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東京地方裁判所 平成4年(わ)598号 判決 1992年7月09日

主文

被告人を懲役一年四月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

押収してある覚せい剤一袋(平成四年押第七六〇号の1)を没収する。

理由

[犯罪事実]

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成三年一二月二九日、東京都北区《番地略》ホテル「甲野」前路上において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの結晶〇・二八一グラム(平成四年押第七六〇号の1はその鑑定残部)を所持した。

[証拠]《略》

[補足説明]

一  弁護人は、本件における証拠物たる覚せい剤の取得過程において、遺失物を保管する警察官がこれを被告人に返還することなく任意提出及び領置手続をとつて司法捜査に入つた点並びにその後覚せい剤の予試験及び本鑑定を行つた点につき、いずれも令状を得ていない違法があるから、右覚せい剤及びこれに関わる鑑定書その他の書証は違法収集証拠として排除されるべきである旨主張するのでこの点につき判断する。

二  まず、本件において捜査官が覚せい剤を取得した経過について、関係証拠によれば以下の事実が認められる。

1  会社員であるAは、平成三年一二月二九日午後一一時二〇分ころ、前判示のホテル「甲野」前路上を乗用車で通行中、同所にバッグが落ちているのを発見し、落し物として直ちに王子警察署に届け出た。

2  王子警察署では、当日宿直勤務であつた警察官菊池亮一が係員として応対し、右Aの面前でバッグの在中物を調べたところ、現金、預金通帳等のほかに白色結晶及び粉末がそれぞれ入つたビニール袋各一袋並びに注射器が見つかつた。そこで、右菊池は、右白色結晶及び粉末が覚せい剤ではないかと疑い、やはり宿直勤務であつた同署防犯課保安係長司法警察員田川徹に連絡した。

3  右田川は、右白色結晶及び粉末が覚せい剤である疑いがあると考え、特に令状の要否等を考えることなく、同じ部屋にいた甲斐巡査部長をして覚せい剤の予試験をさせたところ、白色結晶については陽性の反応があつた。しかし、白色粉末については反応がなく、さらにコカインの予試験も行つたがこれも反応がなかつた。

4  翌三〇日、右田川は、遺失物保管取扱責任者たる王子警察署長から司法警察員たる同署長宛の趣旨でいずれも同署長作成名義の任意提出書、領置調書を作成して署長に報告した上、白色結晶については「覚せい剤と認められるもの」として、白色粉末については「ヘロインと認められるもの」として、双方につき警視庁科学捜査研究所に鑑定を嘱託したが、この際も特に令状の必要性を考えることはなかつた。その後、前者については覚せい剤であることが、後者についてはアンナカ酸ナトリウムであることが判明し、各鑑定書も作成された。

三  右事実に基づき検討する。

1  まず、任意提出及び領置手続の関係でみると、警察官菊池の所属する警察署長は、遺失物法に基づき正当に本件バッグを占有しうる「保管者」であり、右保管者から一般的な権限を与えられている右菊池がその中身を確認した行為自体も、遺失物法一条二項により返還の相手方を調べるための相当な行為である。したがつて、そこでたまたま発見した覚せい剤様の白色結晶及び粉末を、保管者たる警察署長の名において任意提出し、捜査官たる司法警察員警察署長の名においてこれを領置することは適法である。

弁護人は、遺失物保管取扱責任者としての警察署長が所有者に対する返還義務を有しており、何ら処分権限がないことを理由に任意提出及び領置手続を違法であると主張する。しかし、遺失物法一条一項ただし書の趣旨は、同条二項の場合であつても当然適用され、警察署長は保管物が禁制品であればこれを遺失者に返還する義務はないと解するのが相当である。そして、返還義務の有無をさておいても、そもそも刑事訴訟法二二一条の定める領置手続は、その対象物と被疑事件との関連性が明らかでない場合にも、とりあえず捜査機関が捜査の端緒として占有を取得するために認められた手続であり、その領置の相手方として同条は「所有者」のみならず「所持者」「保管者」を規定しているのであつて、任意提出者の占有が適法である以上その処分権限の有無は問わないと解される。したがつて任意提出及び領置手続が違法であるとの右主張は理由がない。

なお、弁護人は、被告人が王子警察署にバッグについて問い合わせる電話をかけた際、電話口の警察官が故意にそのバッグが届いていない旨の虚偽の答えをしたと主張するが、その事実の有無はともかく、右判断に影響を与えるものではない。

2  次に、覚せい剤予試験についてであるが、これは用いる検体の量が極微量で足りるとはいえ、対象物の一部を用いて化学変化を生じさせる点において、その部分を処分する行為であるといわざるを得ず、基本的には権限者の承諾を得るか又は令状を得て行われなければならない行為であると解される。これは一般的に覚せい剤の鑑定(いわゆる本鑑定)と変わるところはなく、ただ、通常は権限者による承諾の上でなされるために、令状を必要としないものである。すなわち、処分権限を有する者自ら対象物を任意提出するような場合には、その提出時において予試験を含む鑑定についても明示又は黙示の承諾があるために再度の承諾・令状を得ることなくこれを実施できる。また、被疑者が現場におり、その面前で予試験を行うような場合においては、黙示の承諾が推定される場合が多く、仮にそうでなくとも、予試験が微量の検体で簡易迅速に実施できることから、嫌疑の程度、身柄確保の必要性との相対的な判断において、逮捕の際の現場における差押の場合に準じて適法となる場合も有りうるであろう。しかし、本件においては、その対象物が遺失物として届けられたものであつて、権限者の同意が存在しないことは明らかであるほか、直ちに予試験を行わなければならない特別の事情も認められない。

したがつて、令状の発付を受けずに行つた本件予試験の手続に違法があつたといわざるを得ない。

3  また、その後のいわゆる本鑑定についても、権限者の承諾がないこと及び対象物の一部を費消することなどにおいて右で述べた予試験の場合と何ら事情は変わらないのであるから、これもまた違法な手続ということになる。

4  なお、差押えた物については、捜査官のする押収に関する刑訴法二二二条が準用する同法一一一条に定められた必要な処分として、鑑定等ができる場合があると解されているところ、領置も押収の一態様であることを根拠に、このような領置物の鑑定等についても令状が不要であるとする考え方があり、本件の場合も、予試験と領置手続との間に時間的前後はあるもののこれを全体的にみて右考え方から適法とみることも考えられる。しかし、差押手続は、令状による場合には一応の司法審査を経ており、令状によらない刑訴法二二〇条による場合には限定的な要件でのみ許されている強制的な占有取得手続であるのに対し、領置手続は、前記のとおりかなり広い範囲のものからとりあえず占有を取得する任意手続であるから、この場合任意提出者の有する占有をその限りにおいて捜査機関が取得するものと考えざるを得ず、これに伴うものとして許される「必要な処分」の範囲についても差異を認めざるを得ない。そして、任意提出が必ずしも処分権限を有する者からなされるものではなく、鑑定等が目的物の処分をも含むものである点からして、領置手続による場合に鑑定等を必要な処分に含ませることはできないと解する。

四  それでは、これらの違法により本件覚せい剤又は鑑定書等の証拠能力が否定されるかを考える。そもそも捜査段階における証拠の取得手続に違法があつても、これによつて直ちにその証拠の証拠能力が否定されるものではなく、ただ、その違法の程度が重大であつてこれを証拠として許容することが将来の違法捜査抑制の見地から相当でないと認められるときに証拠能力が否定されると解すべきである。これを本件においてみると、前認定の菊池によつて発見された際の本件証拠物の存在状況、すなわち白色結晶及び粉末がいわゆるパケと呼ばれるビニール袋に入れられ、注射器とともにあつたことからすると、仮にその段階で覚せい剤取締法違反の罪を被疑事実として直ちに差押令状を請求し、あるいは任意提出、領置手続の後に鑑定処分許可状を請求すればその発付を受けられるだけの十分な嫌疑があつたと認められ(これは結果としてアンナカ酸ナトリウムであつた白色粉末についても同様である。)、また、時間的にもその余裕があつたものと認められる。そして、そのような令状を得ていればその後の手続きにも何らの違法がなく本件犯罪行為の証拠が獲得されたものと考えられる。一方、本件において令状が請求されなかつたのは、前記田川においてもそもそもその必要がないと考えていたためであつて、故意に令状審査を潜脱するためではなかつたというのである。してみると、本件において令状を得ていないという違法の程度は、本件覚せい剤又は鑑定書等の証拠能力を否定しなければならない程重大なものではないというべきである。

五  よつて、証拠を排除するべきであるという弁護人の主張は採用できない。

[累犯前科]

・ 事実

1  昭和六一年七月一〇日札幌地方裁判所滝川支部宣告

暴力行為等処罰に関する法律違反、傷害の罪により懲役一〇月(三年間執行猶予、昭和六三年六月二九日右猶予取消)

平成二年五月二五日刑の執行終了

2  昭和六三年五月二六日同裁判所同支部宣告

覚せい剤取締法違反罪により懲役一年二月

平成元年七月二五日刑の執行終了

・ 証拠《略》

[法令の適用]

・ 罰条 平成三年法律第九三号附則三項により同法による改正前の覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項

・ 累犯加重 刑法五六条一項、五七条

・ 未決勾留日数の算入

刑法二一条

・ 没収 平成三年法律第九三号附則三項により同法による改正前の覚せい剤取締法四一条の六本文

・ 訴訟費用の不負担

刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(裁判官 鹿野伸二)

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