東京地方裁判所 平成3年(ル)2259号 決定 1992年2月04日
当事者 別紙目録のとおり
請求債権 別紙目録のとおり
主文
一 債権者の申立てにより、上記請求債権の弁済に充てるため、別紙請求債権目録記載の執行力のある債務名義の正本に基づき、債務者が第三債務者に対して有する別紙差押債権目録Ⅱ記載の債権の全額を差し押さえる。
二 債務者は、前項により差し押さえられた債権について取り立てその他の処分をしてはならない。
三 第三債務者は、第一項により差し押さえられた債権について債務者に対し弁済をしてはならない。
理由
一 事案の概要
(1) 債務者は、第三債務者に勤務していたが、昭和六〇年五月三一日退職し、その後行方不明となった。
(2) 第三債務者は、債務者が勤務していた当時の給与及び退職金として、別紙差押債権目録Ⅰの債務を負っていた。
(3) 債務者は、行方不明となった四年後に債権者に対して債務の一部を送金してきたがその所在を明らかにせず、また第三債務者に対して上記の給与及び退職金の支払いを請求していない。
(4) 当裁判所は、債務者に対して、公示送達の方法により、本件差押え禁止債権の範囲の拡張について、意見を申し出るよう審尋したが、回答はなかった。
(5) 債務者については、上記の給与及び退職金のほか差し押さえるべき資産を発見できない。
以上の事実関係のもとで、債権者は、別紙差押債権目録Ⅰの債権につき、債権差押え命令の申立てをし(平成三年(ル)第二二五九号事件)、法律の定める範囲(四分の一)の差押え命令を得たが、さらに上記の給与及び退職金債権の全額まで差押え範囲を拡張するよう求め、その理由として、次のように主張している。
ア 債権者の請求債権の実質は、債務者の横領による被害の損害賠償債権である。
イ 債務者は、債権者以外にも同様の損害を与え、これらについて行方不明となってから多額の賠償をしているが、上記の給与及び退職金にはなんらの関心も示しておらず、このような状況からみて、上記の給与等の全額を差し押さえられても、生活の維持が困難となることはない。
ウ 差押え範囲を拡張することなく、上記の給与等について消滅時効期間が経過すると、債権者に酷となる。
二 当裁判所の判断
(1) 給与についての拡張の可否
上記一の事実関係によれば、債務者は、昭和六〇年五月頃から行方不明となっており、その後現在まで第三債務者に対して給与の支払いを請求したことはない。このように債務者が相当期間にわたって給与の支払いを受けていないこと、及び債務者が給与の支払いを受けず他の財源から損害賠償金を支払っていることを考慮すると、債務者は、他に収入を得て生活を維持しているものと考えられる。そうすると、債務者の過去の時期の給与は、債務者の現在の生活を維持するのに必ずしも必要であるとはいえないものと判断される。
そして、上記一の事実関係によれば、債務者に扶養されて生活を維持してきた者があったとの事実は、認められない。
そうすると、他に差し押さえるべき財産のない本件では、請求債権の満足に充てるため、給与の全額まで、差押え範囲を拡張し、これを差し押さえることを許容するべきである。
(2) 退職金についての拡張の可否
上記一の事実関係によれば、債務者は、退職金についても、その支払いを請求していない。そして、労働基準法による退職手当の消滅時効期間は五年である(労働基準法一一五条)。一般的にいうと、退職金は、主として、労働能力が低下する老年期の生活を維持する必要から支払われるものである。したがって、債務者の現在の生活維持のために必要がないというだけでは、退職金に対する差押えの範囲を拡張する理由としては薄弱であるといわざるをえない。しかし、退職金が時効消滅するのであれば、消滅しないうちにこれを債権者への債務の弁済に当てる方が、債務者の債務も減少することとなって債務者の利益にかなうものといえる。そこで、時効期間の満了を間近に控えている段階以降においては、他に特段の事情がない限り、退職金についても差押えの範囲を拡張する合理的な理由があるものというべきである。
本件においては、退職金債権の時効期間は経過しているものと判断され、また、差押えの範囲の拡張を否定すべき特段の事情も認められない。
そこで、請求債権の満足に充てるため、退職金の全額まで、差押え範囲を拡張し、これを差し押さえることを許容することとする。
(裁判官淺生重機)
別紙当事者目録
債権者 北原清一
代理人弁護士 新美隆
債務者 甲野一郎
第三債務者 社団法人日本音楽著作権協会
代表者理事 石本美幸
別紙差押債権目録Ⅰ
金四七七万九二八二円
ただし、債務者が第三債務者から支払を受けるべき下記給与、退職金の合計額
(1) 給与(ベア差額金含む)金三〇万一三五七円
(2) 退職金 金四四七万七九二五円
別紙差押債権目録Ⅱ
金三五六万八四四四円
ただし、下記金員の合計額
(1) 金二一万円
ただし、債務者が第三債務者から支払いを受けるべき給与(ベア差額金含む)金三〇万一三五七円から当庁平成三年(ル)第二二五九号事件により差し押えられた金九万一三五七円を控除した残額
(2) 金三三五万八四四四円
ただし、債務者が第三債務者より支払いを受けるべき退職金四四七万七九二五円から当庁平成三年(ル)第二二五九号事件により差し押えられた金一一一万九四八一円を控除した残額