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東京地方裁判所 平成3年(行ウ)144号 判決 1994年2月28日

原告 疊谷幸子

被告 社会保険庁長官

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告が原告に対し平成元年一一月三〇日付けでした船員保険遺族年金を支給しない旨の決定を取り消す。

第二事案の概要

本件は、航海中に死亡した船員の妻である原告が、右死亡は職務上の事由によるものではないとして船員保険法に基づく遺族年金の支給をしない旨の被告の決定を不服として、その取消しを求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  原告の夫である疊谷通雄(昭和二四年六月六日生、当時三九歳、以下「通雄」という。)は、日本郵船株式会社(以下「日本郵船」という。)所属の船員であり、平成元年一月七日から同社所有のタンカー高松丸(一四万五六三五トン)に運航士(二号職務特定)として乗船し、鹿児島県喜入港から、アラビア湾に向けて出港した。アラビア湾に面する二港で原油を積載した高松丸がマラッカ海峡を通過して、喜入港へ向けて航行中の同年二月一四日、通雄は、船室内において急性心不全により死亡した(以下、この航海を「本件航海」という。)。

2  高松丸は、いわゆる近代化船であり、通雄死亡当時の乗組員は一六名程度で、通雄は同船には初めての乗船であった。通雄の運航士(二号職)としての職務内容は、甲板部の部員としての船橋での当直及び荷役作業、機関部の職員としての機関室での補助缶の水管理、日誌計算、機関室の見廻計測(M0チェック)、機関室内での整備作業であった。

3  原告は、通雄の死亡は職務上の事由によるものであるとして、平成元年三月一六日、被告に対して、船員保険法による遺族年金の裁定請求を行ったが、被告は、同年一一月三〇日付けで遺族年金を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

4  原告は、右処分を不服として、平成二年一月二二日、東京都社会保険審査官に対して審査請求をしたが、同年四月二六日付けで右審査請求は棄却された。

二  争点

本件においては、通雄の死亡が船員保険法の職務上の事由によるものであるか否か、すなわち、職務起因性があるか否かが争われており、この点に関する当事者双方の主張は以下のとおりである。

1  原告の主張

(一) 職務起因性について

(1) 船員保険法による遺族年金の支給は、被災船員の遺族に法定の補償をすることにより、その保護を図ることを目的としてなされる法定補償制度であり、損害賠償制度とはその目的を異にし、損害賠償制度のように加害者保護等をも考慮してその救済範囲を相当因果関係のある損害に限定する必要性は全くないのであるから、職務起因性を判断するに当たって、職務と死亡の間に相当因果関係を必要とする理由はなく、職務と死亡との間に合理的関連性が存すれば足りるというべきである。

(2) 仮に、職務と死亡との間に相当因果関係を要するとしても、後記のとおり、通雄の死亡と職務との間には相当因果関係がある。

(二) 通雄の業務内容とその過重性

(1) 乗船業務自体の過重性

一般に乗船業務は、一般社会から隔離され、閉鎖的社会の中で生活しなければならず、また、休日や休憩時間においても常に業務を意識せざるを得ないものである。そして、乗船中は、十分なリフレッシュの機会もなく、十分な健康管理もなされないのであり、乗船業務は、それ自体に特有の過重要因があるというべきである。そして、通雄の過去の乗船歴は過密であり、高松丸に乗船する前の一年間をみても、自宅で過ごせる期間は延べ三か月に満たない期間であり、その余は海上での生活であった。

(2) 高松丸における通雄の勤務状況とその過重性

高松丸は、いわゆる近代化船であるところ、近代化船においては、要員の人数は大きく減少し、乗組員は、機関部と甲板部の両部門の業務を兼務させられ、また、職員と部員の職務分担も流動化している。こうした近代化船においては、乗組員一人当たりの業務量が増加し、休日も少なくなるだけでなく、乗組員は従来とは異なる部門での業務をもこなさなければならなくなるのであり、その精神的負荷は在来船に比べて増大することになる。

高松丸における休日は、原則として一〇日間に一回の割合と少なく、また、通雄の勤務時間は、夜勤を含む不規則勤務であり、疲労の回復が困難であった。さらに、通雄は、平成元年一月二二日に休日を取った後は、同年二月五日に休日を取るまでの一三日間も連続で業務に従事し、しかも、その間、同年一月二六日及び同月二八日には、時間外労働も行っている。

通雄は、高松丸には初めての乗船であり、十分な知識習得の機会もなく、また、このように巨大な近代化船タンカーに運航士として乗船した経験もなかった。そうした中で通雄は、運航士(二号職)として、職員としての機関部業務のほかに、不慣れな甲板部の業務をもこなさなければならなかった。甲板部の業務としては船橋当直、荷役作業があり、船橋当直では操舵と監視を行うが、操舵は熟練を要する業務であり、操舵自体の経験が少なく、巨大タンカーの操舵経験のない通雄にとっては緊張を要する精神的負担の大きいものであった。また、機関部の業務としては、機関室での補助缶の水管理、詳細な日誌計算、機関室の見廻計測(M0チェック)、機関室内での整備作業等があるが、機関室内は高温で騒音、振動も著しく職場環境としては劣悪であり、また、高松丸は本件航海直前の航海においてエンジントラブル事故を起こしており、機関部の職員にとってはこのことも大きな負担となっていた。さらに、機関部の職員としての作業である補助缶の水管理は、極めて重要な作業であり、通雄にとって大きな負担となっていた。

(3) アラビア湾付近の気候の特殊性及び浮遊機雷の存在

本件航海は、アラビア湾に面する港で原油を積載するものであったが、当地は気候が特殊な上、本件航海当時は、イラン・イラク戦争が終結した直後で、浮遊機雷が存在するといわれていた海域を航行することとなり、その心労は大きかった。

(4) 通雄死亡直前の業務の過重性

高松丸が復路においてマラッカ海峡を通過する際、通雄は、平成元年二月一〇日の午後八時から午後一二時まで、同月一一日の午前八時から午前一二時まで及び午後八時から午後一二時までの各当直時間帯に船橋当直に立ち、操舵に従事した。マラッカ海峡は世界的な狭水道であり、潮流も複雑で、過去にもしばしばタンカー事故が起きている世界的な難所である。しかも、復路においてはタンカーは石油を満載しており、座礁を避けて海峡を通過する航路は極めて限定されている。また、この海域は海賊がしばしば出没する場所であり、乗組員は海賊対策にも気を使わなければならない。そうした中で、操舵の経験も浅く、高松丸のような巨大タンカーに乗船した経験もない通雄が、連続的に船橋当直に立ち、操舵を担当したのであるから、その精神的緊張は極めて大きなものであった。また、通雄は、マラッカ海峡通過前から、機関部の業務としてM0チェックを連日担っており、海峡通過後の同月一二日にも、休養を与えられることなく、M0チェックのみならず、ボイラーの水管理作業を行い、同月一三日にも、水管理作業や雑作業を行っており、疲労が極限に達していったものである。

(三) 通雄の職務と死因との関係

以上のとおり、通雄は、人員合理化の中、職務による疲労を口にすることもできず、一人だけ初めて乗船する高松丸において、夜勤を含む不規則勤務、初めて経験する機関部と甲板部の職務の兼務、狭水道であるマラッカ海峡を石油満載で通過する際に船橋当直を担当したこと等の過剰なストレスにより、自律神経系とりわけ交感神経系の強い反応が生じ、カテコールアミンとくにアドレナリンの分泌が促進され、その結果、血圧上昇と心拍数の増加、心筋酸素消費量の増大、又は冠攣縮が生じて、狭心症や心筋梗塞が発症し、心室頻拍、心室細動、房室ブロックの心室停止などの致死性不整脈、あるいは、electrical mechanical dissociationにより急性心不全に陥ったものであり、通雄の職務と死亡には相当因果関係がある。

2  被告の主張

(一) 職務起因性について

船員保険法五〇条における職務上の事由による死亡というためには、当該死亡が職務を遂行している間に発生したものであること(職務遂行性)、当該死亡と職務との間に相当因果関係があること(職務起因性)が必要であるところ、以下のとおり、通雄の死亡と職務の間には相当因果関係があるとはいえない。

(二) 通雄の職務内容について

通雄の死亡前一週間の業務は、高松丸における運航士(二号職務)としての一般的業務を行っていたものであり、その勤務時間も一定で正常であり、また、突発的な出来事に遭遇したという報告もなく、特に労務に異常があったとは認められない。

なお、運航士とは、近代化船の職務の実情が、在来船と比べて大きく変化し、船舶職員のうち航海士及び機関士の業務が航海当直を中心としたものとなり、航海当直自体も簡便なものとなっているため、甲板部と機関部との間の職務の平準化と弾力的な就労体制の編成を可能にするものとして、甲板部と機関部の両部門にまたがる職務を行うことができる新しい船舶職員である。二号職務特定の運航士は、部員として運航を担当することができるとともに、職員として機関士の行う機関の運転に関する職務のうち政令で定めるものを行うことができる。

(1) 高松丸船内の居室は各自に個室が与えられており、また、各種娯楽施設等が設けられており、乗組員が十分な休養をとることができるよう配慮されているから、乗船中は休憩時間があってもくつろげない等の原告の主張は理由がない。

(2) 船員制度の近代化は、単なる人員の合理化だけではなく、船舶の技術革新により、実体と遊離していた船員制度を改めるとともに、日本人船員の職域を確保するためのものだったのであり、その移行には十分な実験が行われ、新しい職務体制及び就労体制が船員に及ぼす影響につき、労働科学面からの検証も行われたのであり、乗組定員の減少は、船舶の技術革新による職務内容の変更及び自動化によるものであるから、個々の船員の職務は決して過重となるものではない。

通雄は、高松丸には初めての乗船であったが、昭和四三年に日本郵船に入社して以来、機関部員としての職務を担当しており、機関部の職務には精通していたし、昭和五九年以降、鞍馬丸、白山丸、丹後丸及び箱根丸において、操舵業務を担当しており、操舵業務にも習熟していた。なお、丹後丸及び箱根丸は、近代化船であった。

また、通雄が担当していた機関部の業務が身体的に負担になるとはいえないし、高松丸には本件航海以前に事故があったものの、本件航海時には修理済みであり、このことによる機関部の仕事に対する影響はなかった。甲板部の業務である船橋当直における通雄の運航士としての役割は、職員である航海士を補佐すべき監視及び操舵業務であるが、双眼鏡による監視、レーダーによる監視等は航海士の職務であり、通雄は操舵業務をしながら目視で確認する程度であり、船の航路を決定する操船業務は航海士の職務であり、通雄は航海士の指示に従って舵を取る作業である操舵業務を行っていたにすぎない。

(3) 高松丸は近代化船で船内空調設備は充実しており、外気による影響はほとんど考えられないし、浮遊機雷については、高松丸は無線情報により浮遊機雷が存在する可能性のある危険海域を回避した安全性の高い航路をとっており、特段触雷の危険に備えた監視体制の強化等を行っておらず、浮遊機雷の存在により乗組員の緊張状態が特に高まっていたとは考えられないから、アラビア湾の気候の特殊性及び浮遊機雷の存在による心労が大きかったとする原告の主張は理由がない。なお、高松丸がアラビア湾を出たのは通雄死亡の二週間以上も前である平成元年一月三〇日である。

(4) 高松丸が復路においてマラッカ海峡を通過した際の天候は本件航海の時期としてはかなり静かな状態であった。また、操舵業務自体は、前記のとおり、航海士の操船命令に従って舵を操作するものであり、マラッカ海峡のうち航路が狭い等危険な箇所においては、航海士の指示は数値等を用いて具体的に行われるから、運航士は計器類を見ながらその角度に舵を合わせる作業を行えば足りる上、危険海域航行時には船橋当直は三名に増員され、一時間ごとに操舵を交代したりするのであるから、マラッカ海峡通過時における通雄の船橋当直の職務が過重であったとはいえない。また、海賊の出現する危険海域においては、十分な海賊対策がとられており、船内において過度の緊張状態が生じたことはない。

以上のとおりであるから、通雄の死亡と職務の間には相当因果関係があるとはいえない。

第三争点に対する判断

一  職務起因性について

1  船員保険法による遺族年金は、被保険者等が職務上の事由又は通勤により死亡した場合に支給されるものであり(五〇条)、職務上の事由による死亡というためには、右職務と死亡との間に相当因果関係があることが必要である(最高裁昭和五一年一一月一二日判決・集民一一九号一八九頁等参照)というべきである。

原告は、職務と死亡との間に合理的関連がある場合には、補償されなければならない旨主張するが、船員保険法が労災保険制度の一環であり、保険給付の原資の多くを使用者の負担する保険料によって賄い、労働者の私生活領域における一般的事由により生じた傷病等と区別して、職務に通常随伴する危険により生じた労働者の死亡等の損失を、使用者の過失等の有無を問わずに補償しようとしている現行法制度の趣旨に照らせば、船員保険法による補償の対象は、職務により生じた死亡等の損失に限られるというべきで、単に、職務に関連する死亡のすべてを補償の対象とすることはできないから、原告の右主張は採用できない。

二  通雄の職務状況等について

前記争いのない事実に加え、証拠(証人大日方行彦、同瀬口末洋及び同助乗達男の各証言、適宜末尾に掲記した各書証)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  通雄は、昭和四三年に日本郵船に入社して以来、主として機関部員として稼働してきたが、運航士(二号職務特定)になる以前には、操機手、甲板手、船舶技士の資格で船舶に乗船していた。船舶乗組員には、職員(船長を補佐し、船長の責任の一部を分担する乗組員)と部員(職員以外の海員であり、船長又は職員の指示を受けて職務を遂行する乗組員)とがあるところ、操機手は機関士の下で部員として機関部の職務を行うもの、甲板手は航海士の下で部員として航海当直の補佐等の職務を行うもの、船舶技士は航海士と機関士の下でそれぞれ甲板部と機関部の各職務を部員として行うものである。運航士(二号職務特定)は、機関部の職務については職員として、甲板部の職務については部員として行うことができる資格である。

通雄の昭和五八年以降の乗船歴は概ね別紙1のとおりであり、これ以外にも、船内業務支援船員派遣制度により操機手として派遣されたことが三度ほどあった。

通雄は、このうち、箱根丸、丹後丸、白山丸及び鞍馬丸においては、甲板部の部員として操舵業務等を担当しており、箱根丸及び丹後丸は、いわゆる近代化船であった。

近代化船とは、機関室の無人化、航海設備の進歩、係船装置の発達等により技術革新の進んだ船舶で、遠洋区域を航行区域とする、総トン数五千トン以上で、かつ、出力六千キロワット以上の推進機関を有する船舶をいい、省力化のための各種設備、機器の自動化により、少数定員での運航が可能なように設計されている。

近代化船における機関部の業務は、かなり省力化されているが、機関の運転状態の確認、調整や機器類の整備等の機関部の重要な仕事については、機関室に行って計器類の計測や整備作業を行うなど、在来船と大きく変わるところはない。近代化船間においても船体の大きさや用途、造船時の技術水準等により機能や整備面における近代化の程度等は異なっているが、右のような機関部の重要な仕事の内容についてはほとんど違いがなく、船によって機械の位置や操作方法等が異なることがあっても、乗船当初にこれを覚えてしまえば、職務を遂行するに当たって困難が生ずることはそれほどない。また、近代化船における甲板部の業務については、荷役業務において、計器類の集中化、機械化等による省力化が進んでいるが、船橋当直については、近代化船と在来船で内容が特に変わるということはない。

(甲一一号証、乙一〇、一五、一六号証)

2  通雄は、高松丸には、本件航海で初めて乗り組んだものであり、高松丸乗船中の通雄の勤務時間は、概ね、日勤体制の場合は、午前八時から午前一二時までと午後一時から午後五時までであり、当直体制の場合は、午前八時から午前一二時まで(以下、これを「午前当直」ということがある。)と午後八時から午後一二時まで(以下、これを「午後当直」ということがある。)であり、右当直時間帯は乗船中ほとんど変わることはなかった。高松丸における休日は、概ね一〇日に一回の割合であり、右休日をはさんで日勤体制と当直体制が入れ替わることになっていた。本件航海中の通雄の休日は、平成元年一月一二日、同月二二日、同年二月五日、同月一四日であり、同年一月七日から同月一一日まで及び同年一月二三日から同年二月四日までは概ね日勤体制、同年一月一三日から同月二一日まで及び同年二月六日から同月一三日までは概ね当直体制であった。

高松丸に二号職務特定の運航士として乗り組んだ通雄の職務は、日勤体制の場合は、機関部の職務を中心として行い、当直体制の場合は、午前当直においては機関部の職務を、午後当直においては甲板部の職務(船橋当直)を行うというのが通常であった。本件航海中における通雄の勤務時間はほぼ一日合計八時間であり、超過勤務日は、出入港作業及び石油積み込みのための荷役作業等に従事した平成元年一月七日、同年二月二六日及び同月二八日だけであった。

(甲五号証、乙三、一五、一六号証)

3  通雄の高松丸における担当職務内容は、機関部の職員としての機関室での補助缶の水管理、日誌計算、機関室の見廻計測(M0チェック)及び機関室内諸作業、甲板部の部員としての船橋での当直及び荷役作業であった。

(一) 補助缶の水管理は、ボイラーに使用する水の水質を一定の状態に保つために、ボイラーの缶水試験(PH値測定等)を行い、検査結果に基づいて、バルブを開いて缶水ブローをしたり、清缶剤を投入したりする作業であり、缶水試験は概ね一週間に一回程度行われ、清缶剤の投入は必要に応じて、缶水ブローは毎日行われた。缶水試験を伴う場合の補助缶の水管理の所要時間は約二時間程度であり、これを行わない場合は、缶水ブローに約三〇分、清缶剤投入に約二〇分程度の時間を要する。なお、缶水ブローのためにバルブを開いた後は、その側に付いていなければならないものではなく、バルブを閉めるまでの間は他の作業を行うこともでき、また、清缶剤の投入量は、缶水試験の結果に基づいて簡単に計算することができる。

機関日誌計算は、エンジンの状態を確認するため、船橋にある集中制御装置から打ち出されるデータを基に、エンジンの総回転数、スリップ等を計算して、その数値を日誌に書き込む作業であり、所要時間は概ね二〇分程度であった。

機関室見廻計測(M0チェック)は、機器の運転状態を確認し調整するため、ボイラー温度、圧力や弁の開き具合等一〇〇項目以上をチェックリストに従って計測して記入していく作業であり、高松丸ではこの作業を機関室を二つに分割して二人で行われており、一人当たりの所要時間は約二時間程度であった。

機関室内諸作業は、必要に応じて行う整備作業や清掃作業である。

船橋や居室と比べると、機関室内、とりわけエンジンルーム等は温度が高く、振動もあった。機関室内での作業は、四時間連続で行うことはなく、間に一五分ないし三〇分程度、機関室内のエアコンの効いた場所、あるいは船橋で休憩をとるのが一般的であった。

通雄は高松丸に初めて乗船したものであり、機械の位置や操作がやや異なることもあって、乗船当初、これらの機関部の職務に余分に時間を要することもあったが、比較的すぐに慣れたようで、通雄の作業状況や結果に問題があったということはなく、不慣れによる緊張や不安が継続していた様子はなかった。

なお、高松丸は、本件航海前の航海でエンジンとスクリューをつなぐシャフトが折れるという故障を起こしており、本件航海時には主機関の振動のデータを得るために三菱重工の技師二名が同乗していたが、右故障の修理及び試験航海は、本件航海前に既になされており、右修理前後で、機関部における仕事内容が変化したということはなく、機関部において故障の再発に対する心配があったということもなかった。

(二) 高松丸における荷役作業は、主として石油積み込みのためのパイプの接続の確認やバルブの開閉作業を行ったり、漏油の有無やポンプの作動状況の点検、係留索の張り具合の調整等を行ったりする作業である。高松丸においては、バルブの開閉等は機械化されており、荷役作業といっても、特に肉体的な負担が大きいものではなく、監視業務が中心であり、三、四名交替で行われる。

船橋当直は、船橋における見張りや操船、操舵業務等を内容とするものであるが、船の航路を決定する操船業務は職員である航海士等の職務であり、部員としての当直員は、見張りをしながら、航海士等の指示に従って舵をとる操舵業務を行うことになる。操舵には自動操舵と手動操舵があるが、ある程度幅の広い海域では原則として自動操舵が行われ、本件航海中では、出入港の前後やマラッカ海峡の一部分、アラビア湾の狭い部分等では手動操舵がなされたが、それ以外の部分は原則として、自動操舵が行われていた。

通常の船橋当直配置人員体制は昼間一人、夜間二人という体制であり、部員としての通雄が船橋当直に立つ場合は、通常は職員と組んでの夜間当直の場合に限られており、本件航海中における通雄の船橋当直は、ほぼ一等航海士である瀬口末洋と組んで行われた。

本件航海中の通雄の甲板部の職務における勤務内容は、他の乗組員と比較しても何ら問題のないものであり、操舵作業もむしろ上手な方であった。

(甲五、七、一二ないし一六、乙一〇、一四ないし一六号証)

4  高松丸は、近代化船であり、総トン数も大きいため、船内の居室も乗組員各自に個室が与えられており、個室内でのエンジン等の騒音はかなり小さくなっていた。個室にはシャワーが設置され、別途、浴室での入浴もできた。また、娯楽施設としては、トレーニングルーム(卓球台等)、サロン(ビデオ鑑賞等)、レクリエーションルーム(麻雀、カラオケ、ファミコン等)等が設置されており、ビール等の飲酒もできた。通雄も麻雀、ファミコン等をよくやっていた。さらに、船内空調設備も充実しており、船内にいる限りは外気による影響をほとんど受けなかった。(乙一一号証、一二号証の一の二ないし四、一五号証)

三  通雄の死亡直前の職務内容及び死亡状況等

前記争いのない事実に加え、証拠(証人大日方行彦、同瀬口末洋及び同助乗達男の各証言、適宜末尾に掲記した各書証)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  本件航海における高松丸の復路は別紙2記載のとおりである。なお、本件航海当時は、イラン・イラク戦争が終結した直後であり、アラビア湾の一部には浮遊機雷が存在する海域があったが、高松丸は無線によって情報を得て、危険海域を回避した航路をとっており、それ以上に特段の触雷対策はとられておらず、浮遊機雷の存在によって船内の緊張が特に高まったということはない。

2  通雄の死亡前一週間の職務内容は概ね次のとおりであった。

平成元年二月七日

午前当直 機関室見廻計測等

午後当直 船橋当直

同月八日

午前当直 機関室見廻計測、機関室諸作業(Fo三次ストレーナ・エア抜きパイプ延長)等

午後当直 船橋当直

同月九日

午前当直 機関室諸作業(No1Foタンクヒーディングドレントラップ漏洩部修理、Fo三次ストレーナ・エア抜きパイプ延長)等

午後当直 船橋当直

同月一〇日

午前当直 機関室見廻計測等

午後当直 船橋当直

同月一一日

午前当直 船橋当直

午後当直 船橋当直

同月一二日

午前当直 機関室見廻計測、補助缶の水管理(缶水ブロー、缶水試験)等

午後当直 船橋当直

同月一三日

午前当直 補助缶の水管理(缶水ブロー)、機関室諸作業(食堂排煙装置のフィルター掃除(未達成)、No2エアクーラー・ドラフトゲージ取替え、当番作業)等

午後当直 船橋当直

高松丸は、平成元年二月九日から同月一一日にかけて、いわゆるマラッカ海峡を通過したが、マラッカ海峡には、航路が極めて狭隘で、かつ、浅瀬等の多い部分があり、石油を満載したタンカーが通過する際には、座礁等を避けるため、潮流等も考慮して注意深い操船を行う必要があり、船長が操船を行うこともあった。もっとも、マラッカ海峡全域が航行の困難な海域というわけではなく、幅の広い海域では、自動操舵による航行が行われた。高松丸では、マラッカ海峡の狭い部分を通過する際の船橋当直は三名で行うこととされ、手動操舵をする場合には、操舵を担当する者も概ね一時間ごとに交替することになっていた。本件航海においては、平成元年二月一〇日から船橋当直が三名の体制になり、通雄が同月一一日の午前当直についていたときに、マラッカ海峡の最も狭隘な部分を通過したが、その際、通雄はその一部分の区間の手動操舵を担当した。なお、船橋当直三名体制の場合においても、ある程度幅の広い部分については適宜自動操舵に切り替えるなどして操舵を担当する者の負担軽減が図られていた。

前記のとおり、船の航路を決定する操船業務は職員である航海士等の職務であり、座礁等を避けるために注意深く航路の決定を行うのは本来的に航海士等であるところ、操船を行う職員から操舵を行う部員に対する指示には、進路の目標物や進路の変針の角度を指示する方法、具体的に舵角を指示する方法等があるが、手動操舵でマラッカ海峡の狭水道部分を通過する際の操舵手に対する指示は具体的な舵角を指示するという方法で行われていた。

また、マラッカ海峡付近には海賊が出没する危険海域があるが、高松丸では、その海域を通過する際には、船橋当直三名体制が維持され、夜間は居住区の明かりをつけておく、船尾からの放水を続ける、居住区に侵入されないよう入口を旋錠する等の海賊対策がとられた。そして、船橋当直三名体制は、平成二年二月一二日未明に解除され、同日午前八時の当直から通常の勤務体制に戻った。

マラッカ海峡や海賊の危険海域を通過する際には、不慮の事態に備えて、勤務外の乗組員も娯楽設備等を利用することなく各自の居室にいるのが通常であり、乗組員もある程度の緊張状態にあるが、本件航海では特に具体的な危険を感じさせるような過度の緊張状態にあったわけではなく、乗組員は、居室で休養をするべく、睡眠をとっている者が多かった。

また、一一月から三月までの南シナ海からマラッカ海峡に至る海域では、気象状態が悪いことが多いが、高松丸が本件航海の復路においてマラッカ海峡を通過した際の天候は晴れ又は曇りで、風力も二ないし六であり、この時期としてはかなり静かな状態であった。

なお、国際航海を行うタンカーが、中東に向かう場合にはマラッカ海峡を通過する航路をとることが通常であるが、通雄が、以前、国際航海を行う近代化船タンカーである丹後丸に船舶技師として乗船していたことは前記認定のとおりであるから、少なくともマラッカ海峡の航行は何度か経験していたものと考えられる。

(甲五号証、一〇号証の一ないし四、一二ないし一四号証、乙一〇、一三ないし一六号証)

3  高松丸では、マラッカ海峡通過後の平成元年二月一二日午後五時三〇分より下船者の送別会が行われ、同月一三日から一五日までが船内休日とされ、船員は順次休みを取る予定となり、通雄の休日は、同月一四日と決められていた。

通雄は、同月一三日の午後八時から午後一二時までの当直終了後、レクリエーションルームに降りて行き、同日休みであった乗組員と歓談し、ビール一缶を飲み、夜食のカレーを食べた。また、ファミコンゲームをやったり、テレビビデオを見たりして過ごした。同月一四日の午前一時四五分ころ、夜食を食べ終わった数人の乗組員は、レクリエーションルームを出て自室に戻ったが、通雄はレクリエーションルームに残り、午前二時七分ころ、ビデオテープを巻き戻しているのを、他の乗組員に目撃された。通雄は同日の朝食をキャンセルしており、朝食には姿を見せなかった。なお、休日はゆっくり眠っていたいということから、乗組員が休日当日の朝食をキャンセルすることは、よくあることであった。通雄は、同日の昼食にも姿を見せなかったため、午後〇時一五分ころ、他の乗組員が通雄の居室をのぞいてみたが、通雄はベッドに寝ていたので、そのまま退室した。

通雄は同日午後五時三〇分の夕食にも起きてこなかったため、午後五時四五分ころ、乗組員の一人が通雄の居室に入り電灯を点けたところ、ベッド内の通雄の異変が発見され、直ちに衛生管理者、船長及び他の乗組員が呼ばれたが、通雄の身体は既に冷たくなっていた。

右異常発見後、通雄の脈拍、血圧が測定されたが既になく、瞳孔は開大し、光に対する反応もなかった。通雄は直ちに病室に移されて心臓マッサージを施された。心臓マッサージは約三時間継続して行われたが、通雄は蘇生せず、通雄の死亡推定時刻は同日午後五時四五分とされた。

通雄の遺体は納棺後、魚肉庫に安置され、同年二月二〇日、喜入港に帰港後、陸揚げされた。同日付けの田中孝一郎医師作成の死亡診断書(死体検案書)では、通雄の直接死因は急性心不全とされ、その原因疾病は不詳とされている。

(甲一ないし四、六号証、乙一三、一五、一六号証)

4  通雄は、本件航海中、仕事がきついとか大変であるといったような話を他の乗組員にしたことはなかった。また、本件航海中には、特に乗組員の緊張が高まるような突発的な出来事は起こらなかった。

四  通雄の既往症及び健康状態について

証拠(証人大日方行彦、同瀬口末洋及び同助乗達男の各証言、甲七、一一、一八、一九、二五、二六号証、二七号証の一ないし三、乙四、一五ないし一七号証、一八号証の一ないし三)によれば、以下の事実が認められる。

通雄には、本件死亡に至るまで、医師の治療を受けていたような特段の既往症はなく、過去の疾病予防検査の結果は概ね以下のとおりである(なお、これによれば、若干の肝機能障害等がうかがわれるが、その内容は特に重篤なものではなく、急死に結びつくようなものではない。)。

昭和五四年四月二二日  異常なし

昭和五七年一一月一八日 境界域高血圧(一四〇/九四)

昭和五九年三月一五日  異常なし

昭和六〇年一二月一八日 軽度のアルコール性肝機能障害

昭和六一年九月一〇日  軽度のアルコール性肝機能障害

昭和六二年九月二四日  総ビリルビン値がわずかに正常域を越えている外は全く異常なし

そして、本件航海期間中においても、通雄に対する治療・投薬等の記録は一切なく、通雄は、復路でインド洋付近を航海している際に同僚に寝つけなかったという話を一度している程度で、特別に身体の不調、異常を訴えていたようなことはなかった。なお、平成元年二月一三日午後の船橋当直及び当直後の歓談の際に通雄と一緒であった一等航海士も特に体調が悪いとか顔色が悪い等の異常があったとは記憶していない。

五  相当因果関係の有無について

以上を前提として、通雄の死亡と職務との相当因果関係の有無について検討する。

1  一般に急性心不全とは、急に心臓が全身に必要血液量を送り出すことができなくなった状態をいい、終局的に心臓が停止した結果を意味するものにすぎないところ、死亡後の解剖等が行われた形跡がなく、死亡につながる特段の既往症等の基礎疾病の存在が認められない上、前記認定のような死亡状況であった本件においては、通雄の急性心不全の原因疾病を明確に特定することは困難であるといわざるを得ない。

なお、須田民男医師(以下「須田医師」という。)の鑑定意見書(甲二五号証)によれば、同医師の意見は、通雄の基礎疾患として冠状動脈硬化症を推定した上、職務による過重なストレスにより急性冠動脈閉塞が起こったと推定されるというものである。すなわち、右意見は、昭和六二年九月二四日の疾病予防検査において、通雄の総コレステロール値が二五五mg/dlと高値を示し、いわゆる悪玉コレステロールであるLDLコレステロールが一八三mg/dlと計算されるなど、高脂血症の状態にあったことを根拠として、高脂血症は冠動脈硬化症が進展しやすい危険因子であるから、通雄の冠動脈壁には冠動脈硬化性変化による粥腫が存在していたと推定され、強いストレス下において、右粥腫が破綻して血栓ができ急性冠動脈閉塞が起こったことが急性心不全の原因であるというものである。

しかしながら、証拠(甲二六号証、二七号証の一ないし三、乙一七号証、一八号証の一ないし三)によれば、一般に高脂血症は動脈硬化症の誘因ではあるが、これがあるからといって必ずしも動脈硬化があるとは限らないところ、通雄の総コレステロール値が高値を示したのは、昭和六二年の検査の際の一回だけであり、その値も、正常範囲とされている二五〇mg/dlをわずかに超える程度のものであること、動脈硬化症による症状は全身に及び、これに伴って血圧の上昇がみられることが多く、拡張期血圧(最小血圧)が高いと動脈硬化の可能性が高いが、通雄の血圧は、昭和五七年一一月一八日の検査では、境界域高血圧として一四〇/九四(最大血圧/最小血圧、単位mm水銀圧、以下、同様)が測定されたが、それ以降の四回の検査においては、一〇八/七〇、一二五/七七、一三二/八四、一二八/八六といずれも正常値の範囲内で、最小血圧が一般に広い意味での高血圧とされる九〇以下であったこと、冠動脈疾患等の検査法としては心電図検査があるが、通雄の昭和五四年以降の心電図検査の結果は、いずれも異常所見なしとされていることが認められるから、昭和六二年の検査によって、高脂血症の傾向があることが認められたことの一事をもって、通雄に冠動脈硬化症の基礎疾病があったと推定することは困難であるといわなければならない。

2  原告は、通雄が職務による過剰なストレスにより、自律神経系とりわけ交感神経系の強い反応が生じ、カテコールアミン特にアドレナリンの分泌が促進され、その結果、血圧上昇と心拍数の増加、心筋酸素消費量の増大、あるいは冠攣縮が生じて、狭心症や心筋梗塞が発症し、致死性不整脈、あるいは、electrical mechanical dissociationにより、急性心不全に陥った旨主張する。

原告の右主張は、過労による突然死(いわゆる過労死)における過労と心臓急死の帰序を示す一つの医学的見解(甲二〇号証)にすぎず、通雄の急性心不全の原因疾病を明確に特定し得るものではない。原告の右主張は(また、前記須田医師の意見も)、通雄には職務による過剰なストレスがあったということを前提とするものである。

そこで、急性心不全の原因疾病の特定はしばらくおき、通雄の職務内容について検討するに、前記認定のとおり、通雄の職務は運航士として通常のものであり、その内容も特に肉体的、精神的な負荷の極めて大きいものとはいい難いこと、一日の勤務時間も概ね八時間程度であり、平成元年一月二八日以降は超過勤務はなかったこと、本件航海中には突発的な出来事等はなかったこと等に照らせば、乗船業務の特殊性や不規則勤務による負担等を考慮しても、通雄の職務が客観的にみて、休日や休息時間等での休養で疲労回復ができないような内容のものとはいい難く、また、通雄の死亡前の職務状況が特に過重なものであったともいい難く、通雄が特に労務の過重や身体の異常を訴えていなかったことに照らせば、職務が通雄にとって過重な内容のものであり、過剰なストレスがあったということは困難であるといわざるを得ない。

原告は、乗船業務自体の特殊性や夜勤を含む不規則勤務の過重性を主張する。なるほど、乗船業務はその閉鎖性等から陸上勤務と異なる負荷があることや、夜勤や交替制等の不規則勤務がより疲労が蓄積しやすい勤務形態であることは容易に推認し得るところではあるが、前記認定のとおり、通雄は、長年、船員として乗船業務を行っており、船での生活にはある程度慣れていたと考えられること、その乗船歴が特に過密であると認めるに足りる証拠はないこと、高松丸においては、乗組員の居住スペース等が十分とられ、各種娯楽施設等も設置されるなど、リラックスして休養をとる環境は比較的整備されていること、夜勤を含む不規則勤務とはいっても、通雄の当直時間はほぼ一定しており、午後当直は夜間ではあるが、午後八時から午後一二時までと人間の生活パターンに比較的近く、日勤体制の場合との時間的な開差もそれほど大きいものとはいえないこと等に照らせば、このことをもって、直ちに、通雄の職務が過重なものであったということはできない。

また、原告は、高松丸のような巨大タンカーには初めての乗船である等の通雄の経験の少なさによる職務の過重性や近代化船における職務自体の過重性を主張する。しかしながら、前記認定のとおり、通雄は高松丸以前にも近代化船に乗り組んだ経験があること、機関部の職務はもちろん、甲板部の職務についても以前に担当したことがあること、近代化船間及び近代化船と在来船間には設置機器や操作方法等の違いはあるものの、機関部や甲板部における仕事の内容には基本的には大きな相違はなく、設置機器の内容や位置、操作方法等を覚えてしまえば運航士としての職務の遂行に困難があるとはいえないこと、通雄が特に機器の操作方法等の覚えが悪かったということはなかったこと等からすれば、乗船当初はともかく、その後は、職務の不慣れによる過度の緊張状態が継続していたと推認することはできない。また、近代化船は在来船に比べて乗組定員が少なく、運航士は機関部と甲板部の職務を行うものではあるが、近代化船は省力化のための各種設備、機器の自動化により、少数定員での運航が可能なように設計されており、個々の乗組員の職務の量的な増加を認めるに足りる証拠はなく、異なる部門の職務を担当することによる質的な相違はあるとしても、通雄は、そのような職務を担当し得る資格を有し、前述のような経験もあることに照らせば、これをもって、その担当職務が肉体的精神的に過度の負担となったということはできない。もとより、機関部と甲板部にまたがる通雄の職務内容が船舶の運航に重要な役割を占めるものであり、その職務遂行において一定の緊張感が伴うであろうことは、十分首肯し得るところであるが、一定の資格を有して、資格に応じた重要な職務を遂行する際に、何らかの緊張感が伴うことは、むしろ当然であり、通雄の職務において、これを超えるような過度の緊張感があったと認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。

さらに、原告は、高松丸の航路の特殊性やマラッカ海峡通過時の職務の過重性を主張する。しかしながら、前記認定のとおり、気候の特殊性や浮遊機雷の存在が特に肉体的精神的負荷を増大させたとは考え難いところであり、また、前記認定のとおり、マラッカ海峡通過時の操舵業務は船長や一等航海士の具体的指示に基づくものであり、当直要員も増員されていること、海賊対策も旋錠を行う等の対策がとられる一方、それ以上に具体的な危険に対する特別な対策をとるということはなく、むしろ、当直外の乗組員は居室で睡眠をとる者が多かったことからみても、これによって船内の緊張状態が過度に高まっていたとはいえないこと等に照らせば、海峡通過時の緊張感がなかったとはいえないが、これが通雄に過度の緊張状態をもたらしたということもできない。

なお、甲六号証及び甲七号証の報告書には、通雄の職務等につき、「心労の種は少なくなかったものと思料される」「精神面で相当の負担になっていたように思えた」等の記載があるが、いずれも、精神的負担に関する通雄の具体的な様子については何ら触れられておらず、証人大日方行彦の証言に照らしても、右記載は乗組員一般の負担を抽象的に述べたものとみることもできるから、これをもって、通雄の精神的負担が極めて大きかったということはできない。

3  一般に人の思いがけない急死(突然死)には種々の原因があり、いわゆる心臓急死についてみても、冠動脈硬化による心筋梗塞や狭心症、不整脈や大動脈疾患、あるいはいわゆるポックリ病のようなものなどがあり(甲二〇号証)、右疾病は、普段右疾病に至るような病的症状がなく、一見健康そうな人でも、突然これを発症して死亡するに至る場合があることは一般に認め得るところである。もとより、そうした疾患が過労により発症することはあり得るところであるが、前述したような通雄の健康状態及び通雄の職務内容に照らせば、通雄の急性心不全による死亡は、その職務とは無関係に生じた可能性も十分あるといえ、通雄の死亡が、その職務に起因して、あるいは、その職務と通雄の何らかの基礎疾病が共働原因となったことに起因して生じたものと認めることは困難であるといわざるを得ない。

そうすると、急性心不全の原因疾病を含む通雄の死亡とその職務との間には相当因果関係があると認めるには足りないといわざるを得ない。

六  よって、本件処分の取消しを求める原告の請求は理由がないから、棄却を免れない。

(裁判官 秋山壽延 竹田光広 森田浩美)

別紙省略

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