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東京地方裁判所 平成3年(ワ)16070号 判決 1998年10月16日

原告

甲野太郎

被告

学校法人昭和大学

右代表者理事

天野長久

右訴訟代理人弁護士

鈴木俊光

主文

一  被告は、原告に対し、金四二〇万六五四五円及び内金四二〇万〇四三三円に対する平成元年八月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金四四〇三万円及び内金四二〇〇万円に対する平成元年八月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、次の三つの請求をする事案である。

第一は、原告の妻が、被告の経営する大学病院で治療中に死亡したことにつき、右死亡は右大学病院の医師の過失が原因であるとして、不法行為における使用者責任に基づき損害賠償を請求した事案(第一事件)、第二は、右大学病院の医師が原告を錯誤に陥らせてその承諾を得た上で、原告の妻の剖検及び臓器採捕を行ったとして、不法行為における使用者責任に基づき損害賠償を請求した事案(第二事件)、第三は、右大学病院が実際には使用していない薬剤を投与したとしてその診療報酬を原告に請求し、原告からその支払を受けたとして、不当利得に基づきその返還を請求した事案(第三事件)である。

一  当事者(争いがない)

甲野花子(以下「花子」という。)は、昭和四年九月一九日生まれである。花子は、平成元年八月二四日に死亡したが、当時の年齢は五九歳であった。

原告は、花子の夫であり、原告と花子の間には子がいる。

被告は、昭和大学病院(以下「被告病院」という。)を設置経営する学校法人である。

二  事実経緯(争いがない)

花子は、昭和五九年二月に脳梗塞のため被告病院に入院し、退院後も引き続き被告病院の第二内科で診療を受けていた。当時、花子の診療に当たった医師は、水野健朗医師であった。

花子は、水野医師の診療を受けている間の昭和六一年か昭和六二年に糖尿病を発症し、次第に悪化していった。

花子は、平成元年八月二四日午前四時頃、自宅のトイレ入り口で倒れ、高熱、意識不明の状態であり、物その他を握る反応があった。そこで、同日午前四時五〇分頃、救急車で被告病院に来院し、入院した。被告病院の医師らは花子が糖尿病性昏睡であると診断し、インスリンの投与などの治療を行った。

しかし、同日午後一〇時二〇分に花子は死亡した。

第三  当事者の主張

一  第一事件に関する原告の主張

1  主位的主張(入院後の治療における過失)

(一) 花子の死因は、脳部感染症と糖尿病性ケトアシドーシスの合併症であり、脳部感染症は敗血症から転移したと考えるのが機序として確率が高い。右の合併症が死因である理由は以下のとおりである。

入院直後の診察において、花子の容態は、40.4度という高熱であり、昏睡に至った意識障害があって、痙攣も起きていたのであるから、これらの三つの症状が同時に依存していたことに照らせば、花子は脳部感染症に罹患していたものである。また、呼吸数が一分間当たり三六回であることから感染症が疑われるものであり、瞳孔に異常があることからは脳に疾患があったことが疑われるのである。他にも、花子には強溶血が認められるところ、溶血発作は感染症により起こるものであるから、これも感染症に罹患していたことを示すものである。なお、被告は、血管外の溶血であると主張するのであるが、血管内に溶血があったかを確認もしていないのであるから信用しがたい。他方、血圧は収縮期が一二六mmHgで、拡張期が八六mmHgと正常であったのであるから、脳出血系統の疾患の可能性は低い。したがって、花子は脳部感染症に罹患していた。

さらに、入院直後に行われた諸検査によれば、重炭酸イオンの値から代謝性のものであり、pHの値からアシドーシスの傾向にあったものであり、陰イオンギャップが増加し、かつ、高血糖であることから糖尿病性である。

以上の症状に照らせば、花子は糖尿病ケトアシドーシスであった。なお、陰イオンギャップの大きさは、ケトンなどの有機酸分の存在を示すものであるからケトンが強陽性であるとみられるが、右のようなケトンの強陽性は非ケトン性高浸透圧性の昏睡ではみられないものであること、浸透圧は三四〇mOsm/㎏H2O程度であって、非ケトン性高浸透圧性の昏睡では浸透圧が四〇〇mOsm/㎏H2Oにならないと深い昏睡には陥らないこと、非ケトン性高浸透圧性の昏睡ではナトリウム値が一四〇mEq/lや一五〇mEq/l以上と高いところ、花子のナトリウム値は一三一mEq/lにすぎないこと、尿素窒素も三一㎎/dlにすぎないこと等に照らせば、花子は非ケトン性の昏睡に罹患していたものではない。

そして、糖尿病ケトアシドーシスのみでは高熱や痙攣を伴うことはないのであるから、脳部感染症と糖尿病ケトアシドーシスが合併し、これが死因となったものである。

(二) そして、これらは入院時の容態なのであるから、診察に当たった被告病院の医師らは、花子の入院時において、花子が脳部感染症と糖尿病ケトアシドーシスとの合併症であると疑うべきであり、その診断が可能であり、死の可能性を予見すべきであった。

(三) 脳部感染症と糖尿病性ケトアシドーシスの合併症に対しては、治療として、血液培養や髄液検査によって、病原菌の探索を行った上で、入院後三〇分以内に病原菌に対して抗生物質を投与すること、感染症との悪循環を阻止することができるだけの十分なインスリンの投与によって高血糖を引き下げることが必要である。また、対症療法として、発熱に対して冷却処置をとることや解熱剤を投与すること、痙攣に対して抗痙攣薬を投与すること、呼吸不全に対して酸素療法を行うこと、免疫機能の状況を把握していくことが必要である。

花子の容態は、入院時においては回復可能なものであった。すなわち、入院時には糖尿病ケトアシドーシス及び脳部感染症以外の重症症候は認められず、このうちケトアシドーシスは入院の直前に発症したものであるし、脳部感染症も回復し得るものであった。したがって、右の治療がなされていれば、花子は回復していたはずである。

(四) しかし、診察にあたった被告病院の医師らは、花子の容態を糖尿病性昏睡と診断したのみであり、脳部感染症であるかどうかの確診を怠り、髄液検査、病原菌検索、感染症関係の標準的な諸検査、頭蓋内疾患関係の主要検査をしなかった。なお、被告は、感染症関係の標準的な検査である赤沈検査やCRP検査を実施したと主張しているが、両者とも実際には実施されていない。また、感染症に対する抗生物質も投与されなかった。被告は、抗生物質であるペントシリンを投与し、また免疫グロブリンであるベニロンを投与したと主張しているが、両者とも実際には投与されていない。そして、インスリンも投与されてこそいるもののその投与量が少なく、解熱・冷却措置、抗痙攣薬の投与、免疫機能の状況把握も行われず、酸素療法も不適切なものであった。

被告病院の医師らが、脳部感染症及び糖尿病性ケトアシドーシスに対して前述のような治療を行えば、花子の容態は回復することが可能であったにもかかわらず、治療が行われず、または不十分なものであり、そのため花子が死亡したものであるから、花子の死亡と被告病院の医師らが治療をせず、または治療が不十分であったこととの間には因果関係が認められる。

(五) よって、花子の死亡につき、被告病院の医師らには過失がある。

2  予備的主張(通院中の治療における過失)

花子の死因は、脳部感染症と糖尿病ケトアシドーシスの合併症であるところ、敗血症の基礎疾患は糖尿病であり、糖尿病性のケトアシドーシスも同様である。

花子の糖尿病は、昭和六一年から昭和六二年頃に顕在化し、昭和六三年中頃には重症化した。その結果、平成元年に死亡するに至ったものである。

昭和六三年八月に花子の血糖値が三一六㎎/dlであり、それから死亡に至るまでの間の血糖値は三一〇から四〇〇㎎/dlであったと推測される。また、昭和六三年八月において、水野医師は、花子の食後五時間半の血糖値が三一六㎎/dlという高血糖であったことに加えて、ヘモグロビンA1cの値が14.1パーセントと高く、尿ケトン体が強陽性であることを検査により認識していたのであるから、血糖を一五〇㎎/dlに下げ、ヘモグロビンA1cを六パーセントに下げ、尿ケトン体を陰性にするように治療するほか、引き続き血糖値を管理する義務がある。この血糖値の管理としては、患者に尿糖を測定させるよう指導すること、患者が測定した尿糖の結果を確認すること、血糖値及びヘモグロビンA1cの値を検査することをしなければならない。

しかし、水野医師は、右の措置を全く行わなかった。なお、被告は花子に食事規制を指示したと主張するが、そのような事実は存在しないし、仮に指示したとしても不十分である。

このような水野医師の血糖値の管理不全により、花子の高血糖が持続し、これによってケトアシドーシスが起こり、また、感染症に罹患しやすくなり、敗血症と糖尿病ケトアシドーシスの合併症をもたらしたものである。

3  使用者責任

被告病院の医師らは、被告の被用者であり、治療行為は被告の医療事業の執行にあたって行われたものであるから、被告は使用者責任を負う。

4  原告の損害

花子は、その死亡時に満五九歳の主婦であった。平成元年度賃金センサスの女子労働者の産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の平均給与年額は二六五万三一〇〇円であり、これにライプニッツ係数6.463を乗じ、三〇パーセントの生活費控除をして得られた一二〇〇万円(ただし、一万円以下を切捨て)が花子の逸失利益として相当である。また、慰謝料は三〇〇〇万円が相当である。

原告は、花子の相続人であって、右損害賠償請求権を相続した。

5  よって、原告は、被告に対し、右損害金四二〇〇万円及びこれに対する花子の死亡の日の翌日である平成元年八月二五日から支払済みに至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  第一事件に対する被告の主張

1  原告の主位的主張に対する反論

花子の死因については、非ケトン性高浸透圧性昏睡の可能性が高いが、他に、輸液が負担となったことによる心不全、脳圧亢進による小脳扁桃ヘルニア、トリプタノール使用の副作用としての悪性症候群などが考えられ、死因は確定できない。

感染症についても、明らかな感染巣が認められず、存在したと断定することはできない。

そして、被告病院の医師らは、やや量が少ないとはいえ高血糖に対してインスリンを投与し、感染症等の可能性も考慮した上で、ペントシリンの投与、ベニロン・フサンの投与、腹部超音波検査等を行っている。インスリンは急激な血糖低下による脳浮腫を防ぐために投与量を軽減したものである。

2  原告の予備的主張に対する反論

担当医師は、花子に一日一二〇〇カロリーの食事摂取の指示をしていた。その後、花子の通院期間中の糖尿病管理が結果的に充分でなかったことは認めるが、これと死亡との間には直接因果関係はないし、花子の通院状況から見て、管理が困難であった。

三  第二事件に対する原告の主張

花子の死亡直後、被告病院の医師は原告に対し、花子の死因と病態の由来が不明確であるので解剖により究明したいと申し出た。この際、被告病院が臓器を摘出・保存することについては、何らの説明もなかった。そこで、原告は解剖を承諾し、臓器の摘出・保存についても承諾書を書いた。その結果、花子の解剖がされた。

しかし、死因及び病態の由来については、解剖以前に判明していたものであり、被告病院の医師は原告を錯誤に陥らせて解剖を承諾させたものであるから、右の承諾は無効である。また、臓器の摘出・保存についても十分な説明がされていなかったから、承諾は無効である。

被告病院の医師は、原告の無効な承諾の下に、花子を解剖するとともに、花子の臓器を摘出・保存した。そのため、妻の死体を火葬前に故なく損壊・領得されたくないとする原告の感情が害された。右不法行為に対する慰謝料としては、二〇〇万円が相当である。

被告は右医師の使用者であり、右医師の行為は花子の死因調査の過程でされたものであるから、被告は使用者責任を負う。

よって、原告は、右慰謝料二〇〇万円の支払を求める。

四  第二事件に対する被告の主張

問題と思われる臓器は、すべて遺族の承諾の上で保存するのが一般的である。本件では、原告の息子が原告に代わって承諾書に署名押印している。

五  第三事件に対する原告の主張

原告は、花子の診療報酬である「退職者国民健康保険による医療費の一部負担金」について、被告の請求のとおりに支払った。

しかし、右診療報酬明細書に記載された投薬内容は、花子の診療録に記載された投薬内容と一致しなかった。

明細書に記載されたフサン、ベニロン、ハイドロコートン、アダラートについては、診療録に投与の記録がない。メイロン、ヴェノピリン、ボスミン、セルシンについては、診療録には明細書の二分の一の量しか投与の記録がない。酸素については、診療録には明細書の六分の一しか投与の記録がない。イノバンとソリタT3については診療録の記載が間違っており、診療録の内容を修正すると、イノバンは明細書の二分の一の量しか診療録に投与の記録がない薬剤と同じであり、ソリタT3は診療録に投与の記録がない薬剤と同じである。

具体的には、フサンは一万〇三六八円、ベニロンは一万八七六〇円、ハイドロコートンは八四九円、アダラートは二八円、ソリタT3は六七円、メイロンは一三二円、ボスミンは二一円、セルシンは一一円、イノバンは二四二円、酸素は一六七七円の過払いとなっている。他方、実際に使用したにもかかわらず、被告が請求していないか錯綜する薬品があり、減額されるべき金額は、インスリンは四七円、メチロンは八円、ペントシリンは二一一円、ラシックスは二七円、ミリスロールは一七四円、塩化カルシウムは一一円である。

右の過払分及び減額分を総合すると、被告に三万一六七七円の利益が発生し、原告には同金額の損失が発生した。なお、右金額は、診療点数でいうと一万五八三八点に相当するものである。これは被告の不当利得にあたるので、原告は被告に対し、右のうち三万円の返還を請求する。

六  第三事件に対する被告の主張

酸素については、実際には五一〇〇lしか投与していないところ、計算ミス(入力ミス)により、一万四六〇〇l使用したと間違え、フサンについても一二瓶しか使用していないところ、二四瓶を使用したと間違えた。これらについては、いずれも東京都国民健康保険団体連合会に訂正を申し出、申出どおりに訂正処理された。

右のミスは、診療点数でいうと、当初は二万九六三五点で請求していたが、これを二万六五七九点に減額訂正したものであり、その差は三〇五六点である。一点は一〇円として計算されるところ、本人負担の二割分については返還義務があり、その額は三万〇五六〇円の二割の六一一二円である。

本件では診療録の記載をもとに診療報酬を請求したものであり、被告に不当利得は存しない。

第四  当裁判所の判断

一  事実経緯

1  平成元年八月二四日に至るまでの診療経緯等

甲一五号証、乙一号証の一、二、乙二号証、乙四号証及び承認水野健朗の証言によれば、以下の事実が認められる。

(一) 花子は、昭和五九年二月一三日、脳出血等により、被告病院に入院し、被告病院第二内科で診療を受けるようになった。このときが初診であった。同年二月一五日にCT検査を実施したところ、花子の脳に出血巣がみられたが、やがて縮小した。同年三月下旬から、花子は不眠傾向でうつ状態にあったため、同月二九日に被告病院神経科に受診した。花子は、同年四月二四日、歩行が可能となり、血圧も安定してきたなどの理由で被告病院を退院した。

同年五月一七日、花子に知覚障害が存在したことから脳出血の再発作が疑われ、花子は再び被告病院に入院したが、脳出血の再発作はないと診断された。そして、被告病院神経科で軽度のうつ病と診断されたため、被告病院第二内科ではうつ病が原因となった知覚障害と診断し、同月二九日に花子は退院した。退院時に、被告病院が処方した薬の中には、トリプタノール(抗うつ剤)もあった。

右入退院時の検査では、花子の空腹時の血糖値は入院時一二四㎎/dl、退院時一二八㎎/dlと高かったので、当時、花子を診察していた医師は、「PBS(空腹時血糖)やや高値のため、DM(糖尿病)か否か、また、それによる障害の有無。現在はないが将来出現する可能性がある。」と記載して診療録に添付した。

(二) 花子は、退院後、同年六月九日に被告病院に外来で受診し、同日から、水野医師が花子の診察に当たった。水野医師は、花子の脳出血が高血圧によるものと考え、血圧のコントロールを主眼として花子の治療にあたり、薬として降圧剤、一般的な胃の薬、脳代謝賦活剤、抗うつ剤、睡眠剤等を投与した。この時点で、水野医師は、花子の症状は糖尿病ではないものの、将来糖尿病になる可能性があると認識していた。

これより後、花子はほぼ二週間に一度の割合で被告病院を診察を受け、薬剤についてもほぼ毎回投与された。なお、花子は併行して神経科でも受診していたが、神経科での受診は昭和六一年一二月三日までであった。

昭和五九年八月四日に、花子は医師に対して右上下肢を動かすと痛いと訴えたが、浮腫等はみられなかった。その後も、花子は下肢の痛みを再三訴え、昭和六〇年一月一九日には歩行障害も訴えたが、特に炎症所見はみられなかった。同年二月二三日には整形外科を受診したが、このときも問題ないと言われた。

(三) 昭和六二年六月二〇日、水野医師は、花子が身長一五三㎝であるのに、体重が五二㎏であったことから、花子に減量を指示したが、花子の体重は同年九月二六日には58.5㎏と増加した。同年一二月一四日に花子の血液検査及び尿検査を行ったところ、血糖値は食後四時間半で三二九㎎/dl、尿糖は四プラス、ケトン体はマイナスであった。

この検査後は、しばらく花子は来院せず、同月二六日から昭和六三年四月三〇日までの間は原告のみが被告病院に来院して、花子の薬の処方を受けた。花子は同年五月一四日から六月一八日までの間に自ら受診したが、同年七月二日から七月三〇日までの三回は原告のみが来院した。

(四) 花子は、昭和六三年八月六日、「8月3日からだるい、いつもうとうとしてしまう」などの事項を記載したメモを自ら持参して受診した。これに対し、水野医師は診療録に糖尿病増悪が疑われる旨の記載をした。

右同日、被告病院で血液検査及び尿検査が行われた。その結果は、食後五時間半の血糖値が三一六㎎/dlであり、ヘモグロビンA1cの値は14.1パーセントであった。尿糖は定性四プラスで、定量10.01g/dlであり、ケトン体は三プラスであった。

右検査の後、同月二〇日は原告のみが来院し、同月二七日は花子が来院した。このときの花子の体重は五三㎏であった。水野医師は花子に対し、一日当たり一二〇〇キロカロリーの食事に制限するように指示した(原告は、右の食事療法の指示はされなかったと主張する。しかし、診療録に右の記載があること、医師が患者の糖尿病の悪化を懸念し、血液検査や尿検査を行って右悪化の結果を得ながら、何らの指示もしないとは考えにくいことからすれば、右の指示は行われたものと認められる。)。

(五) 同年九月三日及び同月二四日は、原告のみが来院して薬を受け取った。同年一〇月八日に花子が自ら受診したが、このとき体重は五一㎏に減少していた。その後、一〇月二二日には原告が、一一月五日には花子が来院し、それぞれ花子の薬を処方された。以後、花子はほぼ二週間ごとに受診したが、平成元年に入ってからは、原告のみが来院して薬を受け取ることが多くなり、また、水野医師は原告に対して花子を自ら受診させるように指示することもなかった。花子は、自ら又は原告を通じて、脚の痛みを訴えていたが、花子が来院した際にも血液検査や尿検査などは行われず、血圧及び脈拍の測定や、従前と同じ投薬がされたのみである。なお、この頃投与されていた薬には、トリプタノールが含まれており、処方は昭和六三年三月一九日以降、ほとんど変わっていない。

(六) 平成元年六月三日に花子が来院して以後は、原告のみが来院し、花子の薬の処方を受けていた。同年八月五日には、原告は水野医師に対し、花子が多飲であることを、同月一九日には花子が多飲・多食であることを述べた(右のように述べたことを原告は否定するが、診療録にはその旨の記載があり、糖尿病の症状とも一致するのであって、右の事実は認められる。また、この八月一九日に、被告は、水野医師が原告に対し、糖尿病の悪化を心配して翌週必ず連れてくるように言った旨主張している。しかし、原告はこれを否認しているほか、診療録中にもそのような記載は認められないのであって、このような指示をしたとは認められない。)。

2  平成元年八月二四日の診療経緯

甲一五号証、乙一号証の二、三、乙一二号証及び証人倉林幹雄、証人水野健朗、証人細野克彦、証人鈴木央、証人野津史彦の各証言によれば、以下の事実が認められる。

(一) 花子は、平成元年八月二四日午前四時五〇分、原告に付き添われて救急車で被告病院に運ばれた。当初、被告病院の救急センターで診察が行われ、このときから午前七時一四分頃まで被告病院の倉林幹雄医師のほか山田医師が治療に当たり、途中から宮下医師も治療に加わった。

花子の来院時、体温は40.4度と非常に高熱であった。また、血圧は収縮期が一二六mmHgで、拡張期は八六mmHgと異常ではないものの、脈拍は一七一、呼吸数は三六回と多かった。花子の家族の話では、午前一時までは花子は家族と話をしていたが、午前四時に花子がトイレの前で痙攣しているのに気が付いたというものであった。

医師が診察したところ、意識は混濁しており、対光反射は両側がやや遅延した状態で認められ、瞳孔はやや散大気味であった。また、三頭筋反射、二頭筋反射、アキレス腱反射、膝蓋腱反射の亢進はいずれもなく、バビンスキー反射(脳血管障害などで出現する病的反射の一つ)にも異常はなかった。これらの検査は脳卒中等の有無を大まかに調べる検査であり、いずれも異常が認められなかったことから、倉林医師は脳卒中の可能性はないと診断した。なお、項部強直(髄膜刺激症状の一つ)は認められた(なお、水野医師は診療録に項部強直との記載がないことから、実際に花子には項部強直はなかったと供述する。しかし、右の供述は当時の記憶に基づくものではないこと、被告も項部強直があったことを前提とした主張をしていること、原告は陳述書で花子の首筋が突っ張っているのを感じたと述べていることなどによれば、項部強直は存在したものと認められる。)。また、五分から一五分に一回痙攣するという間代性痙攣(屈筋と伸筋の相互に緊張の出てくるタイプの痙攣)が認められた。

脳卒中の可能性が大まかに除かれたので、倉林医師は、診療録をもとにした花子の既往歴から、糖尿病による昏睡を疑い、花子の血液を検査した。

午前四時五二分頃に血液を検査した結果、ナトリウムは131.2mEq/l、カリウムは7.2mEq/l、血糖値は一三二三㎎/dl、尿素窒素(BUN)は31.1㎎/dlで、これらの数値から浸透圧は361.4mOsm/㎏H2Oと算出された(カリウムの値を考慮した計算)。また、動脈血ガス分析(BGA)を実施した結果、pHの値は7.329と酸性を示していた(四時五二分の緊急検査表の中に強溶血との記載があることから、原告は花子が強溶血であったと主張し、これを花子が感染症に罹患していた一つの根拠として主張している。しかし、倉林医師は、採血がなかなかしにくかったことにより、採血時の人為的な要因によって膜が壊れることによって溶血が起こったと供述しており、診療録を見ると、六時三九分のデータでは弱溶血との記載があって以後は溶血についての記載がない。これらに照らせば、血管の外で溶血が生じたものであり、血管内では溶血は存在しなかったものと考えざるを得ない。)。

さらに、倉林医師は、花子の状態を、皮膚の乾燥状態、採血時の状態から、脱水状態であると判断した(この点、原告は花子の発汗や多尿という症状から、花子は脱水状態ではないと主張する。しかし、証人鈴木の証言によれば、糖尿病性昏睡の場合には、血糖が高いため、血液中の浸透圧が高くなり、細胞内から血液を吸い出すが、細胞外の血管には水分が残っているため発汗することがあり、また、浸透圧利尿のため多尿ともなるとされているのであって、発汗や多尿が認められたとしても脱水と矛盾するものではない。黒川鑑定人の証言によっても、高血糖及び浸透圧利尿により花子が脱水状態であったことが認められる。)。

以上のような花子の症状に対し、入院当初はソリタT3という開始液を使用して輸液を始めていたが、右液の中にはブドウ糖が含まれており、花子は糖尿病性の高血糖であったことから、まもなくこれを取り止め、生理食塩水五〇〇mlの点滴を開始した。また、pHの値から、花子はわずかにアシドーシスであると判断されたため、七パーセントのメイロン(アシドーシス改善のために用いられる炭酸水素ナトリウム)二〇mlを一時間にわたって管注(点滴のルートであるゴム管の途中から注入すること)した。なお、血液培養や尿培養は行われなかった。

倉林医師は、午前五時三〇分に花子にヒューマリンR八単位(インスリンであり、血糖を下げる作用がある。)を皮下注射した。八単位という比較的少ない量のインスリンを投与したのは、花子にインスリンを投与するのが初めてであり、使用の効果が分からないため、急激な血糖値の補正によって脳浮腫や低血糖発作などの副作用が出ると困ると考えたからである。さらに、輸液に関しては生理食塩水を二分の一生理食塩水に変え、これを五〇〇ml花子に点滴することにした。

倉林医師は、午前六時に花子にヒューマリンR一〇単位を皮下注射した。また、酸素マスクにより、酸素を投与した。花子の症状は、対光反射がやや改善され、意識も改善され、呼名にもうなずくようになり、痛みに対しても反射するようになった。これに対し、倉林医師は疑問を持ちながらも一応糖尿病性ケトアシドーシスと考え、診療録に「DM(糖尿病)性ケトアシドーシス?」と記載した。右の診断は、糖尿病性ケトアシドーシスはインスリン治療患者に起こりやすいところ、花子についてはインスリンの治療を当日まで行ったことがなかったこと、アシドーシスが改善されているにもかかわらず昏睡状態にあり、高血糖が著明であるという非ケトン性高浸透圧性昏睡の症状を示していたことなどから、糖尿病ケトアシドーシスによる昏睡と断定できずに、非ケトン性高浸透圧性昏睡をも疑ったものであった。

そして、午前六時頃の動脈血ガス分析の結果、pHは7.408であり、その他CO2分圧、重炭酸塩、ベースエキセスなどの数値の変化から、補液及びメイロンの投与によってアシドーシスが改善し、患者の全身状態が改善したことが窺われた。

こうした花子の症状に対し、倉林医師は、二分の一生理食塩水五〇〇mlを点滴した。

なお、入院時に脳出血の疑いはおおむね除かれていたものの、医師は新しい脳血管障害を疑い、脳出血のないことを確認する意味で、午前六時一〇分にCT検査を実施した。この結果、陳旧性の脳血管障害しか認められなかったので、新しい脳出血による昏睡ではないと診断された。午前六時三九分頃、花子の血液検査の結果、カリウムは4.4mEq/l、血糖値は一三〇八㎎/dl、浸透圧は370.4mOsm/kgH2Oであった。

午前七時一四分、倉林医師は花子の血糖があまり改善されないので、ヒューマリンR一〇単位を追加投与した。また、痙攣発作がみられたことから、抗痙攣剤としてセルシン五㎎を筋肉注射した。倉林医師が治療したのは、この頃までである。

(二) 午前七時四〇分頃、鈴木医師が診察を開始した。この時点では、宮下医師と山田医師が付き添っていた。なお、鈴木医師が診察した時点では、花子の痙攣は止まっていた。

鈴木医師は、花子に対する輸液の滴下が不良であり、末梢の輸液だけでは不十分と考え、午前七時五〇分には左手と右足から血管を確保し、二分の一生理食塩水一lを混注した。

午前八時の時点の花子の容態は、対光反射には問題はないものの、瞳孔は左右不同であり、右が大、左が小であった。右のような瞳孔の不同は頭蓋内の病変の存在の可能性を示すものである。しかし、すでにCT検査で頭蓋内に病変がないとの所見が得られていたことから、鈴木医師はこれに対する処置は採らなかった。また、右のような瞳孔不同のため髄液検査をすると脳圧が亢進し、脳ヘルニアを起こす危険性があることから、髄膜炎を考慮した髄液検査は行わなかった。

その他の容態としては、意識レベルは呼びかけに答えない完全昏睡状態であり、発汗や頻脈がみられ、呼吸数は五〇と過呼吸であり、舌は非常に乾燥していた(なお、この時点で右手のみ痙攣があった可能性があるが、明確ではない。)。

鈴木医師は、午前八時の段階で、花子の容態が糖尿病ケトアシドーシスであるか、あるいは高血糖による非ケトン性高浸透圧性昏睡であると考え、その治療として、血糖の低下及び著明な脱水の改善を試みることとした。

午前八時四〇分頃の血液検査の結果、カリウムは3.3mEq/l、血糖値は一〇八八㎎/dlであり、浸透圧は356.1mOsm/㎏H2Oであった。また、動脈血ガス分析の結果は、pHが7.388であった。

鈴木医師は、右ガス分析の結果から酸性が強くアシドーシスであると考え、それを体の方で代謝するために重炭酸塩が少なくなっていると判断し、花子が呼吸性アルカローシスである可能性は低いと考えた。また、この頃、意識レベルは完全昏睡状態であり、バビンスキー反射等をみたが、明らかな病的反射は認められなかった。そして、酸素の投与量を増量するとともに、ヒューマリンR四八単位を一時間当たり一単位の割合でスローインヒュージョン(少量持続静脈内注入)の方法で点滴した。皮下注射から静注に変えたのは、皮下注射では血糖値の低下が思わしくなかったことによるものであった(なお、原告の主張の中には、スローインヒュージョンを開始したのは午前一一時以降であるとの主張もあり、乙一号証の三中の温度板にはこれに沿うかのような記載もある。しかし、これは同号証中の診療録の記載に明らかに矛盾するものであり、また、鈴木医師が血糖の低下を試みようとしていたにもかかわらず、午前七時一四分以後午前一一時まで血糖低下のために何らの治療も施さなかったとは考えられないので、午前八時四〇分からという診療録の記載は信用してよい。)。

午前一〇時三〇分頃、右鼠径部に二分の一生理食塩水二lの点滴を開始した。さらに、アスパラK(カリウム補給剤)を三筒輸液した。当時の意識は完全昏睡状態であった。

また、この頃の血糖値は、八五二mg/dlに低下した。

花子の尿量は、この時点において、一時間当たり三〇〇mlと多尿であったが、これは浸透圧性利尿と考えられ、鈴木医師は、高浸透圧性の心疾患の疑いから、心臓への負担を考えて、輸液を増やすことはできないと判断した。

(三) 午前零時から、野津医師も診療に加わった。この頃、体温は39.1度であり、メチロン(解熱剤)一筒を管注した。また、感染症のチェックの意味もあって、赤沈の検査をしたが、異常は認められなかった。意識レベルは完全昏睡状態であり、発汗が認められ、バビンスキー反射は認められなかった。

鈴木医師は、高浸透圧性の糖尿病性昏睡を疑う一方、尿からケトン体が検出されたことから、ケトアシドーシスの可能性もあると考え、その旨診療録に記載した。

午後零時二〇分頃、花子の血糖値は七二〇mg/dlであり、カリウムは3.1mEq/lであったことから、午後零時四五分頃、ヒューマリンR一〇単位を静注し、午後一時にはアスパラK三筒を追加した。また、午後一時の花子の体温は40.7度であり、午後一時一五分にヴェノピリン一筒(解熱剤)を静注した。さらに、この頃、ペントシリン(ペニシリン系抗生物質)一gを生理食塩水一〇〇mlに溶解して点滴で静注した(なお、原告は、午後二時三〇分頃に抗生剤テストを行い、午後三時以降に抗生物質の使用を家族に説明した旨の診療録の記録があることなどから、ペントシリンの投与は実際には行われていないと主張し、水野医師も、抗生剤テストの後にペントシリンを投与したかもしれないと証言する。しかし、野津医師は右投与をしたと証言していること、診療録中には、午後一時三〇分の記載の前にペントシリンの投与を行った旨の記載があるが、この記載については、その体裁上後から記入したような不自然な点は見当たらないこと、水野医師が診療に加わったのは午後六時三〇分以降であって、ペントシリンが投与されたとされる時間には診療に加わっていないこと、被告病院の医師は感染症も疑って赤沈のチェックなどをしており、感染症に対する抗生剤を使用しないことはむしろ不自然であること、原告自身もすでに午前六時頃の時点で被告病院の医師から花子について抗生物質の使用に問題がないかと尋ねられたことを認めていること(甲一五)などに照らすと、ペントシリンは遅くても午後一時三〇分までに投与されたものと認められる。)。

午後二時三〇分に採血したところ、花子は「痛い」との語を発した。このとき、浸透圧は327.4mOsm/kgH2O、血糖値は四七三mg/dlという値であった。

午後二時から午後三時の間に、排尿は一時間当たり二五ccに低下し、血圧も収縮期で一〇〇mmHg以下に低下した。そこで、右血圧の低下により心臓への点滴の負担が増加したと考えて、アスパラKを含む二分の一生理食塩水の点滴量を減量したほか、午後三時一五分にラシックス(循環器不全に対する利尿剤)を二分の一筒静注し、午後三時三五分からイオバン(昇圧剤)一筒を静注した。

午後四時には、花子の体温は39.2度、血糖値は五〇〇mg/dlであった。また、ラシックスの静注にもかかわらず、排尿が依然として一時間あたり二〇ccであったことから、ラシックス一筒を追加で管注した。そして、血糖値が高いことから、午後四時三〇分からヒューマリンRの点滴量を増量した。また、午後四時三八分に生理食塩水二〇ml及びセジラニド(ジキタリス製剤であり、頻脈に対して効果がある強心利尿剤)一筒を静注した。

午後五時には、花子の体温は39.0度、収縮期の血圧は九〇mmHg、排尿は一時間当たり四〇mlであった。午後五時三八分頃には、血糖値は五一六mg/dl、カリウムは3.5mEq/lであり、午後五時五〇分、血糖低下による細胞内へのカリウムの移動が考えられたので、アスパラKの投与の速度を速めた。午後五時五五分頃、pHは7.421とほぼ正常であった。

午後六時には、花子の体温は39.3度であり、収縮期の血圧は八〇mmHgであった。循環器不全に対して血圧を上昇させるため、イノバン一筒を投与した。午後六時一五分には、酸素の投与量を増量した。

(四) 午後六時三〇分ないし午後七時頃から、水野医師が治療に加わった。花子の血圧が低いことから、午後六時三〇分に、イノバンの投与量を増量した。また、モニター上から心臓の虚血性変化がみられたので、ミリスロール(冠動脈拡張剤)二分の一筒を投与した。さらに、頻脈に対して、セジラニド一筒を静注した。

午後七時には、花子の体温は39.7度であった。午後七時一五分、被告病院の医師は、腹部で感染症を起こすことを考えて、腹腔内臓器に感染症があるかをチェックするため、腹部の超音波検査を施行したが、異常は認められなかった。なお、CT検査については、花子を検査室に移動することができなかったため、この時点では行わなかった。また、ヴェノピリン(解熱剤)一筒を静注した。さらに、血糖値が依然として五〇〇台で下降が不十分であることから、ヒューマリンRの投与量を増量した。

午後七時四〇分に、ミリスロールの投与量を増量した。

(五) 午後八時頃の花子の容態は、カリウムは4.1mEq/l、血糖値は四一五mg/dlであり、浸透圧は三四一mOsm/kgH2Oであった。動脈血ガス分析によると、pHは7.410であった。そして、午後八時一五分からは、アスパラKを含む二分の一食塩水の点滴をさらに増量した。

午後八時頃、花子の治療に当たった医師らは舩富医師及び米山医師に治療について相談した結果、次のような指示を受けた。まず、症状については、血糖値の改善にもかかわらず意識レベルが改善しないことから、糖尿病性昏睡だけでは説明が付かず、MOF(多臓器不全)の状態であるとされ(これは厳密な意味での多臓器不全ということではなく、複数の臓器が正常に機能していないという意味である。)、これに対して、ショック状態を改善するためにステロイドを使用すること、ただし、ステロイドには血糖を上げる作用があるのでインスリンを頼りとして使用するように指示された。また、感染症に対して、ガンマグロブリンを使用するように指示された。これは抗生物質や解熱剤の使用にもかかわらず熱がなかなか下がらず、全身状態が悪化していたことから、重症感染症を疑ったものである。さらにDIC(播種性血管内凝固症候群)に対して、フサンを使用するように指示された。これは臨床症状や血沈、血小板数の減少から、DICを疑ったものである。

そこで、これより後に、ベニロン(ガンマグロブリン)五gを溶解して静注し、フサン(DICに対する薬剤)一二〇mgを静注した(原告は、ベニロン及びフサンについては、診療録及び温度板に使用の記載がないことなどから、実際には使用されていないと主張する。しかし、看護婦に対する指示簿にはベニロン及びフサンの使用指示が記載されていること、花子の容態が悪く医師及び看護婦が多忙であったことから、診療録及び温度板への記載が忘れられた可能姓も否定できないこと、診療にあたった医師がこれらの薬剤の使用を舩富医師及び米山医師に指示されながらあえて使用しないとは考えにくいこと、被告病院の医師はベニロン及びフサンを使用したと一致して証言していることなどに照らすと、実際に右のように使用されたものと認められる。)。

午後八時三五分に、イノバンの静注を増量した。

午後九時には、花子の収縮期の血圧は七八mmHgであり、体温は39.1度であって、完全昏睡の状態にあった。尿量も、一時間に4.4mlであった。

そして、午後九時二五分、花子のショック状態を改善するために、午後八時頃に指示のあったハイドロコートン(ステロイドの一種)一g及び生理食塩水一〇ccを静注した。この静注後、少量の嘔吐があったことから、午後九時三〇分、口腔内を吸引して鼻腔からMチューブを挿入し、冷生理食塩水で胃洗浄を施行した。この後、呼吸停止及び心停止がみられたので、酸素の投与量を増量した。また、午後九時四〇分から心マッサージを開始し、午後九時四八分にはボスミン(強心剤)一筒を心臓に直接注射、午後九時五九分にはボスミン一筒を静注し、午後一〇時には塩化カルシウム一筒を静注するとともに、ミリスロールの投与を中止して、メイロン二五〇mlを点滴全開で静注した。メイロンを全開で静注したのは、嘔吐の後に呼吸停止があったという状況下では血液中の酸度が急速に上昇することから、アシドーシスを是正するためである。午後一〇時四分にはプロタノール(β受容体刺激剤)一筒を生理食塩水二〇mlに溶解したものを静注した。

(六) 花子は、午後一〇時二〇分、死亡した。

3  花子死亡後の経緯

甲六号証、甲一五号証、乙一号証の三、乙五号証、乙一一号証、乙一七号証、乙一八号証、乙二〇号証、証人水野健朗、証人細野克彦の各証言及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 水野医師は、花子の死因が分からなかったため、花子の死亡直後、原告に対して、花子の死体を病理解剖すること及び花子の臓器の一部を保存することの承諾を求めた。これに対し、原告はこれらを承諾し、平成元年八月二四日中に、原告の息子が、死体剖検承諾書及び臓器保存に関する遺族の承諾書に原告名で署名押印した。これを踏まえ、水野医師は、糖尿病性昏睡との臨床診断を記載した上で、被告医学部第一病理学教室宛に花子の剖検を依頼した。

(二) 翌二五日午前一〇時一〇分頃から、第一病理学教室に所属していた細野医師が執刀して、花子の解剖が行われた。解剖の結果、程度は非常に軽いものの小脳扁桃ヘルニアが認められた。また、細野医師は、腎症や脳軟化症を認め、軽度の脂肪肝も認めたが、夏場で肝臓が腐っていたことから腫脹があるかどうかは分からなかった。解剖に際して、血液の培養は、雑菌が混入することから行われていない。そして、臓器の膿瘍は認められず、感染巣も認められなかった。なお、脳重量は一二〇〇gであった。また、解剖に際して、被告病院は花子の脳やその他の臓器等を抜き取り、保存した。

そして、解剖後、水野医師が原告に対し、花子が糖尿病性昏睡であること、心外膜炎の存在及び小脳扁桃ヘルニアの存在を伝えた。

なお、八月二五日になって判明した花子の免疫血清検査によれば、花子のCRP検査(C反応性タンパク試験であり、炎症反応の一つであって、被験者が感染症に罹患していた場合には通常陽性を示す。)の結果は陰性であった。また、前日の二四日に判明していた尿検査報告書の記載によれば、ケトン体は1プラスであった。

細野医師は、肉眼的な所見については剖検当日に記載し、剖検から二か月程度経過した後に、剖検診断書を作成した(なお、平成二年七月に原告が診療録等の証拠保全をした際には、右の剖検診断書は提出されず、本件訴訟の提起後に被告から証拠として提出されたものである。)。

二  第一事件に関する判断

1原告の主位的主張に対する判断

(一)  死亡原因となった疾患について

原告は、花子の死因が脳部感染症と糖尿病性ケトアシドーシスの合併症であると主張しているから、この点について判断する。

(1) 脳部感染症が死因となったかについて

ア 甲四号証、甲三〇号証によれば、感染症とは、微生物が宿主に感染し、何らかの症状や所見がみられるものをいうが、脳部感染症とは右の症状が脳部に現われたものを指す。また、病原菌が血液中に混じり、有毒な症状を伴う場合を敗血症といい、また、菌が混じることなどにより髄膜に炎症が起きるものを髄膜炎というとされている。本件において、これらの症状が花子に見られたかどうかについて、鑑定人は次のとおりの見解である。

イ 丸山鑑定人は、その鑑定書において、概ね次のとおり意見を述べている。

入院時より発熱、痙攣を認めていたが、炎症反応(CRP)は陰性で、入院前に頭痛、嘔気、嘔吐などの髄膜刺激症状はなく、また病理学的所見でも明らかな脳の感染巣は認められておらず、本例では脳部感染症があったとは考えにくい。また、炎症反応が陰性であることに照らせば、明らかな感染症があったかどうかは不明であるものの、発熱や白血球数の増加等によれば感染症が存在したことは推測される。

そして、証人尋問においては、概ね以下のとおり証言している。

感染症の一種である敗血症の合併が死亡原因の一つと思われるが、菌が出ているというような確実なデータがないので、鑑定書には記載しなかった。CRPについては、感染症があっても、一〇から二〇パーセントは偽陰性となるから、CRPが陰性であることをもって感染症がないとはいえない。また、花子のリンパ球は一パーセントしかなかったのであるから、感染症を疑うしかない。

ウ 黒川鑑定人は、その鑑定書において、概ね次のとおり意見を述べている。

花子が脳部感染症であり、脳部感染症が原因となって意識障害に陥ったとすると、初めから頭蓋内圧は亢進しているはずなので、CTに所見があるはずであるが、実際にはその所見がない。また、糖尿病性昏睡が原因となってこれに脳部感染症が合併したかという点についても、CT検査の結果によれば脳膿瘍のような局所性病変は考えられないから、これも肯定されない。髄膜炎については、通常は何らかの原因(基礎)疾患があったり、初発症状として明瞭な髄膜刺激症状があり、家人があらかじめ気付くはずなので、そのような症状のない本件では髄膜炎であるとは考えにくい。

なお、敗血症については、強く疑われるものの、敗血症と決め得る明らかな根拠が臨床的にも病理解剖所見上も示されていないので、感染源を特定することも、敗血症が死因であると確定することもできない。

そして、証人尋問においては、概ね以下のとおり証言している。

意識障害を起こすような脳部感染症があれば、一般的にはCT検査で何らかの所見が残っているものであるが、本件ではその所見がない。感染症については、感染症がひどくなれば敗血症になっても不思議ではなく、本件でも可能性としては残っている。

エ 右のように、両鑑定人とも、花子が脳部感染症であるとは認められないとしつつ、感染症が存在し、これが死因となった可能性はあるという点で一致している。甲一号証、甲四号証、甲三〇号証によれば、感染症においては、発熱、頭痛、頂部強直等の髄膜刺激症状、嘔吐や意識障害等の頭蓋内圧亢進症状、痙攣等の症状がみられるものであるとされているところ、本件において、花子は入院時の時点で、四〇度を超える発熱が認められたほか、項部強直も存在し、昏睡状態にあって痙攣もみられたのであるから、感染症の症状と合致する。

そうすると、花子は、脳部感染症ではなかったものの、何らかの感染症に罹患し、それが死因の一つになった可能性が高いものというべきである。

(2) 糖尿病性ケトアシドーシスが死因となったかについて

ア 丸山鑑定人は、その鑑定書において、概ね次のとおり意見を述べている。

花子の死因は、痙攣や意識障害といった特徴的な症状がみられることから、非ケトン性高浸透圧性の昏睡である。さらに、本件においては、入院時に陰イオンギャップの増加がみられることから、入院時にすでに乳酸アシドーシスを合併した重篤な状態であったと考えられ、治療の経過中に小脳扁桃ヘルニアを併発して死亡したものと思われる。

そして、証人尋問においては、概ね以下のとおり証言している。

花子には、非ケトン性高浸透圧性の昏睡だけではなく、おそらく組織の酸素不足に基づき乳酸が過剰に産出されているような乳酸アシドーシスの状態が一緒にあったと考えられる。

イ 黒川鑑定人は、その鑑定書において、概ね次のとおり意見を述べている。

花子の死因は、非ケトン性高浸透圧性の昏睡であり、右昏睡に起因して生じた障害によって花子は死亡したものである。死因を右のように判断した根拠は、中高年における発症であること、血糖値が極めて高いこと、アシドーシスがさほどひどくないこと等による。もっとも、糖尿病性ケトアシドーシスと非ケトン性高浸透圧性の昏睡とは必ずしも明確に区別し得ず、乳酸アシドーシスが混在する場合もある。治療上も大きく異ならないので、分類にはこだわらなくてよい。

そして、証人尋問においては、概ね以下のとおり証言している。

鑑定書で記載した事項に加えて、血糖の値、意識障害の発生、経過、ヘモグロビンAlcの値などから、糖尿病性昏睡と特定したものである。そして、非ケトン性高浸透圧性の昏睡の特徴的な症状に脱水があるが、本件でも、花子は高血糖であり、しかも浸透圧利尿があったのであるから、細胞内の水は奪われ、当然脱水症状であったはずである。そして、高浸透圧であれば、水を加えると尿がでるものであり、尿が出ていることと脱水とは矛盾するものではない。

乳酸アシドーシスや糖尿病性ケトアシドーシスについては、乳酸が出ていたり、ケトン体が陽性であったりしたとしても、そのことだけでケトアシドーシスによって昏睡に陥ったとはいえない。花子は、インスリン非依存型の糖尿病(NIDDM)であったと考えられるところ、インスリン依存型の糖尿病(IDDM)では糖尿病性ケトアシドーシスになり、インスリン非依存型の糖尿病では非ケトン性高浸透圧性の昏睡となるという関係があることからも、花子は非ケトン性高浸透圧性の昏睡である。

ウ 右のように、両鑑定人とも花子の死因が非ケトン性高浸透圧性の昏睡であるという点で一致する。そして、文献(甲四号証、甲五号証、甲一〇号証、甲一一号証、甲二〇号証、甲三四号証)によれば、非ケトン性高浸透圧性の昏睡とは、高血糖とともに急速な水分喪失のために脱水と細胞外液の高浸透圧が生じて起こる昏睡であり、その誘因としては感染症等があり、比較的高年者に多く、軽症糖尿病患者に発症することが多い。臨床症状としては、著名な脱水症状、意識障害、痙攣がみられ、このような症状がでるときには、平均一〇〇〇mg/dlという高血糖、三五〇mOsm/kgH2O以上という高浸透圧、高尿素窒素血症やヘマトクリット値の上昇が著しい。高熱を臨床症状と、して挙げる者もある。また、多彩な神経学的所見がある。血中及び尿中のケトン体は検出されないか軽度に検出されるのみであり、血液pHや血漿重炭酸塩の変化もほとんどない。死亡率は四〇から五〇パーセントと高い、とされている。

花子は中高年であり、前記第四の一で認定した事実経緯によれば、花子には、脱水症状、意識障害、痙攣がみられたほか、入院時において血糖値は一三二三mg/dlと極めて高く、浸透圧も入院時において三六一mOsm/kgH2Oと高いものであり、さらに項部強直という髄膜刺激症状がみられたのであり、これらの花子の症状は前示の文献上指摘されている非ケトン性高浸透圧性の昏睡の症状と一致するものである。加えて、(1)で認定したように、花子は何らかの感染症に罹患していたと考えられるところ、前示のように文献では感染症を誘因として右の昏睡に至ることが多いのであり、この点も、花子が右の昏睡であったことを裏付けるものといえる。

そうすると、花子の死因は、糖尿病性ケトアシドーシスではなく、非ケトン性高浸透圧性の昏睡であったと考えるのが相当であり、結局、花子の死因は、非ケトン性高浸透圧性の昏睡と感染症が合併したことによるものと認められる。

エ この点、原告は、花子は高浸透圧性非ケトン性の昏睡ではなかったと主張する。しかし、その根拠のうち、花子のケトン体が強陽性であるとの主張については、当日の尿検査の結果によればケトン体は1プラスにすぎないこと、前示のように文献上も高浸透圧性非ケトン性の昏睡であってもケトン体が検出されることは認められていることに照らせば、理由がないものである。また、浸透圧については、原告は、非ケトン性高浸透圧性の昏睡では浸透圧が四〇〇mOsm/kgH2Oにならないと深い昏睡には陥らないと主張するが、ウで述べたとおり三五〇mOsm/kgH2O以上で意識障害が発生するとされていることから、三六一mOsm/kgH2Oという数値は意識障害が発生する数値であると認められ、花子が五九歳という年齢であることにも照らせば、非ケトン性高浸透圧性の場合であっても、この程度の数値で花子が昏睡に陥ったとしても不自然ではない。ナトリウム値や尿素窒素の値も、これらの数値をもって花子が非ケトン性高浸透圧性の昏睡ではないと認めるには足りないというべきである。したがって、原告の主張を採用することはできない。

(3) 被告は、花子の死因が悪性症候群である可能性があると主張する。

甲二一号証、乙七号証によれば、悪性症候群とは、トリプタノール等の抗精神薬によって惹起される重篤な副作用であり、高熱、筋強剛、血中CK値の上昇などの症状を示す。そして、悪性症候群は必ずしも初回薬物投与時のみに発症するわけではないが、その場合でも大半は原因薬物の投与量の急激な増量の後に生じるものであるとされており、黒川鑑定書においては、抗精神薬の大量投与などで誘発され、維持療法中でも本症の突発は起こり得るとされている。

本件において、前記第四の一1で認定した診療経緯等によれば、花子に対しては昭和五九年五月の段階から継続してトリプタノールが処方されていたものであり、花子が昏睡に陥った平成元年八月二四日の直前に処方量が大きく変化したものではないことによれば、花子の死因が悪性症候群であると認めることはできない。

(二)  感染症に対する治療について

(1) 黒川鑑定書及び甲二五号証によれば、感染症に対する治療については次の事実が認められる。

感染症の存在が疑われる場合には、輸液、酸素の投与、昇圧剤の投与など全身状態を安定化させる措置を行うことが必要であり、膿瘍等が認められる場合にはドレナージ等の外科的措置が必要である。そして、血液培養や尿培養によって原因菌を検索した後、適切な抗生剤を投与する。抗生剤の投与は、原因菌の種類を突き止めた上で(菌の同定)、その菌にはどの抗生剤が有効であるかの感受性試験をしてからされるべきであるが、右の結果が判明するには二四時間以上を要することから、予防的に抗生剤を投与することがある。

(2) 本件においては、(一)(1)エで述べたように、花子の入院時において、感染症に通常付随する症状が認められ、被告病院の医師らはそれを診療録に記載するなど当然認識していたのであるから、花子の入院時において花子が感染症であることを疑うことができたと認められる。

これに対して、被告病院の医師らは、花子入院直後に生理食塩水五〇〇mlの輸液を開始し、以後も二分の一生理食塩水の輸液を継続した。なお、輸液量については、証人倉林は、花子の既往歴から心臓に対する負担を考えてわずかに尿量を超える程度の輸液をしたと証言するところ、丸山鑑定書及び丸山鑑定人の証言、黒川鑑定書及び黒川鑑定人の証言において、花子が五九歳という年齢であること、過去に高血圧や冠不全の治療を受けていたため多量の輸液をすれば心不全の危険があったこと、中心静脈圧は低いとはいえ維持されていること等を理由として、いずれも輸液量は適正であったという点で一致しているのであって、輸液量が不当に少ないということはできない。また、収縮期の血圧が一〇〇mmHgを下回るほど低下した段階で、昇圧剤であるイノバンの投与がされており、血圧についても適切な治療がされていたといえる。膿瘍については、腹部超音波検査によっても発見できず、剖検でも発見できなかったものであるから、外科的措置をとる必要性はなかったものである。したがって、被告病院の医師らは、花子の入院後感染症に対する治療として必要とされる措置は採っていたということができる。

もっとも、血液培養や尿培養が行われていないことは、原告の指摘するとおりである。しかし、黒川鑑定人の証言によれば、血液培養や尿培養の結果が出るまでには通常数日かかり、甲二五号証によっても二四時間以上を要するものと認められるところ、本件で前記第四の一2認定の診療経緯のとおり、花子は救急車で被告病院に搬送されてから約一七時間半で死亡するに至ったものであるから、入院当初に右の培養をしていても死亡までに結果は判明しなかったものと認められる。したがって、被告病院の医師らが血液培養や尿培養をしなかったことをもって、過失があると認めることはできない。

(3) 感染症の治療につき、原告は抗生剤の投与の必要性を強く主張している。たしかに、抗生剤の投与については、原因菌が判明しない場合にも予防的に早期に行われることがあるとする文献がある(甲二五号証)。しかしながら、最初から感染症を考えて抗生剤を予防的に投与してはならないとする文献もあり(甲二四号証)、また、黒川鑑定人も、入院してきた患者にまず第一に抗生剤を投与しなければならないということはなく、全身状態を安定化させることの治療が重要だと証言している。本件では、抗生剤であるペントシリンの投与がされたのは、午後一時三〇分頃であり、重症感染症に対して使用されるベニロンの投与がされたのは午後八時過ぎであって、花子の診療が午前四時五〇分に開始されたことに照らすと遅いようにも思える。しかし、全身状態を改善させる措置を先行して行うべきであるとする考え方があることからすれば、抗生剤の投与が遅れるのはある程度やむを得ないともいえるし、黒川鑑定書によれば、そもそも抗生剤には即効性はないとされていることから、適切な抗生剤を投与したとしても本件において花子が救命されたとまではいえないのであって、右診療開始から約一七時間半で死亡するに至った本件においては、午後一時三〇分頃まで抗生剤が投与されなかったことと感染症が一因となって花子が死亡したこととの間に相当因果関係が存在したと認めることはできない。

なお、この点、丸山鑑定人は、花子につき、抗生剤の投与により救命の可能性があり、死亡したのは抗生剤が投与されなかたっことによると証言し、黒川鑑定人もその証言において、効果的な抗生剤の投与により花子が救命されたかはケースバイケースであるとして、その救命の可能性を否定していない。しかし、いずれの証言も、花子が罹患していた感染症の原因菌が何であるかも特定できないままの証言であり、抽象的な可能性を述べているにすぎないのであって、右の証言をもって、午後一時三〇分頃まで抗生剤が投与されなかったことと感染症が一因となって花子が死亡したこととの間に相当因果関係が存在したと認めることはできないというべきである。

(4) したがって、感染症に関する原告の主張には理由がない。

(三)  糖尿病性昏睡に対する治療について

(1) 甲七号証、甲一〇号証、甲二〇号証、甲三四号証によれば、非ケトン性高浸透圧性の昏睡に対する治療としては、インスリンの投与によって血糖値を下げること、十分な水分と電解質を補給することが必要であることが認められる。

(2) 本件においては、倉林医師も、花子の入院直後の時点において、花子の昏睡が糖尿病からきた昏睡ではないかと疑ったと証言しているのであって、入院時点で糖尿病性昏睡であることを疑った事実は認められる。

なお、広義の糖尿病性昏睡には、原告が主張する糖尿病性ケトアシドーシスと本件で花子の死因となった非ケトン性高浸透圧性の昏睡が含まれるが、黒川鑑定書及び甲二〇号証によれば、両者はその治療法が大きく異ならないことが認められるのであって、右の違いは被告病院の医師らの治療に過失があったかの判断に決定的な影響を及ぼすものとは認められない。

そして、前記認定の事実経過によれば、右医師らは、午前五時三〇分から午前七時一四分までに花子にインスリン合計二八単位を皮下注射し、午前八時四〇分から一時間当たり一単位の割合で点滴静注し、午後零時四五分に一〇単位を静注したこと、その結果、花子の血糖値は入院当初に一三二三mg/dlという高値であったのが、午後零時二〇分頃には七二〇mg/dl、午後二時三〇分には四七三mg/dlにまで低下している。丸山鑑定書及び丸山鑑定人の証言、黒川鑑定人の証言は、インスリンの投与は、皮下注射ではなく静注によるのが一般ではあるが、本件では結果的に血糖値が下がっていることから、右医師らのインスリンの投与に問題はなかったという点で一致しているのであって、右医師らが当初は皮下注射という方法でインスリンを投与したことが不適切であったと認めることはできない。また、丸山鑑定書及び黒川鑑定書によれば、高血糖を急激に補正すると脳浮腫が生じることがあると認められるのであって、それを防ぐには血糖を急激に下げないように適切な量のインスリンを投与することが必要であると認められるのであるから、右医師らのインスリンの投与量が少ないということについても問題視すべきものではない。

したがって、高血糖の補正について、被告病院の医師らの治療に過失があったと認めることはできない。

(3) また、輸液について、過失があったと認めることはできないのは、(二)で認定したとおりである。そして、電解質の補給については、黒川鑑定書において、カリウムの補正が不十分で低カリウム血症となり致死的不整脈を起こした可能性を述べているのであるが、それも単なる抽象的可能性にすぎないものであり、また、前示認定の事実経緯のとおり、被告病院の医師らは、アスパラKの投与によりカリウムを補給していた事実が認められるのであって、電解質の補給について右医師らに過失があったと認めることはできない。

(四)  対症療法について

原告は、高熱などの対症療法が不適切であったと主張するが、第四の一で認定した事実経緯、丸山鑑定書及び丸山鑑定人の証言、黒川鑑定書及び黒川鑑定人の証言に照らせば、対症療法についても、次に述べるとおり、被告病院の医師らの措置が適切でなかったと認めることはできない。

まず、高熱については、解熱剤として午後零時頃にメチロン、午後一時頃にヴェノピリンを使用している。また、水枕も使用しており、原告の陳述書(甲一五号証)によれば、花子は昼頃からは氷も抱かされている。これらの使用及び抗生剤の使用にもかかわらず、花子の体温は低下しなかったものであるが、他に必要な措置が採られていなかったことを認めるに足りる証拠はないから、高熱についての治療に過失があったとは認められない。

次に、痙攣については、午前七時一四分に抗痙攣剤としてセルシンを使用し、午前七時四〇分には痙攣は止まっていたのであるから、この点についての治療は相当であったというべきである。

また、呼吸不全については、当初より酸素が投与されているのであって、右投与量が少ないと認めるに足りる証拠はないし、免疫機能の状況把握についても、被告病院の医師らがいかなる治療をすれば花子の死が防げたのかについて原告の主張からは明らかとはいえない。

(五)  結論

したがって、第一事件に関する原告の主位的主張を採用することはできない。

2 第一事件に関する予備的主張についての判断

(一)  第四の一の事実経過に認定したとおり、水野医師は、花子の診療を始めた当初、同人が糖尿病に罹患する可能性があると認識していたところ、昭和六二年一二月一四日の検査によれば、花子の食後四時間半の血糖値は三二九mg/dlと極めて高く、尿糖も四プラスであり、糖尿病の症状を示した。したがって、遅くともこの時点では、水野医師は、花子が糖尿病に罹患していると診断したと考えられ、黒川鑑定書においても、血糖が高いので担当医師は糖尿病を疑ったのであろうと述べられている。しかし、この時点においては、水野医師から特別の指示はされなかった。この検査の後は、約五か月後の昭和六三年五月一四日に至るまで、花子が自ら来院することがないまま経過し、同日から翌六月一八日までに三回花子本人が来院したが、その間も何も指示はされなかった。そして、昭和六三年八月六日の検査によれば、花子の食後五時間半の血糖値は三一六mg/dlであり、尿糖も四プラスであったことに加え、昭和六二年一二月一四日にはマイナスだったケトン体も三プラスとなった。この数値は糖尿病の悪化を示しており、黒川鑑定書においても糖尿病の状態は極めて悪いと記載されている。さらに、昭和六二年九月二六日に花子の体重は58.5kgであったのが、昭和六三年八月二七日には五三kgと大幅に減少し、同年一〇月八日には五一kgとさらに減少していた。黒川鑑定書によれば、右体重の減少も糖尿病の悪化を示すとされている。

水野医師は、昭和六三年八月二七日の時点で、食事制限を指示したが、それ以外には特段の治療の指示をすることもなく、従前の処方を踏襲して投薬を続けていた。そして、平成元年八月二四日、花子が倒れるに至ったものである。

(二)  ところで、丸山鑑定書及び丸山鑑定人の証言、黒川鑑定書及び黒川鑑定人の証言によれば、本件のように高血糖の状態を放置した場合には非ケトン性高浸透圧性の昏睡が起きる可能性は高いとされ、特に、黒川鑑定書においては、糖尿病例においては、非ケトン性高浸透圧性昏睡などに至る可能性を普通は考えるものであるとされ、非ケトン性高浸透圧性の昏睡の死亡率は、三〇から五〇パーセントと高いとされている。

そうだとすると、水野医師は、前記治療経過に照らすと、昭和六三年八月二七日の時点において花子の糖尿病が悪化したことを認識し、さらに同年一〇月八日には花子の体重減少により糖尿病がさらに悪化したことを認識し得たのであるから、遅くともこの昭和六三年一〇月八日の時点において、花子の糖尿病についてそれまでのような治療を続けていれば、その悪化を防止することができず、花子が死に至るおそれがあることを予見すべきであったものというべきである。

(三)  ところが、本件において、水野医師は、前記治療経過のとおり、昭和六三年八月二七日の時点で食事療法の指示自体は行っているものの、その指示後、花子が自ら来院した昭和六三年一〇月八日に、水野医師は花子の体重減少による糖尿病のさらなる悪化を認識し、食事療法の成果が十分にあがっていないことが判明したにもかかわらず、何ら特別な糖尿病の治療方法の指示をしていないし、以後も平成元年八月二四日に至るまで糖尿病に対する治療は従前と何ら変わるところがなかったものである。

この点について、丸山鑑定書においては、食事指導後、その後の経過により入院治療を行うか、定期的な血糖、ヘモグロビンAlc、尿検査を行うべきであり、外来での糖尿病管理が不適切であったと指摘され、丸山鑑定人の証言においても、食事指導後に花子が来院した時点で、入院させ、定期的に血糖の検査をさせるべきであったと指摘されている。また、黒川鑑定書においても、昭和六三年八月六日の検査結果を認識した時点で入院を勧めるなど何らかの方針をとるべきであって、同月二七日の食事制限のみでは生ぬるいと指摘されている。

右の両鑑定書及び丸山鑑定人の証言によれば、昭和六三年一〇月八日に花子が受診した時点において、水野医師は糖尿病のさらなる悪化を認識し、来院の不規則な花子を入院させないまま血糖値の管理をすることが困難であることを認識していたのであるから、花子に対して入院の必要性を説明して入院させた上で、血糖値の管理を行うべきであったといわざるを得ない。それにもかかわらず、水野医師は花子に対して、入院の勧告はおろか、何らの指示もしないまま帰宅させ、その後においても右の勧告をしていないのである。そして、丸山鑑定人は、入院させた上で定期的に血糖値の管理をしていれば、感染症に罹患したり、暴飲暴食をしたりしない限り、非ケトン性高浸透圧性の昏睡は起こらないと証言し、黒川鑑定書においても右のように厳密な血糖値の管理をすれば死因となる疾患に罹患することを防ぐことができたとされているのであって、花子を昭和六三年一〇月八日、あるいはこれと接着した時点で入院させて血糖値を適切に管理していれば、昏睡状態に至ることは防止し得たはずであると認められる。

(四) 以上によれば、水野医師は花子の糖尿病の治療において、必要とされる措置を採らなかったということになり、花子が死亡したことにつき、水野医師には過失があったといわざるを得ない。

被告は、水野医師による糖尿病管理と死亡との間には因果関係はないし、また、管理が困難であったとして、過失の存在を争っているが、水野医師の行為と花子の死亡との間に因果関係が存することは、右に説示したとおりである。

また、管理が困難であったという点については、確かに、前記第四の一で認定した事実経緯によれば、花子は昭和六二年一二月一四日の尿検査・血液検査の実施後、約五か月にわたって自ら受診することはなく、昭和六三年八月六日の血液検査等の結果が出た直後である同月二〇日にも来院していないのであって、原告のみが薬を取りに来ている。その後も原告のみが薬を受け取りに来ていることが多いのであって、花子は定期的に来院しておらず、特に平成元年に入ってからは、ほとんど来院していない。そして、黒川鑑定書によれば、忙しい外来の中で、薬だけ欲しいと言って家族しか来院しないと、医師は糖尿病に関する詳しい検査をすることができず、処方箋を書くだけで終わってしまい、検査をしていたことを忘れたり、データを見なかったりすることがあるとされ、また、血糖降下薬などの新しい糖尿病の薬についても、きちんと来院して検査しつつ投与するのであれば投与しやすいが、受診状況がいい加減だと、新しい薬の投与は危険を伴うので怖くて出せないことがあるとされている。そうだとすると、本件において、水野医師が花子の糖尿病の管理を十分に行うことができなかったことについては、無理からぬ面があることを全く否定することはできないであろう。

しかしながら、花子が自ら来院することが少なかったとしても、水野医師としては、現実に花子が来院した際に前記のような入院勧告の措置を採るべきであったのであり、その後においても夫である原告が来院した際に遅ればせながらも右の勧告をすることは十分に可能であったはずである。ところが、水野医師は、これらを実行しなかったのであって、その不作為が問題とされているのであるから、花子の来院状況から血糖管理を十分に行うことに困難があったとしても、水野医師に過失がないということはできない。

(五)  よって、第一事件に関する原告の予備的主張には理由がある。

3 被告は水野医師の使用者であり、水野医師の右診療における過失は被告の事業の執行についてされたものであることは明らかであるから、被告は使用者としての責任を負う。

4 損害

(一)  花子は家庭の主婦であったことから、死亡による逸失利益を算定するには賃金センサス平成元年度の女子労働者の産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の平均給与額を用いるのが相当であるところ、右年額は二六五万三一〇〇円である。また、花子の死亡時年齢は五九歳であるから、就労可能年数は八年が相当であるところ、中間利息控除に関し右に対応するライプニッツ係数は6.463である。さらに、花子の生活費控除率は三〇パーセントが相当である。

したがって、花子の死亡による逸失利益は一二〇〇万二八八九円となる(円未満切り捨て)。

(二)  本件に現われた一切の事情を考慮すると、花子の死亡に伴う慰謝料は一六〇〇万円が相当である。

(三)  過失相殺

前記のとおりの花子の通院状況に照らすと、本件において水野医師が糖尿病の管理に適切を欠いたことについては、花子にも過失があったと認めざるを得ない。そして、本件に現われた全事情を考慮すれば、本件における花子の死亡について、水野医師の過失と花子の過失が寄与した割合は、前者が三、後者が七と考えるのが相当である。

(四)  したがって、花子は被告に対し、八四〇万〇八六六円(円未満切捨て)の損害賠償請求権を有したことになる。

5 花子の死亡時において原告と花子の間に子があることは争いがないところ、原告が花子の遺産を単独相続する旨の遺産分割協議が成立したとの主張立証が何らされていない以上、原告は、法定相続分に従って相続したものというべきである。したがって、原告は、右損害賠償請求権の二分の一である四二〇万〇四三三円の請求権を有することになる。

三  第二事件に関する判断

第四の一の事実経緯で認定したとおり、被告病院の医師は花子の死体を解剖し、その一部の臓器を保存したが、これについては花子の遺族である原告が事前に承諾していたものである。

そして、乙二〇号証、証人細野克彦及び証人水野健朗の各証言によれば、解剖の動機となった死因及び病態の由来の究明について、解剖前に右死因及び病態の由来が判明していなかったことは明らかであるから、原告の承諾に錯誤は存しないし、右承諾を得るための被告病院の医師の説明について、これが不十分であったことを認めるに足りる証拠はない。

原告は、解剖の結果、死因等が十分解明されず、その説明が十分にされなかったことを非難するようでもあるが、それだけで不法行為を構成するものでもない。なお、原告は、剖検診断書が偽造であるとも主張するのであるが、証人細野の証言によれば、剖検診断書が偽造であると認めることはできない。

よって、原告の主張を採用することはできない。

四  第三事件に関する判断

原告は、診療報酬明細書と診療録に記載された投薬内容との不一致を主張するところ、乙一号証の二、三によれば、明細書に記載はあるが診療録及び温度板に記載のない薬剤及び明細書の記載と異なる薬剤が存することが認められる。

しかしながら、第四の一で認定した事実経緯によれば、本件においては、花子の救命措置のため一刻も無駄にできない状況であったことが認められるのであって、そのような状況では、実際に投与されて伝票に記載されながら診療録や温度板に投与されたとの記載がされない薬剤が存在したとしても不自然とはいえない。そして、弁論の全趣旨によれば、伝票は看護婦から事務に渡され、事務はこれに基づいて明細書を作成することが認められるのであるから、診療録及び温度板と明細書との記載内容の食い違いだけをもって、被告が実際に明細書に記載された薬剤を使用しなかったとは認められない。

したがって、被告が使用していないことを自認している薬剤を除いては、明細書に記載しながら実際に被告が投与しなかった薬剤が存するとは認められない。

よって、原告の主張は、被告が明細書の記載が誤りであることを認めている六一一二円の限度で理由があるというべきである。

五  結論

以上によれば、原告の第一事件請求は四二〇万〇四三三円及びこれに対する損害の発生した日(花子の死亡の日)の翌日である平成元年八月二五日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は棄却し、第二事件請求は理由がないからこれを棄却し、第三事件請求は六一一二円の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は棄却し、訴訟費用について民事訴訟法六一条、六四条本文を適用し、仮執行宣言について同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官相良朋紀 裁判官安浪亮介 裁判官下田敦史)

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