東京地方裁判所 平成3年(ワ)18172号 判決 1997年9月18日
原告
西村茂
被告
磯貝孟男
ほか二名
主文
一 被告磯貝孟男及び被告大輝交通株式会社は、原告に対し、各自金三五九万三九三二円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告三井海上火災保険株式会社は、原告に対し、金七五万円及びこれに対する平成四年三月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告に生じた費用の五〇分の一及び被告三井海上火災保険株式会社に生じた費用を同被告の、原告に生じた費用の一〇分の一及び被告磯貝孟男及び被告大輝交通株式会社に生じた費用の一〇分の一を被告磯貝孟男及び被告大輝交通株式会社の、その余の費用はすべて原告の、各負担とする。
五 この判決は、主文第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告磯貝孟男及び被告大輝交通株式会社は、原告に対し、各自金四八九九万六〇一三円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告三井海上火災保険株式会社は、原告に対し、金七五万円及びこれに対する平成元年八月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告が、車両を運転中に、被告磯貝孟男運転に係る車両に追突され頸椎捻挫の傷害を受けたと主張して、運転者及び保有者に対しそれぞれ民法七〇九条及び自動車損害賠償補償法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、自動車損害賠償責任保険契約(以下「自賠責保険」という。)を締結している保険会社に対し自賠法一六条一項に基づき、損害の賠償を求めた事案である。
二 争いのない事実
1 本件事故の発生
(一) 事故の日時 昭和六三年六月二一日午後〇時二〇分ころ
(二) 事故の場所 東京都大田区中馬込二―二四先交差点
(三) 加害者 被告磯貝孟男(以下「被告磯貝」という。)
(四) 加害車両 普通乗用自動車(品川五五き二八五二。以下「被告車両」という。)
(五) 被害者 原告
(六) 被害車両 普通乗用自動車(品川五五ぬ一一九六。以下「原告車両」という。)
(七) 事故の態様 原告が原告車両を運転して、環状七号線から第二京浜に合流するため、一時停止していたところ、後方より追従してきた被告車両が追突した。なお、事故態様の詳細については、当事者間に争いがある。
2 自賠責保険契約の締結
被告大輝は、被告三井海上火災保険株式会社(以下「被告三井海上」という。)との間で、被告車両について、自賠責保険契約を締結していた。
3 責任原因
被告磯貝は被告車両を運転していたものであるから民法七〇九条に基づき、被告大輝交通株式会社(以下「被告大輝」という。)は被告車両の運行供用者であるから自賠法三条に基づき、被告三井海上は被告車両の自賠責保険会社であるから同法一六条一項に基づき、いずれも原告に対し損害賠償責任を負う。
4 損害の填補
被告三井海上は、原告に対し、自賠責保険金として一二〇万円を支払った。
三 争点
1 原告の受傷の有無
(一) 原告の主張
(1) 原告は、第二京浜に合流するに際し、本線手前で一時停止して、首を右に捻って、第二京浜本線の川崎方面から進行してくる車に注意していた。被告磯貝は、後部座席の乗客と談笑していたという前方不注視の過失により、少なくとも時速三〇キロメートルの速度で、被告車両を追突させた。
(2) むち打ち症は、人体に加えられた衝撃波動が、衝撃に弱い部分を損傷する現象であるが、衝突エネルギーの大小で症状の大小が決まるものではなく、低速の衝突で、首振り運動がない場合にも発生することがあり得る。また、レントゲン写真に異常が現われないこともある。
仮に、追突時の被告車両の速度が低速であったとしても、人体は時速三〇キロメートル以下での追突の時には塑性体的に反応するものであるから、低速追突によるむち打ち症は、神経等の管類が幅広く損傷して多様な症状を示すものである。
そして、本件事故は、原告が後方確認のため、右に一杯首を捻った状態で発生したものであるから、神経等の管類が張りきって、脊柱管においても椎孔と椎間孔が狭小化し頸椎の間に段差が生じたところに衝撃が加わり、その結果、管類が切れたり伸び切ったりし、永久的な損傷を与え、また、衝撃波動が内耳や脳に伝わりこれらを損傷させたものである。
(二) 被告らの主張
被告磯貝は、第二京浜に進入するに当たり、前方を走行する原告車両が一時停止したため、その後方で一時停止した。そして、原告車両が発進したため、自車を発進させ、第二京浜右方からの車両の有無を確認した後に前方を見たところ、原告車両が再度停止したため、追突してしまったものであるが、その際の被告車両の速度は、発進直後であったため、時速約五キロメートルにすぎない。
本件事故は、極めて軽微な追突事故であるから、原告が長期間の治療を必要とし、かつ後遺障害が残存する頸椎捻挫の傷害を受けるということはあり得ない。原告の愁訴は、原告の心因的な素因によるものである。
2 損害額
(一) 原告の主張
(1) 治療関係費 一〇四万一四七〇円
原告は、本件事故により、頸椎捻挫の傷害を受け、治療のため昭和六三年六月二一日から平成元年八月一九日まで、小関病院に通院し、左の金員を支出した(実治療日数二八五日)。
<1> 治療費 九五万〇二七〇円
<2> 通院交通費 九万一二〇〇円
(2) 休業損害 二五七五万〇八〇〇円
原告は、むち打ち症による肩こり、頭痛、胸痛、めまい、吐き気、手足のしびれ等の症状のため、本件事故後三年間にわたって休業を余儀なくされた。原告は、本件事故当時、四八歳(大卒)であったが、転職のための準備をしており、妻が働き、家庭で子供の面倒を見るなど家事を担当し、内職と勉学を行っていたことに照らすと、休業損害を算定するに当たり、賃金センサス大卒男子四五~四九歳年収八五八万三六〇〇円を基礎収入とするのが相当である。
八五八万三六〇〇円×三=二五七五万〇八〇〇円
(3) 後遺障害による逸失利益 一八〇二万五五六〇円
原告は、その後三年間は激しい胸痛及び歯痛に悩まされたため、右期間を自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下同等級表の等級を示す。)九級一〇号、その後七五歳までの二一年間を一四級として後遺障害に係る逸失利益を算定するのが相当である。
八五八万三六〇〇円×〇・三五×三+八五八万三六〇〇円×〇・〇五×二一=一八〇二万五五六〇円
(4) 通院慰謝料 二三五万〇〇〇〇円
(5) 後遺障害慰謝料 一九〇万〇〇〇〇円
(6) 諸経費 一二万八一八三円
(二) 被告らの認否
すべて争う。
3 名誉毀損の成否
(一) 原告の主張
被告らは、本件訴訟において、証拠を改ざんするなどし、根拠なく原告を詐病扱いしたものであるから、原告に対し、不法行為(名誉毀損)に基づく慰謝料一〇〇万円の支払義務を負う。
(二) 被告らの認否
争う。
第三当裁判所の判断
一 本件事故の態様及び原告の受傷の有無並びに程度
前掲争いのない事実、甲一、二、四、六、七、一六ないし一九、二一ないし二三、二五、二七、二八ないし三〇、乙イロ一ないし四、乙ハ一ないし四(いずれも枝番の表示は省略。以下も省略する場合がある。)、鑑定嘱託の結果、原告本人及び被告磯貝孟男本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 本件事故の態様
(一) 原告は、昭和六三年六月二一日午後〇時二〇分ころ、原告車両を運転して、環状七号線から第二京浜を五反田方面に向かおうとし、松原橋ロータリー式交差点側道に進入し、第二京浜に合流する地点で、一時停止の標識に従い停止した。右側道は、第二京浜と鋭角に接しており、一時停止線の地点からは第二京浜の本線を右後方から進行してくる車を確認しにくいため、原告が一時停止した地点は停止線より前方の横断歩道上であった。
被告磯貝は、原告車両に追従して右交差点の側道を進行したが、前方で原告車両が停止したため、車間距離を置いて停止した。
(二) 原告は、一時停止しながら、本線に合流するため第二京浜本線を右後方から進行してくる車両を確認するため、首を大きく右に捻った姿勢で、右後方を確認した。そして、本線を走行してくる車が途切れたため、原告はなおも右後方を見ながら発進したが、本線上を高速度で進行してきた車両がパッシングをしたため、横断歩道付近に再度停止した。
原告車両の後方で停止していた被告磯貝は、原告車両が発進したため、これに追従して自らも発進したが、その際、本線を走行してくる車両を確認しようとして一度右後方を見、その後再び前方を見たところ、直前に原告車両が停止していたため、急制動をかけたが、間に合わずに追突した。追突時の被告車両の速度は、<1>本件事故現場は合流地点を頂点として緩やかな上り坂となっているところ、被告車両は発進直後に衝突していること、<2>原告車両は追突された衝撃で前に押し出されていないこと、<3>原告車両及び被告車両の破損状況は、それぞれ後部バンパー及びリアフェンダーの一部、前部バンパーの一部がわずかに凹損している程度にすぎないことなどを考慮すれば、時速約五ないし一〇キロメートルの比較的低速度であったことが推認される。
2 原告の治療経過と受傷の程度
(一) 原告は、本件事故直後に小関病院で受診した。小関治医師(以下「小関医師」という。)は、レントゲン撮影等の検査を行った結果、頸椎に特に異常は認められないが、頸椎捻挫である旨診断して、原告に対し、ポリネックを装着し、湿布を貼付した上で、消炎鎮痛剤、抗不安薬、脳代謝賦活剤及びビタミン剤を処方した。
原告は、翌二二日からは手足のしびれ感を訴え、さらに、同月末ころまでに頭痛、頸部痛等の諸症状を訴えるようになったため、小関医師は、バレ・リュー症候群であると診断し、消炎鎮痛剤の他、自律神経用剤等を投与するとともに、神経ブロック、介達牽引などの治療を行った。また、レントゲン撮影の結果、頸椎の軽度の前弯減少、第五ないし第七頸椎の椎間板の狭小化及び第五、第六頸椎の後方突出が認められたが、外傷による明らかな異常所見はなかった。
(二) 原告は、その後も頭痛、頸部痛、背部痛、リンパ節の腫脹、右手のしびれ、めまい等の自覚症状があるとして、平成元年四月ころまではほぼ連日、その後は同年八月二〇日までは約二日に一度の割合で同病院に通院し、湿布、鍼、介達牽引などの治療を受けた。
(三) 原告は、平成元年八月二〇日以降は通院をしていないが、その後も、平成三年ころまでは、天候の変わり目などに頭痛、めまい、吐き気等の自覚症状があるとしている。平成三年ころ以降は、リンパ節の腫脹はなくなり、頭痛などの諸症状も相当程度軽減したが、なお時折頭痛、手のしびれなどの症状が現れ、平成八年四月二六日の室田景久医師の診断によると、頸椎の棘突起の叩打痛、圧痛、項部筋の硬結及び頸椎の可動域制限はなく、ジャクソンテスト、スパーリングテストの結果はマイナスであり、上肢の知覚、筋力及び腱反射はいずれも正常であったが、両側斜角筋停止部に圧痛があり、アドソンテスト両側プラス、皮膚描記症検査プラスであった。また、第六・第七頸椎間の椎間板の狭小化及び同部の脊柱管の狭窄が認められた。
なお、自賠責保険については、後遺障害等級には該当しないとされている。
3 以上のとおり、小関医師の診断内容及び同医師による治療経過、鑑定嘱託の際の室田景久医師による診断の結果に照らすと、原告は、本件事故によって頸椎捻挫の傷害を負い、その治療に約一年二か月を要したものと認めることができ、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。
この点、被告らは、本件は極めて軽微な追突事故であるから、原告が長期間の治療を必要とし後遺障害が残存する頸椎捻挫の傷害を受けるということはあり得ない旨主張する。しかし、前記認定のとおり、原告は右後方を見るため首を右に捻った無理な姿勢を取っていた時に被告車両に追突されたことが認められ、そのような場合には、必ずしも強度の衝撃を受けた場合でなくとも、頸椎に傷害を受けることは十分あり得るというべきであり、右被告らの主張は採用することができない。
二 損害額
1 治療費 九五万〇二七〇円
甲二の1、2、一六、及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、小関病院に対し、治療費合計九五万〇二七〇円を支払ったことが認められ、前記認定によれば、右全額について、本件事故と相当因果関係のある損害であると認めるのが相当である。
2 通院交通費及び諸経費 五万〇〇〇〇円
甲二の1、2、一六、原告本人尋問の結果によれば、原告は、前記小関病院への通院のために自車を利用し、その際何らかの交通費を要したことは推認できるが、他方、具体的な支出金額を認めるに足りる証拠はない。結局、治療回数、治療状況を総合的に判断すると、通院交通費として相当因果関係のある損害として五万円を認めるのが相当である。
諸経費については、具体的な支出の事実及びその金額を認めるに足りる証拠はない。
3 休業損害 一一一万八九〇三円
甲一〇ないし一六及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和一五年四月一七日生まれの男性であり、昭和三八年に大学を卒業した後、会社員として稼働していたが、昭和五七年六月に会社を退職し、その後は本件事故に至るまで、掃除、洗濯、炊事など家事労働の大半を行い、また内職により年間約六〇万円の収入を得ていたことが認められる(なお、本件事故当時、原告の妻は事務員として稼働していた。)。
右の事実を基礎に、被告らが原告に対し、休業損害として賠償すべき金額を算定する。前記認定のとおりの原告の就労内容、受傷程度を考慮すると、賃金センサス平成元年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者全年齢平均賃金額四七九万五三〇〇円を基礎収入とし、休業期間中全く稼働できなかったわけではないことから、その二〇パーセントに相当する額が失われ、これが、本件事故発生の日(昭和六三年六月二一日)から、小関病院へ通院していた平成元年八月一九日までの一四か月間にわたり継続したものとして算定するのが相当である。
そうすると、原告の休業損害は、左のとおり一一一万八九〇三円となる。(一円未満切り捨て。以下同じ。)
四七九万五三〇〇円×〇・二÷一二月×一四月=一一一万八九〇三円
4 後遺障害による逸失利益 五七万四七五九円
前記認定によれば、原告は、症状固定日の平成元年八月一九日から平成三年ころに諸症状が相当程度軽減するまでの約二年間にわたり、労働能力の少なくとも五パーセントを喪失したと評価することができる。
そこで、原告の後遺障害による逸失利益を算定すると、賃金センサス平成元年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者・四五~四九歳の平均賃金額年収六一八万二二〇〇円を基礎収入として、ライプニッツ係数を用い現価計算を行って得た五七万四七五九円となる。
六一八万二二〇〇円×〇・〇五×一・八五九四=五七万四七五九円
5 慰謝料
(一) 通院慰謝料 一一〇万円
前記認定のとおりの原告の受傷状況、治療経過、治療期間、通院実日数(二八五日)など、本件にあらわれた諸般の事情を総合的に考慮すると、通院慰謝料としては一一〇万円が相当である。
(二) 後遺障害慰謝料 一〇〇万円
前記認定のとおりの原告の後遺障害の程度などの諸事情を考慮すると、後遺障害慰謝料としては一〇〇万円が相当である。
6 以上の合計は四七九万三九三二円であるが、原告が自賠責保険から金一二〇万円の填補を受けたことには当事者間に争いがないから、右金額を控除すると、原告の填補後の損害額は金三五九万三九三二円である。
三 名誉毀損の成否
原告は、被告らが証拠を改ざんするなどして、原告を根拠なく詐病扱いしたことが名誉毀損であり、不法行為に該当する旨主張するが、被告らが証拠を改ざんしたと認めるに足りる的確な証拠はなく、また、被告らが原告の受傷の主張を争ったことは記録上明らかであるが、そのことが違法であるとは到底いえないから、名誉毀損の成立は認められない。
四 結語
以上のとおり、(一)原告の被告磯貝及び被告大輝に対する請求は、金三五九万三九三二円及びこれに対する不法行為の日である昭和六三年六月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、(二)原告の被告三井海上に対する請求は、本件事故時の自賠責保険における後遺障害一四級の保険金額の上限である金七五万円及びこれに対する同被告に対する訴状送達の日の翌日である平成四年三月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却する。
(裁判官 飯村敏明 河田泰常 中村心)