大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ワ)1513号 判決 1993年1月26日

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、平成三年一月一七日から右明渡済みまで一か月三七七万〇二七〇円の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

理由

第一  請求

一  主文同旨

二  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  原告は、別紙物件目録記載の店舗(以下「本件店舗」という。)を含めた東京八重洲地下食堂街の管理を主たる目的とする株式会社であり、被告は、昭和五九年六月一日当時、訴外後藤昌弘(以下「訴外後藤」という。)が代表取締役を務め同人の家族が九割以上の持株割合を占めるいわゆる同族会社であつたが、原告は、同日、被告に対し、本件店舗の従前からの賃貸借契約につき、要旨次の内容の更新契約を締結した。

(一) 賃料は、最低基準賃料を右契約日から一年間は月額一一二万九七五五円、昭和六〇年六月一日から一年間は一一五万一六九二円とした上で、本件店舗の売上金額の一八・三七五パーセントの歩合賃料を支払う。

(二) 電気費等の諸経費は、原告の実費計算に基づいて、毎月末日限り前月分を支払う。

(三) 被告は、資本又は役員構成に重大な変更を生じたときは、原告に対し遅滞なく必要書類を提出し、その書面による承認を得なければならない。

(四) 被告は、本件店舗に関する賃借権、営業権等の権利の全部又は一部を譲渡(被告の業種・資本・役員構成等の重大な変更により被告が右契約締結当時と実質的な企業の同一性を欠くに至つたとき、又は営業全部の賃貸、その経営の委任、他人と営業上の損益全部を共通にする契約、その他これらに準ずる行為をなした場合は、これを譲渡とみなす。)することができない。

(五) 被告が右各項の一にでも違反した場合、原告は、被告に対し、何らの通知、催告を要せず右賃貸借を解除できる。

(六) 被告は、右賃貸借が解除された後、本件店舗の明渡を完了させないときは、右解除の翌日以降右明渡済みまでその経過日数に対し、賃料の倍額に相当する損害金を原告に対して支払う。

2  右賃貸借契約は、昭和六一年六月一日、昭和六三年六月一日、平成二年六月一日に、おおむね右同様の内容でそれぞれ更新され、最低基準賃料は一八八万五一三五円(消費税込み)、売上歩合率は一七・五パーセントに改定された(以下「本件賃貸借」という。)。

3  ところで、平成二年一一月一六日以降の、被告における訴外後藤及びその一族の持株割合は過半数を下回るようになり、訴外後藤は平取締役となり、他の取締役(河野孝子、鶴田かほる、町田恵子、大山勝弘、河野哲也、河野英生)も後藤家以外の人物であり、元の被告の経営者一族と相続関係にある親族関係を有している者ではない。

4  原告は、被告に対し、平成三年一月一六日に到達した書面で、契約違反を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をおこなうと同時に、本件店舗を右意思表示の到達後一週間以内に明渡すことを求め、かつ、右明渡済みまでの間、前記1(六)の約定の使用損害金及び本件店舗の電熱費等の諸経費の支払いを求める請求をした。

二  争点

被告は、次のように主張し、原告による本件店舗賃貸借契約の解除の効力を争つている。

1  被告は、前記第二の一1(三)、(四)の約定(以下「承認義務等の約定」という。)が、従前の「届出制」から「承認制」に変わることなどについての説明を、昭和五九年の、更新契約当時原告から受けておらず、単なる更新にすぎないとの説明のもとで更新に応じたものであるから、何ら当事者を拘束するものではなく、また、被告に錯誤があり、その限りで右変更部分は無効である。

2  右約定の効力があるとしても、右約定は、代表者を変更したとき、又は資本若しくは役員構成に重大な変更を生じたときにおいては、右変更が生じた後遅滞なく必要書類を提出し、その書面による承認を得なければならないと規定しているのであり、いわゆる「承認制」とは異なり、実体は「届出制」にすぎないとみるべきである。

3  仮に、承認制と認められるとしても、承認を拒絶するには代表者の変更等が貸主にとつて賃貸借契約を維持する上での不利益を生じるなど合理的な場合に限定されると解されるべきところ、本件においては争点4記載のとおりの特段の事情が存在し、その様な不利益は原告に存在しない。

4  被告内における株式の譲渡には、信頼関係を破壊しない特段の事情が存在する。

第三  争点に対する判断

一  (争点1《錯誤等の主張》について)

1  《証拠略》によれば、承認義務等の約定は昭和五五年六月一日締結の賃貸借(更新)契約のときから昭和五九年の契約までいずれも契約条項として明記され、更新されて来たものであり、その更新契約の方法も、原告から被告あて契約書を郵送するなどして交付し、それに被告側で記名押印して原告に送付するという方法で行われ、その間内容を吟味する時間的余裕が十分与えられていたものであるから、被告において契約内容の確認をしようと思えば極めて容易になしうる状況にあつたもので、その確認を妨げるような特段の状況は窺えないから、契約書に記載された本件承認義務等の約定文言が当事者を拘束しない例文にすぎないなどとして限定的に解すべきものではなく、契約書に表示されたとおりの内容の意思表示がなされたものと解すべきものである。

2  被告は、原告からその旨の変更がなされたことの説明がなく錯誤に陥つていたとの主張をもなしているが、主張自体当該条項についての一部無効を主張しているのみでそれが法律行為の要素にあたるとの主張がないのみならず、承認義務等の約定は賃貸借契約中の付随的義務のしかも手続内容の変更にすぎず、その意味において要素の錯誤とも認めることはできないから、この点の主張も採用できない。

二  (争点2《承認義務等の約定の意味内容》について)

《証拠略》によれば、承認義務等の約定は、昭和四四年当初の契約によれば必要書類を提出してその旨を届けるのみの届出制がとられていたにすぎなかつたが、八重洲地下食堂街において株式を譲渡する形態での実質的な賃借権の無断譲渡がなされる事例が増加して来たため、地下街の環境・風紀を乱すような業者の出現を防止するなどの目的で従前行われていた届出制を承認制に変更したものであり、承認義務等の約定が「次の各号に該当する事実が発生した場合」との過去形の文言が使用されているのは、典型的な法人賃借人の役員の変更などに関する株主総会の意思決定等にまで原告が賃貸人としての立場で容喙することは相当ではないとの配慮に出たもので、契約文言上経営主体を実質的に変更するような資本や役員の構成の変更がなされた場合には事後的に承認がなされないことがあることを明らかにし、その運用においては事実上事前相談、事前審査を行うことをも予定していたもので、現にその様な運用がなされていたものと認められるから、本件承認義務等の約定が実質上届出制にすぎないとの被告の主張は採用できない。

三  (争点3について)

民法六一二条一項が、賃借人は賃貸人の承諾なく賃借権を譲渡し、賃借物を転貸できないと規定していること及び承認義務等の約定が前記二で認定した経緯で設けられたこと及び契約上不承認それ自体を解除事由と定めていることなどを考慮すると、賃借人が法人としての形態である場合であつても、同族会社などであつて株式の譲渡や代表者の変更により実質的に賃借人の同一性をそこなうと評価しうる場合や、必ずしも同族会社とはみられない場合であつても、右の変更により原告の管理する東京八重洲地下食堂街の環境・風紀を害すると疑うに足る相当な理由が存するような場合には、原告は賃借人における株式の譲渡や代表者の変更を承認をしないことができ、その不承認が相当性を欠いているか否かの点については、信頼関係を破壊しない特段の事情の存否を判断する際に併せ考慮されるべきものと解すべきである。そこで、この点を含め争点4について次に検討する。

四  (争点4《信頼関係を破壊しない特段の事情等》について)

1  《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 被告の元代表取締役であり被告の実質的なオーナー経営者であつた訴外後藤は平成二年当時満六三歳、その妻和子は満六二歳で、昭和六〇年ころから和子が腰痛のため営業に従事できなかつたところから、訴外後藤一人で被告の営む居酒屋「七福」を切り盛りしていく自信を喪失し、親族等には適当な跡継を見出せず、また、店内の内装が老朽化しその改装費六五〇〇万円余りを捻出するあてもなかつたため、その去就につき知人に相談していたところ、不動産管理等を業とする河野孝子が株を持たせてくれればその費用は出捐するとの意向を有しているとのことであつたところから交渉を重ねた結果、とりあえず発行済み株式の五五パーセントを代金五五〇〇万円で譲渡することとし、同年一〇月末に三〇〇〇万円を同年一一月に二五〇〇万円をそれぞれ受領した。なお、右譲渡に際して被告の発行済み株式数を同月六日付で二万株に増資している。

(二) 訴外後藤としては、右のような事情から、被告の全株式を譲渡してもよいと考えていたが、河野が居酒屋を経営した経験がないことなどを考慮してとりあえず譲渡する株式割合を右のとおりとしたもので、七福の営業は大山勝弘が実質的に取り仕切るようになり、訴外後藤においても同店従業員に対し以後大山に従つて仕事をするよう発言して引継をなしほとんど七福に出社しなくなつた。

(三) 右七福での営業形態の変更を知つた原告では事実関係の調査を始め、平成二年一一月一六日付で役員の全面的な交代が行われていることや株主の変更、訴外後藤とその親族の持株割合が株主名簿上も過半数を下回つていることを認識するに至り、従前の被告と同日以降の被告との実質的同一性が喪失しているとの判断に至つた。

(四) そこで、原告では同年一二月二一日、訴外後藤に面接し、被告において行われた役員の変更等が承認事項であることを説明して必要書類の提示を求め同月下旬にその提出を受けたが、その際訴外後藤は河野につき遠縁にあたるとの説明をなしていた。しかしながら、原告による調査の結果両名の間に縁戚関係のないことが判明し、訴外後藤の提出した書類の内容等を踏まえ役員等の変更を認めないこととした。

2  右事実及び争いのない事実等によれば、訴外後藤による本件株式譲渡の動機が同人の年齢や体力的な事情等によるものであることは被告主張のとおりであることは認められるが、被告は従前訴外後藤及びその家族を中心とした同族会社であり、このような会社にあつては株式会社として法人格は同一であつてもその株主や役員の構成によつてその会社経営の方針・内容が変動することは容易に予測しうるところ、従前の被告と平成二年一一月一六日以降の被告との実質的同一性が喪失しているとの判断にいたつたこと、本件賃貸借契約は最低基準賃料の定めがあるとはいえ歩合性賃料を採用しており、居酒屋という職種及びその営業形態をも考慮すると、経営者の変動によつて営業収入の変動が生ずると予測しうること、不動産業をしていた河野が株式譲受人として関与していながら契約上の義務である承認を求める手続きを直ちにとらず、しかも調査に際し虚偽事実が述べられていたことなどの右認定の諸事情を総合勘案すると、原告が承認義務等の約定に定める承認をしなかつたことが不相当であるとは認められず、また、被告において行つた組織変更につき信頼関係を破壊しない特段の事情の存在を認めることはできないものといわざるをえない。

五  (結論)

右の事実によれば、原告の請求は理由があるから認容し、主文のとおり判決する。

(裁判官 古田 浩)

《当事者》

原 告 東京地下食堂株式会社

右代表者代表取締役 中山義文

右訴訟代理人弁護士 岩出 誠 同 池田秀敏

被 告 株式会社 和弘

右代表者代表取締役 河野孝子

右訴訟代理人弁護士 荒竹純一

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例