東京地方裁判所 平成3年(ワ)9845号 判決 1994年6月15日
原告
徳栄商事有限会社
右代表者取締役
光瀬臣悟
原告
徳栄地所株式会社
右代表者代表取締役
波木幸枝
原告
光商事有限会社
右代表者取締役
岩本則夫
原告ら訴訟代理人弁護士
平岩敬一
右訴訟復代理人弁護士
山本英二
被告
株式会社太平洋銀行
右代表者代表取締役
井上貞男
右訴訟代理人弁護士
渡邊洋一郎
同
瀬戸英雄
同
篠連
主文
1 被告は、原告徳栄商事有限会社に対し、一億五〇〇〇万円及びこれに対する平成三年八月三日以降支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告徳栄地所株式会社に対し、二億円及びこれに対する平成三年八月三日以降支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告光商事有限会社に対し、二億円及びこれに対する平成三年八月三日以降支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら
主文と同旨の判決及び仮執行の宣言を求める。
二 被告
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決を求める。
第二 当事者の主張
一 原告らの請求の原因
1 原告徳栄商事有限会社(以下「原告徳栄商事」という。)は、昭和六三年九月二〇日、銀行業を営む被告(氷川台支店)に対して、次のとおり金銭を預け入れて、被告との間において、市場金利連動型の各定期預金契約(これらの預金契約又は預金を以下「本件預金①」ないし「本件預金③」という。)を締結した。
金額 口座番号 満期日
① 五〇〇〇 五二七八三 平成元年
万円 九七〇七三 三月二〇日
② 同右 五二七八三 同右
九七〇八四
③ 同右 五二七八三 同右
九七〇九五
2 原告徳栄地所株式会社(以下「原告徳栄地所」という。)は、昭和六三年一一月一日、被告(氷川台支店)に対して、次のとおり金銭を預け入れて、被告との間において、市場金利連動型の各定期預金契約(これらの預金契約又は預金を以下「本件預金④」ないし「本件預金⑦」という。)を締結した。
金額 口座番号 満期日
④ 五〇〇〇 五二七八三 平成元年
万円 九七一二六 二月一日
⑤ 同右 五二七八三 同右
九七一三七
⑥ 同右 五二七八三 同右
九七一四八
⑦ 同右 五二七八三 同右
九七一五九
3 原告光商事有限会社(以下「原告光商事」という。)は、次の⑧及び⑨については昭和六三年九月二二日に、⑩及び⑪については同年一一月一日に、被告(氷川台支店)に対して、次のとおり金銭を預け入れて、被告との間において、市場金利連動型の各定期預金契約(これらの預金契約又は預金を以下「本件預金⑧」ないし「本件預金⑪」といい、本件預金①ないし⑪を併せて「本件各預金」という。)を締結した。
金額 口座番号 満期日
⑧ 五〇〇〇 五二四七七 平成元年
万円 七二一九三 三月二二日
⑨ 同右 五二四七七 同右
七二二〇二
⑩ 同右 五二四七七 平成元年
七二二三五 二月一日
⑪ 同右 五二四七七 同右
七二二四六
4 よって、原告らは、それぞれ、被告に対して、本件各預金中各原告を預金者とする各預金の元本及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である平成三年八月三日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。
二 請求原因事実に対する被告の認否
請求原因1ないし3の事実は、否認する。
本件各預金の預金者は、被告氷川台支店の大口取引先であった訴外東洋通商株式会社の代表取締役である訴外下田亮一(以下「訴外下田」という。)又は訴外下田が経営ないし支配している法人又は個人(以下「下田グループ」という。)である。
すなわち、訴外下田又は下田グループは、本件各預金の前後を通じ、被告の依頼に応じて多数回にわたって被告にいわゆる協力預金をしていたが、本件各預金もその一環としての協力預金であって、訴外下田又は下田グループが原告らの実質的な経営者である訴外波木堯雄(以下「訴外波木」という。)から月二分の割合による利息を支払って借り入れた資金を原資として被告に預け入れたものであり、その預入れ及び払戻しについては、訴外下田から銀行取引の一切を任されていた訴外梶野義幸(以下「訴外梶野」という。)が当たったものである。本件各預金の預入人が原告らの名義とされたのは、本件各預金の預金通帳を訴外波木に差し入れて、借入金の担保とするためである。
三 被告の抗弁
1 仮に本件各預金の預金者が原告らであるとしても、被告は、以下のとおり、債権の準占有者たる訴外下田又は下田グループに対して本件預金を払い戻したから、これによって本件各預金の預金債権は消滅した。
(一) 本件各預金は、前記のとおり、訴外下田又は下田グループの協力預金としてされたものであって、その預入手続も、訴外下田及び下田グループの銀行取引の一切を任されていた訴外梶野が当たっていたところから、被告(担当者)は、本件各預金がいずれも訴外下田又は下田グループの他人名義の預金であると信じていた。
(二) そして、訴外梶野は、訴外下田又は下田グループの使者又は代理人として被告に本件各預金の払戻しを求めたので、被告は、払戻請求書に押捺された印影と届出印の印影とを照合した上で、次のとおり、預金通帳の提示を伴わない便宜払いの方法によって本件各預金を訴外梶野に払い戻した(本件各預金のような通帳式の定期預金にあっては、預金通帳の提示を求めるのは、本人確認のための一手段であって、払戻しの絶対的な要件ではなく、後日に預金通帳の提示を求めるのは、払戻しを記帳をするためにすぎない。)。仮に本件各預金の払戻請求書に押捺された印影が偽造されたものであったとしても、その印影と届出印の印影とを肉眼で照合すれば、同一印鑑によって押捺されたものと認められるものであったから、被告において印鑑照合に過失はなかった。
預金名 払戻年月日
(1) 本件預金① 昭和六三年九月二六日
(2) 本件預金② 同右
(3) 本件預金③ 昭和六三年九月二七日
(4) 本件預金④ 昭和六三年一一月四日
(5) 本件預金⑤ 同右
(6) 本件預金⑥ 昭和六三年一一月一日
(7) 本件預金⑦ 同右
(8) 本件預金⑧ 昭和六三年九月二六日
(9) 本件預金⑨ 同右
(10) 本件預金⑩ 昭和六三年一一月四日
(11) 本件預金⑪ 同右
2 仮に右抗弁が理由がないとしても、原告らは、被告がした本件各預金の払戻しによって実質的に利益を受けているから、右払戻しは、民法四七九条の規定の適用又は類推適用によって、有効であるものというべきであるから、これによって本件各預金の預金債権は消滅した。
(一) 原告ら及び訴外大幸産業有限会社(以下「訴外大幸産業」という。)は、いずれも訴外有限会社波木商事(以下「訴外波木商事」という。)を中核とする高利の金融業者グループ(以下「波木グループ」という。)を構成する企業であって、実質的にはいずれも訴外波木が経営する個人企業であり、訴外小島国勝(以下「訴外小島」という。)は、原告徳栄地所の元従業員であった者であって、波木グループの一員である。
(二) 本件預金①、②、⑧及び⑨については、その払戻金を原資として被告から訴外小島に対し預金小切手二億円が発行され、本件預金④、⑤、⑩及び⑪については、そもそも訴外大幸産業の定期預金の名義を書き替えたものであるところ、その払戻金を原資として被告から訴外大幸産業に対して預金小切手二億円が発行されている。
したがって、原告らは、被告がした本件各預金の払戻しによって実質的に利益を受けているというべきである。
四 抗弁事実に対する原告らの認否
1 抗弁1(一)の事実のうち、本件各預金が訴外下田又は下田グループの協力預金としてされた事実は知らず、その余の事実は否認する。
本件各預金は、いずれも原告らの使者である訴外安田純誠(以下「訴外安田」という。)が訴外梶野とともに自ら現金、届出印及び社判を携えて被告氷川台支店に赴き、支店長訴外米田明(以下「訴外米田」という。)らの面前で預金申込書に押印してこれを作成するなど所要の手続をした上、届出印、社判及び預金通帳を持ち帰って、原告らがその管理をしていたものである。そして、訴外安田又は梶野は、右預入れの際、本件各預金の出捐者ないし預金者が訴外下田又は下田グループであるとか、訴外安田が下田グループの従業員であるとかを言明したようなことはないし、被告は、預金申込書の原告らの住所地の記載から、原告らがそこで現に営業活動をしており、訴外下田又は下田グループとは関係がなく、本件各預金の出捐者又は預金者が原告らであることを知り又は容易に知ることができたものである。
抗弁1(二)の事実のうち、被告が本件各預金を便宜払いの方法によって払い戻したことは認めるが、その余の事実は争う。
本件各預金の払戻しは、訴外梶野が原告らの作成名義の払戻請求書を偽造してしたものである。そして、本件各預金の払戻しは期限前払戻しであり、かつ、預金通帳の提示を伴わない便宜払いの方法によってされたものであるから、被告は、預金者の確認について、特に高度の注意義務を負うものというべきであるところ、右払戻請求書に押捺された印影は、一般人が肉眼で見ても届出印とは異なることが明らかなものであり、訴外梶野は、本件各預金の払戻請求をする前にも、訴外下田又は下田グループ以外の名義人の定期預金について、預金通帳又は証書を紛失したとして被告氷川台支店から便宜払いの方法によって払戻しを受けており、本件各預金の払戻しについては、短期間に多額の預金の期限前払戻しを繰り返しているのであるから、被告担当者は、本件各預金の払戻しについて重大な過失があるばかりか、本件各預金の預金者が原告らであることを知りながら、訴外下田又は訴外梶野と共謀して、訴外下田の営業資金を捻出するために、便宜払いの方法によって本件各預金の払戻しを行ったことさえ窺われる。
2 抗弁2(一)の事実のうち、原告らが訴外波木が経営する個人企業であること及び訴外小島が原告徳栄地所の元従業員であったことは認め、その余の事実は争う。
抗弁2(二)の事実は、争う。
第三 証拠関係
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載とおりであるから、これを引用する。
理由
第一 本件各預金の預金契約の成否及び預金者について
一 先に摘示した当事者間に争いがない事実に甲第一号証ないし甲第四号証、甲第一三号証、甲第一四号証、甲第二〇号証、甲第三三号証、乙第一号証の一ないし三、乙第三号証の三及び四、乙第五号証の一及び二、乙第八号証、乙第九号証、乙第一〇号証の一及び二、乙第一五号証ないし乙第一七号証、乙第二一号証、乙第二二号証、乙第二四号証の一及び二、乙第二五号証の一及び二、乙第二六号証、乙第二七号証、乙第三六号証の一ないし四、乙第四三号証、乙第四四号証、乙第四六号証ないし乙第四八号証、乙第五一号証ないし乙第五三号証、乙第五七号証、証人梶野義幸、同安田純誠、同田中一政及び同宮崎修一の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実を認めることができる。
1 原告ら及び訴外大幸産業は、いずれも訴外波木が経営する訴外波木商事を中心とした波木グループと呼ばれる金融業者グループを構成する企業であり、訴外小島は、原告徳栄地所の従業員であったが、昭和六〇年頃に訴外橋本勉(以下「訴外橋本」という。)らとともに、波木グループから独立して訴外株式会社フェロー及び訴外株式会社バンガードを相次いで設立し、訴外株式会社フェローの代表取締役及び訴外株式会社バンガードの取締役に就任していたものである。
他方、訴外下田は、訴外東洋通商株式会社、訴外日資興産株式会社等の下田グループと呼ばれる企業を経営していた者であるが、訴外下田及び下田グループは、かねてから、地上げ等の不動産事業を営むについて、波木グループから必要資金の融資を受けるなどして、波木グループと取引関係にあった。
2 訴外下田は、昭和五三年頃以降、被告氷川台支店と金融取引を開始し、その後、大島支店及び恵比寿支店とも取引関係を持つに至ったが、この間、被告から再三にわたって協力預金の依頼を受け、被告との有利な取引上の地位や信用を確保するために、右各支店で下田グループに属する企業又は個人名義で多数回にわたって被告にいわゆる協力預金をし、また、手元に協力預金の資金がないときには、訴外波木、訴外小島、訴外橋本等に依頼して、波木グループに属する企業又は個人名義の預金をして貰うなどして、被告からの要請に応えていた。
そして、訴外日資興産株式会社の従業員であった訴外梶野は、訴外下田の命を受けて下田グループのこれらの銀行取引の事務の一切を担当するようになり、頻繁に被告氷川台支店を訪ねていた。
3 訴外下田は、昭和六三年秋頃にも、被告氷川台支店から協力預金の要請を受け、手元に資金がなかったので、訴外波木に対して、波木グループ名義で被告に協力預金をすることを依頼したが、訴外波木は、これに応じることにして、同年九月二〇日、同月二二日及び同年一一月一日、訴外波木商事の経理担当者である訴外安田に現金又は預金小切手、原告らの届出印及び社判を携えさせて、被告氷川台支店に赴かせた。
そして、訴外梶野は、そのいずれの際にも、訴外安田とともに被告氷川台支店に赴いて、訴外安田が支店長訴外米田、支店次長訴外宮崎修一(以下「訴外宮崎」という。)らの面前において原告らのうちのいずれかを名義人として預金申込書を作成し届出印及び社判を押捺するなどの預入手続を行うのに同席し、このようにして、原告らの請求の原因1ないし3のとおりの額及び約定による本件各預金の預入れがされた。
訴外安田は、このようにして預入手続を終えると、そのまま預金通帳、届出印及び社判を持ち帰るのを常とし、その後も、これらの預金通帳、届出印及び社判は専ら原告らにおいて保管し、その管理が訴外下田又は訴外梶野に委ねられたようなことはなかった。
そして、訴外梶野は、右各預入れに際しては、訴外米田又は訴外宮崎に対して、あたかも原告らが下田グループに属する企業であるかのような言動を執ったことはあり、また、訴外米田又は訴外宮崎は、これらの経緯に照らして、原告らが下田グループに属する企業であるものと受け止めていた。
4 訴外下田は、本件各預金を含めて、訴外波木に依頼して被告への協力預金をして貰ったときには、訴外波木に対して、預金額に対する月二分の割合による金銭を支払っていたが、本件各預金の原資相当額について訴外下田と訴外波木又は原告らとの間において消費貸借契約証書が作成されたり、訴外下田が訴外波木又は原告らに対して担保を提供したようなことはなかった。
二 以上の認定事実によれば、確かに、本件各預金は、被告が訴外下田に依頼した協力預金の一環として行われたものであり、また、訴外梶野は、本件各預金の預入れに際して、常に訴外安田とともに被告氷川台支店に赴いて訴外安田が預入手続を行うのに同席していたのであるけれども、被告の協力預金の要請に応じることによって被告との有利な取引上の地位や信用を確保するためには、他の預金者を紹介することによって被告の預金獲得に寄与することでも足り、必ずしも自らが預金者となる必要はないのであって、本件各預金が協力預金の一環であるからといって直ちにその預金者が訴外下田又は下田グループでなければならないことにはならない。
そして、本件各預金の原資相当額について訴外下田と訴外波木又は原告らとの間において消費貸借契約証書が作成されたり、訴外下田が訴外波木又は原告らに対して担保を提供したようなことはなく、また、本件各預金にかかる預金通帳、届出印及び社判は専ら原告らにおいて保管していて、その管理が訴外下田又は訴外梶野に委ねられたようなことはなかったのであるから、訴外下田又は下田グループが訴外波木又は原告らから金銭を借り受けこれを原資として本件各預金の預入れをしたというには足りないものというべきであり、訴外下田が訴外波木に支払っていた預金額に対する月二分の割合による金銭も、結局、訴外波木に協力預金をして貰ったことに対する謝礼金にほかならないものというべきであるから、結局、本件各預金の出捐者は、原告らであるものと解するのが相当である。
また、訴外梶野は、本件各預金の預入れに際し、被告(担当者)に対して、あたかも原告らが下田グループに属する企業であるかのような言動を執り、被告も、そのように受け止めていたことは、先に認定したとおりであるけれども、被告がこの点について誤認していたとしても、それは本件各預金の預金者が誰であるかの認定にとって重要ではないのであって、被告は、原告らが単に訴外下田又は下田グループの預金名義上の架空名義ないし符牒にすぎないものではなく実在の会社であることを認識した上で、本件各預金についての預金契約を締結したのであるから、ここでも本件各預金の預金者が訴外下田又は下田グループであるものと解する余地はない。
したがって、本件各預金についての預金契約は、原告らを出捐者とし、訴外梶野又は訴外安田を原告らの使者又は代理人として締結されたものであって、その預金者は原告らであるものと解するのが相当である。
第二 被告の免責の抗弁について
一 そこで、被告の抗弁について検討する。
先ず、原告らは、被告提出にかかる乙第二号証の一ないし三(定期預金払戻請求書)、乙第三号証の一及び二(市場金利連動型預金申込書)、乙第四号証の一ないし四(定期預金払戻請求書)、乙第五号証の三及び四の各一及び二(市場金利連動型預金申込書)、乙第六号証の一ないし四(定期預金払戻請求書)、乙第一八号証の一ないし四(定期預金払戻請求書)、乙第一九号証の一ないし四(市場金利連動型預金入金票)の原告ら又は訴外大幸産業の作成名義部分について、その成立を争うので、この点について判断する。
証人梶野義幸は、乙第二号証の一ないし三、乙第四号証の一ないし四及び乙第六号証の一ないし四について、訴外梶野が被告氷川台支店から入手した預金申込書の写し又は手元にあった協力預金に関する管理台帳に押捺されていた原告らの届出印及び社判の印影を元に市販のスタンプ作成機械「スタンプランド」を用いて原告らの届出印及び社判を偽造し、これを予め入手していた定期預金払戻請求書に押捺して作成したものである旨を証言するところ、これらの印影と成立に争いのない甲第一号証、甲第三号証、乙第一号証の一ないし三、乙第三号証の三及び四、乙第五号証の一及び二、乙第一五号証ないし乙第一七号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第二七号証及び甲第二八号証に押捺された原告らの届出印及び社判の印影とを対照すると、乙第二号証の一ないし三に押捺された原告徳栄商事の届出印及び社判の印影はいずれも届出印の「商」並びに社判の「有」及び「限」の各字の同一箇所が欠け、乙第四号証の一ないし四に押捺された原告徳栄地所の届出印及び社判の印影はいずれも届出印の「社」及び社判の「取」の各字の同一箇所が欠け、乙第六号証の一ないし四に押捺された原告光商事の届出印及び社判の印影はいずれも届出印の「商」並びに社判の「港」及び「大」の各字の同一箇所が欠けているなどの点において、原告らの正規の届出印及び社判による印影とは相違しており、また、乙第四号証の一ないし四並びに乙第六号証の三及び四については、証認の印刷が欠けており、通常の機械処理がされていないことが認められるのであって、証人梶野義幸の右証言にそうものである。また、乙第三号証の一及び二、乙第五号証の三及び四の各一及び二並びに乙第一九号証の一ないし四に押捺された原告らの届出印及び社判の印影についても、右と同様の欠損箇所がみられる上、乙第三号証の一及び二については、同時に作成されたはずである乙第三号証の三及び四とは印刷時期の異なる用紙が使用され、かつ、朱肉の色も異にしていることが認められる。
さらに、乙第一八号証の一ないし四に押捺された訴外大幸産業の届出印及び社判の印影を成立に争いのない乙第三六号証の一ないし四に押捺された訴外大幸産業の届出印及び社判の印影と対照すると、いずれも訴外大幸産業の届出印の「限」及び社判の「取」の各字の同一箇所が欠け、社判の「4」の字がいずれも小さいなどの相違があることが認められる。
以上によれば、冒頭掲記の各書証については、いずれも原告ら又は訴外大幸産業の意思に基づき作成されたものであることを認めるには足りないものというべきである。
二 そして、先に摘示した当事者間に争いがない事実及び前項の認定事実に甲第五号証、甲第六号証及び甲第七号証の各一及び二、甲第九号証、甲第一二号証の一ないし三、甲第一四号証ないし甲第一八号証、甲第二〇号証、甲第二一号証、甲第三三号証、乙第二号証の一ないし三、乙第四号証の一ないし四及び乙第六号証の一ないし四(これらの乙号各証が各作成名義人の意思に基づいて作成されたものと認めるには足りないことは、先に説示したとおりである。)、乙第九号証、乙第二〇号証、乙第二一号証、乙第三八号証、乙第四三号証、乙第四四号証、証人梶野義幸、同安田純誠、同田中一政及び同宮崎修一の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件各預金の払戻しの経緯等について、次のような事実を認めることができる。
1 訴外下田は、従前は、自らの出捐をもってした被告への協力預金を払い戻す場合には、自ら又は訴外梶野を通じて被告に事前にその連絡を入れた後、訴外梶野に払戻手続を行わせていたが、訴外波木に依頼してした協力預金の払戻しについては、訴外波木からの連絡を受けて、訴外下田又は訴外梶野において被告に事前に連絡を入れた後、訴外波木の担当者が訴外梶野とともに預金通帳及び届出印を持って被告支店に赴いて手続を行った上で、現金を持ち帰るなどしていた。
2 ところが、訴外下田は、昭和六三年秋頃以降、営業資金の資金繰りに窮するようになって、訴外波木に依頼してした協力預金を無断で払い戻し、これを一時的に営業資金に流用しようと企てて、その実行を訴外梶野に指示した。訴外梶野は、被告氷川台支店から入手した預金申込書の写し又は手元にあった協力預金に関する管理台帳に押捺されていた届出印及び社判の印影を元にして市販のスタンプ作成機械「スタンプランド」で預金名義人の届出印及び社判を偽造し、これを予め入手していた払戻請求書に押捺した上で、単独で被告氷川合支店へ赴き、本件各預金について、被告主張のとおりの年月日に、預金通帳を提示することなく、いわゆる便宜払いの方法によっての払戻しを求めた。
訴外梶野は、その際、担当者の訴外宮崎に対して、預金通帳を提示することができない理由として、訴外下田が預金通帳を海外に持って行っており、一週間以内には持参することができるとか、訴外下田が海外から持って帰るのを忘れたなどと告げ、また、早急に払戻しを受ける必要性として、当座預金が足りず手形の不渡りが出るとか、不動産取引に関して緊急な手付金が必要となったなどと述べるなどした。訴外宮崎は、最初の払戻請求に際して、被告本部の事務指導室に預金通帳の提示なくして払い戻してよいか否かを問い合わせ、印鑑照合をした上で払い戻してもよい旨の回答を得、本件各預金について、順次印鑑照合をしただけで、訴外梶野に払い戻した。
なお、訴外梶野は、その後、被告氷川台支店からの再三の督促にかかわらず、本件各預金の預金通帳を持参しなかった。
訴外梶野は、以上のほか、訴外下田の指示を受けて、右同様の方法で、昭和六三年一一月三〇日に訴外株式会社バンガードの取締役である訴外高畑敏克名義の預金二口を、また、平成元年一月二三日に訴外橋本名義の預金を、それぞれ便宜払いの方法で払い戻した。
3 訴外下田は、平成二年秋頃、訴外波木から本件各預金を払い戻したい旨の連絡を受け、直ちにこれを補填することができなかったために、結局、訴外波木に対して、訴外梶野が使い込んだとして、これまでの無断払戻しの事実を打ち明けた。訴外波木は、平成二年一〇月一一日、未だ払い戻されていなかった原告徳栄商事名義の預金及び原告光商事名義の預金の払戻しを受けたが、その後、下田グループに属する企業が順次倒産したため、訴外下田から本件各預金を無断で払い戻したことによる損害の補填を受けることができなかった。
4 被告の内規においては、定期預金の中途解約は、預金通帳(又は証書)及び届出印の持参人が真の預金権利者であることを確認した後に払戻しに応じることとされ、とりわけ、定期預金作成日直後に解約申出があった場合、金額が多額で使途との関係等に納得がいかない場合、解約事由に腑に落ちない点がある場合などには、相当の注意を払うべきものとされ、さらに、通帳式定期預金について顧客から預金通帳の紛失の届出があった場合には、通帳紛失届出を徴するとともに、原則として満期日経過後一か月以上の支払停止期間をおき、役席の承認を得て無証書通帳払戻領収証の提出を受けて払い戻すこととされ、また、預金通帳の再発行は原則として行わず、再発行した預金通帳にかかる定期預金の中途解約は原則として認めないものとされている。
三 ところで、甲第四〇号証の四、乙第三八号証及び弁論の全趣旨によれば、本件各預金については、預金契約の締結に際して、期限前払戻しの場合における具体的な約定が契約当事者の合意により確定されていることが認められるから、被告が本件各預金の払戻しに際して訴外梶野に払戻権限があるものと信じ、かつ、このことに過失がなかったときには、民法四七八条の規定の適用をみるものと解することができるものの、定期預金の払戻しを求めた者が右債権の準占有者であるというためには、原則として、その者が預金通帳及び届出印を所持することを要するのであって、本件のように払戻請求者が預金通帳を所持しないような場合には、特に銀行側にその者を預金者であると信じさせるような客観的事情があって、それが預金通帳の所持と同程度の確実さを持ってその者に預金が帰属することを推測させるものであるときに限り、その者を預金債権の準占有者ということができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、本件各預金については、預入当日ないし一週間後に預金通帳の提示を伴わない期限前払戻しが行われたり、その後改めて預金通帳が提示されることもないままに、短期間に期限前払戻しが繰り返されているものであり、また、訴外梶野が預金通帳を提示することができない理由又は早急に払戻しを受ける必要性として被告担当者に告げたところは、著しく不自然又は不合理なものであったり、訴外下田又は下田グループが資金繰りに困窮していることを窺わせるものであったのであるから、被告担当者としては、原告らが下田グループに属する企業であると誤信していたとしても、訴外梶野が本件各預金の払戻しについて権限を有していないのではないかに疑問を呈することが十分に可能であったものというべきである。そして、被告担当者は、右のような状況にあったにもかかわらず、なんら原告らに対して確認をする措置を採ることもなく、印鑑照合の結果のみに基づき、一部の行員が訴外梶野の一連の無断払戻しに協力していたものと疑われてもやむを得ない程の杜撰な事務処理によって安易に払戻請求に応じたものであって、これをもって被告に訴外下田を預金者であると信じさせるような客観的事情があり、それが預金通帳の所持と同程度の確実さを持ってその者に預金が帰属することを推測させるものとは到底いい難く、訴外下田又は下田グループ、ひいては訴外梶野を預金債権の準占有者であったものということはできないし、また、被告担当者のした本件各預金の払戻しには少なくとも過失があるものというほかない。
したがって、債権の準占有者に対する払戻しをいう被告の抗弁は、失当として排斥を免れない。
四 次に、被告は、本件預金①、②、⑧及び⑨については、その払戻金を原資として被告から訴外小島に対し預金小切手二億円が発行され、本件預金④、⑤、⑩及び⑪については、そもそも訴外大幸産業の定期預金の名義を書き替えたものであるところ、その払戻金を原資として被告から訴外大幸産業に対し預金小切手二億円が発行されるなどして、原告らは、被告がした本件各預金の払戻しによって実質的に利益を受けているのであるから、被告のした右預金の払戻しは、民法四七九条の規定の適用又は類推適用によって、有効であると主張する。
しかしながら、原告ら、訴外大幸産業及び訴外小島が訴外波木が経営する訴外波木商事を中心とした波木グループと呼ばれる金融業者グループを構成する企業又はその関係者であるからといって、それだけでは直ちにこれらを同一主体とみなして右法条の適用又は類推適用の前提とすることはできないものというべきであるし、先に説示したとおり乙第一八号証の一ないし四(訴外大幸産業作成名義の定期預金払戻請求書)及び乙第一九号証の一ないし四(原告徳栄地所又は原告光商事作成名義の市場金利連動型預金入金票)がいずれもその作成名義人の意思に基づいて作成されたものと認めるには足りないこと及び証人橋本勉の証言に照らすと、被告の主張するような金銭の流れがあったものとすること又はそれが原告ら、訴外大幸産業又は訴外小島の意思に基づくものであるとすることには疑いが残るところであって、直ちに被告の右主張を肯認することはできない。
第三 結論
以上のとおりであって、原告らの本訴請求はいずれも理由がある(本訴訴状が平成三年八月二日に被告に送達されたことは本件記録上明らかである。)から、これを認容することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、仮執行の宣言については同法一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官村上敬一 裁判官中山顕裕 裁判官畑一郎は、転補のため、署名、押印することができない。裁判長裁判官村上敬一)