東京地方裁判所 平成3年(ワ)8578号 判決 1993年3月23日
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
理由
第一 請求
一 被告社団法人共同通信社(以下「被告共同通信社」という。)及び被告魚住昭(以下「被告魚住」という。)は、原告に対し、連帯して、一億一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告共同通信社及び被告魚住を除くその余の被告ら(以下「被告新聞各社」という。)は、原告に対し、それぞれ別紙一請求金額目録記載の金額及びこれに対する昭和六三年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告共同通信社は、別紙(一)記載のとおりの謝罪広告を別紙(二)記載の掲載条件のとおり掲載せよ。
四 被告新聞各社は、それぞれ、別紙(三)記載のとおりの記事訂正報道を別紙(四)記載のとおりの要領で行え。
第二 事案の概要
一 本件は、昭和六三年六月三〇日当時総務庁交通安全対策室長の職にあつた原告が、被告共同通信社が配信し被告新聞各社がその発行する新聞紙上にそれぞれ掲載した記事により名誉を毀損されたとして、不法行為に基づき損害賠償(慰謝料)及び謝罪広告、記事訂正報道を請求している事案である。
二 当事者間に争いのない事実(1ないし4、7)及び証拠により認定した事実(5、6)
1 原告は、昭和三六年四月警察庁に採用され、関東管区警察学校教授、警視庁交通執行課長等を歴任し、同五〇年二月警察庁から総理府交通安全対策室に総務担当参事官補として出向し、二年間在籍した。その後、原告は警察大学校交通教養部長、石川県警察本部長等を歴任した後、同六二年七月から総務庁に出向し同庁交通安全対策室長となり、同六三年七月一二日辞職した。
2 被告共同通信社は、全国の新聞社等に対し、ニュース記事等を配信することを業とする社団法人であり、被告魚住は、被告共同通信社の社会部記者である。
被告新聞各社は、いずれも日刊新聞紙の発行を事業内容とし、かつ被告共同通信社から記事等の配信を受けている新聞社である。
3 被告新聞各社を含む別表記載の各新聞社は、被告共同通信社から原告に関する別紙二記事目録記載の各記事(以下「本件配信記事」という。)の配信を受け、昭和六三年六月三〇日それぞれの発行する新聞紙(ただし、被告中日新聞社については東京新聞、中日新聞及び北陸中日新聞の三紙)上に別紙三新聞記事見出し一覧表記載の見出しを付した上、本件配信記事の全部又は一部を掲載し、頒布(以下「本件報道」という。)した。
4 原告が参事官補ないし室長として勤務していた総理府交通安全対策室(昭和五九年七月から総務庁長官官房交通安全対策室。以下、組織変更の前後にかかわらず「交通安全対策室」という。)は、各省庁が行う陸上交通の安全に関する施策の総合調整、海上及び航空交通の安全に関する事務の連絡、他の省庁の所掌に属さない交通安全に関する施策の企画立案などを行う外、交通安全対策基本法の施行、政府全体の交通安全対策の決定機関ともいえる中央交通安全対策会議や交通安全対策本部の庶務、都市交通の円滑化・能率化対策の推進などの事務を所掌する機関である。
5 乙山松夫(以下「乙山」という。)は、本件配信記事にいう「収賄」があつたとされる時期(昭和五〇年から同五二年及び同六二年)に株式会社甲田(ただし、昭和五九年一月商号変更前の社名は甲川株式会社。以下「甲田」という。)の代表取締役の地位にあつた者である。
甲田は、広告代理業、宣伝企画の引受け並びに交通安全教材の製作及び販売等を目的として昭和四二年五月乙山により設立された株式会社であり、タクシーのリア広告や運転免許取得時に渡される安全運転ノートの外、ポスター、パンフレット類の製作等を行つていたもので、昭和四六年四月から総理府の発注する事業の競争入札参加資格者(登録業者)となつていた。そして、甲田は昭和四七年秋から同六二年秋までの間、交通安全対策室との関係では、交通安全ポスターを随意契約で独占的に受注していた。
6 丙川竹夫(以下「丙川」という。)は、昭和五四年一二月から同六〇年六月までの間総理府大臣官房参事官(会計担当)兼総理府本府支出負担行為担当官の職にあつた者であり、交通安全ポスターやタクシーのリア広告の発注を通して乙山と親しい関係を結んでいた。
乙山は、外二名と共謀の上丙川に対し賄賂を贈つたとの被疑事実で捜査機関の取調べを受けている過程で、原告に対し本件配信記事記載の「贈賄」を行つたことを検察官に供述し、昭和六三年六月三日及び同年七月一日供述調書(被疑罪名贈賄の被疑者調書)が作成された。この間原告は、同年六月二二、二三、二四日の三回検察官の事情聴取に応じ、供述調書(被疑罪名収賄の被疑者調書)が作成された。
7 なお、丙川は収賄、乙山は贈賄の各被告事件として起訴され、平成元年三月一五日東京地方裁判所で、丙川は収賄罪により懲役二年六月執行猶予四年追徴金二七二万〇二八〇円、乙山は贈賄罪により懲役一年六月執行猶予三年の各有罪判決を受け、右各判決はその後確定した。
三 原告の主張
1 本件配信記事及び本件報道は、原告が交通安全対策室参事官補及び同室長の職務に関連し出入りの業者から継続的に現金を受領しあるいは接待を受けたことを内容とするものであり、廉潔性を必要とされる公務員しかも犯罪を取り締まるべき警察官の職にある原告があたかも収賄の常習者であるかのような悪い印象を一般の読者に与えるものであつて、原告の社会的評価を回復し難い程度にまで低下させるものである。
2 被告魚住は、客観的な裏付け資料を欠いたまま、本件配信記事が真実に反することを認識し又は認識し得たのにあえてこれを執筆したものである。
被告共同通信社は、本件配信記事の内容が虚偽であるにもかかわらず、十分なチェックを怠つた結果、右記事をそのまま被告新聞各社に配信したものである。
被告新聞各社は、右配信に基づいて独自の取材を行うことなく漫然と本件報道を行つたものである。
よつて、被告らは、故意又は過失により、本件配信記事及びこれに基づく本件報道によつて原告の名誉を毀損したものであるから、慰謝料を支払う外、原告の名誉を回復させるため、被告共同通信社は謝罪広告をし、被告新聞各社は記事訂正報道を行う義務がある。
3 本件配信記事及び本件報道により、原告は収賄罪を犯した者として人々から非難を受け、原告の自宅に嫌がらせの文書が届けられるまでに至つた。そのため、原告の名誉は著しく損なわれ、社会的信用は地に堕ち、原告は辞職を余儀なくされた。右辞職により、原告は、三年後に勧奨退職した場合に比べ、八八四四万〇七三二円の得べかりし利益を失つたことになるなどその損害は甚大であり、被告共同通信社及び被告魚住につき、原告の精神的苦痛を慰謝するための金額は一億一〇〇〇万円を下らない。また、被告新聞各社については、それぞれ別紙一請求金額目録記載の金額の慰謝料を支払うべきである。
4(被告らの抗弁に対する反論)
いわゆる真実性の証明の資料となるものは、行為時すなわち本件でいえば本件配信記事を配信し又は本件報道を行う時点で既にその存在が明らかでなければならない。本件で被告らが真実性の主要な根拠とする乙山の検察官に対する供述調書は、右行為の後乙山や丙川らの刑事事件の公判廷で初めてその存在が明らかになつたものであるから、真実性の証明の資料たり得ない。
5(乙山の供述の真相)
原告は、乙山あるいは甲田から本件配信記事記載の現金の交付や飲食の接待を受けた事実はない。考えられることは、乙山が原告を逆恨みし原告を罪に陥れるためにあえて虚偽の供述をしたということである。すなわち、原告が昭和六二年七月交通安全対策室長に着任してから、甲田は、原告から仕事の手抜きを厳しく指摘されるようになり、遂には随意契約の方法によつて長年独占的に確保していた交通安全対策事業における受注業者の地位を失うに至つた。乙山は、自分たちの仕事の手抜きにより甲田が右地位を失つたにもかかわらずこれを棚に上げ、かえつて公正な競争入札制度を導入した原告を恨んで、他の総理府職員に対する贈賄の事実を原告に対する贈賄であるかのようにすり替えて供述したものである。
四 被告らの主張
1 本件配信記事の対象は、県警本部長の経歴を持つ警察官僚の幹部で交通安全対策室長という行政の中枢にいる高級公務員が、現職の室長当時及び同室参事官補佐職中同一の出入り業者に対し、平然と、かつ、執拗に賄賂や接待を要求し、右業者から賄賂や接待を受けていた旨の事実であつて、強い公共性が認められる。
2 被告共同通信社及び被告新聞各社は、高級公務員である原告の収賄容疑を報道することは国民一般の知る権利に奉仕するものであると判断し、報道機関としての使命から本件配信記事を配信し、本件報道を行つたものであり、いずれも公益を図る目的に出たものである。
3(一) 配信記事及び新聞記事における真実性の証明は、報道の迅速性の要求と客観的真実の把握の困難性等から考えて、記事に掲載された事実のすべてにつき、細大もらさずその真実であることまでの証明を要するものではなく、その主要な部分について真実であることの証明がされれば足りると解すべきである。
(二) 本件配信記事の主要な部分は次の各事実であるところ、これらはいずれも真実である。
(1) 原告が県警本部長の経歴を持つ高級警察官僚であること
(2) 原告が出入り業者に対し再三賄賂を要求したこと
(3) 原告が同じ業者から交通安全対策室参事官補時代に現金合計百数十万円を受領したこと
(4) 原告が同じ業者から交通安全対策室長時代に現金数十万円を受領したこと
(5) 原告が右(3)と(4)を合わせて合計約二〇〇万円の現金を受領したこと
(6) 原告が同じ業者に対し接待を要求したこと
(7) 原告が同じ業者から高級料理店などで接待を受けていたこと
(8) 原告が同じ業者に対し自分のなじみの印刷業者を下請に使うよう強要していたこと
(9) 東京地方検察庁が以上のような収賄容疑について原告から事情聴取したこと
五 争点
1 本件配信記事及び本件報道は、いかなる点において原告の名誉を毀損するものか。
2 本件配信記事及び本件報道の内容は公共の利害に関する事実に係り、かつ、その執筆、配信及び報道行為が専ら公益を図る目的に出たものか否か。
3 本件配信記事及び本件報道によつて摘示された事実は真実と認められるか否か。
第三 争点に対する判断
一 争点1(名誉毀損の成否)について
1 本件配信記事及びこれに基づく本件報道は、「総務庁汚職警察官僚に波及」「広告業者から二〇〇万円受領」等の見出しとあいまつて、交通安全対策室長の地位にあつた原告が、出入りの広告業者に賄賂を要求し、今までに合計約二〇〇万円の現金を受け取つたこと、同じ業者から高級料理店などで接待を受けていたこと、政府広報汚職事件を捜査している東京地方検察庁特別捜査部(以下「特捜部」という。)も右の事実に関し原告から事情聴取をした模様であることを内容とするもので、一般読者に対し、原告が甲田社長の乙山から現金を受け取り、接待に応じたという事実で捜査当局から収賄の嫌疑を掛けられているとの印象を与えるものである。
身の潔白について国民から最も信頼されるべき警察官としての職歴と交通安全対策室長の要職にある原告の職務及び地位に鑑みると、このような記事は原告に対する社会的評価を著しく低下させるものと認められる。
2 ところで、原告は、本件配信記事及び本件報道は、読者に対し、原告が交通安全対策室長時代に二〇〇万円の賄賂を受け取り、これとは別に同室参事官補時代に百数十万円の賄賂を受け取つていた旨断定して報道したものであると主張する。
確かに、被告新聞各社のうち「総務庁室長が二〇〇万円受領」との見出しをつけて本件配信記事の内容を報道したものがあることは原告の指摘するとおりである。しかしながら、そのような見出しをつけた新聞記事でも、その内容を読むと「……同参事官補在任中に乙山被告から数回にわたり、現金計百数十万円を受け取つたほか……」、「……乙山被告は以前同様に現金数十万円を甲野室長宅に届けたが、……」と、配信された本件配信記事のとおりに記載されており、一般の読者の注意をもつて記事全体を読めば、見出しの表現にもかかわらず、現在交通安全対策室長の地位にある原告が参事官補時代の百数十万円と現職に就いた後の数十万円とを合わせて現金約二〇〇万円を受領した旨報じたものであることが容易に判明するものである。
さらに、本件配信記事及び本件報道中には「現金をたかり続けていた」「暗に『わいろ』を要求」等一見断定的な表現も見られるが、記事全体としては、「関係者の証言などで明るみに出た」「甲田関係者らの証言による」事実として原告に収賄の疑惑がある事実が記載され、「特捜部もこの事実を確認、既に原告から事情聴取したもよう」である旨の事実を配信し、これに基づき報道されているものであり、本件配信記事及び本件報道が原告に右のような「収賄疑惑」があるという程度を超えて原告が収賄した旨断定しているものとは認めることができない。
3 以上によれば、本件配信記事及び本件報道は、1に示した内容のものとして原告の名誉を毀損するものであると認められる。
二 争点2(本件配信記事及び本件報道に係る事実の公共性並びに執筆、配信及び報道行為の公益目的)について
本件配信記事及びこれに基づく本件報道が原告の名誉を毀損するものであるとしても、民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。
原告が、県警本部長の経歴を持つ公務員であり、かつ、交通安全対策室長の要職にあつたことからすれば、前示のような本件配信記事及び本件報道の内容は公共の利害に関するものと認められ、それが虚偽であることを知り、又は容易にこれを知り得る状況にありながら他に意図があつてこれを執筆、配信、報道したなど特段の事情が認められない限り、被告魚住及び被告共同通信社が本件配信記事を執筆し、配信した行為並びに被告新聞各社が本件配信記事に基づき本件報道をした行為は、報道機関又はその記者としての使命から、専ら国民の知る権利に奉仕するという公益を図る目的に出たものと認めるのが相当である。
本件においては、後記三のとおり、本件配信記事及びこれに基づく本件報道の内容の真実性が認められ、前記特段の事情はこれを認めるに至らない。
三 争点3(本件配信記事及び本件報道の内容の真実性)について
1 以上一、二に認定の事実によれば、本件配信記事及び本件報道は、原告の「収賄疑惑」を内容とするところ、その具体的事実として前記第二の四3(二)記載の事実を摘示したものと認められる。
したがつて、真実性の証明も右の各事実につき行われれば足りる(ただし、右のうち(1)記載の事実は当事者間に争いがない。)。
2 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は昭和五〇年二月交通安全対策室の総務担当参事官補として着任した。原告の着任前の段階では、甲田が同年春の全国交通安全運動のポスターの受注を受けるために、交通安全対策室との事務レベルでの打合せにより、数点のラフスケッチを提出し、さらにその中から二、三点に絞られたものが提出されていて、そのうちの一点に決められるという状況にあつた。ところが、原告が着任後、右事務レベルでの打合せはしないという方針になつたという情報が乙山に入つてきた。
不安を感じた乙山は、かつて自分が警察庁長官秘書室に勤務していた当時の長官であつた乙原冬夫(以下「乙原」という。)に事態がどうなつているか事情を聞いてもらえないかと相談した。乙原はその場で当時の交通安全対策室長に電話を掛けて乙山の話を伝えてくれた。
するとその日のうちに、原告から、乙山が呼び出され、「従来どおり君のところにポスターをやつてもらうことにする。ただし、おれの意向どおりのものを作つてもらうから、そのように承知しておいてくれ。」と言われた。
その後、甲田が受注するポスターの内容が最終的に決定するに至つた段階で、乙山は、原告から、「乙野の小石川事業本部に仕事を出してやつてくれ」と言われた。そして、乙山は、同年二月下旬ころ、原告から、六本木のロアビルにあつた飲食店に呼び出され、そこで乙野印刷株式会社(以下「乙野印刷」という。)小石川事業本部の営業部長戊田春夫(以下「戊田部長」という。)を紹介された。原告は、その席で「まあ、戊田部長とはうまく手を組んで仕事をやつてください。価格の点等については双方で協議をして進めてください。」と述べた。同年春の全国交通安全運動のポスターは納期の関係で乙野印刷の小石川事業本部は受注しなかつたが、甲田は、その後同事業本部に対し、交通安全連絡帳、交通安全連絡ファイル、交通安全ピストラマなどの印刷を発注した。小石川事業本部は、それまで甲田が発注していた業者に比べ受注価格がやや高めであつたが、原告からの要請があつたため、甲田は昭和五三年ころまで継続的に発注していた。
(二) 原告は、昭和五〇年一〇月か一一月ころ交通安全対策室において、乙山に対し、「社長、たまには一席設けろよ。君のところの作品についていろいろ意見を出して批評をしてあげるよ。」と言つて、接待を要求した。原告は、接待の場所として赤坂にあるスッポン料理店「さくま」を指定し、自分で予約の電話を入れた。
同年一一月ころ乙山は、当時甲田の専務取締役であつた丁原梅夫(以下「丁原」という。)とともに、原告と戊田部長を「さくま」で接待し、飲食代金約八万円は甲田が負担した。その席で、原告は、乙山が手をつけなかつたワインで割つたスッポンの生き血を「こんな最高のものをもつたいない」と言つて飲んだ。
(三) 原告は、昭和五〇年一二月初めころ交通安全対策室において、乙山に対し、「いや、社長すまんが急な用立てがあつて、ちよつと協力してくれんか。」と言つて、三本の指を示しながら「これだけちよつと頼むよ」と述べた。乙山は、何のことかよくわからず、「わかりました。三万円ですか。」と答えたところ、原告は「ばか言いなさい。大の男が三本の指を示せば額が幾らであるか分かるでしよう。何を言つてるんですか、今どきの社長が。」と言つた。原告は、更に、甲田が受注していた交通安全ポスターの出来具合や幼児のための交通安全教育の絵本の監修に関わることを口にしたので、乙山は、原告が暗に三〇万円の現金を要求していることを理解した。乙山は、仕事のことで不利益な取扱いを受けることを避けたいと考え、原告の要求に応じることにした。
乙山は、その翌日交通安全対策室に原告を訪ね、机の上の書類の下に潜り込ませるように現金三〇万円入りの封筒を置きながら、「昨日お話のありました分です」と言つた。原告は「いや、社長のところは対応が早くて助かるよ。」と答えた。
(四) 乙山は、昭和五一年三月末ころ原告から酒に付き合うように言われ、同年四月ころ銀座の資生堂の裏の辺りにあるクラブで原告と会つた。乙山がその店に行つた時、原告は先にいて一人で待つていた。原告は、山梨県大月市にある物件の購入を勧める話をした後、乙山に対し、「社長またこないだと同じように協力してくれんか」「シートベルト着用のポスターについては協力するからなあ」と言つて、暗に三〇万円の現金を要求した。乙山は「わかりました」と答え、原告の要求に応じた。
その二、三日後、同じクラブで、乙山は、原告に対し、現金三〇万円を渡した。この時は、乙山が先に着き待つていたところ、原告が乙山の知らない男一人を連れて来た。原告は、その男を別の席に座らせ、乙山の席に来て、現金三〇万円入りの封筒を受け取つた。
(五) 乙山は、昭和五一年一一月ころ原告から「さくま」のほうで一席やろう、付き合うようにと言われ、乙山と丁原が赤坂の「さくま」において原告を接待した。
その際原告は、丁原が席を離れた機会に乙山に対し、「社長、またすまんがもういつぺん協力してほしいんだが、年末で金がなかなか要り用なんだ。今度はこれだけにしてくれんか。」と言つて、右手の五本の指を開いて示した。乙山が「えつ、五〇万円ですか。」と言つたのに対し、原告は黙つてうなずいたので、乙山は五〇万円の要求を受けていることを理解した。
乙山は、原告の要求に応じることにし、一〇日くらい後赤坂の東急ホテルの一階にあつた中華料理店「留園」において、原告に現金五〇万円を渡した。このときは、乙山は、丁原にも原告の要求を打ち明け、丁原に現金五〇万円入りの封筒を持参させて同席させ、丁原の見ている前で、乙山から原告に右現金入りの封筒を渡した。
(六) 右(五)の「さくま」における会食の席で、原告は、乙山に対し、「社長なあ、たまには丙山に一席設けさせろよ。」と言つて、丙山自動車販売株式会社(当時、以下「丙山」という。)との会食を要求した。
そこで、乙山は、丙山の担当者に話し、昭和五二年一月ころ、丙山から四名、甲田から乙山と丁原が出席し、原告を含む当時の交通安全対策室の幹部数名を接待して、築地のふぐ料理店「ふく源」で会食を行つた。その飲食代金は、合計約二六万円であり、丙山と甲田が折半して負担した。
(七) 乙山は、昭和六二年七月原告が交通安全対策室長に着任した当時健康を害しており、すぐには原告のところに挨拶に行くことができなかつた。原告は、同年七月下旬ころ乙山が挨拶に来た際、すぐに挨拶に来なかつたことに不満を述べた上で、「昔の甲田はよくやつた。指示をすれば、すぐ対応してくれた。社長、これからは昔のようにちやんと協力しなさいよ。」と言つた。乙山は、右のような原告の言動や同年八月上旬から中旬にかけて原告を交通安全対策室長室に訪ねた時の印象から、仕事を円滑に進めるために原告を接待する必要があると考えた。そこで、当時甲田の会長をしていた元青森県警察本部長の丁川夏夫(以下「丁川」という。)を通して原告に一席設けたい旨申し入れたところ、原告は霞が関ビルの最上階にあるフランス料理店を指定してきた。乙山は、同年八月下旬ころ丁川とともに原告を右の店で接待し、飲食代金約四万五〇〇〇円は甲田が負担した。その際原告は、二次会と称して丁川と乙山を自宅に連れて行き、ホームバーのように造作した地下室など、家の中を案内した。
(八) 原告は、その後も乙山に対し、「昔のように協力しなさいよ」ということを繰り返し述べる一方、「おれは、ポスターや連絡バッグ等にキャラクターを使用することについてはもともと反対なんだ。自分が室長としてやるからには、自分の考えをどんどん出してやつていくつもりである。」などと述べ、また、甲田が連絡バッグに代わるアイディアを用意して行つた際にも、原告はその説明会に出席しなかつた。そして、原告は、昭和六二年一一月上旬ころ乙山に対し、「社長なあ、これだけなあ、いろいろ社長に言つてきたがまだわからないのか。おれの気持ちをわかつてはくれていないのかなあ。」と述べた。乙山は、これまでの経緯から、原告の機嫌を損ねると仕事が受注できなくなつてしまうおそれがあると考え、原告に現金を届けることを決意し、そのころ現金五〇万円を封筒に入れ、「動物たち」という雑誌と一緒にその雑誌の発送用の封筒に入れて、これを原告の自宅に持参し、原告が帰宅していなかつたため、原告の妻に「ご主人が帰られましたらお渡し下さい」と言つて渡した。
その数日後、乙山は、交通安全対策室長室に呼ばれ、原告は、「この間はせつかくいいものを作つて持つてきてくれたけれども、もう少し知恵を絞るといいがなあ。」と言つた後、「はい、これ」と言つて右の現金五〇万円が入つた紙袋を乙山に渡した。
(九) 昭和六三年六月二二、二三、二四日の三回、原告は、乙山から現金の供与及び接待を受けた疑いで特捜部の検察官から事情聴取を受けた。原告は、右事情聴取に対し右各事実をいずれも否定した。原告に対する収賄被疑事件については、いわゆる正式立件には至つていない。
3 乙山供述の信用性について
(一) 乙山の検察官に対する供述調書及び証人乙山の証言(以下両者を合わせた意味で「乙山供述」という。)は、後述のとおり現金授受の場所や接待の際の同席者等について一部に食い違いや変遷が見られるものの、全体としてみれば特に不自然な点はなく、原告の参事官補当時のことについては時効が完成しているとはいえ、自分自身元警察庁の職員であり、その供述中に元警察庁や交通安全対策室の職員であつた関係者の名が少なからず出てくる中で、贈賄罪という自己の犯罪事実を進んで供述するものであるから、信用性が高いといえる。さらに、乙山供述の根幹となる重要な部分について、これを裏付ける証拠が存在する。すなわち、昭和五一年一一月ころ赤坂の「留園」で乙山が原告に現金五〇万円を渡したことは、右現場に立ち会つてその場面を見ていた証人丁原の証言により裏付けられているし、丁原は、その前の二回にわたる各三〇万円の社長仮払があつたことを記憶し、乙山にこれらが原告に渡つたものであることを確認した旨供述している。また、丁原は、昭和五〇年一一月ころの「さくま」での原告と戊田部長の接待及び同五二年一月ころの「ふく源」での丙山との合同の接待にも同席した旨供述し、その際の印象に残つたエピソードを具体的に供述している。
原告は、昭和五〇年、五一年当時の甲田の登記簿謄本に丁原の名前がないことから、甲田には丁原なる専務取締役は存在しなかつた旨供述する。しかし、《証拠略》によれば、丁原は、甲田の登記簿上は同五四年七月三一日取締役就任と記載されているものの、実際には昭和五〇年に乙山が体調を崩したころから同五六年まで甲田の専務取締役の地位にあつて、参事官補当時の原告とは何十回も会つていることが認められるから、原告の右供述部分は採用することができない。
なお、原告は、そもそも乙山供述は真実性の証明の根拠になり得ないと主張するが、真実性を立証するための証拠資料は本件配信記事を執筆、配信した時点において被告らが入手していたものに限定されないものというべきであるから、原告の右主張は理由がない。
(二) 本法廷における証言と供述調書との食い違い
乙山供述を細かく検討すると、検察官に対する供述調書(以下「検面調書」という。)と本法廷における証言とで食い違う点が見られる。原告は、右の食い違いをもつて乙山供述は信用できない旨主張するので、この点につき検討する。
(1) 「さくま」での一回目の接待
検面調書では、時期は昭和五〇年一〇月下旬か一一月初めころ、出席していたのは原告と乙山の二人かあるいは戊田部長を加えた三人、料金は一人約四万円であつたと供述している。
これに対し、証言では、時期は同年一一月ころ、出席したのは原告、戊田部長、丁原及び乙山の四人、代金は約八万円と述べている。
乙山は、右の食い違いが生じた理由について、保釈後に丁原と話し合つた結果、検察官に対する供述が記憶違いであることがわかつた、一人四万円との供述は、八万円の請求書が送られてきた記憶があり、取調べ時には原告と二人で行つたと思つていたので、一人四万円と供述したと説明しており、この説明はいささか不自然であるが、これをもつて右接待に関する乙山の証言を信用できないものということはできない。
(2) 二回目の現金の授受
検面調書では、乙山が店に行くと原告が一人で待つていたと供述している。
これに対し、証言では、乙山が先に店に着き、原告は後から見知らぬ男と二人で来たと述べている。
この点につき、乙山は、検察官の取調べの際には当時の記憶のまま供述したが、後からゆつくり記憶を整理してみると、自分が遅れて行くことは大変失礼になるので先に行つて待つていたことを思い出した、記憶をたどるうちに連れの男のことも思い出したと説明しており、この説明は首肯し得るものである。
(3) 「さくま」での二回目の接待
検面調書では、原告と乙山の二人だけで飲食をしたと供述しているが、証言では、丁原も同席していたとしている。
この点につき、乙山は、検面調書の供述は記憶違いであつたと供述しており、検面調書が極めて短時間(一日)のうちに作成されたことからすれば、記憶違いということもあり得ないわけではないと考えられる。
(4) 三回目の現金の授受
検面調書では、場所は銀座の日航ホテルの裏の並木通りにあつた高級クラブで、原告は後から見知らぬ男を連れて来たと述べている。
これに対し、証言では、場所は赤坂の中華料理店「留園」で、丁原も同席していたと述べている。
この点につき、乙山は、後になつて丁原と話をしているうちに「留園」が正しいことを思い出した、右検面調書にいう日航ホテルの裏の高級クラブと、法廷において二回目の現金の受渡場所と証言した資生堂の裏のクラブとは同一の店であり、取調べ当時は別の場所のように思つていたので、三回目の現金の受渡場所として挙げたと供述している。乙山が三回目の現金の授受に丁原を同席させた理由からすると、受渡場所や同席者の有無の記憶違いは考えられず、右乙山の説明は首肯し難いが、「調書作成時にもその留園のことは頭の中にはわいてきてました」という乙山の供述もあり、証人丁原の証言と合わせると、右現金の受渡しに関する乙山の証言を信用できないものということはできない。
(5) 霞が関ビルのレストランでの会食
検面調書では、昭和六二年一〇月ころのこととしていたのが、証言では、同年八月下旬ころと述べている。
この食い違いの理由につき、証人乙山は、取調べの時は一〇月という記憶であつたが、勾留中に検察官がクレジットカードの記録を調べた結果、八月下旬が正しいことがわかつたと供述しており、この説明は首肯し得るものである。
以上の検討によれば、検面調書と本法廷における証言との間に食い違いがあること及びその説明に不自然な点や首肯し難い点があることをもつて、現金の授受及び接待の状況に関する乙山の供述を全面的に信用性のないものということはできない。
(三) 丙川の権限との関係について
原告は、交通安全ポスターの契約締結権限は丙川の所属していた総理府官房会計課にあること、丙川は「天皇」と呼ばれるほどの実力者であり、乙山と丙川の仲は「義兄弟」と言われるほど親密であつたこと、丙川は昭和五〇年当時予算担当の参事官補であつた原告を呼びつけている状態であつたことなどからすれば、乙山が右当時原告に賄賂を供与する必要はなかつたし、原告も乙山に賄賂を要求できる環境になかつた旨供述する。
そこで検討するに、《証拠略》によれば、交通安全ポスターの受注契約について最終的な権限を有しているのは大臣官房会計課の会計担当参事官(支出負担行為担当官)であるが、原局である交通安全対策室で随意契約にするか、業者はどこにするかを実際上決定し、それを官房会計課が審査するというやり方を採つていたことが認められる。
右の事情の下においては、たとえ丙川が大きな権限を振るつていたとしても、交通安全対策室の総務担当参事官補であり、また、同室長となつた原告に、交通安全ポスターの企画等を通じて、契約の方式や受注業者の選定等に関し大きな影響力を行使し得る職務権限が認められることは明らかであつて、原告の右供述部分は採用できない。
(四) 乙山の膠原病による入院の時期について
原告は、乙山は刑事事件の公判において昭和五〇年七月から四か月間膠原病という病気で入院していたと供述しているが、右の供述に従うと原告が乙山に対し最初に接待を要求したとされる同年一〇月か一一月には乙山は入院中であつたことになり不合理である、さらに証人乙山は同年六月に入院をしたと供述する一方で、同年三月に入院したとも供述しており、膠原病による入院の時期に関する乙山の供述は全く信用できないと指摘する。
なるほど、入院の時期についての乙山の供述が変遷していることは原告が指摘するとおりである。しかし、《証拠略》によれば、乙山は捜査段階では少なくとも調書の上では膠原病による入院につき事情を聴かれておらず、贈賄の状況に比べて重要性の低い入院の時期について、記憶に多少の混乱が生じたのは無理がないと思われる。
したがつて、入院の時期についての供述が変遷していることから、直ちに乙山供述の全体が信用性を失うことにはならない。
(五) プレイボーイの件について
証人乙山は、昭和五〇年二月原告から乙野印刷小石川事業本部の戊田部長を紹介された場所について、六本木のロアビルの中のプレイボーイという店であつたと供述しているところ、《証拠略》によれば、右当時にはプレイボーイという店は存在していないことが認められるから、その部分に関する乙山供述は誤りであつたことになる。
しかし、右の供述で重要なのは「原告から戊田部長を紹介されたこと」であつて、その場所が特に重要な意味を持つわけではないから、プレイボーイが実在しないことから直ちに乙山供述が信用できないことにはならず、まして、このプレイボーイでの件が乙山によるでつち上げである根拠にもなり得ない。
(六) 戊原秋夫の供述について
乙山は、検面調書において、昭和五〇年一二月最初に原告から現金を要求されたとき、当時交通安全対策室に勤務していた戊原秋夫(以下「戊原」という。)に対し事情を打ち明けて相談したと供述しているところ、戊原は原告代理人の事情聴取に対し、そのような事実は全くないと供述している。
しかし、戊原の右供述こそが真実であるとする裏付けはなく、本件全証拠によつても、右乙山の供述を虚偽であると断ずるには至らないというほかはない。原告は、右戊原の供述が真実であることを前提に、一回目の賄賂の授受の件は乙山によるでつち上げであることが明らかになつたと供述するが、右の供述部分は採用することができない。
(七) 原告の昼食時の行動について
乙山は、検面調書において、原告は昭和五〇年から同五二年までの参事官補時代他の職員が食事から戻つてから食事に行くとのリズムをとつていたため、昼時交通安全対策室を訪ねると原告が一人でおり、その際現金の要求を受けた旨供述しているが、原告は、当時交通安全対策室には昼時でも女子職員がおり、原告が一人になることはないと供述している。
本件全証拠によつても、右当時交通安全対策室に勤務していた職員の実際の昼休みの行動については不明であるというほかないが、少なくとも、原告が一人だけになる機会が全くなかつたと認めるに足りる証拠はないから、原告の右供述部分は採用することができない。
(八) 乙山の証言拒否について
証人乙山は、平成二年七月一七日の本件第九回口頭弁論期日において、被告ら代理人から昭和六二年一一月ころの原告に対する現金供与の件につき質問された際、刑事責任を問われるおそれがあることを理由に証言を拒否しているが、その後同三年四月二三日の第一四回口頭弁論期日において、右の事実について証言している。
乙山が証言拒否の態度を変え、右事実について証言することになつた理由としては、右事実については立件していない旨の特捜部の回答書が提出されたことによると理解することができ、証言拒否の態度を変更したことから直ちに乙山の証言が信用できないものということにはならない。
(九) 「逆恨みでつち上げ」について
(1) 原告は、乙山の供述する原告による賄賂の要求や受領の事実はすべて乙山の逆恨みに基づくでつち上げである、すなわち、乙山は、前記第二の三5記載のとおり甲田の仕事の手抜きを厳しく指摘し競争入札制度を導入した原告を恨んでいたところ、昭和六二年秋一方的に原告宅に賄賂を持参したことが同六三年捜査当局に発覚した際、原告に要求されて持つていつた旨の虚偽の事実を述べたため、贈賄行為が一回だけのものではないことを印象づける必要があつて、同五〇年から五二年にかけての件をでつち上げたものであると供述する。
(2) そこで検討するに、《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。
ア 乙山は、昭和六三年五月当時丙川に対する贈賄被疑事件について東京拘置所において特捜部の検察官の取調べを受けていたが、同月二五日取調べに当たつていた山田検事から突然原告と甲田との関係について尋ねられた。
イ 乙山は、自分の不利になることであり、原告にも迷惑が掛かることから、初めは原告に対する現金供与や接待の事実を否認していたが、山田検事は、交通安全対策室の職員らから確度の高い情報を得ている様子で乙山を厳しく追及したため、乙山は、観念をして原告に対する現金供与や接待の事実を供述した。乙山の検面調書は、このような経緯で作成されたものである。
(3) 右認定の事実によれば、乙山が原告を逆恨みして贈賄の事実をでつち上げたとの原告の主張及びこれに沿う原告の供述部分は採用できないというべきである。
(4) 原告は、乙山の検面調書の中に「甲野さんと刺し違えてもよいと思つて……」との供述があることをとらえて、乙山の逆恨みの表れであると主張するが、右の表現はあくまでも真実を述べようとする乙山の決意の固さを表したものと理解することができるから、原告の主張は採用できない。
(一〇) 以上の検討によれば、乙山供述は十分に信用することができる反面、右に反する原告の供述部分は採用することができない。
4 まとめ
以上の次第であるから、前示第二の四3(二)の(2)ないし(9)記載の事実はすべて真実であると認められる。したがつて、被告らの抗弁は理由がある。
第四 結論
よつて、その余の点について判断するまでもなく、本件配信記事の執筆、配信及びこれに基づく本件報道が不法行為を構成することを前提とする原告の被告らに対する本訴請求は、いずれも理由がない。
(裁判長裁判官 石川善則 裁判官 春日通良 裁判官 和久田道雄)