大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ワ)2757号 判決 1992年4月23日

原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 石川正明

同 石川邦子

被告 乙川春子

右訴訟代理人弁護士 長谷川昇

主文

一  被告は原告に対し、金一一九万円及びこれに対する平成三年三月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三五九万円及びこれに対する平成三年三月一六日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は税理士である。

2  被告は、夫(乙川二郎)の交通事故賠償金等を資金として、昭和六三年一月一日の夫の死亡前から株式売買をしていたが、昭和六一年からの株式売買による譲渡益について全く譲渡所得の申告をしていなかったため、平成元年七月頃から右申告漏れについて保土ヶ谷税務署の調査を受けていた。

3  そこで、被告は原告に対し、平成元年一一月一一日、株式の譲渡所得税及び相続税申告等の税務代理を委任し、原告はこれを受任した。

4  被告については特別調査事案となっており、平成二年三月一五日までに申告しなければ更正決定等の処分を受ける見込みで、その所得の額等から脱税で告発を受ける可能性もあった。こうした不利益を避けるため、夫生存中の株取引も名義は被告であったが、その資金が夫の交通事故賠償金等であったことから、原告は、夫死亡前は夫の取引として処理する方針を立てて被告の了解を得たうえ、税務署と折衝を重ねて承認を得た。

5  そして、平成二年三月一二日に乙川二郎の昭和六一年分所得税期限後修正申告を、平成二年五月三〇日に乙川二郎の昭和六二年分所得税準確定申告と被告の昭和六三年分所得税申告をそれぞれ行った。

また、相続税の申告については申告書の作成を終わって税務署に提出するばかりになっており、被告の平成元年分所得税確定申告についても申告書を用意し、被告から証明書類の提供と申告書提出の提示を待つ状態となっていた。

6  ところが、平成二年六月二〇日に税務署から新たに被告と立花証券との株取引の事実が判明したとの連絡があり、再修正申告手続をしてもらいたいとの要請があったので、資料を入手のうえ再修正申告書を作成したが、その直後被告から一方的に契約解除の通告があったため、相続税申告及び再修正申告の手続を中途で止めざるを得なくなった。

7  原告は、2の税務代理の委任を受けた際に、被告から一〇〇万円を報酬の前払いとして受領したが、被告との間で報酬額につき明確な約束はしておらず、委任事務終了後清算することになっていたものであるところ、東京税理士会報酬規程に基づき原告の受けるべき報酬を算出すると次のとおりである。

一  所得税申告

(1)税務代理報酬 (報酬)

<1>昭和六一年分修正申告(五〇〇〇万円未満)  四〇万円

<2>昭和六二年分期限後申告(五〇〇〇万円未満) 四〇万円

<3>昭和六三年分期限後申告(五〇〇〇万円以上) 四五万円

<4>平成元年分期限後申告(三〇〇〇万円未満)  三〇万円

(2)税務調査立会報酬(六万円×一〇日)      六〇万円

(3)税務相談報酬(特官調査に関する件)      二五万円

(4)旅費その他の立替費用              五万円

二  相続税申告

(1)基本報酬                   一〇万円

(2)税務代理報酬(遺産総額三億円以下)      八五万円

(3)共同相続人割増                一七万円

(4)複雑事案割増                一〇二万円

合計                    四五九万円

8 よって、原告は被告に対し、四五九万円から受領済の一〇〇万円を差し引いた三五九万円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成三年三月一六日から完済に至るまで年六分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1、2は認める。3は否認する(被告が原告に依頼したのは、株取引に対する課税の免除又は軽減であり、単に正規の税金を支払うためだけの税務代理は委任していなかった)。4のうち、夫生存中も株取引の名義が被告であったこと、その資金が夫の交通事故賠償金等であったことは認め、被告が脱税で告発を受ける可能性があったこと、夫死亡前は夫の取引として処理する方針につき被告が了解を与えたことは否認し、その余は知らない。5のうち、原告が昭和六一年ないし六三年分の各所得税申告をしたことは認め、その余は不知。6のうち、新たに立花証券との取引事実が出てきたこと、被告が原告に対する委任を解除したことは認め、その余は知らない。7のうち、被告が一〇〇万円を原告に交付したこと、報酬額につき明確な約束がなかったことは認め、東京税理士会報酬規定に基づく計算は不知、その余は否認する(原告のした税務申告は被告の委任の範囲外であるのみならず、被告のために特に利益になっておらず、被告が交付した一〇〇万円は報酬として過分なくらいである)。

第三証拠<省略>

理由

(以下の事実認定は、とくに記載したもののほか、<書証番号略>、原告及び被告各本人尋問の結果による。)

一  1 被告は、過去数年間にわたり株式売買によって相当の譲渡益をあげていたにもかかわらず全く譲渡所得の申告をしていなかったため、平成元年七月頃から右申告漏れについて保土ヶ谷税務署の調査を受けていたが、湯浅貞子の紹介により、税理士である原告にその税務処理を委任することにした。

その際の委任の趣旨について、被告は、株取引に対する課税の免除又は軽減の実現であり、正規の税金を支払うための税務代理は委任していないと主張しているが、被告本人の供述によっても、平成二年一一月一一日に原告が述べた言葉は「自分に任せてくれれば税金を安くするよう働いてあげる」というのであって、この言葉から被告主張のような趣旨の仕事(それは、正規の税金を支払わなくて済むようにというのであるから、脱税あるいはそれに類する目的の実現ということになる。)を原告が受任したと認めることは到底できない。被告は、原告が湯浅に「税務署に顔が効くので、税務のことはどうにでもなる」旨述べ、また税務署長宛の嘆願書を提出する際に「署長に会ってよく頼んであげる、署長がいいと言えばペーペーが何と言おうとそれで通る」と言うなど、原告に依頼すれば課税の免税が可能であると思わせる言動をしていたとして、本件委任の趣旨が前記のようなものであったことの証左としたいようであるが、仮に右のような原告の言動が事実であるとしても、それによって被告が内心どのような期待を抱いたかはともかく、言動の内容自体としては、直ちに脱税あるいはそれに類することが可能であるという趣旨に解釈できるものではなく、これをもって本件委任の趣旨が被告主張のようなものであったと認める根拠とすることはできない。嘆願書を提出する際、「うまくすれば税金を払わなくて済むかもしれない」と原告が言ったとも、被告は供述しているが、嘆願書(<書証番号略>)の内容からして、そうした発言になることは考えられないから、右被告の供述は信用できない。

その後、被告は、原告が作成した所得税の申告書に自ら押印し、税務署への提出に同道するなど、その段階では原告の税務処理に異議を述べていないことからしても、単なる被告の内心的願望ではなく、原・被告間に客観的に成立した委任契約の目的としては、必要かつ適切な税務申告を行うことを含め、法律上・実務上可能な範囲内で被告のために最も有利な税務処理を行うという、税理士に対する委任において通常一般に契約の目的とされるもの以上には出なかったものと認めるのが相当である。

2 原告が乙川二郎の昭和六一年分所得税期限後修正申告と昭和六二年分所得税準確定申告、被告の昭和六三年分所得税申告をそれぞれ行ったことは当事者間に争いがない。また、前掲証拠によれば、相続税及び平成元年分所得税についても申告書の作成を終わり、さらに立花証券関係の取引が判明したことによる再修正申告手続について準備を進めていたところ、被告により委任契約を解除されたことが認められる。

被告は、夫死亡前の取引を夫のものとして処理する方針につき了解を与えていないと主張しているが、<書証番号略>の委任状、<書証番号略>の仮領収書にも相続税申告の税務代理が事項として含まれていること、乙川二郎名義の昭和六一年分、六二年分所得税の申告書に被告が押印している事実からだけでも、右方針を被告が了承し、原告が行い、行おうとした各年度の所得税申告及び相続税の申告につき、被告が原告に税務代理を委任したことは明らかである。

3 被告は、原告の右のような税務処理は、その手間や費用も考慮すると被告にとって利益とは言えないと主張する。しかし、昭和六一年分、六二年分の株式取引を被告によるものとするよりも亡夫二郎によるものとして申告する方が、納付税額の面で有利であることは、<書証番号略>によって明らかであり、また、告発の危険や重加算税の賦課を避けるためにも賢明な処理方針であったと言うべきである。本件は、数年度にわたって多額の所得を申告しなかったものであることなどから、決して軽微な問題のない事案ではないし、株式取引を全て被告のものとした場合でも、被告の知識、経験、能力等を考慮すれば、被告のみで簡単に処理できるものであったとは考えられない。

二1  ところで、原・被告間で本件委任につき報酬を支払う合意があったことは、一〇〇万円の授受があったことからも、言うまでもないことであるが、報酬額について明確な約束がなかったことも争いがない。このような場合、特段の事情がない限り、税理士会の会則で定めた報酬の最高限度額に関する規定(税理士法四九条の二第二項七号、原告の所属する東京税理士会の報酬規定は<書証番号略>)を上限として、事案の難易、処理に要した時間労力等を考慮し相当と認められる額の報酬を支払うとの合意が黙示になされたものと認めるべきである。本件において、委任の当初授受された一〇〇万円は、<書証番号略>が仮領収書となっていることからも、後に清算を予定した前払いであって、報酬額について何らかの限定を設けた趣旨のものではないと認められる。

なお、東京税理士会の報酬規定(以下単に「報酬規定」という)五条二項は、委嘱者の都合により着手後に解約するときは報酬の全額を受けることができることとしており、原告は平成元年分の所得税申告及び相続税の申告については、これを根拠としているが、本件において右報酬規定によるとの合意までは認められない。しかし、被告による本件契約の解除が、民法六五一条一項の委任の相互解除の自由との関係で被告の責めに帰すべき事由によるもの(民法五三六条二項参照)とまでは認められないとしても、原告の責めに帰すべからざる事由により契約が履行途中で終了したものであることは既に述べたところによって明らかであり、その旨の事実主張をしているものと解されるから、原告は既になした履行の割合に応じて報酬を請求できる(民法六四八条三項)。そして、原告は、右各申告について申告書の作成を終わり、税務署に提出する直前まで作業を進めていたことは前述のとおりであるから、契約を履行したのとほぼ変わらない額の報酬請求権を有するとしてよい(委任事務が完全には終了していないことは、報酬相当額を定めるにつき考慮すれば足りる)。

2  そこで、原告の請求にかかる報酬額について検討する。

一  所得税申告

(1)税務代理報酬

原告は、報酬規定一八条が定める各最高限度額を請求しているが、本件は所得額こそ高額に上り、いわゆる特官事案としての難しさがあったにしても、所得の大部分が株式取引によるものであって、所得や経費の確定・計算が特に複雑というものではない。しかも、連続した四か年の同種の所得に基づく申告を平行的に処理するものであって、調査等の面でそうした連続性、共通性がないものと比較すれば労力・時間が少なくて済むはずである。

その他諸般の事情を考慮すれば、税務代理報酬としては、最高限度額の四か年分の合計額一五五万円の約六割五分にあたる一〇〇万円をもって相当な報酬額とする。

(2)  税務調査立会報酬

報酬規定二九条が定める調査立会い報酬は、「税務官公署が行う税務調査に立会い、又はこれにともなう特別な事務に従事する」ことにより受けるべきものであるから、単に、申告書作成のために税務署に赴いて資料を収集・調査したり、担当官から説明を受けたりするのは、税務代理報酬の範囲内の仕事と言うべきであって、これに該当しない。

原告が、<書証番号略>を証拠として調査立会い報酬を受けるべきものと主張する九日のうち、平成二年三月一二日及び同年五月三〇日は、申告書を提出するため税務署に赴いたにすぎないから、調査立会いに当たらない。平成元年一一月一五日及び一二月六日も、申告書作成のための資料を収集・調査、担当官からの説明聴取以上のものがあったとは認められない。その他の五日は、多かれ少なかれ税務署の調査的な色彩は認められるが、その全てが報酬規定三〇条の最高限度額の報酬を受けるだけの実質を有するものとも言い難いから、一日当たり五万円として計算するのが相当であり、これと別に税務署から指示を受けた事項の作業に費やした時間についての報酬を加える必要は認められない。

よって、調査立会い報酬は二五万円を相当とする。

(3)  税務相談報酬

税務代理は、当然に、報酬規定三七条にいう税務相談の要素の全てを含んでいるものであるから、税務代理の報酬を受けたときには、それが特別の調査研究を要する事案であるか否かにかかわらず(事案の難易は税務代理の報酬額自体において考慮される。)、同一案件について税務相談報酬を請求することはできないと解される。

(4)  旅費その他の立替費用

保土ヶ谷税務署及び被告の自宅に併せて一〇回程度赴いていることから、交通費が掛かっていることは事実であろうが、支出額等につき具体的な立証を欠く。

二  相続税申告

本件相続財産は、所得税申告と関連した有価証券、証券会社に対する保証金のほかは、居住用の土地建物、若干の預貯金程度であって、報酬規定二二条二項にいう「財産の評価等の事務が著しく複雑(事案の内容が極めて煩雑又は広範にわたり、かつ、資料の収集、法令の適用その他の事務処理のために特別の調査、研究若しくは役務の提供を要するものをいう)」という場合には、到底該当しない。遺産総額もやっと一億円を超える程度であって、その他の事情も考慮すると、遺産総額による加算は、一億円以上三億円未満の場合の加算限度額八五万円の八割強に当たる七〇万円をもって相当とする。

よって、相続税申告の税務代理報酬は、基本報酬額一〇万円に、右七〇万円及び共同相続人加算一四万円を加えた合計九四万円とするのが相当である。

3 以上を合計すると、原告が被告に対し請求できる報酬の相当額は二一九万円、既に受領した一〇〇万円を差し引くと一一九万円となる。

三  よって、原告の請求は、一一九万円及びこれに対する民事法定利率年五分(年六分を請求する根拠が明らかでない)の割合による遅延損害金の限度で理由がある。

訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行につき同法一九六条一項を各適用。

(裁判官 金築誠志)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例