても、受領金額に争いのない物件に関する被告人宛のメモや、大川宛のメモと様式、記載事項の点で、何ら変わったところは認められない。また、これらの計算メモについて、トースの事務員をしていた田辺美那子は、「トースに勤めていた当時、須藤から口頭で指示されてトースの用紙に計算式等を記載し、須藤が確認した後、そのコピーをとって原本とコピーを須藤に渡したことが何回かある。その際、須藤から出かけるので早くするように催促されたこともある。計算メモのコピーのうち、大川宛の六枚と被告人宛の三枚は、自分が書いたメモのコピーで、その他は須藤が書いたメモのコピーである。須藤の書いたメモも、須藤の依頼でコピーをとり、渡したことが一度ならずある。」旨証言する。被告人は、公判廷供述において、中野四丁目物件、左門町物件、阿佐谷南三丁目物件に関するメモは見せられたことがあるが、それ以外の物件に関するメモは見せられたことがなく、メモを渡されたということは一度も無い旨述べるが、その供述は、前記須藤や田辺の証言及び計算メモのコピーの存在に照らし、信用できるものではない。こうして、計算メモ作成の理由、経過、作成の方法に関する須藤、田辺の各証言、及びメモ自体における記載事項・様式に照らすと、メモの記載内容は十分信用できるといえるのであって、その記載内容に沿った金銭の授受が行われたものと推認でき、特に支払い金額については、記載内容を疑わせるような事情が存しない以上、メモに記載された金額の金銭が支払われたものと認められる。そこで、被告人が受領金額を争う高田三丁目物件、南砂四丁目・深川二丁目両物件、町田市鶴間物件(以下、併せて高田三丁目物件等四物件という。)に関する謝礼金の授受金額について、前記計算メモの記載内容を疑うべき事情が存するからさらに検討する。

須藤の検察官に対する平成二年三月一七日付供述調書(謄本。不同意部分を除く。)、収税官吏作成の同年二月二三日付謝礼金収入調査書、被告人の検察官に対する同年二月一三日付供述調書、証人須藤の第一回、第二回証言、等の関係各証拠によれば、高田三丁目物件に関しては、不二建設と共同事業者のモンド商事株式会社が、同物件を昭和六一年一二月一五日宏池企業株式会社に売却したが、その売却に伴い、同月一八日不二建設及びモンド商事からトースに、売却代理の報酬として売却代金の六パーセント三億六七二八万五〇〇〇円が支払われ、トースが同日媒介手数料として和光に、右報酬の半額一億八三六四万二五〇〇円を支払った。という事実が認められ、高田三丁目物件に関する前記須藤の計算メモには、トースに残った一億八三六四万二五〇〇円の三分の一をトース分、三分の二を被告人分とし、その被告人分のほぼ七五パーセントに当たる九一八三万円を被告人への支払い金額とする旨の記載がある。ただ、右メモには、トースに三億六七二八万五〇〇〇円の入金があった日と和光へ一億八三六四万二五〇〇円を支払った日を示す日付の記載はあるが、最後の須藤の署名の前に日付の記載はない。

ところで須藤は、右の九一八三万円の支払いについて、検察官に対しては、昭和六一年一二月二七日ころに二一八三万円を、同六二年一月に七〇〇〇万円を被告人に渡した旨供述しながら、第一回証言ではそもそも謝礼金を分割して支払ったのか記憶が定かでないと証言し、その後被告人が同六一年一二月二一日から同月三一日まで渡米していた事実が明らかになると、第二回証言において、昭和六一年一二月二〇日ころに二〇〇〇万円余りを、同六二年一月に七〇〇〇万円を被告人に渡した旨証言するのであるが、右に見るとおり、須藤の謝礼金を分割して渡したと述べるところは、変転しあいまいであって、これをもって高田三丁目物件に関して謝礼金が分割して支払われたと認めることはできないといわねばならない。むしろ、前記計算メモ中、分割して謝礼金が渡されている大川の阿佐谷南三丁目物件に関するメモには、分割して渡されたことを表す記載があるのに、高田三丁目物件のメモにはその旨の記載がないこと、須藤は、昭和六二年一月にヒルトンホテル内にあったトースの仮事務所で、少なくとも七〇〇〇万円の現金を渡したことは一貫して供述・証言しており、それを裏付ける第一相互銀行池袋支店のトースの田中みな名義の仮名預金口座から七〇〇〇万円の出金の事実があること、被告人も公判廷において、金額の点は別として、高田三丁目物件に関しては、昭和六二年一月にヒルトンホテルで須藤から一度金員を受け取っただけであると供述していることからすれば、計算メモにある九一八三万円は、須藤から被告人に昭和六二年一月に渡されたものと認めるのが相当である。

南砂四丁目・深川二丁目両物件に関しては、不二建設あるいは和光が両物件をそれぞれ昭和六一年一二月一八日トースに売却し、同日トースからオクトに転売されたが、トースへの売却に伴い、不二建設あるいは和光からシティプロジェクト株式会社に売却代理の手数料が支払われ、そのうちの半額が同会社からさらに、須藤の方で準備したいわゆるB勘屋である株式会社金馬商事に媒介協力報酬の名目で支払われ、そのほぼ一〇パーセントが架空領収証発行の報酬として差し引かれて、残り全部が金馬商事からトースとウィズ測量企画株式会社に折半して渡され、それによってトースは右両物件に関して二五一一万一七五〇円を取得している、という事実が、町田市鶴間物件に関しては、宏池企業が同物件を昭和六二年五月一五日大王製紙株式会社に売却し、それに伴い、宏池企業からトースに媒介手数料の名目で五五七〇万二〇〇〇円が支払われ、そのうちからさらに一〇〇〇万円が、トースから仲介手数料の名目で岡崎興業株式会社に支払われている、という事実が認められ、南砂四丁目・深川二丁目両物件に関する前記須藤の計算メモには、トースの取得分二五一一万一七五〇円のほぼ七五パーセントに当たる一八八四万円を被告人への支払い金額とし、町田市鶴間物件に関する同メモには、トースが受け取った金額から岡崎興業への支払い分一〇〇〇万円を差し引いた四五七〇万二〇〇〇円のほぼ七五パーセントに当たる三四二八万円を被告人への支払い金額とする旨の記載がある。

被告人は、公判廷供述において、高田三丁目物件等四物件に関し、須藤の計算メモに記載してあるような金額の金員を受け取っていないと述べるのであるが、その供述は、特段の客観的資料に基づくものではなく、単に被告人の記憶や被告人の取り分がトースの取り分より多いのはおかしいとの後述する弁護人と同様の理由に基づくに過ぎないのであって、いまだ高田三丁目物件等四物件に関する各計算メモ記載の金額を否定するに足るような信用できるものとは認められない。

弁護人は、高田三丁目物件等四物件に関する須藤の計算メモに関連して、(1)もしメモ記載のとおりの金額が支払われたとしたら、高田三丁目物件に関しては、トースの取り分は被告人の取り分の三分の二、南砂四丁目・深川二丁目両物件及び町田市鶴間物件に関してはトースの取り分はそれぞれ零になってしまうが、それは、右四物件以外の物件に関しては須藤の取り分が被告人に支払われた謝礼金よりはるかに多いことや、オーシャンファームの若松からは、オーシャンファームの受け取る仲介手数料の三分の一を目安に支払われていることと比較しても、不自然であり不合理であること、(2)阿佐谷南三丁目物件に関するメモには、トース入金分一億四九三万二五〇〇円とし、そのほぼ七五パーセントの七八七二万円を被告人への支払い金額とする旨の記載があるが、トース入金分の金額は事実に反すること、(3)須藤がトースの所得金額を実際より少なくするため、高田三丁目物件等四物件に関する計算メモに謝礼金の支払い金額を過大に記載しあるいは後日その金額を過大に書き換えた疑いがあることから、前記計算メモの記載は信用できない旨主張する。しかし、(1)に関しては、まず南砂四丁目・深川二丁目両物件ではトースは転売利益を得ており、町田市鶴間物件では被告人への謝礼金を裏金化する過程で相応の利得を獲得していることが認められ、トースが何ら利益を得ていないわけではなく、なるほど右三物件を含む高田三丁目物件等四物件に関してはトースの取り分が被告人の取り分より少ないとしても、須藤の経営する零細な不動産会社であるトースは、業界の中堅会社である不二建設等の行う不動産取引に関与させてもらうことによって、急激に売上げを伸ばしているのであって、そうした状況から、不二建設等の行う不動産取引について実権を握っていた被告人に謝礼金を渡すに際し、被告人との力関係からしても、トースの須藤が個々の取引毎の自己の利益の多寡にこだわらなかったとしても不自然とはいえないのであり、のみならず、取引によっては被告人への支払分よりトースが多くの利益を得ることもあったので、一方では須藤が自己の取り分よりも被告人に多くを渡すこともあったと考えることも難しくなく、弁護人のいうように不自然、不合理であるとはいえない。(2)に関しては、トースの利益金額が弁護人の主張するとおりであるとしても、メモのトースの入金分一億四九三万二五〇〇円との記載は、被告人に渡す謝礼金の基準となる金額(それは、トースの利益金額のほぼ三分の一に当たる。)を示したものに過ぎず、そして、その基準金額は被告人と相談の 上決められたというのであるから(同金額から算出された謝礼金の金額自体は、被告人は争っていない。)、須藤はことさら虚偽の内容を記載したというわけではなく、右メモの記載がその他の須藤自筆のメモの信用性に影響を及ぼすとはいえない。(3)に関しては、須藤が計算メモ作成時に、被告人への支払い金額を実際より過大に記載したようなことがないことは、前述のとおりであり、また、須藤がトースの所得金額を偽るため被告人への支払い金額を過大に記載あるいは変更したというのであるならば、昭和六三年一一月ころトースが脱税の疑いで査察を受けた際、計算メモを国税局に提出して被告人への謝礼金の支払いを明らかにすることが考えられるのに、須藤は、被告人が同年二月六日に査察調査を受けた直後と同年六、七月ころ、被告人との間で謝礼金授受の事実を国税局に隠す口裏合わせをしていたので、計算メモを他人に保管させたままその存在を隠し、平成元年五月一一日になって国税局に提出しているのであって、このことからすれば、須藤が被告人へ支払った謝礼金額をことさら過大に記載したり変更したりしたようなことはないといわねばならない。

そうすると、高田三丁目物件等四物件に関する須藤の計算メモの記載を疑うべき事情は存しないので、同四物件に関しても、そのメモに記載あるとおりの金額が渡されたものと認められる。そして、高田三丁目物件に関しては、前述のとおり、分割されることなく一括して九一八三万円が渡されたものと認められるので、検察官主張の昭和六一年一二月における二一八三万円の被告人の受領の事実はこれを認めることができず、他方、検察官は、同物件に関して被告人は、昭和六二年一月には七〇〇〇万円を受け取っているに過ぎないと主張するので、右時期における被告人の受領金額は七〇〇〇万円の限度で認定するにとどめる。

二  謝礼金の帰属について

弁護人は、被告人がオーシャンファームの若松俊男及びトースの須藤から受領した謝礼金は、被告人個人ではなく不二建設ないしは和光(以下、両者を合わせて不二建設等という。)に帰属する所得である旨主張し、その理由として、「1被告人は不二建設や和光の行う不動産取引の一切を掌握し、最高責任者として、実権を握っていたのであり、若松や須藤は、不二建設や和光の行う不動産取引に参加させてもらうことを意図して、最高責任者としての被告人に謝礼金を渡していたものであり、2被告人は不二建設等の簿外資金として不二建設等のために謝礼金を受領したのであり、3謝礼金は被告人自身の資産とは区別して保管されており、4被告人自身も謝礼金は不二建設等に帰属するものであると認識しており、5被告人は謝礼金を、自己個人のために費消することはなく、不動産取引等の業務に関連して不二建設等が負うこととなった関係業者に対する債務の支払いに当てあるいは当てる予定であったのである。」旨主張し、被告人は公判廷において右主張に沿う供述をしている。

そこで、以下弁護人の主張する理由について検討する。

1  被告人が謝礼金を受領するに至った経緯について

須藤の第一回、第二回証言、第八回公判調書中の不二建設の代表取締役である山口慎一郎の供述部分(以下、山口の証言という。)、若松及び須藤の検察官に対する各供述調書(謄本を含み、須藤については不同意部分を除く。)、被告人の検察官に対する各供述調書、被告人の公判廷供述等の関係各証拠によれば、被告人が若松や須藤から謝礼金を受領するに至った経緯は、次のとおりである。

被告人は、昭和五七年五月に不二建設の常務取締役、同六一年一二月には専務取締役になり、一方、不二建設の一〇〇パーセント出資の子会社である和光の取締役を兼任し、同六一年四月からはそれまで代表取締役社長であった山口が代表権のある会長に就任したのに伴い、和光の代表取締役社長を兼任していたが、不二建設は昭和五〇年代以降、建築の設計・施工等の総合建設業のほか、土地の売買、仲介やマンションの建築販売等の不動産事業を積極的に展開するようになり、特に同六〇年ころからは不動産取引による売上げが急増して、不二建設の総売上げの相当部分を占めるようになった。その間、被告人は、不二建設や和光及び関連会社の行う不動産取引の責任者として実権を握り、物件の選定や契約内容を始めその他全般が被告人の意思で決定され、不動産取引についての実質的な最高権限者とみなされていた。

ところで、不動産仲介業等を営むオーシャンファームの若松俊男は、先に、被告人に物件情報を持ち込んで取引の仲介手数料等を稼ぐことができたときには、「不動産業界の通例になっている。今後ともよろしくお願いする。」として、被告人に一〇〇万円から二〇〇万円くらいの謝礼金を渡したりしていたが、その後昭和五九年から同六一年にかけて、不二建設やその関連会社の各取引について仲介手数料等を得るのに伴い、概ねその三分の一の金額を基準に、そのつど架空経費を計上して作った簿外資金の中から本件起訴事実に含まれる謝礼金を被告人に渡しており、架空の経理処理をして謝礼金を支払っていることは、若松は当初から被告人に告げていた。さらに、不動産仲介業等を営むトースの須藤は、昭和六一年から若松と同様に、不二建設とその関連会社の取引で仲介手数料等を得るのに伴い、取引毎に被告人に簿外で一〇〇〇万円単位の謝礼金を渡すようになり、謝礼金を渡すため架空の経理処理が行われていることは、被告人も当然承知していた。

このように若松や須藤が被告人に謝礼金を渡したのは、仲介業者らが仲介手数料等を取得した際、不動産取引の当事者である企業の担当者に対し裏金でいわゆるバックリベートを渡すという不動産業界での慣習に従い、不二建設等の行う取引に今後とも種々介在させてもらう好意ある扱いを受けたいとの思惑からであって、謝礼金は、そうした好意ある扱いを受けるため、不二建設等の会社にというよりも、右の目的のために不二建設等における不動産取引について専ら実権を握る被告人に利益を提供するとの考えから、若松や須藤によって被告人個人に渡されたものと認められる。

2  不二建設における簿外資金の捻出・支出の状況と本件謝礼金の受領状況

山口及び須藤(第一回)の各証言、若松の検察官に対する平成二年二月六日付供述調書(謄本)、被告人の公判廷供述によれば、不二建設における簿外資金の捻出・支出の状況と本件謝礼金(以下、本件謝礼金とは、昭和五九年から同六二年までの間に被告人が若松と須藤から受領した謝礼金を指す。)の受領状況について、次のことが認められる。

不二建設では、近隣問題等に関連して暴力団等に簿外資金で支払いをしたり、設計事務所から簿外による支払いを依頼されて応じる場合もあり、簿外資金は取引先の材料会社や下請に依頼するなどして作り、ときには建築の施主から頼まれて工事代金を簿外で受領することがあったが、不動産業者に仲介等の手数料を支払った後にその一部を戻させて、簿外資金を作るということは行われていなかった。また、不二建設では、簿外資金を作り受領する場合とそれを支出する場合のいずれのときも、事の性質上社長の山口に必ず報告させて決裁を得させており、社長に隠してそれらを行うことを許しておらず、不二建設での簿外資金としての受領金額は、千万円単位に上るはまず稀であり、簿外資金の支払い金額も百万円単位であった。昭和五九年から同六二年にかけて若松と須藤から被告人へ約二〇回にわたり合計で五億円を超える謝礼金が渡されているが、それらについては、一切社長の山口に報告されておらず、同社長は、被告人が査察官の調査を受けるまで全く知らなかった。若松や須藤からの被告人への謝礼金の提供は、不二建設の事務所応接室のほか、ホテルのラウンジ、駐車場等で全て現金により行われ、若松や須藤も、謝礼金は会社に内緒の事柄であるとの認識であった。

こうした不二建設における簿外資金の取り扱い状況や本件謝礼金の授受状況からすると、被告人が若松や須藤から受領した五億円を超える本件謝礼金は、不二建設における会社の簿外資金として受け取られたものでないといえる。

3  本件謝礼金の保管状況

被告人は、公判廷において、「若松と須藤から受領した本件謝礼金の現金は、自宅に持ち帰り、妻に指示して、京都の実家から受け取った現金など被告人個人の金銭とは区別して、謝礼金専用の旅行用スーツケース内に入れ保管していたが、その後、野村証券新宿支店における株式運用資金に右保管中の謝礼金を当てるようになった。他方、京都の実家からの現金等は、別のスーツケースに入れて保管し、妻が山一証券吉祥寺支店や勧業角丸証券吉祥寺支店での投資信託の資金等に使った。」旨供述し、被告人の妻である吉住八重子も、右供述に沿う証言をしている(第一四回公判期日における証言。以下、第一回証言という。)しかし、吉住八重子は、一方において、被告人の逮捕後検察官から取調べを受けた際には、本件謝礼金を被告人の指示を受けて他の現金と区別して保管していた旨の供述はしていないばかりか、本件謝礼金も山一証券吉祥寺支店等で投資信託の資金に使った旨供述していたというのであり(第一六回公判期日における証言。以下、第二回証言という。)、被告人の供述に沿う八重子の第一証言は直ちに信用できない。その上被告人も、検察官に対しては、謝礼金を他の現金と区別して保管していた旨の供述は何らしておらず、かえって、野村証券新宿支店での株式運用の資金としてのみならず、山一証券吉祥寺支店等での投資信託の資金としても使っていたなどと、本件謝礼金と他の現金を区別せずに保管していたことを窺わせる供述をしていたのであり(平成二年二月一六日付《二通》、同月二〇日付各供述調書)、また、被告人が公判廷で本件謝礼金の保管状況について前記供述をしたのは、当初の被告人質問の際ではなく、証人吉住八重子の右第一回証言の後であることや、右供述において、現金は別々に保管していたが、それらで購入した株券と債券は、特に区別せず一括して保管していた旨首尾一貫しない供述をしていることなどを考慮すると、被告人の前記公判廷供述は信用できず、検察官に対する供述が信用できるといえるのであって、被告人は、本件謝礼金を他の現金と特に区別することなく保管していたと認められる。

さらに、被告人は自己の判断で、野村証券新宿支店の被告人名義の口座により本件謝礼金を使って株式運用をしていたのであって、これは、被告人がいうように右謝礼金が不二建設等に帰属するというのであれば、その保管責任者として行き過ぎた不釣合な行動といえる。

4  本件謝礼金の帰属についての被告人の認識

証人山口の証言、被告人の検察官に対する各供述調書、被告人の公判廷等の関係各証拠によれば、本件謝礼金の帰属に関する被告人の認識に関連して、次のことが認められる。

昭和六二年一一月ころ、オーシャンファームの若松に対して国税局の調査があったため、被告人は、若松とともに若松作成のメモに基づき受領した謝礼金の額を確認し、翌六三年一月末ころには、若松と会って、謝礼金に関する話をし、同年二月一日ころ、自宅の金庫とスーツケース内の現金、証券類等のほとんとすべてをホテルの一室に持ち込み、税理士に相談した上、同月四日、前記若松のメモにあるオーシャンファームからの謝礼金について、昭和六〇年分と六一年分の所得税の修正申告をしたが、同若松のメモには記載のなかったオーシャンファームからの四物件に関する謝礼金及びトースの須藤からの謝礼金全てについては、修正申告をしなかった。被告人は、昭和六三年二月六日オーシャンファームに対する脱税の嫌疑に関連して、査察調査を受けたことから、翌七日山口社長にオーシャンファームから謝礼金を受領していたことについて謝罪したが、その際には不二建設等の会社の簿外資金として謝礼金を受け取ったということは述べず、翌八日被告人は取締役を解任され、そのころ山口社長に不二建設の会社の所得として修正申告してほしい旨頼んだが、自分でやったことは自分で決着をつけるように言われて断られ、まもなく不二建設を懲戒免職になった。なお、被告人は、右査察を受けた当日には、査察官に対しホテルに持ち込んだ中から現金一億円と証券類の一部のみを提出し、その数日後に、残りの約二億円相当の証券類と現金約五〇〇〇万円を京都に住む実兄に預けている。被告人は、査察官の調査を受ける過程では当初から謝礼金が自己の所得である旨供述し、昭和六三年七月には、前記若松のメモにはなかったオーシャンファームからの四物件に関する謝礼金と野村証券新宿支店で行っていた株式売買による利益について再度の修正申告を行ったが、トースの須藤からの謝礼金については、その受領自体を否定し続け、平成二年二月五日本件で逮捕されると、一転してトースからの謝礼金受領を認め、検察官に対しては一貫してオーシャンファーム及びトースからの本件謝礼金は自己の所得である旨供述し、起訴後の同年三月一五日、トースからの謝礼金を含めて、改めて昭和六〇年ないし六二年分の所得税の修正申告をした。そして、被告人は、昭和六三年二月から平成二年七月にかけて、右修正申告にかかる本件各年分の本税、附帯税等合計六億六九〇〇万円余りを納付している。本件裁判の第一回公判において、被告人は本件起訴事実を全面的に認め、弁護人も検察官申請のすべての証拠に同意したが、被告人は、その後保釈が許可されると否認に転じ、本件謝礼金の所得の帰属を争うに至った。

右のように認定される被告人の一連の行動は、被告人自身が本件謝礼金は自己に帰属すると認識していたことを推認させるに十分である。これに対し被告人は、公判廷において、(1)トースからの謝礼金のことを当初申告しなかったり、査察官に供述しなかったのは、須藤をかばっていたからであり、(2)現金等をホテルに持ち込み、京都に運ぶなどしたのは財産を隠したわけではなく、(3)自己の所得であると供述していたのは、その資金を預り運用していた内山勝実と会社の不二建設をかばうためであった旨供述する。しかし、(1)については、須藤が、逆に須藤の方で被告人の謝礼金受領の事実が発覚しないように配慮していた旨の証言をしているのみならず、前認定のとおり、被告人がいわば小出し的に自己の所得とする分をふくらませ修正申告をしていった状況に照らせば、信用できない。(2)については、被告人は検察官に対しては、現金等を実兄に預ける際、将来国税局には実兄が貸金の返済を受けたものであると説明するよう依頼した旨供述している上、現金等を二度にわたり移し変えた理由についても納得できるものがなく、信用できない。(3)については、5で合わせて検討する。

5  本件謝礼金の使途等

(1) 弁護人は、被告人が本件謝礼金から、不動産取引等に関連して関係業者に不二建設等が負った債務を、簿外で支払ったりあるいは支払う予定にしていた旨主張し、被告人も公判廷においてその旨供述するところ、その具体的内容は、概ね次のとおりである。すなわち、

「被告人は、株式会社ユー・アンド・ユー(以下、ユー・アンド・ユーという。)及び喜久物産株式会社(以下、喜久物産という。)の実質的経営者内山勝実に対し、昭和五九年一二月ころ一億八三〇〇万円支払うことを約束し、同六一年から六二年にかけて内金一億七八〇〇万円を本件謝礼金で返済した計算となる。その経緯としては、不二建設は、先に、内山と共同して神奈川県大和市西鶴間所在の土地(以下、西日鶴間物件という。)にマンションの建築計画を立て、内山の喜久物産が仲介者となって地主阿波慶と買収交渉を行った末、昭和六〇年二月二七日マンションの建築主となるハイネス恒産株式会社(以下、ハイネス恒産という。)が、阿波からその西鶴間物件を購入し、不二建設はハイネス恒産からマンション建築工事を請け負った。しかし、阿波との買収交渉に当たった内山は、阿波から売買代金が要望額とかけ離れているとして裏金で二億円の支払いを要求され、やむなくそれに応じ、昭和六一年三月から六二年九月にかけて現実にそれを支払ったが、一方では、阿波の要求で三井信託銀行が形式上の仲介人となったため、内山の喜久物産はハイネス恒産から予定の二分の一の仲介手数料しかもらえなくなり、また、内山のユー・アンド・ユーは、右マンション事業の開発業務に関連して関係官庁との折衝その他の費用として三〇〇〇万円を自ら支出することとなった。そのため被告人は、内山の会社が負担し支出を余儀なくされた阿波に対する裏金等について不二建設も負担することとし、内山と協議して、同五九年一二月ころ、阿波に対する裏金の二分の一の一億円、三井信託銀行に行った仲介手数料分の五三〇〇万円、開発業務関連費用三〇〇〇万円の合計額一億八三〇〇万円を、不二建設において簿外で支払うことを約束し、マンション建築工事期間中に支払うことになった。そこで被告人は、昭和六一年二間か内山に右支払いを申し出たが、内山から、右支払うべき金銭を被告人が預かって内山のために株式取引で運用するよう頼まれたため、同年六月から翌六二年九月まで、本件謝礼金の中の一億七八〇〇万円を、内山の分として野村証券新宿支店の被告人名義の口座で株式等に投資し運用した。その後被告人は、その株式等を同年末に一旦内山に返し、翌六三年四月ころ内山から別件の査察の反面調査が入るので保管しておくように依頼され、以後再び保管することとなって、そのまま経過した。さらに喜久物産は、不二建設や和光が行った他の二物件の取引に関して不二建設等に代わって仲介業者に支払いをするなどし、昭和五九年と六一年に合計四五〇〇万円を負担し、被告人はこれらを不二建設等が返済する旨約束し、同六二年二月ころ、西鶴間物件関係の支払いの一部五〇〇万円と合わせて五〇〇〇万円を、本件謝礼金の中から内山に支払った。内山は、右五〇〇〇万円についても、被告人に株式取引で運用してくれるよう頼んだが、野村証券新宿支店の担当者から、内山の金銭が被告人名義で運用されるのは規則違反であると指摘されたため、内山は同年三月自己名義の口座を開設し、右五〇〇〇万円を使って株式に投資した。その他、株式会社岩屋、株式会社三晃設計との間にも、同様にして生じた不二建設等の債務があり、本件謝礼金から支払うことを意図した。」というのである。

そして、被告人は本件謝礼金が自己の所得であると供述していた理由について、「若松や須藤から受け取っていた謝礼金が不二建設や和光のものであると説明するためには、内山に簿外資金である謝礼金から支払っていたことを明らかにしなければならなかったが、そうすれば、仕事上、大変世話になっていた内山、さらに不二建設に迷惑がかかると思ったから、内山らをかばって自己の所得ということで通そうと思った。平成二年四月には内山が死去したこともあり、真実を話すことにした。」旨供述する。

(2) 山口の証言によれば、不二建設においては、会社が関連業者に対し金銭上の負担を負うに当たっては、担当者から報告と社長の決裁が必要としていたが、被告人から、西鶴間物件その他につき内山に一億八三〇〇万円を支払うことにしたなどの報告は一切受けておらず、その決裁もしていなかったというのであり、そうすると、仮に被告人が内山その他の業者にその供述するような支払いの約束をしたからといって、それは被告人の個人的な計らいというに過ぎず、それをもって直ちに不二建設が会社として支払うべき債務を負ったとはいえない。しかし、この点はひとまず措き、弁護人・被告人の主張の中心であり、不二建設の会社としての債務が存在したとするその前提となる、西鶴間物件に関し内山が阿波に対し二億円の裏金の支払いを約束したとの点について、以下に検討する。

証人簡牛大和、同吉田正次、同富永保(第一六回公判期日における証言。以下、第二回証言という。)の各証言、被告人の公判廷供述、ハイネス恒産株式会社外作成の土地売買等届出書、不動産売買契約書、設計監理委託契約書、工事請負契約書の各写し(弁護人請求証拠番号書10ないし13のもの)等の関係証拠によれば、西鶴間物件をめぐる取引状況について、次の事実が認められる。

昭和五九年九月ころ、喜久物産とユー・アンド・ユーの代表取締役内山は、阿波慶の所有する西鶴間物件の約五一〇三坪の土地につき、坪単価六八万円による買収の話を不二建設に持ち込んだ。不二建設では被告人と営業課長吉田正次が担当して、ハイネス恒産に、右物件を購入の上マンションを建築して分譲することとし、その際内山の喜久物産が買収の仲介に当たり、ユー・アンド・ユーがマンションの設計監理業務を行って、不二建設がマンション建築工事を請け負うとの事業企画を持ち掛け、ハイネス恒産はこれに応じた。喜久物産の内山らは阿波と買収交渉を行ったが、阿波は難しい人物でなかなか買収に応じようとしなかったものの、ようやく同年一二月下旬までには、ハイネス恒産が買収できることとなった。買収の坪単価については、ハイネス恒産が事業採算と国土利用計画法二四条の想定される指導価格を考慮して、当初から坪約七〇万円を限度とする立場であったので、内山らと阿波との交渉で一旦坪六九万円と内定したが、最終確認の場で阿波はいきなり五〇〇〇円の上乗せを主張し、もめた末結局ハイネス恒産は坪六九万五〇〇〇円とすることを了解した。一方阿波は、そのころハイネス恒産の担当者の富永保に対し、買収に応じる条件として、国土利用計画法二四条による勧告の価格いかんにかかわらず、実質的な売買価格は坪六九万五〇〇〇円とし、勧告により売買価格を下げざるを得なくなったときにも六九万五〇〇〇円との差額を支払うように要求して、ハイネス恒産との間にその旨の念書を交わし、さらに阿波は、ハイネス恒産が保証金として一億円を提供し、国土利用計画法による勧告で売買契約自体が中止になった場合にはうち三〇〇〇万円を阿波の方で没収する旨の条件も出し、ハイネス恒産は文書でこれに応じて、不二建設から一時借り入れて一億円を支払った。翌六〇年一月四日西鶴間物件について坪単価約六九万五〇〇〇円で国土利用計画法二三条の届出がなされ、同法二四条の勧告はなく、同年二月二七日阿波とハイネス恒産の間で、右価格により同物件の売買契約が結ばれた。同年三月二〇日ハイネス恒産と内山のユー・アンド・ユーとの間で、報酬額を一億三〇〇〇万円として設計監理業務委託契約が結ばれ、さらに翌六一年三月一九日ハイネス恒産と不二建設との間で、ユー・アンド・ユーを監理者として建築工事請負契約が結ばれた。

右の事実が認められるところ、被告人は公判廷において、「阿波は、当初から坪単価八〇万円という主張を強硬に行い、六九万五〇〇〇円という金額に満足していなかったので、内山から聞いた話では、昭和五九年一二月末までに、内山が裏金二億円を支払うという内容で阿波を説得し、合意したとのことだった。阿波は、国土利用計画法上の届出後も売買契約締結後も、ハイネス恒産に坪単価八〇万円の要求をしていた。」旨供述し、投じハイネス恒産側で関与した証人富永保は、右に沿うような証言をしている(第一〇回公判期日における証言《以下、第一回証言という。》及び第二回証言)。

しかし、前記認定の事実関係によれば、阿波は、ハイネス恒産に対し坪単価を五〇〇〇円上乗せさせ、国土利用計画法の勧告いかんにかかわらず坪六九万五〇〇〇円を確保できるよう条件を付し、さらに契約が中止になったときに備えて三〇〇〇万円のいわばペナルティまで約束させて、売買契約書を交わし売却することに応じているのであり、このように契約書を交わすに至っていながら、阿波がなお二億円の裏金を要求していたというのは不合理であって考え難く、まして仲介業者にすぎない内山にそれを要求し、内山がこれに応じたというのも不自然である。証人富永のこの点に関する証言も、想像・推測にわたる点が多く、第一回証言と第二回証言とでは、国土利用計画法上の届出後にも、阿波からハイネス恒産に土地代金を越える請求があったか否か等についてその内容が変化している。そうすると、前記被告人の公判廷供述及び証人富永の証言は、信用できない。

(3) また、被告人の公判廷供述によれば、被告人は、内山との間に権利関係に関する書面を一切交わすことなく、返還時期等についてもはっきりした取決めもせずに、二億円を越える株式等を預かっていたことになり、いかに友人同士とはいえ不自然といわざるを得ず、内山と不二建設をかばっていたとの供述も、内山に対する支払い関係を明らかにしたからといって、そもそも謝礼金の受領自体山口社長らの関知しないことであるから、必ずしも不二建設の簿外資金の存在を暴露することにはつながらないし、多額の納税と刑事被告人としての処罰を甘受してまで内山をかばおうとしたというのも理解し難く、そこまでかばおうとしたのなら、内山が亡くなったから一転して暴露するという行動に出るのも納得が行かず、被告人の公判廷での供述は、信用できるものではない。

以上のように、大和市西鶴間物件に関する内山への債務支払いに関する被告人の公判廷供述は信用できないのであり、その他の内山及び株式会社岩屋、株式会社三晃設計に対する債務の支払いに当てる積もりであったとの被告人の公判廷供述も、同様信用できるものではない。そうすると、被告人が本件謝礼金を不二建設や和光の会社の債務の支払いに当てあるいは当てる意向であったとは認められず、被告人は、検察官に供述するとおり、本件謝礼金を株式等の投資資金として個人的な用途に当てていたものと認められる。

(4) なお、野村証券新宿支店に勤務していた証人島田守の第九回公判調書中の供述部分や証人中野俊之の証言、内山社長の件と題するメモの写し(弁護人請求証拠番号書48もの)によれば、野村証券新宿支店における被告人名義の口座の取引状況等に関し、次のことが認められる。

被告人は、昭和六一年六月野村証券新宿支店に被告人名義の口座を開設し取引を始め、それからまもないころ、同支店の担当者島田守に、「一部運用を任されているお金があるので、慎重に運用するように」と指示し、同年七月上旬から同年一〇月末にかけて島田が不二建設の応接室に集金に赴いた際、内山が三回にわたり現金授受の場に同席し、三回目には島田に対し、以前から被告人にいくばくかの資金を一緒に運用してもらっている旨説明したので、島田は翌日ころ被告人に会社の規定と税務上口座を分けた方がいい旨忠告したところ、被告人は二人分の仕分けはできている旨答えた。翌六二年三月島田は被告人から、「内山に五〇〇〇万円行ったので、口座開設の手続をしてやるように」との依頼を受け、まもなく内山名義の口座の開設手続をし、内山から二回にわたり計五〇〇〇万円を入金してもらった。平成二年春被告人は、同支店の中野俊之に、被告人から内山に金が出ていると言って、内山名義の口座の入出金状況を尋ね、中野はメモ書きして教えた。

右認定事実によれば、野村証券新宿支店の被告人名義の口座で行われた株式等の取引には、内山に帰属する分が混入していた可能性、及び内山名義の口座開設時に被告人から内山へ何らかの金銭が動いた可能性がある。

しかし、先に判断したとおり、被告人が内山に対して合計二億二八〇〇万円を支払う約束をした旨の被告人の公判廷供述は信用できないので、右に述べた内山分の混入と内山への金銭の動きが仮に事実存在したとしても、それらは、被告人と内山との間の本件謝礼金とは関わりのない別個の事情に起因するものと認められ、謝礼金の使途に関する前記認定を左右するものではない。

6  まとめ

以上1ないし5に検討した事情を総合すれば、本件謝礼金は、被告人に帰属する所得であると認定できる。

したがって、弁護人の謝礼金の帰属に関する前記主張は理由がない。

三  株式売買益について

収税官吏作成の株式売買益調査書、被告人の検察官に対する平成二年二月一六日付供述調書(本文七丁のもの)等の関係各証拠によれば、野村証券新宿支店の被告人名義の口座における取引では、昭和六一年中の株式会社日本製鋼所外三銘柄の取引が、同一銘柄二〇万株以上の譲渡という課税要件を形式上満たしており、その株式売買益は、検察官主張のとおり四九七六万四九四七円になることが認められる。

しかし、二の5(4)で述べたとおり、右口座における取引には、内山の分が混入している疑いを否定できず、被告人の取引分を明確に特定せざるを得ない。しかし、この点に関しては、右取引状況に関する被告人の公判廷供述、及び被告人作成の平成二年一〇月二六日付陳述書(写)(昭和六一年分の同支店における株式取引状況に関するもの・弁護人請求証拠番号書34のもの)しか証拠が存在せず、これらによって、被告人分と内山分を区別して課税要件を満たす被告人の株式売買益を計算すると、検察官の主張金額を越えることになるが、それらは、前記のように、内山に対する二億二八〇〇万円の支払いの約束があったことを前提とするものであり、そうした約束の事実が認められないことは前述のとおりであるから、それに従って被告人分と内山分を分けることは相当でない。そうすると、結局、野村証券新宿支店の被告人名義の口座における株式等の取引については、被告人分と内山分を特定する証拠が存在しないことになるので、右取引における被告人の株式売買益を認定できないことに帰する。

(法令の摘要)

罰条 判示第一ないし第四の各所為について、いずれも所得税法二三八条一項、二項(情状による)

刑種の選択 判示第一ないし第四の各所為について、いずれも懲役刑と罰金刑の併科

併合罪の処理 刑法四五条前段、懲役刑につき同法四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第三の罪の刑に加重)、罰金刑につき同法四八条二項

労役場留置 刑法一八条

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、総合建設業及び不動産事業を営む中堅企業不二建設株式会社の常務あるいは専務取締役として、その不動産事業部門の実質的な最高責任者であった被告人が、同社やその関連会社の行った不動産取引に関し、仲介等を行ってその手数料を得た二業者から、簿外で支払いを受けて取得していた謝礼金の所得につき、合計三億二六三三万円余りを脱税したという事案であり、脱税が四年度にわたり継続して行われ、かつ脱税額が高額である上、脱税率も、各年度が九三ないし一〇〇パーセントで、通算では九九パーセントと極めて高く、悪質な事犯である。脱税の元となった所得は、右のとおり、被告人が会社における自己の立場を利用して、会社に内密に業者から得ていた謝礼金、いわゆるリベートであり、社会的に非難されるべき所得といえるばかりか、それがため、被告人は、謝礼金を得るに際して、業者が架空の経理処理を行うことを当然の前提とし、当初からその所得については申告する意思を持っていなかったのであり、その意味で計画的な脱税といえる。犯行の動機も、自己の自由にできる資産を増加させるという利己的なものであって、特に酌むべきところはない。さらに、被告人は、国税局の査察を受けた約一か月後に、判示第四の犯行に及んでいるのであり、ここには納税意識の希薄さが現れているといえる上に、謝礼金を提供した業者に税務当局の調査が入ったことを知ると、業者との間で、自己の脱税行為が発覚しないように口裏を合わせたり、被告人が査察調査を受けると自宅に保管していた現金や株券を親族に預けて親族との間でも口裏合わせを依頼するなどし、逮捕されるまで一業者からの謝礼金に関しては、脱税を否認し続け、公判においては、再度否認に転じて理由のない弁解をし、罪を免れるためなりふりかまわないよう態度を示しているのであり、自己の行為に対する反省が十分なのか疑問である。したがって、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。

一方、被告人が脱税に結びつく謝礼金の受領をするようになった経緯をみると、従来から不動産業界において、業者間の競争のために、悪習といわれるほど謝礼金の授受がまま行われ、被告人も当初は比較的少額のものを受け取っていたが、取引金額が大きくなるにつれて謝礼金も多くなり、本件につながる多額の謝礼金を受領してしまったのであって、謝礼金受領の事実についてひとり被告人を責めるのは酷であること、被告人は、起訴後には本件脱税全てについて修正申告を行い、多額の借入をするなどして、以前の修正申告に伴う納税と合わせ、国税、地方税の本税、附帯税を完納したこと、被告人は、不二建設に長年勤務し、その業績を上げるのに多大な貢献をしたのであるが、本件のため、懲戒免職となるなど、一応の社会的制裁を受けていること、その他家庭の状況、健康状態等、被告人のために酌むべき事情がある。

そこで、以上の諸事情を考慮して、主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松浦繁 裁判官 渡邉英敬 裁判所西田眞基は転勤につき、署名押印できない。裁判長裁判官 松浦繁)

別紙1 修正損益計算書

<省略>

別紙2 脱税額計算書

<省略>

別紙3 修正損益計算書

<省略>

別紙4 脱税額計算書

<省略>

別紙5 修正損益計算書

<省略>

別紙6 脱税額計算書

<省略>

別紙7 修正損益計算書

<省略>

別紙8 脱税額計算書

<省略>

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