東京地方裁判所 平成3年(ワ)18550号 判決 1993年12月17日
原告
木阪英治
ほか四名
被告
米持恵美
主文
一 被告は、原告木阪英治に対し、金一四四万八四一二円及びうち金一三一万八四一二円に対する昭和六二年九月一九日から、及びうち金一三万円に対する平成四年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告宮下英子、同木阪貞雄、同木阪英男及び同木阪淺二に対し、各金三六万二一〇三円及びうち各金三二万九六〇三円に対する昭和六二年九月一九日から、及びうち各金三万二五〇〇円に対する平成四年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇分し、その五を原告木阪英治の、その各一を原告宮下英子、同木阪貞雄、同木阪英男及び同木阪淺二の、その余を被告の各負担とする。
五 この判決は、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告らの請求の趣旨
1 被告は、原告木阪英治に対し、金二二四七万八五四四円、同宮下英子、同木阪貞雄、同木阪英男及び同木阪淺二に対し、各六三八万九六三七円並びにこれらに対する昭和六二年九月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告の答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 原告らの請求の原因
1 本件事故の発生
(1) 発生日時 昭和六二年九月一九日午後七時一〇分頃
(2) 発生場所 東京都渋谷区南平台町一六番一四号先路上
(3) 加害車両 自動二輪車(一品川ち五六二七、以下「被告車両」という。)
(4) 右運転者 被告
(5) 被害者 訴外亡木阪春子(以下「亡春子」という。)
(6) 事故態様 被告は、被告車両を運転して右発生場所を走行した際、折から同所の横断歩道を青色信号に従つて横断中の亡春子に被告車両を衝突させた。
(7) 結果 亡春子は、本件事故により、右大腿骨頸部骨折、右手関節打撲の傷害を負い、昭和六二年九月一九日から同年一二月二四日までの間、古畑病院で入院治療を受け、右退院後、本来は六か月程度の通院が必要であつたが、右大腿部に三本の釘状金具が入つており、歩行が著しく困難で起居行動に常時介護を要したために、止むを得ず自宅療養をしていたところ、平成元年六月一七日、自宅内で転倒して頭部を強打し、低酸素性脳障害を起こし、平成元年六月一七日から同年八月二四日までの間、東京都立広尾病院(以下「広尾病院」という。)に入院し、更に同年八月二五日から医療法人社団明生会セントラル病院分院(以下「セントラル病院」という。)に入院していたが、平成二年四月一六日、慢性気管支炎による発作性頻脈症を発症し、心不全によつて死亡したものであつて、亡春子の死亡は本件事故と相当因果関係がある。
2 被告の責任原因
被告は、被告車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自倍法」という。)三条本文に基づき、亡春子が本件交通事故によつて被つた後記の損害(3(1)ないし(8))及び原告らが固有に被つた後記の損害(4(1)ないし(3))を賠償すべき義務があるところ、亡春子の損害については、亡春子の夫である原告木阪英治(以下「原告英治」という。)がその二分の一を相続し、その余の原告らはいずれも亡春子の子であるから、いずれもその各八分の一を相続した。
3 亡春子の損害 総合計三四〇二万四二三四円
(1) 治療費 合計 三〇三万二五一二円
<1> 古畑病院 一四三万八五三二円
<2> 広尾病院 二万八四〇〇円
<3> セントラル病院 一五六万五五八〇円
(2) 付添介護費 合計 三八七万二〇八三円
<1> 古畑病院 一五九万二一二六円
<2> 自宅 二二万三二〇〇円
<3> セントラル病院 二〇五万六七五七円
(3) 入院雑費 合計 五九万一六〇〇円
<1> 古畑病院(一二〇〇円×一八九日間) 二二万六八〇〇円
<2> 広尾病院(一二〇〇円×六九日間) 八万二八〇〇円
<3> セントラル病院(一二〇〇円×二三五日間) 二八万二〇〇〇円
(4) 通院費 五〇五〇円
(5) 医師等への謝礼 合計 一六万七九八〇円
<1> 古畑病院 七万二九八〇円
<2> 自宅 五万〇〇〇〇円
<3> セントラル病院 四万五〇〇〇円
(6) 休業損害 六六一万四五七八円
亡春子は、本件事故日である昭和六二年九月一九日から死亡の日である平成二年四月一六日まで二年二一〇日間、家事労働に従事できなかつた。(二六五万三一〇〇円(賃金センサス平成元年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の全年齢の平均賃金額)×二年二一〇日間)
(7) 逸失利益 八〇四万〇四三一円
二六五万三一〇〇円×(一-〇・三)×四・三二九四(死亡時七三歳であつた亡春子の平均余命一三・四八年の二分の一である六年間のライプニツツ係数)
(8) 慰謝料 合計一一七〇万〇〇〇〇円
<1> 傷害慰謝料 三七〇万〇〇〇〇円
<2> 死亡慰謝料 八〇〇万〇〇〇〇円
4 原告らの固有の損害
(1) 原告英治の損害 合計 五二〇万〇〇〇〇円
<1> 葬儀費用 一二〇万〇〇〇〇円
<2> 固有の慰謝料 四〇〇万〇〇〇〇円
(2) その他の原告らの損害 合計 八〇〇万〇〇〇〇円
その他の原告らの固有の慰謝料各二〇〇万〇〇〇〇円
(3) 訴訟関係費用 合計 四三万九一六〇円(各八万七三二円)
<1> 文書送付嘱託にかかる記録の謄写料 一二万二一六〇円
<2> カルテ反訳料 三一万七〇〇〇円
5 亡春子の損害の填補 合計 三五四万七一四三円
(1) 治療費(古畑病院) 一四三万八五三二円
(2) 付添介護費(古畑病院) 一五九万二一二六円
(3) 入院雑費 一二万三四三五円
(4) 通院費 五〇五〇円
(5) 休業損害 三八万八〇〇〇円
6 弁護士費用
(1) 原告英治分 二〇四万〇〇〇〇円
(2) その他の原告ら分 各五八万〇〇〇〇円
7 よつて、原告英治は被告に対し、金二二五六万六三七六円の打金二二四七万八五四四円、その他の原告らは被告に対し、各六四七万七四六九円の内各六三八万九六三七円及びこれらに対する本件事故発生の日である昭和六二年九月一九日からいずれも支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
8 予備的主張
仮に、本件事故と亡春子の死亡との間に相当因果関係がないとしても、亡春子には右股関節について、仮関節を残し、著しい運動障害が存在したので、自倍法施行令二条別表後遺障害別等級表の七級に該当した。
二 請求の原因に対する被告の認否
1 請求原因1(本件事故の発生)の事実のうち、(1)記載の日時に、(2)記載の場所で、被告が(3)(4)記載の自動二輪車を運転していた際に、(5)記載の亡春子との間で交通事故の発生したことは認めるが、(6)記載の事故の態様は否認し、(7)記載の結果のうち、亡春子が昭和六二年九月一九日から同年一二月二四日まで古畑病院に入院したことは認めるが、本件事故と亡春子の死亡との間に相当因果関係があるとの主張は否認し、その余は不知。
2 同2(被告の責任原因)の主張のうち、被告が被告車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であることは認めるが、被告が原告らに対し損害賠償義務を負うとの主張は争う。
3 同3(亡春子の損害)、同4(原告らの固有の損害)及び同6(弁護士費用)の事実については、いずれも不知または争う。
4 同5(亡春子の損害の填補)の事実は認める。
5 同7、8の主張は争う。
三 被告の抗弁
1 免責
本件事故は、被告が対面の右折の青矢印信号に従つて十字路交差点を右折した際に、被告車両の対面信号が右折の青矢印信号になつた場合には亡春子が横断していた横断歩道の対面歩行者用信号は、赤色を示すのにもかかわらず、亡春子が対面赤色信号を無視して横断歩道を横断し、同所に停止していた他の車両の陰から急に被告車両の進路に飛び出してきたために、被告が急制動の措置を施して被告車両を転倒させて停止させたところ、亡春子は、被告車両が衝突する危険がないのに、自ら身体を一回転させてその場に座り込んだものであり、亡春子の一方的な過失に基づく事故であつて、被告は責任を免れる。
2 過失相殺
仮に、被告の免責の主張が認められないとしても、亡春子には、前記のとおりの過失があるので、損害賠償額の算定に当たつては、亡春子の右過失を斟酌して八〇パーセントの過失相殺をすべきである。
四 抗弁に対する原告の認否
抗弁の主張はいずれも争う。
第三証拠
証拠の関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1(本件事故の発生)の事実のうち、(1)ないし(5)の事実については、当事者間に争いがないので、本件事故の態様について検討する。
右当事者間に争いのない事実に、乙一三ないし同二〇号証、同二二ないし二四号証(右各書証はいずれも成立に争いがない。)を総合して検討すると、本件事故の態様は次のとおりであると認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 本件事故の発生場所は、渋谷駅方面から大橋方面に通じる国道二四六号線と恵比寿方面から富ケ谷方面に通じる通称旧山手通り(以下「旧山手通り」という。)とがほぼ直角に交わる交差点(名称は神泉町交差点。以下「本件交差点」という。)であり、本件交差点は信号機による交通整理が行われている。
国道二四六号線は、中央部分の上部に高架線として首都高速道路が走り、右首都高速道路の橋桁を含む中央分離帯によつて区分されており、大橋方面から本件交差点に向かう東行の車線は、幅員約二・九メートルの直進専用車線、幅員約三・三メートルの直進及び左折用車線並びに幅員三・二メートルの右折専用車線があり、国道二四六号線の北側及び南側には歩道が付されている。旧山手通りは、中央分離帯による区分のない道路であり、恵比寿方面から本件交差点に向かう北行の車線は、幅員約二・七メートルの直進専用車線、幅員約三・二五メートルの直進及び左折用車線並びに幅員約二・五五メートルの右折専用車線があり、旧山手通りの西側及び東側には、それぞれ幅員約三・七五メートル及び約三・七メートルの歩道が付されている。
2 国道二四六号線の大橋方面から本件交差点に向かう東行の車線の対面信号(以下「被告車両対面信号」という。)は、本件事故当時、直進及び左折の青色矢印信号が四四秒間点灯した後、黄色信号が四秒間点灯し、その後右折の青色矢印信号が三〇秒間点灯し、その後黄色信号が二秒間点灯し、その後赤色信号が五一秒間点灯し、その後再び右の直進及び左折の青色信号が点灯し、以後同一の順序及び秒数で点灯を繰り返していた(信号が一巡するのに要する時間は一三一秒間である)。一方、旧山手通りの恵比寿方面から本件交差点に向かう北行の車線を西方向から東方向へ横断する横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)の対面歩行者用信号(以下「亡春子対面信号」という。)は、被告車両対面信号において前記の直進及び左折の青色矢印信号が点灯すると同時に、青色信号が点灯を開始し、三八秒間点灯し、その後青色点滅信号が六秒間点灯した後、赤色信号が八七秒間点灯し、その後再び青色信号が点灯し、以後同一の順序及び秒数で点灯を繰り返していた(信号が一巡するのに要する時間は一三一秒間である)。
3 被告は、昭和六二年九月一九日午後七時一〇分ころ、被告車両を運転して国道二四六号線を大橋方面から本件交差点に向かつて進行し、本件交差点を右折しようとした際に、被告車両対面信号は直進及び左折の青色矢印信号を点灯していたため、別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)記載<1>地点で停車し、被告車両対面信号が右折の青色矢印信号に変わつたことを確認してから発進して右折を開始し、別紙図面記載<3>地点の本件横断歩道上に差しかかつた際、折から、本件横断歩道を亡春子対面信号が青色点滅信号を表示している際に西方向から東方向へ向かつて横断を開始した亡春子が、旧山手通り上に停車していた右折車両二台の間から別紙図面記載イの地点まで来て、被告車両と接触して転倒した。
なお、原告らは、亡春子は青色信号に従つて本件横断歩道を横断したと主張し、亡春子の昭和六三年二月二〇日付警視庁渋谷警察署における供述調書(乙二一号証。成立に争いがない。)においては、亡春子対面信号が青であつたので横断した旨が記載され、原告英治本人尋問の結果及び同人の平成三年一一月一九日付警視庁渋谷警察署における供述調書(乙二二号証。成立に争いがない。)においても、原告英治は亡春子から青色信号に従つて横断した旨を聞いていたとの記載があるが、一方、旧山手通り北行の第二車線の横断歩道直前に原動機付自転車に乗つて停止していた訴外庄條浩(以下「訴外庄條」という。)は、最初に旧山手通りの西側歩道上にいる亡春子が本件横断歩道を横断しようといているのを見た際に亡春子対面信号は青色点滅信号を表示しており、亡春子が二、三歩進んだときに同信号が赤色信号に変わつてしまつたと供述していること(乙二〇号証)、右供述は他の客観的証拠(乙一六号証見通し状況、乙一七号証捜査報告書、前記各信号のサイクル)にも符合し、訴外庄條は客観的第三者の立場にあること等を考慮すると、訴外庄條の右供述は採用することができる。
なお、一方、被告は、亡春子が赤色信号の際に本件横断歩道を横断したと主張するが、亡春子が横断を開始した際に既に対面信号が赤色信号であつたことを認めるに足りる証拠はなく、前記のとおり、青色点滅信号を表示していた際に、横断を開始したものである。
更に、被告は、被告車両と亡春子とは衝突していないと主張し、被告の平成三年一〇月一四日付警視庁渋谷警察署における供述調書(乙二五号証)中にも亡春子と衝突または接触していない旨述べているが、その根拠としては、被告は、亡春子との衝突を避けるために被告車両を左に倒したところ、亡春子と衝突、接触をしたのを見ていないし、そのような衝撃を受けていないというに過ぎず、却つて、被告は事故直後から接触したことを認める供述をしていたものであり、一方亡春子は、前記供述調書(乙二一号証)において被告車両にはねられたと述べ、本件事故当日に診療を受けた病院でも亡春子が被告車両と接触して転倒したと診療録に記載されていること(甲三号証の一)、訴外庄條も本件事故を目撃した際に被告車両と亡春子が接触したと思つたと述べていること(乙二〇号証)等からして、被告車両と亡春子とが接触したものと認めることができる。
したがつて、亡春子が対面信号が赤色信号であるのにもかかわらず、本件横断歩道を横断し、被告車両と衝突、接触をしていないにもかかわらず、自ら転倒して傷害を負つたことを前提とする被告の免責の主張は、採用することができない。
二 次に本件事故と亡春子の死亡との間の因果関係の有無について検討する。
1 前記当事者間に争いのない事実及び甲三号証の一ないし四(成立に争いがない。)によれば、亡春子は、本件事故によつて、右大腿骨頸部骨折及び右手関節打撲の傷害を負い、昭和六二年九月一九日から同年一二月二四日までの九七日間古畑病院に入院し、その間右大腿骨頸部骨折部分について昭和六二年九月二四日、観血整復固定手術等を受け、右術後暫くは絶対安静を指示されて歩行不能であつたが、昭和六二年一一月二〇日頃から松葉杖を用いての歩行訓練を開始し、同月二一日から同月三〇日までの一〇日間は外泊許可を得て帰宅し、その後再び病院に戻つた後同年一二月二四日、歩行のための介助を要したものの歩行可能な状態となつて退院し、その後昭和六三年一月二九日及び同年二月二〇日に通院したが、症状の悪化等の診断はなく、却つて同年九月六日には、原告英治が医師に対し、亡春子が自宅で歩いており、正座もできると報告していることが認められる。
右事実を総合すると、亡春子が古畑病院を退院した後、昭和六三年の秋頃からは、本件事故による傷害自体は順調に回復しつつあつたと認められ、原告英治の本人尋問の結果及び甲四及び甲五号証(原告英治本人尋問の結果によつて成立が認められる。)のうち、右認定に反する記載部分は採用することができない。
2 更に、原告英治本人尋問の結果、甲五、甲八号証、甲九号証の一ないし三及び乙一二号証(いずれも成立について争いがない)によれば、亡春子は、平成元年六月八日、高熱、咽頭痛、咳、嗄声で自宅付近の医師の往診を受け、症状が数日間にわたり続いていたところ、同月一七日午前一〇時ころ、一度喀血らしい症状が見られ、同日午後八時頃食事をした後、同日午後八時一〇分頃には咳込みながら大量の喀血をし、救急車で広尾病院に運ばれたが、喀血による窒息によつて一旦心臓が停止し、蘇生術によつて心臓が動き出したものの、喀血による窒息によつて脳圧が上昇したと同時に、或は喀血による窒息後である平成元年六月一八日頃にクモ膜下出血が生じて脳浮腫がみられ、意識も喪失したままとなり、広尾病院の担当医師は、喀血の原因について、亡春子の胸部のレントゲン写真上に認められた陳旧性肺結核から喀血が生じたと判断していること、セントラル病院の担当医師も亡春子の昏睡状態はあくまでも肺結核喀血による窒息によつて生じた低酸素状態に伴う脳障害であるとして本件事故と亡春子の脳障害との間の因果関係を否定的に判断していたこと、亡春子は平成元年八月二五日に広尾病院からセントラル病院に転院したが、平成二年四月一六日に死亡したこと等の事実が認められる。
右認定の事実及び既に認定した本件事故による傷害の回復の状況を併せて考慮すると、亡春子が本件事故による傷害によつて転倒したことによつて死亡したとの事実を認めることはできず、本件事故と亡春子の死亡との間の相当因果関係を認めることはできない。なお、原告英治の本人尋問の結果及び甲四及び甲五号証のうち、右認定に反する部分、特に亡春子の平成元年六月一七日の喀血の前後の状況からすると、単に本件事故による大腿骨頸部骨折の傷害によつて転倒したとの供述部分は、採用することができない。
三 更に、原告らの予備的主張について判断する。
原告らは、仮に、本件事故と亡春子の死亡との間に因果関係が認められないとしても、亡春子の右股関節は仮関節の状態であつて、著しい運動障害が存在したので、自倍法施行令二条別表後遺障害別等級表の七級に該当したと主張するが、甲三号証の一によれば、亡春子の右股関節には古畑病院を退院した後も運動制限が存在したことは認められるが、亡春子の右股関節が、仮関節の状態であつたこと及び後遺症として認定し得る程度に著しい運動障害が存在したことを認めるに足りる証拠はない。
四 そこで、原告らの損害額について判断する。
1 本件事故と相当因果関係のある原告らの具体的損害額は、甲三号証の一、原告英治本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおりである。
(1) 治療費(古畑病院) 一四三万八五三二円
(2) 付添介護費(古畑病院) 一五九万二一二六円
(3) 入院雑費(古畑病院)(一二〇〇円×九七日間) 一一万六四〇〇円
(4) 通院費 五〇五〇円
(5) 休業損害 三〇八万二一三二円
前記各証拠によれば、亡春子は、傷害の部位、程度及び年齢等を考慮すると、古畑病院を退院した昭和六二年一二月二四日から約一年間は労働に従事することができなかつたと認めるのが相当であり、本件事故前亡春子は家事労働に従事していたことが認められる。
したがつて、休業損害は、次のとおり算出される。
(二四四万〇三〇〇円(昭和六三年第一巻第一表・産業計・企業規模計・学歴計・六五歳以上女子労働者の平均賃金額)×昭和六二年九月一九日から昭和六三年一二月二三日までの一年三月五日)
(6) 慰謝料 二六〇万〇〇〇〇円
前記各証拠によれば、亡春子の実際の入通院期間は、入院九七日間、通院約二か月間(実通院日数二日)であるが、亡春子の右大腿骨頸部には三本の釘状の金具が装填されていたままであつたこと、亡春子の治療が完全に終了してはいなかつたこと等が認められるのでこの点を考慮して慰謝料額を算定する。
2 以上(1)ないし(6)で認定した亡春子の損害額の合計は八八三万四二四〇円である。
なお、前記認定のとおり、亡春子の喀血(原告らの主張するところの転倒)及び死亡に伴う費用(広尾病院及びセントラル病院についての治療費、付添介護費及び入院雑費、逸失利益、死亡慰謝料並びに葬儀費)を損害と認めることはできないし、自宅療養中の付添介護費については、前記認定のとおりの本件事故による傷害の回復の状況に照らし、付添介護の必要性の立証がなく、また、医師への謝礼及び原告らの固有の慰謝料についても相当因果関係のある損害と認めることはできない。
五 過失相殺
前記認定の事故態様によると、亡春子は、亡春子対面信号が青色点滅信号であつたのであるから横断を見合わせるべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、漫然と横断を開始し、本件横断歩道上に進入してくる被告車両に注意を払うことなく横断をした過失があるので、亡春子の損害賠償の額を算定するにあたつては、亡春子は本件事故当時七〇歳の老齢であつたことをも考慮して、亡春子の右過失を斟酌して前記損害額から三割を減額するのが相当である。
したがつて、被告が亡春子に対して賠償すべき損害額は、六一八万三九六八円(八八三万四二四〇円×〇・七)となる。
六 損害の填補
被告が、亡春子に対し、損害の填補して合計三五四万七一四三円(治療費一四三万八五三二円、付添介護費一五九万二一二六円、入院雑費一二万三四三五円、通院費五〇五〇円、休業損害三八万八〇〇〇円の合計額)を支払つたことは前記のとおり当事者間に争いがないので、前記損害額の填補に充当すべきである。したがつて、亡春子が被告に対して賠償を求め得る額は二六三万六八二五円(六一八万三九六八円-三五四万七一四三円)となる。
七 相続
甲二号証及び甲六号証の一ないし九(いずれも成立に争いがない)によれば、亡春子の死亡によつて、亡春子の夫である原告英治は二分の一の一三一万八四一二円、亡春子の子らであるその他の原告らは各八分の一の各三二万九六〇三円の被告に対する損害賠償請求権を相続した。
八 弁護士費用
1 原告英治分 一三万〇〇〇〇円
2 その他の原告ら分 各 三万二五〇〇円
合計一三万〇〇〇〇円(三万二五〇〇円×四)
九 以上の次第であるから、原告らの請求は、原告英治が被告に対し、金一四四万八四一二円及びうち金一三一万八四一二円に対する本件事故の日である昭和六二年九月一九日から、及びうち金一三万円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成四年一月一六日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払いを求める限度で、その他の原告らは、被告に対し、各金三六万二一〇三円及びうち各金三二万九六〇三円に対する本件事故の日である昭和六二年九月一九日から、及びうち各金三万二五〇〇円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成四年一月一六日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払いを求める限度でそれぞれ理由があるから認容することとし、その余はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤宏子)
別紙 <省略>