東京地方裁判所 平成3年(ワ)13808号 判決 1997年1月22日
原告
大槻則一
同
長沼節夫
右両名訴訟代理人弁護士
内田剛弘
同
羽柴駿
同
渡辺博
被告
株式会社時事通信社
右代表者代表取締役
前田耕一
右訴訟代理人弁護士
小谷野三郎
同
鳥越溥
同
芳賀淳
右小谷野三郎訴訟復代理人弁護士
笠巻孝嗣
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告が原告大槻則一(以下「原告大槻」という。)に対し、平成三年五月一日付けでした原告大槻の勤務部署を本社社会部から横浜総局へ配置転換する旨(以下「本件一の配転」という。)の命令は無効であることを確認する。
二 被告が原告長沼節夫(以下「原告長沼」という。)に対し、平成三年五月一日付けでした原告長沼の勤務部署を本社社会部から同整理部へ配置転換する旨(以下「本件二の配転といい、本件一の配転と合わせて「本件各配転」という。)の命令は無効であることを確認する。
第二 事案の概要
本件は、原告らが、本件各配転が労使慣行違反、不当労働行為であると主張して、その無効確認を求めている事案である。
一 争いのない事実等
1 当事者
被告は、ニュースの提供を主たる業務として、全国に約八〇か所の支社、総局、支局を有し、海外にも多数の特派員を派遣している会社である。
原告大槻は、昭和四八年四月、被告に入社し、以後昭和五二年一月までは仙台支局(現在は仙台支社)に所属し、その後同年二月から平成三年四月三〇日までは本社社会部に所属して各省庁の記者クラブ員として取材活動に従事していた。組合活動歴としては、昭和四八年五月、時事通信労働組合(以下「時事労組」という。)に加入し、仙台支局員で構成する時事労組の下部組織である北日本支部(以下「北日本支部」という。)の副委員長などを務め、昭和五二年二月、仙台支局から本社社会部への配置転換と同時に、時事労組を脱退して時事通信労働者委員会(以下「労働者委員会」という。)に加入し、現在その代表幹事を務めている(甲第八〇号証、原告大槻本人尋問)。
原告長沼は、昭和四七年七月、被告に入社し、以後昭和四九年四月までは本社経済部に所属して通産省、ジェトロの各記者クラブ員として、その後昭和五〇年一一月まではナイジェリア・ラゴス支局の特派員として、その後平成三年五月一〇日までは本社第一編集局(当時)、次いで同社会部に所属して各省庁などの記者クラブ員としてそれぞれ取材活動に従事していた。組合活動歴としては、昭和四七年八月、時事労組に加入して被告の経済部、社会部の記者で構成される時事労組の下部組織である経済班(以下「経済班」という。)に所属していたが、昭和五一年三月、労働者委員会の結成に参加し、現在その代表幹事を務めている(甲第六九号証、原告長沼本人尋問)。
2 本件各配転命令の存在
被告は、原告大槻に対し、平成三年五月一日付けで本件一の配転命令を、原告長沼に対し、同月一一日付けで本件二の配転命令をそれぞれ発した。
3 就業規則の定め
平成三年五月当時、被告に適用されていた社員就業規則(以下「就業規則」という。)のうち、配置転換に関する規定は次のとおりである。
第一四条 (転勤、職場の転換、職種の変更)
会社は仕事の都合で社員に転勤を命じ、または職場の転換、職種の変更を命ずることがある。
2 前項の場合、社員は会社が首肯しうべき特別な理由がなければこれを拒むことはできない。
4 労使慣行の存在
被告と時事労組との間には、平成三年五月以前から時事労組所属組合員の配置転換等に関して次のような労使慣行(以下「本件慣行」という。)が成立していた。
① 被告は、時事労組所属組合員の配置転換(局・部間異動、昇格を含む。)を行う場合、事前に時事労組に対し「異動案通告」を行う。
② 被告は、右「通告」に対する時事労組の回答があったのちに発令する。
③ 右①の「通告」に対し、時事労組が異議を申し入れた場合、被告は当該人事の一方的な発令を行わず、被告と時事労組は従来の例にも留意して話し合いによる解決に努力する。
④ 被告と時事労組は、人事交流が公正、公平に行われることを条件に以上の点を確認する。とくに職場間で不公平が生じることなく、活発な人事交流が実現されるよう、最大限の努力を払うこととする。
二 争点
1 労使慣行の存否
(原告らの主張)
(一) 労使慣行の存在
被告と労働者委員会との間には、労働者委員会所属の組合員の配置転換に関して、被告と時事労組との間における本件慣行と同様の労使慣行が成立している。
(二) 本件各配転の労使慣行違反
(1) 本件一の配転について
本件一の配転については、原告大槻及び労働者委員会は、平成三年二月二〇日、一旦これに同意したが、その直後、被告が原告長沼に対する本件二の配転のほか、労働者委員会代表幹事の尾野村祐治(以下「尾野村」という。)を本社経済二部から同資料室へ、同じく代表幹事の岩山耕二(以下「岩山」という。)を本社経済一部から同文化部へそれぞれ配置転換する旨の内打診を一挙に行ったため、これら一連の配置転換は、労働者委員会潰しの意図に基づくもので容認できないものであると判断し、同月二七日、先の同意を撤回した。しかるに、被告は、本件一の配転を強行したのであり、労使慣行違反は明らかである。
(2) 本件二の配転について
本件二の配転については、原告長沼及び労働者委員会は、平成三年二月二七日、これを拒否する旨回答したにもかかわらず、被告は、本件二の配転を強行したのであり、労使慣行違反は明らかである。
(被告の主張)
被告と労働者委員会との間には、本件慣行と同様の労使慣行は成立していない。
かつて、労働者委員会から被告に対し、人事異動に関する協定の締結の要求があったことがあるが、当時労働者委員会は、本社から地方支社局への配置転換を一切拒否する姿勢を示していたことから、被告はそのような姿勢の撤回が協定検討の前提である旨回答して協約締結を拒否し、その後も同じ要求、回答が続いて今日に至っている。
確かに、労働者委員会所属の組合員の配置転換に関し、労働者委員会が「同意書」なるものを提出し、被告がこれを受領したことがあるが、これは単に受領を拒絶しなかったに過ぎず、もともと同意書が提出されること自体稀であり、同意書提出の慣行すら成立していない。
2 不当労働行為の成否
(原告らの主張)
本件各配転は、労働組合法七条一号に該当する不当労働行為であり、無効である。
(一) 本件各配転と不利益取扱い
(1) 組合活動上の不利益
ア 少数組合に対する一挙配転
労働者委員会の組合員は、本件各配転以前は、全員本社経済部及び社会部の出先記者八名であり、労働者委員会は、右各部を拠点職場にしていた。ところが、被告が本件各配転のほか、委員長の岩山ら組合員の半数に対して一挙に配転命令を発したことなどにより、経済部及び社会部に残る組合員は、社会部の山口俊明(以下「山口」という。)と経済部の中村克(以下「中村」という。)のみとなった。そのため、労働者委員会所属の組合員の勤務時間の不統一、勤務場所の異同が生じ、組合員が集まって日常の組合活動を行うことが著しく困難となった。
イ 原告大槻の組合活動上の不利益
原告大槻は、本件一の配転により、労働者委員会の組合委員中、ただ一人横浜勤務を余儀なくされ、横浜から東京へ移動時間を要することになり、他の組合員と日常的に会合を行うことが極めて困難になったばかりか、同人が行ってきた教宣活動や他の労働組合との渉外活動といった組合活動にも著しい支障を来たした。
ウ 原告長沼の組合活動上の不利益
原告長沼は、本件二の配転により、整理部の校閲を主たる業務とする「赤筆」と呼ばれる内勤職場に異動させられた。「赤筆」は、深夜業務を含む交代制勤務のため、勤務時間帯が日によって異なり、また、自由に有給休暇を取得できないことから、労働者委員会の日常の会合にほとんど出席できないばかりか、労働者委員会や労働者委員会所属の組合員に関する東京都地方労働委員会(以下「都労委」という。)の審問や裁判所の裁判を傍聴できず、また、外国プレスに対する広報活動にも大きな支障を来たすなど、組合活動上大きな不利益を被っている。
(2) 原告長沼の仕事上、人事上及び待遇上の不利益
原告長沼は、本件二の配転により、生涯一記者としての自己実現の場を奪われたことそれ自体の不利益を被った。原告長沼のような語学力及び海外取材能力を有するジャーナリストにとって、この不利益は重大なものである。また、出先記者が内勤に異動する場合には、通常次長に昇格となり、役付手当てがついて、時間外手当の目減りを補填するかたちとなる。ところが、原告長沼については出先記者から整理部への配置転換にもかかわらず、次長待遇はなされず、役付手当も支給されていない。このように、原告長沼の過去五年にわたる不当差別による損害は甚大なものであり、同人の取材活動及び家族生活を脅かしている。
(二) 不当労働行為意思の存在
(1) 経済班に対する攻撃と労働者委員会の結成
被告と時事労組執行部とが結託した経済班攻撃の中で、昭和五一年三月、労働者委員会が結成されたが、被告は、その結成当初から労働者委員会を敵視し、多数派組合である時事労組との差別的取扱いに終始し、団体交渉の申し入れを拒否し続けた。このため、労働者委員会は、結成当初から都労委に対し、団体交渉の開催、組合事務所の提供等の救済申立てをせざるを得なかった。
(2) 被告の労働者委員会に対する不利益取扱い
ア 不当処分
原告長沼は、ラゴス支局特派員として勤務中、ナイジェリア人の助手に事務所兼住居費用一年分を持ち逃げされたとして、帰国後間もない昭和五〇年末、減俸処分に付された。しかし、これは、原告長沼が経済班出身なるが故の不当処分であった。
また、山口は、平成四年七月中旬の有給休暇の取得に関し、同年九月、被告から時季変更に関する業務命令違反及び職務怠慢を理由に懲戒解雇された。これは、山口が労働者委員会の中心メンバーであったことを理由とする不当処分であった。
イ 一貫した団交拒否
被告は、労働者委員会が設立されてから現在に至るまで、形式上団体交渉に応じることはあっても、一片だに誠意を見せず、独自要求に対してはゼロ回答に終始してきた。
ウ 業務妨害、仕事の無視
被告は、経済班・労働者委員会所属の組合員に対し、数々の業務妨害や仕事の無視をしてきた。その例として、経済班の本格的な自主企画で発刊された「寡占支配」の出版妨害、山口がモスクワ特派員だったころの「月光荘」事件の特ダネをボツにし、サハロフ博士との単独インタビューの配信も拒否し、国際ジャーナリストである原告長沼に対する出張取材の拒否、同人の「昭和天皇・マッカーサー会談公式議事録」のスクープをボツにしたこと等が挙げられる。
(3) 本件各配転の時期
被告は、山口が昭和五五年八月から九月にかけて約一か月間の年次有給休暇を取得したことについて、時季変更の業務命令違反として懲戒(けん責)処分し、同年の冬季一時金をカットした。山口は、昭和五六年四月、東京地方裁判所に右懲戒処分の無効確認訴訟を提起し、一審は敗訴したが、昭和六三年一二月、東京高等裁判所で逆転勝訴した。内外のマスコミはこれを大々的に報道し、それも山口勝訴判決を評価する論調が大勢であった。そのため、被告は同判決に対して上告する一方、労働者委員会の被告の社内外への影響力の増大に危機感を抱き、労働者委員会メンバーへの攻撃を強めてきた。
本件各配転は、山口に対する右懲戒処分事件で敗訴した被告の労働者委員会に対する報復攻撃ともいえるものである。
(4) まとめ
右に述べた諸事情及び原告らの組合活動歴を総合的に判断すれば本件各配転について、被告が不当労働行為意思を有していたことは明らかである。
(被告の主張)
(一) 本件各配転の合理性
(1) 定期異動としての配転
被告では、毎年春定期の人事異動が行われており、本件各配転は、定期の人事異動の一環として行われた。
(2) 出先記者の配転慣行
被告では、政治部、経済部、社会部、内政部など取材部の出先記者(出先の各記者クラブに加入し、担当分野におけるニュースを取材し送稿する記者)は、四〇歳くらいで後進記者に出先を譲り、当該部のデスク(次長として出先記者から送稿されてくる記事のチェック、取材の指示などを行う。)のほか、編集局の整理部、出版局、総務局などの他部局あるいは支社の編集部長、支局長などに転出するという慣行が存在する。これは、出先記者の新陳代謝を図ると同時に、記者経験及び社員経験を積んだ人材を他部局や職制層へ供給するために必要な措置であり、他の新聞社、通信社でもほぼ同様の慣行が存在している。
本件各配転当時、原告大槻は四二歳で本社社会部の出先記者三五名の中では年長の方に属し、原告長沼は四八歳で本社社会部の出先記者中最年長であり、いずれも出先記者から他部署に転ずる時期に来ていた。
(3) 本件各配転の業務上の必要性
ア 原告大槻については、横浜総局の鹿内次長が那覇支局長に転ずることになりその補充が必要であったところ、鹿内次長は社会部出身であり、その後任も社会部から出すことが望ましいと判断したことや原告大槻の自宅が横浜市にあり、転居の必要がないことから、鹿内次長の後任に原告大槻が適当と考え、本件一の配転命令を発した。
イ 原告長沼については、編集局整理部の海野美洋(以下「海野」という。)の転出に伴う補充が必要であったところ、海野の整理部内での担務は社内で「赤筆」と呼ばれる政治部、社会部など出稿部のデスクから整理部に出稿される記事の内容、用字用語等をチェックする仕事であり、相当の記者経験者でないとこなせないことから、海野の後任に原告長沼が適当と考え、本件二の配転命令を発した。
(二) 本件各配転と不利益取扱い
(1) 原告大槻の横浜勤務は、東京・横浜間は距離的に近く、組合活動を困難ならしめるものということはできず、そのためか、原告大槻は、一旦本件一の配転に同意していたのである。
(2) 原告長沼が本社整理部に配置転換されても組合活動に支障は生じない。もともと企業別労働組合は、職種、勤務時間、勤務場所が異なる構成員により構成されるものであるから、会合等に際し、組合内部で調整を必要とすることは普通のことである。それ故、原告らが主張する程度の事柄をもって組合活動上大きな不利益があるとは到底いえない。
(3) さらに、本件各配転により、労働者委員会所属の組合員について勤務場所の異同、勤務時間の不統一が生じたとしても、八名のうち七名は本社勤務であり、そのうち六名は同一の勤務時間帯であって、日常の組合活動が著しく制限されることはあり得ない。現に、本件各配転前後の労働者委員会の活動状況をみると、本件各配転により組合活動に支障がもたらされた形跡は全くない。
(4) 以上のとおり、本件各配転によって原告らは労働者委員会での組合活動に何らの支障を来たしていないから、本件各配転は不利益取扱いではない。
(三) 不当労働行為意思について
本件各配転は、右(一)のとおり合理的理由に基づくものであり、労働者委員会又は原告らの組合活動を嫌悪してなされたものではない。
(1) 労働者委員会と被告との団体交渉は、労働者委員会結成後しばらくの間行われなかったが、それは、労働者委員会には通常の組合における委員長に相当する代表幹事が八名もおり責任の所在が明らかでなかったこと、代表幹事八名中の半数が時事労組との二重加盟者で、交渉の当事者として疑問があったこと、団体交渉開催のための予備的な話し合いの場で、労働者委員会所属の組合員が怒声、罵声を繰り返し、実力をもって被告側出席者の退席を妨害するなど、正常な団体交渉が期待できる状況ではなかったからである。昭和五三年四月一五日の和解協定締結後は、団体交渉は正常に開かれており、被告が理由なく団体交渉を拒否したことはない。
(2) 被告は、原告らが主張するような不当処分、業務妨害や仕事の無視をした事実はない。
第三 争点に対する判断
一 労使慣行の存否(争点1について)
1 前記争いのない事実等、甲第二〇、第二一号証、第二六号証の一、二、第六七、第八七、第九六、第九八ないし第一〇〇号証、乙第四、第五、第二九号証、第三〇号証の一ないし六、第三二、第三五、第四三、第四六号証、証人中村克及び同安江良夫の各証言、原告大槻及び原告長沼各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 被告では、社員の配置転換の手続について、従前から就業規則一四条二項に基づいて予め本人の個人的事情を聞き、対象者が時事労組の組合員である場合には、時事労組に対し「組合員異動案通告」を行って意見を聴取し、その後に配置転換を命ずるという運用を行っていた。ところが、その後、時事労組が被告の右「通告」に対して異議を唱えた場合の取り扱いについて労使間で議論が起こり、また、経済班所属の組合員から提起された配転命令無効確認訴訟において、被告が行った被告と時事労組との間の労使慣行についての答弁の内容などから、被告と時事労組との間に組合員の配置転換に関する労使慣行の理解に食い違いが存在することが明らかになった。そこで、被告と時事労組は、交渉を重ねた末、昭和五一年八月一〇日、次の内容の「組合員の配置転換に関する確認書」を取り交わし、ここに本件慣行が確立した。
① 被告は、時事労組所属組合員の配置転換(局・部間異動、昇格を含む。)を行う場合、事前に時事労組に対し「異動案通告」を行う。
② 被告は、右「通告」に対する時事労組の回答があったのちに発令する。
③ 右①の「通告」に対し、時事労組が異議を申し入れた場合、被告は当該人事の一方的な発令を行わず、被告と時事労組は従来の例にも留意して話し合いによる解決に努力する。
④ 被告と時事労組は、人事交流が公正、公平に行われることを条件に以上の点を確認する。とくに職場間で不公平が生じることなく、活発な人事交流が実現されるよう、最大限の努力を払うこととする。
もっとも、右確認書の作成後においても、本件慣行について、時事労組は、人事異動については労働組合の同意を必要とするという、実質的な同意約款であると認識しているのに対し、被告は、あくまでも同意約款ではなく、労使間で話し合いによる解決を目指すという協議約款であると確認している。
(二) ところで、時事労組では、昭和五〇年ころにはその組合活動を巡って、執行部と北日本支部、経済班を中心とする組合員とが激しく対立していた。そのような状況の下、経済班に所属していた中村、山口、岩山ら組合員二二名は、昭和五一年三月二二日、新たに労働者委員会を結成した。労働者委員会は、結成後、被告に対し、同意約款等を内容とする人事異動協定の締結を要求したが、被告は、労働者委員会が所属組合員の本社から地方への配置転換を拒否する姿勢であったことから、このような姿勢の撤回が交渉の前提である旨回答して、協定の締結を拒否した。その後、労働者委員会は、春闘や冬季一時金要求の際に繰り返し人事異動協定の締結を要求したが、被告はその都度、右と同じ理由を述べて協定の締結を拒否した。こうして今日に至るまで、労働者委員会は地方への配置転換拒否の姿勢を撤回していないし、労働者委員会と被告との間には人事異動協定は一切締結されていない。
(三) 以上のような事情もあって、被告は労働者委員会に対しては、時事労組に対するような所属組合員の配置転換に関して「異動案通告」を行ったことはないが、労働者委員会は、昭和六〇年ころまで中村、山口、岩山、原告長沼ら所属組合員に対する配置転換について、これを拒否して団体交渉を申し入れたり、逆に同意して同意書を被告に交付したことがあった。しかし、昭和六二年三月以降、本件各配転に至るまでの間、労働者委員会所属の九名の組合員が次長等の職制に登用されて配置転換された際(昇格人事)には、労働者委員会は何らの対応をしなかった。
2 右に認定した事実によれば、たとえ労働者委員会が時事労組の下部組織である経済班所属の組合員を中心に結成された労働組合であるとしても、元来、時事労組とは全く別個の労働組合であるから、時事労組と被告との間で取り交わされた前記確認書に基づく本件慣行がそのまま労働者委員会に対して適用されると解することはできないし、労働者委員会と被告との間には人事異動協定は一切締結されていないというのであり、しかも、労働者委員会所属の組合員の配置転換の手続に関し、長期間にわたり、被告から労働者委員会に対して異動等の通告を行ったり、労働者委員会から被告に対して同意書を提出するなど、本件慣行に準じた行為が反復継続してなされているとはいえないのである。これらの事情からすれば、労働者委員会と被告との間に本件慣行と同様の労使慣行が成立していると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
よって、争点1に関する原告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
二 不当労働行為の成否(争点2)について
1 まず、本件各配転が原告らに対する不利益取扱いであるか否かを検討するに、前記争いのない事実等、甲第一ないし第一八、第二五、第二九、第三九、第六九、第七八ないし第八〇号証、乙第一ないし第三、第一四、第二六号証、第三〇号証の一ないし六、第三二、第三五、第三七、第四四、第四七号証、証人中村克及び同安江良夫の各証言、原告大槻及び原告長沼各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 労働者委員会は、昭和五一年三月に発足したが、組合機関紙「IMAGE」を発行する一方、被告に対し、団体交渉の開催を要求し、昭和五三年四月一五日、都労委において、被告との間で団体交渉のルールなどを定めた和解が成立し、また、昭和五六年一一月三〇日、都労委において、被告との間で組合事務所、組合掲示板、バック便の利用等の便宜供与に関する和解が成立した。労働者委員会と被告との団体交渉の回数は、昭和五三年から昭和五五年までは年間一〇数回から二〇回と多かったが、昭和五六年は一〇回、昭和五七年から昭和六〇年までは各年五回と減少し、昭和六一年から平成二年まではせいぜい年間一、二回で、ない年もあった。また、機関紙「IMAGE」の発行回数も、昭和五一年、五二年は各年五〇回を超えていたが、昭和五三年は二八回に減少し、昭和五四年から昭和六〇年まではせいぜい年一、二回で、ない年もあり、昭和六一年から平成二年までは全く発行されていない。このように、労働者委員会の活動は、発足後数年間はかなり活発であったものの、昭和六一年ころから本件各配転の直前までは比較的低調であった。なお、原告大槻は、労働者委員会において、主に教宣活動や他の労働組合との渉外活動に従事し、原告長沼は、主に広報活動に従事していた。
(二) 被告においては、毎年春定期の人事異動を行っており、その数は例年約二〇〇件に達するが、本件各配転はその定期異動の一環として行われた。また、被告では、政治部、経済部、社会部など取材部の出先記者は、入社してから定年までずっと出先記者のままでいることはほとんどなく、四〇歳を超えると適当な時期に出先記者を後進に譲って、当該部のデスク(次長)や編集局の整理部、出版局、総務局などの他部局、あるいは支社の編集部長、支局長などに転出するのが普通であり、慣行化していた。本件各配転当時、原告大槻は四二歳、原告長沼は四八歳で、ともに本社社会部の出先記者の中では年長の方に属していた。
(三) 本件一の配転については、横浜総局の鹿内次長が那覇支局長に転出することになり、その後任として被告において選考の結果、経歴、年齢や自宅が横浜市にあって転居の必要がないことなどから、原告大槻が適当であるとされたものである。そこで、平成三年一月二二日、被告から原告大槻に本件一の配転の内打診がなされたが、労働者委員会において検討した結果、特に問題はないと判断し、同年二月二〇日、労働者委員会は被告に対し、同意書を提出した。ところが、その直後に被告が原告長沼に対する本件二の配転や、岩山及び尾野村に対する各配置転換の内打診を相次いで行ったことから、労働者委員会はこれら一連の配置転換が労働者委員会潰しの不当労働行為であると考え、同月二七日、被告に対し、原告大槻の本件一の配転に対する先の同意を撤回した。
本件一の配転は、勤務先が東京本社から横浜へと変更されるものであるが、原告大槻は横浜市内に居住しており、通勤時間が約三〇分間短縮されるうえ、横浜総局次長という職制への登用を伴う昇格人事であり、職務内容も基本的には変わらない。
(四) 本件二の配転については、整理部の中の社内で「赤筆」と呼ばれる部署にいた海野が他に転出することになり、その職務内容が政治部、社会部などの出稿部のデスクから整理部に出稿される記事の内容、用字用語等をチェックするという校閲業務であり、相当の記者経験者でないとこなせないことから、経歴、年齢等から原告長沼が適当であるとされたものである。「赤筆」の勤務体制は、整理部員八名が①八時番、②一〇時番、③一四時番、④一五時番、⑤一六時番、⑥泊まり番(二〇時から翌朝九時まで勤務)、⑦明け番(朝九時に終えて帰宅)、⑧明け休という八日毎のローテーションで勤務するというものである。被告において、休日は、日曜日、祝日、年末一二月二九日から年始一月三日までの間の日曜日と祝日を除く日(年間合計日数七〇日)と定められ、その他、年間二六日の有給時短休暇が与えられている。しかし、「赤筆」の担当者の場合、右のローテーションでは有給休暇が取りにくいシステムであることから、被告では、③の一四時番の日に有給休暇を取得するよう指導していた。
原告長沼は、本件二の配転により出先記者から校閲業務という内勤業務へ職務内容が変更され、また、整理部の業務は、ほとんど時間外労働がないため、その給与は月額二〇万円余り減少した。
(五) 労働者委員会所属の組合員は、従前全員本社社会部又は経済部に勤務しており、勤務時間、勤務場所とも同じであったが、本件各配転により、原告らについて他の六名との間に勤務時間又は勤務場所の異同が生じた。
2 右に認定した事実によれば、本件各配転は、春の定期異動の一環として行われたものであり、被告における取材部出先記者の異動の慣行に照らしても異例であるとはいえないし、それぞれ前任者の後任補充のため業務上の必要性が肯定できることから、合理性があると認められている。そして、労働者委員会は、昭和六一年ころから本件各配転前までは活動が低調であったというのであり、原告大槻は当初、本件一の配転の内打診に対して同意し、労働者委員会としても同意書を被告に交付していたのであり、しかも、本件一の配転は、基本的に職務内容の変更がないばかりか勤務地や職制への登用といった点で原告大槻にとって却って利益となるものである。他方、原告長沼は、本件二の配転により整理部でのローテーション勤務となり、勤務時間帯が日によって異なり、有給休暇の取得が事実上制約を受けることになったとしても、勤務地に変更はなく、組合活動に与える影響はそれ程大きいとはいえない。また、本件二の配転後、原告長沼の給与は、整理部での業務はほとんど時間外労働がないため、月額二〇万円余り減少したというのであるが、これは業務内容の変更に伴い、そのような勤務体制に組み込まれた結果であるし、反面、時間外労働を免れているわけで、一概に不利益とばかりはいい切れない。また、原告長沼は、この給与の減少は、出先記者が内勤に異動する場合は、通常次長に昇格することに伴い、役付手当の支給によって補填するのに、本人の場合、次長への昇格がなかったためであるとも主張するがこれは昇格しないことによる不利益とはいえても、本件二の配転によって生じた不利益といえないことは、その主張自体から明らかである。
なお、原告長沼は、語学力及び海外取材能力を有するジャーナリストであるところ、本件二の配転により、生涯一記者としての自己実現の場を奪われ、重大な不利益を被った旨主張するが、原告長沼が被告に入社した際、被告との間で原告長沼の職種を生涯記者に限定する趣旨で合意されていたことを窺わせる証拠はないし、前記認定のとおり、被告においては、生涯出先記者であることの方がむしろ異例であるというべきであり、被告には、本人のこのような希望をかなえなければならない義務があるとはいえないから、原告長沼の主張するような不利益は、法的保護に値する利益の侵害と評することはできない。
そうだとすれば、本件各配転には合理的理由があると解すべきところ、これによって原告らが労働者委員会の組合活動を行う上で、また、原告長沼が仕事上、人事上及び待遇上、配置転換に伴って労働者が通常甘受すべき程度を超える不利益を被ったとまでみることは困難であるから、原告らが本件各配転により労働組合法七条一号にいう不利益な取扱いを受けたということはできない。そして、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、本件各配転が不当労働行為にあたって無効である旨の原告らの主張は、採用することができない。
三 結論
以上によれば、原告らの本件請求はいずれも理由がないから棄却して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官萩尾保繁 裁判官白石史子 裁判官島岡大雄)