東京地方裁判所 平成3年(行ウ)217号 判決 1993年3月03日
原告
甲野春子
右訴訟代理人弁護士
中田祐児
被告
社会保険庁長官
末次彬
右指定代理人
浅野晴美
同
村山行雄
同
峯村芳樹
同
高田勲
同
彦田秀雄
同
佐藤保
同
山崎和博
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が昭和六二年六月一七日付で原告に対して行った亡甲野一郎の遺族厚生年金を支給しないとの裁定を取り消す。
第二事案の概要
一本件は、厚生年金保険法(以下「法」という。)に基づく厚生年金保険の被保険者であった者が昭和六一年一〇月一二日に死亡したことにより、その戸籍上の配偶者が遺族厚生年金の請求をしたのに対し、社会保険庁長官が、請求者は被保険者の死亡当時、同人によって生計を維持していたものとは認められないとして、遺族厚生年金を支給しない旨の裁定を行ったので、右請求者から右裁定の取消しを求めた事案である。
二遺族厚生年金の支給に関する法制
1 遺族厚生年金は、被保険者が死亡したときに、その者の遺族に支給する(法五八条一項一号)。遺族厚生年金を受けることのできる遺族は、被保険者の配偶者、子、父母、孫又は祖父母であって、被保険者の死亡の当時その者によって生計を維持したものとする(法五九条一項)。この場合、配偶者には、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む(法三条二項)。
法五九条三項は、同条一項の規定の適用上、被保険者によって生計を維持していたことの認定に関し必要な事項は、政令で定めるものとし、右規定を受けた法施行令三条の一〇は、これを、「当該被保険者の死亡当時その者と生計を同じくしていた者であって厚生大臣の定める金額以上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外のもの」及び「その他これに準ずる者として厚生大臣の定める者」とすると定めている。右規定のうち、「厚生大臣の定める金額」は年収六〇〇万円とされており、「その他これに準ずる者として厚生大臣の定める者」についての厚生大臣の定めはない(<書証番号略>)。
(なお、以下において、遺族厚生年金を受けることのできる遺族に関する要件のうち、配偶者であるかどうかについてのものを「配偶者」要件といい、「被保険者の死亡の当時その者によって生計を維持したもの」であるかどうかについてのものを「生計維持」要件ということがある。)
2 遺族厚生年金の支給を受ける権利は、その権利を有する者の請求に基づいて、社会保険庁長官が裁定することとされており(法三三条)、右の裁定に不服のある者は、社会保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服のある者は、社会保険審査会に再審査請求をすることができるものとされている(法九〇条一項)が、右の裁定の取消しの訴えは、当該裁定に対する再審査請求又は審査請求に対する社会保険審査会の裁決を経た後でなければ、提起することができないものとされている(法九一条の三)。
三争いのない事実
1 甲野一郎(以下「一郎」という。)は、厚生年金保険の被保険者であったが、昭和六一年一〇月一二日死亡した。
2 原告は昭和三四年一〇月二八日一郎と婚姻し、その間に昭和三五年六月四日長女陽子が出生した。
3 一郎は、昭和四八年頃から死亡するまでの約一三年間にわたって、乙川和子(以下「和子」という。)と重婚的内縁関係を維持していた。
4 原告は被告に対し、昭和六一年一〇月一二日一郎の配偶者として遺族厚生年金の請求をしたが、被告は、昭和六二年六月一七日、原告が一郎の死亡当時同人によって生計を維持したものとは認められないとの理由により、遺族厚生年金を支給しない旨の裁定(以下「本件処分」という。)を行った。一方、被告は、重婚的内縁関係にあった和子に対し、昭和六二年六月二五日遺族厚生年金を支給する旨の裁定を行っている。
5 原告は、昭和六二年七月一〇日香川県社会保険審査官に対し審査請求を行い、昭和六三年一月二九日社会保険審査会に再審査請求を行ったが、いずれも棄却され、再審査請求棄却裁定書は平成二年一二月三日原告に送達された。
四争点
1 重婚的内縁関係が存する場合に、遺族厚生年金の受給に当たって「生計維持」要件を基準とすることができるか。
2 本訴において、被告が「配偶者」要件の欠缺を主張しうるか。
3 原告が法五九条一項が定める「遺族」に該当するか。
五争点に関する当事者の主張
1 争点1について
(原告の主張)
(一) 法律上の配偶者と重婚的内縁関係にある者が遺族厚生年金の支給を巡って争う場合、被保険者が法律上の配偶者と別居し、重婚的内縁関係にある者と生計を同一にしていることがほとんどであって、このような場合には、本来尊重されるべき法律上の配偶者の立場と事実上生計を共にしてきた内縁者の生活のいずれを尊重すべきかという相剋が常に発生するのであるが、ここではいずれが「生計維持」要件を備えているかという基準は使われるべきではないのである。なぜなら、重婚的内縁関係にある者が被保険者と生計を共にしていることがほとんどであって、右の基準で遺族厚生年金の支給・不支給が決定されるとすれば、法律上の配偶者の立場が一方的に無視される結果となり、ひいてはわが国の婚姻制度の根幹を揺るがすこととなるからである。
(二) 法律上の配偶者と重婚的内縁関係にある者が遺族厚生年金の支給を巡って争う本件のような場合、遺族厚生年金がいずれに支給されるかについて、「生計維持」要件を基準に判断を行うことが許されないことは、最高裁昭和五八年四月一四日第一小法廷判決(民集三七巻三号二七〇頁)の趣旨に徴して明らかである。
(三) 本件処分は、「生計維持」要件を欠くという理由のみでなされたものであるが、前記の趣旨からすると、そもそも本件の場合に右基準によって遺族厚生年金の支給・不支給を決定することは許されないというべきであるから、本件処分はそのこと自体で取消しを免れないというべきである。
(被告の主張)
(一) 遺族厚生年金は、生計中心者の死亡によって遺族に生じた継続的な収入の喪失を保障して、遺族の生活の安定を図るものである以上、これを支給すべき者は配偶者であるだけでなく、被保険者の死亡の当時、その者によって生計を維持していたことが必要なのであり、このことは、法五九条一項の文言からも明らかである。
(二) 原告が引用する最高裁判決は、農林漁業団体職員共済組合法による遺族給付の請求に対してなした却下処分の適法性が争われた事案であるが、原審が同法二四条一項にいう「配偶者」について「生計維持」要件が必要であるとした判断を正当として是認している。同法二四条一項と法五九条一項は年金の受給権者についてほぼ同じ構成で規定しており、右最高裁判決が、遺族年金給付を受けるべき配偶者について「生計維持」要件が必要とした原審の判断を維持したことは、むしろ本件処分の適法性を裏付けるものである。
2 争点2について
(原告の主張)
被告は、本件訴訟において従来一貫して「生計維持」要件に該当しないことを理由に本件処分が適法であると主張していたにもかかわらず、訴訟の最終段階になって、原告が法五九条一項のいう「配偶者」に該当しないとの主張を新たに提出したものであるところ、このような態度は著しくアンフェアなものであるばかりか、本件処分の理由として考慮されておらず、しかも、審査請求に対する決定及び再審査請求に対する裁決においても考慮されていない事柄を持ち出してその適法性を基礎付けることは許されないというべきである。
3 争点3について
(被告の主張)
(一) 「配偶者」要件の非該当性
(1) 遺族厚生年金の趣旨は、生計中心者である被保険者の死亡によりその遺族に生じた生活上の必要を、遺族の生活の安定と福祉の向上の見地から保障することにあるから、たとえ法律上婚姻関係にある者であっても、婚姻状態が実体を失って形骸化し、その状態が固定化して将来解消される見込みのない事実上の離婚状態にあるような場合には、もはや被保険者が生活中心者であったとはいえず、法五九条一項の「配偶者」にも当たらないというべきである。
(2) 本件において、一郎から原告に対して、生活費等の経済的援助はなく、定期的な音信あるいは訪問もなかったほか、昭和四八年ころから一郎は既に和子と同居し、重婚的内縁関係にあり、原告も昭和五五年には一郎と和子との関係を知っていたというのであるから、原告と一郎との婚姻状態は、実体を失って形骸化し、その状態が固定化していたというべきである。しかも、原告は、一郎に対して和子と別れて原告との関係を修復するよう求めることもせず、原告から一郎に電話等で連絡をとるなど、原告と一郎との関係を修復するような状況も認められないことから、実体を失って形骸化した婚姻状態が将来解消される見込みもなかったというべきである。
(二) 「生計維持」要件の非該当性
(1) 遺族厚生年金の趣旨が前記のとおりであるとすれば、生計維持要件の認定対象者が配偶者であり、被保険者と配偶者の住所が異なる場合には、被保険者がその配偶者の世帯における生計の中心者であったと認めるためには、①被保険者からの生活費、療養費等の経済的援助があり、②定期的に音信、訪問が行われていることが認められなければならないというべきである。
(2) 本件において、原告と一郎は昭和四八年に別居を開始して以来、一郎が死亡する昭和六一年一〇月まで別居状態を継続していたが、一郎から原告に対して、生活費等の経済的援助といえるようなものはなく、また、原告と一郎は、昭和五五年から同五八年までの間は音信不通であり、昭和五八年以降一郎が死亡するまでの間も、一郎から陽子への電話連絡があっただけで、一郎が原告と会ったことはなく、原告の家には寄りつかない状態であり、定期的な音信あるいは訪問があったとは到底いえないというべきである。
(原告の主張)
(一) 法律上の配偶者と重婚的内縁関係にある者が遺族厚生年金の支給を巡って争う本件のような場合、遺族厚生年金がいずれに支給されるかは、「生計維持」要件ではなく、「配偶者」要件の存否を中心とし、法律上の婚姻が「事実上の離婚状態」にあるかどうかによって判断すべきである。そして、ここに「事実上の離婚状態」というのは、被保険者と重婚的内縁関係にある者との関係が密接であるために、反射的に法律上の配偶者との関係が疎遠になっている状態をいうのではなく、被保険者とその法律上の配偶者との間に婚姻関係を解消することについての合意があり、事実上の離婚に関する経済的給付も事実上の離婚給付としての性格を有するものであるなど、双方の積極的な意思が合致して事実上の離婚状態を作り上げているということでなければならない。つまり、事実上婚姻関係解消の合意と夫婦共同生活の実態の不存在という二つの要件が必要というべきである。
(二) 一郎は昭和四八年以降原告と別居しているが、これは自己の経営していた会社が倒産し、ほとぼりをさますためなのであって、夫婦関係が破綻しての別居ではない。それゆえ一郎は、不十分とはいえ原告に対し定期的な送金も行っており、また、二、三か月に一度は原告方に帰ってきている。また、一郎は、昭和五五年に行方不明となったが、昭和五八年以降、原告らの所に時々帰ってきたり、送金などの再開をしたりしているのである。
かように、原告と一郎との間で離婚の合意がなされたという事実は全くなく、一郎は原告方への時々の帰宅と送金を行うなど、両者の間に夫婦共同生活の実態が不存在になっていたとまでいうことはできない。したがって、一郎と原告とが「事実上の離婚状態」であったとはいえない。
第三争点に対する判断
一争点1について
1 法五九条一項の文言によれば、遺族厚生年金の受給権者たる「遺族」にあたるというためには、配偶者であるということのみでは足りず、被保険者の死亡の当時その者によって生計を維持したものでなければならないものとされている。そして、厚生年金保険は、労働者の老齢、障害又は死亡について保険給付を行い、労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するということを目的とする社会保障制度である(法一条)から、遺族厚生年金の受給資格について、被保険者によって生計を維持されていたことを要するとすることは、制度本来の趣旨に合致するものである。このことは、法三条二項が、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者も「配偶者」に含ませていることからも窺えるのであって、これらの点からすれば、配偶者に対する遺族厚生年金の給付も、被保険者との間において、社会通念上、夫婦としての共同生活を現実に営み、その死亡によって現に生計維持に支障を来すものに対して行われるものというべきである。
以上のとおり、「生計維持」要件が遺族厚生年金制度本来の趣旨に合致するものであり、配偶者にもそれは及ぶものであること、しかも、文言上は明確に配偶者にも「生計維持」要件を必要としていることからすると、重婚的内縁関係が存在する場合においても「生計維持」要件は必要というべきである。
2 原告は、右のような場合、重婚的内縁関係にある者が被保険者と生計を共にしていることがほとんどであって、「生計維持」要件によって遺族厚生年金の支給・不支給が決定されるとすれば、法律上の配偶者の立場が一方的に無視される結果となる旨主張する。しかしながら、配偶者に対する遺族厚生年金給付は「生計維持」要件のみで決定されるものではなく、「配偶者」要件も必要とされるのであって、その際は、戸籍上の配偶者が原則として優先することは事柄の性質上当然であり、その限度で婚姻制度との調和は計られているものであるほか、必ずしも内縁関係にある者のみが被保険者によって生計を維持されているとは限らない(被保険者が重婚的内縁関係にある者と生計を共にしながら、戸籍上の配偶者に対しても生計を維持しうるだけの支援を行う場合はありうる。)のであるから、重婚的内縁関係の存在する場合にも、「生計維持」要件が必要と解することに何ら不合理な点はないというべきである(なお、原告の挙げる最高裁判決は、重婚的内縁関係の存在する場合において、戸籍上届出のある妻に「生計維持」要件が不要であるとの立場を取ったものではないから、原告の主張を支持するものではない。)。
二争点2について
1 この点に関する原告の主張は、①被告がこれまでしていなかった原告の「配偶者」要件に関する主張を、本訴の最終段階で提出することは、時機に遅れた攻撃防御方法として却下されるべきであるとするものか、または、②本件処分が「生計維持」要件の欠缺を理由になされたものである。(しかも、審査請求や再審査請求においても「生計維持」要件のみが原処分維持の理由とされた。)のに、本訴において「配偶者」要件の欠缺を主張することは、処分理由の差替え(追加)となり許されないとするものであるかのいずれかであると解される。
2 そこで検討するのに、まず、原告の主張を前者の趣旨と解する場合、時機に遅れて提出された攻撃防御方法であるとしてこれを却下するのは、当該攻撃防御方法の提出によって訴訟の完結が遅延させられることによるものと解される(行政事件訴訟法七条によって準用される民事訴訟法一三九条一項)ところ、本訴における被告の主張は、既に訴訟に現れた証拠及びそれらから推認される事実を前提として、それを法規にあてはめた結果を主張しているものであって、その主張の提出のために更に証拠調べを必要とするようなものではなく、その当否の判断について更に時日を要するとはいえないから、被告の右主張を時機に遅れて提出されたものとして却下することは相当でないというべきである。
3 次に、原告の主張を後者の趣旨と解する場合、遺族厚生年金は、「生計維持」要件又は「配偶者」要件のいずれかが欠けておれば、これを支給すべきでないこととなり、右各要件の存否は、各個の被保険者と年金請求者との間の密接不可分な事実関係の全体によってのみ判定しうるものであるから、右支給の可否について判断した行政庁は右事実関係の全体を検討したものと考えられる。このような場合に、行政庁が行政不服審査に至るまでの段階において、一つの要件の欠缺のみを処分理由として示したとしても、他方の要件については該当すると判断したこととなるものではないし、本件年金の支給は、そのいずれの要件をも具備しなければすることができないものであるから、かような主張を許しても、原告に特段に不利益を課するものではないことを考慮すると、本訴において被告が新たに「配偶者」要件の欠缺を主張したとしても、許されない処分理由の差替えにあたるものではないというべきである。
三争点3について
1(一) 法五九条一項の定める「配偶者」の概念は、法三条三項が、「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む」と規定していることからも窺えるように、必ずしも民法上の配偶者の概念と同一に解する必要はなく、労働者の遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという厚生年金保険給付の目的(法一条)に照らして、これに適合した内容を有するものとして解釈を施すことが相当であり、右の目的からすると、右の「配偶者」であるか否かを判断するにあたっては、被保険者の生活実態に即し、現実的な観点からこれを行うことが必要というべきである。もっとも、民法が法律婚主義を採用している以上、原則として戸籍上の届出をした配偶者をもって右「配偶者」にあたるものとすべきである。したがって、右の「配偶者」とは、原則として戸籍上婚姻の届出を行った者をいうが、そのような者であっても、その婚姻関係が実体を失って形骸化し、その状態が固定して近い将来解消される見込みのないとき、すなわち、事実上の離婚状態にあるときには、もはや右の「配偶者」にあたらないものと解するのが相当である。
なお、事実上の離婚状態にあるか否かの判断は、別居の経緯、別居期間、婚姻関係を維持する意思の有無ないし婚姻関係を修復するための努力の有無、相互の経済的依存の状況、別居後の音信、訪問等の状況、重婚的内縁関係の固定性などを総合評価することによってなされるべきであり、事実上婚姻関係の解消についての合意があるとか、事実上の離婚給付を受けているなど、当事者双方に離婚に向けての積極的な意思の合致がある場合には、事実上の離婚状態にあるものとの認定を行うことは容易であるとはいえようが、必ずしも、このような合意の存在を要件とすべきものとは解されないのであって、重婚的内縁関係が存在する場合は右のような合意が常に必要であるとの原告の主張は採用し得ない。また、右判断は、婚姻関係の実体が失われたことに対する責任を問うためのものではないから、この点に関する当事者の有責性の有無やその程度は問題にならないというべきである。
(二) 厚生年金保険給付の目的に照らすと、法五九条一項にいう「その者によって生計を維持していたもの」とは、その配偶者において、被保険者からの援助がなければ、その生計の維持に支障を来していたであろうという関係があることをいい、かつそれで足りるものというべく、必ずしも被保険者と現実の生活を共にしていたり、同居し、または住民登録上の世帯若しくは住所を同じくしたりしていなければならないものではないと解すべきである。なお、前記のとおり、「生計維持」要件の認定に必要な事項は政令に委任されており(法五九条三項)、右委任を受けた法施行令三条の一〇は、これを、「当該被保険者の死亡当時その者と生計を同じくしていた者であって厚生大臣の定める金額(六〇〇万円)以上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外のもの」及び「その他これに準ずる者として厚生大臣の定める者」とすると定めているが、「その他これに準ずる者として厚生大臣の定める者」についての厚生大臣の定めはない。右前段の規定は、同居等により被保険者と生計を同じくしていた配偶者は、通常被保険者によって生計を維持されていたものと推認されるから、当該配偶者が例外的に高額な収入を個人で得ている場合を除き、それだけで「生計維持」要件を満たすものとみなしたものと解するのが相当である。したがって、後段の規定が存しないからといって、「生計維持」要件を前段のような場合に限定することは適当でなく、この場合は、法の規定に従って、「生計維持」要件の内容を合理的に解釈すれば足りるものというべきである。
2 以上の観点から本件を検討すると、<書証番号略>、原告本人尋問の結果(ただし後記採用しない部分を除く。)及び前記争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。
(一) 一郎は、昭和四二年ころから徳島市内で鉄工所を経営していたが、昭和四八年ころ連鎖倒産に会ったことから、借金から逃れるためと称して原告のもとを出て大阪に向かい、それ以来、昭和六一年に死亡するまでの一三年間にわたって原告と別居を続けた。一郎が家を出る前から一郎と和子との関係は原告の知るところとなり、一郎と原告との間に口論が絶えず、円満な家庭生活とはいえない状況になっていた。
(二) 一郎は、昭和四〇年ころ徳島市内のバーで和子と知り合い、肉体関係を持つようになったが、昭和四八年九月に和子が大阪に移住すると、間もなくそこに現れ、以来、和子と同居するようになった。一郎は昭和五三年ころに土建会社を設立したが、やがて借金がかさむようになり、昭和五五年七月和子とともに夜逃げ同然のように大阪を出て高知へ移住し、その後も、昭和五六年三月に愛媛県土居町、昭和五七年二月に香川県多度津町青木に移り住んだが、昭和五八年四月に同町家中<番地略>に居を定め、そこで死亡するまで和子との同居生活を続けた。一郎は、住居を落ち着けてから、昭和五八年一一月に博信沖修理という浮標の修理を行う会社を設立したが、赤字経営で負債が累積していた。
和子は、昭和四三年二月に長女隆子を、昭和五三年三月に長男博徳を出産し、これらの子供はいずれも一郎と共に暮らすようになった。一郎は昭和五八年六月二日付で両者を認知する旨の届出を行い、さらに昭和五九年五月一四日付で原告とともに両者を養子とする旨の縁組の届出を行った。しかし、隆子に対する認知は隆子と一郎との間に父子関係がないとの理由で、両者との右養子縁組は原告にその意思がないのにされたものとして、いずれも裁判上無効とされている。
(三) 一郎は、昭和四八年に原告のもとを出て大阪に移住した後も、盆と正月には原告のもとを訪れたり、電話で連絡したりしていたが、昭和五五年に一郎が大阪を出てからは音信不通となった。その直後、サラ金からの連絡により、原告は一郎が和子と同居していることを確認した。その後、一郎が昭和五八年に多度津町に移住してから、再び同人からの音信があるようになり、原告が入居している団地内に、一郎の訪問のために自動車の駐車場が確保された。一郎は、多度津町での仕事仲間を徳島に連れてゆき、原告に紹介したことはあるが、その他は、もっぱら陽子と会うために原告方を訪問し、原告と会うことはほとんどなかった。原告も仕事があるほか、一郎に対する反発から同人を避けており、陽子も原告の気持ちを察して、一郎と会っていることを原告に告げなかった。
原告は、一郎と別居状態になった後、昭和五六年に住居を移転し、昭和五八年に電話加入権の加入者名義を一郎から自己名義に変更したほか、国民健康保険被保険者証や住民登録票において自己を世帯主として届け出ている。
(四) 一郎は、大阪に出た後も音信不通となるまで、送金または持参によって幾ばくかの現金を原告に渡していたが、それは徳島で購入した業務用自動車等のローンの返済に充てられており、生活費はすべて原告が稼いでいた。昭和五八年に音信が再開されてからは、一郎から別表記載のとおりの金額が原告名義の銀行預金口座に振込まれた。一郎は、昭和六一年六月一日全労済(全国労働者共済生活共同組合連合会)の共済保険契約を隆子及び博徳とともに締結したが、右共済保険金は原告が受領した。そのほか、一郎は、陽子に対して、結婚祝いを送ったり、ステレオや自動車を買い与えたりした。
原告は、昭和四八年から飲食店に勤務し、月額一三万円前後の給料の支給を受け、昭和五六年以降は、家賃一万二五〇〇円の市営住宅で陽子と二人暮らしをしていた。昭和六〇年中に原告が受領した給与は一五〇万二九六〇円(総所得金額九〇万円)であった。
(五) 一郎は、肝硬変等に伴う消化管出血により、昭和六一年一〇月二一日多度津町の国立善通寺病院で死亡したが、これに伴う入院費用の負担、葬儀の挙行、納骨及び墓地の建立は、すべて和子が行った。博信沖修理に関する負債整理も和子が行ったが、これらに要した費用には一郎の保険金と和子の借入金が充てられた。
一郎の死亡直前、和子からの連絡で陽子は見舞いに訪れ、若干の費用を支払ったが、原告は見舞いにも行かず、死亡後も葬儀に出席せず、遺骨も引き取っていない。
3 以上の事実を前提にして「配偶者」及び「生計維持」の各要件についてそれぞれ検討する。(事実を認定した場合には、認定に供した証拠を認定事実の末尾に掲記した。)。
(一) 「配偶者」要件について
(1) 原告と一郎は、昭和四八年以来一郎が死亡した昭和六一年まで一三年間にわたって別居状態となっているものであるところ、右別居は自己の経営する会社の倒産をきっかけにしたものではあるが、その時期や行き先からして、和子との同居を目的としたものであることは疑いがなく、しかも、一郎は別居の直後から和子との同居を開始し、住居を転々とする間も共に暮らし、その間に子を儲け、これを認知して自分の籍に入れるなどしており、両者の内縁関係が相当強固なものになっているものと認められる。他方、一郎は、別居後も一時音信不通であった時期を除いては、原告方を訪問したり電話で連絡をするなどしているのに対し、原告は、積極的に離婚を求めることはしなかったものの、婚姻関係の修復に動くことはせず、かえって、一郎に会うのを避け、精神的に一郎に依存しない態度を取ったほか、その死に際しても一郎に会おうとせず、その葬儀に出席せず、遺骨も引き取らないというのであって、これは一郎との婚姻関係を維持・修復しようという意思とは相いれない事象であるというべきである。この点につき原告は、和子に対する損害賠償請求訴訟の本人尋問において、「一郎にはもう会いたくありませんでした。(一郎の遺骨を引き取る気持ちは)まったくありません。最後は諦めていました。」と断言している(<書証番号略>)のであるが、これは当時の原告の心情を反映したものと見るべきであり、これが単に和子への反感による供述に過ぎないものとは認め難い。また、一郎が原告方を訪問したり、電話で連絡を取ったりするのも、原告に会うためではなく、陽子に対する父親としての配慮からと見るのが相当であり、この事実をもって一郎が原告との婚姻関係の維持ないし修復を意図していたものと認めることはできない。また、一郎は原告に対してある程度の経済的給付を行っているが、原告は自ら飲食店で稼働し、陽子との生活を支えていたのであって、経済的にも一郎に依存していたのではないことは明らかである。なお、一郎が全労済の共済保険に加入したのも、その時期や、隆子及び博徳とともに加入したことに鑑みると、和子ら現に同居していた家族に対する配慮からのものとするのが相当であり、これをもって、一郎が原告の生活や将来に意を用いていた証左とみることはできない。
本訴における原告本人尋問の結果中には、昭和五五年までは年に二、三回大阪に一郎を訪ねたことがあり、昭和五八年以降もたびたび一郎と会っており、また一郎の気持ち次第では同人との関係を修復してもよいと思っていたとの趣旨の供述部分があるが、これらは前記認定事実や和子に対する損害賠償請求訴訟における供述とは明らかに矛盾したものであって、採用することができない。
(2) 以上の点からすると、原告と一郎との婚姻関係は、当事者間に離婚に向けての積極的な合意はないものの、その実体を失って形骸化し、かつその状態が固定して回復の見込みのない状態になっていたものと評価せざるをえず、原告を法五九条一項にいう「配偶者」とすることはできないというべきである。
(二) 「生計維持」要件について
(1) 前記認定事実によれば、一郎は原告に対し、別居後もある程度の金銭的給付を行っているが、昭和四八年に別居してから昭和五五年に音信不通になるまでの間は、一郎から原告に対する送金は、一郎の業務用の自動車等のローンに充てられており、原告の生活費には足りなかったのであり、昭和五八年に音信が再開してからは、別表記載のとおりの入金があったものの、その程度の金額では生活費の援助としては小額に過ぎるほか、定期的に入金されているものでもなく、これでは生計を維持するには到底及ばないものというほかない。そして、原告は、一郎からの送金では生活できないため、別居以来継続して飲食店で稼働し、そこで得た収入で生計を立てていたものといえる。しかも、原告自身、本件処分に対する審査請求において、一郎が生計を維持すべき義務を尽くさず原告を放置したことを自認しているのである。(<書証番号略>)。
(別表)
(単位:万円)
58年
59年
60年
61年
1月
5
2月
5
3月
20
20
4月
5月
6月
20
7月
8月
10
9月
2
10月
11月
5
5
12月
5+10
30
なお、本訴における原告本人尋問の結果中には、右の送金のほか、一郎から直接相当額の現金の支給を受けていた(昭和五五年以前は二か月に一回約一五万円づつ、昭和五八年以降も月二、三回五万円ないし一〇万円づつ受け取っていた。)との供述部分があるが、これらの事実は和子に対する損害賠償請求訴訟における原告本人尋問の結果中には全く現れておらず、かえって、右の機会には原告は、一郎が生活費の面倒を見てくれないので自分が働かざるを得なかった旨述べているのであり(<書証番号略>)、これらの点及び前記認定事実に照らすと、本訴における右供述部分は措信し難い。
(2) 以上の点からすると、原告が、一郎の死亡当時、一郎によって生計を維持していたものということができない。
第四結語
よって、原告は、一郎との関係で法五九条一項所定の者に該当するとは認められないから、原告に遺族厚生年金を支給しないとした本件処分は適当である。
(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官喜多村勝德 裁判官榮春彦は差し支えのため署名押印できない。裁判長裁判官中込秀樹)