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東京地方裁判所 平成3年(特わ)1635号 判決 1992年9月03日

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  法定の除外事由がないのに、平成三年五月上旬ころから同月一八日までの間に、東京都内、埼玉県内又は千葉県内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に摂取し、もつて、覚せい剤を使用し

第二  公安委員会の運転免許を受けないで、同年四月二五日午前一時一四分ころ、埼玉県富士見市《番地略》付近道路において、普通乗用自動車を運転し

たものである。

(証拠の標目)《略》

(判示第一の罪について有罪を認定した理由)

被告人は、職務質問を受けた際、警察官から暴行を加えられたなどと供述し、弁護人も、被告人の逮捕手続きに先立つて行われた職務質問や所持品検査は、政府が注射器の販売自粛を薬局に指導しているにもかかわらず、捜査当局がその販売を奨励し、いわば「おとり類似の捜査」を実施して覚せい剤自己使用の幇助行為に加担した状況の下でなされたものであるから、その要件を欠くばかりか、警察官において、被告人が、現場から弁護人に電話しようとしたのを妨害した上、許容される有形力行使の限界を逸脱した暴行を加えたり、着衣の強制的な捜索を行つたなどの違法性が認められ、被告人の現行犯逮捕も要件を欠き違法であり、また、その後の強制採尿も、被告人の腕に注射痕がないのに、これを偽つて令状請求に及んだ点などにおいて違法であつて、結局、以上の違法な手続きに従つて収集された被告人の尿の鑑定書などの証拠には証拠能力を認めることはできない、旨主張する。

当裁判所は、本件における職務質問や被告人の身柄の拘束には違法が存するものと認めるが、本件の捜査過程において収集された被告人の尿の鑑定書などの証拠能力を排除するほどの瑕疵があつたものとまでは評価できないものと判断する。以下に検討することとする。

一  現行犯逮捕に至る状況

1  被告人の供述の要旨

被告人は、当公判廷において、大略次のとおり供述する。

被告人は、平成三年五月一八日(土曜日)夜、Bの運転する普通乗用自動車の助手席に同乗し、東京都板橋区《番地略》先道路に差しかかつた際、後続のパトカーからマイクで停止を命じられたため、同車は道路左側に停車した。被告人は、警察官から「今、そこの薬局に寄りましたか。」、「注射器はどうした。」などと職務質問を受け、意味が分からなかつたので停車を命じられた理由などを警察官に質したが、説明を得られず、さらに、警察官から、所持品の呈示を求められたので、助手席に座つたままで胸のポケットとジーパンの前ポケットから所持金や鍵などを取り出して見せたが、なおも警察官が、執拗に降車するように要求するので、いつたん車から降り、衣服のポケットの中に何も持つていないことを明らかにした後、助手席に乗り込んだところ、警察官は、体で車のドアが閉まらないようにしながら、さらに、「靴の中を見せろ。」、「車の中に何かあるんじやないか。」などと言い、一人が被告人の右肩を抱き、もう一人が被告人の左肩付近を引つ張つて無理やり車から引きずり出された。

そこで、被告人は、容疑がはつきりと説明されないにもかかわらず、このような措置を受けたので、以前に刑事事件の弁護を受けた弁護士(本件の弁護人)に電話連絡をとることを思いたち、付近の路上に公衆電話があつたので、「弁護士に電話をさせてくれ。」と警察官に告げたところ、警察官の一人が被告人のジーパンの後ろのベルトを握り、他の一人が後ろから被告人の腕を押さえて動くのを制止した。しかしながら、被告人が通行人に聞こえるように大声で騒いだので、電話機まで行くことができたものの、弁護士の電話番号を調べるために、Bの娘の経営するマージャン店に待たせてあつた者に電話しようとして、三回にわたり、同店の電話番号をプッシュホンで押したが、もう一人の警察官にその度に切られてしまつて通話することもできなかつた。

その後、被告人は、脇畑稔巡査部長から、「一人であれば話しやすいだろう。」などと言われて、横道のほうに連れていかれたが、同巡査部長は、被告人の容疑を質す質問には答えず、被告人に対し、いきなり「ズボンを脱げ。」と言つたので、被告人はこれを拒否して、自動車の方に戻ろうとしたところ、後をついてきていた他の二人の警察官が、被告人の両腕を片方ずつ背後に引つ張り上げて被告人をその場に座り込ませ、被告人の後頭部付近を肘で殴打し、脇腹や腰部付近を足蹴りするなどの暴行を繰り返し、その際、靴やシャツの中、ズボンのチャックをあけて下着の中まで調べられた。それから、被告人は、そのままの状態で警察官からひきずられるようにして元の現場の方に連行されたが、その間、警察官らは、被告人に対し、暴行を加え続け、特に、横道の角にあるラーメン店「甲野」の正面出入口前歩道上では、蹴られたりする暴行を受けた。

被告人は、元の現場に連行された後、警察官にパトカーの中に強制的に押し込まれ、Bの自動車内から覚せい剤が発見された旨教えられて、二度、パトカーから降ろされて確認させられたが、「自分のものでない。」などと言つて弁解し、発見された覚せい剤の予試験にも立ち会わなかつたところ、何の容疑かわからないままに、警察署に連行されてしまつた。

なお、被告人は、警察官から受けた一連の暴行により、体中にむくみや痛みを感じているような状態であつたが、特に、右手の親指の付け根から手首にかけて一部青く腫れあがり、後ろ首や左腰から右腰にかけたあたりにも腫れが感じられ、それら付近の痛みは特にひどかつたので、留置係の警察官に強く頼んで、当日の内に病院に連れていつてもらつた。

2  警察官の証言の要旨

証人脇畑稔は、当公判廷において、大略次のとおり供述する。

警視庁第二自動車警ら隊に所属する脇畑巡査部長らは、東京都板橋区《番地略》所在の乙山薬局に暴力団員や覚せい剤の常習者が注射器具を購入するために出入りするとの情報を予め入手していたため、当日午後六時半ころから、パトカー二台(警視五〇一号に脇畑巡査部長と山田巡査部長、警視五〇八号に和泉巡査と鹿間巡査と石塚巡査が、それぞれ同乗)と捜査用車両一台(松本巡査長運転)でその周辺を重点的に警らしていた。脇畑巡査部長は、午後八時三七、八分ころ、乙山薬局を張り込んでいた松本巡査部長から、所沢ナンバーの白い車の助手席から一見工員風の男が乙山薬局に入り、その後再び乗車して発車した旨の連絡を受けたため、職務質問を実施すべく、白い車の向かつた方向にパトカーを走らせ、丁度信号待ちをしている当該車両を前方に発見し、近づいたところ、青信号に変るや同車が急発進したので、ますます不審感を深め、同車を追尾しマイクで停車するように呼びかけたが、同車は停止しようとせず、結局、旧中仙道に入る手前で先行車両が止まつていたために同車もようやく停止したので、山田巡査部長が同車を運転していたBに道路左側に停車させるよう指示して従わせた。

警視五〇一号もその後に停車し、午後八時四〇分ころ、山田巡査部長がBを、脇畑巡査部長が被告人にそれぞれ職務質問を開始したところ、被告人は、自分の氏名を「A」と名乗つたために、それまでに現場に到着した警視五〇八号の鹿間巡査に前歴照会を依頼するも、その犯罪歴は判明しなかつたが、Bには薬物使用の前歴のあることがまもなく判明した。脇畑巡査部長は、被告人に対し、所持品を呈示するように何度も求めたが、被告人は、これに応じようとせず、いつたん車外に出て付近の自動販売機で飲料物を購入した後、助手席に乗り込み、Bに対し、「警察なんかに協力すんじやねえよ。帰るぞ。」と怒鳴り、なおも、脇畑巡査部長が、所持品の呈示を求めると、被告人は、「弁護士に電話をかけさせてくれ。」と言つて自ら車外に出て付近の公衆電話でしばらく電話をしていたが、その際、警察官が電話を切つたり妨害したりしたことはなかつた。

脇畑巡査部長は、電話をかけ終わつて車に戻ろうとする被告人に対し、なおも所持品の呈示を求めたところ、被告人は、下坂橋方面に通ずる横道の方向に向かい、横道の角にあるラーメン店「甲野」のあたりで、同巡査部長に対し、「じや、警察官の一人だけだつたら話す。」といつたん言つたものの、結局、「関係ないよ。俺は帰る。」という言葉を吐きながら、Bの自動車の停車位置からみると四〇メートル近く離れている丙川質店の前あたりまで行つて立ち去ろうとしたので、同巡査部長と応援にきた鹿間巡査、石塚巡査は、ともにこれを制止したが、その際、警察官らは、被告人の体に触れたことがあつた。警察官らは、説得しながら、被告人を元の現場の方に連れていこうとしたが、その間、被告人が仰向けに道路上に寝ころび、通行人に、「警察官が暴力を振るつてる。見てみろ。」などと声を出したので、脇畑巡査部長が被告人の背後からその腰まわりに手をまわして起き上がらせようとしたことがあつた。また、被告人は、ラーメン店「甲野」の出入口あたりで、自ら座り込んで動こうとしなくなつたが、丁度そのころ(職務質問開始時から約五分経過したころ)、和泉巡査から覚せい剤らしきものが発見された旨の連絡が入つたので、被告人を説得して立たせ、Bの自動車のところまで連れてゆき、発見された覚せい剤二袋をみせたが、被告人は、「関係ない。俺の車じやないから。」などと弁解した。

その後、覚せい剤の予試験を実施するため、板橋警察署の保安係の出動要請をなし、二、三分後に到着した熊谷巡査部長がこれを実施したところ、青藍色を示したので、既にパトカーに乗り込んでいた被告人に降車を求めてその結果を確認させ、なおも、前同様に弁解し、現場を立ち去ろうとした被告人に対し、午後九時六分ころ、覚せい剤の共同所持で現行犯逮捕する旨告げて逮捕した。

3  信用性の検討

以上によれば、被告人は、職務質問の機会に警察官から度重なる執拗な暴行を受け、弁護人に電話することも妨害されたあげく、屈辱的な着衣の捜索を受け、理由も明らかにされないまま違法に身柄を拘束されて警察署に連行された旨供述するのに対し、警察官は、職務質問や所持品検査に素直に応じない被告人に対し、あくまで説得に必要な限度で権限を行使したにすぎず、被告人の体に触れたのも、職務質問や所持品検査の必要性・緊急性の認められる状況下で相当な措置であつた旨証言し、鋭く対立している。

ところで、その信用性を検討するにあたつては、客観的に認められる以下のような事実関係をまず重視し、さらには、前記供述部分以外の供述部分の合理性などを併せて考慮すべきである。

(一) 第三者の目撃証言

Cは、ラーメン店「甲野」の経営者であるが同人は、当公判廷において、当日午後八時四〇分ころ、店のカウンター内から外の歩道を見ると、店の出入口あたりで、店を背にしてジーパンを履いた男が足を投げ出して座り込み、三人の警察官が何かを言いながらその男の両腕をつかまえて抱え上げようとしていた、男は、これに対し多少嫌がる素振りを示していたが、約一、二分程度で警察官は男を引き上げて連れていつた旨証言する。

同人は、本件に利害関係を有しない第三者であつて、その証言内容にも信用性に疑いを差し挟むところは見受けられず、前記証言は信用できるところ、被告人が、ラーメン店「甲野」の正面出入口前歩道上で警察官から足蹴りする暴行を加えられた旨供述する部分は、明らかにこれに反し、信用することができない。

(二) 被告人の病院での受診状況

診療録の写し(弁護人請求番号4)及び証人Dに対する当裁判所の尋問調書を総合すると、被告人は、覚せい剤の共同所持の被疑事実で現行犯逮捕された当日の午後一一時五五分、東京都板橋区《番地略》所在の丁原病院に受診し、医師Dの診断を受けたが、その際、被告人は、かなり興奮しており、医師から質問される前に、痛みやしびれを自ら訴え、医師の当該部位の触診を拒否するような状態であつたこと、医師Dの診断によれば、被告人は、右手甲側の親指、中指、人指し指の各付け根付近及び右前腕橈骨側の一部に痛みを訴え、また、右大腿部外側の腰部付近から膝部付近にかけて、痛みないししびれを訴えていたことはあるものの、そのいずれもが自覚的な愁訴にとどまり、右各部位に腫張や発赤、出血斑など他覚的な異常はみられなかつたこと、二日後の平成三年五月二〇日受診時に、被告人の右手、腰椎、右股関節、左肩部をレントゲン撮影したが、その結果にも異常が認められなかつたこと、などが認められる。

医師Dは、昭和五七年六月に医師免許を取得し、外傷外科など形成外科を専攻し、多くの外傷患者を診断してきた経歴を有する医師であり、本件との利害関係もなく、その証言内容及び同医師作成の診療録の記載には信用性に疑念を差し挟む余地はない。従つて、これらによつて認められる右事実関係に照らせば、被告人が、受傷の部位・程度に関して当公判廷において供述するところは、痛みを感じていた部位が医師に訴えたところと齟齬するばかりか、腫れ、出血斑など他覚所見の存否に関しても食い違いがあり、信用することができない。

(三) 現場に至る経緯に関する被告人の供述の不自然さ

被告人は、当日、Bから外国人労働者の働き口を紹介してもらいたい旨の依頼を受けたので、予め社長なる人物のところに電話を入れ、その帰宅時刻を確かめた上、上京したが、同人がまだ自宅に帰つていなかつたためやむをえずBとともに帰ることとし、その途中、いつたん乙山薬局に立ち寄り、滋養強壮剤を二本購入して、一本はその場で飲み、もう一本は車に持ち込み、その後、帰ろうとしていた矢先に警察官から停車を命じられ、職務質問を受けた旨当公判廷において供述する。

しかしながら、被告人の右供述は、上京した理由に関しBの証言と一致しないばかりか、事前に社長なる人物と確実な約束をとりつけることもなく、土曜日の夜に同所に赴いた、という内容自体において、不自然さを免れず、さらに、同所を訪れた際に、SM雑誌やビデオテープを入手している、という被告人が自認する事実に照らしても、被告人らが、仕事上のことで同所を訪れたものとは考えられないこと、また、被告人らは、同所を出てから、被告人の案内で乙山薬局に直行しているが、同薬局で被告人が注射器具を購入したことは明白な事実である(押収してある注射筒一本及び注射針一本・平成四年押第四八五号の1、2、証人F及び同Gの各証言)にもかかわらず、ことさら乙山薬局に赴いた理由や購入した物品について、客観的事実に反する、ないし、回避的な供述に終始していること、などを総合考慮すると、本件現場に至る経緯に関する被告人の前記供述は信用することはできず、結局、この点の供述の信用性の低さは、その直後の本件現場での状況に関する被告人の供述の信用性にも影響を及ぼすもの、というべきである。

(四) B証言の信用性

次に、被告人の当公判廷における供述内容に一部即応する証人Bの供述の信用性について検討する。

証人Bは、同人が職務質問を受けていた際、警察官が被告人を車の助手席から引つ張り出そうとしていた、被告人が、弁護士に電話したい、と言つたところ、警察官は、今後は被告人を車の助手席から出さないようにしていた、その後、被告人が角のラーメン店の方向から自動車の停車している方向に引きずられてきて、道路工事のバリケードなどが築かれていたあたりで、四、五人の警察官から足蹴りする暴行を受けていた、旨証言する。Bの右証言内容は、当時自分の刑事裁判が係属中で、被告人の法廷における検察側に不利な証言が自分の事件における保釈請求の求意見にも不利に反映しかねないことを気遣いながらなされたもので一概に排斥できない内容であるが、同証人も、被告人とともに同人が、埼玉県志木市から当日上京した理由をやはり明確にできないばかりか、被告人の案内で一か所立ち寄つたあと、直ちに帰ろうとせず、むしろ乙山薬局に直行して、被告人が注射器具を購入しており、車内から二袋の覚せい剤の包が発見された、という客観的な経緯に照らすと、被告人と基本的な利害関係を共通にしているものといわざるをえず、その証言内容も直ちに信用できない。

(五) 結論

以上のとおりであり、受傷状況に関する被告人の供述が客観的事実に反して信用できず、暴行行為の状況について、利害関係を有しない第三者が被告人の供述と相反する供述をしていることなどを重視すると、被告人の前記供述は基本的には使用できないものといわざるをえない。

二  職務質問・身柄確保の適法性の検討

しかしながら、前記脇畑稔証言に沿う事実が基本的に認められ、これを前提にするとしても、被告人に対する職務質問の継続やその身柄拘束措置にはその適法性に疑問が残るもの、といわざるを得ない。

すなわち、被告人は、警察官がなした本件職務質問に対しては、当初から拒否する態度を明らかに示し、所持品検査の要求に対しても、強く抵抗する態度を示していたのである。そして、被告人が、弁護士に電話したい旨告げて電話をした後も、拒否の態度をとり続けながら、下板橋方面に通じる横道にそれ、Bの自動車が停車していた位置から四〇メートル近く離れた丙川質店前まで赴いている。その途中、被告人が、「警察官一人だつたら話す。」旨いつたん申し向けたとしても、その後、一切協力する姿勢を示すこともなく、下板橋方面に向かつたのであるから、右言葉は、被告人が警察官を振り切るために講じた虚言とでもいうべきもので、職務質問にあたつた警察官にもそのことは、当時容易に理解しえたことであろう、と思われる。

被告人の職務質問は、所持品検査に対する拒否の姿勢が強固であることが十分うかがわれるにもかかわらず、警察官は、被告人にその後も協力を求め、被告人が立ち去るのを三人で押し止めている。その際、三人の警察官が被告人の体に触れる有形力を行使したことは、証人脇畑稔が自認するところである。そして、被告人が、元の現場に戻るにあたつて少なからずの抵抗を示したであろうことも、容易に推測でき、そのことは、途中で被告人が寝ころんで大声を出したことや、ラーメン店の前の歩道上で座り込んで動こうとしなかつたことからもうかがえる。このような状況下においては、被告人に何らかの有形力が行使されたとしても、何ら不思議ではない。

他方、この時点においては、被告人らが、覚せい剤中毒者らが出入りしているとの情報のあつた乙山薬局から出て現場に至つたもので、Bに薬物使用の前歴のあることまでは判明していたものの、Bの自動車内から覚せい剤らしきものや注射器具などが発見されていたわけではなく、被告人らが、薬物事犯などを犯し、ないしは、犯そうとしているとの疑いが次第に深まつていつたというような事情は認められない状況にあつたのであるから、職務質問の必要性が高まり、その緊急性があつたものとまでいうことはできない。このような場合、許される有形力行使の限界は、被告人に注意を促し、あるいは、翻意を促す程度にとどめられるべきものと考えられるところ、本件においては、被告人の職務質問や所持品検査拒否の態度が強固で明確であつたにもかかわらず、警察官は、被告人が立ち去るのを制止した上、執拗に被告人を元の現場の方に戻そうとしており、その際、被告人に加えられた有形力行使の具体的態様は確定できないものの、自然な成り行きとして、右許容限度を超えて有形力が行使されたものと推測せざるをえない。

次に、覚せい剤らしきものがBの自動車内から発見された後、予試験が実施されるまでの間に、被告人の身柄はパトカー内に確保されていたことが、証人脇畑稔の証言によつても明らかであるが、この時点に至つては実質的な逮捕行為があつたものと認めざるを得ない。

三  鑑定書など収集された証拠の証拠能力

しかしながら、以下の諸点から、本件捜査過程において収集された鑑定書などの証拠には、証拠能力を肯定すべきものと考える。

1  採尿手続きなど採証行為自体の適法性

証人F及び同Hの各供述、捜索差押許可状請求書の写し(弁護人請求番号2)、捜索差押許可状(検察官請求番号甲35)、診療録の写し(弁護人請求番号4)などを総合すれば、被告人は、覚せい剤の共同所持の被疑事実で現行犯逮捕された直後から、警察官から暴行を受けた事実を調書化するよう強く要求し、取り調べなどに協力する姿勢を示さず、警察官から、尿を任意提出するようにたびたび求められても、これに応じようとしなかつたこと、そこで、被告人に対し、強制採尿を実施するために、逮捕の二日後である平成三年五月二〇日午前中に、豊島簡易裁判所裁判官に対し、捜索差押許可請求がなされ、同日付けで同許可状が発布され、同日午後三時三五分ころ、前記丁原病院において、医師Dの指示を受けた看護婦E子により、カテーテルを用いて採尿がなされたこと、が認められる。

右強制採尿手続きは、それ自体としては、適法なものと考えられる。弁護人は、捜索差押許可状の請求にあたり、警察官が、被告人の腕に注射痕がなかつたにもかかわらず、これを捏造する報告書を作成して請求した、として、その違法を主張するが、当時においては、Bの自動車内から覚せい剤や被告人が購入した注射器具が発見され、被告人の覚せい剤の前科三犯も判明していた状況が存したのであるから、同許可状の請求に要件が整つていたことは言うまでもなく、弁護人主張の点は、その事実の有無を確定するまでもないもの、と考えられる(なお、カテーテルによる導尿は、滅菌措置が講じられていれば、それほど危険性の高い行為ではないと考えられるところ、本件においても、医師からの指示に従つて看護婦がこれを実施しており、被告人も抵抗を示すことなく、スムーズに導尿が終わつたもので、もとよりこれにより被告人の身体に異常が生じた形跡はうかがわれないのであつて、この執行過程に違法があつたものとすることもできない。)。

2  違法の程度など

本件においては、被告人の職務質問の際に警察官から許容限度を超える有形力が行使され、また、正式な現行犯逮捕が現場でなされるに先立つて、実質的な逮捕行為がなされた違法が認められることは前述したとおりである。

しかしながら、警察官らの暴行の態様に関して被告人の供述するところが、被告人の受傷状況に関する客観的な証拠などに照らして信用できず、ほかに、右有形力行使の具体的な態様が確定できないものの、右有形力の行使は、被告人が現場から立ち去ろうとする態度を示したのに対し、これを制止し、元の現場に連れ戻そうとする過程で勢い余つてなされた程度のものと基本的に推認されること、覚せい剤が発見された時点で被告人を現行犯逮捕することも十分考えられる事案であり、被告人の身柄拘束は、かかる手続きを踏まなかつたことから生じた誤りに過ぎないといえる側面もあること、そして、本件職務質問などを実施した警察官らに令状主義を潜脱して、強制的に被告人の着衣を捜索し、逮捕しようとまでの意図があつたものとまで認められないこと、などを考慮すると、本件の違法は、後行の強制採尿手続きの適法性にも影響を及ぼすものとはいうべきであるが、右手続きで収集された証拠を排除しなければならないほどの重大なもの、とまでは評価しえない。

したがつて、被告人の尿の鑑定書や前記の司法警察員作成の平成三年五月二一日付け写真撮影報告書には証拠能力が認められるものというべきであり、また、埼玉県衛生部薬務課長作成の捜査関係事項照会回答書は、被告人の職務質問や身柄拘束の違法とは関係を有しない捜査により収集された客観性のある証拠であつて、これに証拠能力が認められることは多言を要しない。

以上によれば、鑑定書など捜査過程で収集された右各証拠には証拠能力が認められるもの、というべきである。

四  「おとり類似の捜査」の違法の主張について

弁護人は、本件において、「おとり類似の捜査」がなされた違法があるとし、政府関係各省庁が、業者らに対し、薬物犯罪を防止するために、不正使用につながる恐れのある注射器具の販売を行わないように指導している状況にあるにもかかわらず、警視庁第二自動車警ら隊は、乙山薬局が右指導に反し注射器具を販売しているのを放置し、いわば捜査当局が覚せい剤自己使用の幇助行為に加担した上で、客に職務質問を実施し、何らかの理由をみつけて現行犯逮捕し強制採尿するのは、違法である旨主張する。

しかしながら、薬物犯罪は密行性・組織性の高い犯罪類型であり、おとり捜査が一般的に禁じられているものとは到底解しえないばかりでなく(麻薬及び向精神薬取締法五八条、あへん法四五条など)、本件においては、捜査機関は薬物それ自体の販売を黙認したわけではなく、また、被告人は、自らの自由意思に基づいて乙山薬局で注射器具を購入したもので、捜査機関において被告人の右意思には何ら働きかけをなしていないことなどを考えると、仮に、乙山薬局の注射器具の販売行為が前記行政指導に反するところがあるとしても、乙山薬局に対し、立ち入り検査を実施し、その開設許可の停止・取消など行政的な措置をとりうることは別論として、本件の捜査手続きを違法たらしめるものとみることは、できないものといわなければならない(そして、そのことは、仮に、乙山薬局の経営者が警察から注射器具の販売を奨励され、その販売が行政指導に違反することを自覚しているとしても、何ら変わりがないところと考えられる。)。

五  結論

以上のとおりであるから、鑑定書など捜査過程で収集された証拠に証拠能力を認めるべきでないとの弁護人の主張は、採用できない(なお、弁護人が、意見書(二)において、公訴棄却ないし免訴の判決を求める部分も、同様に理由がない。)。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和六〇年一二月二三日浦和地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年二月に処せられ、昭和六一年一二月二一日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した同罪により昭和六三年一月二八日浦和地方裁判所で懲役一年六月に処せられ、平成元年六月二七日右刑の執行を受け終わり、(3)その後犯した道路交通法違反の罪により平成二年一一月二一日東京地方裁判所で懲役四月に処せられ、平成三年三月一日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右各事実は、検察事務官作成の前科調書甲並びに右各裁判に関する調書判決(二通)及び判決書の各謄本によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は平成三年法律第九三号附則三項により同法による改正前の覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第二の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条にそれぞれ該当するところ、判示第二の罪について所定刑中懲役刑を選択し、前記の各前科があるので刑法五九条、四六条一項、五七条によりそれぞれ四犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるので同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条ただし書、一四条の制限内において法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 波床昌則)

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