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東京地方裁判所 平成3年(ヨ)2224号 決定 1991年12月09日

債権者

丸山宏子

遠藤みどり

佐々木裕子

長谷部久子

五十嵐恵美子

堀越末広

神長昌子

土橋由香里

高野享子

山瀬洋子

右債権者ら代理人弁護士

富田均

中西義徳

債務者

学校法人日本大学

右代表者理事

柴田勝治

右代理人弁護士

小谷野三郎

鳥越溥

武内更一

芳賀淳

主文

一  債権者らの申立てをいずれも却下する。

二  申立費用は債権者らの負担とする。

理由

第一双方の申立て

一  債権者ら

1  債権者らが債務者に対して日本大学医学部付属練馬光が丘病院(旧・光が丘総合病院)の職員としての労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債権者は債務者らに対し、平成三年四月一日から本案判決の確定に至るまで、毎月二五日限り、別紙記載の金員を仮に支払え。

二  債務者

主文と同旨。

第二当裁判所の判断

一  本件及び関連する平成三年(ヨ)第二二一七号事件の各記録並びに審尋の結果を総合すると、本件の事実関係として、次の事実が疎明される。

1  光が丘総合病院は、練馬区医師会が昭和六一年に開設した総合病院であるが、多額の建設費の借入れや看護婦不足による遊休施設の増大等のため業績が悪化し、平成二年八月時点における長期借入金等の累積債務が八五億五〇〇〇万円(その後も毎月約一億円ずつの赤字が増加)に達して経営に行き詰まり、再建計画の実施も医師、職員らの反対等のため事実上不可能となったことから、病院経営を断念することになった。そして、病院敷地の所有者であり且つ病院開設の推進者でもあった練馬区との間で協議した結果、練馬区医師会は、病院の建物を四六億三五〇〇万円で練馬区に売り渡して(医療機器等は寄付)練馬区医師会としての病院経営を廃止することを決定し、これに伴い、「設備の著しい変更、事業縮小、廃止等やむを得ない事業の都合による場合」における職員の解雇を定めた就業規則一七条三号に基づき、平成三年三月八日付け書面をもって、債権者らを含む全従業員に対して、同月三一日限りで解雇する旨を通知した。

2  練馬区は、地域医療の確保を基本とし、右建物を利用して病院経営を引き受ける者を探した結果、債務者が条件面で練馬区の希望に近接していたことから、区議会の決議を経て、債務者に対して病院建物等を貸与することを決定し、これらを借り受けた債務者が、自己の従業員のほか、従前から光が丘総合病院に勤務していた職員の多数を新規に採用して、平成三年四月一日から「日本大学医学部付属練馬光が丘病院」としてスタートした。

3  債務者は、病院経営を引き受けるに当たり、同年三月六日付けで、練馬区に対し、「<1>光が丘総合病院の医療活動に携わるすべての医師、職員について、平成三年三月三一日付けをもって退職手続を完了し、同日までに有している労働契約上の権利・義務を清算すること、<2>右の職員等が新たに債務者の教員及び職員として雇用されることを希望する場合には、債務者が所定の手続を経て採用を決定するが、役職者についての役職は継承しないこと。」を条件として提示した。練馬区医師会が同年三月八日付けでした前記解雇は、練馬区に対する右提示を踏まえたものである。

4  光が丘総合病院に勤務する医師、職員(平成二年九月末現在におけるパートタイマーを含む従業員数は、医師三七名、看護婦二三〇名、技術職員三六名、事務職員五八名である。)のうち、債務者の募集に応じて就職の申込みをした職員の殆どは、債務者との間で新たに労働契約を締結し、平成三年四月一日から債務者の職員として勤務をしている。

しかし、債権者らは、従前の労働条件に固執し、「<1>労働条件については、職務上の地位も含めて光が丘総合病院におけるのと同一であること、特に勤務場所については光が丘総合病院に特定されていること、<2>勤務年数については右病院時代の年数が通算されること、<3>以上の条件が満たされない場合は、光が丘総合病院の職員として練馬区医師会に対して有していた労働契約上の地位が、病院の練馬区への譲渡及び債務者への賃貸により当然に債務者に継承されることを主張する。」旨の条件を付して就職の申込みをしたため、債務者の了解が得られず、労働契約の締結に至らなかった。

二  以上の点について、債権者らは、複雑多岐にわたる主張を展開しており、しかも相互の関連が明確でないところもあるが、要約すると、ほぼ次のとおりである。

1  練馬区医師会がした解雇は、解雇権の濫用であって無効であり、債権者らと練馬区医師会との間には雇用関係が有効に存続しているところ、練馬区医師会は、このような雇用関係を含む有機的一体としての病院事業の営業を練馬区に譲渡し、債務者は、練馬区から右雇用関係を含む営業の賃貸を受けたのであるから、債権者らと練馬区医師会との間の雇用関係を継承したものである。

2  練馬区医師会と練馬区とは、光が丘総合病院を共同して経営していたもので、病院の経営者が練馬区医師会から債務者に代ったのは、実質的な経営者である練馬区からみれば、病院経営の実務担当者の更迭であって、練馬区医師会から債務者に対して直接に病院経営の譲渡が行われたことを意味する。このことは、患者に対する医療行為が前後一貫しており、練馬区医師会と債務者との間で医療の引受けに関する覚書が作成されていること、練馬区医師会が都知事に対してした病院の廃止届に単なる病院経営主体の変更であることが明記されていること、病床数も練馬区医師会によって確保されていたものがそのまま債務者に引き継がれていること、条件付きの就職申込みをした債権者らを除くと、債務者への就職を希望した職員は同一職種で債務者に雇用され、公募が全く行われていないことなどによって明らかである。

しかも、右三者間で医師、職員らの地位は債務者が継承する旨の合意が存在していたもので、練馬区医師会がした解雇は、経営主体変更のための単なる形式的な手続、すなわち、練馬区医師会との雇用関係の消滅を明らかにするための形式的な手続に過ぎない。債務者は、光が丘総合病院の職員等に対する説明会においても、身分保障を確約していたもので、前記一3のとおり、職員らの採用に関して「役職者についての役職は継承しない」と表明していることは、役職以外の条件は当然に継承する趣旨としか解し得ないものである。

したがって、債務者は、練馬区医師会がした解雇の効力に関係なく、債権者らの雇用主たる地位にあることになる。

3  練馬区医師会がした解雇は、整理解雇に当たるところ、その要件を欠いており無効である。すなわち、練馬区医師会は、公益法人本来の目的である非営利事業のほか、医師会本部、医療健診センター及び光が丘総合病院の三か所で収益事業を行い、本部に約六〇名、医療健診センターに約六〇名、光が丘総合病院に約三六一名の事務職員や看護婦、検査技師等を雇用していたが、練馬区医師会は、医療健診センターでは解雇の直前まで事務職員や看護婦等の新規採用を行いながら、光が丘総合病院に勤務する事務職員や看護婦については、(1)解雇の必要性、(2)配転等の解雇回避の努力、(3)事前協議、(4)整理基準の合理性のいずれの要件をも満たさないまま一律に解雇を強行したもので、整理解雇の要件を欠いており無効である。

そうすると、債権者らと練馬区医師会との間には有効に解雇関係が存続しているところ、前記1のとおり、これが病院営業の譲渡、賃貸に伴って債務者に承継されたことになる。

4  営業譲渡の場合における雇用関係は、譲渡当事者の合意の有無・内容にかかわらず、労働者が希望し且つ全部又は一分の承継を排除すべき合理的理由がない場合には、当然に承継されるもので、雇用関係を承継する旨の明示の合意は必要でなく、まして、本件のような経営者の交代による事業廃止の場合には、旧経営者が労働者全員を解雇したかどうかは関係がない。この場合の解雇は、事務手続を明確にさせるためのもので、新経営者による事業からの排除まで意味するものではないからである。旧経営者が労働者全員を解雇した上で営業を譲渡し新経営者が営業譲渡を受けるのと同時に雇用関係を承継するということは十分に成り立つ考えである。

仮に、旧営業者である練馬区医師会がした解雇が有効であるとしても、その効力が生じるのは、平成三年三月三一日を経過した時点すなわち四月一日であるところ、債務者が新経営者となったのは同じく四月一日であって、営業譲渡の前には解雇の効力が生じておらず、債務者は練馬区医師会と雇用関係のある現従業員を承継したことになる。

三  しかしながら、債権者らの右主張は、いずれも理由がなく、採用することができない。すなわち、

1  光が丘総合病院は、練馬区医師会が練馬区から借り受けた土地上に病院の建物を建築して単独でその経営に当たっていたもので、いかなる意味においても、練馬区と練馬区医師会が共同してその経営に当たっていたことを疎明する資料はない。したがって、右建物を利用した病院の経営者が練馬区医師会から債務者に代ったからといって、実質的な経営者である練馬区からみれば、病院経営の実務担当者の更迭であって、練馬区医師会の代りに債務者を新たな共同経営者として加えたなどと解することはできない。また、練馬区医師会と債務者の間で、直接或いは練馬区を通して間接に、光が丘総合病院の営業譲渡或いはその賃貸が行われたことを疎明する資料はない。病院の経営者が練馬区医師会から債務者に代った時点での患者に対する医療行為が全体としても個別的にも一貫していること、練馬区医師会と債務者との間で医療の引受けに関する覚書が作成されていること、練馬区医師会が都知事に対してした病院の廃止届に「病院経営主体の変更のため」と記載されていること、練馬区医師会が認可を得ていた病床数がそのまま債務者に引き継がれていることは、一日の空白も許されない医療の特質或いは医療行政上の要請によるもので、いずれも、練馬区医師会と債務者との間で有機的一体としての病院の営業譲渡或いは練馬区を通しての賃貸が行われたことの根拠とはならない。病院の建物や医療機器等がそのまま存続し、そこでの患者に対する医療行為が経営主体の変更の前後を通じて一貫しているからといって、新旧経営者の意思表示の如何に拘らず、両者の間に雇用関係を含む営業の譲渡契約が締結されたものと看做すこともできない。

2  更に、債務者が、練馬区医師会或いは練馬区に対して、光が丘総合病院に勤務していた医師、職員らを新たな労働契約の締結の有無に関わりなく承継することを約定したことを疎明する資料はなく、かえって、債務者がこれとは反対の意思を表明していたことは、前記一3のとおりである。債権者らは、債務者が新たな労働契約の締結による医師、職員の採用の意向を表明すると共に「ただし、役職者についての役職は承継しない」と明示していることを捉えて、「役職以外の条件は当然に承継する趣旨としか解し得ない」と主張するが、どうみても理解することは不可能である。

3  もっとも、練馬区医師会が、光が丘総合病院の経営を廃止するに当たり、職員らの雇用の保障に重大な関心を持ち、練馬区に対してその旨を申し入れ、債務者も、練馬区の申入れを受けて、新たな労働契約の締結に応じた者については債務者の教員、職員として雇用することとし、そのための募集を行い(債務者による職員の募集は、当裁判所の示唆により、本件仮処分申立て後の審尋中にも追加して行われた。)、募集に応じた職員の殆どとは新たに労働契約を締結し、しかも、従前の労働条件を急激に切り下げないための経過措置まで用意していたのであるから、あくまで従前の労働条件に固執する債権者らをその要求どおりの条件で雇用しなかったからといって、問題とするには当たらない。

また、練馬区医師会や練馬区の関係者が、債権者らに対して、「雇用の保障」とか「雇用の継続」という表現をしていたからといって、労働契約の締結という新たな法律行為の介在を待つまでもなく、法律上当然に、債権者らと練馬区医師会との雇用関係がそのままの内容で債務者に継承されることを確約していたと解することはできない。

4  右のとおり、練馬区医師会と債務者との間で、直接にはもとより練馬区を通して間接にも、債権者らとの雇用関係を含む光が丘総合病院の営業の譲渡或いは賃貸が行われたものということはできないが、更に、本件解雇は、八五億円を越す多額の負債を抱えて病院経営に行き詰った練馬区医師会が、病院経営を廃止して建物を練馬区に売り渡すに際し、就業規則の定めに基づいて行ったもので、練馬区医師会自体の存立の危険を考えると、やむを得ないものというべく、解雇権の濫用に当たり無効であるということはできない。また、本件では、練馬区医師会としての病院経営自体が廃止されるもので、余剰人員を整理した上で存続するというわけではなく、整理基準の合理性とか被解雇者の選択なども問題とはなり得ないものであるから、たとえ、練馬区医師会としては本部や健康センターを抱えていてそこに幾許かの職員を吸収する余地が絶無ではなかったとしても、三〇〇名を越す光が丘総合病院の全従業員に対してされた本件解雇の全部が、いわゆる整理解雇の要件を欠くために無効であると解することはできない。

そのほか、本件に現われた全資料を斟酌しても、練馬区医師会による医師、職員らの解雇が単なる形式的なもので法律上の効力を生じないものであるとか又は何らかの脱法行為であって無効であることを疎明すべきものは見当らない。

5  なお、練馬区医師会がした解雇の効力は、平成三年三月三一日が経過する同日の午後一二時に発生するもので、翌四月一日に発生するわけではないから、債権者らが主張するように、債務者は解雇の効力が発生する四月一日よりも前に病院の新経営者となることによって練馬区医師会の現従業員であった債権者らとの雇用関係を承継したなどと解する余地はない。

四  以上のとおりであって、債権者らの主張はいずれも採用に値しないもので、債権者らが債務者に対して労働契約上の権利を有するということはできず、債権者主張の被保全権利の存在はその疎明なきに帰するから(保証をもって代えるのは相当でない。)、債権者らの本件申立てをいずれも却下することとし、申立費用の負担につき、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 太田豊)

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